30話『お八と豊房/宝の地図の話』
見合い後もそのまま嫁入りではなく、浅右衛門の仕事見学などで暫く待つことになったお七は神楽坂の屋敷に逗留することになった。
「偽乳──!!」
瓜二つにそっくりであったお七と再会した瞬間に、相手の成長した胸を見て虚脱していたお八はとりあえず翌日になってから自分なりに納得したようで、早速お七に飛びかかっていた。
急成長した嘆きの平原。それには秘密があるはずだ。即ち虚偽なり。
そう判断して小ぶりだが良い形になっているお七の胸を掴んだのだが。
感触は詰め物ではなく確かに肉である。
むにゅむにゅと揉んで、お八の顔がどんどん青くなっていった。
一方で無抵抗で揉まれているお七は、歯をむき出しにして笑みを浮かべながら云う。
「おいおいねーちゃん。いきなり人様の胸を揉んできてなんのようだ? 乞食みてえに恵んで欲しいのか?」
「くっ……手前……なんでこんなっ」
もにゅもにゅ。
大体、お八<豊房<お七ぐらいはある。そして豊房はまだ成長の余地があるが、行き遅れ一歩手前の年齢であるお八は絶望的に少年の如き胸板であった。
自分でも子供に与える乳が出るか心配になるレベルである。
「畜生……」
ぼろぼろと涙をこぼしながらお八は泣き出すもので、慌ててお七もおろおろとした。
からかって泣かすのは楽しいが、ガチで凹まれると困る。
とりあえずお八を置いて部屋から飛び出して別室に居た九郎を引っ張り連れてきた。
独身男性の情報を載せた婚活情報誌[是櫛]の製作中だった九郎は何事かと筆も片手にやってくる。以前に集めたお見合い希望忍者の情報を纏めたチラシで、女性に櫛を送るという行為から名付けられたものであった。
「ほら九郎の兄ちゃん! こっちのねーちゃんが貧乳泣きしてるだろ。哀れすぎ。慰めてやれ」
「お主のざっくりした言い方が酷すぎだ」
「痛っ」
ビシっと額を指で弾かれてお七が離れ、九郎が困った顔をしてお八の前に立つ。
「ううっくそう。なんであたしばっかり」
なんと声を掛けたら良いものかと少し悩み、告げた。
「気にするでない。己れはシチ子よりお主の方が良いと思っておるしな」
「そ、そうか?」
洟を啜って顔を上げるお八に、九郎は頷いて告げた。
「お主はシチ子より飯が上手い。掃除もマメにやる。人の言うことを素直に聞いて、悪戯で困らせて遊ぶようなことはせぬ。戦いや訓練以外では人を傷つけることもしない。布一枚から着物を作るのも屋敷の誰よりも得意なのは、昔に比べてずっと努力した成果であろう。 誰に聞いても、シチ子よりお主の方が嫁に欲しがると思うぞ」
言われて、お八は気恥ずかしい想いになりながらもまた涙が滲むのを感じた。
九郎はずっとこれまで、お八の努力を評価してくれているのだ。
最初から何でもできる才能のある人ではなく、一つ一つ積み重ねて来た彼女のこれまでを。
彼と並びたくて進んできたことを。
「だからな、お八。そんなに悲しむでない」
「九郎……」
目を向き合って、九郎は優しい顔で作りかけの情報誌を見せた。
「お主が望めば浅右衛門より良い旦那も見つかるかもしれんぞ……!」
「お前が旦那になるんだよ!!」
手がたなで隙かさずツッコミを入れた。
この期に及んでそんなことを言いだす彼に、いっそ愛想でも尽かしてやろうかと考えが浮かぶが、きっとそうはならないだろう。
むしろ一緒に居れば居るほど、絶対に離したく無くなっていく。
消えない初恋はやがて叶うのだろうか?
それとは無縁そうに見えるお七がケラケラ笑っているが、それも気にせずに困った顔の九郎の脇腹を照れ隠しに突っついた。
(貴方を困らせたいわけじゃないけれど……)
どうしてもこれだけは、困ってでも引き受けて欲しい。
お八はそれだけを願っていた。
**********
別の日のことである。
九郎と晃之介は一つの地図を前にして唸っていた。
それはお七が何処からか──彼女曰く、川天狗を名乗る怪しい山の民を旅の途中で助け、その礼に貰ったという──持ってきて師匠である晃之介に百両で売りつけようとした宝の地図である。
内容は、戦国時代の武将・佐々成政が隠した黄金を詰めた壺の在り処だ。
その金の価値は当時の小判にして百万両と云われている莫大な財宝であった。天正13年(1585年)、富山城を羽柴秀吉の軍10万に包囲された際に成政はどうにか城内から黄金をかき集めて、彼と側近しか知らない場所に隠させたという。
「……本当なのか?」
晃之介が九郎の説明を聞いて、そう問うた。
九郎は頷き、思い出すように顎に手を当てて考えて応える。
もう彼からすれば七十年前ぐらいにはなる、現代日本で知った埋蔵金の知識であった。中々記憶が曖昧になっているが、確かに覚えていることもある。
「佐々成政に埋蔵金の伝説があったのは本当だ。己れの親父がそう云うことに詳しくてな。飛騨山脈か何処かに埋蔵金を隠していたとされていて、学者や山師がこぞって探しに行ったらしい。うちの親父もその口でな。実際、こういう地図も多数見つかった」
「多数?」
「偽物も多かったようだ。古めかしく作った地図や思わせぶりな古文書を作り、そういった連中に高値で売りつける商売も行われていたという」
「そうなのか……」
まじまじと晃之介は地図の真贋を見極めようと凝視するが、勿論よくわからなかった。
「むう……こんなことならば親父によく話を聞いておくべきだったか。いつもの与太話だと思って聞き流しておった」
「九郎の親父か……どんな人だったんだ?」
「そうだのう。なんというか説明しにくいのだが……あちこちを旅してはよくわからん手段で金を稼いで時々戻ってくるような……」
一言で表すならば冒険家といったところだろうかと九郎は微妙そうな顔で述べた。
本職は写真家なのだが、海外の危険地帯でも気軽に出かけていくので困った父親であった。東南アジアの人食い人種を撮影に行って追い掛け回されたり、メキシコの遺跡を撮影に行ったらマフィアに命を狙われたり、ヒマラヤ山脈にある温泉特集を撮ろうとして中国当局の山岳部隊に殺されかけたりとよくよくトラブルに合う体質だった。
「だが、佐々成政の隠し金は多少信憑性があった。中身は見つからなかったが、親父は棕櫚の家紋が入った壺の破片を飛騨山脈の何処からか手に入れて来たと見せられた記憶がある」
「棕櫚……というと、佐々成政の家紋か」
晃之介は何処かで見た記憶のある、天狗の持つ扇のような形をした葉っぱの家紋を思い浮かべた。
そもそも昭和初期から中期頃に佐々成政の埋蔵金探索が流行したのが、南アルプスを住処にしている山男の何某が小判を何処からか調達していた、という噂が流れたことからである。
或いは同じ時期に、その辺りで金が掘れるというこれまた怪しい山師が出資者を集めていたこともあり噂は絡み合い大勢が幻の黄金を求めてやってきたという。
九郎の父はそのブームより後のことだが、やはり怪しげな地図を手に入れて探しに行き、壺だけ見つけて帰ってきたのであった。
「まあその壺も偽物かもしれぬが……大勢が踊らされるだけの何かがあるかも知れぬのは本当だな」
「しかしこれが本物なら、どうしてお七が助けた山の民はお七に大金の在り処を渡したんだ? 自分で探せばいいじゃないか」
「ふむ……地図の意味がわからなかったので手放したとか……」
「あり得るな……」
再び二人は広げた地図に目を落として、首を傾げた。
文字が書かれているので読む方向はわかるのだが、大雑把に言えば地図は一本の曲がりくねった線が引かれているだけで地図とは云えぬようなものであった。
飛騨山脈の辺りを俯瞰図として見たと課程しても、どれだけの縮尺でどこを表しているとも書いていない。地名も山の姿も無いものだ。
宝の地図と云われなければ、ふにゃふにゃと線が縦に伸びているようにしか見えないだろう。
そしてその下には文字が書かれていた。これも時代がかっていて、九郎には中々解読できない。
「晃之介。読めるか?」
「いや。無理だ」
「うーむ……石燕に解読を頼むか」
何人か読めそうな知り合いも居るのだが、敢えて石燕を選んだのには理由があった。
豊房などに云うと「埋蔵金なんて夢みたいなこと云ってないで現実的に稼ぎましょう?」とか諭されたら九郎は死にたくなる気がしたのと、将翁に頼むと「そのような噂話に頼らずとも、金になる薬草でも山に摘みに行きましょうぜ(人気のない野外に連れ出そうという口実)」とか云われる予感があったのだ。恐らく合っている。
男というものは割りと何歳になっても宝探しという単語に心を踊らされるのだ。
世界のトレジャーハンターでも、白髪の老人になって利益が出ずともまだ続けている者が沢山居るぐらいであった。況や九郎も、晃之介もそうである。
何より二人は稼ぎが今ひとつなのであり、家族が増える未来が現実的になりつつある仲間意識があった。
金はあればあるだけありがたい。
(隠居して一人のんびり生きようと思っておったときは考えもしなかったのう……)
そして取る手段が一攫千金なのは彼の性なのだろうが。
*******
二人はそのまま神楽坂の天狗屋敷へと石燕に地図を持っていった。
「今日は天気が良いから日当たりの良い縁側にでもおるだろう」
と、玄関から入らずに回り込むと途中で稚児趣味同心の死体が二つ落ちていて、番犬の明石が前足でゲシゲシと頭を蹴っていた。
「なんだこれは」
「チッ。また勝手に軒先で死んでおる」
「よくあることなのか?」
とりあえず現場の状況を確認してから捨てようと縁側に目を向けると、日が照っている中でスフィと石燕が肌蹴て乾布摩擦をしていた。
「ううううささささ寒くないかねこれ!」
「なんのなんの。まったく軟弱じゃのー。エルフに伝わるエルフ乾布摩擦をすれば健康になって、体が成長したときに胸も大きくなるのじゃから我慢せい」
「本当かね!?」
「……そう信じて百年以上経ったが私はいつ大人の体になるんじゃろーか」
微妙に哀愁を感じるスフィの言葉であったが、石燕が鼻を垂らしつつ背中を手ぬぐいで擦って震えていた。
石燕は帰ってきたお七の姿を見て人間の成長性を確信し、若い体のうちからこうして健康と美貌を意識して行動を起こそうと決めたのであった。
そこで始めたエルフ乾布摩擦。
ロリ二人が昼間から乾布摩擦。
たまたま様子を見に来た稚児趣味同心二人は一瞬で脳をやられて即死していたのであった。
「あー……とりあえず、準備しておくから晃之介。お主はこの死体を川に放り込んでてくれるか」
「いや真っ昼間から犯罪はちょっと」
「では近くの根来寺に送りつけておいてくれ。寺坊主が良いようにしてくれる」
「わかった。それなら」
仏罰を受けるであろう失神した二人を見送りつつ、九郎は乾布摩擦中の二人に溜息をついて呼び止めた。
火鉢を付けた室内に四人は入って件の地図を石燕に見せた。佐々成政の黄金が隠されている地図だとはあらかじめ告げている。そうとでも告げねば、この謎の縦線が地図には決して見えないからだが。
余程寒いのか、九郎に後ろから抱きかかえて貰いながら石燕は冷たく悴んだ手で書かれた文字をなぞり、詩のように発音した。
「『朝日差す 夕日輝く くわさきに 七つむすび 七むすび 黄金いっぱい 光り輝く』
……と、あるね」
石燕が読み上げると、皆がそれぞれ反応を返した。
「うーみゅ、いかにも黄金がありそうな暗号じゃのー」
「……むう、字は読めたがやはりよくわからぬな」
「いや、俺は一つわかったぞ」
晃之介が文字を指差しながら云う。
「『くわさきに』とあるが、飛騨山脈や立山付近でならばこれは鍬崎山のことではないか?」
「そんな名前の山があるのか?」
「つまりそこにお宝かのー」
早合点する三人に石燕は冷静に制止した。
「いや待ちたまえよ君たち。一つの単語が見つかったからといってそれが全ての答えなどと単純な話ではあるまい」
「しかしのう。他はよくわからぬし……」
「ふふふ! そこを解き明かすのがこの名探偵石燕! 体は子供頭脳は大人なのだよ!」
「……今更だが、その体は子供、頭脳は大人ってなんかこう何人も居ると有り難みがないよな」
晃之介は見回しながら告げた。
言ってみれば九郎もそれより年上なスフィも、石燕もその言葉が当てはまる。少女形態をした将翁もだろうか。
年齢詐称・似非少年探偵団という単語が九郎の脳裏を掠めた。
「とにかく私に任せておきたまえ。超解釈には定評があるだろう?」
「お主、一反木綿がガブリエルとか関連付けておったではないか」
「なに、私に掛かればキリストの墓を陸奥にあったと論拠を出して主張するのも容易い」
「褒めてはおらぬ」
背中から聞こえてくる九郎の声を無視して、石燕は書かれている地図の線をゆっくりとなぞった。
「この一見無造作に引かれたように見える線と文字が対応しているという前提で語るよ?
まず注目するのは『朝日差す 夕日輝く』の部分だね。これは流れを意味していると思うのだ」
「流れ?」
「文字のおかげで上下はわかっている。上下と方位を合わせて、朝日が差す方向から夕日が輝く方向へと線が伸ばされていると見ていいだろう」
縦線の両端は稲妻のようにジグザグに上下へ伸びていて、どちらの端が目的地なのかすら定かではないが石燕はさも当然のように上の方を起点として下の終点へと指を動かした。上の方は最初に東の方へと横へ曲がっているので記述に合わせればそうなる。
「ふむ……」
「しかし、結局どの場所を始めとして伸びているのかがわからねば……」
晃之介の疑問に石燕はそれも答えを見つけているとばかりに頷いた。
「その点は次だね。『七つむすび 七むすび』……これも明確に地名及び佐々成政と関係しているね」
「わからん……」
「俺もだ……」
「聞いたことも無いのー」
「いやスフィはそうだろうが」
得意げに石燕は指を立てて説明をする。
「佐々成政がこの地に黄金を隠したとされるのは天正15年。さて、その時に彼には七つになる娘が居た。城の主の娘となれば姫といっても過言ではないだろう。
そして七つの姫で、鍬崎山に近いとなれば『七姫平』という地名がすぐ近くにある。そこをむすびの起点として、七・むすぶ」
「おお、一見無造作にぐねぐねと曲がっておった線じゃが、たしかによく見れば七回だけ曲がっておるな」
七つの点を線で結んだかのようにそれは繋がっていた。
しかしそれでも、下地に地図があるわけではない。どれだけの距離を、何の目標を持って線に沿って進めばいいのかまるでわからないことは確かだ。
だが石燕は「良いかね?」と訝しんでいる晃之介と、九郎を肩越しにみながら説明をした。
「宝の地図というのはだね、つまり後で探し出すように基本的には作っているのだよ。隠した当人かその縁者だね。ならばわかりにくくとも目印はちゃんと残さなければならない。
一番簡単なものは地形での目印だね。どこそこの大岩とか、大木などを目印にする場合だ。しかし立山あたりは修業の場になっているだけあって自然環境が厳しいからね。普通の自然物では環境の変化で消えてしまうことが考えられる」
「すると、何を目印にするのだ?」
「まあ待ちたまえ。かといって杭や地蔵などの人工物を点々と配置していっては悪目立ちするだろう。それに七という数にも意味があるはずだ。何故七ではないといけなかったのか? それは自然にあって消えなさそうな目印の数が丁度七つだったのだろう」
「何だというのだ」
「まずはこの起点が七姫平から始まっているとして、案外に早く左から右へのむすびは止まって南下している。出発地点からそう遠くない位置に目印があるんだ。恐らくは当時からあった目印が」
石燕は眼鏡を正して宣言した。
「恐らく目印はあの辺りに湧いている温泉だ。一般に知られているもの以外でも、山中には修験者が使う温泉が無数にあるとされている。それを目印にして、山の中を南へと導いていると思う」
「温泉か……立山温泉は有名……だったか?」
「ああ。江戸からも、立山詣でで旅人がよく行くんじゃなかったか? 俺も昔に修行で通ったことがある」
本格的に温泉街として賑わうのはまだ数十年後だが、徐々に温泉周りに宿泊施設などが出来て旅人が立ち寄るようになっているのが江戸時代であった。
現代で云う南アルプスの辺りは長らく秘境中の秘境であり、仙人でも住んでいるような場所として信仰を受けていたという。
「その立山温泉が発見されたのが天正8年。佐々成政もさらさら越えの際に入浴していたとされている。冬の飛騨でも湯気によって発見しやすく、山中に湧いていたとしても目印とも思われない温泉に目をつけたとも考えられないかね?」
「それだ! 間違いないぞ!」
「晃之介……お主騙されやすいタチだよなあ」
だが、地図の説明としては九郎もこれ以上は考えつかないようなものであった。
この地図が正しく佐々成政の埋蔵金を示しているものならば、だが。
「まあこれだけで埋蔵金の在り処にたどり着けるかは不明だけれど、とにかく後は現地に行って新たな手がかりを探さねばわからないだろうね」
「よし。では九郎。折を見て宝探しに行くか」
「いや待て。この糞寒い時期にか?」
冬の黒部に行ったことがある者ならば想像が付くかもしれないが、ざっとこの12月の時期ではマイナス15度は覚悟していかねばならない。
ついでにその辺りは風が強くて風速も平地で10m以上吹くので、常に吹雪いている。当然ながら江戸時代の旅人も誰も行こうとはしないだろう。
不満そうな九郎に晃之介が告げた。
「しかし春先になれば草木が茂って探すどころでは無くなるぞ」
「それはそうだが……ううむ、まあ寒さはなんとかなるがのう」
炎熱符を使えば自分の周囲に熱の領域を作り出して防寒はバッチリできるので、確かに問題は無いのかもしれない。
天候が整えば吹雪も止む日が来るだろう。そう思えば、草木が茂りまくっている原生林の中を探すよりは効率がいい。
草木はいざとなれば隠形符で消せることは消せるのだが、見えなくしているだけであって進むと体中に当たるのは変わらないので結局探索の邪魔なのだ。
ついでに夏場は熊も出る。妖怪も現れる。飛騨は魔境そのものであり、立山信仰によれば地獄の地である。だからこそ地獄を克服して法力を得ようと修験者がやってくるのだ。
「まあとにかく、今日明日に行くわけでも無いのだからまずは準備からだな」
「わかった。武器と食料だな」
「武器が居るのか……」
何処にでも武器を持ち込もうとするのは強迫観念でも持っているのだろうかと思うが。
冬眠に失敗した熊が出るかもしれないという危険は確かにあった。
スフィが九郎の袖を引っ張りつつ聞く。
「宝探し……面白そうじゃのー。私もいけぬか?」
スフィも冒険慣れしているが、冬山に連れていくのが果たして大丈夫か九郎も言葉に詰まる。
ひょんな事ではぐれて遭難でもしたら大変なことになるのだ。
だがスフィの提案は九郎の膝上に座っている石燕がばっさりと切り捨てた。
「ふふふ、残念ながらスフィくん! 立山は女人禁制なのだよ……!」
「なんと!」
「こっそり入るとしても正直止めておいた方が無難だね。山の怪から理不尽な害が及ぶかもしれない」
「ふむ。意外だのう。石燕も気にするのか」
「私とて如何にも危ないところは遠慮願うぐらいの霊感はあるよ。妖怪のことを調べるのは好きだが、実際に対面して平気なわけではない」
「そう言えば確か……」
と、石燕が初めて山田浅右衛門と出会ったときのことを思い出した。
罪人の首を切り続けてきた男の背後には、無数の亡者が絡み合って巨大な姿になっているようなイメージが見えて、気分が悪くなっていた。
彼女は阿部将翁のように術を持って魑魅魍魎を退治することは出来ないのである。
「しかし俺と九郎では、また謎解きがあったときに大丈夫だろうか」
「それなら靂少年を連れて行ったらどうだね? 天爵堂に似て理屈を捏ねる方だが、それが発見の切っ掛けになるかも──って九郎くん、何を思い出し笑いをしているのだね?」
「いや、何でもない」
つい靂が吉原に連れて行っても理屈を捏ねていたのを思い出して九郎は笑みを隠した。
確かに靂ならば女人禁制の山でも問題はないし、晃之介のところで鍛えているので山歩きも得意な方だろう。
「しかし靂か……あやつも低収入だから、役に立って分前が入ると何かと都合が良いのだが」
「宝が見つかれば百万両だろう。分け前は充分だ」
「まあ百万両は俗説だがのう。黄金の詰まった壺の一つでも見つかれば、それだけでもかなりのものになるだろう」
そうして、晃之介と靂を連れて三人で宝探しに向かおうとひとまずは決まったのであった。
数刻後。
「……先行して様子を見に来たが、全くわからんな。どれがどの山で道が何処かすらわからん」
九郎が空を飛んで見てきたらどうだろうかと思いついて立山と思しき方角へ飛んだのだが、当然ながらそこらの山の名前がわかるわけでもなく。
雪で閉ざされた富山あたりの山岳地帯上空で首を振るのであった。
地理の素人が空から眺めたところで山の見分けは、余程航空写真などで見慣れていない限り難しいだろう。
やはりある程度、地上から進んだ方がわかりやすいと判断して今日のところは江戸に帰る九郎であった。
*********
夕食の席で九郎が皆に、晃之介と靂を連れて宝探しに行ってくることを告げると反応は様々だった。
阿部将翁も「ほう」と息を吐き、
「あの辺りはあたし共も滅多に入っていかない人外魔境の地ですぜ」
「そうなのか?」
「ま、基本的に薬を買う人が少なく、薬草を摘むにしても妖かしに化かされる。夏場に通り過ぎることはあっても、冬場に入ることは無い。山の怪に注意してくださいよ? ふらふらと様子がおかしく、声を掛けても無視して山や谷に仲間が行こうとしていたら眠らせないとそのまま二度と帰ってこない」
「ううむ、そのようなことが起こるのか」
そして豊房はじっと九郎を見ながら、云う。
「わたしも連れていきなさいよ」
「危ないし女人禁制だから止めておけ」
「だって……九郎、また帰ってこなくなったりしないわよね?」
不安そうな声音で豊房はそう聞いた。
あの日、九郎が軽い調子で出かけていったまま──小さかったお房には何も伝えずに、六科には戻れないかもしれないと伝えて、それでも出ていったことを思い出しているのだ。
毎晩待って待ち続けた記憶に胸が苦しくなりながら、懇願する。
「また居なくなったり……しないでよ」
そんな彼女を安心させるために、九郎はできるだけ軽い調子で告げた。
「なに、男三人で温泉に入りに行くだけのようなものだ。大体、晃之介や靂とも一緒に行くのに三人揃って帰れなかったら大変なことになるであろう」
言いながら九郎は想像する。子興は未亡人になり長喜丸は父無し子、お遊と小唄と茨は確実に病む。それにこの屋敷の皆も放っておくわけにはいかない。
だが、と九郎は手を振りながら豊房へ心配しすぎないように云った。
「寒さ対策は万全で、雪崩が起きようが谷に落ちかけようが飛んで逃げれるのだ。三人の体を細くて縛るアレで結んでおけば逸れることもあるまい。何も心配はいらぬ」
「……本当に?」
「うむ」
九郎が頷くと、それでも不安さは表情から完全に抜けなかったが、ひとまず納得してくれたようだ。
お八の方は納得しているようで、
「大丈夫だろ豊房。九郎と師匠が組めば、足手まといの靂が居たとしても何処ででも帰ってこれるって」
「……それは、わたしだって信頼はしているの。でも心配は多分これからもずっとすると思うわ」
夕食後。
寒い上に暗くなるのが早いので、屋敷でも就寝時間が早々と訪れていた。
そんな九郎の布団に白襦袢を着た豊房が潜り込んで、体温で布団をぬくもらせている。
「というわけで心配だから今晩は添い寝するわね」
「大丈夫だというに」
「……子供でも出来たら、九郎が居なくなる心配も無くなるのかしら」
「寝ろ」
あんまりといえばあんまりな豊房の発言に、九郎はさっさと寝ようとしたが。
(子供が出来たからといって認知されず無かったことにされることもあるよ!)
「今、なんか直接脳内に誰かの声が」
「いや。知らん。カナブンでも飛んでた羽音じゃないか?」
九郎は幻聴に耳を傾けないように豊房に言い含めて、寝るまで背中を軽く撫でてやっていた。
温かさでぼんやりと意識が解かされていくような感覚だった豊房が、完全に寝入る前に小さな言葉が聞こえた。
「もうすぐ大人になるまで、子供のままで居て欲しいというのは……大人の勝手な願いなのだなあ」
見ない間に成長した子供達に戸惑いながら、受け入れようとする穏やかな諦めに似た感情が伝わって。
豊房は九郎に顔を寄せて眠った。
(あたいも──)
(ずっと小さいままで、お父さんはずっとお父さんで、お雪姉さんもお八姉さんもお豊お姉ちゃんもずっとそのままで、九郎もずっとお兄ちゃんなら良かったって思うの)
だが、月日は流れて留められるものではないから。
後は先に進むだけなのだが──
(もう少しだけ足踏みをしていてあげるの)
それは九郎の為だったか、自分の為だったか────
九郎の年貢の納め時も近い気がする
スフィ「私足踏みしすぎじゃなかろーか(ゴール手前で足踏み歴120年のプロ)」
なお作中に出てくる埋蔵金伝説と怪しいわらべうたは本当です
次回、男三人埋蔵金探し! 上から降ってくる岩! 洞窟を塞ぐ大蛇! 草鞋を整えようとしゃがんだら手に乗っかるタランチュラとサソリ!




