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16話『スフィと無花果』


 [彼女の恋は無花果イチジクのよう]




 吉原にやってきたヨグとイモータルよりもたらされた菓子、甘納豆。 

 それを幾つか包んで九郎は製法を伝えに日本橋の鹿屋へと向かった。自分たちで作って売るとなれば、製法自体が単純なこともあり大手が参入した場合に価格競争で勝てなくなるから最初から大手に売りつけようという算段である。

 特に砂糖が手に入る薩摩との繋がりが深い上に、大阪などにも支店のある鹿屋でならば原価を抑えつつも売上が見込める。 

 江戸からすればほぼ異国に近い薩摩という土地の商品を扱うということも、発明された時代がやや怪しい物を売り出すには都合が良かった。

 そんなわけで鹿屋の前まで来ると、店の従業員が早速頭を下げながら九郎を招き入れる。


「九郎どンがいらしたど!」

「者共ッッ!! 宴の準備じゃッッ!!」

「酒と火縄を用意せいッッ!!」

「はっはっは。いつも元気だのう」


 などと言われながら和やかに奥に入っていき、時折奇声と破裂音が聞こえる。

 ところで、鹿屋は江戸でも有数の繁華街である日本橋にある。五街道(中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中、東海道)に面して旅人が江戸の賑わいを味わう為に足を止め、水の便も良い為に商品が船で届くことから大店が立ち並び、現代で云うところの築地にあるような江戸一番の魚市があって人が行き交う。

 そんなところで、一風変わった商品を出すとして注目を浴びている店であり、強面の店員が多いそこに下にも置かない態度で度々迎え入れられる男。

 控えめに云って周囲からヤクザとか元締めとかそう云う風に周りから見られている事を九郎は全然気づいていない。

 

 さておき、九郎は店の奥で黒右衛門と面会した。心なしか明るい雰囲気をしている黒右衛門に九郎が聞く。


「む? 何か良いことでもあったか?」

「例のハブメイジンですが、様々なところに話を通して藩の許可も得ましてな。今頃奄美で捕まえたハブを水桶に放り込んで船で運んでいるはずです」

「猟奇的な図が浮かんだが……[波布銘腎]な」


 九郎が鹿屋に提案したハブ酒である。薬酒の一種であるそれは、奄美で厄介者として駆除されてるハブを高額に変えるまさに薩摩にぴったりの商品なのであった。

 とは言え一介の商人では好きに奄美に出入りしてハブを調達するなど不可能なので、根回しを行って奄美の奉行にも話を付けての生産となる。それでも江戸や大阪での販売は鹿屋が取り仕切るのだから莫大な利益が見込めた。

 

「というわけで繋ぎの商品を販売しておこう。ほとぼりも冷めて、店も通常営業をしておるしのう」

「おおっ! さすがは九郎殿! 何でも云ってくだされ!」

「これだ。甘納豆と云う」


 九郎が差し出した豆菓子を手に取り、黒右衛門はジロジロと眺めた。


「煮た豆を乾かし……砂糖を振っておるのですかな?」

「砂糖汁で煮込むのでな。お主のところで扱った方が安く上がりそうだろう」


 説明を聞いて、黒右衛門が甘納豆を口にする。

 ほろりと口辺りが良く、中まで砂糖汁が染みこんでいながら外に直接振りかけられて結晶になっている砂糖が、二重の甘み構造をもたらして思わず口元がほころぶほどだ。

 

「うまい! こんな味は初めてですぞ! 一口ごとにじーんと心に染みる味だ……!」

「そんな、未来のお菓子を食べたのび太のような反応をするほどか?」

「いえ、これはまさに画期的!」


 食い気味に黒右衛門は興奮して云った。

 豆を茹でて食う──という食い方は恐らく古来より行われてきたことである。江戸でも、十七世紀後半からは煮売屋が現れ始めて煮しめや煮豆を屋台で売って回っていたようだ。

 しかしながら砂糖で甘く豆を煮るという方法は──意外に遅く、明治頃から始まった商売であったようだ。或いは江戸にある高級料亭の[八百善]が醤油と砂糖で煮込んだとも云われているが、そちらは高級だけあって一般には普及しておらず、明治頃に庶民向けに甘い煮豆の売り歩きを行い始めたということである。

 勿論江戸時代から小豆を甘く煮込む餡を使った料理はあったのだが、煮崩すまで煮込むのと形を保って乾かすのでは随分と形態が違う。

 というわけで、黒右衛門からすればまさに未来のお菓子を食べたに等しい。遊女らよりも驚きが多いのは、商売人の性だろう。


「近頃は江戸近郊、とりわけ川越の辺りで薩摩芋の栽培が進み危機感を覚えていたところでして……そこにこれ! 植えれば甘いのが出来上がる唐芋と違って、煮る砂糖が必要という手間が他の店の参入を阻む!」

「うむ。薩摩は豆の栽培はいまいちしていなかったよな? 豆は他から買うとして……大きい豆が良いからな。黒豆は丹波だったか? 豆の代わりに芋を煮込んで作っても乙だぞ」

「なるほど……鉈豆ナタマメじゃいけませんか」

「鉈豆? ……確か福神漬けに入ってる変な形のやつだな。あれは合わぬと思うが……」

「福神漬け!? な、なんですかその約束された勝利みたいな良い名前の漬物は……! 鉈豆を使ったそんな漬物知りませんよ!?」

 

 そういえばこの時代、まだ福神漬けも無いのだったなあと九郎は単語に食いついている黒右衛門へ胡乱げな視線を向けた。

 随分と先取りして、先人らが試行錯誤の末に開発したヒット商品を勝手に世に送り出しているような気がしないでもなかったが。

 

(まあいいか)

 

 適当にそう考えた。そもそも福神漬けは誰が最初に作ったのは諸説あってよくわからないのだと九郎も記憶している。


「福神漬けは、大根や鉈豆に茄子など七種類の野菜を醤油と酒、砂糖を混ぜた汁で浅漬けにした漬物だ」

「七種類だから福神漬けと名づけましたか! 七福神のぉぉぉ!」

「興奮するでない。これもお主のところで作って良いからな」

「絶対売れますよ!」


 そして早速黒右衛門は醤油に味醂、砂糖を持ってこさせて試作してみる。

 九郎に味見を頼み、いささか現代よりもかなり塩辛いものの似た風味の調味液を作った。

 甘みと漬物。どちらも需要は幾らでもある商品であり、そして保存が効くという利点は江戸時代では大きい。


(しかも砂糖と鉈豆を材料とするのならば、まさに薩摩に相応しい!)


 大喜びの黒右衛門は何度目かになる九郎への感謝に拝まんばかりであった。

 これまでの商品でも薩摩芋を使った大学芋や天ぷらは外の屋台で売れ筋であるし、麩菓子に黒砂糖を染み込ませた[黒棒]は高級な茶菓子として、そしてカステラ生地にクリームを入れた[かすた殿]は受注生産の超高級品として売れていた。

 九郎と関わって作られた商品だけでかなりの売り上げになり、更に藩からの覚えも良くなっているまさに福の神なのである。

 

「ところで情報のお代は……」

「ああ。この前貰ったばかりだからのう。商品を売り始めて儲けそうならば、お主がこれぐらいの価値だったと思う価格を付け届けに持ってくるが良い」

「……わかりました。ところで、これは西国で作られ始めた唐来の水菓子なのですが、持っていってください」


 ひとまず頷いて、黒右衛門は九郎に渡そうと用意していた果物を笊ごと渡した。

 案外にこの福の神は現金よりも珍しい食べ物や女への贈り物などを渡されると喜ぶのである。

 赤っぽい果皮で丸っこい形をしているそれを手にとって九郎は聞いた。


「これは?」

[蓬莱柿]ほうらいしという果物でして、一つずつしか実がならないので[一熟]いちじくとも呼ばれています」

「イチジクか。ふぅむ、江戸では果物もあまり無いしのう。ありがたく貰っておこう」


 江戸で売られている果物らしいものは、西瓜すいか真桑瓜まくわうりぐらいのものであった。

 最初から慣れている皆はともかく、異世界では西洋風の食生活をしていたスフィは果物も欲しかろうと九郎は喜んで受け取る。

 

「それではのう」


 笊を片手に鼻歌混じりで九郎が去っていく背中を見て、土産を持ってきた店の組頭が笑いながら云った。


「旦那様、良かったですね。新しい商品を貰って。それにしても九郎殿も欲がないというか、商品の価値をわかっていないというか……まさか礼金も貰わずにこんな貴重な話を」

「馬鹿者。そんなことで組頭が務まるか」

「は?」


 黒右衛門は眉根を寄せて、近頃重役の組頭になったまだ若い者に言い含める。

 組頭は物の仕入れなどを担当する役割だが、九郎に渡す関連の珍しい品はまだ黒右衛門が探しだして用意していた。


「確かに商人の間での取引では、あそこまで商売の種を打ち明けることはしないだろう。だがな、だからこそこちらがどれだけ誠意を返せるかが問題になってくるのだ」

「と言いますと……」

「これだけ儲かる商品を教えてもらっていて、小銭なんぞ渡してみろ。二度と取引をしないならまだしも──あの天狗殿を怒らせたら、店ごと証拠なく消し飛ばされても不思議ではないのだぞ」

「まさかそんな……」

「妖術を操り怪力無双な福の神だ。決して付け届けをケチしたり、怠ったりするでないぞ。神に奉納するようにな。あのお客様は神様だと思え」


 廊下に出て、九郎がてくてくと歩き去っていくのを見ながらそう云い含めておく。

 ──と、その時。


「よかッッ!!」


 叫び声と共に、ドガ、という破裂音が聞こえて九郎の体が吹っ飛んだように見えた。実際に、廊下の上方向へぎゅるりと縦回転をするように動いたのだ。

 音は聞いたことがある。きぐるみが消音器サブレッサー代わりになって町中で使用してもそう聞こえづらい程度に収められている、[きもねりん]というマスコットキャラクターの体から鉛球が発射された音だ。

 そして石灯籠が小さく砕け、九郎近くの障子には大きな穴が空いていた。

 つまり。

 昼間から室内で肝練をしていた薩摩人らの流れ弾に九郎が当たったのだ。


「うおわあああ!? 九郎殿おおおおお!?」


 いきなり福の神が銃殺される。

 あまりの出来事に黒右衛門は大慌てで近づこうとしたが──

 空中に吹っ飛んでいるように見えた九郎が、ふわりと地面に着地をして忌々しそうな顔をしながら障子を開けた。


「これ! 昼間から日本橋でやるでない。危ないではないか。壁で囲まれた藩邸でやれ藩邸で!」

「おっ九郎どンにかすっちょったか! すまんのうガハハ!」

「よか! よか運じゃ! 酒ばのっど!」


 全く平気な様子の九郎に黒右衛門は固まってから顔にびっしりと浮かんだ冷や汗を拭った。

 疫病風装の自動回避で間一髪避けたのである。お八が改造したことで和服疫病風装は機能のオンとオフが切り替えられるようになっているが、ここに来る時は突然打ちかかってくる相手や流れ弾を危惧してオンにしていたのが幸いしたのだ。

 それにしても。


「ふ、不意の銃撃すら避けるとは……」

「本物の天狗ですね、あれは……」


 呆然と呟く黒右衛門と組頭であった。

 

 黒右衛門の態度もあり自然と、九郎は畏れを持って鹿屋の商人らに接されていくようになる。 

 或いはその付け届けにより金を回収するスタイルもまたヤクザめいていると噂されるのであったが。





 ********





 さて、鹿屋で貰ったイチジクを持って帰ると、


「よくやったクロー! イチジクのジャムはわしの大好物じゃよ!」

「おっと、それは良かった」


 目を輝かせて袖を引っ張るスフィに、九郎は良かったとばかりに笊を渡す。

 

「褒めてつかわす!」

「それはどうも、お嬢さん」


 背伸びをして九郎の頭を撫で回すスフィにされるがままにして和む。

 

「早速ジャムにしようかのー? それとも他の娘らに幾つか残しておいたほうがよかろーか」

「ジャムでいいんじゃないか。小分けにしやすいしのう」

「そうじゃな! 江戸の街ではジャムにできそうな果物が売っておらぬからのー。聞いた話では野苺の季節は過ぎたみたいじゃし」

「冬になればミカンが売られるぞ」

「それは楽しみじゃのー」


 温州みかんの産地である薩摩とも伝手があるので黒右衛門にも頼んでおこうと九郎は決めた。


「クローもイチジクの皮剥きを手伝ってくれるかえ?」

「勿論だとも」


 頷いて九郎はスフィと共に台所に入る。

 そういえば、と九郎は思った。

 

(台所に入るのも久しぶりだのう)


 基本的にごろ寝していれば誰かが食事を作ってくれる生活なので、自活度はかなり下がっている。

 精々が六科などに教えるために料理の試作をするか、料理対決の場で妙な物を造るか程度であり日常の食事は作っていない。特にこの屋敷では、六人の女が持ち回りで料理をしているので九郎の出る幕はまったく無い。

 包丁を持ってイチジクを縦四つに割り、皮を剥いていく。


「そういえばスフィはこっちの料理に慣れたか?」

「食うほうかえ? 作るほうかえ? どっちにしろ問題は無しじゃ。ま、こうして時折果物が欲しくなることもあるがのー」


 彼女は台所を見回して云う。


「設備で云うのなら、この屋敷に限っては便利なほどじゃな。クローの持ち込んだ術符で水は出るわ薪はいらぬわ氷の冷蔵庫があるわで」

「帝都にも幾つか術符は普及しておっただろう?」

「あれは出力の調整がそこまでできぬ上に、魔力が使いきりじゃからな。こっちはコピー品とはいえ魔女の術符じゃから全然使い切れそうにない」


 九郎が再び江戸に来る前に、ヨグの部屋にあったキャノンのコピー機で術符を幾つかカラーコピーして持ち込んだのである。

 耐久性が低かったり、半永久的な魔力の真正品とは違って魔力バッテリーが多いだけでいずれ使い切るのだろうがそれでもかなりの高性能な術符であった。魔力をコントロールできれば誰でも使えるので、異世界人のスフィなどは自在に扱える。 


「ならば良いのだが。ここにある材料で好きな物を作ってみるのも中々楽しいぞ。己れはピザなどを作った」

「ジャムに合わせるには米じゃまずかろーから、なんか作ってみるかのー」

「江戸の料理だと……カステラなどはジャムを付けても旨そうだが」

「それ旨そうじゃな」

「石燕あたりは作れると思うぞ。頼んでみるか」

「うみゅ。しかしのー」


 手元の作業を続けつつ、スフィは苦笑しながら云う。


「石燕のやつは料理の知識は多いのじゃが、体が四歳程度じゃろ? 鍋は持てぬし包丁は危なっかしくて、調理補助が必要なのじゃ」

「そうなのか。そういえば、料理上手なのはあやつが大人の体であった時のことだったのう」


 しかしながら良く思い出せば、石燕が大人の時でも本人はぐうたらとしていて殆どの料理は子興に作らせていた気がしないでもない。

 包丁を持ちながら手が震えるので酒を口にしながら料理をしていた姿もあった気がする。

 本当に得意だったのだろうか。疑わしくなった。

 スフィの寸評は続く。


「ちなみに一番料理が得意なのはお八じゃな。手先が器用で魚を綺麗に捌くし、味付けも素材の味が生きておる」

「ふむ……確かにな」


 なお豊房は、幼い頃からの摂取によってか味の好みが濃い方に向いている。経済観念も相まって「塩辛ければご飯が沢山進んでおかずはちょっとで済むじゃない」と云う感覚があった。

 夕鶴は白米を沢山食べるのが贅沢と思っているし、サツ子はまだ来て時も浅いのでなんとも云えない。

 

「何でもほれ、あの厳つい蕎麦屋の店主に包丁を習ったらしいぞ」

「六科か。無駄にあやつ、包丁使いだけは一級品だからのう」

「私も練習しとるがのー、トーフとかはこう……切るの難しいのじゃな」

「気をつけて練習するのだぞ──っと、しまった」


 話しながらの作業だったからか、包丁が滑って九郎はイチジクを押さえていた人差し指を軽く切ってしまった。

 汚さぬようにと手を離すと、ぷくりと指の腹から血がにじみ出てくる。

 

「あー、やってしまったのー。痛くは無いかえ?」

「まさか。ダンジョンではもっとヤバイ怪我とかしていたというに。風に載せて単分子の針をぶち込んでくる殺人タンポポとか」

「大怪我をしようが痛いもんは痛いじゃろ。ほれ」


 スフィは自然な仕草で九郎の手を取り──そして固まった。 

 そして高速化された思考が頭をよぎりまくる。

 この江戸には絆創膏など無いにしても、自分は今ごく自然に何をしようとしたのだろうか。

 九郎の手を取って。

 傷の簡単な消毒定番といえば唾でも付けておくことだ。そしてスフィとて恋愛弱者ではない。このようなシチュエーションは予め少女漫画などで学習している。

 九郎の指の傷を「仕方ないのー」とでも言いながら口に含む行為。

 そうなるのが自然な流れにあることを察した。

 しかし、


(は、恥ずかしーじゃろ!)


 スフィの脳内に九郎の指を口に含んで舐めてやると九郎が仕方なさそうな顔で「別に大丈夫だ」とスフィの口から指を引っこ抜き、しかしまだ血が滲んでいるので自分の口に指を入れるので間接キスになり、それを九郎に指摘するときょとんとして苦笑しながらややからかうような仕草で顔を近づけて「そんなに接吻を意識しておったのか?」と云ってくるもので恥ずかしさに顔を反らすと九郎が軽く頬にキスしてくる(後半別人)

 というところまで妄想した結果、現実のスフィは動きを止めたまま顔を真っ赤にしてあわあわと口を動かすのみであった。


「スフィ?」

「い、い、意識しておらんわ!」

「……いや、まず手を離せよ手を」


 慌てて手を離したスフィを気にする事無く、九郎は普通に自分の口に指を入れて止血し始めた。


「血がつくといかぬから、後はスフィに任せる」


 イチジクの数も残り少なかったので九郎は包丁を置いて皮剥きを止めたようだ。

 作業を進めながらスフィはちらちらと横目で、鍋や砂糖の準備をしている九郎の指を見ていた。

 

(何かしらの事故を装って、或いは何かの偶然であの指を舐められんじゃろーか……)


 などと小学生レベルの妄想に入っていたのである。

 

(いっそここで私が指を切ってクローに……いやいかん! ヤンデレの発想じゃ!)

 

 どこまでも踏み込めないスフィは見事に包丁を操り、皮を全て剥いだイチジクを薄切りにするまで手際よく済ませてしまった。

 

「どうした?」

「何でもないのじゃよー……」


 鍋にイチジクと砂糖と水を入れて火にかける。


「コンポートでも良いが、保存を考えると砂糖をガンガン入れるジャムじゃな。レモン汁が無いから飴のように粘りはせんが」

「女達は甘いモノに目がないからのう。喜ぶと思うよ」

「うみゅ」


 焦げないように混ぜて水分を飛ばし、やがてそれらしく煮崩れて来た。

 

「こんなものかのー。どれ、味見」

「火傷するでないぞ」

「あちゅっ」


 一応注意したが、スフィはしゃもじで混ぜて湯気を発散させ冷やしてから指で直接すくい取った。

 とはいえ火傷をする程ではないようだ。指先についたイチジクのジャムを舐めとる。

 

「はふっ、うん。あみゃい。ほんのり酸っぱくて良い味じゃよ!」

「ほほう。己れも一口もらえるか」

「勿論じゃ──」


 スフィがそう応えると同時に。

 九郎はスフィの指先にまだついていたジャムを、指を口で咥えるようにして舐めとった。

 自然な仕草で。悩んでいたスフィが雑魚に思えるほど。皆無の下心をした顔で。


「~!?」

「うむ。確かにいけるのう。パンでも作れば……スフィ?」

「少女漫画か!」

「なにがやねん」


 きょとんとして思わず関西弁で言い返す九郎であった。





 *******




 屋敷に帰ってきた面々はちゃぶ台のある居間に集まり、イチジクのジャムを小皿に分けたものを箸でつまんで食べていた。 

 江戸で売られている菓子の中でも激烈に甘くほのかに酸っぱいジャムは一口で彼女らを虜にしていた。


「うん。美味しいわね。甘露煮かしら。イチジクってあんまり聞かないけれど」

「イチジクは[無花果]とも書いてね。花を付けずに実を付けると云われている。まあ実際のところ花も見えにくいだけで咲いているのだがね。かの有名な大工の息子の話にも出てくることで有名だね」

「どの大工の息子でありますか?」


 夕鶴の疑問は無視して石燕は解説を入れる。


「三年も実を付けないイチジクに腹を立てる人に、肥料をやって後一年待ってみようと宥める人の話をしたわけだ。すぐに切り倒して解決してはいけないよと民族紛争中の民衆に呼びかけたのだね」

「気長ね。でも碌に肥料をやってなかったのもどうかと思うわ」

「まあ大工の息子本人はイチジクの木に実が成っていないのを自分で体験したら木を呪い枯らしたわけだが」

「本人は超短気だな!」


 予想外の結末にお八がツッコミを入れた。


「えろう甘かな。こげん甘かと初めてじゃ」

「まあ……蓬莱柿は名前も縁起が良いが体にもようございますから、ね。喉の痛みを治し、お通じを良くする」


 箸先を赤い舌で舐めるようにしている将翁がそう云うと、女性らの目が光った。

 彼女は楽しそうに舌なめずりをして、付け加える。


「ついでに──若さを保つ効果もあるとか」

「先生には必要無いわよね」

「駄目だよ!? 上げないよ!?」

「上司命令であります! サツ子は自分に献上するであります!」

「もう食い終わり申した」


 女性は若さを保つという言葉に弱い。

 皆、充分に若いだろうにと九郎は思いつつ云う。


「スフィがイチジクを使った料理を作ってくれるそうで、材料を買いに出ておるからな。楽しみにしておけ」

「これを使った料理かー……菓子のような感じだぜ」

「鴨肉の煮込み汁に入れると甘みが引き立ちそうだね」


 などと話をしていると、スフィが帰ってきたようであった。


「ふふぃー……色々探してきたのじゃよー」

「おかえり。手伝うべきだったのう」

「なんの。買い物ぐらい一人で充分じゃ。見つけるのに時間が掛かったが、概ね集まったぞ!」

「何を作るんだぜ?」


 そう云われて、スフィは直射日光で傷まぬように布を掛けていた笊から材料をちゃぶ台に出していく。


「まず煮干しじゃろ?」

「……梅煮的な?」

「それから大根とタクアン」

「タクアン!? し、しかも原材料的にはかぶっていないかね?」

「塩辛に、ひき肉はなかったから魚をつみれにして貰ってきた」

「し、塩辛につみれ……?」

「大福に味噌! いやあ異世界でも揃うもんじゃのー」

「……」

「最後は隠し味にセミの抜け殻……勿論ジャムも入れるぞ!」


 なんということだろうか。彼女の得意料理は、ジャム以外江戸で手に入るものでほぼ構成されていたのだ。

 次々に出てくる繋がりの不明な食材及び食材じゃない物に皆は固まっている。


「……一応、セミの抜け殻は漢方薬でありますぜ?」


 効かない将翁のフォローも耳に入ってこないほどだった。

 自信満々にスフィは胸を張って云う。


「[ゴーダー風シチュー]をすぐ作るから待っておれ!」


 ペナルカンドでの歌神信仰者におけるソウルフード。それがゴーダー風シチューである。

 一同は腰を浮かして逃げようとしたが、


「そこそこいけるぞ」


 という九郎の言葉に、信じられぬものを見るかのような目で彼に注目した。

 九郎は落ち着いた態度で座ったまま、


「まあ……材料から忌避感を覚えるのもわからんではないが、実際に食ってみよ。スフィは全く違う国からやってきた者なのだ。その土地の、自分が得意とする料理を紹介する意味も込めて作っているのだからな」


 実際、ジャムを頑張って作って外で材料を探し求め、自信を込めて作った料理を出したら皆が逃げ出していたとなるとスフィは悲しむであろう。

 泣いたり怒ったりせず、寂しそうに一人でシチューを啜る姿など九郎は見たくないのだった。

 なので全員を巻き込むことにした。こう云われれば、皆も逃げることなどできない。ただ処刑執行を待つような顔色であった。

 なお九郎はここ数年、異世界で散々食べているのでもう味にも慣れている


 煮込み時間は案外に早くスフィは汁椀にシチューを入れて、サツ子に告げて飯櫃も持ってこさせた。

 一汁と飯の質素な夕餉だが、シチューの中にはゴロゴロと大根やつみれが入っているのでおかずのようなものだ。

 意を決して皆が食べ始めたが、


「意外に悪くない……」


 という評価だったという。

 素人が真似をして作ると産業廃棄物ができそうな組み合わせだが、高位の司祭であるスフィに掛かれば味付けの妙で食える出来の物が作り上がるのだ。

 まあ、各々は不味くはないのだが普通にジャムを食べさせてもらったほうがありがたいとも思ってはいたが、文句は出ずにシチューを食べる一同であった……





 ******


 




「──目を白黒させておったのう。不思議な味に」


 食後に狐に抓まれたような顔をしていた皆を置いて、九郎とスフィは台所で片付けをしていた。

 九郎が面白そうに云うのを、スフィが頷いて応える。


「そうじゃな。まー材料からは想像も出来ん味じゃろ」

「己れが同じ材料で作ったら間違いなくゲロマズになるのだが……どういう味付けをしておるのだ?」

「別に大したことではない。複雑な味の組み合わせも、ちょっとずつ整えればどこかの地点で纏まるものじゃよ。それにほら、あい……じ……もにゃもにゃが篭っておるから」

「何が?」


 九郎が聞き返すのを、スフィは目を逸らしながらもごもごと言い直す。


「あ、愛情……が、隠し味って云うじゃろ」

「照れるなよ」

「むきー! 云わせといて!」

「分かっておる分かっておる。スフィにはずっと昔から世話になっておるからのう」


 懐かしそうに云う九郎だが、まったくわかってないとスフィは直接告げれぬ思いに頬を膨らませた。

 愛情。友情。九郎の中ではスフィとの間にそれらの区別があまりないのだろう。

 家族を愛するように。親友を愛するように。そう思っているに違いない。


 スフィは思う。

 

 私の恋は無花果に似ている。

 見えない花を咲かせても相手は何も気づいてくれない。

 ただ膨らませたあいが相手のお腹を満たしていく。

 だけどそれで良いじゃないか。

 彼は花が見えなくても、無花果を大事にしてくれる。時には肥料もくれて育ててくれる。

 

(やがていつか、彼が花に気づいてくれるだろうか)


 見えているのに気づかれない花が──すぐ目の前にあることを。


 ずっと見えているからこそ、それを花だと思われていない花が。



「スフィと居ると昔と変わらぬ気がして、なんとも落ち着くのう」

「まったく。お主とて昔からものぐさになっただけで、ちぃーっとも変わらぬのじゃよ」


 

 二人の長い付き合いは続いていく。間に誰が入ろうが、途中で道を違えようが、こうして近くにいればいつもの様に。変わらぬ様に。


ちょっと短め

スフィちゃん目標低すぎ問題

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