表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
165/249

12話『怪奇! 雷の鎌使い!』

 中山影兵衛の剣は──。

 暴なる剣である、と剣術を知るものは見ている。

 荒れ狂う嵐の剣術。触れれば跳ね飛ばし、縦横無尽に風と雨の刃が襲い来る。

 人を切る刃というよりも、鬼を切るために振るうかのような剣気を放っている。

 超絶な反射神経と、殺戮への意思。あらゆる構えからあらゆる殺人剣を打てる、一騎当千の剣技だ。

 主な攻撃はゆらりと無造作に近づき、致死の一撃を叩き込むか、相手の迎撃を避けて後の先で切り倒すか、己の一撃に敢えて対応させ、防御を無効化し一方的な攻撃に出るか、後の先の先を取るか。

 彼と対峙して、彼が攻撃可能な状況に持ち込まれた場合は──殆どの場合で攻め続けられ、負ける。

 唯一の対抗策は、彼と同じ次元で攻撃性を高めて、超反応で打ち合い続けて隙を見つけるか。

 剣術の試合は一瞬で決着が付くことが多い。

 そこを、凄まじい速度領域での攻撃と防御の応酬を行うことで影兵衛への勝ち筋を見極める。

 可能な武芸者は江戸でも三本の指で収まるぐらいの困難さだ。

 それも、木剣かしないでの話である。影兵衛に刃物を持たせた場合は、その攻撃力は数倍に跳ね上がる。

 達人が──そうでなくとも、力の強い者が扱えば木剣でも十二分に刀と変わらぬ威力を発揮するというが。

 影兵衛の剣気は、真剣を用いた場合には恐るべきほどに力を増幅させるだろう。


 そんな彼と対峙している相手が居る。

 清澄の方にある[芝道場]という大きな道場の中庭にある試合場にて、影兵衛はその暴れる力を押さえて動きを止めていた。

 目の前には下段に構えた男──山田浅右衛門吉時が居る。 

 江戸でも有数に危険な剣士である影兵衛を前に構えていても、その表情に浮かぶのは能面の如き無であった。


 彼は負けることを恐れていない。死ぬことに怯えていない。殺されることを受け入れている。

 彼は勝つことを恐れていない。生きることに怯えていない。殺すことさえ気にしていない。


 ただ、静かに存在している。淀みの無い湖面の月のように、影兵衛の殺気では揺れぬ自然の一部として剣を構えている。

 心は無の境地であり、空の地平にある。

 それでいて構える木剣には刹那の隙も存在しない。試合場を囲んで見ている観戦者の呼吸が荒くなるほど、異様な圧力を放って見えた。

 荒れ狂う剣を持つ影兵衛が踏み込まない。

 否、踏み込めない。

 

(巻藁を切るなんざ、意味のねえこったと思ってたが……)


 人の胴と同じ硬さとして巻藁は試し切りによく使われたが、影兵衛はすぐに飽きた。

 戦いの場で巻藁のように突っ立っている相手など居ないのだ。物言わぬ巻藁など力を込めずとも刀の刃だけで幾らでも切れた。

 同じく罪人の首を切るのも飽きて辞めた。抵抗したり逃げたり命乞いしたりする相手を斬り殺すのは好きだが、首だけさっくり切るのはあまり面白くなかった。巻藁よりは手応えがあったが。


 彼の目の前にいるのは、巻藁を、人の首を、死人の胴を切り続けてきた──死の剣士だ。

 山田浅右衛門。首切り役人、道場剣術と介錯剣法、刀の試し切りの男と侮ってはならない。

 

 それらを切り続けてきた浅右衛門にとっては、動く敵手すら巻藁同然に見えている。

 

 [切断領域]


 それが、自然体で構える浅右衛門の周囲に存在するのを影兵衛は感じた。

 彼の剣が届く範囲に入った物体は。

 浅右衛門にとって、罪人の首と等しく切り落とせるものと見なされる。 

 後の先、という「後から打ったほうが勝つ」ということには理由がある。

 必ず相手に近づき、剣を相手に振るった際には──自分の剣を握る腕は相手の間合いに入っているのだ。

 相手を切るとき、相手もまたこちらを切れる位置関係にある。

 つまり。

 浅右衛門に近づいたら次の瞬間には彼の剣が罪人の首を切るように、当たっているのが見えた。

 それだけの殺気を感じている。


 影兵衛と浅右衛門。

 荒っぽい仕事をしてこの太平の世で実戦経験を重ねる江戸の町奉行、火付盗賊改方の同心与力が認める最上位の強さを持つ二人だ。

 二人が試合をするのは何もこれが初めてではない。

 そして、影兵衛も試合に勝ったことも負けたことも引き分けになったこともあった。

 故にわかる。 

 死に怯えずに踏み込んだところで待っているのは──致死の一撃。

 そして浅右衛門の一撃は皮一枚の正確さを持つ寸止めである。

 影兵衛はそれで負けたときの屈辱も味わった。

 時には腕を、肩を、親指を切り落とす寸前で止められる。

 寸止めなのでそのまま打ち込むことも可能だが、あまりに見事に影兵衛の攻撃を止めて先に一本入れている状況では、暴れるのもみっともない。

 無論彼とて負けっぱなしではなく、浅右衛門へ一本を取ったこともあるが。

 相打ちとは紙一重の差ではあった。

 

 中山影兵衛の剣術は戦場剣術を突き詰めたものであり、山田浅右衛門の剣術は対人剣術を極めたものであった。

 勿論二人共、影兵衛が対人の剣を使えるし、浅右衛門ほどの実力になれば複数人に囲まれても難なく切り抜けるのだろうが。

 お互いの得意とする分野でわければ、そうなる。

  

「せりゃあああ!」


 裂帛の猛気であった。

 それと同時に殺気を振りまく影兵衛。

 彼を半径として一秒以内に到達可能な位置に存在するものは、一秒以内に死ぬ可能性に晒された──気配を感じる。

 無数の死の平行世界が生まれたかのようである。

 心臓を凍らせられたように、見ていた者は胸を掴んで上ずった呼吸をした。

 確かに今、殺された気配を覚えたのだ。殺されるところを、運良く逃れたのだ。そういう嫌な想像さえ浮かぶ、濃厚な死の予感が生まれた。

 

 しかし、彼の殺意を受け止めても浅右衛門の構えは動かない。

 その心は揺るがず、静かに殺意を包みとってしまう。

 

(この程度じゃ怯まねえか)


 影兵衛はひひひ、と呼吸音に笑いが混じりそうになった。

 無数の死を見届け、怨嗟を受け止めてきた斬首の君は他人の殺意も悪意もまともには通じない。 

 暴れる炎のような意気を。

 月を映した水面のような心で消し去る。

 なればこそ──影兵衛も水の意思に飲まれぬように、心を鎮める。


 つい、と影兵衛の気配が薄くなったように浅右衛門は感じた。

 彼の体から激しい気配が消え、構えている刀だけが大きくなったかに感じる。 

 影兵衛が持つ心の業が為すものである。

 剣術に於いて相手の心を読み、乱せば必ず勝てる。心が読まれれば技の起こり(・・・)が手に取るようにわかり、威圧を受ければ焦りを生じ、やはりこれも動きを読まれる。

 心を乱す術法を使う者の中には、もはや幻術としか云いようの無い技も起こりえる。心を幻術に囚われれば、体にまで影響を及ぼしかねない。

 そうされない為には、様々な流派の心得がある。

 浅右衛門と影兵衛もそれを身に着けていた。

 相手の殺意に飲み込まれない為には、心を無にするか鏡のようにして跳ね返す。

 

(……)

 

 互いの間を行き交う殺気の嵐を受け流さずに相手に返す。

 浅右衛門の心が常よりも研ぎ澄まされていく。

 恐怖は生じなかった。彼は負けることが怖くない。死ぬことを恐れない。勝つことに怯えない。生きることを憚らない。未熟を嘆かない。老いを苦しまない。病を怖がらない。

 生老病死を凌駕した位階に心を置いている。


 互いの間を、鏡の中で何万回も反射する光のように剣気が飛び交う。

 審判として立っている火付盗賊改方の筆頭同心、[五十五人逮捕]瀬尾彦宣の額にはびっしりと汗が浮かんでいた。

 最前列で見ている町方目付けの男は眩々と意識が朦朧になり、座ったまま気絶をする。

 離れて見ていた九郎が、齧る煎餅の音を気にして茶を口に含んだ。

 四半刻あまりも互いに対峙していた。

 蝉の鳴き声すら静まり返った試合場に、鬼蜻蜒オニヤンマが一匹迷い込み浅右衛門と影兵衛の中間を飛んだ──と、思ったら即死して、ぽとりと地面に落ちた。 

 何も触れていないが、殺気にやられたのだろう。


「おや」

 

 緊張感が生き死にすら関わるほどに張り詰めていた場で、浅右衛門が日常と変わらぬどこか気の抜けた声を出した。

 そして、あっさりと剣を納めて落ちた蜻蛉に歩み寄る。

 トリガーに指を掛けて互いの額に突き付けあっていたぐらいに一歩手前な状況で、迷わずに剣を下ろしたのだ。思わず影兵衛はズッコケそうになる。

 動きを止めた蜻蛉の近くに浅右衛門はしゃがんで、両手をパンと打ち合わせる。

 その衝撃音で息を吹き返したのか、鬼蜻蜒は羽音を鳴らしてどこか慌てた様子で飛んで行った。  

  

「……それじゃ、今日はこれぐらいにしよっか」


 浅右衛門の気のない言葉に、影兵衛はがくりと肩を落として構えを外す。

 ここまで戦う意思をくじかれると、不意打ちで打ち掛かるのも、


(そんなダッセェ真似はできねえよなあ……)


 と、思って影兵衛も勝負を収めざるを得ない気分にさせられたのである。

 場の空気が急激に緩み、腰を抜かせたように座り込む道場の者も居た。審判は汗を拭って、


「引き分けとする」


 そう宣言するのであった。

 一礼をして互いに下がると、それまで汗一つ浮かんでいなかった影兵衛と浅右衛門も気疲れしたように手ぬぐいで顔を拭った。

 九郎は影兵衛に冷やした濡れ手ぬぐいを渡してやりつつ、


「今度影兵衛に襲われたら浅右衛門を盾にすることにしよう」


 などと言うと、影兵衛は手をプラプラとさせて、


「そうしろそうしろ。そんな状況でもねえと、殺し合いをしてくれそうにねえし」

「うむ。ああして硬直状態になったのを見計らって己れが雷を山程降らして攻撃すれば楽そうだ」

「殺すぞ。しっかし、見事な剣の引き方だよな。フツー、拙者を前にしてビビらずに剣を下ろすなんてやらねえぞ」

(ほこ)を止めると書いて[武]だからのう。それがあやつの強さよ」

「手前が自慢するな、手前が。九郎も剣の稽古していけ。拙者に襲われても戦えるようにな」

「襲うな」


 そう云ってお互いに苦笑いをした。

 影兵衛は浅右衛門と睨み合うだけで剣を交わさなかったが、対峙して構えを取り合っただけで並の鍛錬の何倍もの得るものがあったかのようである。

  

 

 ここは本所清澄にある、[芝道場]。

 町方の同心与力が住む八丁堀にほど近く、自然とそれらの職業の者やその手先、子供などが通うようになった剣術道場である。

 剣術は道場主が小野派一刀流を教えているが、様々な人が集まるので他流稽古のようになることも珍しくなく、捕縄や柔術もここで習うことができる。

 江戸で最も実戦経験が豊富で切った張ったの世界に生きているのが火付盗賊改方の者である。

 町奉行所ならば伴の者を捕縛に使う同心与力も、火付盗賊改方に所属すれば自ら盗賊の根城に突入するどころか、およそ三千石の大身旗本である長官すら十手を持って指揮を取るほどに上から下まで前線部隊であった。

 それ故に訓練は欠かせぬし、彼らに負けまいと町方の者も張り合って道場稽古が盛んだった。


 その日、芝道場に訪れたのが首切り役人山田浅右衛門であった。

 江戸の街では他流試合や道場破りなど、他所の門弟が異なる道場を訪れることは滅多に無い。

 勝ち負けに関わらず礼を失するからだと云われている。腕試しで挑んだところ、集団で叩きのめされて外に放り出されることさえあったようだ。

 それでも何らかの伝手で、道場主が招いて稽古を共にするなど穏やかな理由があれば行われていた。

 芝道場では、他流の者も気にせずに来るようにと告知されている珍しい場所であったのだ。

 

「よーし、じゃあ次は九郎と勝負すっぞ!」


 影兵衛が冷たい水(提供・九郎)を飲んで一息付き、元気よく立ち上がった。

 頷いて、九郎は云う。


「そんなことより腹が減ったから飯でも食おう」

「手前なんもしてねえじゃねえか!」

「見取り稽古……というものがあるらしいのう」

「煎餅食いながら見取らねえよ!」


 対峙しながらこちらにまで視線を回していたことに九郎が感心していると、道場に慌てて入ってくる者が居た。

 どこかの目付けらしい町人風の男が息を切らせて、


「たっ大変だ! 両国の方で、妙な刃物を使う男に同心の旦那がやられたらしい!」

「あんだと!? 事件か!」


 影兵衛の一声で、道場の者らは稽古を止めて様子を伺う。

 殆どの者が江戸の治安に関わる部署の関係者なので事件とあらば他人事ではない。


「あ、ああ! 変な……鎌を使う男に、町方の美樹本さんがやられたとか!」

「また美樹本さんか!」

「しょっちゅう死にかけるなあの人!」

「腕は確かなのに……」


 ざわめきが道場に溢れかえった。九郎は怪訝な表情で影兵衛に尋ねる。


「まだ怪我ばかりしておるのか、あのおっさん」

「そうなんだよな。後遺症だけは残らねェというか。九郎が居ない間も、年に一回は死にかけてたぜ。江戸の同心与力が事件の被害を受ける場合は大抵美樹本のおっさんだ」

「最初の犠牲者すぎる……」 


 町方同心、[殉職間近]美樹本善治。

 同心の中でも古株で、壮年でありながら腕っ節は強く現場の指揮能力は与力も頼るほどなのだが。

 非常に運が悪く、捕物の最中でアクシデントに見舞われて大怪我をすること多数という男であった。


「とにかく事件だ! 鎌使いってと噂の通り魔鎖鎌か!? よっしゃ行くぜ九郎!」

「うむ……とにかく両国だな。白昼堂々とは意外だが」


 つい最近、屋台で呑んでいると鎖鎌の分銅が飛んできたので反撃でとっちめたことを九郎は覚えていたが。

 忍者の投げた鎌が突き刺さりまくり、鎖を伝っての電撃を浴びてもまだ元気に通り魔をしているとは驚きである。

 しかしそれが、知り合いの同心を襲ったとなれば目覚めが悪い。

 他の道場生らも出る準備を始めていたが、九郎と影兵衛が先んじて現場へ向かうことになった。


「やは。頑張って」


 ひらひらと浅右衛門は手を振って見送る──。





 ********





 両国界隈は日本橋ともまた違った江戸で有数の活気溢れる町である。

 日本橋が大店や、上方からの下り物を扱う店に魚市などが主なのに対して、両国は見世物小屋から問屋や飯屋など雑多に店舗が並び、大道芸や瓦版の販売なども多く道端で見かけられた。

 そこの、一品料理と飯を出す小料理店の前に通報があった異様な人物は居た。

 通りの反対側には黒袴の同心──美樹本がぐったりとしていて、地面に倒れないように同僚の菅山利悟が支えていた。

 九郎らが駆けつけたのも事件発生から数分という早さであったようだ。通報してきた者はよほど慌てて、事の最中にはもう道場へ走ってきていたのだろう。

 

「美樹本! それと……利悟か!」

「手前利悟ォ! 手前がついていながらなんであっさり美樹本のおっさんやられてて、そこでぼさっとしてんだボケ!」

「えええ!? 拙者、応援が駆けつけるなりなんで怒られてるの!? しかも別部署に!」


 理不尽に嘆くが、肩を美樹本に貸している状況では碌に刀も抜けない。

 そして九郎と影兵衛は、道を行く町人らが遠巻きにしているその異様な人物の姿を見る。

 髪の毛は上に引っ張られているように逆立ち、上半身の衣服は幾何学的な模様がついた腹巻きに逞しい筋肉が付いている体に鎖を交差させて巻きつけていた。下半身は赤褌のみで、草鞋や下駄を履いてすら居ない。

 日焼けした両腕は蚯蚓腫れに似た火傷が覆っていて痛々しい。

 そして何より、手に鎌を持っている──のみならず。

 腕の付け根に左右二本ずつ、合計四本の鎌が刺さったまま平然としているのだ。

 

 一言で云うなれば、胸元から四本鎌を生やした腹巻き褌怪人である。


 だがその顔つきには巫山戯たところはまるでなく、厳しい修験者のような厚みを感じる真剣さであった。

 

「か、鎌使い……」

「なるほど、こいつは妙な手合だぜ」


 影兵衛が刀の鯉口を切りながら、楽しそうに嗤った。

 男は手を広げ、鎌から血を払うように軽く振りながら云う。


「俺の名は──[雲]。雷槌を呼ぶ、嵐の化身……」


 そう名乗ると同時に、異常な現象が発生して周囲をどよめかせた。

 爆竹花火でも鳴らしたかというような音と共に。

 男の持つ鎌の先端から──電流火花が放出され、体から生えている鎌へと落雷したのだ。


「かっ雷が出たッ!!」

「妖怪・雷獣か!?」

「ひい……」


 頭を抱えて震える者、腰を抜かせる者、逃げ惑う者。

 集まった皆は、雲の生み出す放電に一様に驚いていた。


「俺は雷をこの身に浴びて、神鳴る雷槌の術を身につけた……俺はこれを神の啓示とし、力を振るうのみだ……」


 雷を浴びた。

 というので、九郎は思いっきり浴びせかけてやった心当たりがあって気まずい思いをした。

 刺さったままの鎌は甚八丸が投げつけた鎌だろうか。何故刺さったままなのかは不明である。抜くと出血が酷くなるというあれだろうか。まるで体に装備した鎌を射出する悪役メカのようである。

 影兵衛のみは興味深そうに、顎を撫でて云う。


「雷切ってのも悪かねえ……」

「いやお主、以前にアレよりごっつい雷を切っただろ。己れの出したやつ」


 九郎が一応突っ込んだが、聞いていないようだった。

 忘れられる程度の存在感が九郎の電撃符である。

 

「むう……あれは電気体質!」

「知っているのか石燕。というか居たのか石燕」


 突然九郎の背後から解説顔で現れた、眼鏡の幼女に振り向いて聞いた。

 石燕のみではなくスフィも物珍しそうに、サンダー鎌使いを「おお~」と感嘆の声を上げて見ている。完全に見世物か何かと思っているらしい。


「スフィくんと両国でお歌を歌ってお金稼ぎをしていてね。途中で来た利悟くんが財布ごと放り込んでくれたからそこそこ儲けたが」

「そうか……触れようと近づいたらスフィを頼るのだぞ。あの男は稚児趣味だから、スフィも何か身の危険を感じたら音波攻撃していいぞ」

「警戒しとるのー……」


 スフィの場合は傭兵や冒険者としても活動していたので、一応注意喚起はするもののその対処能力には九郎も信頼している。

 それこそ彼女も150年以上生きて、人攫いや特殊な趣味の男に絡まれたことも少なくないのだが。 

 声さえ出せればそこらの相手は聴覚を破壊するなり吹き飛ばすなりが可能なのである。


「ところで電気体質とは?」

「そうだね……幾つかの条件により人は体内の生体電気に異常が生じる。雷を浴びたことと、見たまえあの腕を」

「火傷で肉が変質しておるな」

「生体電気を生み出す神経が一旦落雷の衝撃で破壊され、修復される際に生体電気の狂いで異常に増えて絡みあったのだろう。実際に通常人が持つ生体電気が、神経があたかも電池を直結させたような形になったせいで二千倍に増幅された例が存在する」

「二千倍!?」


 通常の生体電気は電圧にして0.15ボルトほどだが、その二千倍となれば300ボルトに匹敵する。


「そうなれば、周囲の湿度などによっては条件が揃えば金属の先端から放電することも可能だろう……だが、過度の電気は体を傷つけることにもなり得る」


 深刻そうに石燕は先端から先端への放電行為を無意味に行っている雲という男を見ていた。あの様子ならば、300ボルトよりも高圧の電気を生み出しているかもしれない。

 しかも何らかの精神集中で、電気を溜めて放つという行為すら可能にしている。

 まさに電気人間である。


「……体から電気を放つ者が相手では捕まえることも難しかろう」

「切った瞬間に痺れたりしてな」

「とにかく、こうなったことには己れも関わりがある。暴れる前にどうにかするぞ、影兵衛」

「おうよ!」


 九郎と影兵衛が前に出て構えると、雲と名乗る男は体から生えた鎌を震わせながらそれと相対した。



「俺に挑むか……いいだろう。我が雷槌は強く、肉を焼き骨まで痺れさせるぞ……!」



 そうして──戦いが始まる。





 *********





 両国にある萬屋よろずや万八楼まんはちろうは料亭でありながら、様々な料理イベントや大食い大会を開くことで知られている。

 そこに庭にて、九郎と雲は対峙していて正面の太鼓が打ち鳴らされた。


「それではこれより、数々の奇抜な料理を作り広めてきたお助け人・助屋九郎と、雷の料理人・雲の料理対決を始めまーす!!」


 集まった観客や瓦版の記者、審査員などがぱちぱちと拍手を送った。


「待てや!」

  

 九郎が大声でそれを制する。

 あれよこれよと、意見する間もなく事態が進んでようやくツッコミが入れられるタイミングになったのだ。


「え? 料理……対決? なんでそうなった?」

「いや……お前が料理人である俺と勝負を挑むというのならば、料理対決以外無いだろう」

「料理人!? 鎌を持って暴れていたってのは!? 美樹本がやられたのであろう!?」


 見回すと、利悟が座敷に座っていて爽やかな笑みで云う。


「いやあ、何か勘違いしてたみたいだけど……美樹本さんはそこの料理人が作る料理が旨くて食べ過ぎで眠くなってただけだから」

「アホか!」

「最近、食べるとすぐ眠くなるって愚痴ってて」

「血糖値下げろ! いい年なのだから!」


 ただでさえ江戸の食生活は炭水化物が多いのである。特に中期以降は薩摩芋もかなり普及してきてそれで甘みを庶民が安価で得ることも容易になってきた。生活習慣病には注意が必要なのが江戸の暮らしであった。

 

「じゃあなんだあいつ! 雷に打たれて、体に鎖を巻きつけて、鎌を四本も刺している姿は!」

「雷に打たれたのは3年前で、鎖は趣味だ。鎌は野外での食材採取に使うもので予備も含めて持っているだけで、刺さっているように見えるが専用の鞘に入れている」


 よくよく見ると、肩のところに鎌の先端を保護する鞘を括りつけており、近くで見なければ刺さっているように見えるだけだ。

 それでも転んだら異様に危なそうな姿であったが。


「え、えーと……ではこやつと、近頃江戸を騒がしていた鎖鎌の通り魔とは……関係ない?」

「鎖鎌の通り魔? それなら拙者が地面に重傷で転がってるところを見つけてしょっ引いたけど」

「もう捕まったのかい!」


 利悟があっけらかんと告げて、九郎は膝を地面についた。完全に勘違いだったのだ。


「何その通り魔……こわっ」

「お主の格好が怖いわ! 馬鹿かその姿!」


 雲の男が他人事のように云うので思わず怒鳴った。

 まさか別件で、鎌四本刺して体に鎖鎌っぽい鎖を巻きつけている雷に打たれた男が居たとは思わなかったのだ。


「そもそも影兵衛は!?」


 居るはずの相棒の方を振り向くと、そこには紙が一枚石ころで飛ばないようにして置かれていた。

 拾い上げるとこう書かれている。


『九郎へ 料理対決とかそういうの拙者どうでもいいから先に帰ります。後は任せた』


「即帰りやがった!」


 紙を破り、地面に投げ捨てた。

 その間に万八楼の主人からの解説が始められている。九郎は完全に逃げるタイミングを逸したようだ。


「えー皆さん、本日はお日柄もよく……さて、一時は出禁を食らった助屋九郎さんと、旅の料理人の雲さんの材料を指定した一品料理対決になります。お集まりの皆様にも頂けるように、材料は多く用意していますので人数分作ってください」

「ううむ……案外多い」


 見回すと、集まってきた同心の暇な者を始め、瓦版記者達も座敷に居る。お花も子供を連れて座っていた。九郎側の人間として、スフィと石燕も居る。ざっと二十人分ぐらいだろうか。

 九郎も何度か万八楼に出たことはあるが、料理勝負は久しぶりである。以前は見物人も多い中、大火力で焼き飯を作ろうとしたら逮捕され出禁になったという無残な結果であった。


「特別審査員には万八楼の主である私と、お馴染み[美食同心]の歌川夢之信さま」

「宜しく」

「歌川さん暇なのかな……」


 利悟が同僚の先輩である夢之信を見ながら呟いた。夢之信の役職は市中取締掛というもので、町中の問題に関わる仕事だからこうして大店の主などと知り合いが多いのは当然ではあるのだが。

 審査員は更にもう一人、主人は紹介する。


「近所の食いしん坊のガキ! ……がいつの間にかうちの丁稚になったんですがこういう大会で食わせろと煩いので仕方なく。『うまい』以外の評価はちゃんとできるか?」

「できらあ!」

「威勢だけはいいな……」


 髪の毛がもじゃもじゃしている少年が審査員席についた。

 

「それでは本日の食材は──キジ料理になります!」

「き、雉か……」


 正直、料理したこと無いなと九郎は思った。

 若い頃に会社の銃を打ちたがりなお偉いさんに連れられて狩猟の付き添いに行ったことはあるが、その時は鴨打ちに出かけるか北九州市に出かけるかだった。北九州市で何を撃つというのか。九郎は車の運転だけして現場には付き合わなかった。

 一方で雲の男は鷹揚に頷く。


「なるほど……鳥肉といえば雉肉というほどだ。それに鳥肉の料理は俺が一番得意とするところ……」

「むう……」

「ふ……自信がないならば棄権することだな」

「……」


 九郎は一瞬、こいつの作った料理にブラスレイターゼンゼで分解酵素をぶち込んで台無しにしてやろうかと思ったがぐっと堪えた。

 というか勝ち負けで何かが変わるわけでもないのだが、ともあれ勝負は始まってしまっているのだ。

 自分の仲間であるスフィと石燕も見ている前で尻尾を巻いて逃げるのも無様に負けるのも避けたい。


(どうにか攻略の取っ掛かりを得なければ……)


「今回の食材は六天流道場の録山晃之介先生が狩りで取ってきてくれた新鮮な物を使用します」

「晃之介のやつ、こんなところに狩猟の獲物を卸しておったのか」

「雉が今回は三十羽分!」

「獲りすぎだろ」


 内臓を取り出し血抜きされ、湯をかけ回して羽根を綺麗に毟った雉肉が積み上げられて用意された。

 まずは相手に先を譲って様子をみようと九郎が下がると、雲の男は不敵な笑みを浮かべて調理台の前に立つ。

 

「すぐに終わらせてやろう……我が雷電の如き料理を見るがいい」


 そして彼は肩から鎌を外して両手に鎌を二刀流になった。

 鎌で料理するという奇抜な風景に、一同は固唾を呑んで見守る。

 やおら調理台に雉を一羽分載せて──鎌を雉の首と尻の辺りに突き刺した。

 

「むおん!」


 唸りをあげると同時に、持っている鎌の表面を僅かに電流火花が舞った。


「肉に……電気を通しておるのか!?」


 十秒ほど、肉全体を感電させるようにその儀式を行い──


 そして、調理台に置かれていた包丁でせっせと肉を切り分け始めた。



「鎌は使わないのかよッ!!」



 その場に居る全員から一斉にツッコミが入った。

 地味な調理にブーイングが入るのにも怯まずに、丁寧に首を切って羽根を抜いた雉を正肉に変えていく。

 背骨に沿って包丁で縦に割り皮を剥いで胸肉を切り取る。骨から腿肉を外して骨から剥がす。あっという間に丸鳥の状態から、スーパーで小分けになっているような肉になる。

 九郎はじろじろとそれを遠慮無く後から見て参考にしようとしている。


「包丁捌きは中々のもの。しかし……」

「どうされました歌川さま」

「いや、ただ見ただけでは確信は持てないな」


 解説が入っている間にも調理が進む。地味に二十人分ぐらい作らないといけないので、もう何羽か同じくビビビと電気を通して肉に分解する作業が挟まれたので九郎はじっくり勉強することができた。 

 途中でスフィと石燕のところに行って、


「料理漫画でたくさん料理作るのって実際見るとかなり忙しそうだな」

「まあ……そこらの繁盛店でも二十人分はいきなり作れとは云われないだろうね」

「大丈夫かえクロー。手伝おうか?」

「うーむ……」


 などと話し合う時間すらあった。

 肉の解体から始めないといけないのでこの熱い中、やる方も見る方も大変である。材料を無視してかき氷でも出したら評価されそうとすら九郎は思った。

 やがて肉を作り終えた雲の男が簡単に鍋で仕上げを済ませる。


「単純な料理法こそ俺の雷電による違いがよく分かる……! さあ、味わってくれ!」


 案外、凝ったものを作るのがいい加減しんどくなったのだろうか。

 そういう事情もありそうだが、彼が皿に持ったのは雉の胸肉と腿肉に、醤油と酒や生姜で味付けしたタレを絡めて鍋で焼いた簡単な物であった。

 

「まあ、少なくとも不味くはならない組み合わせではありますな」

「頂きましょうか」


 まずは審査員に出された皿を味わう。その間にもリアクション待ちしている暇はなく、せっせと観客の分も焼き上げていく。

 忙しそうだな、と九郎は思いながらも自分の皿も頼んで座敷について待っていた。

 雉の腿肉を夢之信はまず箸で掴んで、齧る。

 そしてカッと目を見開いた。


「む……これは……」


 そして今度は胸肉の方に歯を立てると、規則正しく並んだパイ生地を噛み切るようにさくりと噛みとれた。

 中に染みこんだタレの味も絶妙なものがあるが、何よりも──


「肉が柔らかいですね。それに肉汁の旨味が多い」

「本当だ……雉肉といえば、噛み切るのに苦労するというのに」

「うんめぇ~!!」


 そう、肉が柔らかくてジューシーになっているのだ。

 ふにゃりとした柔らかさではなく、歯ごたえのよいさっくりとした柔らかさだ。

 皿が回ってきた観客も味わってみて、バサバサもしていないし味わい深い肉の旨さに触れて肯定的な呻き声を上げた。

 にやりとして雲の男は告げる。


「雷に打たれて落ちた鳥を食ったときに気づいたことだが──鳥肉は雷の気を通すと柔らかくて旨くなるのだ!」

「なんと……」

「初めて知った……」


 鳥肉に電気を流すと柔らかくなる。

 それは現代に於いて麻布大学の研究などで常識として知られているが、江戸では当然ながら全く知られていないことであった。なおご家庭でも鶏胸肉に通電させることでお確かめできる。ただまあ、通電中の鳥肉に触れたら感電死する可能性が高いのが難点だが。

 江戸ではまだエレキテルも入ってきていないので試せる環境には無いのだから知られないのも当然だ──この電気人間が調理の過程でそれを行う以外には再現できまい。

 

「なるほど。雉肉の硬さが消えて柔らかい雉肉という非常に珍しい食感が肉本来の旨味を増していますね。また、雷の力に頼るだけではなく筋切りした包丁の切れ込みも丁寧な仕事だ」

「雷を料理に使うなど初めてですなあ」

「うんめぇ~!! おかわり!」

「ふ……よかろう。はあ!」


 バリバリ放電した音をBGMに九郎達も雉肉を食う。


「おお、中々旨いのう」

「そうだね。私などほら、歯が乳歯なものだから固いものじゃなくて助かるよ」

「人間は大変じゃのー……エルフは何度も歯が生え変わるから木の実とかバリバリじゃよ」

「鮫みたい」

「なぬー!」

「丁度腹が減っていたときで良かったのう……」


 しみじみと食べていると審査員のもじゃ毛が再び食い終えてまたおかわりを要求していた。

 バリバリ。おかわり。ばりばり。おかわり。びりっ。おかわり。……。おかわり。

 何度も要求されて疲れたのか、最終的に電気も通していない雉肉を出していたが、もじゃは気にしていないようである。


「続けて──助屋九郎の料理!」

「己れの出番か」


 九郎は交代に料理場に出て行くと、店の者から正肉に加工された雉肉を受け取った。


「ちょっと待て!! ──解体作業は?」

「お主が調理している間、店の者に頼んでおいた」

「……」

「己れがやるより料理人にやらせたほうが上手であろう」

「い、いやこういう勝負はだな、材料も料理人が手を掛けて……」

「うむ? お主は醤油づくりから始めたのか? 使った酒はお主が酒蔵を持っておるのか?」

「……別にいいです」


 卑劣な極論で黙らせて楽をしようとする九郎であった。

 しかしながら九郎自身も、一羽ぐらいは裏で解体してみたのである。

 その結論としてはこうだった。


(雉肉超硬い)


 かなり大変な作業であり、素人が何羽もやるようなものではない。プロに頼んで正解だとばかりに雲の男が作ったのとほぼ変わらぬ正肉が、万八楼の料理人によって出来上がっていた。

 ここの料理人は大食い大会を開くだけあって、調理作業が素早い腕利き揃いである。

 さて、肉を前にして九郎は思案した。

 電気を通した柔らかくて旨味のある肉。

 九郎も電気は出せる。雲の男より高出力で術符による雷を発生させられるのだが、


(こういうものって高出力なら良いというものなのだろうか?)


 肉を焼くには適した温度があるように、肉を通電させるのにも適した電圧があるに違いない、と九郎は判断している。

 大体、相手が恐らく作り慣れた完成度の高い電肉料理を出したのに、自分が同じジャンルを出して完成度が低いとなればかなり気まずい。

 

(複雑な調理法にて、江戸の当時では味わえない物を出す……というのもな)


 先ほど九郎も味見をしたが、シンプルな調理法と味付けだったが肉の質がかなり電気で向上していたので料理の旨さ自体は相当なものであったのだ。

 かなり旨いと云ってもいい。それを素人の九郎がこね回して味付けした料理が勝てるだろうか。

 少なくとも負けた場合、工夫した癖に負けたというレッテルを貼られるのは間違いない。

 この案も駄目となれば……


(そういえばこの肉は晃之介が獲ってきた、新鮮なものだと云っていたな)


 新鮮。

 そして、相手の料理を腐らせてやろうかと対決前に考えていたことを思い出して。

 

(そうか……!)


 そう九郎は思い立ったが早いか、手元に漆黒の鎌(ブラスレイターゼンゼ)を出現させた。

 どこからともなく現れた、影のような色の大鎌に「おお」と皆の声が漏れる。


「雲の男も鎌を使ったと思ったら、助屋九郎も鎌を取り出したァー!」

「不吉な」

「そんなことよりあんた。さっきのお肉残してるなら俺にくれない? 貰っちゃうよ?」


 もじゃが隣の皿を突くのを無視して見守っていると、九郎は大鎌をゆっくりと肉に触れさせた。

 江戸の街一つを容易に滅ぼせる疫病の詰まった鎌。

 使う度に終末担当の天使が舌打ちをする神話の武器を使って──


 肉を熟成させた。 


 そして鎌を消して普通に包丁で切り分ける。


「お前もかよ!」


 やはり一斉にツッコミが入ったが、無視。

 その後は敢えて雲の男と同じように作ったタレに絡めてほぼ同じ料理を作った。


「見た目は同じようだがこれは……?」

「まあまあ。文句は食ってから云うが良い」


 九郎が勧めるので、まずは審査員が口にする。夢之信は訝しげに、箸で摘んで肉の端を噛んだ。


「これは……肉が熟成されている!」

「馬鹿な! 今朝獲ったばかりだというのに!」

「うんめぇ~!!」


 九郎が作ったのはブラスレイターゼンゼで腐敗速度を上昇させ、程よく熟成させ旨味成分を最大限に引き出した肉を使ったものである。

 夢之信が解説を入れる。


「昔から獲った鳥は血抜きして吊るし、目に蛆が湧いたら食べ頃と云う。新鮮な肉は臭みが少ないが、硬くて旨味も少ない。先ほどの雷気で作った肉はその欠点を補っていたが、これは十二分に熟成され肉自体がとろけるようだ」

「熟成しているというのに嫌な臭みがまったくしない! 口の中でほろほろと崩れる!」

「うんめぇ~!! もっと食いてえ!」

「では私のをどうぞ」


 ぺろりと食い終えたモジャに、夢之信は一口二口だけ口にした肉を差し出す。


「いいの? こんなに旨いのに」

「ええ。私は遠慮しておきます」

「うんめぇ~!!」


 九郎の熟成肉は観客にも行き渡り、箸で千切れんばかりに柔らかくなった肉は大きなインパクトを与えた。

 

「うみゃみゃー」

「うーん、お酒が欲しくなるね」


 と、スフィと石燕も喜んで食べていた。

 ただ記者のお花だけは、一口食べた後に欲しがる息子を諭して皿に料理を残した。

 

「馬鹿な! あんな短時間で肉が熟成するはずが……!」

  

 雲の男が信じられないとばかりに、残していたお花の皿を受け取って肉を口にする。

 絶句。

 自分が扱ったときは電気を通さねばカチカチだった肉が、融解寸前のような柔らかさになっているのだ。

 

「そんな……俺の雷槌料理より柔らかくするなど……」

「特殊な能力勝負となれば結果も虚しいものだよ。お主には立派な料理人としての腕前がある。己の力に驕らず、その腕を使って人を喜ばす料理を作るが良い」


 それっぽいことを九郎が告げていて。

 万八楼の主人が周囲の反応から勝敗を告げようとしたときに。

 場を静まり返らす音が鳴った。


 狸囃子のような、雷鳴のような……小さいが、誰もが聞いたことのある音だ。


 ぴ、きゅる、ごろごろ。

 真っ青な顔をしてモジャが腹を押さえていた。


「は、腹が……痛らぁ!」


 ごごごごご、と地鳴りのような音を皆は感じ取った。どこから聞こえてきたのか? まさか自分の腹から……

 それ(・・)を意識すると腹痛は伝播するように皆は腹を押さえ始めて、寒気を覚える者、嘔吐感がこみ上げてくる者、小さな終末が今まさに万八楼の中で起ころうとしていた。

 決壊前線と化した一触即発の状況で平然とした顔色のものは、調理者の九郎と一口二口で止めた美食家の夢之信に腐敗を感じて子供に食べさせなかったお花親子のみだ。

 肉の加熱が甘かったか、妙な病気に掛かっていた雉が含まれていたか──或いは肉が腐っていたか(・・・・・・・・)

 九郎が慌てて感染症や重度の食中毒を疑い、病毒を目視できる感覚の目で見る。


(……いや、大丈夫だ! 重度化しそうなのは居ない!)


 そこまで感染力の高くない大腸菌が主になっていて、多少具合は悪くなるがよほど小さな子供でなければ問題は──

 

「うううーッ ぽ、ぽんぽん痛くなってきたよ!?」

「石えーん!!」


 身内が幼女だった。


「い、いかん。クロー! ちょっと歌で緩和するぞ! 効果控えめじゃけど!」

「頼む!」


 スフィはまだ無事そうであった。彼女の場合は見た目は幼女でもこれまで様々な物を食べてきて抵抗力が付いている。

 今にもパンデミックめいたリバースを誰が先に行うかといった万八楼の中で、スフィの歌が響き渡った。



「Redde si potes, et Favente──


 Et ego appreciate vos esse in circuitu──


 Humus educat me super pedes meos──


 Non placet, adesto mihi──♪」



 完全には収まらないようだが、決壊しそうなピンチからは乗り切れそうでほぼ全員が呻きながら腹を抱える程度になる。

 毒素の動きは抑えたものの、吐瀉や下痢というのは体外に毒物を排出するという効果もあるのでそれを止めたら腹痛が来るのも当然ではある。ただ、便所に行けぬほどの状況で垂れ流してはより危険になるだろう。

 そんな中で一人、菅山利悟は。


「お、お嬢さん! ちょっと拙者のお腹ナデナデしながら耳元で歌ってくださいお願いします!」

「なんじゃこやつ」


 這いよって縋り付いてきた。スフィが気味悪そうに、足袋を履いた足を踏ん張り引っ張って腕を引き剥がそうとするが、利悟はむしろ踏まれにくる覚悟だ!

 九郎がそっと余ってた肉を利悟の口に叩き込んで、手が離れたところで電気ショックもした。


「よし、ある程度うやむや──じゃなくて収束したから今のうちに帰るぞ。石燕の具合も悪いしのう」

「そうじゃな。家に帰れば将翁もおるじゃろ」

「うううう! く、九郎くん早く帰ろう」


 石燕もつらそうなので超特急で逃げ──いや、救護のために姿を消し空を飛んで万八楼から去っていく九郎であった。



 料亭、萬屋万八楼。暫く休業。





 *********





「いや、本当にすまん」

「とにかく九郎くん! 口に入るものにあの鎌使うの駄目だからね!」

「うむ……まったくその通りだ。すまん、石燕」


 とりあえず石燕を家に連れ戻り、将翁に診察を頼んで薬を処方させて何度か石燕が厠と往復していたら次第に具合が良くなった。

 そして平謝りで九郎は石燕の看病を行っている。将翁の方は、商売チャンスを見計らったようで万八楼へと薬を売りに出かけた。九郎が病ませて将翁が治す。えげつないマッチポンプである。

 石燕が食中毒になったのも体が幼いことが主な原因なぐらいで、そこまで深刻な菌は居なかったようだ。しかしやはり、疫病の鎌を応用とはいえ食料品に使うのは危険があると九郎も悟る。


(キノコ栽培でもしようかと思ったが、止めておいたほうが無難だな)


 普段は毒を持たないキノコでも、生育環境によっては毒キノコになる可能性もあり得るのだ。悪意の病毒であるブラスレイターゼンゼで作ったキノコがそうならないとは限らない。

 そんなこんなでその日は常に九郎が側に居て石燕の介護をしてやり、そのまま石燕は夜に九郎の部屋で寝ることになった。 

 体が幼女だけあって眠気が回るのが早い。

 その日は九郎も付き合って、早い時間に就寝することにした。


「何かあったらいつでも起こすのだぞ」

「うん」


 そう告げて行灯を消し、二人並んで布団に入る。

 手足を伸ばして子供らしい体のほんわかした熱に身を委ねると、石燕はすぐに眠気が襲ってくるのを感じた。

 色気より眠気。

 そんな自分に思わず苦笑する。

 前の体ならば、こうして同じ布団に入って眠るとなると悶々していたし、九郎も少しばかり気にしていた。年を食っているとはいえ色っぽい女と同衾するのは性欲が無くとも意識ぐらいはするのだろう。

 

(この体でもいつかそうなるのかな)


 成長の兆しはまだ見えない。しかし体のメリハリはついて欲しい。そのためには良く眠ることだ。寝る子は育つというが、きちんと睡眠時間を取ることで成長ホルモンが分泌されて女らしい体になる。

 それも十代の前半までが勝負であり、十代後半の時点で胸が貧しいともう残念ながら成長性は殆ど無い。

 この屋敷で巨乳と言えるのは将翁のみで、後は普通から平面程度である。石燕も将来を見越して、努力せねばと思う。

 努力。

 さて、努力というが何の努力なのだろうかと自問して苦笑する。

 夢うつつに石燕がそんなことを考えている。殆ど夢の空間にいながら、現実の手足から感じる温かさも感じていた。

 九郎の体にも触れている。互いに寝返りを打って、すぐ近くで向き合い寝ているようだ。

 

(この距離が)


(ちゃんと)


(触れ合うほどに縮みますように)


 きっといつかは物足りなくなる距離に、石燕は暖かな気分でギュルルルロロロロロ──


「!?」


 目を開ける。が、体は眠気に支配されていて思うように動かない。酒の飲み過ぎで夜中に起きだしたように酷く億劫で、力が入らなかった。

 腹が鳴っている。同時に、色々な欲求が下腹部に押し寄せてきていた。

 血の気が失せる。なんでこんなときにまた。もう治ったのではないのかね。

 しかしこのままではより悲惨な未来が待っていることを石燕は素直に認めた。


(この恥はむしろ九郎くんのせいだから軽蔑とかされない──!)


 そう信じて、九郎の頬を力が入らない手で触れた。

 うっすらと彼が目を開いた。夜中でも日中でも眠そうな眼差しだ。


「く、九郎くん……厠に連れて行って」

「ああ、わかった」


 好きな男に便所に連れて行って貰うでござる。

 なんか情けない気分が押し寄せて来たが、背に腹は代えられない。

 九郎が手を握って立たせてくれたが、眠気最大な体ではふらついてまともに歩けない。


「お、おのれ幼女の体め……ううっ」

「いかんな」


 腹がきゅーと鳴った。九郎はまともに歩けない石燕では危険だと判断して、両脇に手を入れて猫を抱き上げるようにして持ち、厠へ運んだ。

 続けて心配になるのが、


「石燕……厠に落ちるなよ?」

「落ちなっ……うううっ」


 本人も不安だった。重心が不安定な上に眠気でゆらゆらしている体では、ボッシュートしかねない。

 しかし。

 それを解決するとなると。

 女の尊厳というか、そういうのが大変なことに。

 ここで妹分らを起こしてきても姉の尊厳も色々と落ちる。

 彼女は九郎から「駄目な女だなあ」と云う目で見られるのは──慣れているので──平気なのだが、豊房やお八から生暖かい目で見られると屈辱すら感じるのであった。


「う、ううう……九郎くん、厠の外から腰帯掴ませて」

「わかった」

「あと耳塞いでいて」

「うむ」


 九郎が腰帯を緩めて伸ばし、念の為に石燕の肩に巻きつけて厠の外に出た。これで落ちても引っ張れるだろう。

 そして言われるがままに耳に手を当てて塞ぐ。

 幼女の排泄音など子供の世話と思えばなんとも感じないのだが、石燕の気にするデリケートな感情も理解は出来た。

 暫くしたら帯が引っ張られたので厠を開けると、涙目の石燕が見上げていた。


「く、九郎くんそのだね」

「うむ」

「ちょっと……足に引っ掛けてしまって……」

「……風呂場で洗うか」


 石燕を持ち上げて、今度は風呂場に向かう九郎。

 残り湯はまだあるので石燕の羞恥心を考えて灯りを付けずに風呂場に入って、彼女の半襦袢を捲し上げて足を洗ってやった。

 食中毒などで排泄した場合は清潔に洗おう。清掃業務をかつてやっていた九郎からすれば当然の衛生観念だ。大体、幼女の尻を洗う程度は漏らしたならば保父でもやる。全く九郎は頓着していないようだ。むしろ、自分が原因の腹痛でこんな状態になっているので申し訳ない気持ちでいっぱいである。

 結局、暗い中九郎の前で尻まで洗うことになる幼女石燕であった。

 色々と尊厳はあれだが、最低限尻は自分の手で洗ったのでセーフと言い聞かせながら洗い終えた。ただ、濡れていては腹を冷やして悪くするというので、風呂から出た際には九郎が柔らかい手ぬぐいで丁寧に水気を拭きとってくれたのだが。


(きょ、距離があまりに近づくのも考え物だね! おおおお、大人になるまでにゆっくり慣らさなければ……!)


 何やら使命感に目覚めたとか眠ったら忘れたとか。








 *******






「己れじゃない。あの肉が腐っていた。知らない。すんだこと」


 後日、万八楼で食中毒を起こした件にて町奉行所に呼びだされた九郎の供述だったが、


「もし死人が出ていた場合は、貴様らは下手人として山田浅右衛門に首を斬られていたと知れ!」


 と、万八楼の主人共々町奉行に叱り飛ばされるのであった。

 江戸時代、過失致死は普通に死罪である。一応は重病患者も居ないのでこうなったが、食中毒騒動はお花が瓦版として江戸中に広めているので何らかの罰則は必要であった。

 万八楼には手鎖三十日と、九郎は町方同心の手先として働くように命じられた。つまりは利悟の部下として扱われる。


「よし! 部下の九郎! まずは九郎の屋敷にお茶でも飲みに行こう!! あわよくば!」

「何があわよくばだ……はあ、もうブラゼン料理は懲り懲りだ……」


 さすがに意気消沈する九郎であったという……


 



スカト○系ヒロイン石燕ちゃん

いや違う・・・そんな特殊な方向に特化させたいわけじゃない

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ