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11話『忍びと親心と浅右衛門/夕鶴かむかむ』

 光あるところに影がある。

 如何に江戸が世界一の大都市であり、太平の世を誇っていても必ずそこには闇がある。

 闇があれば闇に潜む者が集い、画策し、動く。

 それは決して一般大衆の目につかぬところで、しかし確実に──いつでも、闇の者は行動を起こしている。






 ******






「──というわけで、様々な調査書の結果! 江戸の男が好むこういう関係の女の子いいよね三大状況を発表しまーす!」

「わぁ──!」


 覆面の男が手に書類を持って上座でそう云うのを、同じく建物に集まっている覆面の皆が拍手をした。

 第何回目か誰も正確には把握していない、江戸住まいの忍び秘密会議である。

 闇の者である忍びたちは時折こうして、情報交換──主に世間話──をするために集まり、酒や保存食などを口にして如何にしてモテるかなどを議題に話し合っている。

 

(何故己れまで参加させられているのか)


 そんな中で九郎は末席に座り、隣の奴から酌を受けながら漠然と考えていた。

 彼がその日、むじな亭で飲んでいたときに、集合場所に酒とつまみの注文を受けたので気まぐれに配達へ行ったらそのまま座らされた。

 彼も覆面を被って身元を隠されている。こうしてお互いのことを詳しく探らないという前提で忍同士、他所の出身でも仲良くやれるのだ。

 とはいえ覆面の中には、腰に二本差しな浅右衛門や身長2m越えで筋肉モリモリマッチョマンの甚八丸も居たりするのだが中身がバレていても見て見ぬふりをするのだ。

 上座に立っている進行係がアンケートを取った好きなシチュエーションの発表を行う。

 正面に貼られた大きな紙に筆を滑らせて文字を書き示した。

 まず書かれたのは[一 盗]という字だ。


「えー、それじゃあ一番目! [(ぬすみ)]! これはつまり……家に女泥棒が入ってきてそれをとっ捕まえたときだ! 多分!」

「なるほどな~! 捕縄術習ってて良かったぁ~」


 そこはかとなく納得が行くのか、皆が頷くのを九郎は「微妙にマニアックな……」と呆れて見ている。だがまあ、彼とて一理無いわけでも無い。助平な漫画でよくあるシチュだ。

 忍びたちが即興でそれっぽい台詞を皆で勉強しあう。何故か裏声を作った女側からのも多いのだが。


「『くっ! あたいに何するんだい!』」

「『こうなりゃ奉行所にでも好きにつき出しな!』」

「俺女泥棒の良さわかった!」


 盛り上がりを見せて各々が考える女泥棒を語ると、巨漢の忍びが渋い声を厭らしく響かせる。


「『ぐぶぶぅ……先程までの気丈な態度はどこへ行ったのかなぁ……!』」

「あーダメダメ頭領! それ助平すぎです! いきなり状況進みすぎ!」

「馬ぁ鹿野郎ォ! おめえは深読みしすぎなんだよ!」

「いえ! 泥棒の女の子を説得してお嫁さんにしたい派の私としては鬼畜な所業は避けて頂きたい!」


 意見の対立もこの会議ではよく起こることだ。

 そうなると別方向からの切り口も必要になり、その場合に浅右衛門や九郎に意見を求める。

 

「あんたはどう思う!?」


 聞かれた覆面浅右衛門が、相も変わらぬふわっとした気軽な様子で、


「うちで盗んでいくものとなると……壺に入れた人の臓物とか指とかだから持って行ってもいいよって云うかなあ」

「泥棒が困る穢れ系の環境すぎる! 君は!?」

「己れの場合か? ううむ──バーン! ドサッ。女泥棒、お主だったのか……いつも盗んでいっていたのは」

「撃ち殺してるー!?」

「そこは得意の手管で捕まえましょうよ!」


 捕まえても番屋に叩き込むが、とロマンの無い九郎である。

 進行係が手を叩いて注目を集めた。筆を取って[一 盗]の隣に次の項目を書き加える。


「はい、それじゃあ二番目! 二番は[(いやしい)]! つまり……ちょっと卑しい女の子いいよね……」

「確かに……」

「恋に積極的でちょっと引いちゃうような行動に出るのいい……」


 [二 卑]と書かれているそれを見て全員が感慨深そうにした。

 漠然とした属性であり特定のシチュエーションを指すわけではないが、卑しい属性の一貫した特徴は一つだ。

 女の方からこちらへ好意を示すアクションを行うことだ。それが良い、という者も中々に多いのだろう。


「やっぱりね。自分みたいなちょっと小心者というか、女の子を目の前にすると素直におしゃべり出来ないみたいな男にはありがたいものがあるよね向こうから来られると」

「愛するより愛されたいよねマジで」

「カァ~ッ! このヘタレ共はそんな調子でこの女を手に入れるのが難しい江戸で嫁がもらえると思っているのか」

「頭領! 今は現実の話をしていないじゃないですか! 僕らは夢を語っているんです!」

「駄目すぎる……」


 九郎が呻いた。すると覆面の一人が目を光らせて絡んできた。


「お!? なんですか!? さすがの余裕ですか!? 卑しい女の子なんて食い飽きてるよみたいな!? お!?」

「喧嘩腰になるな……いや、確かに卑しいのは凄い昔に知り合いにいたが、良いものではなかったぞ」

「ちょっと待って! ……よし、正座したからお話をお願いします」


 一斉に正座して見てくる忍び達。彼らは実体験でのモテ話を憎むと同時に、興味津々だ。

 九郎は若干たじろいだが、何か話さねばと考え思い出す。


「己れが十三、四ぐらいの頃から二十八ぐらいまで付き合いのあったやくざの娘でな。とにかく内気で己れの後に袖を掴んで歩くような娘だったのだが、これが卑しい」

「というと!?」

「そやつが弁当を作って来たと思ったら見せつけるように手に傷があってな」

「ずるい! 指先を怪我しながら愛情のこもったお弁当を──!」

「いや、手首に傷が」

「……」

「おまけに二の腕には紫色に変色した注射痕もあったが……弁当に何が混じっていたのであろうなあ……」

「ほ、他には!?」

「勝手に子供の名前を考えて聞かされたり、名前を刺青で入れたり」

「怖い!」


 彼の幼馴染は殆どサイコであったようだ。ギリギリ見た目が良かったのが幸いだろうか。

 九郎が割りと自分への好意に鈍感になったのには、この触れるとアウトまっしぐらな濃い卑しさを持つ幼馴染をスルーしすぎた弊害なのかもしれない。

 

「まあやっぱりね、卑しさも程々がいいよね」

「『私が道場に通うのもお前のためなのだからな!』」

「『やっぱりお前は私が面倒を見てやらないと駄目だな!』」

「『今日は鍛錬よく頑張ったな……! よし、ちょっと帰る前にそこの船宿で休んでいくか……!』」

「おめえら! 特定の個人を観察したみたいなことを云うんじゃねええええええ!!」

「うわー! 頭領が怒った!」


 明らかにここには参加していないが忍びの娘、小唄のことを指している声真似であった。

 大事な娘が延々と文学少年に熱を上げて冷めない現状には父親も憂いているようだが、それ以上に厄介な積極性を持つようになっているのが悩みどころのようだ。


「うちの娘が卑しいってのか! ああそうですよ! 誰に似たんだ畜生め!」

「頭領の助平さとご新造様のツンを忍術合体させたらああもなりますよ」

「どうするんですか。靂くんのところに嫁入り?」

「うるせー! 様子見だ様子見!」


 どっかと甚八丸は座ってこれ以上の話題を拒んだ。

 進行係へ視線を送って、続きを促す。


「えー、それでは三番目を発表します。三番目はこれ!」


 と、彼が紙に書いて見せたのは、[妾]という文字であった。


「む!」

「む!」

 

 全員を緊張感が包んだ。

 周囲の視線を伺い合う奇妙な場の空気。しかし、何かしらを発言しようと云う喉の唸りだけが静かにあちらこちらから聞こえた。

 その字には文学的な問題があることは明白だった。

 誰が先に発言して、それを受け入れられるか咎められるか。

 下手をすれば戦争である。それでも、男らは云わずにいられない。

 誰かが、恐る恐る口を開いて主張をした。


(わらわ)いいよね! お姫様は最高だぜ!」

(あたし)だよなやっぱり! 蓮っ葉な姐さん女房こそ至極!」


 発言が被った。

 つまり。

 一文字のそれを女性の一人称だと判断して、どう読むかが問題の別れどころなのである。

 お姫様(ファンタジー)が人気か、姐さん女房(リアル)が人気か。

 まあ独身でさっぱり嫁の宛がない忍び連中にとっては両方共夢幻ではあるのだが、そこをツッコむと非難を受けるのでともかく。

 やはりこの場でも両派閥に分かれて喧々諤々の議論が行われるのであった。

 九郎は末席で時折意見を求められながらも、正面に書かれた文字を見ていた。


 三二一

 妾卑盗

  

「……のう、これって」


 九郎が前に出てきて字の前で顎に手をやり考える。


「意味が違わないか?」

「え?」

「どういうこと」

「妙に回りくどい性癖になっていたが……多分これの意味って」


 九郎は筆を取って書き加える。


 一盗……他人の嫁を寝盗ねとること。浮気。

 二卑……卑しい身分の相手や下働きの女中メイドなどに手を出すこと。

 三妾……めかけ、愛人を持つこと。


 ざわ、と動揺が広がった。


「……という意味ではないかと思うのだが、どうだ?」


 進行係に確認すると、彼は慌てたように手を振って云う。


「自分はお花さんに頼んで集めてもらった調査書を分析しただけだからそんなの知らない! そ、そんな恐ろしくて助平な発想があるなんて!」

「外道だ! そんな、そんなのって無いよ!」

「さすがお嫁さんを複数囲う人は違うな! 尊敬しますよこのフナムシ野郎!」

「誰がフナムシだ!」


 フナムシは絶食させようが油で揚げようが内臓を取り除こうが食えたものではないので、煮ても焼いても食えないやつ──手に負えないさまという意味でフナムシ野郎という罵言がある。

 批判を受けて九郎も反論をした。


「いや己れが外道というか普通に考えてそうだろう! 大体なんだその都合のいい女泥棒感!」

「『まさかあたいが盗まれるなんて……心ってやつをさ』」

「『私も君から盗まれてしまったようだ──可愛い恋泥棒さん』」

「早速復習してる! 偉いな~」

「これは使えるぞ……!」

「使えねえよ!」


 裏声で寸劇などを交えつつ、忍び会議は夜遅くまで続いた。 





 ********

 



 やがて議論も出尽くし、お開きの時間となる。

 丁寧に小屋の中を竹箒で履いて塵を集め、食べかすや酒染みなどの痕跡を片付ける。

 九郎も空になった柄樽に、店から持ってきた器などを放り込んで持ち帰る準備をした。

 進行係の忍びが再び上座で云う。


「えーそれでは此度の会合はこれまで、ということで。次回も奮って参加してくださいね」

「いや~なんだかんだで有意義な話し合いだった」

「まさか女泥棒が三人姉妹で、お姫様と姐さんと卑しい三女の組み合わせだなんてな」

「忘れないうちに知り合いの作家に話して物語に纏めて貰わないと」

「あ、それと連絡忘れてましたけど、近頃江戸に夜な夜な鎖鎌を振り回して人を襲う暴漢が現れてるみたいなのでお気をつけて。ではお疲れ様でしたー」

「おつかれー」


 ぞろぞろと覆面の忍びたちは小屋から出て行って、九郎はよくよくその覆面の言葉を吟味し、聞き返した。


「鎖鎌の暴漢!?」


 そんな「浜辺にクラゲが出た」ぐらいの気軽な感じで云われたので上手く脳が理解できなかったが。

 鎖鎌なんぞを持った通り魔がホイホイ現れるものだろうか。

 慌てて立ち上がると、最後の忍びが小屋から出るところだった。

 追いかけて詳しく聞こうとしたが、九郎が小屋から出ると夜闇には誰一人として後ろ姿を見ることは出来なかった。

 散々、夢幻の女を語っていた忍びらは忽然と姿を消し去って、この場を離れたようだ。


「ええい、いらんところで忍びっぽいやつらめ……仕方ない、明日にでも利悟を探して聞いてみるか」


 自分の被っていた、額のところに[九]と書かれている覆面を剥ぎとって忌々しそうな顔で足音一つ聞こえぬ闇を睨みつける。

 影兵衛の好きそうな事件ではあるが、盗みや火付けではない通り魔事件は火付盗賊改方ではなく町奉行所の管轄である。そちらの方が情報に詳しいことは考えられた。

 積極的に事件解決に手を貸すつもり、というわけではなく身内に害が出るかどうかをまず知らねばならないのだ。そして無差別殺人となれば手を貸して早くに解決した方が良いだろう。


「……今晩は帰るか。遅くなる、とは云っておったが」


 元より外で酒を呑んでくるつもりだったのだ。酔いを覚まさせる疫病風装も置いてきているから、程よい酩酊感で風が涼しく感じた。

 時には彼にも外で呑みたくなる日もあった。特に屋敷に居ることがつらいわけでもないが、そういう気分があるのだ。

 ふらりと足を市中へ向けると暗がりから声が掛けられた。


「よう兄ちゃん。二軒目に梯子しねえか」

「某、二次会って初めて」

「む? 甚八丸と浅右衛門か。そうだのう、どこかで呑むか」

  

 珍しい組み合わせの二人組である。組み合わせたのは九郎であるが。

 友人が少ないことを気にしていた浅右衛門を、身分を隠しては居るが仲良しサークルめいている忍びの会に参加させてくれないかと甚八丸に頼んだことが浅右衛門が参加するようになったきっかけであった。

 顔を隠しているとはいえ薄々と参加者はお互いのことを知っていて、首切り役人浅右衛門が居ることも気づいている。それでも案外、会合ではヘンテコな意見で場を盛り上げるので会合以外の場で会った時も軽く挨拶をされる程度には人間関係もできたようだ。

 少しばかり呑み足りない感じもあったので、九郎は二人と共に飲み屋へ向かった。

 

「まー鎖鎌のアホが出てもこの三人なら平気だろ」


 甚八丸が岩のような肩をいからせながら気楽にそう云う。


「鎖鎌の犯人って忍びか何かか? おかしな武器を使うようだが」

「普通の忍びは鎖鎌なんて使わねえから違うと思うが。持ってたら一発で武器だとバレるだろそんなもん。普通の鎌とそこらの縄で十分だ」


 甚八丸はそう云うとどこからともなく手鎌を取り出して見せた。

 

「こいつなら持ってても農作業だって誤魔化せるが、鎖なんぞついてたら怪しさ最高だ」

「確かに……」

「そしてこうして鎌を四本、刃を別々の向きになるように束ねて結べば……ほら、鉤縄にもなる」


 フックが四方向に飛び出た縄付きフックを即興で作って見せる。引っ掛かりやすそうで、それを使えば城の城壁でも駆け上がれそうだった。


「手裏剣代わりにそのまま投げても使えるし、鎌は忍びにとって便利な道具なわけだな」

「思うに、四本も鎌を持ってたらそれはそれで死ぬほど怪しいと思うぞ」

「……予備とか?」

「四本はなあ……」

「ともかく。鎖鎌を使うのは武芸者だろぉ? 武芸十八般に入ってるしな」

「某は鎖鎌なんて全然使えないっていうか見たことすらないなあ……というか乗馬の訓練もしたこと無いから、武芸十八般じゃ三つぐらいしかできない」


 指を折って数える浅右衛門である。とりあえず刀術と居合術、小具足術(脇差しの戦術)は使えるが他は触れたことも無いものばかりであるようだ。

 何せ彼は生まれからして浪人であるので馬などは触れることも無く、お家の技術である剣術のみを極めてきたから他に手を回すことなど考えもしなかった。

 その結果剣術の腕前は神妙の域に達しているのであったが。


「今時の武士はそんなものだろうよ。武芸十八般なんて糞真面目にやってるのは今時柳生の忍びでも珍しいぜ」

「晃之介は大抵できそうだのう」

「あの先生はなあ……戦国時代に生まれるべき才能じゃねえの?」


 などと言い合い、やがて他に客も居ない屋台が見えてきたので三人で並んで椅子に座った。

 煮物を鍋に入れて、提灯を二つ掛けているだけの屋台だ。提灯には徳利が細長くて縛るアレで括りつけられていて、燗されていた。


「おう。頼む」


 甚八丸が二朱銀を店主に差し出すと、代金に十分であったので三人の前に煮物の酒盃、そして燗していた徳利が出された。

 

「夏の夜だが、ぬるい酒も乙なものだな」

「うーん、煮物もいける」


 忍びの飲み会では九郎が店からつまみになりそうな料理を持って行ったとはいえ、メインは彼らが作って使い処のなかった保存食の消費だ。まともな料理が胃に入ることを浅右衛門は喜んでいるようだ。

 煮物は茄子を醤油味で煮込んだ単純なものだが、染みこみ具合が丁度良くて生姜も刻んで入っているのが旨い味を出していた。

 ぐ、と酒を煽る。並んで座ると、巨漢の甚八丸の圧力とでも云うべき存在感を強く九郎は感じる。

 

「それにしてもよう、うちの娘のことなんだが」


 甚八丸がそう切り出して、九郎は近頃毎日のようにお八が道場へ指導に向かっていることを思い出しながら云う。


「ああ、最近道場に通うようになったな。靂の件で」

「ういー! なんだってんだい、うちの娘はどうしてまたあの引きこもりで稼ぎもない、生っちょろい青瓢箪にお熱なんだ!」

 

 ドン、と軽く台を叩いた。店主の親父が迷惑そうな酔っぱらいだと判断してそっぽ向く。

 確かに、と九郎は考える。

 靂は義父の遺産で引きこもり生活を続けていたしお世辞にも腕っ節が強いとは云えない。社交性があるわけでもなければ勤労意欲も乏しい。


「だがのう。靂もあれで性根は悪くないのだ。性根が曲がっておらぬのならば、子供の時分に多少捻くれていようが、そのうちにちゃんとした大人になるものだ」


 江戸の世から見れば、靂はもう元服した大人であるのだが。

 九郎からしてみればまだ高校生ぐらいの年齢の子供である。

 高校のときの性格や趣味嗜好など十年もすれば大きく変わっていくものだ。今の時点で多少、生活能力に欠けていても将来性は未知数だと思えた。


「そりゃあな、俺様の眼だって節穴じゃねえんだし少しぐらいは根性のあるやつだってのはわかるぜ? でもな……」

「でも?」

「周りの女が甘やかしたら腐るだろ。男ってのはな、モテないぐらいがちょうどいいんだよ。モテなくてモテなくて苦しんで、女にモテるために努力に努力を重ねて血の汗を流し爪に火を灯して、それでようやっと女を見つけるぐれえがいいんだ」

「お主もそうだったのか?」

「うーん、まあ俺様の場合回りにいる女が女房しか居なかったのがあるが……少なくとも全身血まみれにされたり、指先を蝋燭であぶられたりしたから……苦労はしてる!」

「怖いなあ」


 バイオレンスな甚八丸の夫婦関係に、のほほんと浅右衛門が感想を云う。


「大体、小唄が居なくても大丈夫だろあいつ。無邪気幼馴染と妹系幼馴染居るんだから」

「まあ……それはそうだが」

「小唄の方に縁談も来てるんだがなあ……ちゃんとした富農やら、豪商やらからも」


 ため息混じりに甚八丸は云うのを見て、九郎は彼の酒盃に酒を汲んでやった。


(不安なのだろう。娘が幸せになれるかどうか。将来性の怪しい、浪人身分の文学少年に嫁入りさせるよりはまともな嫁入り先を紹介したほうがいいのではないか、と)


 そしてその考えは、甚八丸自身も悩んでいるのだと読み取った。

 逆にそちらの暮らしが安定しているところに嫁入りさせた娘が本当に幸せになれるのか。それもまたわからないのだ。

 九郎はまったく他人事ではなく思えた。

 

(うちの娘二人も、嫁ぎ先が見つかったからといってそれがあやつらの幸せになるのか……)


 いずれ結論を出さねばならない問題で、彼も悩まねばならないのだがひとまず酒を呑むことにした。

 涼しい風が、ヒュンヒュンといった何かを振り回す音と共に流れていく。

 浅右衛門が黙った二人に告げる。


「……実を云うと、某も何度か縁談来てるんだよね」

「なんだお主。モテぬモテぬと云いながら」

「まあ……首切り役人は収入だけじゃなく各大名・旗本との繋がりもあるからな。商人なんかからはそりゃあ縁組も来るんじゃねえか」

「うん。でもまあ、断って来てるんだ」


 相手が居ないので跡継ぎは養子にしようかと以前に九郎へ吐露していた彼は、いつもどおりの口調だった。

 ヒュンヒュンした小さな音を遮るように浅右衛門の言葉を聞く。


「縁談は縁談。あくまで家の、父親から云われて某に嫁ぐんだから、さ。そりゃあこのご時世、父親からどこそこの家に嫁にいけって言われたら娘さんは断れないじゃない。

 娘さんもさ、家で死体の解体して壺に内蔵を塩漬けする暮らしは……嫌だろうなって思うと某から断ることしかできないよね」

「むう……」


 否定はできない。

 同じ屋根の下で暮らしながら、死体の腑分けを行う日常を平気で居られる女は相当に少ないだろう。いや、男ですら殆どは嫌がるはずだ。

 それにしてもヒュンヒュンうるさい。なんでこんなにうるさいんだと九郎と甚八丸は顔を顰める。

 

「子供も居ない某は、子供の幸せを願うこともできないけれど、せめて自分が原因で誰かを不幸せにしたくないなと思うんだ。女の人が向こうから自分の意思で、某と一緒の暮らしで構わないって云ってくれるなら喜んで受けるけどね。

 ええと、だから……甚八丸(うじ)も九郎(うじ)も、送り出した先の娘が某と相手になるみたいな、押し付けの不幸にならないように……某は子供自身の意思を尊重して欲しいと思う、な」

「う、うーん」

「むう……」

「気楽な、独身者で浪人の戯言だけどね」


 にへらっと笑う浅右衛門であったが、保護者二人は考えこむ。

 何せ本人の意思を尊重させることによる未来図が。

 幼馴染と血みどろ三角か四角関係になりかねない靂のところと。

 娘的扱いだったのが二人纏めて自分の嫁になる九郎自身の問題なのである。

 非常にデリケートなことで、この場では納得しかねるが──


『楽しいと思うことをいっぱいしなさい。好きに生きて、好きに死ぬこと。辛いことがあっても、最後は笑って──』


  彼女(・・)が残した言葉が、九郎の脳裏によぎり──少しばかり自分の人生と娘の人生を思ってしんみりとした気分になった。

 

「ええい、とにかく様子見だな!」ヒュンヒュン

「そうするしか無いのう……」ヒュンヒュン

「しかし浅右衛門の先生もよ、女を諦めちゃならねえぜ。世の中変な趣味の女だっているかも知れねえし」ヒュンヒュン

「まったくだ。女は星の数ほど居る」ヒュンヒュン

「やは。この前数えたら星って三千個前後しかなかったよ」ヒュンヒュン

「それだけいれば死体に鈍感な女も──」ヒュンヒュンヒュンヒュン


「うるせぇぇぇ!!」


 やたら近づいてくる風切音に、九郎と甚八丸が振り向いて叫ぶと同時に。


 ぼ、と空気の壁をぶちぬく音がして、釣りの重りのような形をした鎖分銅が飛来してきた……!


 しつこい風切り音は威嚇するように何者かが鎖分銅を振り回している音だったのだが、飲み会の邪魔をされた九郎と甚八丸がキレたのだ。 

 座ったまま、腰のひねり(・・・)を巧みに使い、腕ではなく上半身全てで抜くことで一拍子にて抜刀した浅右衛門の刀が分銅を鎖ごと横一文字に切り飛ばす。二つに別れた欠片は軌道が上下にずれて屋台の手前に一つはめり込み、屋根を砕いた衝撃には焦げた匂いすらした。


「ひいいい!?」


 状況のわからぬ店主が腰を抜かせて頭を伏せる。


 分銅が飛んできた位置に甚八丸がジャグリングのように次々に鎌を投げつけ、ついでとばかりに九郎が半ばで断ち切れた鎖に電撃を這わせた。

 文字化できない悲鳴があがり、静かになったので三人は改めて飲み直し始めた。

 飛んできた鎖分銅などなかったかのように。一々関わるのは呑んでる途中だったので面倒であるし、それなりに酔っても居たのである。


「ええと、浅右衛門の嫁のことだったな」

「正直、うちの碌でなし忍び連中より稼ぎも性格もしっかりしてるんだからいい嫁を貰って欲しいねえ……」

「医者の娘とかなら血みどろにも慣れておらぬだろうか。今度、将翁の伝手で聞いてみるか」

「うん。ありがと。いいなあ、友達って」

「ははは」


 朗らかに笑う三人から、色々重傷な鎖鎌の使い手は這って逃げていくのであった…… 

 





 ********




 ところは変わって神楽坂の屋敷。


 鳥山石燕の屋敷にある内湯は程々の大きさに作られていて、二人三人程度ならば悠に入れる。

 しかしながら詰めるように湯船に向かい合って入った豊房とお八の膝に小柄なスフィと石燕も中に入れて、体の大きな夕鶴を洗い場に置けばもう一人ぐらいは入れた。

 とはいっても、この屋敷に住む女五人以外の六人目というのは阿部将翁なのであるが。

 年頃とはいえ少女の面影と体つきを残しているお八に豊房、そして少女そのものなスフィと石燕が洗い場に居る二人をじっと見ていた。

 水場なのに狐面をそのまま身に着けている彼女は、この場にいる女達の教師役として話を行う。

 

「さて、それでは男の方に嫌われぬ、女の身だしなみを今日もお教えしましょうかね」

「風呂場でか?」


 手を軽く上げて云うお八に、将翁はにっこりと頷きながら目の前に座る夕鶴の背中に触れた。


「あひっ!? であります!?」

「そりゃもう。男女の仲となれば肌を合わせることもありましょうぜ。となれば体の洗い方一つとっても大事になります、よ」

「洗い方っていっても」


 豊房が首を傾げた。何か特別なことが必要なのだろうか。

 

「洗顔とか? 高いから使ったこと無いけどうぐいすの糞とかで顔を洗うのよね」


 江戸時代からあった洗顔料であり、現代では[ゲイシャ・フェイシャル]などと呼ばれる東洋の神秘的な化粧品がうぐいすの糞であった。

 美肌・シミ・シワなどに効果があるとされているが難点も一つある。

 普通に臭いことだ。


「いやいや、お嬢様方のお若くてお綺麗なお肌ならばそこらのお化粧品などお必要ありませんぜ」

「微妙に僻みったらしい気配を感じるよ! ふふふ!」


 自慢気に云う若返り石燕であるが、将翁は涼しく受け流した。

 別段将翁の肌も五年前に比べて年を食っているようにはまったく見えず、経産婦だというのに張りがありながらも女らしさを思わせる柔らかな肉付きがある。

 実際、この場に居るのは寸胴で全体的にぷにぷになスフィと石燕を除き三人の女は痩せ気味なので、改めてその裸体を見て「むう」と唸った。


「後は糠袋を持っていくぐらいでありますか? ……ううっ撫でないで欲しいであります」


 夕鶴が白くて薄く肩甲骨や背骨の浮き出たところを触られているのに身をくねらせた。どうしても彼女の場合、多少食生活が改善されていても普段は背が高くて贅肉が伸ばされているので体を曲げると浮き出るのだ。

 糠袋は石鹸の代わりで、持っていくというよりは湯屋で貸出を行っている。女性ならば大抵使い、男も半分ほどはそれを使って体を洗っていた。

 しかしながら江戸では、朝夕二回は湯屋に行くことも普通であったので現代よりもある意味風呂好きかもしれない。

 それも東京とは違い道が舗装されていない上に市中からすぐ外は土臭い田舎になっているので、砂埃がやたら舞い上がり湿気のある環境で体に張り付く不快さがあったから入浴も増えたのだろう。


「そう、それ。しかし使い過ぎると糠臭くなるし、古い糠を売っているところも多い……」

「湯殿の中に捨ててあるのを使ったことあるわ」

「……豊房はもうちょっと色々乙女として考えた方がいいよ」

「何よ。だってタダなのよ」


 ぷうと頬を膨らませる。相変わらず経済観念が厳しい。

 将翁は若干笑いながら胸元から一つの、褐色がかった橙色をした一握りの塊を取り出した。


「そこで本日ご紹介させていただくのがこちら。南蛮渡来の[さぼん]を参考に、長崎の職人が作り上げた[椿さぼん]でございます。特殊な木灰から抽出した汁を椿油と合成したものでこの通り、ほのかに椿の匂いがする上に肌を傷つけず、きめ細かに汚れを落として皆様の若さを保ちます」

「んん? おお、うわ、泡が出てきた!?」


 手ぬぐいと椿さぼん──椿油の石鹸を使って将翁は手ぬぐいを泡まみれにした。

 そして背後から組み付くように夕鶴の二の腕を取る。密着する将翁の体に「うひぃ!? であります!?」と夕鶴が悲鳴を上げる。

 彼女の腕を泡だった石鹸で軽く拭い、水を掛けて洗い流すと垢抜けた艶やかな肌が、水を弾いて見せた。


「おお、すげえ。糠の匂いも全然しないぜ」

「石鹸かえ。売っとらんので作ろうかと思ったのじゃが、素人の作ったものとは違うのー」


 スフィが欲しそうな目で石鹸を見ていると将翁はにこやかに告げる。


「お代は二つ一組で、一両でございます」

「たっか!!」


 商人を除く全員の声が重なった。 

 石鹸二つで約8万円である。いくら流通していない特注品とはいえ、消耗品にあるまじき値段である。

 しかしながら化粧品の一種と考えれば、法外な値段が付くことも異常ということではない。

 例えば口紅などは、紅花から作る高級品では同じ重さの金と取引されるほどだった。

 納得はともかく、買うかどうかは……特に豊房がかなり渋い顔をしている。

 

「高いわね。いらないんじゃないかしら。だって高いもの」

「なに、皆さんお稼ぎがあるようですので……スフィ殿と石燕殿を二人で一人分と考えれば四分割払い、一人あたり一分で済みますよ。椿さぼんも、三日に一度ぐらいの贅沢にすれば十分にひと月は持つ」

「う、うーん……月に一分払いか……」

「それに、これを勧めるのには理由がございまして」


 将翁は泡を再び夕鶴の手に撫で付けながら告げる。夕鶴はなんとも言えないくすぐったそうな声を出していた。


「……男の人といざ近づいたとき……体が臭う(・・)と相手はなんとも興ざめしてしまいます。肌から垢やら、糠の腐った匂いがしてはどうも──上手くいかないんじゃないですかね」


 ぴくり、と皆の動きが止まって視線を合わせた。


「ま、中には臭う方が好きだという奇特な方も居ますが。基本はいい匂いがして清潔な方が相手も好むでしょうぜ」

「買うわ」

「豊房決断早っ!」

「必要なものは仕方ないわ。だって仕方ないもの」

「まー待つがよい」


 即決で買おうとする流れに、スフィが待ったを掛けた。

 彼女からしても石鹸は欲しいのであるが、値段が薄ら高いのは困る。少しずつ寺などの大道芸場で歌い稼いではいるが、まだまだ稼ぎは少ないのだ。なお、寺の読経を聞いて一度で覚え、それを独自の拍子を付けて明るく楽しく歌い上げる彼女の技量は寺の者が舌を巻きつつもしっかり経文は合っているので文句が付けられないという。

 

「将翁。そのさぼん(・・・)は高いようじゃが、それは職人への手間賃が多く掛かっておるのじゃろ?」

「ええ、まあ」

「すると……お主が作れば安上がりにはなるわけじゃ」


 椿さぼんの主な材料は、椿油と細かく砕いた椿の実、それに特定の木灰であるので椿油がやや値が張る程度であってそこまで高価ではない。


「……いや、その……作れないことはないのですが、薬師に原価で作って売れというのはちょっと……」

「原価とまでは云うておらぬ。そこでこうすればよかろう。お主もこれからここの風呂を使う。それで自分が使う分のさぼんも一緒に作る。それのついでに作った分を売ってくれれば良い」


 百五十年も生きてきただけあって、強かな考えを持っている。

 屋敷の風呂使用代と、実質風呂を使うのだから寝泊まりの許可も取るようなものである。それを差っ引くことで、自作で安く作った石鹸を安く譲れと取り引きしているのであった。

 風呂の使用といっても水道光熱費が掛からずに毎日沸かせられるし、寝泊まりも余っている部屋と布団を用意すればいいのだから特に損することは少ない。

 知り合いとはいえ客にそう安くでは薬は売れないが、身内となれば別である。


「まあ……それなら……構いませんが」


 将翁も少しばかりはにかみつつ頷く。

 彼女からしても寝泊まりの場所としてここを提供してくれるのは、ある意味ありがたいことでもあった。

 九郎にさり気なく提案しても彼は渋い顔をするばかりだったので、こうして女の方から招き入れて貰えば彼とて否とはいうまい。


「よし。安く手に入るのが一番じゃのー」

「何かしら。自ら虎を家に引き込んだような違和感を感じるわ」

「云っておくが、将翁がおろーがおらなかろーが、クローにとって虎屋敷じゃからなここ」


 今更何を云っているのか、と豊房にジト目を向ける。


「……さぼんにて体を洗う方法をご説明しましょうかね」

「洗う方法?」

「しっかりと隅々まで洗わねば。どうも、乙女は案外に洗う場所に無頓着だったりしますので。では、夕鶴殿失礼しますよ」

「じ、自分の体でするのでありますか!?」


 さっきから手慰みのように将翁にいじられている夕鶴に、体が冷えぬようもう一度お湯を桶で被せてから将翁は構えた。


「あくまで傾向としてですがね……体臭というのは肌より湧き出るもの。即ち、体躯の大きな者ならばより体臭が強くなる。痩身よりも大身、小人よりも大人……」

「そういえば力士って独特の匂いがするぜ」

「ふむ……だいだらぼっちになると、体を洗って落ちた垢だけで小山ができるほどだというからね」

「オーク神父は清潔好きだったがのー……自分の体臭を気にしてはいたような」


 皆がそれぞれ納得するような素振りを見せたので、夕鶴が涙ながらに否定する。


「酷いであります!? 自分そんなに体、臭わないでありますよ!!」

「ま、夕鶴殿は痩せているのでそうでもないですが、体が大きいとそれだけ洗い難い場所も増えるというわけで。あたしが丁寧に洗ってみますので、次からは意識してご自分で洗うとよろしいかと」


 将翁は泡立てた手ぬぐいで、夕鶴のうなじを強く擦る。 

 首を一周丹念に拭い、顎の下まで撫で回した。

 首筋から耳の裏へと指を伸ばしてしっかりと洗い、耳の穴に泡が入らぬように耳も磨いていく。


「んひふー!? み、耳も洗うでありますか!?」

「そりゃ勿論──男に噛まれますからね」

「う、ううう……」


 生々しい意見に夕鶴のみならず、浴槽で見ている四人も目を泳がせる。

 次に首から下、背中をまず洗った。肩甲骨の窪みまで指をいれて、しごくように洗う。

 当時の女は男が乾布摩擦をするように背中をゴシゴシと洗わない。手の届かぬそこを撫でられる奇妙な感覚に、時折夕鶴の口から溜息に似た音が漏れる。

 続けて、胸の辺りを洗う。


「ちょ待ままままま!」

「手本ですので。医者のやることに口出しはいけねえ」


 さすがに同性とはいえ他人に触れられるとなれば慌てる夕鶴であったが、有無を言わせずに将翁が触れる。

 小さな谷間から胸と胸の間、下乳の僅かな隙間。乳房に円を描くように隅々まで洗われるのに、夕鶴は顔が真っ赤になって歯を食いしばっている。

 また、胸から横にそれて夕鶴の手を上げさせて脇も何度も擦ると「ひふふふ!?」と笑い声が今度は漏れる。 

 

「そ、そんなとこまででありますか!?」

「当然──噛まれますぜ」

「噛まれるであります!?」


 まったく想像がつかなかったが、とにかく背後から絡みつくようにして脇から二の腕を洗ってくる将翁のされるがままだった。

 肘の裏や指の股まで、他人の手で洗われるとなるとどうもくすぐったくて耐え難い。

 それから開放されてほっとすると、今度は腹に移る。

 へそ。

 に、泡だった布を突っ込んでほじくった。


「んんん~~~♥!?」


 体の奥からむずむずする、痛いような痒いような感覚に夕鶴は足を伸ばして身を震わせた。

 へそをいじると腹痛になると教えこまされていたので、自分から中に指を突っ込んだこともないのだ。

 しかしほじくり回している当の将翁は薄笑いをしたままで、暴れそうになる夕鶴の体を押さえながらへその内壁を綺麗にする。


「はいはい。噛まれる噛まれる」

「適当に云ってるだけでありますよね!? いひゃうっ!?」

 

 そしてようやく、へそも磨き終わり。

 将翁は夕鶴の両太腿を掴んで、湯船でなんとも云えない表情で見守っている四人へと顔を向けて云う。


「それじゃあ、次が一番大事なところですので良く見ておくように」

「ちょっと!? お願いだから待つであります! そこはその……不浄のとこで人に見せるところじゃないであります! 親にも洗わせたことがないでありますよ!?」

「そんなことだから、誰も彼も碌に洗わないで居てしまうのですよ。不浄なら不浄で、常に浄くしておかねば。しっかりと中まで湯を使い洗わねば臭いの元になる」

「中ァー!? たっ助けてであります! もうこれは強姦みたいなものでありますよ!! お嫁さんにいけなくなるであります!!」

「そんなこと云ったら産婆は皆、女人の強姦魔になりますよ。さあ」


 と、無理やり夕鶴の股を開かせて、愛撫するように手ぬぐいと手指を滑りこませた。

 叫びそうになった夕鶴の口にもう片方の指を入れて、舌をつまむ。舌が暴れて逃れようとするが、何度もつまもうと口腔内で指と追いかけっこすることで、妙に艶めかしい吐息だけが風呂場に繰り返された。

 その間に、将翁が自分の足を入れて広げさせた夕鶴の下腹部を、説明を加えながら洗っていく。

 見ている四人の顔も茹だっているが、やはり犠牲となっている夕鶴は己の秘所まで晒されて、


(うわああああ!! もう死にたいでありますううう!!)


 と、暫くして心が折れるまで涙目であった。見ている四人が笑い者にしているわけではなく、真剣に勉強しているのが救いであったかもしれない。

 将翁の洗い方は堂に入っていて、緻密にして完璧である。

 割れ目から尻まで綺麗に洗われ、膝の裏から足指の股や爪まで磨かれた。

 そうして、生まれてから初めてとばかりに完全に体中を洗われた夕鶴が出来上がった。


「無駄毛があれば処理をするところですが、皆様には必要無いようで。とにかく、これで誰が噛み付いても喜ぶ体の完成ですぜ」

「おお~……」

「す、凄い大変なのね……」

(わし)の百五十年は一体……」

「う、ううむ……奥が深い」


 感心する四人の一方で、ぐったりと夕鶴は呻いた。


「死ぬほど疲れたであります……噛みつかれるとか適当な嘘であります……将翁君は単なる女好きであります……」


 ともあれそれから。

 女衆は体を念入りに洗うようになったが、洗う度に具体的にどう噛まれるのかなどと気にしたり、夢のなかで噛まれりしてモヤモヤする日々が続くのであった。

 



 その夜。

 九郎が外から帰ってくると、屋敷の灯りは消えていたが九郎の部屋だけ行灯が灯っていた。

 訝しげに覗き見ると、布団の近くで片膝を立てて座る夕鶴が、大徳利から手酌で酒を汲んで飲んでいた。

 酔いで上気した肌が単衣の合わせや裾から見えている。その座り方も、博打打ちの男のようで普段ならば着衣と合わせて注意したかもしれないが。

 九郎も外で甚八丸らと飲んできて軽く酔っていたので細かいことは気にしなかった。

 

(珍しいな……)


 と、気だるい眼差しを向けながら思っただけである。

 ふらふらと近づいて九郎も彼女の目の前にどっかと座り、そして大徳利から酒を直接呑んだ。

 半眼で目の前に座った九郎を見る彼女の目つきは、かなり酔っているように見える。


「くはあ……酒が旨いのう。ほれ、お主も呑め」

「……」


 徳利の口を向けると、無言で夕鶴も酒盃を出して酒を受けた。

 く、と喉を鳴らして一気に呑む。

 九郎の眠気と酒気で霞んだ目には、彼女の白首がいつもよりも細くて滑らかに見えた。

 ほのかに、酒の匂いと混じって椿の良い匂いが部屋に漂っている。

 あくびを噛み殺しながら九郎は告げる。


「……お主も大変だのう。今度はどうした? いじめられたか」

「い、いじめられたというかもて遊ばれたというか……」

「なにッ!?」

 

 くわっと九郎の目が開いて立ち上がった。

 そして夕鶴の肩を掴んで周囲を見回し、僅かに冷や汗の浮かんだ顔で声を潜めて聞く。


「……どこのどいつにだ?」

「いや九郎君、そんな今から殺しに行こうみたいな真剣な顔しないでいいでありますからぁ……将翁君に体をゴシゴシ洗われてぇ」

「なんだ」


 ほっと胸を撫で下ろしながらもう一度座り、酒を交えて事情を聞いた。

 半分ぐらいは酒の影響もあって聞き流したが、概ね問題はなさそうだ。夕鶴も心底落ち込んでいるというよりは釈然としない思いで、同じ部屋に居るのも気まずく九郎の部屋で一人酒を飲んでいたようだが。

 怒りも云うなれば「プンスカ」とした感じの、軽いものである。


「ちゃんとみんな謝ってくれたけど、乙女の尊厳は一度減ったら回復不能でありますよぅ」

「左様か」

「九郎君からもちゃんと云ってやって欲しいであります!」

「仕方ないのう」

「ちゃんとぉ聞いてるでありますか?」

「すまん、すまん」

「ううう……大体、噛みつくとか噛みつかないとか怪しい話であります!」

「せやなぁ……」

「……なんか急に関西弁になってないでありますか?」

「ソドップ」

「九郎君!? 聞いているであります!?」


 適当に酔っぱらいの言葉を聞き流すための返事さしすせそ──「左様」「仕方ない」「すまない」「せやな」「ソドップ」を使って、夕鶴が気の済むまで酒に付き合っている九郎であった。

 返事をしながら酒を互いに飲んでいくと、夕鶴もへべれけになり九郎の眠気も増してきた。

 疫病風装を脱いで、胸に刻まれた不調を直す術式を緩めれば酔うことができるようになったのも嬉しいことである。

 人はときに酔いたいこともあるのだ。今の夕鶴のように。それにしても九郎は眠かった。


「──というわけで臭くないであります!」

「そうだのう」

「試しに九郎君が噛み付いてみるであります! さあ!」

「ええ……」

「なんでありますか!? 九郎君まで臭いとか云うつもりでありますか!」

「ううむ、そうではないが……」


 酔いと眠気の倦怠感に、九郎は眉根を揉みながら適当に返事をする。

 体が大きいと体臭が強いらしい。

 それを気にしつつ、丁寧に洗われたのだからもう体臭は無いはずなのだから、噛んで確かめて欲しい。

 ということだ。夕鶴も酔っ払って正気ではないが、九郎も一々諌めるのが面倒になっていた。

 

(噛むぐらい良いか……)


 子供がじゃれているようなものだ。九郎は揺さぶる夕鶴に、かくんかくんと首を振って応えた。


「わかったわかった。ほら、噛んでやるから大人しくせよ……眠」

「いざであります」


 九郎は無造作な仕草で夕鶴の首元に手を触れて、その首筋に軽く噛み付いた。

 汗の匂いも殆どせずに、僅かに石鹸の匂いがするだけの舌触りがいいなめらかな肌だ。

 が、と歯を立てて。

 じ、と食いしばる。

 肌を突き破らぬ程度に、痕が残る力加減で、慣れたように。

 

「んっ……あ、」


 歯が肌にめり込み、首元の真皮を挟んでつまむ感触。

 夕鶴は結構な痛みと同時に、じりじりとした疼きを覚えた。

 できものを強く掻きむしったような、安心する痛み。

 

(……こんなものかのう? 眠い……早く終わらせよう)


 半分寝ぼけて、半分酔っぱらいの思考能力はかなり雑になっていた。

 九郎は僅かに顔を動かして、今度は二の腕の内側──脇に近いところを歯を立てる。


「いいいっふぅぅ……!? あ、あ……」


 夕鶴の吐息に熱いものが混じり、それを吐いた本人も意外そうに口を抑えた。

 そして九郎の顔を離そうと、ゆっくりと手を彼の頭に近づけると──今度は小指を噛まれた。 

 びくん、と背中が跳ねる。

 指を食いちぎるような強さではなく、痕を残すだけの甘噛だが。

 

「はぁ、く、九郎君、あ、うう、♥」

 

 指を噛まれている痛みと、何か知らないものが全身を火花がチカチカ灯るように駆け巡る感覚がした。

 酔いが一気に冷めていくようだ。そして、酒ではない別の熱いものが体を支配し、動けなくなりそうだった。

 続けて九郎が脇腹、腰、太腿に噛み跡を残して行く。

 噛まれる箇所が変わるたび、夕鶴は得も知れぬ心地に襲われた。

 同時に噛まれ終わった痕がじんじんと熱くなり、彼女の呼吸は浅く、次第に汗ばんで来た。太腿を噛まれたときなど、身をよじらせると僅かに水音がしたほどだ。

 そして九郎は心底眠そうな顔を上げて、


「……大丈夫であろう。夕鶴は美味そう……というかそんな話だったかのう……」


 美味そう。

 と、言われて夕鶴は心の臓が弾けるかと思うぐらいに鼓動を早くした。


(え、えと、九郎君から美味しいと思われるのが目的……だったでありましたか!?)


 彼女もかなり酔っ払って支離滅裂になっているのだ。

 そして噛まれた数カ所がじりじりと火箸を近づけているぐらいに、甘い痛みを発していてそれがむしろ気持よく、困惑している。

 何か呻いたかと思うと、九郎が眠気のみに体を任せたようにのそのそと這い下がって布団の上でごろりと横になり、


「眠い」


 とだけ告げて寝に入った。

 何が何やらわからなくなった夕鶴は行灯を持って、ふらふらと部屋から出て行く。

 汗をかいていた。

 歩くだけで太腿が汗で濡れてぬるぬるとする。

 彼女はひとまず、まだ湯を抜いていない風呂場に行って着物を脱いだ。汗を流し、頭を冷やさねば寝付けそうにない。

 脱衣所には鏡が置かれている。綺麗に磨かれた銅鏡に行灯の光が反射し、夕鶴の体を写した。


「あっ……」


 鏡に写った首元、脇腹、二の腕などには、赤い歯型が残っている。

 見下ろすと、太腿にも。

 

「じっ自分……酔った勢いでとんでもないことをやらかした……のでは」


 恐る恐るといった手つきで歯型に触れてなぞると、腰が砕けるような何かが訪れそうになる。

 じん、と僅かに疼痛を残している痕。

 夕鶴の口は半開きで喉はカラカラになり、だが視線は鏡から離せなかった。

 傷跡をひとつひとつ、大事なものであるかのように指でなぞる姿が写っている。

 首を、身体を、太腿を噛まれた記憶が、夢うつつの酔いの世界から一気に現実に蘇ってくるようだった。

 そしてそれを思い出している自分の顔が──見たことのない表情をしていて。

 太腿の噛み跡を撫でていた手で──足の付根に滴るあせ(・・)を拭った。


「んんっあ、あれ? おかしい、であります……っ」


 ──夕鶴は長い間、風呂場から出てこなかった。






 翌朝。


「酔った勢いでお風呂入ってそのまま湯船で寝落ちして風邪を引くなんて、夕鶴さんも案外抜けてるのね。先生みたい」

「まったくだぜ。ま、溺れないでよかったってとこかな。石姉みたいに」

「君たち! 私が酒中毒の間抜けみたいな中傷を流すのは止めたまえ! 李白じゃあるまいしそんなマヌケなことはしないよ!」


 唐の詩人李白は酔って湖に映った月を掴もうとして溺れ死んだ伝説がある。

 湯船に浸かって眠っていたところを朝発見された夕鶴は、さすがに身体を冷やして朝に布団に移されて看病されていた。

 

「へくちぃ──!! であります! おまけに二日酔いで頭ガンガンするであります! もうお酒なんか飲まないであります!」

「ふふふ、酒呑みがよく口にする実行不能な妄言だねそれは! 迎い酒でもどうだね?」

「これこれ、飲ますでない。今日は卵酒を飲んでゆっくり寝ておるのじゃよ。子守唄も歌ってあげるからのー」

「へくち! うう、何か昨日の晩に目覚めたというか気づいた的なものがあったような気がするけど、何も思い出せないでありますぅーわけわかんねーでありますぅー!」

「まあまあ、ほら葛湯でも飲んで」


 女衆から手厚く看護を受ける夕鶴の姿があった。

 すっかり記憶が酒で飛んでいるようで、いつものポンコツ顔だ。鼻水を垂らし、頭痛に涙目をしている。

 

「それにしてもお風呂場に虫も居たのかしらね。体に赤いところができてるわ」

「ふふふ……船虫は水死体が大好物だから齧られたのではないかね!?」

「いやでありますうう! あんなごきぶりの親戚みたいなのに噛まれたらお嫁に行けないでありますうう!!」


 幸いと言っていいものか、九郎の噛み跡は風呂に長時間入っていたせいで皮膚がふやけて、それが人間の歯型だとは気づかれない程度になっていた。

 そうこう騒いでいると、途方も無く眠そうな九郎フナムシがのそのそと部屋から出てきた。 


「どうしたのだ、朝っぱらから騒がしい」

「夕鶴くんが風呂場で寝ていたらどうやら船虫に噛まれたようでね」

「誰が船虫だ」

「え?」

「む? ……ああ、いや。虫の話か。それは大変だのう……」


 九郎フナムシは覚えていないことならば掘り返すこともないか、と適当に話を合わせた。責任回避に関しては定評がある。

 それから、夕鶴の僅かな噛まれ痕は無意識に彼女が掻くこともあり、中々消えないのであった。



「ぶえぇっくしゅちくしょおー!でありますぅ!」



(こやつの嫁ぎ先まで探すことには……ならんよな?)


 近頃仇討ちのことを覚えているのかも怪しいマイペースな娘を見ながら、九郎はそう危惧するのであった。


 

 




夕鶴ちゃんエロかもしれん・・・

※汗なので問題ありません

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