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9話『狐女に注意/需要を自作し供給するだけの商売』

ヨグ「ヨグちゃんだよ~! 今回の話で最初あたりはくーちゃんが狐とネチョるかネチョらないかするだけのまったく進行に関係ない文章なので、エロ同人展開求めてない人は下の******で分けてるところまで飛ばしてもまったく問題ないよ!」

 いろいろあった結果、九郎が案内されたのはとある稲荷神社であった。

 とても参拝者の居そうな場所ではない、寂れた境内だったが不思議と朽ちては居ない。そう言う場所だ。

 前を歩く者の案内で先へ進むと、本殿ではない社務所とでも云うような、併設された建物へと向かっているようだ。寝泊まりをする小屋に使われているのかもしれない。


「古来より狐は」


 巫女服と狩衣を足して割った、奇抜な旅芸人にも見える服装をしている女、阿部将翁は聞かれても居ないことを喋り出した。

 割りとこの薬師にして医者、陰陽師も兼ねている者も説明が好きな方だと九郎は思っている。天爵堂や、石燕のように。


「子供を大事に育てる生き物とされておりまして、ね。また、狐が祟れば人間の子供に憑くものとされている。故に、狐を子孫繁栄のために崇めて、畏れる神と位置づけてきた……そうですぜ」

「……ほう」

「狐神信仰と習合された稲荷信仰。その元々は荼吉尼天から来ているのですが、この荼吉尼天も出産や妊娠時に死んだ女の悪霊が集まって生まれたとか、また荼吉尼天の加護を得て呪うためには性交の儀式が必要だとか……」

「……つまり、何が云いたいのだ」


 将翁は半面を被った顔を振り向かせて、口の端を僅かに吊りあげる笑みを浮かべて、告げる。


「つまりは、この稲荷神社で子作りするのは──問題ないということです、よ」

「はあ……」


 がっくりと九郎は溜息をつきながら俯いた。

 百両の借金を返すという目的に於いて。

 それを踏み倒せるのならば、誰だとて百両(約800万円)など手放したくはないだろう。

 他人事ではないので九郎が肩入れして交渉した結果が、将翁を囲って子作りすることになったのである。

 馬鹿な、と九郎も思わなくもないが。

 例えば嫁入りの持参金にお八の実家からは百両を渡されている。それと同額の金をチャラにするのだから、理屈の上ではあり得る話である。

 どちらかと云えば、六科がした借金ではあるが。

 将翁の手術で救われた豊房との関係も思えば、九郎が被るのも仕方がないものであった。

 不純である、とも考えるがそれについて深く突っ込むほど九郎は綺麗な身の上ではない。百年も生きればそんなものだ。


 小屋に入ると、いつ、誰が敷いたのか布団が敷かれている。

 放置されて蚤だらけになっているようではなく、干した匂いが薄暗い室内に漂っていた。

 見回すと部屋の中には、薬酒の匂いがする角樽と酒盃が置かれていたり、人を縛っても痛くないようにけば(・・)を丁寧に焼き取り油を染み込ませた縄が置かれていたり、何に使うのやら鈴やら布やら紙縒りを束ねて作った鞭などもあった。


「さて」


 将翁は振り向き、両手を合わせて九郎に顔を寄せた。 


「なァに、これも何かの縁でございますよ。金が払えぬのならばやむを得ない手段、というやつで。九郎殿も仕方ないし、あたしも仕方なくこれで解決してしまいましょう」


 殆ど口が触れるぐらいに近づいて、薬の染みこんだ指を九郎の手に絡ませながら彼女はそう云う。

 

「仕方ないこと、か」

「左様です、ね」


 九郎が確認のようにそうつぶやくのを、将翁は嬉しそうに返す。

 近くで見る彼女の頬は、普段の飄々とした笑みを浮かべているときよりも赤みがかっている。目や口にも水気が増し、潤んでいるように思えた、

 己の衣を片手で脱がさんと軽く摘んでいる将翁の指を解いて、九郎は云う。


「そのことだがのう……お主にそこまで、仕方ないからと妥協させて恩を返すのもどうかと思ってきてな」

「え」


 動きが止まる。九郎は目を細めて、彼女の戸惑った顔を見ながら云う。


「やはりどうにか金を作って持ってくることにしよう」

「いや、あなた……そんな……」


 唖然と口を開いてつぶやき、彼女は首を横に振った。


「……返済の延期はあたしの裁量ですぜ。今この場に無いということは──」

「実は前借りして持ってきた」

「え」


 九郎が懐から、二十五両に束ねた小判を四つ取り出して見せる。

 つまりは。

 最初から金を持っていたのにここまで焦らされていたというわけで。 

 将翁は酷く困った顔をして、「いや、その」などとはっきりしない言葉を口から漏らした。


「あんまりじゃ、ございませんかね……」

「うむ? 何がだ? 己れは六科がした借金をそのまま代理で持ってきただけだが」

「そうですが……ほら、あるでしょう? こう……お膳立てというものが」


 敷かれた布団などを意識しつつ、言い淀んでいる将翁の気配には懇願すら感じた。

 九郎はあっけらかんとした顔をして肩を竦めた。


「何がだ? よくわからんのう」

「……」

「己れからお主にくれてやるものは金だが、お主がどうかして欲しいのならば頼み方というものがあるだろう」


 将翁が九郎からやや離れて、逡巡の様子を見せる。

 明らかに彼はわかって言葉で嬲っていると彼女も気づいていた。借金という弱みにつけ込みこちらから無理やり、という風に主導権を取ろうとしていたのだが、立場がいつの間にか変わっているようだ。

 

(……どちらにせよ、始まったら向こうの思うがままにされるのですが……)


 ほんのちっぽけな優位性を保とうという心が徐々に折れ始めている。

 本来ならばそういうことは無いのだ。 

 色気で誘うときにも妖しく惑わし、昂ぶった相手を上から鎮めるようにあくまで余裕を持って相手をするのだが。

 あまりに──九郎が相手の場合は自分を保てることができなくて。

 衣擦れの音。

 将翁が着物を脱ぎ、裸体を晒した。 

 胸が大きく柔らかで、やや垂れているのは子供を産んだ影響だろうか。しかし妊娠出産時は少し黒ずんでいた先端の色も、発情してか桜色に戻ってかたくなっている。

 白い肌だ。長らく野外を歩きまわり、薬草を摘み、調合したものを売り歩く仕事をしているにしては日焼けはまったくしていない。そういう体質だ。

 室内のむわりとした熱気に、薬の匂いがする体臭と雌臭さが混ざった。 

 彼女は足袋まで脱いで全裸になり、布団の上で三指をついて土下座をした。

 

(ぞくぞくと……)


 して、その白い背中が何度か触ってもいないのにビクビクと跳ねる。

 屈辱的な、と或いは普通なら思ったかもしれない。権力者を前にしても慇懃無礼な謎の薬師にして陰陽師、阿部将翁。それが裸を晒し、頭を下げて頼み込んでいる。 

 ちらり、と目を上げると、男の目は。

 犬を前に餌を取り上げて、鳴いて願う愛玩動物を見るような──

 そんな目をしている。


(ああ……)


 まさに、情けない雌犬となった彼女躰が熱で浮かされ、そこかしこがしとど(・・・)に濡れぼそるのを感じた。

 


「どうか……お情けをください」



 恥も外聞もなく、ただ女は男を求めていた。 

 嗜虐心に満ちた男の手が、爪を立てるように荒々しく女の体を──





 *******





 解説もうそうを続けていた歌麿に、九郎は電気ショックを与えて止めた。

「のくたっ!?」と妙な悲鳴を上げて黒焦げになった少年だったが、まったく応えていないようですぐに起き上がり眼鏡を正してこう主張する。


「──という『布団やくざで借金チャラ作戦』で行くマロ!」

「名称が率直過ぎるし行かねえよ」


 阿部将翁から請求されている治療代百両に関しての会議がむじな亭の二階では開かれていた。

 参加者は九郎と六科、そして歌麿だ。こういう借金の話は女子供にするものではないし、臨月に入りかけているお雪に心の負担を掛けるべきでもないと判断してこの三人が知恵を絞ることにした。

 そして真っ先に挙がったのが歌麿の提案するそれである。妄想をぶちまけるが如くに彼は語りだしていたのだ。

 得意満面な顔で説明する。


「兄さんが将翁さんを落として金を払わないことにするという、遊郭でもごくごく稀に発生する女を引っ掛けて逆に金をむしり取る技術!」

「持ってねえよそんな技術。というか何だ。将翁が名誉毀損で訴えてくるぞ」

「なあに兄さんもどうせ将翁さん相手は慣れてるっぽいんだから問題なしマロ。五年ぐらい前に十日ばかり、毎日将翁さんの匂いを付けて朝帰りしていたことが」

「ちょっと待て。そのリアルっぽい嘘は止めろ。周囲に誤解を招──ああほら! 六科の目つきが冷酷な殺人機械みたいな色になっておるだろう!」


 とりあえず歌麿の首を締めて妄言を止めさせた。

 

「まったく……こちとらもう百歳になるのにそんな生々しい話をするでない。助平爺じゃあるまいし女誑めたらしのような元気があるか。というか身内ネタで妄想するな。普通に気分が悪いものだぞ」

「はあ!? ボクは基本的に出会った人老若男女問わずに妄想していますがそれが何か!? むしろボクだって将翁さんにいい子いい子されながら手ほどきされたい! 純情なフリをして!」

「普通に気持ち悪いわ。というかなんで裸土下座が出るんだ」

「ああいう気位高そうな人が裸土下座で助平なことを頼むのがいいんじゃあないか! それに裸土下座ぐらいなら少年が読む黄表紙に出るぐらいの描写だから年齢制限的にも[可]って感じだし!」

「どこの少年漫画が裸土下座なんぞ出すんだ」


 うんざりと云うと、脳内に語りかけてくる魔王と侍女が告げてきた。


『そういうヤンキーのイジメに出そうなエロ展開をするのはきっと少年マガジンだね!』

『!? と記号を浮かべ致します』


 九郎は頭の近くに浮かんだ[!?]を打ち払って消す。勝手に異界から干渉しないで欲しいものである。


「九郎殿」


 がしり、と九郎の肩を分厚く太い腕が掴んで断言するような言葉が六科から掛けられた。

 

「……お房を嫁にしたら、夫の勤めは努力をするように」

「だっ、だからちゃんとした婿を探せとあれほど……」

「うむァァァ」

「なんだその唸りは。威嚇か。ええい、その話は後だ」


 手を打ち鳴らして話を戻す。


「とにかく。将翁をどうこうするのは置いておき……己れ達はやらねばならぬことがある。

 六科の店で出す蕎麦を将翁が認める旨さにするか。

 百両の金をどこからか調達するかだ」

「はい!」


 歌麿が手を挙げて九郎に問う。


「話によると兄さん、お八ちゃんの持参金で百両と、豊房ちゃんの持参金で五十両貰ってるマロ? それから払えば?」

「馬鹿者。貰っておらぬ。預かっておるだけだ。そりゃあ確かに、事情を話せばお雪の次に産まれる子の命が掛かっておるのだから二人も、或いはお八の実家なども貸してくれるだろう。

 しかしそれは最終手段だ。まともに、自分らの力だけで金策にも走らずに知人から借りれば解決するなどという方法を真っ先に取るのはいかんぞ」


 云われて、歌麿は神妙に頷いた。

 九郎の云う通り、百両をどうにか他人から借りる方法はそれなりにある。お八とその実家は元より、鹿屋など九郎が関わった商店から少額ずつ援助を頼んだり、或いは浅右衛門に謝り貰った刀を質に入れさせて金にすることも可能だろう。

 故に、いざ金が足りずに子供が奪われるということは無いという予防線を引きつつ──

 可能な限り自分らで金を用意する手段を講じるのである。


「……というか、六科が旨い蕎麦を打てればそれで解決なのだが」

「うむ」

「無理か?」

「俺としては自分好みの蕎麦を作っているのだが……」

「……ちょっと待っておれ」


 六科の味覚センサーをチェックするために、九郎は一階から蕎麦の材料の一部を持って上がってきた。

 

 ☆材料:そば粉・お湯・醤油


 ☆調理:どんぶりにまずそば粉を入れて上からお湯と醤油を適量注ぎ、よくかき混ぜましょう。


 それを、六科に出してみた。でろでろの醤油味蕎麦湯みたいな物体である。六科は一口すすり、醤油を足して味を調整した後にそれを飲み干した。


「うむ。うまい。そうか……これで良かったのか……」

「よく無えよ!?」

「どう見ても不味い汁マロ!」


 六科の舌は基本的にしょっぱければうまいと感じるらしい。一番の御馳走が、麦飯に醤油をかけ回したものだという。

 そんな彼に他人を唸らせる料理が作れるだろうか。


「まったくの分量通りに作れれば良いのだが……」

「味見が意味を為さないのが痛いマロ。おまけに勝手に味を足したり引いたりするから、どうあっても醤油汁に近づくマロ」

「どうしてお主は機械的なのに中途半端なところが雑なのだ。イモ子を見習え」

「そう言われても」


 むっつりと腕を組んで呻く六科。

 本人としても美味さの追求を行っているつもりではあるのだが、それが世間一般とはずれているのだ。

 そして江戸という社会では現代に比べてしょっぱさがジャスティスめいた風潮もあるので、彼の方向性が大きく間違っているわけでもないのが矯正を困難にさせていた。


「いっそ、六科さんの方向に美味しさの基準を向けるとか」

「というと?」


 歌麿の提案に九郎が聞き返す。


「雑司ヶ谷の方に美味しい蕎麦を出すお店があるマロ。そこの特徴は何より蕎麦つゆが濃くて、ちょっぴり漬けるだけで十分というところで、ボクも行ったけど中々のものだったマロ」

「なんという店だ?」

「特に店名は……ただ藪の中にあるから[藪蕎麦]とか土地では呼ばれているみたいだけれど」

「藪蕎麦か。確かにあれは濃いのう……」


 九郎が持っている知識は現代日本での藪蕎麦だったが、確かにあれは濃いつゆで売っている名物蕎麦だ。

 秘伝のつゆは再現ができなくとも、味の方向性としては蕎麦の香りを活かすことができるだろう。普段店で売っているのは掛け蕎麦だが、六科の腕前を考えれば細かな改良よりそのものを変えたほうが良いかもしれない。

 はっとしたように六科が膝を打って提案する。


「いっそ、つゆを醤油だけにすれば……!」

「どれだけ醤油に信頼感を持っておるのだお主は。そこまで来ると手抜き蕎麦といった感じだが……」

「でもあの店のつゆ、どうやって作ってるマロ?」

「変わったモノで出汁を取っているわけではあるまい。多分、醤油と酒で大量の鰹節を煮込んで寝かせれば似たようなものは作れるだろう」


 流通の都合や原価から考えれば、現代のようにカプチーノつけ麺だとかドライトマト蕎麦つゆだとか妙な凝り方をしているとは思えない。昔ながらの、鰹節でしっかり出汁を取った醤油味の蕎麦なはずだ。

 

「ひとまず盛り蕎麦風のそれを出してみて、客の反応を見つつ味の調整をしていくか……?」

「微妙に兄さんの舌も、あんまり大衆向けってわけじゃないものね」

「濃すぎるのはちょっとのう。医者に止められそうで」


 一応大抵のものは食える九郎ではあるが、生まれてから二十代後半までは現代日本で育ったので味覚の基準がそこにある。

 具体的には江戸での料理がしばしば塩辛過ぎて感じることもあった。なので彼を基準にしても、一部の料理では一般受けしないことがあるのだ。


「となると客を呼ばねばならぬな。また宣伝広告を打つか。こう、目を引くような良い広告はあるか?」


 一同は瞑目して良さそうな広告を考えた。

 まず筆を取ったのは意外なことに六科であった。

 彼も彼なりに、これから産まれる子供のことを真剣に考えて積極的に問題に当たろうとしているのだ。

 歌麿が用意した記録用の半紙(数枚は既に将翁のエロ絵が描かれている)を取って、筆を動かす。

 そして力強い書体で、縦書きにこう記した。



『もりそば(かわいい)』



「パチもんじゃねーか!」


 快音。九郎の使うアダマンハリセンの一撃が六科の頭頂部を張った。

 豊房から返却された打撃武器である。込められた魔法は収納性(折りたたむと袖に入れられて、一瞬で取り出せる)とツッコミ度に合わせての威力だ。それに中々頑丈で、悪党を殴るにも使えそうだった。

 なお返却された理由が、石燕から「暴力ヒロイン? いいんじゃあないかね?」とニヤニヤ企む笑みで言われたのでそれにはなるまいとしたことからだ。賢明な判断である。

 ともあれ、『もりそば(かわいい)』。エムとかエフとかそんな感じの文庫から出されていそうなタイトルでとても危険を感じる。

 

「これは……駄目だ。というか何がかわいいのだ。作ってる六科にかわいいところ無えよ」

「お雪はかわいい」

「のろけるな」

「考えていたら、何か啓示のように脳内に囁きかけるものを感じたのだ。『もりそば(かわいい)』を出せと。なあに江戸時代に出したことにすれば版権的に大丈夫だと」

「駄目だろう。完全に駄目だろう。というか囁きかけてるのどこぞの魔王だろうそれ」


 とにかく否定的な九郎を、歌麿が手で制した。そして筆を取って『もりそば(かわいい)』に何かを書き加える。


「いや……待つマロ! ここはこうすれば……!」



『もりそば(かわいい) 挿絵 喜多川歌麿』



「パチもんの癖に価値を上げて来やがった!」

「いける……!」

「いけるわけがあるか!」


 エムとかエフとか文庫のパステルカラーな髪色少女(赤かピンク率高し)が表紙を飾っているのに混じって、歌麿の大首絵があったとしても完全に購買層が違うだろう。

 

「でもこうしてお客の目を引くのはいいと思うマロ。なんだこれは!って興味を持ってくれればお店に入ってくれるから」

「それはそうだが」

「いっそこうして語りかける感じにすればどうマロ?」

 

 新たな半紙に歌麿が書き記す。



『俺のもりそばがこんなに可愛いわけがない』



「やはり電撃的にパクっただけではないか! というか何が可愛いのだ何が!」

「ボクは可愛い!」

「もう18だろお主!」

「今でも女装すれば十分いけるマロ!」

 

 口論をしていると唐突に薩摩芋が入って来た。

 童話的唐突感だが、人間大サイズの薩摩芋に手足のついた薩摩のマスコットキャラクターである。芋の頭の方に、アホ毛のように葉っぱがちょろりと伸びている。

 その芋は三人が動きを止めて見ているのを気にせずに、半紙を奪いとって裏にさらさらと書き記した。



『オイのもりそばがこげンむぞかはずがなか』



「薩摩弁にしただけではないか!」

「もう怪文書になってきたマロ……」

「というか何だこの芋は」


 怪訝な様子の六科に応えるように、芋は自分の体を叩きながら声を張り上げて云う。


「九郎どンが困っちょっこつは他人事では無か思うて駆けつけたとよ!」

「うむ……完全に他人だよな」

「よかやらい! おいも手をば貸すがよ!」

「そ、そうか……」


 勢いに思わず頷く他はなかった。誰に聞いて駆けつけてきたのだろうか。 

 そして急に勢いを静めて芋は告げてくる。


「なお今のは、芋の姿をして自分を[おいも]と呼ぶダジャレだと説明致します」

「今声変わらなかった!?」


 何故か解説の時だけやたら冷静な声になる芋に一斉にツッコミを入れた。

 九郎は微妙そうな顔で、じろじろとその芋から伸びているアホ毛を見遣る。手足もキグルミ風になっている──通常薩摩人のゴツい腕と毛の生えた足がマスコットにふさわしくないので──から中に誰が入っているかは外からはまるでわからないのだが。

 芋はひとまず座って静かになったので放っておくことにして、


「とにかく、まずは試作してみよう」


 醤油フリークな六科が一階に降りて行き、割りとすぐに戻ってきた。


「大変だ」

「どうした?」

「今は夏場だから、良いそば粉が無い」

「条件が更に悪くなった!?」





 ********





 夏蕎麦は犬も食わない、と昔は云った。

 今でこそ高地栽培や、オーストラリア・ニュージーランドなどの南半球で栽培した蕎麦を輸入できるので夏場でも香り豊かな蕎麦が食べられるのであるが、そうでない昔は夏蕎麦の品質が最悪だったのだ。

 黒っぽくて香りが抜けてぼそぼそしていてどこか苦味(・・)すらあった。梅雨を越しているのでカビが混じっていることもあり、今では想像もつかないような不味さだ。一部の夏場でも取れる信州信濃などの蕎麦は予め契約している商人が取り扱い、木っ端蕎麦屋では手に入らない。

 旨い蕎麦を作る計画は、季節的な理由で頓挫した。

 

「信州まで飛んで行っても、農家が直接蕎麦を売ってくれるというわけにはいかぬからのう……」

「大事な年貢マロ」

「このような時期に期限を迫るとは……」

「一応云っておくが、これまでに一度でも将翁が納得する蕎麦を出せていればそれで解決だったのだからな」

「むう」


 九郎が店にいる間はそれなりに味も保たれていて、変わり種の蕎麦も出していたのだが。

 それでも合格されていないということはその基準も高いはずである。


「素材さえ良ければなるたけ六科が手を付けずに良い味にできそうだったが……この分では無理か」


 となれば、


「やはり金を稼ぐ方向に行くか」

「でも百両マロよ? ええと、期日までひと月、三十日と過程して一日に稼がないと行けない額は……」


 歌麿がそろばんをはじき出したが、九郎は芋に視線を向けると芋が計算したことを喋った。


「1両を4000文と換算して40万文を稼ぐには1日に約13333文の稼ぎが必要致します。16文の蕎麦に換算して約833杯の売り上げが必要ですが、原材料費を3割と過程すれば必要な利益を得るのに実際は1083杯の売り上げが必要致します。

 営業時間を1日12時間とすれば1時間あたり常に約90杯のペースで販売致さねばなりません。また、蕎麦を茹でるのに必要な水の量を一人前あたり2升(約3.6リットル)とした場合に出る排水は1時間あたり18斗(約324リットル)に及びますので長屋の排水機構を考えれば現実的では無いと判断致します」

「やっぱりお主イモ子だろ!?」


 ペラペラと喋る聞き覚えのある口調に九郎はツッコミを入れる。

 魔王の侍女イモータルが中に入っているに違いないと判断致したのだ。

 しかし芋のキグルミは顔もついていないので表情もわからぬが、


「オイは唐芋じゃっど」


 と、機械合成されたような薩摩ボイスで返事をするのみであった。

 九郎は歯噛みするものの、ここで中身がイモータルだと明かしたところで何があるわけでもない。

 計算の得意な芋のマスコットだと思い込むことにして、ひとまず話を戻した。


「これが売り上げ単価の高い酒やつまみでも、百両稼ぐとなると膨大な数を売らねばならぬ。数年掛けるならばともかく、一ヶ月ではどこも無理だろう。やはり店の営業以外で金を稼ぐ必要があるのう」

「しかし……どうやって?」

「まあ待て。まずは己れの手持ちに10両ある」


 九郎は懐にいれた財布から小判を取り出した。鹿屋への助言料と、朝顔の売り上げの残りである。

 持ち歩くには大金だが、必要となる度に女から引き出していたこれまではひょっとして世間体が悪かったのではないかと気づいてこうして自分で稼いだ分を持っていることにしたのだ。

 

「これだけ元手があれば、どうにか金を稼ぐことも可能だ。なに、残り90両稼ぐだけだろう。己れはいつでもどうにかしてきたのだ」


 無一文から稼ぐのと目標金額の十分の一から稼ぐのでは天地の差がある。10両もあれば、仕入れもできるし屋台だって作れるだろう。

 九郎の力強い言葉に、六科と歌麿は真剣に頷いた。芋は器用に茶を用意して出していた……







 ******




 


「さあ! 丁か半か! 出揃いましたかい!?」






 *******





 翌日。


「残り100両を稼ぐだけだ。己れはいつだってどうにかしてきた……!」

「全部スってきてるー!?」

「……むう」


 丁半博打で一晩で初期資金を失った。

 肝心なときに当たらない男であるが、彼は恨みがましく、芋ご飯のおにぎりをせっせと握っている芋を見ていた。

 朝飯代わりであるが、塩を少し入れて固めに炊いた米にぶつ切りの薩摩芋が混ざっていて、中々に腹に溜まって旨い。

 九郎が賭場に向かった翌日に再び集合して会議を開いているのである。


「おのれ……賭場に芋は入れぬと拒否されてな」

「当たり前だよ! なんで芋のキグルミと賭場に行ってるの!? そっちのほうがびっくりだよ!」


 九郎的には、芋の中に高性能センサーを完備して高精度の未来予測すら可能だったイモータルがいれば、壺の中で振られたサイコロなど余裕でわかるだろうとインチキをする気満々で連れて行ったのであるが。

 入り口で芋は追い返され、その芋も夕飯の支度があるからとあっさり何処かへ帰っていったので一人で挑む結果になるのであった。

 そして、おもむろに負けて戻ってきたのである。


『異世界で使ってたあの魔剣、使用者の幸運値下げるからねー』


 と、役に立たない解説を素寒貧になってからヨグが告げてきたが、どうしようもなかった

 以前は持ち前の幸運で結構勝てたりもしたのだが、昨晩はまさに運が落ちたように負けが込んでしまったのだ。


「こうなれば覚悟を決めねばならぬな……」

「将翁さんとネチョする覚悟を?」

「違うわ馬鹿者。……いいか、或いは別の手段を取ったほうがいいかもしれんが、身内に迷惑を掛けずに稼ぐ手段が残っている。それを実行する覚悟があるかどうかだ」


 一晩で十両失い男は皆を見回し、重々しく云う。


「汚いことに手を染める覚悟だ」

「……兄さん、それは」

「待て。言い換えよう……『娘のためにならば汚いことにでも手を染める覚悟』だ」

「あっ今ちょっと言い換えて、雰囲気的に許され感を増させた!?」

「……聞こう」


 六科が頷くので九郎は話を続ける。


「真っ当な商売では百両は稼げぬ。なので、真っ当ではない商売で稼ごう」


 九郎は若いころ、そう云う怪しい商売も多く見てきた。

 ヤクザ系の組織に与していた九郎だが一応前科者になるような商売には直接は関わっていないが、その仕組みだけは知識にある。


「元手は掛からず、値段は自由。上手く行けば一発で百両を稼げる」

「それって詐欺なんじゃ……」

「相手にはしっかりと商品は売りつけ、納得させれば問題はあるまい。詐欺ではなくそうだな……霊感商法に近いかのう」


 そうして九郎はその場の皆に段取りを説明した。

 




 ******





 品川、天竜寺近くに屋敷を構える薬種問屋[清水屋]。

 悪どい商売と女郎宿、やくざの元締めとしてこの品川でも[御大尽]として通っている金持ちである。

 表店としては薬屋ではあるのだが、屋敷内に用心棒として無頼を多く住まわせているそこは、当然ながら男盛りである彼らとしても屋敷内にいるのは退屈で仕方がない。

 いつもならばそこらに遊びに出かけても問題はないのだが、ついこの前に屋敷が盗賊に襲われ、数名の用心棒が犠牲になる事件が起きたばかりだというので屋敷で警戒させているのである。

 いっそ女でも呼ぶかと思うぐらい暇であった彼らへの対応で、店の主人・清水屋吉右衛門も苦慮していた。

 そんなところで、


「貸本で~す!」


 と、店に葛籠を担いだ若い男の声が響いた。

 眼鏡を掛けた線の細い女顔の青年──歌麿が、頭に手ぬぐいを撒き多少の化粧をして売り歩きに来たのであった。

 多少の、というが元本業の腕前は本格である。

 注意をしてみなければ化粧をしていることも気づかないであろう僅かな痕跡だったが、歌麿の顔つきを何処か女々しい雰囲気に変えていた。その気配の出し方も昔とった杵柄なのだろうが。

 

「どうも。吉原の[つたや]がやってる貸本売り歩きです! [吉原細見]から浮世絵なんかもありますよー」

「ほう」


 吉右衛門は興味を持って、歌麿に近づいた。

 中々の腕で描かれた美人画や役者絵もあり、吉原細見は今人気の遊女の解説などが書かれたアングラ紙のようなものだ。[つたや]は吉原内で歌麿が関わっているモグリの版元で、それの許可を貰ってこうして販売に出てきているのであった。

 しかしながら、無聊をかこっている部下たちの慰めになるだろうか。これを渡して、順番に休みを与えて吉原にでも行かせれば不満も落ち着くだろうと考える。 

 ふと、吉右衛門は目についた絵を手に取った。


「これは?」


 そこには歌舞伎のように顔に隈取りをした、厳つい修験者風の男が妖怪の[火車]を鎮めている絵である。

 何が目立ったかというと、鮮やかな赤色で妖怪の炎と隈取りを描いていたからである。

 日本では古来より、赤の顔料は大変に高級品であった。千年以上も掛けて、赤は神秘的で高貴な色であるという意識が染みこんであり絵に使えば必ず目を引いたとされる。これは明治時代に安い赤絵の具が海外より入って来て、一気に大衆の色に落ちるまで続いた。

 葛飾北斎の代表作、赤富士などは現代人が見ても圧倒される赤の色使いだが、当時の人では卒倒した者まで現れたという記録が残っているほどだ。


 わざわざ赤色を使ってその絵を描き、相手に注目させる作戦に成功した歌麿はにっこりと笑って説明する。


「それは近頃江戸で有名な修験者にして退魔師、[八代目果心居士]様でございますよ!」

「八代目……果心居士ぃ?」


 果心居士というと、と吉右衛門は記憶を探る。


(戦国の伝記本に登場した呪い師か何かだったか)


 織田信長、松永久秀、豊臣秀吉などに妖術を見せたという幻術使いのことである。その正体は手品師、詐欺師、仙人、妖怪、忍者、サンジェルマン伯爵など様々な説がある。


「ええ。なんでも徳が高くてありがたく、怪異化物を調伏させる専門家だとか。有名で確実な分、依頼料は高いらしいですけど」

「ほう……」

「ギアナの高地で修行を積み、インドの山奥で悟りに目覚め、日ノ本の妖怪を退治して回ってるとかでして!」

「そりゃあ大変だな……ギアナノコウチってどこだ?」

「え? さあ。高知っていうぐらいだから土佐のことじゃないですかね」

「なるほど、土佐か」


 四国にギアナ高知県爆誕。

 歌麿も九郎に言われたとおりの解説を入れているので知らないのである。

 そうしていると店に入ってくる新たな影があった。


「邪魔をするぞ」

「おや、あなたは同心の手先の」


 吉右衛門はちらりと見かけた九郎の姿を認める。

 先日の盗賊騒動で晃之介、影兵衛らとやくざを交えて大暴れすることになった九郎は、事後処理でこの店主と顔を合わせているのだ。 

「何かまた事件でも」

「いやいや、うちの親分が一応この辺りをまた見廻りしておけというのでな。うむ? 貸本屋か」

「はい! 浮世絵もありますよ!」


 と、お互いに見知らぬ顔をして挨拶をした。

 勿論、清水屋吉右衛門から見てもその日たまたま訪れた貸本屋と、前に少しだけ関わりがあった同心の手先など。

 つながりがあるように思えるはずがない。


「おお、これは八代目果心居士の絵ではないか」

「ご存知でしたか」

「うむ。近頃では珍しい、本格の退魔師として名を馳せているらしいぞ。特に火事避けになるというのでな」

「火事に、ですか?」


 吉右衛門が聞き返すのを、九郎はほくそ笑んで付け加える。


「世の中の不審火というのは何も火付けだけではなくてな、怨霊悪霊が火事の原因になるようだ。考えてもみよ。吉原だの、品川だの、深川などは大火で尽く焼けておるし火事騒動も多いだろう。それは無残な運命を辿った女の霊が、火となって恨みを晴らすかららしい」

「……確かに」


 納得できるものがあり、吉右衛門は頷いた。

 しかしながら、実際のところ江戸の街中どこでも火事は起きているのだが「ここでは特に何度も起きている!」と人から一部分だけ抜き出して指摘されるとそういうものかと思い込む詐術の常套手段であった。

 また、実際に岡場所で火事が起きやすいのもそうだがそれは夜中まで行灯などの照明器具を使う量が他よりも圧倒的に多いので、出火元になるだけだ。

 おまけに、九郎は後々のことを考えて「~らしい」とか「~のようだ」などと云った伝聞しか殆ど云っていないのであった。


「この果心居士に祈祷させればピタリと炎も止むようでな。どこぞの大名屋敷でもこぞって頼んでいるとか」

「ほう……」

「まあ百両ほど掛かるらしいから己れのような貧乏人は、そんな金があれば焼けた家でも建てなおすがのう」

「今は御殿山の桜の樹の下で瞑想しているらしいですよ。凄い集中力でまったく動かず、鳥とか止まってました」

「ほう。それでは後で見に行こうかのう……ではな」


 九郎はそう云って店から出て行った。

 傍から見れば来る必要のない同心の手先がふらりと現れて、偶然話題であった呪い師について延々と宣伝をするだけして帰って行くという不審な状況だったが。

 当事者同士のつながりをまったく知らない吉右衛門からすれば、不審に思う判断材料は無くて──単にそう云う者がいるということだけ頭に強く残る結果となった。


「それじゃ貸本屋。向こうでうちの若い衆らに売ってやってくれ。売れた分だけ、わしが纏めて精算する」

「はい! ありがとうございます~」


 そうして歌麿は販売に戻った。 

 何も起きなければ、翌日には忘れていたかもしれないちっぽけな情報は。

 その夜に強く喚起される。




 *******





「はぁ~、ションベンションベン」


 やくざの一人が灯りの消えた屋敷の中を、厠へ向けて歩いている。

 仲間の数人は休みを貰って吉原なり品川なりでしっぽりとやっているのに、まさに貧乏くじを引いて留守番をしている数名の一人であった。

 確かに近頃は仲間が数人殺されたが、所詮チンピラ同士のつながりだ。命のやり取りが怖いやつは辞めているし、そうでないやつは仲間が死んでも三日もすればどうとも思わなくなる。

 べたべたと足音を鳴らしながら進んでいると、妙に空気が暑い。


「くそっ……どうなってんだ?」


 そして、廊下の先。

 誰も使っていない部屋がひとつあり、障子越しにその部屋には小さな灯りが点いているのが見えた。

 

「うん? 中に誰か……」


 手を掛けてゆっくりとその障子を開くと。

 

 巨大な炎が渦を巻いて、部屋の内側をなめ尽くし、熱気が吹き荒れた。

 

 腰を抜かして後ろに下がり、やくざは叫んだ。


「かっ火事だァー!!」

 

 一気に屋敷の中は怒号と駆け足の音が鳴り響く。

 火事となれば逃げねばならないのが普通だが、そうは行かないのも江戸の事情である。

 自分の店が火元な火事が広がれば、その責任を取らされ良くて遠島に流され悪ければ死刑になる。

 だが門の内側にて内々に消し止めれば小火だったとして誤魔化せた。

 そこで血気盛んな火消しにも負けぬやくざどもが、己の食っちゃ寝をする職場を守るために井戸水やら布団などを持って慌てて駆けつける。血の気を失せさせた主の吉右衛門もそうだ。こんな不意の出火で、長らく儲けてきた己の地位と財産を失っては死んだも同然だ。

 そして──。

 集まった皆が、一様にその炎の異様さに口を開けて震えた。

 巨大な、まさに妖怪の[火車]が回っているように渦巻く炎は部屋の内側で燃え盛り──そしてただそれだけで、ずっと留まっていた。

 周囲に燃え移らず、空気自体が燃えて、炎を維持している。

 異常な光景であった。

 更に、


「なんか……なあ、火がこんなに近くて熱いのに、とんでもなく寒くないか……!」


 そう隣のやくざに呼びかけたが、その相手も体を抱いてガチガチと歯を鳴らし応えた。

 真夏の火事現場なのに、背中を雪で冷やされたように寒い。

 その異常な状況にやくざが、従業員が、吉右衛門が感じるのは同じ感情──恐怖であった。


 無論、これは姿を消した九郎の行っている術符によって起こっている。

 魔力の炎を調整して燃え移らぬようにし、また周辺の温度を氷点下に落として恐怖を助長させていた。


(かなり効いておるようだ)


 その後も人を焼かぬように炎を動かし、庭や廊下に出現させたりして屋敷内を大混乱に陥らせる。

 逃げるに逃げきれない。正体不明の怪火と共に、怪奇な叫び声も響き渡る。


「チェエエエエエイ! チェエェェェェェイ!」


 消えた芋(インビジブルポテト)から発せられる怪音波が屋敷の外まで聞こえ、何事かと見廻りがやってくる始末だ。

 しかし見廻りにも上手い説明はできないだろう。

 謎の火の玉が屋敷に現れたり消えたりしていて、家屋は焼けても居ないのだ。

 ただ屋敷の者は、不審な火と異様な寒暖差、壊れたスピーカーから延々と流れる悪夢のごとき猿叫に恐怖するしか無いのであった……





 ********





 ──品川からほど近く、御殿山を桜の名所として一般開放したのは、八代将軍吉宗である。

 それにしてもこの将軍、御殿山に桜は植えるわ飛鳥山に桜は植えるわ、隅田川の両岸一里に渡って桜は植えるわでかなりの桜好きである。

 「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」という中国の箴言があり、意味は桃やすもものような美しい花の咲く土地には自然と人が集まるというものであるが、それを目指しての行いだと言われている。

 さて──その花も咲かぬ時期なので見物客も少ない御殿山にて、桜の樹の下で不動のまま座禅をしている白装束の男がいる。

 修験者風であり、顔は隈取と化粧をして頭は頭巾で隠しているので一見ゴツい僧だが、歌麿に変装をさせた六科であった。

 彼の役目は退魔師八代目──単に将軍と同じ八代目にしただけで、深い意味は無い──果心居士になりすまし、怪異である九郎を退治するというものである。

 そう、まあつまり──自作自演の退魔劇をして金をせしめる作戦であった。


『なに、向こうは金蔵に数千両の金が唸っておる金持ちだ。少しばかり法外な金を貰ったところでまったく向こうは困らんし、むしろ自作自演とはいえ悪霊の恐怖から開放されれば気分もよくなるだろう』


『これが犯罪ならば世間の霊媒師だとか宗教家も違法のようなものだ。ただまあ、ちょっとばかり直接的に被害未遂を与えるだけで』


『違法性はまったくない。むしろ悪徳商人にちょいと灸をすえるのだから良いことだと思うぞ』


 などと九郎の理論武装に乗って、こうして六科は仕掛けが成功して被害者が呼びに来るまで昼間からずっと座禅を組んでいるのだ。

 店は豊房とお八を呼んで仕事を任せている。実際のところ、六科が居なくても小料理屋として十分に店はやっていける。

 動かないことが得意な六科は本当に水の一滴も飲まずにずっと押し黙ってあぐらを掻いたまま不動であり、通りかかった者や近くで茶店を出している者などがそっと彼の前に湯のみや銅銭を積んでいくぐらいであった。無論、目の前に小銭があってもじっと動かずにいる。そうしていると本当に修行をしているようにも見えた。

 

「かっ果心居士様ぁー!」

 

 慌てた様子で、誰かが呼びかけても彼はじっと不動のままである。

 月明かりの下、無言で座禅を組んでいる彼は幽玄な雰囲気で息を切らせて走ってきた清水屋の使いは、ごくりと息を呑む。


「お、お願いです果心居士様! うちの店に悪霊の鬼火みてえなのが暴れていて、水をぶっ掛けても消えないし手で触れたやつは火傷するしで、どうしようもねえんです! いつ屋敷に燃え移るか……とにかく、すぐに退治をお願いします!」


 頭を下げる男の目の前で。

 果心居士は音もなく立ち上がり、彼を仏像めいた無機質な色を灯した目で見下ろしていた。

 酷く不安そうに彼を見上げるが、重々しく。できるだけ声音が変わるぐらいに重々しくという指示通りに六科は云う。


「よかろうダブツ」

「よかろうダブツ!?」


 む、と六科はつい腕に書いてあった呪文を読んでしまったことに唸った。

 記憶領域がポンコツな六科のために、腕や衣装の目立たぬところに使いそうな言葉を耳なし芳一のように書き記しているのだ。その、ナムアミダブツのところがつい口に出た。

 しかし、ずっと瞑想をしていてしばらくぶりに起動したものだからミスをしてしまった。

 六科はそれを挽回すべく、己の独自判断を生かす。


「行くぞダブツ」

「それ語尾なんだ!?」


 やはり本格はひと味違う……!

 雑にそう納得した店の使いは、妖怪のせいで正気度が下がっているに違いない。

 二人は御殿山から清水屋へと走り向かった。


 屋敷の中は相も変わらず火焔が蠢いている。

 水を掛けるだけではなく、六尺棒を持って叩き消そうと打ちかかったり、濡らした布団をかぶせようと投げつけたりしたものも居たがいずれの道具も火に触れれば焼きつくされ、持って近づいた者も軽い火傷を負った。

 嬲るように炎は高価な掛け軸などがある主人の部屋に入ったり、屋根の上に登り青い火を吹き上げたりして肝を冷やさせる。

 全員一致であれは妖かしの火だと恐れおののいた。そして恨みの火が現れる心当たりは、皆にありすぎたのだ。

 そこはかとなく焼き芋のいい匂いがしていることさえ気づかずに悲嘆にくれているときに、果心居士は姿を見せる。


「おおっ居士様……どうか、どうか」


 ばっと身を翻し、構えのようなものを見せて果心居士は右の袖をめくる。

 単にそこにセリフが書かれているだけだ。


「見えておる。この屋敷は怨霊が渦巻いておる。これは女の霊だ。店主! おのれ、女を家族から引き離し、女郎宿に売り飛ばしたな!」

「ひっひいい……」


 ドスの効いた、念の為にいつもよりも声音を低く落としている六科の声。

 初対面の男からそう看破され、口から悲鳴が漏れる。

 当然ながら予め知っている九郎の知識であるのだが、どうやっても主人の頭には貸本売と同心の手先と旅の退魔師の三人は繋がらない。

 六科は構えを変えて今度は左手の袖をめくる。

 やくざ達はその様子に、


「あれは退魔の舞的な何かだろうな……」


 と納得するのだが、無論左手に書かれているカンペを読むのに大げさな仕草をつけているだけだ。


「怒りの念も渦巻いておる……人の弱みを握り、それを強請り金にしておるだろう。人の恨みが炎と叫びになり、今にも屋敷ごと燃やしつくさんと蠢いておるダブツ!」

「ご勘弁を……!」


 焼き芋を頬張りながら姿を消して見ている九郎からすれば、哀れすぎて笑えるのだが向こうは真剣である。

 口元についた芋のカスを、芋がハンカチで丁寧に拭ってきた。芋の出す茶をすすり、咳き込まぬように九郎は呼吸を整える。

 

「許さん!! よかろう……」

「ええっどっち!?」


 セリフを書く場所が近すぎて混線し、軽く分裂症のように支離滅裂に云う六科。

 本来口下手で演技も得意ではない彼も読むのに必死なのだ。


「ギアナの高地で習得した天魔調伏を使う!」


 彼がそう宣言すると一斉に皆が目を輝かせた。


「おおっあれが土佐の!」

「凄いぞ土佐!」

「やはり土佐は違う……」


 九郎が茶を気管に入れて軽く咳き込む。


(なんで土佐になってんだ……)


 ギアナ高知が広まりそうなレベルであった。

 やがて六科が実家から持ってきた数珠をジャラジャラとならして、彼の呪文が始まる。あまり複雑なのは絶対に間違うので、凄まじく適当に決めたものだ。


「オーンバカバカ、オンバカバカ、オンバカオンバカ……」


 そろそろ仕上げか、と九郎も術符の準備をする。

 六科の呪文は一分ほど続き、そして拳を強く握り振り上げた。


「オンバカオンバカ───オンバカアアアアア!」


 なんだろうオンバカって。

 適当に決めたはいいが今更疑問に感じつつも、叫びと同時に九郎は[電撃符]で雷を大音響と共に発生させた。

 同時に姿を隠す以外の術符を停止する。

 雷を間近で見て頭を抱えたり気絶したり小便を漏らしたりしている彼らが見たのは、雷を発して炎を止めた神秘の術を使う退魔師の姿である。

 いかに懐疑的であろうが、これだけ目の前で実演されれば疑いの心など雷鳴で消し飛んでしまうだろう。

 

「エイヤッ!」


 続けて柱の一つに、歌麿に書かせた怪しい護符を貼り付けた。

 特に何の効果もないが、悪霊を封じると信じている者には心の平穏をもたらす道具だ。

 六科は更に「オーン」と念を込めて、手を離した。

 そして腕の文字をちら見しつつ、


「かなり凶悪でおのれらの九族郎党、子々孫々まで呪われるような悪霊であったがどうにか封じた」

「おおっ……! ありがとうございます」

「だが忘れるな。恨みの念がまた強くなれば、おのれがどこに居ようが炎がやってくる。悔い改め、不幸にした者と同じ数だけ人を救え」

「はい……!」


 冗談ではなくショック死寸前まで追い込まれた悪徳商人は、救世主の言葉を福音のように受け取った。


「依頼賃の百両を貰い受けよう」

「はい! おいっ用意していたものを!」

「わ、わかりました! どうぞお納めください……!」

「うむ」

 

 六科は厳かに百両を受け取り、懐に入れた。

 そのまま立ち去るのみであったが、ふとやくざの一人が僅か一時で大金を稼いだ退魔師に問いかけた。


「あ、あの居士様。その報酬ってどう使うので?」


 その質問に対する答えは体に書いていなかったので、六科は素直に応えた。


「金と引き換えに身売りされる子供を助けるのに使う」


 唖然と。

 或いは、泣きそうな顔で。

 女子供を売り買いしていた悪霊に死ぬ思いをさせられ、それを救われた男らは──眩いような男の後ろ姿を見送ったのであった……





 ********* 




 

 自作自演の霊感詐欺を働いた三人と芋一つは化粧を落とし、むじな亭の二階に戻っていた。

 変装を解けば特に果心居士という偽の身分を名乗った六科はがらりと印象が戻り、街ですれ違っても先ほどの者たちに気づかれないだろう。


「よし、上手いことやったな。これで任務達成だ」

「兄さんが手慣れすぎている……これで食っていけそうな稼ぎマロ」

「いや、こういうのは続ければ続けるほどボロが出るからのう。詐欺というのはある程度のところで手を引くのがコツなのだが、一番いいのは一回で手を引くことだ。そうすれば捕まることはほぼ無い」

「……しかし騙すことは騙してしまったのだな」

「ふむ……だがな、あやつらも百両失ったところで生活に困るわけでもない。己れらも手に入れた百両で遊ぶわけでも、悪用するわけでもない。あやつらは多少なり心を入れ替えるきっかけになるかもしれんし、お主の子供は助かるのだ。誰も損をしないのだから、気にするな」

「そうマロ。あの人達も、百両は惜しくないと思っていると思うよ! まあ火をつけたの兄さんだけど」

「こやつめハハハ」


 笑い合う二人に、六科も頬を緩めた。

 他に金を稼ぐ方法はあったかもしれないし、犯罪に手を染めずとも百両を借金する道があっただろう。

 しかしそれでも。

 これから産まれる子供のためを思えば、死後に閻魔から舌を抜かれるぐらい構うまいと思った。




 それから数日後、店にやってきた阿部将翁に六科は約束していた金子百両を支払った。

 

「確かに。ま、長い期限付きの後払いはおまけでしたが、こちとら薬代を払っていただけりゃ、問題はありませんぜ」


 と、素直に受け取ったことに、店で働く歌麿や様子を見に通っていた九郎もホッとした。

 何せ支払いを待ってくれていた期間が五年だ。利子が年に1割ついたとしても161両ぐらいになる。利子のことをすっかり忘れていたのだが、どうやら無利子であったようだ。

 

「ところで──ご存知ですか?」


 阿部将翁が焼き芋を羊羹のように楊枝で細かく切って口に入れながら、云う。


「近頃、八代目果心居士という退魔師が妖怪退治をしたとか……」

「ほう。初耳だのう六科」

「うむ……うむ……」


 九郎はしれっと云うが、六科は目をそらしてうわ言のように呟いた。

 なんとかそれを気づかれないように、九郎が身を乗り出して将翁に尋ねる。


「それで、どういう噂なのだ?」

「いえね。あたしも薬師の端くれですので江戸の薬種問屋とは繋がりがあるのですが……それで評判の宜しくなかった清水屋さんというところが、火の怪に襲われて八代目はそれを見事鎮めたとか……それで清水屋さんは心を入れ替えたとかね」

「ほう。妖怪の真偽はともかく、いい話ではないか」

「ええ──」


 将翁はにこりと笑って、


三代目果心居士(・・・・・・・)の阿部将翁としては──いきなり現れた八代目に非常に興味があるということでして」

「……三代目なの?」

「[因心居士]とも名乗ってますが、ね。今のところ阿部将翁が襲名をしているのに、どうして五代先がいるのか、とか」

「そ、そう」

「見つけたら……そうですね、盛大にこの者こそが果心居士でございと世間に名乗りを上げさせるか……くく、さてどうしたものやら」


 九郎もどことなく目が泳ぎ始めた。 

 適当に歴史上の怪しい術使いから決めた名前だったが、こんなところに本家がいるとは思ってもみなかったのである。

 

(こんなことならば那須なす雷電らいでんの法者ほうじゃにしておくべきだったか……)


 中央アジアあたりにいた弁達者をもじった名前のどちらにするか悩んだのであったが。

 悪いことはしていない。

 そう九郎達は自分らを納得させていた。

 しかし後ろめたいことはしているのだ。

 それを見透かすような将翁の目に、六科は顔色がブルースクリーンになり歌麿はぎこちない仕草になっている。

 悪いことはしていなくとも、霊感詐欺で金を稼いだことは他の家族に知られたくはないのであった。


「あー……よ、よし将翁? その話はよかろう。酒でも飲みに出かけぬか?」

「おや。九郎殿から誘ってくれるとは珍しい。狐の嫁入りが降ってくる」

「では……そうですね。ちょいと離れたところにある稲荷神社にでも行きましょうぜ」

「わかったわかった……おや、なんか既視感が……?」


 とりあえず。

 話題を終わらせるために、九郎は将翁を連れてどことなく寂れてはいるが、人気のない静けさがある稲荷神社へと向かうのであった。

 そして神社につくと、将翁の行った通り急に激しい天気雨となり。




「……雨が、降ってきたからそこの建物で一休みと行きましょうぜ」




 罠だ。九郎は布団の敷かれた部屋でそう確信した。






 ********





「……なんで頬ずりがしたいと」

「いえね、こう……狐の本能的に。背中とか腹とか撫でて貰えますかい」

「暫く見ぬ間に動物っぽくなっておる……」



 その後満足するまで将翁に頬ずりされた。現実は妄想よりも健全である。


 







 *******




 今日の九郎布団。

 


「……芋が入っておる」

「入っているね……」


 怪奇! 布団を開けたら芋!

 思わず一緒に寝ようとやってきたちびっ子石燕も口を開いて、巨大芋を見やった。

 するとその芋がトータル・リコールして、中から黒髪の侍女が姿を表す。芋型の外装すら彼女が作ったものだったようだ。


「お久しぶりですと挨拶致します」

「芋からイモ子が出てきた……」

「どういう登場かね」

「魔王さまのお世話があるのであまり長い時間はここにいれませんが、用事があって来たことを報告致します」

「というと?」

「調査の結果セキエン様の肉体と魂の結合が不完全であるので、その再調整が必要致します」

「何かねその怖い状況」


 石燕が身震いをした。九郎はその仕草でおもらしを警戒したが、先ほど厠には行かせてある。

 イモータルは相変わらずの真顔のまま、平坦な声で云う。


「元々別の肉体を魂の形に作り変えているので無理が発生しているのですが、近似の触れ合った魂と長時間接触することで徐々に改善致します。不安定なままでは、体の不備──つまりはおねしょをしたり、成長が阻害されたり致します」

「なに!? それは由々しき問題だ! ど、どうすればいいのかね!」

「幸いなことにクロウ様の魂及び、イモータルの擬似魂に近似性が存在致しますので、三人で触れる程度に近づいて眠ることを何度か行えば解決致します」

「……確かにそれはいかんな。よし、石燕。今日はイモ子と三人で寝るぞ」

「他と違って積極的だね!?」

「事情による」


 そうして九郎は、石燕を挟んで布団に入った。

 

「むう……九郎くんの心地よい体温と、イモータルくんの花のような匂いで凄まじい眠気が……!」

「お主堪え性がないのだから早く寝ろよ」

「うん……ふふふ、なんとも安らぐ……空間だよ」


 そう消え入るように呟いて、石燕はすやぁーっと眠りについた。

 幼女の肉体構成で、大人の脳活動をしているのだから精神的な疲れが溜まりやすいらしく、昼寝をしていても彼女は夜に眠れないということがない。

 多少不便に感じているが、生まれ変わって存在できている喜びのほうが勝っているのだろう。

 九郎の右手とイモータルの左手を抱きかかえるようにして、石燕の寝息は規則正しくなる。


「ふう……こうしていればただの子供のようなのだが……しかしすまぬなイモ子や。お主がわざわざ来てくれて助かった」

「いえ──差し出がましい真似を致したのではないかと」

「そんなことはない。イモの格好をしていたのは驚いたが……」


 九郎は横を向いて、空いた己の左手を伸ばしてイモータルの背中に回し、軽く撫でた。


「お主のような良い子はそうおらぬからな。少しばかりの悪戯は愛嬌だ」

「……クロウ様」

「さて、寝るぞ。お主も寝ろ。ありがとうな」


 そう云って九郎も目を瞑り、まどろみの中に落ちていった。

 イモータルは暫く硬直して。

 それから、己の頭を九郎の顔の下──胸と首の間へと近づけて、起きない程度に押し付けた。

 そして音を出さずに、内部メモリに記録する。思い出を一つ増やして。

 自分の右手を九郎の左手に重ねて、二人の体温を感じていた。


 機械人形は彼が幸せな日が長く続けばいいと、そう願っている。

 



 

阿部将翁が果心居士なのはオリジナル設定ですと予め歴史警察に自首

あと那須雷電法者=ナスレッディン・ホジャ

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