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116話『吉原にて雨次と助屋』



 九郎は雨次を連れて吉原にやってきた。


「いかんな。出だしから印象が悪い」

「どうしました?」

「いや、なんか気になってのう」

 

 怪訝そうに問いかける少年に、九郎は苦々しく返事をする。

 決して女性問題について面倒を抱えている雨次に自信でも付けさせてやろう、その為によろしい感じな嬢を紹介して男として一皮むいてやろうとかそんな感じの理由で連れてきたわけではなかった。

 単に仕事の手伝いとして、吉原に連れてきただけである。

 助屋業務の助手で吉原に来れる人員は限られている。

 助手というか、手伝ってくれる知り合いといった程度だが、まず吉原は特別な祭りの日以外女人は出入りできないので、医者の阿部将翁以外は来れない。

 女の出入りを自由にすると、吉原の遊女が紛れて逃げ出す恐れがあったので正面の大門で厳しく監視をしていたのであった。

 男衆では新婚(影兵衛、利悟)やら微妙な時期(晃之介)などは誘えない。こういうところが好きで、顔が利いて腕っ節に優れて肝の座った男──千駄ヶ谷の根津甚八丸などは連れて行ったが最後、助平の彼は素寒貧になるまでお座敷宴が始まるだろう。実際に九郎も何度か巻き込まれた。そしてその後メチャクチャ甚八丸は嫁に殴られるのだ。

 一番関わりの深いタマは、それ故に大人になるまで入れないだろう。彼自身も、自らの稼いだ金で行けるようになるまで行かないと決めているという。 

 

「でも僕なんかが役に立つのかなあ」

「何事も社会経験だ。日当は出すから安心せよ」

「社会経験……」

「なんというかお主、やけに面倒事に巻き込まれそうな雰囲気をしておるからのう。若い頃から経験を積んで事件の対処方法を身につけておくと損はせぬぞ。かなり本気で」

「実感が篭ってる……」


 冷や汗でずれる眼鏡を押さえながら、雨次は呻いた。

 彼はこっそりと九郎の関わった事件に関して、自分がその場に居たとき以外のも知り合いから聞いて記録に残しているのでその面倒事巻き込まれ体質とやらに呆れるか慄くほどであったのだが。

 いつか物語のネタにして出版してやろうとは思うが、自分がそうなりたいとはまったく思わない。

 

「遊郭の紫太夫という、知り合いの女から相談事らしくてな。これまでの経験から言って、最悪な相談でもせいぜい忘八を焼き殺せとかだから遊女屋に火を付けて……」

「最悪の想定が死罪すぎる!」

「大丈夫だ。証拠は残さん」

「九郎さんって時々倫理観狂いますよね!?」

「魔女と旅をしていたときにのう……やらかしても上手いこと逃げ切れればいいかと思わねばやっていけぬヤンチャを無数に……」

「聞きたいような聞きたくないような」


 呻きながら吉原の大門をくぐり、中に入った。

 新吉原は浅草寺の北にあり、広さは約三万坪(十万平方メートル)で周囲をお歯黒どぶという溝に囲まれている。 

 出入りのチェックをしている大門が唯一の外界と繋がっている場所で、中に入れば華やかで茶店も並んだ仲ノ町大通りに出る。

 基本的に男性客しか居ないが一年中お祭りのような賑わいを見せている。明らかに遊女の数より多くの男が来ているが、冷やかしで遊女の顔だけ、或いは太夫の花魁道中を見物に来ていた者も多かったという。

 初めて来た雨次は目をぱちくりとさせて、


「うわ……なんか本当にここだけ切り取られた異界みたいだ……」


 その賑やかさもさることながら、三万坪の土地とはいえ見渡せばお歯黒どぶの向こうの景色まで見える。

 どぶを挟んで向こう側にある吉原の外は、土手と田園が広がり家もまばらな寂しい土地である。すぐこちら側の華やかさが一切侵食していない。市中から離れた野っ原の広がる土地に、後宮のような箱庭を上から強引に置いたような違和感があった。

 ただその殺風景な外の世界でも、絶えずに道を男達が吉原に向かっていたり帰って行ったりしていた。まるで行き来のある黄泉平坂だ、と雨次は連想する。


「ほれ、雨次。揚屋に行くぞ」

「あ、はい」

「ちょいと呼んでから時間が掛かるがな……直接、女郎の居る見世に行ければ話は楽なのだが……」

「行けないんですか?」

「一般客は当然入れぬし、知り合いだからといってホイホイ店側も入れるわけにはいかぬ。お上の権威である十手も吉原内部では煙たがられる。将翁と行けば、医師の診察手伝いで入り込めるのだが……」


 九郎は苦虫を噛み潰したような顔でうんざりと呟いた。


「今のあやつに借りを作るとあれぞ。見返りの要求がヤバイぞ」

「ヤバイですか」

「もういっそ面倒だからやってやろうかと思いでもしたら最後だ。ただでさえ世間体が悪いのに……」

「はあ」


 よくわからないとばかりに首を傾げる雨次であった。

 そんなわけで正規な呼び出し手順を行うために、揚屋へ入った。

 ここは貸し切り座敷のようなもので、入った九郎は揚屋の主人に紫太夫を指名した差紙を渡して部屋に通される。

 太夫、というと遊女の中でも最上位の格を持っているのでそこらの者では頼んでも来なかったり、来た所で部屋の隅に座って接近や接触、会話を禁止されたりするという吉原ルールがある。なおその場合でも料金は返ってこない。

 何度か通わねばいけないのが基本である。だが、相手の太夫が客のことを選ぶ場合は別なので、殆ど通っていない九郎でも彼女はやってくるだろう。

 

「うむ、揚げ代だ。名前も差紙に書いたから頼むぞ」

「へい」

 

 揉み手の主人に代金を渡しておく。容赦なく小判が出されて、雨次は僅かにどきりとした。


「九郎さん、これって幾らぐらい掛かるんですか」

「紫太夫だと一回呼ぶのに一両一分(約十万円)ぐらいか」

「……」

「ちなみにあくまで呼び出し代金だからのう。閨を共にしたら……十両(約八十万円)ぐらいは包むことになっているとか」

「そんなに」


 唖然と雨次は天井を仰いだ。

 こういう店があることは知っていたし、失踪した母親も私娼として稼いでいた──実母というフィルター抜きでもかなり想像できないエキセントリックさではあったが──ので、商売が成り立っているのは理解できる。

 理解できても、実感は無かった。

 自分と茨と天爵堂老人の消費ならば(書籍と蝋燭購入費を抜いて)三人が一年暮らせそうな金を使って一晩楽しむという遊びには、好奇心よりも恐怖を感じる。

 雨次は割りと節約性の小心であったので、九郎が鮫皮の財布からひょいと一両小判を出して渡しただけで息が詰まりそうだった。

 そうしていると幇間ほうかんと呼ばれるホスト役の太鼓持ちが、三味線引きなどを連れて座敷にやってきた。


「おや、お兄さんたち若いのに太夫指名とはやるねえ」

「見た目だけだ。これでもお主の親父より年上だよ」


 幇間の意外そうな言葉に九郎は軽く返して、出された酒と小鉢を手にとった。

 

「雨次も呑むか? 素面よりは気楽になれるぞ」

「はあ……では少しだけ」


 吉原に元服もしていない少年を連れて来て酒を飲ませる男。

 

(いや、セーフだろ。うむ。己れも中学の頃にはバイト先の付き合いでキャバクラとか行ってたし)


 九郎は己の客観的な姿から目を逸らした。逸らした先にあるのは明らかにヤクザだった大人達の影だったが。

 女芸者からメッチャ可愛がられつつ、口を潤す程度に酒を呑んでいる雨次を見ながらそう思った。彼の周りの幼馴染少女たちには見せたくない光景である。

 ともあれ、酒が薄いこともあるが雨次はそこまで酒に弱くないので多少は大丈夫だ。貧しい生活だったためか、毒物薬物に対する耐性が少し強かった。

 吉原となれば身分を隠してやってくる者も多い。記録によれば白袴で白馬に乗って通い詰めたというどこぞの上様めいた客も居たようだが、九郎たちも金払いの良さから忍んでやってきた大店の若旦那とその弟分とかそういう風に見られているようだ。

  

「いやしかし、深川あたりの芸者に比べても腕がいいのう、ここのは」

「吉原の芸者は頼まれたって身を売らねえんでございますよ。三味線や歌の腕前一本で生きているもんで腕利きでさ」

「ほう。美人揃いだがのう」


 そうして華やかな芸を楽しみながらとりあえず五合の徳利が空になったので鮫皮財布を出しておかわりを注文した。

 さて、揚屋から差紙が女郎屋に回されて、太夫が出かける準備を行う。

 幾ら相手が気安い仲だからといって、最高格である太夫がお付の者一人二人で出かけるわけにはいかない。

 いわゆる花魁道中と評される行列が必要になってくるのである。

 太夫の名前と紋の入った提灯持ちを先頭に歩かせて、傘を持った見習いの少女を数名周りに付けて紫太夫が真ん中を歩く。その後ろにも太夫を引き立てる他の女郎を多数引き連れ、その最後に妓楼の使用人が並び進む。


 紫太夫は華やかに全身を飾り立てている。

黒地に金糸で精緻に刺繍された縞繻子しましゅすや舶来の深い光沢のある絹の天鵞城ビロード、鮮やかな朱色の唐織をそれぞれが僅かに襟元で見えるように重ね着をして、更にその上から裏地に模様の入った緞子どんす、緋絞り縮緬ちりめんを纏う。

 帯には羅紗ラシャを使い、前側で結んでやや布を余らせておく。これも舶来品である。

 髪に挿してある簪は金銀細工に珊瑚、鼈甲など様々な素材で、黒髪に輝く星のようである。足元には黒塗りの三枚歯をした下駄でゆっくりと揚屋へ向かっていく。

 下衆な話ではあるが、その全身に纏っている衣類装飾品だけで五百両(約四千万円)はするのが太夫や花魁と呼ばれる者であった。

 遊女の中でも年齢は上の方──二十代後半に差し掛かっている──だが、紫太夫は現在吉原でも一目置かれる太夫なのである。

 彼女が道を進めば、遊客のみならず茶屋の娘達も息を呑んでじっと道中を見つめているほどであった。


「ううむ、全身キラキラだのう」

「姫みたいですね……」

「あれを一両ちょいで呼びつけられるのだから逆に得な気がしてくるのが不思議だ」


 二階にある座敷の窓から様子を伺いながら二人は言う。上から見れば、群衆が全員紫太夫を注目しているのがよくわかった。

 実際に彼女は素だと気風のいい姐さんではあるが、相当の美人なのである。玉菊太夫の姉貴分だったが、色気という点ではどちらも引けを取らずに中には一目見て心を奪われる者も少なくない。


「ところでそれは本当に九郎さんのお金で……?」

「人件費だけでもかなり掛かりそうなものだが、実際は定価だけ払って行く客には来ぬのだろうな。小判を箱で持ってきてそこら中に振る舞うようなお大尽に呼ばれること前提としておるのだろう。そこまではせぬが」


 雨次が何か不安げなつぶやきをしたようだが、九郎は無視した。

 自分で出しているのだから自分の金以外の何があるというのか。

 とにかく、あれだけ飾って準備をしてやってくるのだから相応の時間は掛かるわけで、九郎たちの揚屋にやってきたのは差紙を出してから一刻後ほどであった。

 芸者たちを外に出ていき、紫太夫が静かに入ってきて二人の前に姿勢よく座った。

 雨次は目の前にいる遊女完全形態とでも云うべき、見たこともないぐらいに着飾った美女で酒が僅かに入った頭がそのまま眩むようだった。

 彼にとって娼婦というとそれはつまり母親のお歌夢であり、家の中でカエル倒立をして追いかけてくる謎の存在という印象だけが思い出せる。

 それとは明らかに違う、これまで読んだ物語本に出てくる姫のような存在に現実感が薄らいだ。


「おい雨次。大丈夫か」

「え、あ、はい」

「お主、幼馴染には平気なのに大人の女に弱いのう……」


 そういえば将翁にもドギマギしていた気がする、と九郎は呆れて云う。

 

「というわけで紫太夫。あんまり虐めてくれるなよ」

「はいよーう。ああ、それにしてもこの着物重ったいのじゃ。脱いでいいかい?」


 彼女はからっとした笑いを込めた、軽い口調で返事をした。黙っているとまさにお姫様なのだが、砕けて喋り出すとこの調子だ。


「構わんが、着直すのも面倒だろ、それ」

「なァに慣れてる慣れてる」

「まあそうか」


 重ね着している羽織もの脱いで座敷に広げて置く。十二単衣程ではないがかなり着込んでいるので重たく動きにくい。

 太夫に憧れる遊女などは、わざとそこらの着物を着込んで高下駄を履いてこっそり歩き方を練習してみるという。

 均整の取れた体型が見える程度に脱いだ彼女は足を崩して云う。


「いやー品川とか深川で女郎やってた頃はこんなの着るとは思っても見なかったのじゃ。一見さんの前じゃお淑やかにしてるけど肩が凝っちまうねえ」

「ふむ。そういえばお主も玉菊と同じく出世頭だったのう。いやはや、見た目はすっかり吉原美人だな。深川で鰻を焼いていたとは思えぬ」


 吉原の多くは子供の頃に直接吉原に売られた遊女が占めているので、彼女のようにあちこちを渡ってきて吉原に行き着き、そして遊女三千人の中で数名しかなれない太夫になっている者は他に居ないだろう。

 勿論美貌だけではなく、教養・和歌・生け花・書道・茶・楽器演奏・座敷遊び・話術など様々な技能を持っていなければ吉原でも上には行けない。

 しかし紫太夫は才能の塊だったようで玉菊と一緒に既に高い領域で習得済みだったのである。

 口調だけはイマイチ安定しないのは生まれ育ちのせいだが、吉原では珍しくない。廓言葉自体が体系化されるまでは様々な方言の集合体として曖昧な口調で惑わしていた経緯があるからだ。

 

「こうなると深川で鰻を食いながら薄着でやってたときが懐かしい。ところで九郎様や、こっちの子は?」


 紫太夫がぼーっとしている雨次に視線を向けて聞いた。


「こやつは雨次。己の助手で、書記役もしておる」

「どうも……」

「これはいい男になりそうな子じゃのう。ああもう、なんで知り合いのいい男は若い子ばっかりなんだか。妾はあと何年で引退だってのに」

「そうなのか?」

「借金の証文はとうの昔に焼け消えちまってるからねえ。後は儲けばっかり溜め込んでて」


 本来は借金分稼ぎ終えると年季明けという形で退職をして出て行くか、或いは店側に雇われて若い女郎の指導に当たるかするのだが紫太夫は人気からまだ高級遊女のままであった。本人がそれを望んでいるというのもあるが。

 彼女は思案した顔になりながら、


「いっそタマに仕送りしてあげようかしらん。お客になるように」

「タマのやつ、給金で春画本を買ったり淫具を買ったりしておるからのう」

「早くこないと郷に帰っちまうよって伝えておいて」

「そう、タマのやつ近頃は絵にも凝りだしてな。一人前の絵師になってお主のことを描きたいのだと。ほれ、この前にタマが挿絵をしてこの雨次が文付けをした薄い本も買ってきたぞ。まだ新人同士だから版元からの少数出版でなあ」

「ちょっまっ!? 九郎さんいつの間にそのことを!?」


 懐から取り出した薄い本を紫太夫に渡す九郎に手を伸ばすが、無駄であった。

 物書きの仕事で生計を立てたいと常日頃に思っている雨次であるので、版元や絵師からの依頼には応えるようにしてあるのだが。

 タマと共同制作になったそれは露骨に春画本であった。

 なので知り合いには隠すようにタマには頼んでいたし、両者とも筆名を変えて出したのであったが……そもそも版元と繋がっている九郎には一発で見つかったようである。


「あらあら、タマの奴中々いい艶絵を書くのじゃなあ……そして」


 ちらり、と紫太夫の視線が雨次に向いて、彼は顔を真っ赤にしながら両手のひらを向けてコメントの拒否を主張した。

 本の題名は[淫乱たたかえ新八丸]──知り合いの忍び同心から聞いたプロットを参考にしたタマと雨次が作った、怪力女ゴリウークノイチ触手モノである。参考は勿論性転換した根津甚八丸だった。

 実体験がない雨次だったが春画本を参考にして書かれた描写は、やや拙いながらも勢いのある生々しさだ。属性がニッチなので少数刷りだったが既に売り切れたらしい。

 しかしまだ今年で十三歳になる少年が、エロ文章を書いて出版したことを身内に知られて初対面のお姉さんにまで知られたとなるとどうだろうか。

 とても、


「や、やめてください……!」


 恥ずかしいのである。

 もし雨次が現代のように学校に通う立場だったのならば、卒業後まであだ名はエロ小説家になること間違いなしの羞恥だ。

 九郎は心底悪気が無さそうに、


「こう云ってはなんだが、己れはタマもお主も息子か弟のように見ておってな……そんな二人が出した本だから嬉しくて十冊ほど買って配っておいた……」

「うわあー!!」

「安心しろ。配ったのは男にばかりだから」

「爺さんが微妙な顔でこっち見てたり甚八丸さんが凄い不審な態度だった理由がー!」


 少年に悩みは付き物だ。

 世の中には出版した献本で十冊ほど貰っても、躊躇って一冊も知人に配れない作者もいるぐらいで、いわんや少年が春画本の文を書いたのだからこの落ち込みは当然だった。

 九郎も多少は広めていいか悩んだのだが、彼らの創作を誇る気分で配ったのである。

 許されざる独善的行為に悶え苦しんでいる雨次をひとまず置いておき、最近のタマについて色々と紫太夫に教えてやった。

 そして、


「それでなにやら頼みごとがあると聞いたが」

「吉原に居ても時々、お助け屋の九郎様っては聞こえるぐらいでねえ。一つ頼まれてくれないじゃろうか。勿論、ここに妾を呼んだ揚げ代も含めてお礼は弾むよ」

「己れにできることなら構わんよ」

 

 タマの姉貴分なのだ。当然のように九郎は引き受けるし、どうにか解決するつもりであった。

 若い頃から誰かの為に物事を引き受けてきた彼の言葉は奇妙な頼もしさがある。

 紫太夫も安心したように息を吐いて、背後の襖に声を掛けた。


「入っておいで」

「はい」


 入室して紫太夫の隣に座ったのは、二十を少し越したぐらいの若い女郎であった。


露草つゆくさと申します」

「実はこの子の相談なんだけどねえ……そう難しい話じゃないんだよう」


 どことなく困った様子で紫太夫は話しだした。


「この露草は病気の父親と小さな弟の為に自分から身を売ってね。本人もそれを誇りにしてる、まあ気の強い娘なんだよ」


 雨次がどことなく共感する事情に顔を上げて聞いている。


「でもしっかりものだから格子女郎にまで五年でなって、まああと証文を払い終えるまで半分ぐらいになった。

 そんな彼女を身請けしたいって客が現れたのさ」

「いい話ではないか」


 身請け──つまり客が遊女の借金を返済するので貰い受けることだ。多くの場合は金持ちの富豪が妾にしたりする。

 ただその値段は、単純に借金だけではなく今後稼ぎそうな店の儲け金も上乗せされたりするので人気の高い太夫などは金額がとてつもないことになったりする。玉菊などは千両近く掛かるのではないか、と言われていたぐらいだ。

 しかしながら遊女にとっては男の心を奪って借金を返済させるのは渡りに船。

 苦界とも云われる吉原は、綺羅びやかな太夫が姫のように振る舞えるが決して全ての遊女が気楽に暮らせる場所ではないのだ。

 

「だけど露草はどうも身請けされるのに気乗りがしないって。なんというかこう、融通が効かない理由で」

「ふむ?」

 

 九郎が顔を向けると、露草は真顔のまま──彼女は真顔で愛を囁くので演技っぽくないのが人気なのである──話しだした。


「相手の方がどのような人かわからないのが不安でございます」

「客として取っているのではないか?」

「このような場に来るときが相手の素顔とは限らないことだと思いますので……吉原にいては相手方の評判もわかりかねまして」

「うむ?」


 いまいち、身請けするされるにしては断る理由が弱い気がして九郎は首を傾げた。

 彼女はハキハキと自分の考えを述べていった。


「私は身請けされたらその恩として相手方に尽くしたいと考えています。

 ですが相手が悪い男で、非道な商売をして金を蓄え、女性に無体を働く男だったとしたら私は身請けされない方がマシです。

 あと五年勤め上げて、年季満了で父と弟のところに帰ったほうがいいのです。

 しかし相手が善人で私の身を案じてくれている、私を必要としてくれている方ならば断っているのも心苦しく思います」

「断ったのか?」

「相手はまだ若い方ですが、大店の主人です。それが妻にしたいと言い出しているのでどうも信じ切れず……

 そもそも大店の正妻が遊女上がりでは問題も多いはずですが、それでも頼み込んでくるのです」

「ふむ……ヤクザ的な匂いを感じないでもないな」


 紫太夫が溜め息混じりに云う。


「妾は云うんだけどねえ。相手が悪人だったら、身請けだけさせてさっさと逃げ出せばいいんだって。吉原の外に出りゃどこへでも行けるものなんだから」

「そういうわけには行きません。恩を受けては」


 父の薬代と弟の生活費を肩代わりさせたのだから、遊郭で真面目に働く。

 それを更に持つという相手にも真面目に彼女は付き合う気持ちがあったが。

 その相手を選ぶかどうかは自分次第であるので、盲目的に飛びつかずに正しい選択をしたかったのである。

 露草という女郎は自分が正しいと思ったことを選んで生きてきた。だから、悪党を選ぶのは御免だった。


「とまあ、頑固なものだから九郎様にはその店の主人が悪党かどうかを調べてくれるかねえ……」

「うむ。そのぐらいなら容易いものだ。確かに悪党かも知れぬ相手に身請けされるのは、恐ろしかろうものがあるからな。そう時間は掛からぬだろう。一日二日ぐらいでわかるから、内容は文にして送るぞ。毎回揚屋に呼ぶのも大変だからのう」

 

 対面する度に呼んでから一刻待たされるのは準備などの為にやむを得ないことなので、簡易な連絡をすることにした。 

 ほっと安心した様子を見えるのは紫太夫の方で、あくまで露草は真顔で頭を下げた。


「それじゃ、先にお礼を渡しておこうかねえ」

「姐さん、そこは私が」

「妾がこの人に依頼したことだから、妾が払う。露草は後で腰でも揉んでおくれ」


 彼女は露草が下手に恩に感じないように簡単な貸し借りの返済を提案した。 

 まだ年季中の露草がそうそう好きにできる金を持っているわけでもないので自分が払うと決めていたのである。

 

「とりあえずこのかんざしを三つばかり、簪屋に売戻しにいけば何十両かにはなるのじゃ」

「いいのか?」

「小判は持ち歩いておらぬからなあ。それに、似たような簪はよく贈り物で貰っておるから、うちの妓楼の忘八とて幾つあるか数えておらん」


 くすくすと笑って、報酬として九郎は吉原の太夫がつけている最上級の簪を貰うのであった。


(己れはもう知り合いに配ったから、事件が解決したら雨次にでもくれてやるかな)


 適当にそう考えていたが。簪を贈り物にすると嫁入りがどうたらと聞いたが、お房タマお八石燕にはもうやってしまっているのでむしろ多人数だからセーフだと彼は思いたい。そしてもはやグダグダになると危険を感じる。

 実際のところ、十両や二十両の出費はそこまで痛くないぐらいの貯金があるので、そうならば普段手に入らない簪を知り合いの──この場合は雨次にくれてやったほうが思い出としていいだろう。丁度、雨次が渡しそうな女児が三人居る。

 関係が泥沼化するか悪化するかは神のみぞ知るだが。

 

 

 それから暫くして紫太夫は再び帰っていく。

 ただ、注目されているだけあり、彼女が深川上がりでまだ無頓着な部分もあったからだろうが。

 直前までつけていた簪が減っていたことで、紫太夫は誰にそれを贈ったのだろうと噂になったという……。






 *******

 

 


 


 翌日、早速調査に繰り出した九郎と雨次である。

 吉原の外での調査になるので雨次以外でもいいのだが、事件に関わったのだからと彼も最後まで連れて行くことにした。雨次自身も、興味があったようでまたしても幼馴染に適当な言い訳をして出てきたのだった。

 露草を身請けに誘った相手の店は馬喰町にある紙問屋であった。

 名を[上総屋]という。

 主人は五郎兵衛といい、三十後半の男であった。

 九郎と雨次が店の近くに来ただけでその繁盛ぶりはすぐにわかった。店に客入りが途絶えず、江戸の町人風から武士、それに旅人まで紙を買い求めに来ているのである。

 とりあえず店の向かいにある古そうな茶店に入る。馬喰町は宿場町でもあるので、茶店が多く道沿いにあった。

 

「酒と食うものはあるかえ?」

「僕はお茶で」

「漬物と饅頭がありますよ」

「両方持ってきてくれ」


 昼間から容赦なく酒を呑む九郎を若干ジト目で見ながら、もそもそとした饅頭を雨次は齧った。

 九郎は店の主人に一分銀を渡して口を軽くさせながら、


「ところでのう、あの紙屋」

「上総屋さんがどうしました?」

「昔からここにあったのか? 随分と繁盛しておるようだが」


 聞くと初老の主人は首を振った。


「いえ、ほんの十年ばかり前に店をそこに出しまして。最初は小さな店でしたが、目の付け所が良かったのでしょうねえ、あっという間に大店になり従業員も二十人ばかりおりますよ」

「紙屋がどうして」

「ほら、ここは宿場町でしょう。江戸市中で安旅籠が集まってるとなると、全国から旅客がやってくるわけです。訴訟事件を訴えるために江戸にやってくる旅客は案外に多くて、その人らが上総屋さんで訴状の紙を購入するわけです」

「ほほう」

「すると訴状として取り上げられたお上にもどこそこで買った紙ということが広がり、質がいいとなれば幕府御用達にも選ばれた。町人らにも訴状に使われる紙ということでここで買い求めるようになった。

 評判は評判を呼び訴状以外でも江戸の上質紙といえば上総屋──となってあの繁盛ぶりなわけです」


 繁盛店の近くの茶屋なので少なからず恩恵を受けているようで、妬みや謗りなどの気持ちは篭っていない単純に「上手くやったなあ」と思っての感想であるようだった。


「悪い噂などは聞かぬか?」

「まあ、訴状から始まった儲けですから悪口も云われることはあるかもしれませんが、そこは訴訟に来た旅客相手に儲けてる馬喰町ならみんな似たようなものですよ。

 [馬喰町 人の喧嘩で 蔵を建て]

 なんて川柳があるぐらいで」

「店の主人に関しては?」

「さて……いい年をして嫁が居ないとか、女嫌いで縁談を断っているとかは聞いたことがありますが……」

「わかった。ありがとうよ」


 噂として知れるのはそれぐらいだが、九郎は酒の追加を頼んで店主を離れさせた。


「今のところ、店の立地条件を見極める能力があったというぐらいで後ろ黒い話は聞かぬな」

「二十代のときに店を一から作って儲けているから行動力というか、頭は良かったのかもしれませんね」

「うむ。女の影がないのは気になるな。なんでそんな男がわざわざ遊女を身請けするのだろうか」

「……わからないですけど、何かあるんじゃないでしょうか」


 雨次は実感が込められている様子で云う。


「僕も……どういうわけか茨を助けないといけないと、思いましたから」


 九郎は無言で頷いて、暫く店の様子を見ていた。

 

「直接聞いてみるか」

「え。そんな調べ方あるんですか」

「良い奴か悪い奴か調べるのだろう。己れらが、露草の知り合いで彼女から相談を受けたと話してみて反応を伺う。要件も聞かずに叩き出すようだったならばその程度の男だと報告する」

「大丈夫ですかね」

「名づけてオレオレ詐欺作戦」

「詐欺じゃないですか!」

「引っかかる相手はちょろいのではない。良い人なのだ」


 しかしながら一応店に正面から行っては、主人でなく店員に追い返されるかもしれないので二人はこっそり忍びこむことにした。

 隠形符で姿を消して店内に入る。商売をしている表店だけでも緑のむじな亭の三倍は大きいが、店の奥である自宅や倉庫として使っている部分も広かった。六科の長屋住人が全て軽く泊まれるスペースはある。

 燃えやすい紙という商品を使っているためか土蔵や穴蔵も作られていて、屋敷内に井戸もある。

 店の主人は一番奥の自室に居るようだと店員の会話で聞こえた。

 近頃気落ちしていて、一人で酒を呑んでいるらしい。 


「大の男が昼間っから酒をかっ食らうとはいかんのう」

「九郎さん。戻ってきてる。自分に刺さってるよそれ」

「……たまには男も昼酒を飲みたくなることもあるよな」

「修正しやがった!」


 言いながらこっそりと奥の部屋へと向かっていった。

 僅かに襖を開いて中の様子を伺うと、三十代と聞いたが髪に白髪が少し混じった男が一人ぼんやりと酒を呑んでいる。

 主人の五郎兵衛だ。

 落莫を感じる表情で、淋しげであった。

 一目見て九郎は思った。


(悪いことをするやつではない)


 だが、物事ははっきりしなければならない。

 心を決めて九郎は襖を開け放ち、部屋に入った。


「は。誰……ですか」


 怪訝な顔を向けてくるが、見知らぬ他人が部屋に踏み込んできたというのに覇気がない。

 九郎は雨次を連れて彼の目の前に座り込み、いつから空になっていたかわからない五郎兵衛の持っていた湯のみに酒を注いだ。

 いざというときは酔わせて尋問しようと思い持ってきた、自家製の蒸留装置で作った濃い酒である。

 

「通りすがりの天狗だ。呑め」

「あれ。そういう迫り方をする予定でしたっけ」

「己れらは通りすがりだが、お主が吉原の女で悩んでいるのは知っている。話を聞かせて貰おうとにかく呑んでからだ」


 強引な話であったが、こうも意気消沈している相手に問い詰めるにはとにかく飲ませるしかないと九郎は経験から知っていた。

 五郎兵衛は天狗にも訝しがりつつとにかく酒を口にした。

 強い刺激が、咳き込むように現れて胸に鬱屈して溜まっていた空気が、酒気と共に吐き出される。

 

「よし、雨次も呑むぞ」

「九郎さんって、石燕先生の居ない所だと止める役じゃないからかなり呑みますよね……」


 事情はともあれ、三人は顔を付きあわせていきなりの呑み会を開始してしまった。

 手持ちの酒はあっという間にグイグイ呑む勢いで無くなり、ほろ酔いになった五郎兵衛が店の者を呼んで客だから酒を出してくれと言って追加の酒がやってきた。

 見ず知らずの商屋に忍び込んで酒宴を始めさせる妖怪。

 居そうな気がして、雨次はとりあえず胸にいれていた手帳にメモしておいた。

 相手の本音を効くために、酔わせて女の話を振ってみることにした。九郎を雨次もかなり呑んでいる。

 面白おかしく九郎が若い頃の体験談な女の話をして雨次がツッコミをいれたりしていると、徐々に五郎兵衛も語りだした。

 彼は色んな商売女をよく買っていたらしい。

 それには理由があった。


「私の母は、私が小さい頃に身売りしたんです。

 幼い私は重い病気に掛かっていて、薬代が必要だった母が父を残して吉原に行きました。

 母は『母さんは何も後悔していない。元気になって、勉強をして、お金持ちになって、幸せになりなさい』って私に言って出て行ったんです。

 それ以来、行方はしれません。吉原では毎年何人も死んで、身元もはっきりとしないまま無縁として葬られるのでその中に居たらしいことは、その当時居た女郎上がりに聞きました。

 そのお金で病気を治した私は、母が命をくれたものと思って必死に勉強してお金持ちになろうとしました。少しも休まず、どうすればいいか考えて他の店を調べて学びました。

 幸せになるようにと生かして貰ったから、できることを精一杯やってきました。

 そして店を建てて、どうにか軌道に乗って……あとは幸せになれればと思っていて……嫁は、女郎から探そうと思って遊郭通いを始めたんです。

 店の者からは不評でした。他の紙問屋から縁談も舞い込んでいて、事業を大きくできるのによりにもよって遊女を貰わなくてもいいだろうと。でも……」


 徐々に涙ぐんでいる五郎兵衛は酒を何度も口にしながら言葉を吐き出す。


「は、母のように、家族の為に自分を身売りしても、それをちっとも後悔していないような人は、とても優しいんだろうなって……!

 もう母は救えないけどそんな人には幸せになって欲しいって、幸せにしたいって……露草は誰かのためを自分より優先させる優しい人だと……」


 泣きながら、それでも振られたことを思い出して呻く五郎兵衛に。

 酒に酔って涙腺の緩くなっていた九郎も雨次も、目頭を押さえて共感していた。

 親しい家族の女が犠牲になって自分を生かしてくれた。

 残された者が幸せになるように願って。

 それは二人にも突き刺さる内容だったからだ。

 

「いかん……! 思ったより良い奴だった……!」

「母さん……うう、僕は……」

「わかった、己れに任せよ五郎兵衛。何も問題が起こらぬように露草に手を回して、世間体からも守ってやる……安心して身請けしろ」


 そうして、五郎兵衛が酒に潰れると書き置きを残して九郎は雨次を連れて出て行った。

 なんとしてもこの者は幸せになってもらいたいと、そう願った。





 *******






 九郎は紫太夫と露草に、五郎兵衛は裏のない良い相手だということを伝えてそれからの手順を示した。

 身請けした露草は、九郎の伝手で子供も居ない老夫婦がやっている小さな筆屋の養女として迎え入れてもらうことにしたのである。事情を話せば老夫婦も同情的で、紙問屋とつながりもできるので悪くない話として納得してくれた。

 そこの娘として五郎兵衛と祝言を上げるには何の障害も無いだろう。

 露草の家族である弟と父も今ではそれぞれ働いていて娘が幸せになるようにと送り出してくれた。

 二人は祝言を上げる前に、


「ありがとうございます。これから、一生懸命尽くしますのでよろしくお願いします」

「……いや」


 真顔で相変わらずそう言ってくる露草──おつゆに五郎兵衛は首を振った。


「君も私も、自分の幸せに対して不器用なんだ。だから一緒に、幸せになる方法を見つけよう」


 ──そうして、二人は幸せになるための一歩を踏み出した。 





 

「今回はいい話で終わったのう」

「そうですね」

 

 事件解決記念に二人して吉原に再び来て旨い飯でも食おうとやってきた九郎と雨次である。

 あれこれと九郎を取り巻く噂は、天狗として吉原でも語られている。いい身請け先を見つけてくれる天狗だとかで、ご利益があるらしい。

 そんなわけでこの日は紫太夫に、本人は予約があって来れないが女郎屋からいい娘を揚屋に送って歓迎するということで打ち上げ気分でやってきたのである。

 

「ああして不器用ながら運命とでも云うべき相手が見つかってよかったなあ、露草も」

「そうですね。遊女って僕が思っていたよりしっかりしてる人が多くて驚きます」

「お主が思っていたのはあれだろ。お主の母親だろ」

「天井から逆さまにぶら下がって寝るのが特技でした」

「そんなのと閨を共にしたら寝起きでショック死しそうだ」


 などと言いながら、遊女を待った。

 特に何をするわけでもないが、会話術に優れた女が多いので酒の相手には金が掛かるものの中々良い物である。

 女房が居ようがモノが使い物にならなかろうが、綺麗なチャンネーの居る店に男が通うのはその為もあるかもしれない。

 

「紫太夫の誘いだったが、追加料金が発生しても気にするな。財布は持ってきておる」

「……いい財布ですね」

「鮫皮だ」


 そうしていると、足音が聞こえて近寄ってきたと思ったら襖がスパンと開かれた。

 

「な……」


 異口同音に二人が口にして振り向くと。

 石燕と将翁。それに小唄とお遊に茨がその部屋の前で仁王立ちをしていた。

 じっと男たちを見下ろしている。

 九郎と雨次が徳利をそれぞれ手にとって、ぐいっと口の端からこぼしながら一気に煽った。現実逃避であった。


「医者の見習いとして連れて来てしまいましたが、おっと、こんなところに知った顔が」


 白々しい将翁の声である。


「九郎くぅぅぅぅん?」

「待て」

「どうして私ではなくて、私のお財布を連れて歩いているのかね」

「これには深い事情がある」


 九郎は早口で説明した。この仕事を受ける直前に石燕が酔い潰れた際、支払いで彼女からすり取ってうっかりそのまま持っていただけなのだと。中身は後で自分の金を補填して返す予定だったのだと。

 隣で聞いていて酷い言い訳だ、と雨次は感じた。むしろ言い訳ですら無いかもしれない。端的に行動を見て酷い。

 無論九郎が石燕に預けている金の範疇で使っているので、実際は他人の金で遊びまわっているわけではない。自分の金だという九郎の主張はまったく正しいのだが、本人にも後ろめたさはあった。


「あーまーじー」

「お、お遊? その懐刀はひとまず仕舞え。な?」

「お前というやつはアレほど大人達に悪い遊びを教わるなと口を酸っぱくして言っていただろう! 何が不満だ!? こんな如何わしい店にまで来て、金を払ってまで……私が金を払えば雨次に如何わしいことをしていいのだな!?」

「君は何を言ってるんだ小唄!」

「……お゛う゛」

「なんで切れ目の入ったこんにゃくを渡してくるんだ茨!」


 自分も責められているようで雨次はしどろもどろに幼馴染たちを宥めようとした。

 そして一つ。この場を自分だけ収める悪魔的手段を自分が持っていることに気づいた。

 彼は報酬として受け取った簪を懐から取り出して、三人に手渡す。

 冷や汗を顔に浮かべながら、


「こ、これを……君らに似合うだろうなと思って、どうしても手に入れたかったんだ」


 帰り道で売って本でも買おうかな。

 そう考えていたことはおくびにも出さない。

 女は光物と芋蛸南京に弱い。その言葉の通り、宝石と変わらぬ輝きを見せた、子供に似つかわしくない最高級の簪を受け取って少女らは息を飲んだ。


(しまった! 懐柔手段が!)


 雨次に報酬を渡していた九郎は、上手いやり口に歯噛みする。

 そのまま彼は幼馴染の手を引いて「仕事も終わったから帰ろうか」と部屋から連れて出て行った。最後にちらりと九郎を見て、頭を僅かに下げた。罪悪感より達成感を浮かべた表情だった。

 部屋に残されたのは九郎と将翁と石燕。

 微妙に泣きそうな表情で九郎をじっと見ている石燕をどうにかしないといけない。後ろで布団を敷いたり、妙なお香を焚き始めた将翁の行動は謎だが。

 


「石燕。己れは決してお主を蔑ろにしたりしているわけではなくてのう……!」

「いいんだ九郎くん。私はなにも責めているわけではない……」

「待て、その態度がもうありありとだな」



 このあとメチャクチャ説得する羽目になった。

 石燕も本気ではなくからかい半分で来ていることに気がついて、とりあえず三人で酒を呑んでいたら気がついたら朝だったのである。









 ********




 簪を貰った三人娘の反応。


 小唄は簪に合わせて家の晴れ着姿で雨次に見せてきた。


「大事にして毎日つけるぞ雨次! どうだ!」

「あ、ああ。小唄は髪が綺麗で長いから、とても似合っているよ」


 率直な感想ではあったがくねくねと小唄は頬を押さえて喜んだ。


「うぇへへへ、そうかそうか。仕方ないなー雨次からの贈り物だしなーずっと大事にするぞー」

「凄く機嫌が良さそうだ……」




 お遊は雨次につけてもらって、満面の笑みで尋ねた。


「どう? 似合ってるかー?」

「こうして簪をつけると、お遊も女の子っぽくなるよな」


 普段はあまり意識しないが、こうして女らしいアクセントがあると異性を感じる。 


「みりょくてきだなー?」

「ああ、可愛い可愛い」



 

 茨は己のごわごわした髪の毛を気にしていた。 


「む゛う……」


 どうにか梳かして纏めようとするが、中々難しい。

 それを見かねた雨次が手招きをしているので向かうと、彼が湯と櫛で丹念に梳かしてくれた。

 そして簪をつけた姿を鏡で雨次に見せて貰うと、髪型もすっかり変わっている自分にきょとんとする。

 茨のその様子を苦笑して雨次は見ていた。

 髪の毛は乾いて暫くすればまた癖を戻してしまうが。

 僅かな時間、女の子らしくしてくれる雨次の手が髪を整えるのが、茨は最近のお気に入りの時間だった。




 

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