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外伝『IF/江戸から異世界13:いい夫婦にはなれない』



「む……」


 ──クロウが眠気を感じない奇妙な目覚めと同時に目を開けると、見知らぬ寝具に体が包まれていて木造の天井が見えた。

 見知らぬ、というと語弊があるがよくある敷布団に掛け布団だ。しかし、それはペナルカンドで寝泊まりをしているスフィの教会のものでも、江戸で使っている綿の重いそれでもない。

 先程まで自分はどこに居ただろうか、とクロウは訝しがりながらも身を起こす。

 やはり周囲は見たことのない部屋だった。十二畳ほどの広い部屋には家具類が置かれている。窓以外壁の三面を埋め尽くしている本棚が一番目立つが、他にテレビやタンスなども配置されていて生活感のある空間だ。

 敢えて言うならばクロウの生まれ育った年代の日本家屋だろうか。一階のようで、窓からは庭らしい敷地が見える。生えている木がヤギの首を結実していたり、空が赤斑色だったりしない至って普通の風景であった。本棚に並ぶ本も、日本語の物が多い。

 

「なんだ……?」


 クロウが覚えた未知の違和感が何故か鈍化し、記憶に馴染むのを頭痛という形で覚える。

 自分は誰だ。どこで何をしていた。

 曖昧になりそうな情報を、頭を振って思い出す。

 胸を掻きむしるように掴んだ。疫病風装を繕った着物ではなく、見覚えのないパジャマを着ている。

 

「己れは確か……疫病風装を着ていた……そうだ、ダンジョンに潜っていたはずだ」


 心臓の鼓動を僅かに感じながら記憶を落ち着かせる。

 名前はクロウ。

 目的は悪魔との契約を破棄する道具を探しに、元魔王城地下ダンジョンに潜っていた。

 だがここは一体どこだ。仲間は──スフィ達は。

 何か、異常な雰囲気を感じた。

 ベッドから降りて体を見回す。今はどういうわけか少年型ではなく背の高い大人の体をしていた。部屋にあった姿見で、顔つきは確かに自分だったがそれ以外にクロウだと断言するものを身に着けていない。

 着物も腰に帯びた術符フォルダも首に巻いた相力呪符も、魔剣マッドワールドも見当たらない。

 普通の、どこにでも居るパジャマ姿の男だ。


「まずいな……幻術の類かのう」


 呻いて部屋の出入り口である扉を睨んだ。

 

「最大善意的に解釈すれば、気絶した己れを見知らぬ誰かが知らない場所に運んで、装備を剥ぎとって着替えさせて寝かせていたということになるが……いやあり得んだろうそれで善意って」


 確認するように独り言を口に出して、自分でツッコミを入れた。

 気絶した覚えも無い。直前に何をしていたかも曖昧だが。

 ダンジョンに発生した異空間にワープしてきた、という方が可能性として高そうだ。

 その場合は、装備の全てを失っているのが痛すぎる。


「とにかく出るか」


 クロウは落ち着いた。この程度の異常事態、魔女と旅をしていれば日常茶飯事だった。

 まずは馬鹿正直に扉から出て行くのではなく、窓を開けて庭に脱出することにする。

 この家の持ち主が何者か不明な段階だ。このまま部屋で待っていては主導権を握られる可能性がある。

 窓の鍵を開けて外開きに開く。地面までは1メートル足らずだ。部屋履きらしいスリッパがあったのでそれを履いて窓から降りた。

 すると───


「うむ?」

「あ?」


 クロウが顔を右に向けると、自分と似た体勢で隣の部屋の窓から飛び降りた少年が居て、彼もクロウを見ていたので目があった。

 虹髪虹目をした、やや垂れ気味の目つきだがどことなく睨んで見える印象の15、6の少年だ。

 西洋人めいた手足の長い体を、クロウが着ているのと同じデザインのパジャマに包んで裸足で地面に降りている。

 

「あー……」

「えーと」


 やはり同時に、自分のコメカミを親指でぐりぐりするような仕草をして思い出そうとする。

 記憶が多重ダブルになっているような違和感。それぞれ別の本二冊のページをめくって該当する部分を探している気分だった。


「お主は確か……虫召喚士の……ノウェムと云ったか」

「……思い出してきた。確かテメーとダンジョンの中で戦っている途中だったな」

「そういうことになるかのう──待て待て、戦うな。まずはこの異常な状況からだ。お主とて、把握しておらぬから窓から出てきたのだろう」

「ちっ……」


 召喚術でも使うつもりか、手を上げる構えを見せたノウェムをクロウは制止した。

 状況から判断して声を掛けたのだが、相手もどうやらクロウと変わらず気がつけばこの場所に放り込まれていたようで、渋々と手を下ろした。


「一時休戦だ。まったく、血の気が多いのう」

「うっせ」


 嫌そうにノウェムは吐き捨てて背の高いクロウを見上げた。

 のどかな一軒家の庭で、奇妙に巻き込まれた男が二人。




 ******





 ここに至るまでの話は少し遡る。



 虫召喚士ノウェム。

 神聖女王国[ヘカテリア]との戦争で活躍した──というか帝国が放った戦略兵器の暴走を止めたことで勲章を得た冒険者である。

 見た目の通り召喚士なのだが、兄と妹の二人がそれぞれ一つの存在として入れ替わり立ち代わり過ごしていることが、早くも冒険者の会報──[この冒険者が凄い!]や[冒険者になろう]などの雑誌だ──で書かれていたのを覚えている。

 様々な冒険者パーティにノウェムは編入されてダンジョン攻略へ挑んでいる。

 召喚士一族にしては珍しく、妹のノウェムは愛想が良いのだ。

 ただ妹がピンチになったり絡まれたりすると即座に兄に変身して、えげつない虫攻撃で反撃することでパーティクラッシャーとも言われていた。 

 それでもあちこちから誘いが絶えないあたり、召喚士は破格の戦闘力を持っている希少種族だからだろう。


 クロウによって密かに入り口酒場掲示板に貼られたダンジョン通知書は、暇つぶしにダンジョン改造を行っているヨグのお知らせをオートで伝える謎のアイテムと化している。

 通知書には、「今月のレアモンスター」や「階層ボスとドロップアイテム」などとダンジョン管理者でなければ手に入らない情報が記されているのだが、ペナルカンドの住人には認識へロックが掛けられているので不審には思わない。

 それで、ついこの前の通知である。


『レアモンスター

 [マンサム兎]

 飼育すれば金の糞をする大人しい兎』


『ボスモンスター

 [魔女??? ?????]


 ドロップアイテム

 [??l?m??の書]


(それぞれ文字化けして解読不能)』

 


「なんだこれ?」


 クロウが、というか読んだ皆が首を傾げるのはボスモンスターの項目であった。

 魔女、というのも見逃せないが名前やアイテム名が読めないのである。

 これは単に謎の言語で書かれているというわけではなく、ヨグの使う認識のロックに似ていた。

 クロウの目からしても僅かにドロップアイテムに、アルファベットらしい子音が解読できたのだがそれだけではまるでわからなかった。

 

「そんなことよりクロウさん! マンサム兎っすよ! うひょー!」


 あっさりとそんなこととした仲間のオルウェルが目をカネの色に染めて喜びながら言った。

 相変わらずゴシックメタルドレスのような戦闘服を着ている文系女子みたいなちぐはぐな見た目に、頭のなかは金儲けだ。


「お主がめついのう……嫁の貰い手が無くなるぞ」

「金さえあればよりどりみどりちゃんっす!」


 完全にカネに目が眩んでいる。そんな彼女を見下ろしながら冷静にイートゥエが言う。


「マンサム兎ですのね。絶滅種族ですけれど図鑑で見たことがありますわ」

「ほー。フンが黄金なんてそんな珍妙な生き物が居たんじゃのー」

「ええ、スフィ。でも下手に繁殖されると金相場が崩れまくるから、資本家が絶滅に追い込んだらしいですわ。まあ……このご時世、それを手に入れたなんて知れ渡ったら狙われることになるでしょうね」


 雄叫びを上げて兎狩りへ次々にダンジョンへ踏み込んでいく冒険者の群れを見送り、イートゥエは冷静に言った。

 オーク神父がおずおずと手を上げてイートゥエに尋ねる。

 

「ちなみにその兎、味は?」

「……知りませんわよ。っていうか食べませんわよ普通」

「そっかー……ダンジョンの魔物だと食べられないから残念なんだよなあ」


 本当に残念そうにオーク神父はぼやいた。

 現地調達の不能なダンジョンでは食料の問題は各々パーティで抱えている。

 少食の種族であるオークやエルフ、絶食可能なアンデッドなどはその点で便利だ。

 ヨグも餓死者が多く出るのは防衛地である砂漠はともあれ、このアトラクションでは面白くないとして食べるとやけに腹が膨れる食料が時々出現するようにダンジョンで設定されているが、やはり基本は持ち込みである。


「それにしても[魔女]か……うーん? イリシアじゃないよなあ……」

「クロー、まさかじゃろ」


 不安げに聞いてくるスフィを、安心させるように頷いた。


「ああ。イリシアは死んだ上に、しっかり生まれ変わったから別の魔女だろう」


 ペナルカンド世界では魔女といえば最終魔女イリシアなのだが、このダンジョンでは別世界の魔物も出現することがある。

 他の世界から魔女という魔物を呼び出している可能性が高い。

 そうこうしていると、一人の少女が通知書に近づいてきた。彼女の肩には妖精のような小人で下着姿の女が座っている。ただし背中に生えている羽は蝿のそれだが。

 虫召喚士ノウェム妹だ。

 クロウ達は場所をあけてやる。

 

「あれ? このお知らせ、下の方が全然読めないけど……」


 やはり彼女もロックされた部分を理解できないようで、微かに虹色に光る瞳をぱちぱちと瞬きさせた。

 一方で肩に乗っている彼女の召喚虫、ベルゼビュートが手をそこに向けて何事か呟いた。

 小さな魔法陣が現れてそれはベルゼビュートの眼球に宿り、認識を暴いていく。力を制限されている召喚物状態故に、自分の魔力をある程度効率よく魔法で変換せねば力の行使にも影響があるのだ。

 認識ロックを僅かに緩めた蝿の女王は、改めて文面を確認する。


「……[S?laym??の書]と、あるねー」


 やや発音が怪しいが、ベルゼビュートは[シャローム]という言葉に近い読みをした。

 クロウは聞き覚えがあるそれに、反駁する。


「シャロームの書だと?」


 それはクロウがこのダンジョンで探している、[シャロームの指輪]というアイテムに非常によく似ている響きであった。

 また、それが悪魔との契約書が纏められている道具だということはヨグから予め聞いていたのである。


「んっだと。よっしゃ、話は早ェ」


 クロウの言葉と同じくそれに反応したのは、ノウェム兄だった。

 いつの間にか、目の前の少女の姿が少年に変わっている。少年とはいえ、背丈は170cmほどはあるだろうが、顔つきからするに十代半ばか後半だ。

 

「うわ驚いた」

「変身体質ですの? サキュバスインキュバスみたいに兼用の種族とかありますけれど……」


 クロウの仲間がそれぞれ急な変化に驚く。

 よくよく観察をすれば、ノウェム兄の影部分が少女の形になっているのが見えたかもしれない。お互いに体を表に出すときは、相手の影になるという形なのである。

 

「こいつをゲットすりゃ、このクソ悪魔共も思いのままってわけだ」

「うわー育てた恩がゼロ感」


 ノウェム兄の肩に乗っているバッタのアバドンがしみじみと呟いた。

 

「よし、サクッと取ってくるぜ。こいつは誰にも譲らねえ」


 普段は弱気な妹の意見で他のパーティに入ってダンジョンに挑むノウェムであったが。

 このシャロームの書に関してはメンバーとの間で所有について争うと面倒でもあるので、一人でダンジョンに潜る準備へと向かってしまった。

 一方でクロウも、


「ふむ……気になるな。魔女にシャロームか。己れ達もひとまず、これを目指してみよう」

「魔女かー……イリシアより弱ければいいんじゃがのう」

「お伽話みたいっすね」


 そうしてまったく魔女に興味の無い他の冒険者を尻目に、シャロームの書を巡ってクロウ達とノウェムは競争のような形になったのである。



 

 ******



 

 それから、堕天双天使ハルタマルートの力を身に宿した魔女ヒュッレムの居るフロアまで探検をして。

 砂漠のような見渡す限り砂だらけの、異界化した世界で魔女が死霊術で操る骸骨軍団と戦い。

 嵐を身に纏ったヒュッレムを倒すためにクロウはノウェムと協力して、どうにか魔女を仕留めた。

 アバドンを憑依召喚したノウェムは全身を強化外骨格めいた姿に変化させ、アバドンライダーとして第四黙示と同等以上の世紀末パワーを持つ超人となるのだ。

 

 そしてドロップアイテムであるシャロームの書を巡って二人の間で争いが始まる。

 クロウ的には話し合いで解決できないかと一瞬考えたが、召喚士を説得するのは爬虫類を調教するより難しい。

 戦っているうちにどちらかが書を開き、そこから光が溢れでて───。



「気がついたら部屋に居た、と。ようやく記憶が繋がったのう」


 庭でお互いの状況を確認して、回想的に思い出すクロウとノウェム。

 日差しは暖かく初夏のようだ。そんな中で、パジャマを着て方やスリッパ方や裸足で外に出ている自分らはどうにも雰囲気が悪いものをお互いに感じていた。


「で、ここはどこだっつーの」

「己れが知るか。……ところで、不調は無いか?」

「あん?」

「白状するが、起きたら装備を失っている上に呼び出しても疫病風装も出てこぬ」


 手をひらひらさせながらクロウは無力をアピールする。恐らくは相手も同じような状態だと予測を立てて。


「……ちっ。こっちも召喚術も使えねえし、アバドンにベルも居ねえ。おまけに妹の気配まで感じなくなってやがる」


 忌々しげにノウェムも端的に告げた。クロウは彼が焦っているように見えたのは、一心同体ではないが常に一緒である妹が居なくなった、と思っているからだ。

 消えたのか。或いは別れたのか。

 ノウェム兄の目的としては、ダンジョンで二人を分離させる方法も探すつもりであったから後者なら何か参考になるかもしれないが。

 

「なるほど。お主と同じ体に居たのならば巻き込まれたかもしれんな。放ってはおけぬ。探しに行こう」 

「勝手に関わるな。妹はオレが探すんだよ」

「そんなことを言っている場合か。探すにもアテも無いのに」

「……」


 確かに、普段探しものをするには虫を呼び出せば簡単な話だった。しかし今は使えないのだ。

 それに謎の家に居たのも、パジャマの格好も気になる。


「なんでペアルックなんだよアンタと」

「知らん」


 お互いにジト目で言い合っていると、


「あー!」


 非難を込めた叫び声がして、九郎が部屋から出た窓に少女が身を乗り出して現れた。

 虹色の髪のショートカットをした少女。双子の妹だとは言うが、見た目年齢的に兄と一、二歳は離れていそうな雰囲気のノウェム妹である。

 自分の体から分離して、一個人となっている妹を見てノウェム兄はぎょっとした表情になった。

 だが兄の複雑な思いとは裏腹に、彼女はよくわからないことを喚き立てた。


「お父さんもお兄ちゃんも、起こしに来たのに窓から庭に出てる! スリッパも足も汚れるよ! もう、玄関から入ってきてよね」

「……は?」

「誰が……なんだって?」


 クロウとノウェムは口を半開きにして宇宙人が牛を攫っていくのを目撃したかのような表情になった。

 ノウェムを兄と呼ぶのはわかる。

 だが妹は誰を父と呼んだ?


「ほら早く! お母さんが朝ごはんの用意できたって」


 追い立てられるように、クロウとノウェムは思考を放棄した足取りで建物の玄関らしいところに、外から回って向かった。

 やはり変哲のない玄関だ。そこはかとなく家を見上げても、日本の建設会社が建てた古くもない一軒家といったところでやや離れて別の家もあった。家々の間隔からして田舎だろう。

 

「とりあえず入るか……」

「何のために窓から出たんだろうな、オレら」

 

 玄関を開けるとやはりノウェム妹が待ち構えていて、濡れ布巾を兄に渡した。足を拭けということらしい。

 クロウはスリッパを脱いで先に家に上がる。玄関から廊下を歩いて、居間らしいところと繋がる扉を開けた。

 すると妙にきゃぴきゃぴとした高い声が響く。


「お帰りーくーちゃん♪ ご飯にする? お風呂にする? それとも我!?」

「朝一番に聞く三択じゃないよなそれ」


 居間には、エプロンを身につけたヨグがお玉杓子を持ちながら出迎えた。

 クロウは瞑目して眉根を押さえた。起きたときの唐突さ。それはやはりこの魔王の悪ふざけであったのか。心当たりも身に覚えもありすぎる。

 明るいキッチンダイニングに、無駄に新妻風のヨグは似合っていると本人は思っているのかもしれないが限りなくミスマッチだ。

 そもそも彼女は外見年齢が女子高生並なのに、ノウェム兄妹のような子供が居るというあたりの設定からして雑だった。


(変な異空間に巻き込まれたのもこいつのせいか)


 とりあえずクロウは〆ようと思った。

 くねくねしているヨグに自然と接近してヘッドロックを仕掛ける。


「あだだだだ! メガネ曲がる!」

「曲がれ」

「ディーブイだあ! 朝から酷いー!」

「またお主は変なことをしおって。ここはどこだ」

「ど、どこって我とくーちゃんのマイホームじゃん!? 岩手県の大墓村12番地ー!」

「また微妙なところを設定しおって」


 クロウにとって聞き覚えのある地名であった。

 確か、クロウの母親の実家がある東北地方の村落だ。

 これといって特徴は無かったと思うが、ネストリウス派キリスト教会があることやユダヤ人が多いことで一部に知られている。特に関係はないが。

 ジト目でばたばたと暴れるヨグを締め上げていたら、クロウは唐突に後ろから引っ張られた。

 ノウェム妹が慌てたように叫んで制止してくる。


「お、お父さん! 駄目だよ朝からお母さんにドメスティックしたら!」

「ドメスティックしたらでいいのか言葉は」

「お父さんがお母さんを蹴ったり殴ったり投げたりプロレスしたりするのはいつものことだけど!」

「いつものことでいいのかお父さんの認識」


 何か酷く気が抜ける言葉で、クロウは溜め息混じりに手を離した。

 ノウェムは全然娘ではないのだが、クロウがお父さんお父さんと呼ばれるとどうも変な気分になって怯んでしまうのは、これまで娘的な存在は居たもののそう呼んでくる相手は居なかったからだろうか。

 頭を押さえたヨグが涙目でよろける。それを見て、


「あれ? お主、義手はどうした」


 彼女の右手にいつも付いているごついアタッチメントは無くて、白い肌が見える生身であった。


「ぎしゅ?」

「二人は幸せな義手をして終了?」

「いや、違うが……」


 ヨグとノウェム妹が同じ仕草で並んで首を傾げる。

 やはり違和感を感じる。記憶が汚染されていく非現実感だ。胡蝶の夢を見たかのような淡い猜疑心を封じ込める。

 視線を向けるとノウェム兄も頭痛をこらえている表情で理解を拒んでいた。

 

「あー、うむ。ちょっと待て」


 クロウは二人に背を向けてノウェム兄の方へ行き、声を潜めて確認しあう。


「おい。妹の様子はどうであった」

「なんか変な感じだ。この状況に馴染んで当然のようにしてやがる。あのヨグとか云うのは魔王の?」

「そうアバがズレた女だ。こいつの場合は全力で状況に乗っかっているのか、或いは別人なのかまるでわからん」

「別人?」


 頷いて応える。

 本を開き、記憶が途切れてまったく知らない世界観へという状況には心当たりがあった。

 ヨグが持っていた魔道書や、イモータルが使う絵の中に封じる道具のように、


「恐らくここは本の中に閉じ込められた仮想世界だ。脱出したいのならば、自分をしっかりと保て。取り込まれるぞ」





 ******




「はいみんなー、朝ごはんの我が愛情を込めて注文したデリバリーピザだよー」

「朝からピザかよ」

「愛情込めるところ違うだろ」

「夫と息子の容赦無い責めが我を苛む……!」


 とりあえず場を進めて脱出の手段を探すことにした二人は用意された朝食を食べることにした。

 本の中の世界はまさに一個の世界であって無意味な罠や毒は仕掛けられていないはずだ。多分。恐らく。見た目は完全に宅配ピザだから大丈夫だろう。

 

「それにしてもお主、さっきまでつけていたエプロンとお玉はなんの意味が」

「意味なんてないんだけど、なんとなくそれっぽいかなって」

「適当だのう」

「……この糞不味い飲み物は?」

「気の抜けたビール。子どもたちはノンアルで。ハードボイルドな感じー」

「グレるぞこの家庭環境」


 容赦無いツッコミを入れるクロウとノウェム兄である。

 ノウェムはピザをもさもさと食べながら食卓の仮家族を睥睨した。


 この世界の設定として偽りの記憶知識にもある、父親役のクロウ。

 ノウェムの知る限り、どうも竜召喚士を廃人にした男らしい。冒険者の間では知られていて、ユニークモンスターやフロアボスなどを倒す凄腕なのだそうだ。

 帝都で出会い、戦っていたときはもう少し幼く見えたが今は大人の風体をしている。ダルそうな雰囲気がどうも気に食わない。

 

 そして母親役のヨグ。

 彼の育ての親であるアバドンとベルゼビュートが証言したところの、実の母親らしい。生まれてすぐに捨てたようだが。

 見た目はどう見ても妹や自分とそう変わらない年齢の少女で、まったく母といった雰囲気ではない。

 生き別れが感動の再会、というわけでもなくこの場に当然のように存在している。

 

 妹のノウェム。

 恐らくは自分と一緒にこの世界に閉じ込められた際に分離したと思われる。

 まったく疑問に思わずに馴染んでいるのは、恐らくノウェム兄やクロウが感じて、精神抵抗に成功した違和感──この設定された本の世界における自分の記憶に取り込まれたのだろう。

 

 いわば今の状態は、この一家が存在する並行世界があってその中のクロウとノウェムが憑依したようなものだ。

 本当の世界ではなく、本に当たる世界──仮想世界なのがまたややこしくもあるのだが。


「──それでお父さんとお母さん、今年は夫婦水入らずで旅行に行ってくるといいよー」

「ううっ子供たちの成長が嬉しいよねくーちゃん。我の教えたお料理能力が親不在の時に活かされる」

「ピザの注文能力だろうが、お主が教えたのは」


 ノウェム兄がぼんやりとしていると食卓では話が進んでいるようだった。

 胡乱げな表情で妹の方を向いて聞き直す。なにせ妹以外アウェイな空間だ。他人と親失格と少し記憶性格が違うが妹。どれがマシかでいえば最後だろう。


「おい妹。水入らずってなんの話だ?」

「ほら、お父さんとお母さんの結婚記念日って11月22日だから。いい夫婦の日だよね」

「うげ」


 嫌そうに呻いたのはクロウであった。なんでそんな日にわざわざ、と渋面を作るがヨグは楽しそうに云う。


「じゃあ温泉にでも行こうかくーちゃん! 秋保温泉に行って八木山ベニーランドで遊んで帰ってくるとか」

「仙台まで。いやまあ、東北で遊ぶ場所となると仙台ぐらいだが」


 ※東北は仙台以外遊ぶ場所が無い。


「ふふん~ふふ~んふふふ~ん♪」

「八木山の~♪」

「おい歌うな。歌詞はやめろお主ら」


 テーマパークのCMソングを歌い出した母娘をまた止めるクロウは溜め息をついた。

 この世界での設定記憶だが、小さい頃に子供と一緒に八木山動物公園とかに連れて行った記憶もあった。本来のクロウは行ったことが無い場所の記憶があるというので余計に混乱する。


「というかヨグもいい年こいて二人で遊園地とか……ああ、若い頃リアルが終焉な喪女だったから行けなかったんだったか」

「ううっ酷い!」

「年をとってからホビーにハマるタイプは一気に浪費するんだよなあ」

「だ、大丈夫! 我にはユダヤ系資本がバックについている!」


 クロウのこの世界における設定記憶ではこの大墓村出身のユダヤ人が作った国内銀行に就職したヨグはシステムエンジニアとして年収1000万稼いでいて、寿退社した後もそれを元手に固い株で生活費を稼いでいるようだ。

 別にユダヤ系資本は関係ない気もするが。まあ近所付き合いで資金は千万単位で貸してくれるそうだ。

 ヨグが稼げる嫁となるとなんかムカつくなあと思うクロウである。なお彼の職業設定はロシア語の出版物翻訳家で在宅ワークのようだ。

 ──と、クロウの脇腹を怪訝そうにノウェム兄が突いた。

 口元を手で隠しながらクロウに尋ねる。


「おいおっさん。なに馴染んでるんだよ。脱出するんだろ」

「うむ。しかし方法がわからん。己れの知り合いは、自分の体を二次元の文字に分解することで外の世界に干渉して抜けだしたが……」

「さっぱり理解できねえ」

「己れも感覚的にはさっぱりだ。とにかく、鍵はヨグとお主の妹だ」

 

 クロウはちらりと二人でベニーランドのCMソングを口ずさみながら、テーブルの片付けをしている母娘を見て云う。

 そうしていれば血縁に見えなくもない二人だ、とクロウは思った。同じ召喚士であるというのが一番の要素だろうが、そこはかとなくヨグから邪気を抜いたような印象をノウェム妹には覚える。

 

「本の世界ならば物語が存在する。イメージ的には、ページを最後まで捲り終えるか本自体を破壊するかすれば外に出れるはず」

「本当かよ」

「間違いならそれまでのことよ──それと、己れが巻き込まれたのならば持っていた魔剣マッドワールドもこっちの世界に来ている可能性がある」

「マッドワールド?」

「世界の境界を切り開く剣らしい。それを使えばどうにかなるかもしれん。とにかく、見つけたら教えてくれ」

「わかった。とりあえずオレは妹を。おっさんはアバズレを見張っとけばいいんだな」

「……それでいい」


 おっさんおっさんと連呼してくる子供に軽くげんなりするが、それにツッコミを入れても互いの関係を悪くするだけだからクロウは言わなかった。

 おっさんじゃなければパパとでも呼ばれたいのか?という自嘲の感情が浮かんだこともある。

 とにかく、元の世界では対立した関係の相手と一時共闘というか、脱出のために協力することになったのである。


 岩手県大墓村にて、奇妙な家族の生活が始まった──。

 



 ******




 三日目。


「だりィ飽きた」

「おいこら、元の世界への未練を思い出さぬか」


 ノウェム兄が早速協力を放棄した。

 初日二日目は色々と脱出するための方法を探ったり、村の中を出歩いて他の人間と交流してみたりしていた。

 ノウェム兄妹も生徒数が少ない村の高校に通って普通に過ごしていた。

 村民や生徒が怪しげなモブならばともかく、明らかに人格を持っている普通の人であったのでこの世界の現実感に、クロウとノウェムが持つ異世界の記憶が打ち消されそうになる。

 ここが普通の世界で、異世界の変な電波的記憶に囚われているのは自分たちの方ではないのか?

 そんな疑問を一度でも思い浮かべると危険だ。

 そして音を上げたのがノウェムの方であった。

 

 村の公共浴場──ユダヤ人は公共浴場をよく利用する──にて、一家で入りに来たのだが中途半端な時間だったようで他に人が居ない場で、ぐったりとサウナ室でノウェムは云う。


「もう面倒くせえっていうか見つかるアテがねえし」

「まだ三日目だろう」

「クソ悪魔共は居ないし、なにより妹は幸せそうだからもういいかなって思うわけだ。両親役はカスだがあと二年もすりゃ高校卒業して出て行くわけで」

「おのれ。その場の誘惑に弱いのう、召喚士は」


 確かに、この世界はどこまでも普通だった。

 村とはいえコンビニはあるし宅配ピザも届く。

 治安は良くて空気は綺麗だ。

 テレビは映ってインターネットも通じる。

 村民はユダヤ人だが善良で、髪の毛と眼の色が変な一家を差別もしない。

 最後以外は、平凡な現代日本の田舎だった。

 ペナルカンドは一部は発展しているものの、現代日本ほどの住みやすい環境は稀である。

 実家や家族を残してきたのならばまだしも──妹を幸せに暮らさせてやりたいと思っていたノウェムが陥落するのも無理はなかった。


「アンタだって気楽だろ。アバズレもそんなに悪い女にゃ見えんが」

「いやあそれはどうだろうなあ」


 露骨に嫌そうにクロウは顔を顰めた。

 ヨグが決して非常に邪魔とか面倒くさいとか存在が馬超並に不快とかそういうわけではないのだが。

 ここ数日も、魔王城で暮らしていたときとそう変わらない。

 寝場所は同じベッドだがどっちにしろ夜遅くまでゲームをしているヨグは放置していれば無害ではある。

 しかし。


「あれを嫁と認めるぐらいならカナブンと不倫をしたほうがマシかもしれん」

「インセクトファッカーかよ……あ、でも蛾の成虫の腹辺りって結構そそらねえ?」

「うわキモ。ちょっとその話題やめよう」

「んっだテメエ!! そっちが話題に出したんだろがオラッ!!」


 喩え話に同調されて思わず引くクロウにノウェムは叫んで、サウナの熱気を吸い込み咳をした。

 召喚士は自分の召喚属性のマニアになることが多い。

 女湯のサウナでは、話の内容は聞こえないがなにやらやり取りをしている父子の気配は伝わり、


「お父さんとお兄ちゃん、近頃仲がいいなあ」


 感心して呟くノウェム妹と、ヨグは不敵に笑った。


「くふふーさて、どうなるか。くーちゃんはこの平凡な楽園から出られるかな?」







 

 

  

 ********




『お主が諦めようがこの世界に帰化を望もうが、己れはやらねばならぬことがあるから勝手に脱出する。巻き込まれても知らんからのう』


 そうクロウがノウェムに告げて、一人でやろうと決めてから数時間後。

 とりあえずヨグにアルコール度数の高い酒を飲ませて軽く白状させた。


「うううごめんなさいマッドワールド隠したの我でふ……うっぷ」

「弱すぎる……魔王なのにアルコール弱点か」

「違うんだうぷ、この魔道書作った魔女ヒュッレムが、息子がアル中なもんで酒が駄目な魔女で……その影響を受けてうう……」


 正式な方法でない手段で本の世界に乱入したヨグは魔力に当てられているようだった。

 クロウは残念そうに手持ちの道具をそこら辺に投げ捨てる。


「口が固いようなら軽く拷問でもしようかと思っておったのに……」

「それが男の子のやることかよおー!」

「いや、ご家庭の道具を使った軽いあれだぞ? ほら洗濯バサミとかハエたたきとか」

「微妙にエロい方向じゃないそれ!?」

「洗濯バサミで目蓋を挟んだり、ハエたたきを口に突っ込んだり」

「微妙に酷い方向だった! 太もも挟んだりお尻叩いたりしなよ! エロゲーみたいに!」

「太ももに挟むのはこの越冬しようとしたヒラタクワガタを捕まえてきたし……」

「カナブン扱いはやめてくれない!?」

「尻を叩くのは八木山動物公園のシロクマにでも任せるか」

「ニュースになるよ!」


 いつもの調子でやり取りを初めて、やがてヨグはぶふっと吹き出した。

 クロウもその表情を見てやれやれと首を振る。

 そして大きな違和感の正体は、無理をして嫁らしくしようとするヨグから出されるものであったことに気づいた。

   

「……[暗闇の速さはどれぐらい] 」


 彼女が術式を唱えると、影になっていた部分に虹色の召喚陣が浮かび上がり、マッドワールドの柄が浮き出た。

 クロウがそれを握って引き出すと、漆黒の刀身をした魔剣が姿を現す。


「……くーちゃんとノウェムが興味を持ちそうな本をダンジョンに配置してお知らせして、引っかかったところで我も本に入ってみたわけだよ。中の世界に引き込む魔術は掛かっていたけど、別に危ない本じゃなかったからね」

「なに? シャロームの書ではなかったのか」

「ブー。残念。語源は同じだけどトルコ語で[Suleyman(スレイマン)]の書。16世紀オスマントルコの帝王スレイマン一世が書いたラブポエム集でしたー」

「そんなもん出してやるなよ……」


 有名人になるとポエムまで後世に残って大変だと心配する。

 

「この書を守っていたのがスレイマンの嫁で魔女化したヒュッレム──ロクセラーナって名前の方が有名かな? それの魔術で魔道書になっていたんだけど、取り込んだ者のイメージする楽園世界を作り出す能力があるんだね。スレイマンが愛の楽園なんてクッサイポエムばっかり書いてたもので」

「楽園ねえ」

「この場合は取り込まれた君たちのイメージが重なりあったんだね。平凡に暮らしたいくーちゃん。妹の幸せを願う兄。両親と会いたい妹。いい話じゃないか。誰も損をしないWin-Win世界」

「いや、そうはならん」


 あっさりと否定をするクロウは、ヨグの顔を覗き込んだ。

 見透かされたようで、彼女は大きく溜め息をつく。珍しく歯磨きも娘と並んでした口臭だった。


「……そだね。我が面倒になって飽きるのが多分早い」


 家事全般をしてくれるメイドロボも居ない。

 社会経験も履歴書の空白が実際は長い。

 引きこもりでオタクで動きたくない。

 そんな女が、突然一家の主婦になったならば──かなり面倒なことは端折ったとしても、非常に疲れただろう。


「結局我は、自分以外の為に働き続けることが嫌なんだよね。くーちゃんは好きだし、子供にも情はあるけど面倒なことばかりだと嫌いになるかもしれない。それは悲しいことだよ。

 だから我はそんな、幸せな家庭なんて望まないのさ。好きより面倒が優先される我は、いい夫婦になんてなれっこない」

「ふむ。まあ、いいんじゃないか? 己れもお主はさっぱり夫婦になれると思えぬが───」


 クロウはそんな自分勝手だが素直な彼女に告げた。

 

「お主のことは嫌いじゃない」

「それが一番だね。面倒のない距離。だから、きっと君と我は長く居られる」


 ヨグは満足そうに呟く。

 彼女は知っている。

 とても長いスパンでは、個人を愛し続けることも嫌い続けることも難しいことだ。

 いつか好きな相手が好きじゃなくなるぐらいならば。

 嫌いではない、心地良い関係をずっと続けたほうがマシだ。

 人はいずれ死ぬために誰かと寄り添い、夫婦となる。

 ならば死ななくなった人はその関係を求めるだろうか。

 寿命をいくらでも伸ばせるクロウだが、どちらにせよ死ねばヨグのもとに魂が訪れる。

 それを思えば、ずっと恋人や夫婦と一緒に居るよりは、ずっと友人と一緒に居た方が気楽だ。

 

(だからこれでいいんだ)


 魔王ヨグはいい夫婦にならない。

 それは彼女自身が決めてしまったことである。


「さ、その魔剣を振り回せば、ノウェム共々この世界から出られるよ。本の外では僅かな時間しか経過してないから大丈夫」

「うむ。そうか。ああ、そうだ。ところでノウェム兄妹って、お主の本当の子供か?」

「そーだけど」

「……ちなみにちちおy──いや、なんでもない」

「気になる? 教えたげよーか? くふふふひひ」

「そ、それじゃあまた今度な! さらばだヨグ!」


 何か背中に冷たい汗を感じてクロウは笑い転げるヨグを尻目に、マッドワールドをそこら中に振り回した。

 すると紙が破れるようにして世界が剥がれ落ちて行き───




「また、今度ね」




 クロウとノウェムは、元の世界に戻るのであった……。





ヨグちゃんめんどくせ!

面倒くさい思考すぎて中々文章もまとまらない

この後メチャクチャ虫召喚士と戦った

大墓村は架空の地名。胆沢郡のあたりを想定

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