113話『シモの話』
※今回若干チンコです。苦手な方注意
九郎という男は怪力無双である、と知り合いの間で共通認識だ。
米俵を幾つも軽く持ち上げ、振り下ろした撓を受け止めた相手が床に叩き潰され、人間を小石のように軽く投げ飛ばす。
人間離れしているそれらの怪力は、首に巻いてある[相力呪符]という術符の効果である。これは、筋力を一定量強化するのではなく、相対的に必要な力を生み出させるというその場その場での出力調整が自動で行われる身体強化の魔法が込められている。
無論、強化には限度があるがその気になれば生えている杉の木を掴んで引っこ抜けるぐらいには強くなるだろう。
それらが無ければ、というが元々の九郎も腕っ節はそれなりのものがあった。
喧嘩をすれば相手が格闘技か何かを使いこなしている者でなければ、腕力と度胸と反射神経で一方的に勝てたぐらいだ。
幾ら中学生ぐらいの体格になっていても、素の身体能力でそこらの大人チンピラぐらいなら殴り倒せるはずである。
だが、それでも最低限今の身の丈五尺三寸(約159cm)あってのこと。
その日、九郎の背丈は四尺五寸──つまり約135cmまで縮んでしまっていた。
「これはこれは」
「じゃ、ないだろう! なんてことをしてくれたのだ、将翁!」
口元を左右に釣り上げて笑う女薬師、阿部将翁に九郎は幾分高くなった声で抗議を叫んだ。
緑のむじな亭、彼の自室でのことである。
二階で昼寝をしていた九郎のもとにふらりと現れた阿部将翁が、彼の肉体年齢を変化させる薬酒を作ったので確かめてみたい、と提案してきた。
既に九郎の体が一時的に白児乾という大陸の蒸留酒で大人の体型になるのはわかっているが、薬が上手く作用したら自在に変化させられるかもしれない、という説明には心惹かれるものがあったのだ。
薬の名は[甘露酒]というらしい。
同じ商標の種子島産芋焼酎ではない。作者もそちらは飲むことがあるが、中々にいける焼酎でオススメではある。
ともあれ将翁の怪しい酒を迂闊に飲んだ──毒でも解毒されるからいいか、と思った──ところ、体が縮んだのであった。
具体的には普段の十四、五歳あたりから五年ほど若返った小学生状態に。
「ぬう……本格的にちびっ子だ。少年探偵か己れは」
これまでの体型は見た目こそ童顔があり子供風ではあったが、江戸の世では平均身長的にそこまで低い背では無かったのだが。
この体型では完全に子供だ。着衣もダボダボとして、特に下着がズレて落ちそうだった。
「おやおや、こいつはちょいと……間違えてしまいましたか」
「医者が使ったら駄目な言葉一位だろ。間違ったって!」
「てへ、ぺろでやんす」
「そう云うキャラじゃないだろお主!?」
肩を掴んで揺さぶろうとするが、予想以上に小さくなった体格差でまったく効果がなかった。
装着者の力を底上げする魔法具[相力呪符]はその日は外して部屋干ししていたのである。
昨晩、一緒に呑んでいた鳥山石燕が酔っ払いながら九郎に絡んできて、口に含んだ酒をだらしなくびちゃびちゃと漏らして彼の首元を濡らしたので洗濯していたからだ。ゲロではないのでヒロイン的にセーフかもしれない。
ともあれ、十歳児相応の力しかない九郎にとって女性ではあるが将翁にさえ負けている状況であった。
「いえ、ね? 多少は予想通りでもあるのですが……効果が強すぎたというか」
「予想通りだと?」
「ちょいと失礼」
「うわ何する離せ!?」
九郎の細くて筋肉質がまったく見受けられなくなった、柔らかい腕を将翁は軽く掴んで片腕で抑えこむ。
そのまま覆いかぶさって九郎と足を絡めて動きを完全に封じた。
「ぬう!?」
体格差で眼前に白い餅のような胸が押し付けられて視界まで塞がれた。
どことなく脂肪の冷たさがあるそれはふにゅりと形を変えてのしかかる。
「これ! 退かぬか!」
「まあまあ、診察でございます、よ」
「噛みつくぞ!」
「くくく、お好きなように」
「むう……」
噛みつくと云っても目の前には胸しかない。
抵抗にしても胸に噛みつくのはどうもよろしくないと九郎は思った。痕に残るだろうし、どうも恥に感じる。そこまで考えてこの押し倒している状態にしているのならば大したものだが。
そうしていると、彼女の手が九郎の着ている、サイズが合っていない着物の内側にするすると入っていく。
肌をまさぐられる感触に背筋が粟立つ。
そして将翁の手はやがて九郎の下腹部──逸物のあたりで、つまむように確認をされていた。
「おいこら! 人のブツを……!?」
手で触れられた部分の感覚が、普段の彼が持つ愛国者銃めいた巨砲とは違い、思わず体を硬直させる。
「ふむ……やはり……」
揉むようにして弄ぶ将翁が思案顔でそう呟いた。
手先の感覚では、九郎の逸物はやや太めの親指程度の、小さな蕾になっていた。毛も生えておらず、睾丸も縮んだ饅頭のようになっている。
将翁は白いユムシのような余り皮の先を引っ張りながら、もにゅもにゅと柔らかい中の芯を刺激する。
触診だ。手で触れて診察する医療行為の一種であり、決して卑猥な何かではない。
指でも中に入れてみるか、と先端を突っついたところで、叫び声がした。
「やめんかあー!!」
「───痛ッ」
キレた九郎から容赦なく胸を噛みつかれた。
さすがに僅かに血が滲むぐらいに噛まれたので、それ以上は溜まらないと将翁はのしかかっていた体勢から離れる。
白い右乳房の上部──目立つあたりに九郎の歯型がしっかりと残っている。水滴のように少しだけ浮かんだ血が一滴、胸の丸みに沿って痕を残して垂れた。
九郎は歯で威嚇するように見せて後ずさりしながら離れて立ち上がり、怒り心頭といった顔で怒鳴る。
「人のチンチンを弄るな馬鹿者! 稚児趣味に目覚めたか! 青田狩りの後継者と呼んでやろうか!」
「そいつはご勘弁。いえね? あたしゃ、ただ治療の一環として薬を飲ませて触診をしたのでございます、よ」
「治療だぁ?」
眉根を止せて睨みつけるのだが、姿が十歳児なのでどうも滑稽に映り迫力はまるで無かった。
笑みがこみ上げる口元を将翁は隠しながらおどけた調子で告げる。
「前々から各方面より、九郎殿の不能を治療してくれと頼まれておりまして」
「余計なお世話だ」
「いえいえ、考えても見てください。例えば石燕殿やお房殿が病気に掛かったとして、当人らは治療を断っているのに九郎殿があたしに治療を頼み込むことは余計なお世話になりますかい?」
「そういう喩え話って大抵状況が違うのが一番の問題だよな」
云うが、聞いていないように将翁は歯型のついた胸を己の指でなぞり、血を拭う。
その指を口に入れて蠱惑的に九郎を見ながら、
「九郎殿の九郎棒が動作しないのには原因があると考えておりまして」
「加齢だろう」
「いえいえ。確かに老人になればしんなりと落ち着いた真面目な泌尿器へと変貌することが多いのですが、九郎殿はむしろ若さ真っ盛りのお体に、成長済みの九郎棒。八十九十の好色者が居ることですし、十分役に立つはずでした」
「……とりあえず、目を見て話せ。人の股間をジロジロ見るな」
身の危険を感じる九郎はそう告げた。
普段は感じないのだが、体が自分でも慣れていないぐらいに縮んでいて、容易く将翁からもねじ伏せられることを体験するとどうも不安に思える。
それに彼女の目だ。
狐が餌の小動物を見るような、ぎらりとした眼差しに見えて仕方なかった。
(体が小さいというのは、ここまで大人を怖い風に見せるものなのか)
老体から十代半ばに戻ったときにはそれほど感じなかった、体格の違いからくる恐怖を九郎は味わっていた。
「ここまで警戒されてちゃいけねえ」
肩をすくめて笑いながら、将翁は腰を浮かす。
九郎がいつでも逃げれるようにするが、彼女はそのまま九郎の部屋から出て行った。
「む?」
姿を消して一秒。すぐに再び阿部将翁は部屋に入ってくる。
ただしその姿は──九郎とほぼ同じ年齢ぐらいに見える、小柄な少女の姿である。
先程までの女の姿をそのまま少女時代に戻したような雰囲気だが、子供だからか狐面も祭りで遊んでいるように見えなくもない。
幾つもの姿を持っている阿部将翁のひとつの形態であった。
彼女は落ち着いている囁き声で云う。
「とりあえず、これでいきましょうか」
「準備がいいのう。最初から二人で来ていたのか」
「さて。何のことだか……ほら、ここに九郎殿の噛み跡も残ってますぜ」
ぺろりと着物を開けて胸を見せると、膨らみかけた乳房の九郎が噛んだところと同じ位置に新しい歯型があった。
どういう理屈だと思いながらも九郎は、
「見せんでいいからしまえ」
と、着物を正させた。
まあ少なくとも、大人将翁よりは安心できる姿ではある。さすがに、同年代の少女には押し倒されないだろう。
溜め息をついて目の前に座らせた。
「それで話の続きをしますと、九郎殿の九郎棒が役に立たないのは、体格に比例して大きすぎるから血が回らないのではないか、と考えました」
「ふむ……まあ、確かに無駄にでかいな。使えんのに」
男として誇らしく思わなくもないが、邪魔は邪魔である。
巨乳の女性が肩が凝るだとか動きにくいだとか悩みがあるように、巨根の男にも相応の煩わしさがあるようだ。
将翁は真面目ぶった声で続けた。
「なので作り出したのが──陰茎を小さくする秘薬」
「信じられないものを作るな!」
悪魔の発明に、思わず九郎は己のリトル相棒を押さえる。
彼女はくすくすと笑って、
「いえなに、適性の大きさに戻すだけの薬効を狙っただけでございまして。ほら、腫れただの、かぶれただのは珍しいことではありませんので」
「むう……」
余談だがこの時代、尿道炎の患者が多かった記録が残っている。症状が酷くなると尿道から膿を出したり亀頭が腫れたりするという恐ろしいものだ。
原因は性感染症──特に陰間との同性間で発生することが多かった。ナマは危険が伴うのだ。
「効き目が良いよう、神酒に漬け込んで作ったのが九郎殿の体に掛かってある妖術と変な反応をしたのか……そうなってしまいましたが、ね」
若返りの薬というよりは、九郎の体に掛かってある魔法が問題だったらしい。
「で、これは元の体に戻るのか?」
「牛乳を飲めば大きくなりますぜ」
「適当だな!」
「とんでもございません」
心外だとばかりに彼女は手を振って、薬箪笥から取り出した調合図のような紙を広げて見せながら告げる。
「この薬酒は仏教で云う[阿密哩多]という秘薬でございまして、その材料として大事なのが牛の乳。水を飲んでも成分は、油に水を注いだように薄まりませんが、牛乳を飲めば効能も薄まり、やがて消えるでしょう」
「ううむ、疫病風装を着ても効果が無いようだしのう……」
九郎の体に感染した病毒を無効化する青白い衣を羽織るが元には戻らない。
あらゆる害する要因を無効化するというのでは、体に必要な菌類やむしろ有効的な成分すら消し去るのである程度の病気とされるものにしか効果は無いのだろう。
「しかし、江戸に牛乳などあったか? 白牛酪を溶かしたものは見たことがあるが……」
「そう、それ」
白牛酪というのは蘇の一種で、牛乳を加工して作られた薬と栄養食品を兼ねたような高価なものであった。
「白牛酪があるならば、乳牛も存在する」
「ほう」
「将軍吉宗公は大層珍しいものや、珍獣も好んでおりまして。乳牛が南蛮より献上されたのを気に入り、嶺岡に牧場を作られた。その噂を聞いたオランダ商館が、再度乳牛を持ってきて今はひとまず小石川養生所にて飼っているのだとか……」
「その牛の乳を使って薬を作ったな、さては」
やけに詳しい材料の所在地に訝しんだが、少女は薄く微笑んだままだ。
「はぁー……仕方ない。とりあえず牛乳を分けてもらいに行くか」
「あたしもご一緒しますぜ。養生所には、顔が利くもので」
「まったく……」
言いながら出かける準備を整える。
とりあえず寝間着にしていた半纏はサイズが合わないので脱ぎ、トランクスも歩く度にずれ落ちそうだから外した。
褌を巻くほどの大きさのブツでもないので、疫病風装で隠れていれば別に下着はいいか、と諦める。
「……」
「……なんで人の着替えをガン見しておる」
「もちろん──診察でございます、よ」
異様な熱意を感じる視線に、九郎はそそくさと疫病風装に袖を通す。
体のサイズに自動で合わせられて、お八の手によって和服に仕立てられたそれはいい感じに着流しとして体を隠してくれる。
普段は動きやすいように股引きを履いて着流しの裾を腰で括っておくのだが、今は股引きのサイズも合わないのでこれでいいことにした。
腰に術符フォルダを点けたベルトを巻きつける。それは普段よりも大きく見えた。
刀は持てそうにない。さすがに、身の丈より長大な太刀を持ち歩く十歳児は異様だ。
干している相力呪符に手を伸ばしたが──、
「うっ」
僅かに、ぬめっとした手触り。そしてそこはかとなく臭う。
一応洗って干したものの、吐瀉された成分が染み込んでいるようだ。ヒロインの臭いではない。
後でまた洗っておこうと思い、今は身に付けるのを諦めた。
そうしていると耳鳴りとでもいうのか、どこからともなく声が聞こえてきた。
『トゥルルル。こちらヨグちゃん。くーちゃん、小さくなったって本当!?』
『ヨグ』
心の中で呼びかけるに、どうやら異界から脳内通信しているようだ。
『はー無理やりショタペロしてぇー……あ、いやなんでもないよっ! 体がついに少年探偵並になったくーちゃんにお得な情報を伝えておこう』
『なんだ』
『鳥取の県民的アニメで有名な某名探偵だけど、とんでもない数の事件に巻き込まれていても実は派手な爆発事件はあんまり遭遇していないんだ』
『どうしてだ』
『ガス会社がスポンサーだから』
『……それを伝えて何の意味がある』
『いや別に……あとその体型のまま今晩我の世界に来てくれない? ショタペロしてぇー』
通信を切った。必ず夜までに元の姿に戻ろうと決めつつ。
「行くか──ととっ」
「おや。転ばぬように気をつけて」
手足の長さが急に変わり、重心もずれたので九郎は歩き出すと転びかけて、将翁が手を取ってくれた。
どうにか慣れぬ歩幅で廊下を進む。毎日降りていた階段も、どこか大きく見えて小さく笑った。
一階に降りると客はまばらで、暇をしていたお房が九郎の姿を見て慌てて駆け寄ってきた。
「九郎!? 今度は小さくなったの!?」
「この話の通じやすさよ」
「兄さんは何しても『まあ、九郎だから』で済ませられるからなあ」
じろじろと自分より小さくなった九郎を見ながら、タマもそう云う。
彼の知り合い間ではもはや空を飛ぼうが大きくなろうが小さくなろうがネコミミが生えようが、恐らくは彼だからという理由で納得されるだろう。
目の前に立ってじろじろと見てくるお房。
視線が近く、新鮮に感じるのは九郎だけではなくお房もだ。
「へー……九郎も小さいときってあったのね」
「そりゃな」
「んふふ、ほらっ!」
お房がどこか嬉しそうに、九郎の背中から手を回して抱きついた。
「あたいとそんなに変わらない!」
「そうだのう……どうも頼りない」
「ま、いいわよ。成長したら大きくなるんだから、将来性ってやつね」
「しかし、兄さんもここから一尺五寸は背が伸びるのだから不思議なものタマー」
現在の身長と、大人になったときの背丈とに視線を交互しながらタマも云う。
そう言われれば十代の頃は成長痛に悩まされた記憶が九郎にもよぎり、膝のあたりが痒くなるようだった。
「九郎殿、行きますぜ」
「おう」
「あら? 出かけるの?」
「ああ。将翁とな。これじゃあ不便で困るから元に戻す為にちょいと出てくる」
「ふーん……」
よろよろと歩いて、将翁から手を握られて支えとされている九郎を見て、お房はどこか胸がざわつくのを感じた。
「あたいも行ってくる!」
「頑張るタマー」
「応援してますよーう」
「うむ」
タマ、お雪、六科から謎の声援を受けて、お房は九郎の隣に並んで歩いた。
「フサ子?」
「危なっかしいもの。心配だわ。お小遣いも持ってないし」
「まあそれはそうだが」
「それに先生も、あんまり九郎と将翁さんを一緒にさせてたら危ないからって注意してたわ」
「くく……そいつぁなんとも」
と、三人で小石川へと足を向ける。
途中で店に寄り、軽食でも腹に入れていこうと九郎は思った。体が小さくなった影響か、腹が減っている。
(思えば、若い頃はいつも腹が減っていた気がするのう)
よく食べていたのが成長の秘訣だっただろうか。小学生頃までは、父親も家に居ることが多く家の貧しさも食事を少なくする程ではなかったので、好き嫌いなく食べていた記憶がある。
「大根漬けがあるな、それと酒を」
「……坊主、酒はあと十年待つんだな」
「むう」
さすがにこの体では酒を断られた。
飲酒の年齢制限があるわけではないのだが、子供が昼間から酒をかっ食らうのを止める程度の認識はあったようだ。
がっかりして九郎が項垂れていると、お房が注文した握り飯を貰ってきていた。
「はい九郎。駄目よ、子供なのにお酒は。悪い大人になるのよ」
「そうだな。人の首筋に吐き出すような大人になったら駄目だぞ、フサ子」
「ならないわよ。っていうか女として失格よ」
「手厳しい」
くく、と笑って将翁は薬箪笥から取り出した、小さな煙管で煙草を吹かしている。
苦い煙草の臭いというよりも、薬草を燻したような匂いが出るものであった。
彼女の場合は見た目も九郎やお房と変わらない年齢なのに、そこはかとなく似合っている。
「あら? 将翁さん、胸に傷が付いているわ」
座っている彼女を見下ろして、着衣の隙間から胸に歯型が付いているのをお房は見つけた。
首元を緩めて小さな肩を外に出しているような着こなしなので胸まで見えやすいのだ。
「ああ、これは九郎殿に噛まれまして」
「九郎!」
「久しぶりに出したなそれ!」
アダマンハリセンでバシィと九郎の背中を軽く叩くお房である。
「駄目じゃない! 女の子の体を傷物にしちゃ!」
「待てそれは凄まじく人聞きが悪い」
「セキニン取れって将翁さんに言われたらどうするの!」
「取らないが」
きっぱりとそう云う。九郎は責任は取らないとしっかり言えるタイプの男だ。
「九郎!」
「怒鳴るなって! ほら、移動するぞ」
「くくっ……」
妙な方向に話が進んでいるのを、面白そうに将翁は笑っていた。
暫くすると、珍しく正装の袴姿の晃之介が九郎達三人を見つけて近寄ってきた。
恐らくはお房の姿が目についたのだろう。そして狐面の少女は将翁、挟まれている小さくなっているのは九郎当人だと察するのはすぐだった。
「おう、晃之介。柳河藩の帰りか?」
彼はまだ柳河藩の屋敷にて、弓術や剣術の稽古を指導している。むしろ道場収入よりもそれがメインな仕事であった。
「ああ。しかし……今度は小さくなったのか。大きくなったなら戦う準備は出来ているんだが」
残念そうに言いながら頬を掻く。
九郎が青年形態になったときにもう一度戦う約束をしているのだ。九郎自身は。この無闇矢鱈に強い武芸者と殴り合いなどはやりたくないのだが年に一度ぐらいはそれとなく気乗りする。男の子はそういうものである。
「準備?」
「六天流の技なんだが、集中して実力が伯仲していないと中々使えなくてな……本番が楽しみだ」
「そうかえ」
「ちょっと晃之介さん。九郎を大怪我させたりしないでよ」
「なに。九郎なら余程の大怪我でもひと月も掛からずに治る」
「嫌な信頼だのう……」
「念のため、その時はあたしが近くに居ましょうかい?」
「頼んでおくか……」
将翁が申し出たので受けておいた。
「そういえばこの辺りは藩邸から外れておるが、どうしたのだ?」
「給金を貰ったからな、子興殿に何か土産でもと思って……」
晃之介は通りの左右を見回す。
この辺りは賑やかな場所で菓子屋や細工屋が多くあり、江戸に来た旅人・藩士なども訪れる場所であった。
「しかし目移りするな……九郎、何を買えばいいと思う?」
「うむ? そうだな……簪でも買ってやればいいんじゃないか」
子興は九郎の知り合いの中では、まっとうに髪を結い上げている娘だ。差す簪も似合うだろう。
そう告げると晃之介はあからさまに動揺したように、身構えた。
「か、簪をか? そ、それは……」
「どうした」
「男から女に簪を贈るのは、殆ど求婚を意味するじゃないか」
「……」
「……」
九郎の視線が、お房の髪の毛にちょこんと付けられている簪に向いた。
居候を初めて最初の七夕にお房にくれたものである。三巻にも掲載される予定のエピソードだ。
将翁がにやつく。
「おや、おや」
九郎は目を閉じて明後日の方を向いた。子供にやるものだからセーフ!
それ以外にも特に気にせずに、石燕やらお八にもくれていたような気がするので問題は無い。
むしろ晃之介が気にしすぎなのだ。これだから童貞は、と九郎は頷いた。
「まあ、己れに勝ったら祝言を上げるのだからいいだろう別に」
「む、むむむ……だがこう、重い男だとかで引かれないだろうか」
「知らん。まったく、一人で悩んでおれ」
腕組みをして難しげに唸りだした晃之介を放置し、九郎は先に進むことを促した。
「行くぞ、フサ子。将翁」
「はあい……ねえ九郎」
「なんだ?」
「この簪、大事にしてるからね」
「そうか……」
お房自身も、何故そう言ったかわからなかったが、なんとなく九郎にそう告げた。
******
養生所の病人が寝泊まりする宿坊から離れた、薬草園の角に牛は飼われていた。
管理している与力に将翁が話をするとすぐに牛のところまで通される。
乳房が桃色に張っている白い毛並みの牛であった。
「どれどれ」
将翁が躊躇いの無い手つきで瓶を持って牛の腹元へかがみ、乳首を握って白い液体を絞りとる。
どうも手つきが、先ほど九郎棒をまさぐられたことを彷彿とさせる動きで九郎は渋面を作った。
お房はそれとは別の理由で口を半開きにして、九郎に聞く。
「ねえ。本当にあれを飲むの? ちょっと気色悪くないかしら。だって獣の乳よ。獣の。人間の乳だって大きくなったらなんか気持ち悪い気がするのに」
「牛乳を飲む文化がないところだとそう思うだろうなあ」
白牛酪も固形の薬であって、今しがた目の前で絞られている生暖かい白濁液とはわけが違う。
現代日本人で牛乳を飲み慣れている人でも、すぐそこで絞った生乳は抵抗があるという人間も少なくないだろう。
江戸時代の一般人が牛乳を飲んだ記録の一例として、『伊勢海から帰ったらロシアなのである』で有名な大黒屋光太夫一行の話がある。
天明2年(1782年)に伊勢湾で嵐にあって漂流し、アリューシャン列島、カムチャッカ、オホーツクと極寒で食料も乏しい地を渡った船乗り達だったが、保護されたロシアの役人達に体を温めるためにと牛乳のスープを出された。
最初は気付かずに飲んでいたのだが後日それが牛の乳と気づいて吐き出すものまで居て、栄養不足の只中だというのに牛乳は出さないでくれ、と頼んだほど忌避感があったようだ。
ともあれ、薬として変なものでも口にする将翁や、現代人的な九郎に比べてお房から見れば牛乳はかなりゲテモノドリンクに見えるだろう。
瓶一杯に絞った将翁がそれを抱えて持ってくる。
「これでも牛の乳は体にいいんですぜ。体は大きくなるし、胸だって膨らむ」
「そうなの?」
将翁は頷いて説明をした。
「大陸では昔から、望む力を持つ動物を食って霊力を得ようという考えがありまして。虎を食って強くなろうとか、蛇を食って長生きしようとか。それで牛の乳から霊力を貰い、牛のように巨乳になる……なんて考えもあったようで。
王朝の中には後宮の女達に牛乳を大量に与えていたそうですが供給が少なく、代わりに豆乳が用いられ、豆腐などの料理に発展した……ということもあったとか」
「ふうん。胸がね」
ぺたぺたと自分の胸を触れながらお房は九郎に聞いた。
「九郎は大きいのと小さいの、どっちが好き?」
「フサ子。人間、胸の大きさではなく胸の中にある心が大事なのだよ」
「そういうのいいから。単純に好みの問題よ」
「む」
適当に諭そうとしたが、誤魔化しが利かないようだ。
子供をあまり騙し続けるとそのうち信頼されない大人になってしまう。九郎はやむを得ず、思案してみた。
女の好みなどあまり思い浮かべたことはない。言葉の通り、中身の方が大事だと思っているからだが。
それでも敢えて好みの外見的特徴を上げれば。
(金髪。巨乳。デコ……か?)
ぱっと浮かんだのはそれだった。どこぞのデュラハンが該当するが、彼はこの段階では鎧を脱いだ姿を見たわけではない。
とりあえずは素直に、
「まあ……どちらかと言えば大きい方が」
「ふうん」
お房はそう云うと、将翁から瓶を受け取って一口牛乳を口にした。
まずい、とそう言いながら九郎にすぐに手渡したが。
*******
飲んで暫くして効果が現れる。
と、将翁が言った通り、牛乳を飲み緑のむじな亭の二階に戻ってきて少しすれば九郎の体はやがて薄く光り出して、元の十四ぐらいの少年型へと変化していた。
あぐらを掻いた格好で見慣れた手足を確認して、顔を撫で回し九郎は一息つく。なんだかんだで、その少年型が三十年以上も続いている最も人生で長い状態なのだ。
「ふう、なんとか戻ったか」
「ちょいと失礼」
「む?」
するりと近寄ってきた将翁が九郎の体に正面からぶつかった。
あぐらの九郎と対面座位になる形で将翁が座る。
慌てて突き放そうとすると、どうやったのやら九郎の両手両足は背中側に引っ張られて、縛り上げられた。
「なに!? くっ……この!?」
無理やり束縛を解こうとするが、呪符のブーストが無い身体能力ではそれも難しい。
将翁が少女型だから油断をしていた。
「なに、ちょいと確認をするだけですよ」
「おい待て待たぬか」
手を九郎の足の付け根に這わせて、まさぐる。
冷たい感触が当たった。握ってくる。冷や汗が吹き出た。手をもがいて脱出を試みる。
「今度は成功したようで、程よい大きさに収まってますぜ」
九郎の九郎棒は年齢相応上位、程度になっているようである。
十代にしてはデカいが、無闇に人を威嚇しない。そんな常識的なサイズだ。
将翁の指先が鈴口に触れてかるく揉むように動いている。もちろんこれは触診であり治療行為の一種なので卑猥は一切無い。
しかしながらヤバイ気配を九郎は感じて、体のリミッターを解除しようとする。
「そうか。ちなみにあと十秒で無理やり縛ってる糸をブチ切る」
準備するのは瞬間的に筋力を増幅させる火事場の馬鹿力という奴だ。腕や肩は傷むかもしれないが、危機を脱する方が先決である。
「おおっと、怖い怖い」
将翁はあっさり手を離して両手を上げ、降参の仕草を見せて九郎を縛っている糸を外した。
やり場の無い怒りに、大きく溜め息をついて将翁を睨むが彼女は相変わらず飄々とした様子だ。
「治療の一段階はこれで完了。今日はこれぐらいにしときますか。お代は結構ですぜ」
「……ちょっといいか将翁」
「どうされました」
九郎は諦め気味に、医者へと訊ねた。
「治すってのはこの際ともあれ──厭らしくない方法は無いのか、これ」
不能を気にしたことも、無くはないのでどうしても治したくないと主張するわけではないのだが。
治療行為が露骨にエッチピストルをもしもしするような、エロい路線なのはどうにかならないものだろうか。
だがやはり将翁は、少女だというのに傾国の美女めいた微笑を浮かべて、
「生憎と───あたしゃどすけべなもので」
それも医者が言っていい言葉じゃないだろう、とがっくりしながら九郎は頭を抱えるのであった。
*******
「ショタぺろぺろー!」
夢の中でヨグが妄言を吐いていたので首を絞めて気絶させた。
*******
「ふふふ九郎くんが小さくなったって!? 今こそ絶好の潮時! お姉さん力で少年ぺろぺろだよ!」
翌日石燕がやってきて妄言を吐いていたので、ゲロ臭い術符を顔に押し付けて彼女を泣かす九郎であった。




