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外伝『IF/現代編・中:昔の誰かと、今の誰か』

 フリー百科事典より。


 助屋九郎[すけや くろう]は江戸時代中期から後期にかけての、複数の人物及び妖怪をモデルにした創作上の人物。歌舞伎、テレビドラマなどの創作物では「九郎天狗」とも知られている。

 モデルになった人物たちの本職は御用聞き、用心棒、陰間などと様々な説がある。


 以下は初期の講談が伝える略歴である。

 九郎は相模国、大山に住む天狗であった。享保の頃に江戸にやってきて蕎麦屋(呉服屋、薩摩との交易商の店とも説がある)に住むことになった。

 妖術らしい妖術を使わずに、店に助言することで繁盛させる一方で悪党を懲らしめ、火付盗賊改方や町奉行の御用聞きとして十手を得て、以後は江戸の街で様々な事件を解決していく。

 その没年などは設定されておらず、天狗だから長生きという理由で幕末まで目撃談があったぐらい、町人の間では有名なキャラクターである。

 享保XX年に出版された[助屋九郎物語本]から始まっており、多くの作者、浮世絵師がその姿を書いていて幕末までシリーズは続けられた。


 人物


・複数の絵師が九郎天狗の絵を残しており、喜多川歌麿や鳥山石燕などの有名な浮世絵師も含まれる。絵師や年代によって細かくは変わるが、月代を沿っていない童子のような髪の毛に青い衣という点は共通される。

・御用聞きや用心棒以外に、講談によって様々な職業についている。料理人、商人、忍者、医者、作家、妖術師、侠客、剣士、罪人、女のヒモなど。

・特に女のヒモであった、という文献は多く残り「複数の女に己を養わせてやるのが人として善きこと」という言葉が残っている。架空の存在ながら江戸時代で一番有名なヒモであると言われた。

・初期以外の版では空を飛ぶ能力をよく使っている。これは当時の日記などの記録で複数、江戸の空を何者かが飛んでいたという記述があることからの設定であるといわれている。(その浮遊物は渡り鳥などを誤認した説が有力)

・喧嘩に滅法強く「鬼の力を持ち、天狗のように飛び、仙人のように道術に秀でる」と謳われた。

・幾つかの名物料理などが、九郎が発祥したとあやかっている(講談本にそれらしい料理の名前自体は出てくる)。以下はその一覧である。

 白くま(かき氷)

 かすたどん

 黒棒

 江戸前ピザ

 稲荷寿司

 台湾ラーメンアメリカン




 *****





 九郎は携帯端末の画面に映った情報にそこまで目を通して、ぱたんと折りたたんで読むことをやめた。

 その動作に慌てたように、対面に座ってヨグが手を伸ばす。


「ちょっ! くーちゃん!? スマホを折りたたまないでよ!」

「よくは知らんが携帯電話とはこうしてパッカパッカするものだっただろう……前後スライド式だったか?」

「昭和の人間か!」


 ヨグは自分がプレゼントした端末をひったくって、液晶どころか本体に大きくヒビが入っているのに「あ~」と眉をひそめて声を上げた。

 迂闊に過去人に文明の利器を与えてはいけない。

 ため息混じりに放り出すのを慣れたように、隣に座っているイモータルが端末を受け取った。


「ご安心致してください魔王様──保護シートを貼って守護り致しました」


 べりべりと液晶画面に貼られた薄いシートをはがすと、本体の傷ごと冗談のように消える。

 改めてイモータルはピンセットで新しいシートを、画面に正確に貼り付けて手袋をつけた手を滑らすように気泡を作らずに整える。

 

「どうぞ──と渡し致します」


 イモータルから受け取って再び画面を見ると、やはりヨグに言われたとおり検索して見つけてしまった「九郎天狗」なる存在についての記事が書かれていた。

 脚色や解釈の違いなどは多いが、間違いなく自分が江戸に居た頃のことである。


「なんでこんなに話が残っておるのだ……」


 確かに、途中から目立つことも気にせずに適当に過ごしていたのだが。 

 いや、緑のむじな亭に入ったときの頃から話は始まっているようだ。ただ、藍屋に居候をしていたとか、鳥山石燕の屋敷に最初から居候していたとか──石燕はしっかり女と記述されている。どっちの石燕のことかは区別されていないが──そして或いは。


「失礼し申すッッ! 白くまン細かと三つ! おまたせしちょり申したァ~~ッッ!!」


 叫びで白いかき氷の入れられた硝子の器にヒビが入ったが、とにかく目の前に小さめの白くまが置かれた。

 そう、何故か鹿屋に居候して薩摩の特産品を作ったという謎の説も残っている。

 鹿屋という屋号の店自体は今は残っていないが、戦前は地方財閥となるまで発展して、今でもこうして東京に出張までしてくる鹿児島の大型デパートとして続いている。


「それはほら。あのヤンデレに好かれて夜も眠れない眼鏡が薩摩をスポンサーにしてくーちゃんの話書いてたから。おまけにその子孫とか、あと流行に乗った二次創作作家とかも」

「雨次め……こうしてうっかり残ってしまってるではないか」


 今でもぱっと思いつくのは、やたらしんどそうな少年期の儚い顔だったが昔の友人に舌打ちをした。


「くふふ、しかも時代劇にもなってるよ? 見る? 見る?」

 

 ヨグが自分の携帯を操作して動画サイトに繋げる。画面に映る青い着物のイケメン俳優は、何故か天狗の面を顔の横につけていた。

 阿部将翁の特徴も混ざっているのではないか、と九郎は更にげんなりしている。


「まー大体はくーちゃんのやったことの記録からとはいえ、同時代の変人たちの要素も混ざってるんだろうね解説通り」

「稚児趣味にならなかったのが幸いと思うか」


 九郎の主観時間からすれば二百年以上も昔のために、思い出すのにはかなり苦労をする。顔を思い浮かべても、出てくるのは若い頃の姿ばかりだ。皆が晩年になり寂しくなったときのことは、あまり思い出したくないからだろう。

 今でもやたら鮮明というか、時々会うのは阿部将翁ぐらいだ。彼らの一族本家は別の阿部何某と名乗っているが、昔の一時期に九郎と関わったことで[阿部将翁]という分家が発生して現代にも続いている。

 

「しかしどうにかならんのかこれ。色々使われておるのだが、己れが」


 しゃくしゃくと白くまを食べながら、端末で検索して出てくる蒼衣の天狗を元ネタにした様々な創作物に九郎は胃が重くなるような気分を味わっている。 

 江戸時代から幕末まで活躍した、あたかも実在したかのような妖怪として。

 漫画やゲームなどでも登場させられてるのである。


「妖怪大決戦シリーズ……九郎天狗VS大天狗・後白河法皇とか年代が違いすぎるだろう」

「こっちの妖怪を仲魔にするゲームだとくーちゃん中々強いよ。レベル74、種族魔人、氷結・破魔・呪殺・魔力・精神・神経無効」

「どういう基準で付けられてるのだ」

「大変ですクロウ様──江戸 ヒモで検索するとクロウ様のウェブページに誘導致されます」

「泣くぞ己れは」


 どうして自分がヒモ扱いをされているというのか。頭を抱えたくなる。

 そんな記述をした奴は誰だ。雨次か。あいつの子孫や生まれ変わりにツケを払わせてやろうかと黒い感情が浮かんだ。


「風評被害すぎる……確かにここ二百年ぐらい自分で金を払ったことは無いのだが……」

「どうにかしてあげよっか?」

「できるのか」

「ウェブだけならねー。この不躾な百科辞典ぐらいならすぐ変えられるけど」

「やってくれ」

「許可キター! とりゃー」


 ヨグはぽちぽちと端末を弄る。彼女の持つ魔法技術と量子コンピュータの結晶であるマジカルスマホはウェブに繋がっている情報など全て好き勝手に操作ができるし、電波の届く範囲に居るというだけで他人の持つコンピューターのデータを吸い上げることも自在だ。

 この時代の機械相手ならばほぼなんでもできる。そんな魔王のチートアイテムである。 

 

「よし、ほら見てこの記事」

「『権利者の申し立てにより削除されました』……か」

「うん。まあ、データの大本はどっかに残ってるけどこうして削除した旨を残すことで、迷惑してるって主張できるじゃん?」

「そうだな。全ては望まぬがそれぐらいは声を上げてもよかろう」

「くふふ。我もくーちゃんの権利を持ってるからね~♪」


 ──また、そのフリー百科事典以外のサイトでも一斉に九郎天狗及び助屋九郎に関する情報が『権利者の申し立てにより削除されました』という文面と共に消されるという事態が発生し。

 ウェブサイトをウォッチしてネット上の事件を取沙汰するサイトにて『九郎天狗の権利者現る!?』と騒動が起きた。

 なにせ一斉に、それも運営しているサイトに通達無く証拠も残さず記述が消されて犯行声明のような一文が残されているのだ。普通は不可能である一連の事件は『天狗の仕業』として囁かれることになった。


「でも、こうして記録が残って人に知られているってのも、くーちゃんが生きていた証だからね」

「……」

「誰かが覚えている限り人は死なない。なーんてありふれた言葉だけど。君一人じゃなくて、君を取り巻いた誰もが生きていた物語が残っているんだから認めてあげてもいいんじゃない? あ、ウェブサイトの一部がハッキングに気づいて修正された」


 再びバックアップデータを元に、九郎の記事が再現されている。

 そのデータの大本を消すことは容易だった。閲覧したことのある無数のコンピューターのキャッシュを辿ってその全てを破壊することも不可能ではない。百京エクサバイトの情報を操れる端末を使えば、ネットの海を情報の埋め立てゴミで溢れかえしてやることも、こうして溶けたかき氷を掬いながら簡単に行える。

 だが。

 九郎は忌々しげな顔から、困った孫を見るような笑みに変わって言う。


「そうだな……あいつらも、生きている。己れや本の中でな」


 自分が忘れかかった二百五十年の記憶が、そうして残ってくれているのはある意味で尊いように思えた。

 そして目の前に座る、最後にして最長の関係を持つ二人──友人と呼ぶには近すぎて、家族と呼ぶには異質すぎる、そんな彼女らに言う。


「今度、時代劇やら歌舞伎やらを見てみるか。己れ一人だけでは恥ずかしくて悶えそうだから、お主らも一緒に頼む」

「クロウ様」

「うん?」

「クロウ様がずっと前に言ってくださったように──イモータルは九郎様の物語に興味深々だと告白致します」

「……そうだのう。思い出話のたねになりそうだ」

「それじゃあ最初は名作!『助屋九郎VS鮫台風』からだね!」

「よりにもよってサメ映画にされて──ぬう、確かに江戸で鮫と戦った記憶がある……」


 案外忠実に作られた結果、B級映画のようになっているのも人気なのである。

 あれこれと、イモータルと楽しげに作品情報をチェックし始めたヨグを見て。

 九郎は頬杖をついて、決して悪い感情の篭っていない息を吐いた。


 正直に言えばヨグには感謝している。ついこの前まで、思い残すことは何も無く自死すら考えていた九郎を引っ張りあげたのは彼女であった。そこには彼女なりの思惑があったのだろうが……

 どうやら自分が緩慢に死ぬことは彼女は許さないそうだ。

 勿論どのような死に方をしても、魂は奪っていくのだというが──生きているなら生きている限り、他者と関わり、世界に干渉して、記憶と記録に残らなければ魂の持ち腐れなのだそうだ。

 人が生きていく理由は、どんな形であれ他者に記憶されるためにある、ともイモータルは告げた。

 勝手な理屈だとは思った。もう充分に生きて、疲れた老人を更に働けというようなものだ。

 それでも、九郎は選んだ。

 

(そうだな……ヨグまで泣かせるわけにはいくまい)

 

 気力を失ってぼーっとしてると、ヨグが無視出来ないぐらいのセクハラをやってくるのが本気でムカついたので九郎は今ではもう一度、生きることにしている。

 また誰かのために、という受動的な生き方ではあるが。

 ここまで続けてきたのならば、きっとそれが自分の生き方なのだろうと思いながら。

 結局彼が、くたびれるぐらい退屈で、残酷で悲しいがそれども人生を続けているのはそんな小さな、当たり前の──手を取ってくれる誰かのおかげなのだろう。



「あ、そうだ。くーちゃんの架空の活躍を見るのもいいけど、例の調査もしようか。解決まではしないけどね。イモータル」

「はい。この数週間で、東京と鳥取に次元の歪みが出現致しました。それによる影響にて、これまで都内と鳥取県内で観測された状況によれば───」


 イモータルは、テーブルの上に日本地図の描かれたタブレットを出して示した。

 東京と鳥取を銃弾がガラス窓に貫通したように、穴と放射状のヒビが入って見える。



「──歪みより出現する魔物による大混乱が発生。それは徐々に世界全土へ発生地を広げ──多くの被害が出ると推測致します」



「薩州、かごンまはどげん?」


 会話をしていると皿を下げに、冷茶のおかわりを持って来た厳しいさつまもんに類似した店員が聞いた。

 イモータルは怯むこと無く告げる。


「九州南部は今に限らずかなり前から既に異界化致しております」

「じゃっどン」


 納得したように、店員は下がっていた。




 なお店の支払いはヨグの金で支払うことに、九郎は一切呵責を感じなかった。




 *******




 さて一方でこの時代に生まれた九朗であるが。

 公園生活を送ろうとしているクルアハとイリシアをひとまず自宅に連れて行くことにした。

 その前に高度な魔術的防御の仕込まれたダンボールを片付けるのが一手間だったが。


「頑張って作ったんですが。秘密基地的に残しておきません?」

「妖精思考に微妙に染まってないか。残していても他の奴に使われるか、撤去されるかだと思うが……」


 そもそも公園にダンボールハウスを建てるのは違法だ。

 九朗はかぶりを振りながら彼女らのマイホームを眺めた。ただのダンボールならともかく、各所で魔術文字が刻まれているので怪しさは増している。もし自分が見つけたら通報する。そんな雰囲気だ。


「大丈夫ですよ。ほら、石とか投げてみてください爺ちゃん」

「こうか?」


 そこらで拾った小石を、九朗はダンボールに向けて放り投げた。

 光の礫がダンボールの表面から発射されて、石は当たる直前に撃墜され寸断した。その石の延長線上に居た九朗の髪の毛の端が切断され、焦げたような臭いを出す。

 レーザー防衛システムだ。


「脅威が迫ったらスマートに判断して撃破します」

「……イリシアに言われて防犯意識を高めてみた」

「死人が出るわ!」


 ますます置いていくわけには行かなくなったので念入りに撤去させた。

 

 九朗の家族が住んでいるマンションは六階建ての変哲もない建物であった。

 入り口で部屋ごとに割り当てられた番号を入れるか、部屋に直接インターホンを入れるかすればマンション正面の扉が開く。守衛などは居ないが、もし居たら高校生なのに深夜に出入りしている九朗は見咎められるだろうか、と思ったこともあった。

 エレベーターに乗り込んで六階へ向かう。その途中で、


「それで、私とお姉ちゃんは爺ちゃんの家に住めばいいんでしょうか」

「そうしてやりたいものだが、お主らを受け入れるには狭いんだよなあ、己れの家族の部屋。何日か泊めるぐらいならまだしも」

「……迷惑は掛けたくない」

「隣の部屋とか借りられないものか調べてみないとな」

「爺ちゃん以外に、誰が住んでいるんですか?」

「母親と弟だな。親父は外国に出てて、ふらっと土産を持って帰ってくる。あとは……親戚が一人、メシを食ったり泊まりに来たりすることがある」


 一般的な、家族で住める広さのマンションなので、基本三人暮らしならば余裕がありそうなものなのだが。

 問題はその、家にあまり帰ってこない父親の土産品が部屋を埋め潰しているのである。

 海外で手に入れた怪しげな道具──イスラムの伝説的な指導者であるアリーの盾とかスペインのコンキスタドールから免れた南米の石版とか、ヒトラー暗殺計画に使われたブリーフケースだとか北欧に沈んだオーラブ青年王の船[長蛇丸]の船首だとか、マルコポーロ[世界の記述]の原本だとかフリードリヒ2世[鷹狩りの書]の原本だとか。

 信憑性だとか本物かどうかはともかく、捨てるわけにも行かないので積まれていったあれこれが部屋を圧迫していた。

 九朗とて、前世で家族になった二人も大事であるし今の肉親も大事だ。両者が窮屈な思いをするのは避けたかった。

 

「よし、周りの人に聞かれた場合に言う二人の偽装身分は覚えたな」

「……うん」

 

 悪魔のパスポートじみた偽装符を使えばたいていは納得されるものの、全部の人に聞かれる度に見せるのは大変なので普段名乗るための身分を九朗は適当に考えてやっていた。

 

「ええと、アメリカからの留学生で、詳しく出身地とか人種とかに突っ込んで聞いてくる人には『このレイシスト野郎!』」

「……『さては千葉県民だな? 千葉県民ならピーナッツ語喋れよ』」

「あと爺ちゃんじゃなくて『クロウ』ってわたしも呼ぶようにするんですね」

「そう、大体そんな感じで言い返せば大丈夫だと思う多分」


 細かく決めていても、この世界の知識がない二人ではボロが出るのでそういうことにした。

 そうして九朗の住む一室までやってきて、扉を開けて中に入る。

 玄関に置かれている靴の種類を見て──九朗は軽く顔を顰めた。弟の小さな靴と母の靴以外に、女性用の革靴が丁寧に並べられていた。


「こんなときに面倒な奴が……」

「……どうしたの?」

「いや、ゴミ……じゃなくて親戚が来ているらしくてな」

「いまゴミって言い掛けなかった?」

「面倒なことを聞かれたら例の偽装符を使ってくれ。一応警官だ」


 一応注意して二人を招く。服装は安っぽい(量販店でコスプレ衣装として売っていた)制服だが、靴は足袋のようないまいち現代日本ではデザインが馴染まないものだった。それも後でどうにかしようと思いつつ。

 廊下を進んで、明かりの付いた部屋の扉を開く。そこはカーペットの敷かれて大きなちゃぶ台のある居間になっていた。

 そこでは、正座している青い警察の制服に身を包んだ女性が早めの夕食を一人食べていた。

 肩までの髪の毛を一本に纏め編んでいて、化粧気は少ないが眉なども整えられてきめが細かく清潔感のある肌をしている。にこにこと笑みを作って米を食べながら顔を綻ばせている姿は少女のような表情だ。

 入ってきた九朗達に視線も向けずに、彼女は正面で可動式玩具・世界の偶像シリーズ『ヤハウェ偶像フィギュア・牛バージョン』で遊んでいる幼児を見ていた。例の、モーセが十戒を受けに行ってる間にユダヤ人が作っちゃったやつである。

 九朗の弟、益太ますたは顔を上げて嬉しそうに笑いながら手を上げた。


「にーちゃん、お帰りー」

「あううう美味しい! 美味しいおかずだなあこれ!」


 その笑顔に対して嬉しそうに婦警が反応してメシを掻きこむ速度が増す。九朗は拳を固めた。


「人の弟をおかずに白米を食うな!」

「痛いっ!?」


 拳骨を婦警に落とした。さすがに食事を中断して振り返り、不満気な表情で九朗を見上げる女。


「な、何をするんだ九朗少年。公務執行妨害で逮捕するぞう!」

「そんな公務があってたまるか。児童ポルノ警官め。逮捕されろ」


 忌々しげに告げる。何度この厄介な親戚が捕まらないものかと願ったことか。


「はっはっは。小官は逮捕されないように官憲側に回ったのであってなあ……ってあれ? 九朗少年……その子たちは?」

「……じー」


 婦警とクルアハの視線を交互に受けて、九朗はまず家の者を紹介した。


「こっちの小さいのは弟の益太だ。四歳になる。こっちのデカイのは菅山供子すがやま・きょうこ。汚物警官だ。気をつけろよ男女関係なく小さい子が好きだからこいつ」

「し──失敬な! 小官からすればむしろ子供嫌いな警官の方がヤバイと思うね! 守るべき弱き子供を愛おしいと思うのは当然なのでQED!」

「お前警官になる前から児童ポルノ趣味だっただろーが!」

 

 小さい頃から親戚付きあいのあったので見に覚えがある九朗がおぞましそうに言った。

 菅山供子。二十七歳で警視庁に務める婦警で自称『青田狩り』という児童ポルノ特別捜査官である。略称して同僚や知り合いからは児童ポルノ警官と呼ばれる。実際に、ロリコンでショタコンを以前から発症している危険人物だ。

 九朗とは父方の親戚であり、父親があまり帰ってこないこの家に賑やかしのように入り浸っているのだが、その性癖からすれば現在は弟、数年前までは九朗が完全にターゲットであったようだ。

 

「あら、九朗お帰り。お客さん?」


 台所から野菜と鳥の手羽肉を煮付けにした料理の皿を、供子の為に持って来た母の櫻花おうかが声を掛けた。

 どうやら普通におかずはあったようだが、それを待たずに益太で米を食っていたらしい。


「ああ、母さん。この二人はクルアハとイリシア」

「……はじめまして」

「どうもー」

「己れの学校に来る留学生なんだが、ホームステイする家がヤクザに追われて夜逃げしたらしくてな。放っとけなくて連れてきた」


 九朗から肩を叩かれて、二人共笑顔を浮かべて挨拶をした。なにせ、外国人風とはいえ綺麗な顔をしているものだから櫻花も無闇に嬉しくなって問い返す。


「あらあら、外国の方ね。ご飯食べていくの? 今日は泊まっていくの?」


 ──なお九朗が女友達を連れて来るのは初めてではないのでこの反応であった。


「なぬー!?」


 奮然と口から手羽元の骨をはみ出しながら供子が立ち上がった。


「せっ……正当な理由なくお泊り会は少年補導に関する条例第二条・第四項・第三号で禁止されている! 補導だ!」

「それ奈良県の条例だろ」

「みみみ、みだりに異性の体に触れるのも第二条・第四項・第一号で禁止! 九朗少年! お姉ちゃん許さないぞ!」

「それも奈良県の条例だろ」


 ※奈良県は厳しいのである。

 恐らく鹿に支配されているからだろうか。

 ともあれ、これだから警官は面倒くさい……と九朗は苦々しい表情をしているとクルアハがじっと供子を見ながら首を傾げた。


「……クロウの……お姉ちゃん?」

「姉貴分というか、駄姉的な存在というか……」

「小官昔から九朗少年の世話しまくってたからね!? 姉よりも姉らしく!」


 確かに、子供の面倒を見るのが異常に好きなので、母親がパートタイムに出ているときなど世話になったことはあるのだが。

 その異常に、の理由が知れるとどう考えてもアウトであった。

 クルアハは首を傾げながら窺うような顔を供子に向けた。


「……じゃあ私にとってもお姉ちゃん?」


 その顔は、久しぶりに会ったと思っていた九朗からしても、


(こいつ、こんなに可愛い顔してたか……?)


 と思うような。豊かで微妙な感情が含まれる表情であった。

 九朗と過ごしていた日々はまだ無表情気味で、それに僅かな感情の起伏を乗せているような変化だったのだが──。

 彼が亡くなったことと、クルアハ自身が人間化した影響で人間味が大きく生まれているのだ。

 供子はそれを正面から受けて、


「ぐへはー!」


 可愛いショックに思わず手羽元の骨を飲み込んで窒息した。

 少年少女好きな供子的には、十代半ばぐらいに見えて小柄なクルアハとイリシアはストライクゾーン内にある。

 びたーんとカーペットに倒れる供子。喉には手羽元の形がくっきりと浮かんでいた。詰まっているらしい。

 とてとてと益太が近づいて、


「おねーちゃんだいじょぶ?」


 と、背中を撫でるとなんか喉の蠕動で骨がしゅるしゅると口元まで戻ってくるのが皮膚の上からでも見えた。


「キモっ……」


 思わず呻く九朗だったが、供子は気にせずに口から涎でベトベトの骨を取り出して取り皿に置き、持って来た手提げかばんを漁って服を取り出しクルアハに渡した。


「お姉ちゃんがこのお洋服をあげよう……!」 

「気をつけろよクルアハ。なんか変な汁とか付いておるかもしれんぞ。触るとかぶれるやつ」

「わたしの分もありますよこれ。ん? メイド服……ですかね」


 二着あったのでイリシアが広げると、黒地に白のエプロンでゴシックなレースのついた、メイド服であった。

 丁寧に鞄から、白長手袋、ストッキング、ニーハイブーツ、ヘッドドレスなどの一揃えも供子は取り出す。


「いやー囮捜査っていうか私服警官っていうか、そういうので使おうと思って買ったわけよ。で、後輩婦警の花子ちゃんと二人で着てみたら特に花子ちゃん小柄でおかっぱだから似合うっていうか超可愛くてお持ち帰りしたくなるぐらいだったんだけど」

「お前の性癖はどうでもいいよ」


 近年、ロリババアや異様に幼く見える漫画のキャラなどの影響もあり供子は見た目が子供なら割となんでもいけるタイプだ。

 

「明らかにそれは私服でもなんでもなくコスプレだよな?って上司から突っ込まれてお蔵入りに……経費も認められなかったから持ち帰ってたんだけど、折角だから」

「メイド服なんぞ貰ってもなあ……ってクルアハ?」


 彼女は服を広げてじっと見ているその目にはキラキラした光が灯っていた。んふーと機嫌のよさ気な鼻息も聞こえる。

 

(そういえばクルアハ、ああいう服が好きだったなあ)


 ゴシックなドレスに身を包んで、奇異な目で見られていても気にしなかった彼女との暮らしを思い出していた。

 供子は頷きながら瞑目して、


「行く宛が無いからってウロウロしてたら、今の東京は危ないからなあ」

「例のテロリストか」

「人手不足で小官もこうやって駆りだされるぐらいだもの」

「テロリスト?」


 イリシアの声に、九朗がそういえば彼女らはテレビなどは見ていないのだと気づいて説明した。


「近頃東京に現れた大規模に建物や道路、橋などを破壊する謎の怪人でな。犯行声明も無いし目的も不明だが、刃物や銃器、爆発物に生物兵器などを撒き散らす恐るべき犯罪者だ」

「警察官にも、死傷者は出てないけど怪我人が多くて。[切り裂き]警官の桐崎さんなんて全治三ヶ月の大怪我だ。あのナイフマニアで見た目が犯罪者な」


 説明通りに、少し前に現れた恐怖のテロリストがまだ東京には潜伏中と見られているのである。

 そのランボーめいた単体戦闘力は大きく危険視されており、婦警な供子にすら拳銃が配備されているぐらい発見次第銃撃戦も想定されている。機動隊も千人規模で動いているし、特殊部隊まで出撃準備は欠かしていない。

 日本最大の正体不明なテロリスト。それが今の東京を騒がせている。


「それ以外にもまだ警察の公式発表は無いけど、そろそろニュースになってるんじゃないかなあ」


 言いながら供子がテレビのリモコンを取ってチャンネルを変える。

 ニュース番組だ。アナウンサーが東京足立区で起きた事件について解説をしている。


『先日夕方、足立区の路上で大きな犬のような生き物が人を襲うという事件が発生しました。駆けつけた警察の手で一頭は射殺、もう一頭は逃亡をした模様です。事件現場ではまだ住民に不安の声があります』


「このニュースなんだけど、これ以外にも何件か……猛獣みたいなのが出て襲われたって通報が上がってるんだよ。で、厳重警戒中の重装備警官が駆けつけて、その猛獣を相手にしたんだけど……何故か射殺したら、死体が消えちゃったみたいで」

「消えた?」

「そう。ゲームとかで見るみたいにすーっと薄くなって血の跡も残らない。しっかりとカメラで撮影した映像は残ってるのに、妖怪か幻影みたいに。それでいて人は襲うんだから困ったというか、対処のしようが無い」


 どこに出るかもわからないしね、と肩を竦めた。そのうちの一件などは、猛獣と例のテロリストの目撃情報が同じ場所で寄せられるという大騒ぎになった。

 証言に寄れば熊のような生き物が暴れていて、それをテロリストが射殺してすぐに逃げたということだが、やはり現場には獣の死体は残っていなかった。


『それでは現場に中継を回します。山田さん?』

『はぁい、こちら現場の山田です』 


 テレビ画面が夕暮れの足立区に入れ替わる。ほっそりとした青白い顔つきのアナウンサーが一人、マイクを手に立って花の置かれた路上を指し示しているが、道を歩く人は殆ど居なかった。


『夕方の帰宅者が多い時間帯にこの通りで事件は発生しました~あたりは建物がぎっしりと並んで、とても野生動物が出るようには見えないですねぇ』


「爺……クロウ、なんであの解説者は腰に刀を装備してるんですか?」

「確か……斬って喋れるアナウンサーとかそんな肩書だったと思うが。山田朝子アナウンサー」

「一応何度も警察が取り調べしたけど、竹光なんだよあれ。実際の刃物じゃないし示威的にも使われないから武器じゃなくてキャラクターグッズな扱いなんだな。町中でリュウケンドーがツインエッジゴッドゲキリュウケン・アルティメットモードを持っていても逮捕されないのと同じ理屈で」


 カメラを引くと腰にしっかり帯刀しているのがわかる。ある種ひと目でわかるキャラクター付けをされているアナウンサーであった。

 しかも割りとフットワーク軽く全国に飛び回っているのでかなり有名人だ。


「それに警察上層部でも人気なんだよね山田アナウンサー。若くて癒し系で剣道女子日本一だから警官の剣道指導もしてるし」

「おねーちゃんより強いのー?」

「ボッコボコにやられたことがある……あれより強いの男女合わせて日本に五人居るか居ないかだと思う……」 


 益太に情けないことを聞かせるのは気が引けたが、溜め息混じりに言う。

 警察上層部の老人達は明治維新より続く薩摩気質が残り──東京の警官に薩摩藩出身者が多かった──剣道についてもかなり奨励している。ただ警察剣道全国大会では毎年鳥取県警の男性警官に個人戦優勝を奪われ続けているのであったが。

 

『近隣の住民はなるべく外出を控え、学校も集団登下校になっています。しかし襲った動物ってなんでしょうかねぇ気になるところでは──』


 その時、カメラで映される画面が揺れた。突然、画面に手指が見えて奥を指差している。声が出ないのは、カメラマンとしての職業病だろうか。

 カメラの方を見ていた山田アナウンサーはゆっくりと背後を振り向く。

 十メートルほど離れたそこに居たのは──形容するならば、鉱石で体が構成された大型犬であった。

 角ばってごつごつとした表皮を持った四足歩行の動物が、道に唯一──いや、カメラマンなどを含めれば数名居るのだろうが──立っているアナウンサーめがけて、がちゃがちゃと大きな音を立てて突進してくる。

 牙というよりも尖った鍾乳洞のような乱雑に歯が並んでいる大口を開けて、岩を砕く音と似た声で吠えた。


『山田さん!?』


 スタジオで映像を見ているニュースキャスターの焦った声がした。

 しかし当の襲われているアナウンサーは落ち着き払ってマイクをポケットに入れて、腰に帯びた刀の柄に手を当てた。


御首みしるしをいただきましょうか』


 軽い口調でそう言って──踏み込んだ。

 銀の刃を抜く瞬間は見えなかった。ただ、いつの間にか彼女は突進してきた怪物の進路上から避けていて、切り上げられた刀を振って血を払い、鞘に戻す動作を行う。

 ずるり、と怪物の首が落ちた。そして血が噴き出るでもなく──怪物の姿はかき消えていく。

 興奮した様子でスタジオのキャスターが、『これは特撮映像ではありません、生中継です』と繰り返し──それでいて現象の説明はつかずに困っていた。

 九朗はその衝撃映像を見て、とりあえず聞いた。


「……竹光?」

「の……はずなんだけど」


 気まずそうにチャンネルを変える。アニメ番組が映り、益太が喜んだ。[ダーえもん]という長寿番組で、駄目な少年の元にソ連からやってきたロボットが革命のための道具を与えるという内容だ。あまり教育にはよくない。

 供子は九朗と櫻花、それに留学生の二人に向き直って告げる。


「こんな感じで、危なっかしい事件が多いから小母おばさん達も気をつけること。なるべく外出するときは人通りの多い道を歩くか、九朗少年を連れて行ってね」

「己れはあんな猛獣に襲われたら死ぬと思うが……」


 冷静に考えて、九朗はそう思った。

 彼は多少体格に優れている──身長が百七十後半程度の標準体型──が、格闘技経験があるわけでも武芸に優れているわけでもない。

 前世の記憶が多少戻ったとて──。

 この九朗は、[九郎]とは違いイリシアと共に二十年に及ぶ逃亡生活で追跡者や討伐騎士団をぶちのめしまくっていたわけでも、江戸時代で強烈な奇人変人武芸者に絡まれて否応なく生きるか死ぬかで戦いの経験を積んだわけでもないのである。

 勿論そんな状況に叩きこまれれば生き延びる素質自体はあるのだが、割りと安寧な最期を経て現代日本で十七年過ごした、一般人ではあった。

 だが、供子は言う。

 ずっと成長を見守ってきた弟分のことを、しっかり判っているという風に。


「でも九朗少年は、テロリストや怪物に襲われたとしても絶対小母さんや益太くんを見捨てて逃げたりしないでしょう? 戦えなくてもきっと君は、二人を担いで逃げてくれるよ」

「……うん」

「爺……クロウならそうするでしょうね」


 供子の言葉に、クルアハとイリシアも同意した。

 どうも体がむず痒くなり九朗は頭を掻く。


「それでもどうしても逃げ切れず、危なくなったら──」

「なったら?」

「小官を呼びなさい! いつ、どこに居ても必ず助けに駆けつける。九朗はお姉ちゃんが守る──って小さい頃に約束したでしょう?」


 珍しく──本当に彼女にしては珍しく、邪まな気配の無い心からの言葉と表情で、九朗は思わず口をもごもごとさせた。

 菅山供子。性癖としてはどうしようもない上に携帯端末や個人所有のパソコンには児童ポルノが入りまくり、ペドロリエロ漫画からショタ健全漫画まで何でも買い漁っている変態極まりない女なのだが。

 

「九朗にとっては、昔から世話焼きの頼もしいお姉ちゃんなのよね」


 面白げな様子で、客であるクルアハとイリシアに言う母に溜め息をついて、座っている供子の頭を押さえつけた。


「まったく。いい奴まではあと一歩、紙一重なんだがな、あんた」

「なにー?」

「いいから。そっちも精々気をつけろよ」


 ──それから供子は食事を終えて、仕事の続きがあると再び外回りに出て行った。

 



 ******* 



 

 その日の夕飯は鳥肉と里芋の煮物に、鮭とキノコのバター焼き、山椒入りの蜆汁、白菜の漬物に白米であった。

 基本的に九朗も益太も好き嫌いは無い。ただ、益太は相変わらず夕飯でもご飯にはふりかけの用意がある。全体的に味付けは薄味にしていて、益太の分はスプーンとフォークで食べれるようにしてあった。

 あまり濃い味付けだと幼児があまり量を食べないで食欲が満たされてしまうので薄味なのだが、若盛りの九朗はこっそり塩や醤油を掛けて食べたりする。

 

(そういえばクルアハとイリシアは和食っぽいものは大丈夫だったか?)


 などと思って食べているところをじっと見ていると、イリシアがううっと目元を拭った。


「ど、どうした」

「ここ何年も、菓子パンみたいな妖精料理ばっかりで……こっちに来てからもつい習慣で菓子パンでご飯を済ませていたんですけど……久しぶりに料理らしい味付けのものを食べた刺激で……美味しいです」

「それは良かったわぁ」


 一方でクルアハも蜆汁を飲んで、ほうと息を吐いた。

 甘党な彼女だがそういえばずっと昔は、クリアエの街でカレー屋に一緒に通っていたことを九朗は思い出す。

 それに九朗が魔法学校の用務員として働いていたときに同居していた頃などは、弁当まで作ってもらっていた。


「……美味しい」

「そうかそうか」

「……これ、クロウも好きな味?」

「う、うむ。まあな。おふくろの味というかそのままだな」


 母・櫻花の味付けは日本的というか、つまり出汁や醤油をよく使う料理が得意で、日常的に作る。

 これは海外に行っていることの多い父・玖礼ぐれいが帰ってきたときに振る舞うためだろう。実際に、普段九朗らが食べ慣れた家庭料理を非常に美味そうに父が食べているのを九朗は見ている。


「……ふんす」

「ふんす!?」


 なんかやる気を出したような雰囲気に思わず問い返した。

 くすくすと櫻花は笑って、


「教えてあげるから明日は一緒に作りましょうか」


 などと言うので深々とクルアハは頭を下げて頼むのであった。



 食事を終えて、益太は早速眠くなっていたので九朗が寝かしつけて三人は九朗の部屋に集まった。

 これからのことの相談である。まだ再会して数時間。互いの思い出以外は、何も知り合っていないに等しい。

 

「とりあえず確認作業からするか」

「そうですね。これが私のステータスです!」

「なんだそれ」

「言ってみただけですが」


 ともあれ二人のことからだ。一つ一つ聞いてみた。


「……お金。あと1090円」

「明日の昼飯で終わっていたな……己れに会わなかったら」

「洋服はこの制服と、メイド服と、魔術文字のローブにシャツぐらいですね。正直言ってぱんつが公園の水道で洗ったまま履いてるから気持ち悪いです」

「……私は履いていない」

「風呂の前にコンビニに行──待てクルアハ。履け。いいか、人間とは下着を履くかどうかからだ」


 果たしてコンビニに女性用下着が売っていたか、九朗もあまりその辺りを詳しく見たわけではないが早急に必要な道具のようだ。


「社会的保証というか、旅券や身分証明証は術符を使って誤魔化せます。あー、ただ機械っていうんですか? あれはちょっと駄目みたいですね」

「やむを得ん身分証明とか以外はなるべく法を破らんようにしよう。……己れはお前たちに罪人になって欲しくないからな」

「……うん」


 偽装符を使えば例えば詐欺などはやりたい放題になり、金に困ることも無いのだろうが。

 完全に悪の道一直線である。

 そもそもこの三人は──特に九朗の提案で、そういうことをしないようにペナルカンドでは妖精の里に引っ込んだのだ。


「しかし、いつまでも泊まっていいとは母さんは言うが……」


 やはりどう考えても、彼女らが泊まれる部屋はこの九朗の部屋か、半分以上変な道具で埋まっている部屋ぐらいになる。

 あまり年頃の娘を泊めれる環境ではない上に、高校生となるのならば同級生男子の居候という身分は知られるとまずい。


「……部屋を借りるにはどれぐらいのお金が?」

「隣の一室がいいですよね、折角なら」

「己れも家賃などあまり気にしたことはなかったんだがな、親が払うから。今調べたら、家賃は月に十万円だそうだ」

「……十万」

「今持ってるお金の百倍ですか……」


 難しい顔をする。九朗も、できれば養ってやりたいとは思うのだが、


「家賃に敷金も掛かるし、二人の生活用品も買い揃えないといけないとなると……」

「……無理はしないで」

「いや、無理じゃない。というかもしかしたら己れはこのために貯金をしていたのかもしれないしな」


 九朗はこれまでバイトで貯めた金があった。家に入れようかと思ったが、親からやんわりと貯金を促されていたのである。

 それを使えばマンションの一室を借りて当面の生活費を工面することもできるのだが、


「最初の数ヶ月はともかく、払い続けるとなると今のままじゃきつい……」


 だがそれでも、あくまで九朗のは高校生のアルバイトである。多少は高額なバイト代だが、深夜に数時間。毎日ではない勤めとなればこの歳で女子高生二人を養うのはかなり無理がある。

 家賃に生活費、学費など諸々と掛かって来る。


「……わたし達も働く」

「そうですよ。クロウの稼ぎばっかりに頼りっぱなしになるなんて思ってないです」

「ああ……まずはバイト先を探そうか。高校に通いながらでもできるものを、な。己れは、二人にも学校生活を送って欲しいのだよ」

「頑張りましょう。クロウにも迷惑を掛けますけど……」

「……うん。人間らしく、いこう」


 そうして。

 クルアハとイリシアはバイトを探しながらひとまずは九朗の家に居候することになるのであった。

 目標額は二人で最低、月に十万円。九朗も補助してくれるのでひとまずそれだけ稼げれば、高校生活を送れる。


 悪いことをせずに、見知らぬ世界でどうにか金を稼ぐ大変さに不安を覚えないでもなかったが──。


 こうして大変な思いをしながらも、普通の人として苦労をする楽しさも二人にはあった。


 それは前に居た世界では得難い喜びでもある。





 ******





 東京、千代田区。

 帝国ホテルのプラチナデラックスルームにドレス姿のヨグ、ジャケットにネクタイの九郎、いつも通りのメイド服を着たイモータルが入った。

 荷物は手ぶらである。部屋を案内したルームサービスからは、若いどこぞのお嬢様が、執事見習いの少年とメイドを連れて泊まりに来たとでも思われただろうか。

 部屋の広さは約30畳。面積にしたら49平方メートル。キングサイズのベッドとツインサイズのベッドがあり、三人まで泊まれる。 

 37インチのテレビがある正面のソファーに、ひとまず九郎もヨグも座った。イモータルはお茶セットを準備しだす。

 首元のネクタイを緩めて髪の毛をくしゃくしゃと掻き、言う。


「まったく。どこに泊まるかと思ったらこんなところとはな。しかも何だ己れのこの格好は。七五三か」

「いいじゃんショタ執事」

「スーツを着るなら大人の体になってやるのに……」


 ぶつぶつ言いながら、九郎はさっさと革靴と靴下を脱いで裸足になった。


(前に靴を履いたのはいつだったか、少なくともスフィやオーク神父、イツエさんなどとダンジョンを潜っていたときはブーツだったが)


 などと相当昔を思い出さないといけないぐらい、裸足に草鞋の生活であったのだ。

 

「さすがに文字Tシャツとか真っ青な黙示録の衣だったり、そして脈絡もなくメイド服だったらホテルで変な目で見られるしね。メイド服に合わせてみました」

「町中ではまったく気にしていなかったようだが……」

「東京の町中なんて変な格好の見本市じゃん? 気にされない気にされない」

「それはまあ、確かに」


 たまたま入ったオープンカフェでは、外の席だというのに一昔前のカラーギャングめいた同じ柿色の覆面を被った男達が、


『善い魔女育成学園に偶然から男魔女の素質ありと転入した俺は、学園始まって以来の男子生徒として興味津々の扱い!』

『そうだよな。トイレとか女子トイレしかないんだから大変だ。もー男子は外でやってよ! から始まるエロコメ!』

『しかし彼の転入には、政府の陰謀があった……』

『ほら来た! すぐに曇らせ要素を入れてくる! 女の園できゃっきゃうふふって話でいいじゃない!』


 などと公衆的な場所で議論をしていた。

 最近の若い者は……と思ったが、九郎の記憶ではどの時代も似たような連中が居た気がして懐かしくもあった。

 ともあれ、そんな若者達でも目立たないのだから東京の無関心さは高い。


「いやーしかしさすがの帝国ホテル。部屋は広いしベッドも大きい! プロレスごっこができるよくーちゃん!」

「毒霧を吐いても清掃してくれるだろうか」

「そこまで本格に!?」

「それにしても、一泊幾らだこれ。お主がカードで払っていたが」

「ん? 三人で一泊100980円」


 どこぞの三人組が一ヶ月頑張って稼ごうとしているのと同じぐらいの金額であった。


「というかお主金持ってたのか? いや、ここに来るまでにも支払いは全部ヨグのカードだったが」

「一応社会的な身分はパチンコ屋のオーナー権を買い取って、どうでもいいフロント企業として勝手に経営させてるよ。鳥取県の乱立したパチンコ屋はそこら辺適当でよくてね。あとは口座のお金をハッキングして桁を自由に上げれば無限カードの完成ってわけ」

「まあいいか」

 

 こっちの九郎は違法性のある金の稼ぎ方に無頓着であった。


「さーて助屋九郎関連で本にDVDも買ってきたから見ようか」

「並べて配置致しておきます」


 テーブルの上に、ヨグの亜空間倉庫から取り出した買い物の成果をずらりと置いた。

 古いものでは昭和の作品──恐らくもっと古い物も流通してはいないが、色々と残っているのだろう──などもあり、九郎はなんとも言いがたい表情をする。

 

「あ、そうだ。街ブラしながら色々調べて見つけたんだけど……こんな人たちが居るらしいよ、この東京には」


 マジカルスマホを操作する。彼女のその高度なガジェットは持って歩いているだけで周囲の情報を取得し、必要不必要に分類してオートAI[駱駝の針穴]にてヨグに関連する項目をピックアップする。

 その中に、画像があった。

 壁に投影して大きく表示させ、九郎にそれを見せる。

 その画像では──九郎そっくりな青年と、ずっと昔に死んだイリシアの若かった頃の姿と、もう一人黒髪の少女が写っている。

 

「あ……」

 

 九郎が口を開いて、思わず手を伸ばした。

 そして伸ばした指を引っ込めるように丸めて、落とす。

 

「観測データによりますと、それぞれ魂の形質や肉体的な情報に相違がある個体──即ち、近しい別人だと判断致します」

「恐らくこっちの世界に生まれた、ずれた地球世界のくーちゃん。それに同じく、ずれたペナルカンド世界のいーちゃんだね。くーちゃんは歴史の延長線上の存在だけど、あの二人は並行世界から渡ってきたのかな? 次元の穴と関係あるのかも」

「クロウ様。いかが致しますか」


 イモータルにまっすぐ見てそう告げられる。

 いかがするか。

 なんて、変なことだと九郎は思わず笑った。湿った笑いだった。


「……どうもせんよ。己れはどこに居ようが、きっと己れとして精一杯やっておるだろう。イリシアも……そうだな、己れの娘だった子はしっかり生まれ変わって、この世界に根付いている。だからこっちのは、別人だが好きに生きるだろう」


 それに、と九郎は懐かしそうに告げた。


「──クルアハにはちゃんとお別れを云えたからのう……」


 忘れていた恩人を思い出して、改めてのお別れを。

 だから、置き去りに生き延びた亡霊のような自分が、生きている彼らにしてやることは無い。そう思ってスマホを折って画像を消した。


「だからへし折らないでって!?」


 苦情を誤魔化すようにテレビの電源を入れた。

 ニュース番組が流れていたようで、繰り返し番組では都内で見られる謎の怪物達について報道されている。なお鳥取県でも似た事件は多数発生しているのだが、人口が少ない的な理由であまり話題にはなっていない。

 姿形については統一感が無い、地球上の動物に近いが違う生き物。

 人を襲い、致命傷を負えば霞のように消え去ってしまう。


「……まさに、魔鉱は落とさんがダンジョンの魔物だな」


 かつて九郎も経験した、ペナルカンドでの魔王城地下ダンジョンに出現した魔物にそれらは似ている。

 ヨグが保護シートを貼るようにイモータルにスマホを渡しながら、


「魔鉱を出さないのは、この世界の性質がそのままじゃ魔鉱が存在できないから瞬時に蒸発してるのかもね。どっちにせよ、ペナルカンドと地球の間に空いた穴の影響だろう。ダンジョンあたりと繋がったんじゃないかな。それで魔物が入ってくるようになった」

「厄介だな……目に見える穴ならともかく、対処のしようは無い」

「そうだねえ。次元干渉するには文明レベルが足りないかな。かといって我に修理ができるわけでもなし」


 ヨグはにへらっと笑ってお手上げの仕草を見せる。


「いいんじゃない? 環境問題の一種だと思えば。最初こそ混乱するだろうけど、そのうち出現場所予測システムとか勝手に作るだろうさ。それにほら、くーちゃんも知っての通り案外この世界の人間って強かったりするから」


 指を向けるとまさに、番組の有名アナウンサーが襲いかかる魔物を一刀のもと切り捨てる衝撃映像を報道している。

 最も繰り返し報道され、知名度を上げている斬って喋れるアナウンサー山田朝子であった。

 それ以外にも魔物への対処法として武装した機動隊や現場に素早く駆けつけるための車両なども紹介されていて、テロリスト対策から魔物対策へとそのまま移行し警戒にあたっているようだ。


「なんかこの女、知り合いに似てる気が……」


 アナウンサーについて思い出そうとしていると、緊急速報が入った。



『本日、集団下校中の小学生が魔物に襲われましたが、現場に駆けつけた女性警察官がそれを庇い小学生に大きな怪我はありませんでした。しかし、女性警察官・菅山供子さんは意識不明の重体で病院に搬送され──』


 

 九郎は魔物について関係ないとはいえ、溜め息を吐く。


「痛ましいことだ……」


 東京は危険な混沌に包まれつつある──。








IFでエンドしない話を書き始めるとオチをつけるまでが長くなる

九郎・ヨグ・イモータル組と九朗・クルアハ・イリシア組のパートは数日ぐらいずれがあります

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