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109話『一二三三三号事件(前編)』


「江戸で仕事をして貰いたい」

 

 小判の束と共に差し出された紙を受け取って床に広げ、ぼくはその書かれている情報を確認した。

 蝋燭の薄橙色をした光がゆらゆらと揺れて、わずかに焦げ臭いような、据えた死体のような臭いが漂う閉ざされた部屋でのことだ。部屋の中にはぼくと依頼者の二人だけ。ここに入る前に確認したけれど、彼は外に護衛を置いているわけでもないようだった。

 もし暗殺をするならこういう部屋で二人きりならば簡単なんだろうな、とぼくは思いながら文字を目で追っていく。俯いて標的を見ているぼくの様子を、依頼者もじっと見ているようだ。

 ぼくは殺し屋だ。人を殺してお金を貰う仕事を、もう十五年もやっている。活動場所は主に大阪か京都で、豪商や公家を殺したこともある。

 だからその標的の居場所が江戸だって言われて、ちょっとだけ驚いた。勿論、外には現れない程度だったけど。

 ここ大阪から江戸に向かって殺しをしてその報告が届くのは、早くても一月以上は掛かるんじゃないかな。大金を渡して遠くの敵に向かわせるのは、持ち逃げされる危険性だってあるはずだ。

 もう死んでしまったお母さんに約束は守りなさいって云われたからぼくは約束を反故にしたりしないけど、殺し屋なんて胡散臭い人を信用するのは難しいのではないかと思う。


「やってくれるかな……? 一二三三三ひふみ・さんぞう殿……」

「これは……どういうこと」


 短く応えて、すべて覚えきった紙から目を上げた。中に書かれた内容を覚えたが、不可解なものだった。

 

「標的はその名簿に記載されたいずれか十四人。心臓をえぐり取り、塩漬けにして渡して来て貰う。わしも江戸にて待機しておく故」


 渡された名簿にはざっと見て五十人は名前が記されていた。その多くは武士だろう。

 それらの中から、十四人。殺してしるしを持ち帰る。

 遺恨での依頼殺人とは思えない。奇妙な内容であった。ただ、ぼくにそれを依頼した理由はわかる。 

 [魍魎もうりょう]の三三と呼ばれる物騒な渾名は、ぼくの殺し方が相手の心臓を破壊した死体を作っていたからできた殺し名だ。

 殺し方は様々で、刃物や針や細くて長い縛るやつを使うこともあるけど、生き返らないように心臓を壊すのは強迫観念めいた癖だから。

 そんな風に心臓を壊すならばえぐって持ってくる事もできるだろうと思っての指名なのかもしれない。


「一つごとに五十両。十四人分で七百両の報酬となる」

「ふうん」


 大層なお金だ。商人にはとても見えないし、そんな酔狂な依頼にお金を出すぐらい裕福な武士も居ないと思うけれど。

 ぼくは人を殺す前にまず相手のことを観察する。何時に起きるとか、朝に何を食べるとか、一日何度に便所に行き、女を抱いてどれぐらいで果てるかとか、とにかく観察して殺せる瞬間を狙う。

 そうしていると相手が段々何を考えているかとか、好きな食べ物とか、好みの異性とか、家族構成なんかもわかってくる。それを知ると少し気が重くなるけど、必要なことではある。

 そんな観察眼で、依頼者を見る。標的を観察するのは或いはこの依頼者を見極める為の練習なのかも、と考えたこともあった。相手が罠に嵌めようとしているとか、探りを入れているやつだとかは見破ったことがあるんだ。


 名簿だけの標的は見えてこないけど、目の前の相手は少しだけわかる。頭巾ではなく長い布で頭をぐるぐる巻きにしていて、目元しか出していないけれども。

 言葉こそ正しいけど発音に違和感があり、訛りが強い土地から来て無理やり矯正したか、異国人だ。

 恐らくは後者だろう。目の色が僅かに灰色をしているし、布の上から判る鼻や、顎の骨格が少し変だ。南蛮人じゃない。朝鮮人か清人だろうか。

 ゆったりとした単衣が体を隠しているけど、全体的に締まった肉付きをしている。武芸をやっているのは、座ったりした動きでわかった。手指の皮も、瘡蓋のように硬い。

 それでいて老人だ。年齢はわからないけど、確かに老人。だけど肉体の老化を怯えていないで、堂々とした振る舞いを見せている。きっといまぼくが襲いかかっても、返り討ちにできる自信があるのかもしれない。

 なら自分で殺しに行けばいいのに、と思うけど人には立場とかいろいろあるんだ。

 ぼくは代わりに殺すだけ。

 ぼくの殺意じゃなくて、誰かの殺意のつなぎ役をやっていればそれでいい。お金は貰えるし罪は重なる。


「殺すよ」


 ぼくはもう一度、名簿へ目を落とした。どういう基準で選んだのかは不明だが、やることは変わらない。

 江戸に出向き、彼らの観察から始めよう。短かった蝋燭が、小さな煙を上げて燃え尽きて部屋は暗闇になった。

 そういえば──。 

 その、据えた死体の臭いは、依頼者の背後にあった壺から漂っていたように思えた。 

 塩漬けの、臓腑のような。





 ******





 ところは代わり江戸、神田魚河岸近くにて。 

 ここには江戸でも有名な居酒屋、[豊島屋]がある。何が有名かと云うと、一説によれば店で酒と食い物を出すという居酒屋風な飲食店を江戸で初めて開いたのがこの豊島屋だと云われていることで有名だ。

 この店の真似をして江戸中で居酒屋が広まったというが、他は真似をしない独自の経営方針というか、値段設定がある。


 酒の値段がとても安い。


 ──と、いうかほぼ原価で売っているのだ。


「酒の原価しってるか。ここで飲めばそれだぞ」


 と呑兵衛の間で酔っぱらいの歌にされるぐらい、これ以上は無いという最低価格で酒を出しているのだ。

 酒で一切儲からない分を、煮染めや魚料理などのツマミで稼ぐという方法だが、


「良く利益が出るものだのう」

「ふふふ、私達のような嫌な客ばかりではないのだろうね」


 酒をかっぱんかっぱん飲んでいる九郎と石燕も感心するほどであった。

 二人は市中で様々な居酒屋を回っているので、この店に来ることも時折あった。酒手の代金に困っているわけではないので混んでいる格安居酒屋に入る理由も少ないが、いわば一号店的な魅力がこの店にはあるし、つまみの味も悪く無い。

 店の外にある、長椅子を置いて簾で日を遮っているだけの簡易的な飲み小屋でのんべんだらりと酒を浴びている。

 

「難点を言えば酒が薄いことかね」

「元から江戸の酒は水で割っておるからのう。しかしアルコール分を増やそうと己れが密造しておる蒸留酒は味が安定せぬし……」

「お部屋で気軽に密造してるよね九郎くん」


 近頃の九郎の趣味が見様見真似どころではない、適当な勘を活かした酒造りと蒸留であった。

 鹿屋から買った黒砂糖を水に溶かして、ブラスレイターゼンゼでぶち込んだ菌を強制繁殖させて高速で醸すという方法で酒を作っているのである。

 酒造りの菌が病魔の鎌で扱えるのかという疑問に関しては、酩酊症という病気があるという理屈で可能なようだ。これは酵母カビのカンジダ菌が体内で発酵してアルコールを作り、腸などで直接吸収されることによって酒を飲んでいないのに酔っ払い状態になるという珍しい病気である。それの知識は鎌から得られたので応用してやっている。

 しかし専門の酒造知識で作っているわけではなく、蒸留するから繊細な味はいいか、という妥協を持ってやっているので上手くはいっていないようだ。

 現代で云うなら砂糖水にドライイーストを適当にぶち込んで放置して出来上がった酒のようなものだろう。(密造酒は違法なのでやってはいけない)


「いっそ香りづけの為に何か添加するとか」

「ふふふ、九郎くん。例えば私が抜荷で手に入れた[すこっちういすきぃ]だがね、これも密造酒から出来上がったそうだ。隠れて山の中で酒樽に入れて保管したことで独特の色と香りがついたという」

「ほう。寝かすのはいいかもしれんな」

「それにしてもこのすこっちが出来たのが、日本でいうと宝永の頃だったのだが、それから十年ほどでこんな世界の果てに到達するぐらい作られるとはね。酒と病気と怪談は、あっという間に世界を席巻すると云われているが大したものだ」


 云いながら湯のみを再び空にする。

 昼間から堂々と二刻程も居座って酒を飲みまくった。

 益体もない話をしていたが、石燕の話は酒の席ではちょうどいいように脱線しまくるので聞いていて飽きない。 

 今は、ここ暫く江戸で数件発生している侍の不気味な惨殺事件について語っていたのだが、凄まじく脱線していた。


「──それで中世頃には死者蘇生を骨ではなく心臓で行おうという秘術ができたという話になってね。明らかに異端なのだがそれを一部のキリスト教徒が信じたことがあるのだ。有名所だと英国のリチャード獅子心王などは心臓と身体は別々に葬らせてあるね。他にもスウェーデンの獅子王グスタフ・アドルフは死後に心臓を妻のマリアに抜き取られている。獅子ばっかりだね! この風習が広まったのが十字軍以降だからエジプトで木乃伊とは別に内臓を保管する秘術を知ったのかもしれない」

「うむ、しれっと横文字を使うでない」


 段々遠慮無く謎の知識で外国語を使っている石燕に、九郎は一応ツッコミを入れた。

 彼女はいつも通りの理由を言う。オランダ人はどんな知識を齎しているというのか。


「オランダ人から聞いた! 彼らは新教だからそういう怪しい聖書に書いてない方法は信じていない。なので馬鹿話みたいなあれだったよ。あるいはユダヤ教のゴーレムを作る秘術に使われる材料として、異教徒の心臓を使っていたという噂もあったからそっちの影響だという説も言っていたね。ゴーレムは土と石でできているから製作者も魔術師じゃなくて石工──つまりフリーメイソンが使う術だったのだよ!」

「フリーメイソンが出来たのがええと、今から百年前ぐらいじゃなかったか」

「それは表面上のことだよ。そもそもメイソンとは石工のことだからね。石工とは西洋での建築基礎で、つまりは総合大工だ。大工の息子だったイエスや、方舟を作ったノアだってメイソンと云えよう」

「石燕、お主酔ってるのだ」

「むふーん」


 頭をふらふらさせて、緩んだ表情で謎の理論を展開する石燕である。目元も半分閉じかけているので、かなり回っているようだ。

 そんな時に彼女が、阿蘭陀人から聞いたということでフリーメイソンやイエズス会、薔薇十字団にテンプル騎士団の残党など怪しげな──と勝手に認定している──団体について、陰謀論を説くのはよくあることだった。そしてそれの魔の手が日本にも届きそうだということも。

 九郎はこぼしそうな石燕の湯のみを取って、その中身を飲み干し立ち上がった。


「そろそろ出るとするか。さて、財布財布」


 幸せそうな顔で寝息をを立て始めた彼女を軽く担いで、ごそごそと石燕の懐をまさぐる九郎。

 そして鮫革の財布から金を出して、再び喪服の内側にあるポケットのような、落とさないように財布を保持できる場所へと手際よく戻した。

 店に支払い、石燕に肩を貸して去っていった……。




 ******



 

 ぼくは観察を終えて、追いかける前に手元の帳面に木炭で記録を書き入れた。


・酒には強く足取り乱れず。

・女を財布扱いしている。


 予め名簿に書かれていたのは、名前や住所などで細かい情報はこうして自分で拾わなくてはならない。

 突然近寄り刺殺して逃げていく。

 そんなものは、この仕事を長く続けたいと思うのなら止めておくのが正しい。自分が刺しているとき、相手もまた自分を刺せるからだ。相打ちで名誉と云った感傷は、独り者の殺し屋には存在しない。

 隙だらけに見えるけれども、側には姉川の戦いで果てた真柄直隆の太刀かと云うような、今時の武士が持たない大きな刀をすぐに取れる場所に置いていた。いつも持ち歩いているのか、たまたまなのかで日頃の警戒度がわかるだろう。

 監視対象は多くいる。並行して、狙いやすい相手を見つける必要があった。ぼくは次の相手へ向かう。




 ********



 


「おう、ご苦労」

「わふ」


 番犬に挨拶をすると、やはり寝転がったまま膨らませた頬を潰したような、気の抜けた鳴き声で返事をした。

 石燕を小脇に抱えたまま玄関で履物を脱ぐと、もう一つこの屋敷にある以外の女物な草履が置かれているのに気づく。


「む? これは……子興のか。おい、弟子が来ておるぞ」

「弟子ぃぃ? うっぷ……平等であるフリーを自称するフリーメイソンが……どうして親方と弟子という階級に分かれているのかというと……むにゃむにゃ」

「やれやれ」

 

 鼻声で返す石燕を諦めて、玄関から上がり彼女の仕事部屋兼居間兼寝室へと入ろうとした。現代で云うならコタツで仕事をして寝ているようなずぼらさだろうか。ともあれ客が来るときは大体そこで対応している。

 襖に手を掛けて、開く。


「帰ったぞ───」

「あ、九郎君が来たでありますよ」


 部屋の中では。

 正座した夕鶴の膝の上に仰向けになって、彼女の胸元に抱きついて顔を埋めている子興が居た。

 九郎は襖を閉める。そして襖を睨みながら、難しげに一句詠んだ。


「……百合の花 咲くは江戸にも その素質」

「弟子がとうとう女同士に走っていたとは……」

「晃之介に振られたのだろうか」

「身の危険を感じるね」


 急に酔いが冷めた石燕と真顔で言い合う。

 部屋の中から大声で呼び声が掛かった。


「ちょっ!? ちょっと待つであります! 自分をそんな不名誉な性癖に巻き込まないで欲しいであります!」

「しかし夕鶴くんは子興に授乳ヨシヨシという高度な行いを……」

「してないであります! っていうかいい加減退くであります!!」


 のしかかる子興を引剥がして、夕鶴は部屋の隅に離れていった。

 そろそろと訝しげな眼差しで九郎と石燕が襖を開けると、静かに倒れて顔を押さえている子興が目に入った。

 二人は近づき、肩などを突いてみる。


「おい、どうした子興や。巨女ブームが来ないまま去ったか」

「猫耳は獣気取りの糞とか厳しい意見でも貰ったかね?」 

「あーるーいーはー」

「ふーらーれーたー」

「二人して妙な仲の良さ見せないでよ酔っぱらい共ー!!」

 

 がばっと顔を上げて怒鳴る子興に指を向けて、昼酒で酔っている九郎と石燕は薄笑いを浮かべた。

 男の家に居候させた弟子が出戻りして何やらショックを受けているのだ。思い当たるのはそういう理由だろう。

 九郎が子興の背中を軽く叩きながら慰める。


「いや、悪い悪い。晃之介の奴、うちの可愛い娘を振るなど許せんなあ。ちょっと不能にさせる病気をあやつの道場に振りまいてくる」

「やらなくていいよ!? っていうか振られてませんー! ちょっと追い出されただけですー! あとそんな病気振りまいたら雨次っちにも影響大だからね!」


 九郎の肩を揺さぶって、否定と制止を同時に行う。


「何をしたんだね。あの善人から追い出されるとは」


 子興が猫耳のようになっている結い髪をどういう原理かぴくぴくと動かして涙目で訴える。


「わかんないんだよー! 晃之介さんが難しそうな顔をして、言い難そうに暫くこっちに泊まるようにって……」

「ふむ……そんな子興にピッタリの妖怪はこれだ!」


 石燕は取り出した筆を墨壺に軽く濡らして、白紙にさらさらと妖怪画を描きだした。

 唐突な行動に九郎が尋ねる。


「どうしたいきなり絵など描いて」

「ふふふ……最近、鳥山石燕は妖怪絵師であるという要素が薄かったから梃子入れのように主張するのだよ。このままでは妖怪絵師・鳥山石燕ではなく、呑兵衛でか弱い喪女・鳥山石燕になってしまう」

「お、おう」


 そういえばすっかり九郎も後者としてしか見ていなかったことに気づいて、唸った。

 石燕がさらさらと描いたのは、二本の尻尾がある獣が、火吹きの竹筒を使って囲炉裏で火を起こしている絵である。

 非常に細かい模様も一発描きでかけているのは、予め決めていた構図なのだろう。


「これは……化猫ばけねこか?」

[五徳猫ごとくねこ]という妖怪でね、見ての通り猫又の一種なのだが、何か肝心なことを忘れている妖怪なのだよ」

「忘れたまま家事をしておる……みたいな?」


 案外愛嬌のある顔で必死に吹いている妖怪は可愛らしくもある。頭に五徳(囲炉裏にあるべき、ヤカンなどを載せる金属の輪)を被っているのはあたかも眼鏡を探す芸人のようだ。


「そう。つまり──子興が何か抜けてたから追い出されたのだろう」

「うあああん!!」


 泣き叫ぶ子興の背中を撫でて、九郎が慰める。


「まあ待て待て。あの実直な男が滅多な理由で追い出すわけがなかろう。きっと何かあったんだ。一人で、お主が居たらできぬ間に、こっそりと……はっ」

「……」

「……」

「……? どうしたでありますか?」


 九郎が気まずそうな顔をして、石燕と子興は僅かに顔を赤らめて目を逸らした。夕鶴だけがきょとんとしている。

 晃之介だって若いのだ。四六時中、家に年頃の娘が居ては困ることもあるのだろう。

 その想像がそれとなくついたのだが……


「い、いやおかしいって! だってお七ちゃんは道場に残ってたし!」

「余計インモラルに」

「あるいは貧乳に目覚めたかね」

「そんなこと無い!」

「何がでありますかー? ねえねえ」

「お主は純なままで居ておくれ」


 優しげな視線を向ける九郎であった。


「ま、まあ後で己れが事情をそれとなく聞きに行くから」

「持っていくかね? 春画」

「駄目ー! 晃之介さんに変なもの見せるなー!」


 石燕秘蔵の熟女系春画同人誌[孝謙上皇和合道鏡図]という尊皇派に見せたら発狂しそうな、道鏡×孝謙上皇の不敬罪的なそれを子興が奪って押し入れに投げ込んだ。


「喘ぎ声が全部『崩御ほうぎょ! 崩御ほうぎょ!』になってるところが笑いどころの本なのだが……」

「なるほど、春画の中でも天皇だから逝くとか死ぬとかは云えぬのか」

「出版規制が掛かったら真っ先に版木ごと消されそうだから買っていたのだよ」


 ※消された。

 などと酔っぱらいに子興がぎゃあぎゃあと相手をしていると、玄関の戸を叩く音がした。

 番犬も吠えていないので見知った誰かだろう。


「こんにちはー読売でーす」

「む、お花だな」

「入って持って来てくれたまえ」

「はーい。丁度こっちも、鳥山先生に頼み事がありまして」


 云いながら足音を立てずに入ってきたのは、動きやすいよう捲し上げた着物に、脚絆をつけている娘だった。肩にたすき掛けして縄を通した鞄を下げていて、そこには瓦版の読売が入っている。

 記者であり、瓦版を作って訪問販売をしている読売のお花であった。相変わらず健康的な日焼けをしていて、江戸中を走り回っているだろうに汗も掻かずに朗らかな笑顔を浮かべている。

 ともあれ子興を弄るのを止めて、持って来た瓦版を受け取る。同時にお花が解説をした。


「また出たんですよ、辻斬りが。これで都合三件目!」

「ほう、なんとも猟奇的だね」

「そうだのう。殺すにしても、胸をえぐるやり方を繰り返すとは……」

「儀式殺人めいているね」


 どうも物騒な話だったので苦手な夕鶴は──仇討ちの身だというのに血腥いのが苦手というのもあれだが──茶を淹れに竈へと移動していった。

 子興もぶすっとした顔で新聞を覗き込んでいる。


「ところが新事実が幾つか捜査関係者から漏らされまして」

「ほう」


 興味深そうに九郎は聞き返した。自分達の住む街で行われる猟奇殺人に、大なり小なり興味を持たないのもおかしな話なのだが。実際、この事件を扱った瓦版は飛ぶように売れている。


「この三人の被害者の共通点です。胸を損壊されていると思われていたんですけど、どうやら胸を切り裂かれて、心臓を抜き取られていたみたいです」

「一気に猟奇度が増したのう……」

「ふむ? 心臓を破壊して相手の生命を完全に停止させようという心理が働いていたと思っていたのだが、持ち去るとなると話は別だね」

「うわあ……どうしたんだろう心臓。食べたのかな」

「それともう一つ。殺された侍はどれも道場や藩邸なんかで腕を知られた剣の使い手だったそうな……つまり、一筋縄じゃ行かない相手を狙って殺しているのでは、と奉行所では噂されてるとか!」

「捜査情報漏らしてるのあいつだろ。覆面同心。いいのかそれで」

「まあまあ」


 町方同心の、[無銘]藤林同心は変装と追跡の達人だが、捜査に一部の忍び仲間に協力を頼むことがあるのだ。

 江戸中を走り回っていて噂話通なお花なども時折手伝うことがあり、対価として情報を教えてもらうのであった。

 石燕が眼鏡を押さえながら紙面に視線を落とすと、被害者はいずれも一人のところを狙われていて、殺され方はバラバラだ。胸を切り裂いて心臓をえぐったのは死後の可能性もあるという。 


「それで? 頼み事とは何だね?」

「実はですね、この事件って怪談みたいで評判を呼んでるんですけど、これといった統一名称が無いんですよ。赤穂事件とか、毒蜘蛛党の乱とか、こういい呼び名を流行らせられたらブン屋冥利につきるんです」

「他人事だのう」

「それで鳥山先生、それらしい妖怪とか居ませんか?」


 お花の問いかけに、石燕が「ふむ」と考えてから再び筆を取った。

 一瞬飲み屋で話をしていた外国の心臓からの復活を狙った儀式殺人だという説を取ろうかと思ったが、やはり妖怪絵師としての体面を考えて棄却した。

 紙に再びさらさらと淀むことのない手の動きで妖怪の形を書き示していくのは、あたかも二次元を想像して妖怪の実体ある影を写しだしたかのようである。

 彼女が虎を屏風にその場で描けば、一休宗純とて身構えそうな、生き生きとした絵柄で妖怪が動き出しそうであった。

 そして、松の下で人を喰う鬼の絵の隣に、画数の多い漢字を書いた。


[魍魎もうりょう]……これは亡者の肝を食う妖怪だと云われている。西国の河童、東国の鎌鼬と並んで北国の魍魎は有名だね」

「肝を食う……心臓を抜き取って持ち去る悪党にはぴったりですね」


 お花が唾を飲み込んだ。いかにも人に害を齎しそうな、凶悪な容貌をしている妖怪──というか鬼である。


魑魅魍魎ちみもうりょうってやつか」

「いや、そうして[魑魅ちみ]と合わせて呼ぶと妖怪全般という意味合いになってしまい、魍魎自体では無くなるのだよ。細かい分類の説明をすると非常にややこしくなるので専門書を読んでくれたまえ」

「専門書があるのか」


 適当に流す石燕に半眼で九郎は問い返した。説明したがりな彼女が省くのだから、余程面倒なことになっているのだろう。

 

「しかし北国の魍魎とな。北国の妖怪なのか、こいつ」

「ふむ。その説明ならいいか。まあこれは自説なのだが……」


 彼女は紙に情報を書きながら、解説を始めた。


「魍魎というのはもともと中国の妖怪でね、日本に入ってきたのは仏教の伝来と同じ時期だろう。日本書紀にその名称が出てきて、罔象女神ミツハノメノカミと関係がありそうな記録されているのだからね。

 時代は奈良に都を置くときだ。魍魎は鬼であるが、人々は都で鬼の姿を形に彫って恐れていた。当時の都は四方を四天王に守らせることで霊的な加護を得ようとしていたのだが、四天王像はその足元に特徴があるね」

「ええと、確か餓鬼を踏んでいるんでしたっけ……」

「そう。恐ろしい、へしゃげた顔の邪悪な鬼を踏みつけて守っている。そして平城京の時代には北方に鬼と呼ばれる存在が居て都の者はそれを恐れていた。

 まつろわぬ民や、蝦夷えみしだよ。都の人間はそれこそ、北国の守りを司る毘沙門天が踏みつけている鬼だと思っていたのだね。実際に首領で有名な阿弖流爲アテルイは巷談で鬼扱いされているし、それを征した田村将軍は毘沙門天の化身だ。

 魍魎という名前が広まった。鬼という存在がある。そして二つを結びつけたのが、阿弖流爲の側近であった母禮モレだ。言葉の響きとはすぐに広まるもので、それこそが北国の魍魎だと恐れられたのだよ。

 生き肝を食うという恐ろしさも、朝廷軍に歴史的大敗をさせたからね。五万で攻めてきた朝廷軍のうち四千を策で嵌めて討ち取り、僅かな被害で撃退した蝦夷の恐ろしさはそれこそ魔物だったそうだ。

 そういった経緯があり、北国と云えば鬼。そして魍魎ということになったのではないかと私は考えている。むう! 足場が崩れて!」

「崩れておらぬから」


 体をこけさせる石燕を背後から掴んで九郎が姿勢を正させる。

 メモを取っていたお花はしきりに頷いている。話の内容はさっぱり理解していないが、魍魎は大衆受けしそうだとは思ったようだ。江戸に現れた心臓喰らいの鬼、魍魎。その正体とは……! みたいな見出しで次は行こうと決める。

 

「ありがとうございました鳥山先生! あ、この魍魎の絵売ってください!」

「売り上げの五分でいいよ」

「うう、いや、ちょっと沢山刷って売ればいいか……」

 

 印税5%を要求する石燕に、買い切りだと思っていたお花は少し怯んだようだが、承諾した。

 九郎が「そういえば」とすぐにでも帰って記事を書き出しそうなお花を呼び止めて聞く。


「晃之介のところには持って行ったかえ?」

「ええはい。なんか凄い集中していて、道場の周辺に近づいた瞬間に矢で射られたみたいな錯覚があるぐらい、張り詰めた感じでしたね」

「やはり周辺を警戒するよなあ、あれ。若いから」

「相当本気だね。九郎くん邪魔しないようにね」

「あーもう! 晃之介さんが変な事してる想像しないの!」


 子興の顔を赤くした叫びが、二人の生暖かいやり取りを遮るのであった。





 ******





 それから九郎は一人、晃之介の道場へと向かった。流石に女を連れて来るわけには行かない。


(まあ、冗談だが。なにかしら子興を隔離した理由はあるのだろう)


 九郎も本気で晃之介が一人遊びをする為に子興を離したとは思っていない。

 恐らくは何かの厄介事に巻き込まれて、だが子興に心配は掛けまいと説明も少なく避難させた。そんなところではないかと、九郎は考えた。

 

(それならそうと云えば良いものを)


 六天流道場が視界に入ったと同時に、九郎は妙な圧力を感じた。

 境目があったわけではない。ただ夕暮れに墓場に踏み込んだような、草原で急にそよ風が止んだような、僅かだが違和感という形として現れる。

 纏わりつく抵抗のない粘糸が空中にあるみたいな気分で、道場へ踏み込む。


「──九郎か」


 録山晃之介は道場の真ん中で、袴姿に無手にて胡座を掻いていた。

 背筋は伸びて呼吸は整い、寺に収められている木造のように厳かに鎮座している。

 だが道場に来たのが九郎だとしれて、徐々にその雰囲気は薄らいでいく。

 

「随分と怖ろしい顔をしておるのう」

「ああ、少しな。今日はどうした?」

「子興が追い出されたと泣きを入れてきたので、お主が悪かったらちんちんを二度と使い物にできなくしてやろうかと」

「さらっと怖ろしい提案を出すな!」


 思わず股間を手で隠して晃之介は叫んだ。

 そして溜め息混じりに立ち上がり、座って凝った体をほぐしだした。


「子興殿には悪いことをした。だが、どうも危険な予感がしたんだ」

「と、いうと?」

「ここ数日、何度か嫌な気配を覚えてな……」

「また見られているとかか」


 以前もストーカー染みた好意を行為で示されていたことがある晃之介である。今度もかと思ったのだが、


「直接的な視線じゃない、巧妙な探り……だと思う。確信は無いぐらいにあやふやだ。九郎、送り狼というものを知っているか?」

「己れの若い頃の得意技で……」

「違う。というか何をやってるんだお前は」

「冗談だ」

「まったく。石燕殿やお房ちゃんが泣くぞ」

「む……フサ子に泣かれたら己れ凄いへこむぞ。鬱陶しいぐらいへこむぞ多分」


 想像して九郎は顔を曇らせた。娘のような存在の前では、清廉潔白で居たいと思っている。その娘の姉的存在にたかるヒモだが。


「その話は後にしろ。それで、狼は夜縄張りに人間が入ったらすぐには襲わないんだ。縄張りの外に出るまで、後ろをじっとゆっくり追いかけてくる」

「食いついてこないのか」

「馬でも連れていれば別だが、人間相手では割が合わないという知能があるんだろう。それでも縄張りの奥に行こうとすれば襲うがな。そして、追いかけてくる狼はまったく殺気が無いんだ。こっちに視線も合わせていないことも多い」

「ほう」

「だが、追われて焦った人間が転んだ瞬間──それまでの気配とは打って変わり、狼は即座に殺しに来る。隙を見せなければ、縄張りの外まで追いかけるだけなのだが、隙を見せれば死ぬ。そういう習性を送り狼と云う」 


 晃之介は説明をして、両手をぶらぶらと振り武器を持っていないことを見せた。


「近頃感じたのも、俺を含む景色としてこちらを見ながら、それでいて観察しているような……視線を感じない気配があった気がして、な。だからこうして、わざと隙を見せている」

「気を張り詰め過ぎて道場に近づいただけで、お主のただならぬ気配は感じたが……」

「その時は相手が不審に逃げていくだろう。それを追いかけるのみだ。そう思っていたんだが、中々掛からない」

「お七は?」

「流石に四六時中この調子では俺もくたびれるからな、夜に寝るときなど一人は見張りが居てくれたほうが助かるから、今は昼寝をしている。あいつはあれで、弟子の中では一番身軽なんだ」

「ふむ……」


 晃之介が狙われている、と云うのは本人の対応からもわかるが、心当たりが無いわけではない。

 道場では挑戦者が金を賭けて挑んでくることもあり、晃之介はそのすべてを打破して来ている。そうすれば当然ながら、腕自慢な武士が聞いたことも無い田舎道場を叩きのめそうとして返り討ちに合うのだから逆恨みもする。

 それ以外でも、六天流として彼の父が日本のあちこちで道場破りをした遺恨もあるだろう。

 故に襲われてもおかしくないと、本人は納得して襲撃を待っているのだが。


「晃之介。もしかしたら、これは別の事件の一環かもしれぬぞ」

「別の事件?」


 問い返した彼に、九郎は江戸市中で腕利きの武芸者が襲われて心臓をえぐり取られているという事件を教えた。

 凄惨な事件に流石に彼も顔を顰める。


「そうなると……やはり子興殿は、暫く石燕殿のところに泊めていたほうがいいな」

「ああ。幾ら武芸者を狙うとはいえ、その近くの者が安全とも限らぬ」

「いや、情けない話だ。俺が子興殿を守る、と断言できればいいのだが、暗殺者相手に絶対は無い……」


 幾ら集団相手に戦うような武術を身に着けていたとはいえ。

 自分の身はともかく、近くの誰かをもどこから襲い来るかわからない暗殺者から守るのは、不可能に近い。


「気にするな。無駄に自信があるより、安全策を取るほうがいい」

「そう云ってくれると助かる。そして俺に罪が無いとわかったなら不能毒を撒くのは止めろ」

「一時的なものもあるが」

「止めろ」

「そうだな」


 子興が可哀想になるので止めた。


「ともあれ、なんとか解決せねばならぬよな」

「気味が悪いしな。腕利きしか襲わないんだろう? 九郎も気をつけろよ」

「己れが? 蕎麦屋の居候の己れは狙われんて……」


 肩を竦めて云う九郎に、晃之介は真面目な顔で云う。


「いや、充分にこの江戸では、腕っ節が強いヤクザめいた御用聞きとしてお前は知られてるからな」

「……本当に?」

「知られてなかったら助屋なんて誰も駆け込んで来ないだろう」

「う、ううむ……一応気をつけておくか」


 自分も標的の一人なのではないかという疑いに、九郎の事件解決優先度が上昇した。

 サイコパス的殺人鬼に心臓をえぐられようと狙われるなど、安眠できない案件としてはかなり上位に入るだろう。


「こうなれば影兵衛あたりに情報を流して、あやつに自発的おとり捜査をさせるか……腕利きを狙うなら確実にあやつ対象に入っているだろう」

「容赦なく巻き込むなあ」

「晃之介と影兵衛と利悟はヤバイ事件に巻き込んでも使い減りしないと信じている」

「うん……きっと俺とそいつらも、お前のことそう思ってるからな」

「おのれ」


 軽口を言い合って、晃之介と一旦別れた。

 他の協力者にも声を掛けておかねばならない。自分と仲間の安全の為に。


 こうして九郎は、江戸における[魍魎]の事件を解決するべく、動き出したのであった……。




 つづく

  




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