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105話『掌編:迷走する雨次と薩摩の物語』

 ある日突然、あなたに五人もの薩摩人がきたらどうしますか? いやまあ本当は十二人欲しいけどあんまりだから五人ぐらいで。

 それも……とびっきりやかましくて、とびっきり頑健で、とびっきり死を恐れずに、とびっきりの芋侍。

 しかも、そのうえ……薩摩人達はみんなみんな、とびっきり──わァのこつを好いちょっとよ……


 でも、残念なことに江戸と薩摩で現在離れ離れに暮らしていて……実際に会うことができるのは、2ヵ月に1回と決められた"交易船が来る日"だけ。

 大好きな貴方と自由に会えない薩摩人は……さみしくて、いつも猿叫を発して示現流で立ち木を殴っています。


「日新大菩薩さァ……どげんか、早よ会えっごど頼んまんせ……おいの大事か大事か人じゃ……会えんでいっと……とぜんち気んがわぜかこっになっちょっと……」

 だから、ようやく2ヵ月に1度の「交易船が来る日」がめぐってきて……2人が会えたときには、薩摩人は奄美中の甘みを独り占めしたみたいに、とってもとっても……幸せ。もちろん唐芋野郎なんだけど、気分はまるで楽しい肝練り!

 そして上士である貴方は、薩摩人のそばにぴったりくっついて……愉快そうに薩摩人の顔をのぞき込み、こう……言うのです。


「おう! 唐芋! 威勢のいいこったな!」

「何ィ!?」



 Satumar Predator~薩摩の捕食者~ 今秋発売予定。




 ******




「駄目じゃないか」


 九郎は鹿屋での企画会議所で、黒右衛門と雨次が出した怪しげな恋愛? 物語の企画を読んでそう告げた。

 読んだとは云ったが目が滑るようで、脳にまるで内容が入ってこない。一応老眼鏡を借りたり、文字を離して見たりと己の視界の老化を疑ったが、やはり内容が酷かったためのようだ。

 サツマープレデター。略してサツプレ。ここには居ないが、石燕が英語タイトルを付けてくれたらしい。ジャンルは恋愛系の物語本、或いは芝居公演と主張している。主人公は江戸に住む薩摩人で、離れ離れの薩摩人との甘い恋物語が──


「ああもう駄目だ。正気とは思えぬ」


 頑張って確認しようとしたが、無理だった。人間誰しも無理なことがある。無理を通せば道理が引っ込み、この場合に引っ込む道理は人間が捨ててはいけないたぐいに思えた。

 いつも通り九郎は彼らと、薩摩に関するイベントについての会議を開いているのだったが毎度酷いものしか出てこない。

 そのことに関しては一応彼らも自覚はしているようで、それを上手く纏める九郎に期待し、こうしてアドバイザーとして呼んでいるのであった。

 残念そうに薩摩汚染度五(無意識化に薩摩的サブリミナルが入るようになる)の黒右衛門が云う。

 

「駄目ですか」

「駄目っていうか、無理だろ。ただでさえ鹿児島県民に怒られてるのに」

「ええと? 九郎さん、どこが駄目か教えてくれないと修正のしようが……」

「うーむ」


 薩摩汚染度三(薩摩と接していて思考の一部をトレースできるようになる)の雨次からそう聞かれて、九郎も悩ましげになった。

 根本的に感性の問題な気もしたが、九郎と二人の感想は違うようであった。 

 とりあえず常識が違うのかもしれないから、嫌々だが念の為に確認した。


「ひょっとして薩摩って衆道が流行ってるのか」

「いえ、特には」


 黒右衛門が否定をして、胸を撫で下ろす九郎。


「安心した」

「女装少年祀り上げならば。九郎殿や雨次先生なら、ええ多分ちやほやされます。高級な紬も与えられて上げ膳下げ膳の生活ですよ。二才にせサァの姫とか呼ばれます」

「うわあ」

「姫というか、蛮族に囚われた感じがする状況だのう」


 嫌そうに九郎が身を引いた。雨次も眉を潜める。時折、薩摩人から見られる視線に嫌な気配を感じることもあったのだ。

 二才と云うのは薩摩人の未婚の若い衆で、薩摩人として教育する為の集まりでもある。

 そこではつまり、軟弱は一切排されているのであって当然女にうつつを抜かせば死罪である。というわけで二才の中でも線の細い者が二才サークルの姫としてもてはやされる。美少年にうつつを抜かすのはまあセーフなのかもしれない。

 

「そんな誰も得をしない情報はどうでもいいとして。こんなもんをお外に出してみろ。薩摩人を見ただけで江戸の民衆は逃げるぞ。どこぞの四文字の神様もキレて硫黄とか降らすぞ」

「なるほど……いえまあ、火山灰ならいつも降ってるのですが」

 

 あくまで鹿屋が薩摩系の出し物を考えているのは、薩摩への偏見をなくし交易品を多く売るためなのであって、薩摩を陥れるのが目的ではない。

 実際薩摩はいいところだ。まあ勿論命の危機や命の危機、あと命の危機などが比較的多いが、馬鹿にしたものではない。それに薩摩とは関係ないが現代の鹿児島も素敵な県だと作者は思う。県警が焼酎を作ってたりする大らかな感じもある。 

 それに、古来より大陸や南方と接してきて様々な文化交流があっただけあり、薩摩は文明的な部分も存在する。それの一つが、意外に物語や歌、芸事を好むと云う国民性もあった。嘘じゃない。本当だ。

 薩摩いいところ一度はおいで──とまでは云わないが。迂闊に薩摩に入った余所者は幕府の間者と疑われ捕まる。手紙を運ぶ飛脚すら命がけだ。ただ、薬売りは藩内に組合があり紹介があればそれなりに自在に入れたので、阿部将翁などは顔が利くらしい。

 

「ええと、じゃあどこを修正しましょうか」


 物語を作る雨次が眼鏡を光らせながら企画書を前に朱筆を取った。

 彼自身もまだ少年であり、どちらかと云えばインドアなので社会経験が少なく、古典や物語本などで知識を蓄えているので常識が少しずれている。


(いや、まあズレていない者など、江戸におったかのう)


 想像してやや怖くなり、九郎は誤魔化すようにかぶりを振った。

 

「とりあえず……薩摩が駄目」

「そこをなんとか」

「根本的じゃないですか」

「わかった、わかった。そう一気にツッコむな」


 どうしてだかまともに改案する気分がごりごり失せていく九郎であったが、なんとか持ち直す。

 

「そうだのう、何の要素を加えるか……鮫……恨みで蘇る死人……労働者党……ヴァンダミングアクション……」


 薩摩に付け加えても違和感なく、売れそうな、或いはクソ映画になりそうな要素を九郎が思い浮かべながら呟くと、心配そうに雨次と鹿屋が告げてくる。


「いやあの九郎さん、そこまで全とっかえされると……骨組みはもうできてしまっているので五人の薩摩人が繰り広げる心温まる系の話でお願いします」

「役者の薩摩人五人も決めているので……」

「おのれ脚本とスポンサーめ」

 

 苦々しく云いながら、この五人の薩摩物語をどうしようかと悩んだ。

 

「……せめて衆道要素はやめておこう。きついから」

「別に衆道じゃないんですよ? なんというか男同士の友情というか、精神的神秘性のある魂の繋がりというか」

「同世代の男友達が居らぬからお主は勘違いをしておる」

「ううう」

「女友達ばかりではなく、そうだな……タマあたりと……いや、やっぱり無しだ」


 余計悪い影響を与えそうな、自分の弟分を上げて否定した。

 

「ふう、とにかく嫌すぎるから男と男は無しだ」

「確かに嫌ですな」

「僕も書いててどうかと思った」

「己れに相談する前にボツにしとけよ、そこは」


 外せぬ要素、薩摩五人ハートフルはともあれ男色はどうにかできたようである。

 九郎は悩みながら、


「普通に男女にするとなると……江戸で待つ女を取り合う薩摩五人……」

「雄叫びで震える大地……」

「飛び散る生首と臓物……」

「やはり薩摩が問題だぞ、これ」


 イメージしたところ、恋の駆け引き(物理)が発生するだけでハートフルな展開は望めない。 

 心臓部がフルオープンになる展開ならばあり得るが、それはそれで危険すぎる。単に物語の中だけならまだしも、役者が既に居るらしい。死を恐れはしまいが、逆に困る。

 そこで建設的な意見を出したのが、取り合われることに定評のある少年、雨次であった。


「いっそ、その五人の相手となる役柄は家族とかにしたらどうだろう。こう、江戸に妹とかが住んでいてそれに会いにいくとか……」

「いかなる経緯で兄五人が薩摩の船乗りをしていて、妹だけ江戸なのであろうな……」

「裁判で接近を禁止されているとか」

「途端に物哀しくなってきた!」


 その設定を一応企画書にメモする一同である。

 確かに妹ならば取り合いも家族愛であり、そう血生臭い事にはならないかもしれない。

 薩摩は家族に優しい。嘘じゃない。本当だ。まあ一部厳しいというか、一族郎党の罰をよく受けて蔑ろにすることもなくはないというが、概ね全体的に見ると優しいとどちらかと言えば優しいの比率が勝るのではないかと思われる。

 黒右衛門が唸る。


「なるほど、妹となれば自然な関係。五人の薩摩衆も個性豊かなお兄ちゃん揃いで憧れている……みたいな感じですな」

「うーん……」

「安心してくだされ。隣の部屋で待機している方々も聞いて理解なさってくれている筈です」


 がらりと襖が開けられると、そこには五人のいずれも見分けが付きにくい、墨絵の劇画が浮き出たように線の野太い薩摩人達が待機していた。

 薩摩の郷士であり、鹿屋が行う商売の助勢として江戸に来ている者達であった。

 薩摩では武士の数が多くとても賄いきれぬ薄給なものだから、数多くの内職や別の仕事を行っている。鹿屋の江戸で商売をするのは、大きな事業であり藩も絡んでいるために雇用対策として武士を雇い入れているのだ。

 その武士らにしても、貧窮にあえぐ薩摩から出て合法的に江戸で稼げるのだから真剣に鹿屋で商売の手伝いをするのだ。九郎の提案したことにも、多くの武士が関わっている。藩内ではいかな豪商相手とて威張り散らす郷士も、江戸では素直にならざるを得ない。

 ともあれ、薩摩藩に残って芋の屑を食う生活よりはかなりマシな状況であるので、真面目に薩摩人達は各々に職分を怒鳴った。


「べ、別にわァが為じゃなかが! 勘違いすっと打ったくっど!」

「彼は素直になれないお兄さん風」

「気持ち悪いな」

 

 そっぽを向いてそれらしくも物騒な言葉を口にする薩摩人に、九郎は素直な感想を告げる。

 次の者は、


「妹じょ、今日は豪華に、百姓に加勢して丸ごとん芋を貰ってきたがよ!」

「彼は金持ち系」

「えええ……金持ちの閾値が低いのう」


 普段は芋の尻尾、芋の粥などを食べているのだろう。困窮さが筋張った体つきからも見て取れて、むしろ涙を誘う。

 続けて見たのはひと目で違いがわかる。白褌一丁に帯刀してある薩摩人であった。


「昨日上士を切り殺したもんで死罪になっから今日でお別れじゃっ!」

「彼は死に別れ系のお兄さん」

「存在が出落ちだろ」


 白装束すら芋郷士には必要ない。死ぬるときは褌一枚である。まあそれはともあれ。

 隣の薩摩人はやはり見た目は変わらないが、それとなく思案深そうな顔で云う。


「おいの計算によっと──次の台風で家ん畑ば流されっど!」

「冷静で知的なお兄さん」

「自分の余命を宣告しているようなものだのう」


 最後は一番若い者であり、慌てたように告げた。


「別に見惚れてたわけじゃなか! おいは目が悪かから妹か母親かと思って見ちょっただけじゃ!」

「なんじゃッッ! 貴様きさん妹をそんな惚けた目で見ちょっとかァッ!!」

「死罪ッッ!」

 

 どか、と音が鳴って頚椎を蹴り飛ばされた最後の一人がぐったりと倒れ、部屋の奥に運ばれていく。


 ──残り四人──


 薩摩の掟は厳しいのである。


「妹のことが好きになっちゃう兄だったんですが、他の兄の不興を買ったようで。しかしこのように女人には狼藉を働かないみたいな雰囲気は好印象では?」

「いや、もう、自己紹介の段階で一人減るとは」

「どうやって物語上処理しよう……」


 雨次が頭を抱えている。

 

「しかし、妹系との交流となるがその度に死人が出ては困るぞ」

「大丈夫です、退場した人以外は既婚者なので。薩摩に嫁も子もおります」

「それでこの企画に入ってるのがなんとも酷いな」


 故郷から離れた地で父親が妹属性の役になりきるという。

 しかし一度やると公言したからには、やりきらなくては二枚舌の嘘つきということになってしまう。

 薩摩で嘘つきは最も軽蔑されることなので、こうなれば彼らもやりきる以外には無いのだ。

 

「どうだ、雨次。いい話が浮かぶか?」

「う、うーん……すぐにはちょっと……少し様子を見ないと……」

「そうだのう。様子というと……」

「実際妹に会わせてみるとか」

「なるほど」


 


 ******




「──というわけでハチ子や。お主の兄が薩摩から帰ってきたぞ」

「嘘をつけぇー!!」


 駄目だった。

 四人の薩摩人をずらりと並べて店に訪ねたのだが、一発で看破された。

 彼女の兄の一人は、素行が悪く根性も座っていないので鹿屋の船に載せて薩摩行きにさせたので、或いは整合性があるかと期待しての選択だったのだが。

 追い出されお八に塩まで投げられたのは九郎にとってもショックであり、もう薩摩とかどうでもいいから帰って寝込みたくなった。

 薩摩の為に働くか。

 全てを投げ出して寝込むか。 


「……」

「うわ凄い九郎さんが僕を見てる……爺さんが版元の仕事押し付けるときと同じ目だこれ……」

「若い頃は仕事を嫌とは云えなんだ。家族があった。生活があった。周りの目があった……だがこう、歳を食うとどうでもいいかなという気分になるな」

「待ってくださいどうしろっていうんですか」

「お主が妹をやって体験を活かせ。頑張れよ」

「僕が妹!?」


 ろくに考えもせずに適当に告げる謎の理論で彼を諭し、九郎は肩を落としながら薩摩人達を残して去っていくのであった。

 投げるし諦める駄目な主人公である。

 残された雨次は父親ほども年齢の違う薩摩人四人に囲まれて、多少は緩和したとは云え対人関係が苦手であるのでびくびくとする。

 仔ウサギのように震えている、眼鏡な文学少年で妹。


「……よかッ!!」

「ああ、よかなッ!!」

「今宵は宴じゃ!!」

「こ、こわい……」


 思わず後ずさりする雨次である。しかし立派な物書きになるためには多少特殊な経験をしなくてはいけないのかもしれない。彼の人生の岐路は今。 

 途轍もない身の危険と、甘い悪魔の誘惑に悩む彼を救う人物がここに現れた!


「待てい!」

「なんか!?」


 勇ましい声を上げて、危険な集団にすっと歩み寄ってきたのは江戸の子供達を守る正義の同心──

 ではなく、外行き用の着流し姿をした雨次とそう変わらぬ細身の少年。

 タマであった。

 今日はむじな亭が休みだったので出かけていたのである。

 彼はしたり顔で近づいてきて、雨次の肩をぽんと叩いた。


「男の子ながら妹になろうというその心意気、ボクにはよぉくわかるタマ!」

「うわあ」


 後押しが来てしまった。タマはにっこりと、雌めいた雰囲気を出した笑みを浮かべて抵抗の様子を見せる雨次の手を掴む。


「大丈夫! ボクがしっかりと君をオンナノコにしてあげるから! さあさあ、こっちで女装するタマ! 久しぶりに、兄さんのくれた簪も差さないといけないなあって思ってて! 過去を否定せずにボクは今を生きる!」

「た、助けて~……」


 少年二人女装行きへの旅立ちに、薩摩人達が守るように後ろからついていく。

 ふと雨次の視界端に、物陰から覗いている小唄の姿があった。


「こ、小唄……!」


 彼女は思い悩むような表情をして、雨次と目を合わせて親指を立てた。


 大丈夫だ、雨次。お前がどんな姿になっても、わたしはちゃんと理解している。お前が進む道を正しく思う。だから、頑張れ。あと雨次の女装姿見たい。


 そんな思いが、彼女の真剣な表情から伝わるようであった。伝わりたくなかった。

 

「今日は雨次きゅんと女装姫行為に励むタマー!」

「やっぱり嫌だ! 無ー理ー!」


 引きずられて運ばれていく雨次の叫びが響いた──。


 

 日本橋にある小さな人形屋。

 そこは精巧な人間の顔身体を模した木彫や蝋人形を作っている隠れた名人の店である。

 一見、本当の人と見紛うような美しい造形で作られた人形はさすがに高価であり、大店の呉服屋や簪屋、化粧屋などに貸し出して生計を立てている。

 店で働く者も、店主であり職人の老人と最近弟子になった少年の二人しか基本的には居ない。商店と云うよりも工房と云った雰囲気で、昔から日本橋の隅にぽつんと存在していた。

 そこは呉服屋にも人間とほぼ寸法を同じく作った人形──とはいえ、多少は強度などの問題で胸像以外は木組みで人体の骨格を模しているだけなのだが──を貸して、振り袖などのディスプレイに使っている。

 相手方の店もその人形のできに驚いて、女物の着物や紅に眉墨などを報酬ついでに渡してくることもあった。

 前述した通り、店では着る者の居ない着物は人形の飾りとなるのだが──タマが暫く前からこの店に、人形の静画を描きたいと通っていて、それに目をつけていたのである。

 そんなわけで近くだった雨次を連れ込んで、女装道具として借りたのである。

 

「ううう……凄い鮮やかな手付きで脱がされて着替えさせられた……」


 雨次は納戸色の中着に、緋色を内側にした濃い鼠色で麻の葉模様がついた上着を羽織っている。細身の身体をより暗色が強調させつつも、手綱染めで明るい梅茶色の帯が膨れた枝垂れ桜結びになっていて、尻を飾っていた。

 髪の毛は雨次は元よりぼさぼさとしているが九郎よりやや長いぐらいに伸びていたので、しっかりと梳かして町人の島田髷ではなく吹輪と云う後頭部に結って輪を作る武家や公家風に整えてみた。

 元より日焼けしていない白い肌はすっぴんのタマよりも美しく、軽く紅を引いて目元を整えてやれば母親譲りの女顔は十分であった。

 少女ながら白い首がぞくりとするような魅力を出す、上品じょうぼんの眼鏡っ子お雨ちゃんの出来上がりである。

 どうも落ち着かないように太ももをもじもじとさせている。


「……股がすーすーする」

「あっダメダメ! その仕草外でやったら襲われるからね!」

「なんて状況だ……」


 女装するにあたり雨次のつけていた褌も剥ぎとって近くに居た小唄に渡してしまったぐらいだ。「大丈夫、必ず返す」と告げた彼女の真顔を信じよう。

 ノーパンで上生地のさらさらとした肌触りが気になるお雨である。

 ぶらりと股の間で小さな白い蕾のようなものが揺れて具合が悪いので、自然と内股になる。


「いいぞ……雨次……いいぞ……!」


 いつになく興奮している様子の小唄である。血は争えない。

 着替えの間はさすがに外に出されていたが、それも正解であったと思える。途中経過ではなく完成品としての女装がすぐ目に入る衝撃は、小唄の鼻粘膜にある毛細血管を刺激する強さがあった。


(はあ……家に持って帰りたい……はっ、いや、いやいや! わたしは何を考えているんだ……!)


 首を振りつつ、上向きでとんとんと根本を叩く小唄である。


(大体家に持って帰ったら、父さんの毒牙に掛りかねないからな、うん。こっそり楽しまねば)


 かなり駄目だな思考だ。

 ぎゅっと締められた腰の帯なども気になるのか、背中のやや下、臀部に近い位置にある結び目を解かないように触れながら雨次は云う。


「……で、僕はこんなにごてごてにされてるのに、どうしてタマさんはそんな着やすい感じなんだろう」


 雨次が指摘するのはタマの女装であった。

 お雨ちゃんを上品とするなたタマは下品げぼん、つまり長屋のおかみさんとでも云った風な、ラフな格好である。

 中着も着ずに一枚羽織の萌黄色をした着物に、簡単に片蝶結びにした帯。銀鼠色の前掛けをしている程度で、胸元は大きく開いて居た。

 雨次の知り合いで云えばお七に似た格好である。平坦な胸の露出具合とかが。

 頭には付け毛をして、結った髪に九郎から貰った白色の簪を差している程度である。


「ボクがあんまり豪華な格好をするとうっかりバレるかもしれないというか……」

「はあ」

「とにかく! 女装なのに敢えて雄っぱいを出しているというこの挑戦心も大事タマ!」

「変態なのでは……」


 呻くお雨であったが、同じく女装しているとなると強くは云えない。

 

「さあ、この格好で薩摩の人達にちやほやされるタマ!」

「うううう……物語のネタのため……[とりかえばや物語]だってあるんだ……知識を得るだけで駄目だって九郎さんにも云われたし……」

「どうせなら兄さんも女装させたかったなー」


 などとやり取りをしながら、愚痴愚痴と躊躇いを見せるお雨の指をタマが絡めて握り、外に引っ張っていく。

 転ばないように慌てて、もう片方の手でやはり股間を気にしつつ付いていくお雨。

 庶民風の少女に手を引かれて遊びに連れて行かれる、上品で眼鏡の世間を知らなそうな内気少女。

 しかも両方共実は男の子だと云う。


「尊い……!」


 げはっと見ていた小唄が口から変な汁を吐いた。なにか変な属性に目覚めてしまいそうだ。

 それを気味悪そうに人形師の師弟が見て、そっと雑巾を手渡すのであった……。


 外に出た二人はびしりと足を揃えて気をつけの姿勢で迎え、近いというのに駕籠を使って鹿屋まで送り、足を湯水で洗ってくれたり、団扇で仰いでくれたり、見張りを立てたり水菓子や冷茶を用意してまさしく姫待遇でもてなす薩摩人達であった。

 女装少年は尊いのである。無論、乱暴狼藉は働かれない。ただ二人が居るだけで価値があるようだ。


「ちょっと面白いでしょ? よーし、誰か足の爪切って欲しいタマー」

「う、ううん……今の僕には理解できない……」


 白い足指の先を無骨な薩摩人に差し出して、艶美な表情で切らせているタマを見ながらお雨は性癖の闇に軽く眩暈がした。



 



 ******



 

 その後九郎は、暫くお八に嫌われた謎のショックで飲み屋で呑んだくれた挙句に。

 お八の機嫌を直す為に色々悩んで、上方からの下りものである三両もする帯留めの玉細工を購入して再び藍屋へ向かった。

 一方でお八の方も時間を置いて塩を撒いたのはやり過ぎたと思ったのか、双方謝罪して一件落着となり帯留めも彼女は気に入ったようである。

 これも薩摩が人の心を惑わしたすれ違いかもしれない。九郎はお八と戒めの為に、元凶たる鹿屋に向かった──。


「……なに、あれ」

「……というか、この空間」


 鹿屋にある庭。普段は泊まり込みの藩士が立ち木打ちなどをするスペースなのだが。

 その中央で。

 小さな卓が用意され、二人の女装少年が向い合って貝合わせをしていた。

 勿論、二枚貝に同じ絵を描いていてそれを神経衰弱のように合わせて遊ぶ遊戯であり、卑猥な隠語ではない。

 そして庭に出ている二人にそれぞれ薩摩人が彫像のように固まり、日傘を差して影を作っている。

 気にしないようにお雨とタマはきゃっきゃってしたりうふふってしたりして遊んでいた。

 それを遠巻きに、店の者達も囲むようにして眺めて大悟せんばかりの表情で、


「尊い……」


 と、呟いていた。小唄も含まれている。

 

「あ、雨次、だよな、あれ……ううっ弟弟子が……あんなだったとは……」

「どうしてこんなことになったというのだ……」


 他人事のように九郎も遠い目をした。こいつのせいである。

 それから暫く──ちやほやされる少女の気持ちを表現的にトレースする為と云う名目で女装振る舞いをしているお雨は注目されて。

 お八に悲しそうツッコミを受けて、それを報告された晃之介から道を踏み外すなと云われ、お七に大笑いされたことで。

 雨次の黒歴史がひとつ増えたのであった……。




 なお鹿屋の部屋の隅で倒れていた、五人衆のうちで最初にリンチを受けた男は鑑定の結果お八の兄だと判明したが、全治する前に再び船に乗せられていったという。





 ****** 


  



 ──それから、千駄ヶ谷にて。

 

「雨次! また女装をしてくれ!」

「やめてくれ小唄」

「ネズちゃんさいてー」

「ふっ……浅いなお遊ちゃんは。雨次の事を本当に思っているならば、女装姿も受け入れるはずだ!」

「う、ネズちゃんなのに一理ある……よーし雨次、女装してみるんだー」

「やめてくれお遊」

「……」

「茨……なんで僕の身体を押さえるんだ? すごい力でぴくりとも動かないんだけどわかったごめん脱がさないでくれこれ以上辛い思い出を増やさせないでくれ」


 幼馴染達の前で女装を強要される雨次も居たとか。


 そうした彼の辛い体験も仕事の糧となり、やがて依頼された薩摩の恋愛系物語本も完成させた。


 題は[ときめ肝練きもねりある]。

 

 怨念のようなものが篭っている怪しげな愛の物語は、薩摩の偏見を解くかどうかはともあれ、それなりに売れたという。






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