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外伝『IF/江戸から異世界10:失せ物探し後編』

 帝都にある[ソールとマーニの飛行馬車]。

 それは朝の六時から出発して夕方の六時前にまた帝都に帰ってくる昼便と、夕方の六時から朝の六時前まで走っている夜便の二つがある。

 ルートは基本的に決まっておらず、惑星ペナルカンドの空を縦横無尽に空飛ぶ馬車で駆け巡る。

 御者は昼便は姉であり太陽神のソール、夜便は弟であり月神のマーニ。共に地球世界の北欧から来たアスガルドの神である。

 それぞれ名前が[太陽ソール][月マーニ]と名付けられてしまったのがケチの付き始めで、永遠と魔狼に追い掛け回される宿命を神々に負わされている。こう、名前がキラキラネームだったもので。

 

「実際は永遠じゃないんですよ」


 場所は帝都の東港広場。海が見える舗装された海浜公園である。

 出発前、朝焼けが東の海の先を照らし始めた時間に、乗客としてやって来たクロウ達四人──オルウェルは居残り──にソールはそう告げる。

 茜色を基調としたゆったりとしたドレスに、あちこちベルトで絞めて布地によって動きを阻害しにくくしてある。ふわっとした金色の髪を太陽型の飾りがついたゴムで纏めているお姉さんであった。

 口元が常に感情の薄い半笑いなのは境遇ゆえだろうか。


「ラグナロクになればこの運命から開放されるんです」

「ほ、ほう。そりゃあ良かったのう」


 クロウがなるたけ楽観的に同調したが、彼女の半笑いはそのままで、


「なにせその日にいつも追いかけてきていた魔狼スコルに食べられて復活出来ずに死にますから」

「……ど、どんまいですわ」

「ふ、ふふふ、しかもその後、この役目は娘が引き継ぐという……やっぱりスコルに追いかけられながら」

「何というか終わりが予言されてる神って厄介だのう……」


 同情するが、同情以外しようが無い。

 ちなみにラグナロク以外では食べられても吐き出されるのか復活するのか、ギリセーフである。日食や月食してる時は齧られているタイムなのだ。

 

「弟がお嫁さんを見つけない筈ですね……子供に役目受け継がせるとかアスガルドの神は巨人より性悪なのばっかりで……ああ、いえ、わたしなんか親が巨人ファンなんですけど」

「難儀な姉弟じゃなあ」

「犬除け効いてる神々の領域とか行かないとあんまり話も出来ないけど、姉弟仲はそこそこなのが救いと思ってます……どこぞの月と太陽の姉弟は揃って『あっこいつらゼウスの娘と息子だな』って感じのドクズなコンビだったり、他にも姉は引き篭もりで弟はひたすら影薄かったり、姉の首をぶっ千切って月の代わりに放り投げたり、兄の趣味が妹レイプだったり」

「主神クラスが多いだけあってクレイジーだな、太陽神ども」

 

 などと身の上話を聞いていると、東の空から二頭曳きの馬車が白い水蒸気に似た風を纏いながら降りてきた。

 御者台には白いコートに青いマフラーを付けた金髪の少年が乗っていて、減速させながら馬車の車輪を道路に下ろして止まった。

 空を飛ぶ馬車と云えども車輪はあるのだが、その荷台が問題であった。

 遠目に見れば普通だったのだが、半分から後ろが巨大な斧かハンマーで叩き壊されたように存在していない。

 荷台の前部分に、ぐったりとした亞人──ガンマン風の服装をした犬人と、その横でむっつりと腕を組んだまま微動だにしない筋骨逞しい、頭に角の生えたオーガ族の女性が座っている。

 

「やー、今夜も何とか逃げ切ったよねーさん。お客さんは男の人の方が何かトールに虐められた巨人みたいになってるけど」

「最後まで乗ってたらそうなるよね」


 一晩中荷台でシェイクされたり、後ろ半分が追いかけてくる狼に破壊されたりしながら乗り続けた乗客は、オーガの女が犬人を担ぎあげて荷台から下りた。


「終わったようだぞ。中々楽しかったな」 

「死ね……誰でもいいから死ね……俺と同じぐらい不幸な目に逢った上で死ね……特に涼しい顔してるオマエ死ね……」

「そんなことよりお腹すいたな。山盛りでスパゲティでも食べに行こう。ミラネーゼがいいな」

「俺の口から内臓と云う名のミラスパが出そうなんだが……」


 そんなことを話しながらのしのしと平然そうに歩いて行くオーガと、死にそうな犬人。

 恐らくは移動のためではなく、モノの試しとか絶叫マシン感覚で馬車に乗っていたのだろう。疲労度は対照的だが、そこはかとなく犬人の毛並みが恐怖で白く染まっている気がした。


「ヤバイぐらい危険なのかしら、それともオーガが平気な程度なのかしら」

「オーガの体の頑丈さは竜人並だから、あんまり参考にしちゃいけないよ……」


 イートゥエとオーク神父が被害を目の当たりにしてひそひそと話しあう。

 クロウは頷いて関係の無い話を始めた。 


「それより己れが気になるのはこの世界にもミラノミラネーゼ料理が来ているのはともかく、ミラネーゼスパゲティってトマトソースを餡かけ風にしたやつなんだがあれ本当にミラノ風なんだろうか。ミラノ人変なモノ食ってるんだな」

「凄くどうでもいい感想じゃのー」


 ちなみにミラネーゼスパゲティは名古屋料理である。おそらく名古屋人がペナルカンドに伝えたか、料理屋を開いたのだろう。風評被害を撒き散らしつつ。

 少しばかり惨状に気後れしたものの、ソールが手を振りながら呼びかける。


「それじゃあ弟も帰ってきたからそろそろ出発しますよー」

「と、とりあえず乗るか」

「じゃのう……ここまで来て引き返すのも気になるし」


 四人はソールの馬車荷台へ乗り込む。

 荷台には幌が設置されており前方と横にある開閉式の扉以外は密閉されていてそうそう足を踏み外して落ちる構造ではない。内部にはあちこちに捕まる取っ手や太めで長く縛る道具などが結び付けられていて、揺れるからしがみついていろとでも云わんばかりである。

 広さはかなりのものであり、巨大なイートゥエの鎧とオーク神父を詰めてもまだスペースがあった。

 外の景色が見える窓と、荷台から前を見たときに見える御者台の背中あたりには現在地を示すペナルカンド大陸の地図が表示されている。移動すれば現在地マーカーの位置が変わり、どの辺りを飛んでいるかわかるという便利機能のようだ。


「案外広くて快適?」

「荷物などは落ちないように結んでおきますわ」

「馬車よりイツエさんの鎧の出っ張りに結べばいいんじゃないか?」

「さすがに肩の棘が屋根なんかに刺さりそうじゃのう……」

「昔から不便ですのよ。帝都は建物の入り口なんかも大きいサイズだからいいですけれど」


 ただでさえ巨大なイートゥエの鎧だが、その両肩には牛の角が天を向くようにひん曲がった棘が付いている。狭い路地などでは引っかかりやすい。

 鎧に使われる魔導金属の強度と粘度は鉛に似ていて、強い力を加えると曲がるが折れて取れはしない。そしてそのうち勝手に直るという性質がある。

 ともあれ、全員が乗り込んだのを確認してソールが御者台に座り、声を掛ける。


「出発前に一言云っておきますけど」

「うむ?」

「真っ直ぐ翔べとか無茶なことは云わないでくださいね──追いつかれて喰われるので」

「えっ」


 太陽神ダジボーグが操る、黄金の馬に曳かせた戦車が引っ張る朝日が水平線の向こうから顔を出した。

 影が長く伸びる。ソールの馬車から伸びた地面にへばりつく大きな影から、ぎょろりとした白灰色の眼球と一本が腕ほどもある牙が覗いた。

 太陽を追いかける影より、フェンリルの仔スコルが現出し始める──。


「それじゃあマーニ、行ってくるね! 出発──!!」

「気をつけて、ねーさん」


 毎日の軽い別れを告げると、ソールは馬車を曳く馬[快速丸アルスヴィズ]と[早起きアールヴァク]を手綱で軽く叩いて合図をした。

 嘶きの声が朝焼けの海港に響き渡り、かつ、かつ、と前足が地面を蹴る音と共に──、


「おおう!?」


 荷馬車に乗っている四人は、浮き上がった馬車から感じる奇妙な浮遊感と押し付ける重力の作用に声を漏らす。

 馬が斜め上方向に走り出して、馬車は持ち上げられる形で曳航される。

 魔法の力でふわりと浮くと云うよりは、無理やり引っ張られている力を感じる。

 徐々に、では無く馬の瞬発力の通りに馬車は加速を始める。

 こうなると馬も水平に走るのではなく、かなり急に上を目指して坂を駆け上がるようにしてぐんぐんと速度を上げて帝都の上空を目指した。

 よって荷台は、


「いきなりか!? スフィ! 後ろに落ちるなよ!?」

「ロ、ロープで体を結んでおこう! クロウくんはスフィさんを抱いて落とさないように!」


 当然荷台も、まともに座れぬほど斜めになっていて後ろの方に滑り落ちないように取っ手や窓にしがみついていた。

 しかも加速しているのでぐいぐいと上から押し付ける重さの気配を皆は感じている。

 クロウは片手にスフィを抱きつつ窓に手を掛けて足を取っ手に突っ張り体を固定している。


「ロープアクションを覚えていてよかった」


 オーク神父が離れた位置から、鞭のように投げたロープがクロウとスフィ、そしてイートゥエとオーク神父を器用に結ぶ。

 スフィがぐんぐんと上昇する外の景色を見ていて、ふと地面の方に目をやって顔を青くした。


「お、おい……何か追いかけて来てるのじゃよ!?」


 クロウが窓から顔を出して確認する。

 出発した公園はもう海岸線しか見えておらず、眼下には大きく広がる帝都がミニチュアめいて広がっていたが。

 その、飛行馬車の経路を辿るように。

 暗黒色の巨大な塊が、水蒸気爆発の白い筋を空に残しながら飛んできている。

 太陽を追いかける魔狼スコルだ。



『グ、ル゛、ロ゛、ガ、ゴ、ル゛、グ、ギ……………………オ゛……ン゛───!!』



 殺意と食欲に満ちた狼叫ハウリングを早朝の空に響かせて、どんどん荷馬車との距離を詰めてくる。

 近づくに連れてクロウの顔が引き攣った。


「でかくないか」

「……この馬車よりでかいのじゃよー!?」


 徐々に巨大感を増してくるスコルは大型ブルドーザーより更に一回りは大きい。

 その全身は墨で塗りたくったように黒いが、殺意を伝える爪と牙と瞳がこちらを見据えていた。


「来ィィィィやがったなヒャッハアアアアアア!! オラオラ客ども! 窓から放り出されておっ死ぬぜええええええ!!」

「だみ声汚っ!?」


 テンションが上がったソールの声が前から響くと同時に、がくんと馬車の上昇は止まった。

 急な方向転換に乗員の体勢が崩れるが、それどころではない。


「釣られて登ってきやがってワン公が散歩のつもりかよボケカス──下降ォ!!」


 急転直下、慣性など無視したかのように二頭の神馬は上昇から下降へと方向を転換。

 斜め下、帝都の郊外地面を目指して上昇の時より加速して突っ走らせた。


「うああああ!? 痛! 棘が刺さった!」

「鎧が!? 鎧が浮きましたわ!? 大丈夫ですの!?」

「うべべべクロー苦しいのじゃよ!!」


 慣性を無視できるのは馬と御者だけだ。荷台の四人は急激な方向転換に勢いの通り、荷台の天井に叩きつけられた上にその後即座に床に落ちた。

 オーク神父はクロウとスフィを押し潰さないようにイートゥエから庇ったが、ふっ飛ばされている彼女の鎧が引っかかって傷が付く。

 上から下へとピンボールのようにクロウごと跳ねまわるスフィも、放り出されないようにクロウが何とか押さえているが苦しそうであった。

 馬車を追いかけてきていたスコルは急に馬車が下降した動きに対応できずにブレーキを始めるが、


『ゴ、ル゛、レ゛、ガアアア゛!!』


 叫びと同時にすれ違いざまに尻尾らしい後部から伸びた影の一撃が荷台の一番後ろを掠める。

 めぎゃ、と音がしたと思ったら後部の屋根が一部消し飛び、空が見えていた。


「危なァ──!?」


 誰と無く──恐らく荷台の全員が異口同音に叫ぶ。

 空中でブレーキを掛けつつもまだ上って行くスコルを尻目に、ソールは減速をせずに帝都の西方向へと向かう。

 この辺りは砂漠地帯が神の加護で富んだ土地になったので、大きな山は見当たらないなだらかな丘陵となっている。

 地面がみるみる迫ってくる。前方は見える為に乗客も焦り出す。


「おいおいおい」

「ぶつかるぶつかる!!」

「しかも後ろからもうスコルが来てますわよ!?」

「ハッハァ!! 舌噛まねえようにしやがれええええ!?」


 ソールからの適当な警告が来て──馬車は地面から数十センチ上で進行方向を水平に変換させた。

 不可視の槌が大地を殴りつけたように、馬車に纏った衝撃波によって周辺の土砂が吹き飛ぶ。それでいて一切減速はせずに馬車は走り続けている。

 それに一歩遅れて地面に到着したスコルは、まさに隕石が落ちたようにクレーターを作りながらも着地。馬車を一心不乱に追跡してくる。

 外から見ているとそれだけなのだが、当然トップスピードのまま進路を再度変えた荷台の中は酷いことになっていた。


「ふぎゃああ!!」

「イツエさんの頭がスイカ割りみたいになっておる!」

「アバラに罅が入った……ごほっ」

「い、いかん! 聖歌[軽やかな音楽団]───」

「カーブだりゃああああ!! インド神を右にィィィィ!!」

「へべっ」

「スフィが舌を噛んだぞー!」


 まさにシートベルトをつけていないし座席も固定されていないジェットコースター。さっきから何度も方向転換して空を駆け抜け山を越え、光る雲を突き抜けて飛び回り、いつの間にか周りに街も見えぬ荒野に出ている。

 北西方角にあるクリアエまで向かう予定だったのだが、どちらへ進んでいるかも定かではないし地図を見ている暇もない。

 流れる景色の速度はほぼ正面方向しか捉えられず、時速数百キロは出ていることは確実だ。

 出発から十分足らずでイートゥエの頭は潰れ、オーク神父は巨大鎧を押さえて骨に罅が入り、スフィは舌を噛んで涙目だ。

 しかも御者のソールは目が血走り髪が逆立ち、欝気味の人妻らしかった出発前とはとても思えぬ雰囲気になっている。毎日追われすぎて精神が疲れているのだろうか。上下の幅が酷い。

 床に打ち付けて額から血を流しているクロウはすぐ背後から聞こえる唸り声を聞きながら、


「また追い付いてきておる!?」


 ばりばりと掠めるように荷台の外を引っ掻く音が聞こえ、一部がシャイニングめいて爪により破壊されてぎょろりと目玉が覗いた。

 ソールは「げひゃひゃひゃひゃ」と夫や娘に聞かせられない笑い声を上げて、


「太陽後ろにつけてるときよりゃ、スコルも追いかけやすいだろぉぉぜ!! 毎日毎日馬車はぶっ壊れんだよ! すぐに直るけどさあ!」

「己れらも死ぬわ!」 


 こうなれば、とクロウはスコルを追い払おうと、スフィを抱いたまま魔剣マッドワールドを抜き放った。

 ブラックホールに等しい重力を切断力に変換して、相手の存在階級ごと削ぎ落とす魔剣。

 ダンジョンの魔物相手にはほぼ一撃必殺であるが、実際の魔獣であるスコルにはそうはいかない。しかしサイズ差があるが切ればダメージは負わせられる筈である。

 と、クロウが魔剣を構えた瞬間である。


「バレルロオオオオオル!! 超! エクストリーーーーム!!」


 背後に取りつきかけたスコルを引き剥がすために、馬車が錐揉み回転をして四人は問答無用にシェイクされた。

 そう、クロウが何でも切ってしまう剣を持ったまま。


「きゃあああ!?」


 つぷ、と音もなく再生しかけだった生首イートゥエの眼前の床が切断される。


「うわああ危なああああ!?」


 続けてオーク神父が慌てて腕を引っ込めた空間を、衝撃に翻弄されるクロウの持った魔剣が通過する。一瞬遅ければ腕が切断されている。


「クロー! クロー! 死ぬほど危ないぞそれ!!」

「うっうむ!!」


 抱きかかえてギリギリ被害から免れたスフィにそう云われてクロウもやばいと納得した。

 点火している溶断ガスバーナーを持ったまま暴走する満員バスに乗っているような状況を想像しよう。転んで触れただけで大怪我確定の状況でどうして魔剣なんて振るえるだろうか。

 というか鞘に収めていても、振ると鞘を真っ二つにして刃が出てくるような危険物なのである。

 結論・無理。

 味方を切った挙句には目も当てられない。


「すまぬがイツエさんの鎧に収納するぞ、これ!」

「安全に固定してくださいまし! くださいまし!」

 

 イートゥエの鎧は彼女本体の体よりも巨大なので、剣を差し込んでも方向次第では体を傷つけずに鎧にずぶずぶと埋め込んだ。

 それをオーク神父が、馬車が平行移動している間のうちに手早く縄で柄と鍔の部分を結んで動かないように細工した。

 これならば転げまわってもマッドワールドで体を切ることはあるまい。

 

「カーブカーブ我らのカーブ!! はい曲がりイイイイ!!」

「備えろ皆!」


 飛行馬車は岩山地帯へ入っていた。

 追いかけるスコルを連れてまっすぐに巨岩の崖壁に向かって突き進む。

 自在に動く彼女の馬車に比べてスコルは小回りが苦手なので、ぎりぎりまで引きつけて急転換し距離を稼ぐのが基本になってくる。

 しかし減速も殆ど無く直角に近い角度を曲がるとなると、荷台乗員の負担がえげつない。


「ぶっきらぼうにドリフトオオオオ!」


 音がやや遅れて届いた。わざわざ減速してドリフトで曲がる事により、スコルの突撃タイミングを誘って躱し、狼を岩に叩きつけた。

 破砕音はスコルが崖にぶつかりそれを砕きつつも、強靭な後ろ足でぶつかった崖を蹴って再びこちらへ向かってくる音である。

 やはり荷台では曲がる方と反対側の壁に一同は押し付けられる。


「一瞬だけ目の前が白黒になりましたわー!」

「い、息が詰まって歌が歌えん……」

「耳鳴りがやばい」


 強烈なGによって様々な体調不良が発生している歴戦の戦士達である。

 こうなればクロウも着用している疫病風装を発動させるどころではない。暴走している箱の中で飛行したり、壁にぶつかる衝撃から自動回避させようとしても延々ピンボールのように跳ねまわるだけで余計酷くなる。

 と、同時にスコルの攻撃によって裂け目がついていた馬車の後方部の幌が衝撃で砕けて飛び散り、底抜けしたようになっていて追いかけてくるスコルの姿もよりはっきり見えた。

 慌ててクロウは術符フォルダに手を当てながら怒鳴る。


「このままじゃ体も馬車も持たん! スコルを僅かでも攻撃して安全な時間を稼ぐぞ!」

「魔法ですわね! ……ええと、空中機動戦じゃあわたくしの得意な土魔法や闇魔法は使えませんから……」


 イートゥエも腰につけていた魔法の杖ユニコーンステークスを構えながら状況に適した魔法を考える。

 こういうピンチに慣れているオーク神父が提案をした。


「よし、油を使おう! 傭兵時代に森林火災を起こしたあれ! クロウくんは火をお願い!」

「対人は禁止されとるやつじゃな! 私が増幅するぞ!」


 指示に従い、まずはクロウに抱えられたまま──クロウとスフィは二人共体重が軽いのでクロウが抱えている形でないと吹っ飛ぶ──スフィが短いヴァージョンで聖歌を歌う。


「[神への反逆行進曲]!」

「神の馬車に乗ってるのに!?」


 前方からソールの突っ込むような声が聞こえたが、無視。

 勇壮なリズムに乗せて放たれる声音は、相手が神霊の類でも怯まない精神力を与え、味方の放つ魔法を歌の魔力が補助し増幅する。

 続けてオーク神父が道具袋から口の広い瓶を放り投げた。


「オイルアクション!」


 気合か合図か、そんな声を出して瓶を投げたすぐ後に小さな礫を続けて放ち、瓶に命中させる。

 一発で罅が入り砕け散った瓶は、白濁色をした中身をズルリと空中に飛び散らせた。

 中身はオーク神父が野外キャンプ用に使う燃料である。複数の油や脂に増粘剤などを混ぜた特性のもので、ジェル状になっているそれは粘着力があり一匙でも小一時間は燃え続ける燃焼力を持つ。

 同時に、二人の魔法が放たれた。


「[炎熱符]上位発動!」

「風系術式[ストームブレイカー]!」


 油を瞬時に超高温で燃やす炎と、それを拡散してぶちまける暴風だ。 

 2つともスフィの歌で強化されており普段よりも強力になっている。

 これにより、風の勢いで散らばり弾丸程の大きさになった、高温で燃焼している油が凄まじい勢いでスコルの顔面に叩きつけられるのである。

 ただの炎ではない。前述した通り、燃え尽きにくく粘り気のある油が燃えた炎だ。

 これこそ国際条約で対人使用が禁止されているナパーム魔法を複数人で再現している。

 戦場で使うときは「拠点の建物に向かって使った」「陣地を焼き払う為だった」「人が居るなんて知らなかった」「済んだこと」などと言い訳が必要になってくる外道技だ。

 馬車の後方に飛び散り爆炎が上がって、スコルの体が離れた。


「やったか!?」


 全員が同時に叫んだ。

 そして、


『ゴ、ア゛、ヴヴグル゛ガァァッァア!!』

  

「効いてねえ──!!」


 やっぱり全員で嘆いた。

 炎を体に灯しつつ、何事も無かったかのようにスコルは再び馬車に肉薄してくる。

 いや、余計に燃える魔狼の熱気がダイレクトに伝わり圧力は強力になったろうか。

 ぽつりと御者台から声がかかる。


「まあ、太陽を丸呑みにする狼に炎の魔法は効かないよネ☆」

「早く云え──!」


 ウェハースを噛み砕くように容易く、馬車の後部が燃え盛る狼の顎で破壊され、火焔が燃え移る。

 

「水系術式[オープンウォーター]!」

「[電撃符]上位発動!」

 

 ひとまずこちらにしか害を及ぼさない炎の消火を行う、水の塊を生み出す魔法の一瞬後に、濡らしたスコルの体に雷撃を放つ。

 まだスフィの歌の効果内なので2つとも威力と範囲が強化されているが、


「全ッ然効いてないですわ!」

「雷も効かぬのかよ」

「雷攻撃ならトールハンマー食らわすとかさあー努力が足りないよチミ達ぃ」

「ムカつく」

 

 醒めたような諦め混じりのソールの声である。

 悪戯の神ロキの陰険な詐術と魔法があれば、彼の孫でもあるスコルをどうにか出来るかもしれないがソールやマーニが頼んだところでやってくれるわけもない。

 雷撃を無視して更に迫るスコルが馬車の中に腕を突っ込み、しがみついていた。


「このお!」


 オーク神父がスコップを取り出して、自身の体躯程も太さのある狼の腕を掬いあげるような軌道で床から跳ね上げる。

 巨狼の踏ん張る腕力を外すのは、長年のスコップワークから来る名人芸だ。

 スコルのへばりついていた体が馬車から離されるが───


「うわああああ!?」

「ああっオーク神父が喰われた!」

「フォーエバーですわ!」


 一呑みにオーク神父の体がスコルの口に入っていってしまった。


「いかん!」


 歌を中断してスフィが大きく息を吸い込む。仲間の二人は咄嗟に耳を塞いだ。


「──────────!!」


 びりびりと空間を揺らす大絶叫が響き渡った。

 構えをしていない相手が聞けば動きを止めるバインドボイスである。

 それが聴覚に優れる狼ならば、いかに神格存在で頑丈であろうと強烈な音波に呆けたようになった。 

 その瞬間、


「オーク大脱出───!! 危なかったああ!」


 スコルの口の中が爆炎吹き出す大爆発をしてオーク神父がハリウッドダイブで飛び出してきた。

 叫びで動きが止まった瞬間に、彼の手持ちの炸薬を使って脱出を行ったのである。

 クロウとイートゥエがオーク神父を受け止めて馬車に引き込む。スコルの動きは止まっており、後方に消えていく。その間にソールの馬車は距離を開けて走り続けているのだ。

 

「大陸の北西に向かってくれ!」


 ソールにクロウが頼むが彼女はやはりやけっぱちのようなテンションで、


「オッケイ!! あ、でもスコルまた復活ナアアアアアウ!! 真っ直ぐ走って欲しけりゃあれをどうにかプリイイイズ!!」


 そして四人が再び馬車後方へ目を向けると。

 復活したスコルが再び追跡を始めていた…………。





 ******





 実際の所、馬車に乗り続けた時間は半日足らずだろう。

 それほど長い時間を戦い続けていたのも初めてだったが、迫るスコルを叩いたり魔法で押し戻したり歌で惑わしたりして、効いたり効かなかったりする抵抗を重ね続けていた。また、その時間中10Gは掛かりそうなソールの運転で転げまわり続けてバターになりそうな気分であった。

 朝の六時から出発して、ダジボーグの太陽が一番高い位置に来る前には四人は力尽きるように、そして妥協も重ねて馬車から飛び降りていた。

 クロウの疫病風装による飛行でスフィを運び、イートゥエの飛行魔法でオーク神父を持って、眼下に見えていた街へと向かった。


「こ、ここからなら、クリアエも2日ぐらいの距離だよ……」

「とりあえず……休もう……」

「ちゅかれたのじゃよ……」


 主街道沿いにある交易の拠点にもなっている街でひとまずその日は休むことにしたのであった。

 人と物が行き交う都市だけあって、オークやデュラハンが居てもそう不審がられない。目立つことは目立つのだが。なにせオークは有名な割に少数種族であり、かつて魔女に変身させられたエルフオークを含めても世界中で1000人居ない程だ。 

 余談だが魔女によるエルフ男をオークに変身させる事件の被害者数は諸説あり、かつては魔女の残虐性を広めるために数万人規模で変化させられたと云われていたが、近年の研究では二百人から四百人程度だとわかっている。

 揃って疲労困憊な一同は街に入ってすぐの宿屋に行き、二人部屋二つにチェックインして、一階の酒場でビールを大ジョッキで頼んで一糸乱れぬ同じ動きでそれを飲み干してゾンビのように部屋に戻っていった。

 男女で別れた部屋に入り、ベッドに倒れ込み疲労回復の為に眠るのであった。

 こうなればスフィの歌でも回復しない。なにせ歌い手の彼女さえ疲労でまともに歌えず、魔力も尽きかけているのだ。 

 それに栄養ドリンクを飲み干すような対処療法ではなく、とにかく布団に入って眠りたかったのである。


「二度と乗りたくないのう……」

「うん。一回で十分だ……」


 布団に寝転びながら、遠い目でクロウとオーク神父は呟き、いびきを掻いて寝始めた。

 一夜明けて次の日もこの街で過ごすことにした。

 急ぎの旅ではない。旅程も無理をして飛行馬車に乗ったお陰でかなり短縮されている。それにいかに旅慣れていて回復が早かろうが、クロウとオーク神父も気怠さが残っていたし、朝食に出てきたスフィなどは隠そうとしていたが露骨に筋肉痛に苛まれているようで、ぎこちない歩き方であった。

 一番回復していたのは再生能力に優れるアンデッドのイートゥエで、彼女だけは普段の調子であったが。

 朝食後にスフィはまたベッドに入って眠り込んだので、オーク神父は旅神の教会で旅券の発行に向かってクロウとイートゥエは特産の菓子や果物など、疲労に効きそうな食べ物を市場に買いに出かけていた。

 

「この街のスイーツ……お酒にバナナと蜂蜜と果実酢を入れたものですわね。疲れに効きそうですわ」

「確かに滋養に滋養を重ねたようなチョイスなのだが……木に塗ったらカブトムシが寄ってきそうな材料だのう」


 夜になる頃にはスフィも回復していて、宿の酒場で即席歌手として小さなステージに立って歌っていた。

 ある程度体力が戻れば歌っている方が彼女も楽になる。

 路銀の足しになるぐらいのおひねりを貰い、明日の出発に備えて部屋に戻るのであった。


「はい、スフィ。クロちゃんが貴女にって選んだ甘いお酒ですわ」

「うみゅ。美味しい……喉にも優しいのう」

「うふふ、しかし飛行馬車は散々でしたけれど……」


 イートゥエが意味ありげに笑い、スフィの顔をのぞき込んだ。


「気付いてましたの? クロちゃん、あの馬車に乗っている間中ずっとスフィを抱きかかえてましたのよ。大事にされてるんですのね」

「ぶふー!」

「あっ!? 鎧に吹きかけないでくださいまし! カブトムシが寄ってきますわ!」

「ばかもん! 意識したら眠れんじゃろうが!」

「乙女すぎませんの!?」


 一方で男部屋では。

 窓の外に件のスイーツを塗りつけた薪を仕掛け、それをランプで照らして暫く観察しているクロウとオーク神父である。


「おおっ、見よ神父や。カブトにクワガタがたんまり集まってきた」

「幾つになってもテンション上がるよね、これ」

「そうだのう……うわっメートルビートルまで飛んできたぞ!」

「大物だ!」


 などと虫観察をして楽しんでいる二人であった。

 そして翌日になり、オーク神父が予約していた長距離馬車に乗ることとなった。

 大陸の都市間を移動する馬車の中でも、早いが乗り心地の悪さで有名な特急馬車を選択したのだが、


「……凄い楽だ」

「居眠りができそうなレベルじゃのー」

「背後から魔獣が襲いかかってこないだけで嬉しいですわ」

「皆、乗り心地の悪さの基準値が上がったなー」


 と、飛行馬車で慣れてしまった一行は全く不平を出さずにクリアエへと向かうのであった。

 




 *****





 都市国家クリアエ。

 大陸の北西部にはよくある自治都市が国に繰り上がったものであり、その歴史には都市の税を管理していた近隣を纏めている王国と、更に隣国の干渉もあって十年戦争の後に国として認められた。

 クロウもその戦争末期にペナルカンド世界に来て、傭兵団に拾われ参加した。そして戦後のどさくさで公務員として長年この都市で過ごしたのである。

 街を流れる川の上流、小高い丘から市街を一望できる景色を見てクロウは懐かしげな声を出す。


「おお、何というか久しぶりだのう……ずいぶん様変わりしておるが」

「クローが最後に来たのはもう五十年も昔になるからのー……私も来るのはそれぐらいぶりじゃが」

「随分と活気づいてますのね」


 イートゥエの言葉に、オーク神父が応えた。


「付与魔法の研究成果が公表されてからはまた街が栄えたんだ。あの技術を使えば食料輸送なんかも凄い楽になるからあちこちで普及してるよ」

「ふぅむ……」

「ただクロウくんの持ってる術符程の効果は無いんだけどね。大体の術符も魔力を使い切ったら魔法使いに補充してもらわないといけないんだけど、クロウくんのはほぼ無限に使えるみたいだから」

「魔女特製だからのう」


 云いながらも四人は市街へ向かった。

 クロウが街に住んでいた頃からすればおよそ八十年程。さすがに町並みは様変わりしていて、懐かしいような寂しいような気分になる。

 途中で昔に住んでいた家のあたりを通ったが、


「ううむ、さっぱり跡形も無いからどこが家かわからんのう」

「クローが魔女とつるんでるって時点でお主の財産は差し押さえ食らったからのー」

「土地開発の煽りで消え去ったみたいですわね」

 

 確かに、魔女と逃げ続けている間に家に帰ることなどなかったが。

 強く思い出に残るのは傭兵仲間だったユーリ・シックルノスケから貰った畳だったので、無くなっていると思うと少し悪い気もした。

 

(そうだ、あやつの故郷と帝都は近いから畳ぐらい輸入している筈だのう)


 帝都に戻ったら自室用の畳を買おうと決めるクロウであった。

 

「あ、そうだクロウくん。オーク紳士はまだ住んでるから後で会いに行こうよ」

「おお、懐かしい名前だのう……嫁を三人ばかり押し付けたが、元気か?」

「お嫁さんは亡くなってるみたいだけどね、娘や孫の為に農地も増やして、今はちょっとした豪農だよ」

「そうか、そうか」


 この土地に住んでいるブランド野菜農家のオーナーである紳士を思い出してクロウは顔をほころばせた。

 

「あやつ、女に対して責任を持つものだから嫁や子供の数だけ甲斐性を出して働くのだようなあ」

「広げた農地は失業者を雇ったりしているから、この国でも評判の名士になっててね。それでいて偉ぶったりしないから好かれるんだ」

「あらまあ、クロちゃんも甲斐性を分けてもらったらどうですの?」

「そうだな、居候するならオーク紳士のようなやつのところがいいだろう」

「そういう意味じゃありませんけれど……」


 などと雑談をしながら街を進み、大通りに出た。

 行き交う人に魔法使いが多く見られて、また昔からの国柄で様々な種族が住んでいる。

 ペナルカンドには無数に人と分類される種族が存在し、その種族で国や地域に固まっていることが多い。種族差別的な感情と云うよりもそのほうが暮らしやすいからである。

 しかし中にはこの国のように入り乱れた人種の坩堝となる国が生まれる。帝都もそうであるが、独立戦争などの後で一気に人口が流入してくるとこうなりやすい。

 

「この大通りはさすがに覚えておるぞ。ほら、昔にソーマの夜でお祭り騒ぎをしていたことがあったろう」


 クロウは微笑みながら皆に呼びかける。

 月神ソーマの年では年末と年始になると、空の器や樽を月に翳すだけで最上級の神酒が湧き出るので世界中で祭りが起こる。

 クロウが三十半ばぐらいのときに初めてのソーマの夜を過ごしたことを思い出していた。


「そうでしたわね。あのお酒はわたくしでも酔っ払うから特別な日なのですわ」

「団長とユーリくんが全裸で踊り狂っていたね……」

「アタリのやつが酒樽に漬け込まれていたのー確か」

「ああ、それに……」


 クロウは何気なく、通りの端へと伸ばして指差そうとした自分の手を不思議そうに見た。

 スフィらが首を傾げる。


「それに?」

「……誰か、居たような……?」


 酒を呑み、酔っていたときに会話した影のことをクロウは思い出せなかった。




 ******




 それから歌神の教会へ行き、そこに保管されているオメガスピーカーの引き取り手続きを行った。

 クリアエではスフィは司教の資格を持っていて、さすがに教会の面々は代替わりしているものの丁重に扱われる。

 と、云うか歌神の神職者ではスフィは結構有名な存在でもあった。歌神の秘跡術を超えた[奇跡]の聖歌を個人で使えるものは全ての神官を数えても十人程であり、歌神の[奇跡者]として登録されている者はヒットアーティストのようなものである。

 おまけに彼女の描いた絵本[悪戯魔女と苦労の騎士]は大陸中で売り出されている人気の本だ。

 帝都は人口が多い上にスフィはあまり目立って居なかったので、冒険者ぐらいにしか知名度が無いのだが、このクリアエでは違う。

 つまり有名人が東京に居てもスルーされるが、地方にやって来たら急に大歓迎を受けたりするあれである。


「うあー! 生スフィさんだ! 握手してください!」

「サイン会開きましょう! いや、まずはライブ会場を抑えろ!」

「スフィたんイェイイェイ~!」

「広告を打て! コンサートの開催だあー!」


 もみくちゃにされるスフィである。

 

「なんでじゃー! オメガスピーカー取りに来ただけなのじゃよー!」

「何云ってるんですか! ライブは歌神司祭の聖務ですよ! あっチケット完売した!」

「会場に入りきらなそうだから野外コンサートに切り替えろ! イェイイェイ~!」

「にょああああ!」


 教会に集まった歌神の司祭や信仰者に祀り上げられるスフィであった。

 それを遠目に見ながら仲間の三人は、


「凄い人気だのう」

「うーん、ほら、スフィさんってあれだよ? 由緒正しいエルフ王族のお姫様で、トップランクの歌手で、大ヒット絵本作家の美少女だからそりゃあ人気も出るよね」

「没落した王家でしょっぱい売上の同人作家のわたくしとは違いますわ」

「イツエさん……とうとうエロ本を自分で作っていたのか」

「健全! 健全作品ですわよ!」


 とにかく、スフィはあれこれとライブだのサイン会だの握手会だの熱湯コマーシャルだのをやらないといけないようであった。

 彼女とてクロウとの冒険を優先したいが立場上断るわけにもいかない。歌神に仕えていながら、多くに望まれたコンサートを断ると神の加護が薄れかねない。

 スフィは教会の者達を一旦押さえて、クロウに駆け寄ってきた。


「すまぬ、ごたついて少し手続きに時間が掛かりそうじゃ。暫く外で時間を潰して於いておくれ」

「わかった。己れ達も楽しみにしておるぞ、スフィのコンサート」

「そ、そうか。うむ、やる気も出てきたのじゃよ」


 困ったような顔から、スフィが照れた笑顔になり再び様々な手続きに戻った。

 ひとまず歌神の教会から出た三人は、


「とりあえずどうするか」

「僕はまた旅神の教会に一旦寄るよ。旅先で顔を出すのはこっちも義務みたいなものだからね」

「わたくしはお腹が空きましたわ……」

「ふむ。それじゃあイツエさんは一緒に飯でも食いに行くか」


 クロウが思い出すようにしてクリアエにあった飯屋の場所を思い浮かべる。

 

「確か魔法協会の近くに、カレーの美味い飯屋があった筈だ。まだ残っているかのう」


 そうして二人は教会から暫く歩き、魔法協会を目指した。

 クロウが若い頃からあった、老舗というかチェーン店と云った雰囲気の飯屋である。しかしまだ続いてるとしたら百年以上はあることになるのだが。

 件の魔法協会に付くと、クロウの記憶とは違い協会があった隣に真新しい建物があり、そちらに魔法協会の看板が掛かっていた。

 古い方の建物は二号館と書かれている。どうやら増築して、新しい建物に主機能を移したようであった。


「ありましたわ。このレストランですのね」

「おお、しっかり残っていたのう。偉いぞ[ホイヤルロスト]」


 レストラン[ホイヤルロスト]。値段は高級すぎずに、しかし中々の味と品目の数がある店である。

 目の前に魔法協会があるもので一定数の客は常に来るのが潰れない理由だろうか。

 ともあれ、建物は小奇麗に改装されているもののまだ名前を残した店があった。

 入店して早速ボーイがやって来て爽やかな笑みで告げてくる。


「お客様、この店は鎧は脱いで頂けないでしょうか」

「うふ、うふうふ、こういうときに脱げるのって幸せですわ! すごすご帰る負け犬めいた惨めさを感じなくて済みますわ!」

「はいはい。ほれ」


 クロウが手を貸して鎧に巻かれたベルトを外し、裂け目をくっつけているダクトテープを剥がしてやる。

 出てくるイートゥエの体はぴったりとしたタイツのような服を鎧の下に来ているのであるが、上から被るだけでそれなりに見えるワンピースを手早く着て、首を小脇に抱えた。


「じゃあ鎧は預けておきますわ」


 と、ボーイに告げて店に入っていく。

 

「お、お預かり致します」


 自分の体よりも巨大な鎧を見て、ボーイは顔を引き攣らせるのであった。

 席についてメニューをちらりと見て、クロウは昔に頼んでいたものがあるのを確認した。


「わたくしもクロちゃんと同じものでいいですわ。その方が早く出てきますもの」

「そうか、ではビーフカレーとチョコパフェを二人分な」


 凄まじく普通な注文であったが、ややあって届いた。

 一見普通に見えるが、地球人からすると異世界ビーフと異世界スパイスを使った異世界カレーなのであり、筆舌しがたい味の違いがある。恐らくは、きっと。


「おお、カレーに合わせるのが米になっておる。前はパンだったのだが」

「あら、玉ねぎがしっかり炒めてあって美味しい」

「だろう?」

 

 クロウが日本から異世界に来たときに食事にあまり困らなかったのも、うどんやカレーなど地球産の食品があちこちに存在していたからだ。

 彼のように不意にこの世界に招き寄せられる地球人は他にも存在している。その誰もが、故郷の食事を再現したいと頑張って作って広めたのだろう。

 まったりとして濃厚な味わいなのに食べていてくどさが無いカレーをぺろりと二人は平らげて、デザートのチョコパフェが運ばれてきた。

 くすりとイートゥエは笑って、


「クロちゃん、そんなに甘党でしたかしら?」

「む? いや、それほどではないのだが……確かこの店に来たときはいつもこの二つを頼んでいた筈」

「一人でわざわざこんなレストランに来てましたの?」

「……はて? おかしいのう」


 記憶に奇妙な齟齬がある。

 カレーが好きだが男が一人でここに通い、パフェなんて頼んでいたら変ではある。

 拭えぬ違和感に、クロウはそれをどうにか解決する方法を考えるのであった。





 *******




 

「……ちょっとイツエさん、いいか?」

「なんですの?」

「そこの魔法協会、魔女の付与魔法を研究しておるのだろう? 少し興味があってな、中に入れるかのう」

「大丈夫ですわよ。魔法使いの免許持ちだったら大体の協会は入れますもの。一緒に行きましょう」


 そして、食事を終えて会計を済まし──イートゥエが纏めて払った──二人は魔法協会へ向かうことにした。

 クロウが迷わず入ったのは、二号館となっている場所である。

 受け付けでイートゥエが話を通す。


「見学よろしいかしら? はいこれ免許ですわ」

「はい、構いませんよ。この二号館は付与魔法の研究を行っている場所になります」

「昔はこの建物が魔法協会の全部だったのにのう」

「ここの奥にある研究室で付与魔法の研究が見つかったので、増築の際にそれメインの建物に変わったんです。詳しい話はその研究室にいる所長にどうぞ」

「ありがとうよ」


 クロウは軽く手を上げて、こつこつと足音を鳴らしてエントランスからまっすぐ建物の奥を目指して歩き出した。

 慌ててイートゥエが追いかけてくる。彼女は生首をクロウの顔の高さに合わせて尋ねる。


「どうしましたの?」

「ふむ……なんとも云えないのう」

「がくー!」

「ただ既視感はある。ああ、そうだ。仮想空間の中、イモ子と共にこの建物でアカシックレコードバスターを探したのだったか」


 セピア色に塗られた景色が広がる風景を思い出したが、それ以外でも懐かしさを感じた。

 魔法協会の建物はいち早く術符による室内灯が設置されていて明るいのだが、窓や出入口の配置のせいでそれでも奥に行くにつれて薄暗く、静かになっていく。

 建物の一番先にある突き当りの部屋。

 入った覚えがクロウにはあった。

 記憶がフラッシュバックして、現実と重なりあう錯覚を覚えながらクロウは行動した。

 ゆっくり彼が扉を押しのけると、窓の無い部屋の中心には机がある。

 そこには黒色の誰かが────



「よく来たな」


 

 はっと、クロウは背筋を震わせて意識をはっきりとさせた。

 冷や汗を掻いていたようで軽く額を拭う。

 眼前には回転椅子をこちらに向けた、一人の浅黒い肌をした男が座っていた。

 いや、憶えている。彼の顔はずっと変わっていないから、記憶によれば───。


「シフト……か?」

「そうだ。クロウ。そしてイートゥエか。二人だけか? まあ入れ」


 彼の名前はシフト。

 ダークエルフの男である。その種族名の通り、普通のエルフとは肌の色素量が異なる。まあ、だいたいそれぐらいしか違わない。そういうことにしておかないと人種差別撤廃団体に捕まり強制更生施設に入れられる。

 彼の特徴的なやや老け顔も昔通りだ。彼もまた、クロウやイートゥエと同じくジグエン傭兵団に居た仲間であった。

 職業は魔法使い。また、クロウが用務員をしていた魔法学校にも臨時教員で働いていたこともある。

 ひとまず部屋の中に入って──毎回イートゥエは扉の中に入るのに苦労するが──出された椅子に座るクロウ。

 

「お主が付与魔法の研究をしていたのか」

「そうだ。魔女が大暴れしている頃にこの部屋が見つかった。残された資料には魔女と同じ術式の研究があったから、解析を務めた」

「世間じゃ術符のおかげで便利になってますわ。大したものですわね」


 シフトは褒め言葉に笑みも返さずに、彼は二人に湯のみを差し出した。


「これは?」

「模造ソーマだ。研究の傍ら、ソーマを再現する実験もしている」

「密造酒作りじゃありませんこと……」

「昼間から酒族だったのうお主も」


 とりあえず酒を呑む。かつての夜に呑んだことのある神酒よりは香りや味わいも薄いが、口に含んだ最初の角度は似ていて中々に美味い酒だ。

 ぐいと呑み干して、シフトはじっとクロウの顔を見ながら尋ねた。


「率直に聞こう。クロウ、魔女に付与魔法を教えたのはお前か?」

「……?」


 首を傾げる。そして当然のように彼に告げた。


「いや、己れが魔力が無いのは知っておるだろう。そんな者が教えられる筈がなかろう」

「だろうな。一応の確認だ。しかし可能性の一つだった。魔法学校では付与魔法など教えていなかった。魔女は落ちこぼれの生徒だった。ならば、彼女に付与魔法を教えた誰かが居たのではないかと当然の帰結になる」

「それで……己れを?」

「他にも理由があった」


 シフトは周囲の本棚へ軽く視線をやった。


「ここの研究室に残されていたのは資料だ。研究内容のメモも論文も、不自然に消え去っていた。重要な資料も誰かが切り取った部分があるように虫食いになっていて、解読に酷く手間がかかった。だが、その中にクロウの痕跡が幾つか残っていた」

「己れの?」

「だからだ。お前はこの研究室に入っている。恐らく俺もこの研究室で誰かが研究していたことを知っている。だが、覚えていない。これはあり得ない。エルフは物覚えが良いんだ、忘れはしない」

「つまり……何が言いたいんですの?」


 要領を得ない彼の言葉にシフトは椅子から立ち上がった。


「ついて来い」


 そして部屋から出ていくので、クロウとイートゥエは顔を見合わせて彼の後を追う。

 魔法協会から出て少し歩いたところにある、河川沿いに三人はやってきた。

 以前に氾濫したことのある川には堤防が築かれていて、その一部に妙に盛り上がっている岩がある。

 よくよく見ればそれは巨大な人型をしているようであった。


「こいつが誰か分かるか?」

「こいつって……」


 クロウは岩の形を見て、シフトがわざわざそう尋ねた意図を掴もうと考えた。

 こいつ、即ち個人を指していて、それで居て岩の姿をした知り合いが一人居たのである。


「もしかしてゴッチか!? 傭兵団の仲間だった……」

「そう。意志を持つ岩人形のゴッチだ。こいつは十五年前に川が氾濫した時に、破れた堤防を塞ごうとして自身の魔力を使い切り岩と体を同化させ、死んだ」


 ゴッチ。

 種族はゴーレムだった。魔法生命体の一種で、自然の生き物ではない。どこかの魔法使いが作ったゴーレムが何らかの偶然で命令から解放されて、そして自分で魔力を補う方法を会得したときに自我のあるゴーレムが生まれる。世界にはそんなはぐれゴーレムが集い暮らす村もあるという。

 このゴッチも魔力の集まる場所で瞑想をすると云う方法で残存魔力を回復させながら生きていた。人と話したり頼られたり感謝されたりすることが好きな、善良な性格であった。

 よく見ればそこには石碑──シフトが建てたものである──があり、『街の英雄ゴッチここに眠る』と、魔術文字に使う魔力の墨で刻まれていた。


「そうでしたの……あら? でも、意志を持つゴーレムって普通は死んだときに……」

「ああ。ゴーレムは魂を持たないとされている。故に個人名があろうが、性格を得ようが、死んだ瞬間から忘れられていく。完全に忘れられるまでの時間の個体差はあるようだがな」

「しかし己れらはゴッチを覚えて……いや、今思い出したのか……?」

「そうだ」


 シフトはゴッチの墓を背に、まっすぐにクロウを見て告げる。


「俺はこの街で暮らし、ゴッチと長い付き合いだったからな。あるソーマの年のことだ。あいつでも酔える酒が呑める年だから、色々勢いで愚痴を聞いた」

 

 ソーマの年に湧き出る酒は[呑む]と云う行為が可能な存在全てに気持ちの良い酩酊感を与える酒なのである。

 

「ゴッチは年々慎重に生きるようになっていた。死ぬのが怖かったからだそうだ。死ねば人に忘れられる。自分で思ったよりも長生きしてきたゴッチは、それまで出会った皆に忘れられることを恐怖するようになった」

「……」

「しかしある大雨の日。堤防が壊れて濁流が友人達の住む地域に流れ込もうとしたその時。ゴッチは命を掛けてそれを救った」


 堤防の一部となり、意識も無くなり固まって動かない親友の体を軽く叩いてシフトは云う。


「こいつこそ勇者だ」


 そしてシフトは向き直り、話を続ける。


「何故忘れられていないのか。それは理由がある。魂を持たない概念生命体とでも云うべき存在だが、不確定ながら幾つかの条件で擬似魂とでも云うべきものが現れる」

「条件とは?」

「詳しくはまだ研究中だが、一つは神の酒[ソーマ]を呑むこと。もう一つは長年人間と触れ合いを持つこと。もう一つは死にたくないと思うこと……最後のは予想だな。他にも条件はあるかもしれないが、それらの条件を備えることで、[消えると多くの齟齬が生まれる存在]となり、存在を思い出すことが可能になる」


 神の酒による副次効果が感情や心などの発達を促すのか、それを呑んだ後は意志を持つ魔法生物に転化しやすくなると云われている。

 また、魂を持つ人と関わることで影響を与えられるのだろう。

 最後の一つはシフトの感傷的な考えであったが……。


「消えると……齟齬が、か」

「それだけでは思い出すことは困難だろう。しかし俺はゴッチが死んでも忘れられないように前々から付与魔法を研究していた。これを使うことでゴッチの擬似魂による思い出は人々に認識され、忘れられるのを防いだ」


 そう云うと、シフトはクロウに一枚の術符を手渡す。

 真っ白の紙に魔術文字が書かれたそれをクロウは表裏眺める。


「これは……?」

「俺が開発した擬似魂の概念を観測し、確定させる[存在認識]の術符だ。きっと思い出す鍵の一つになる。お前は誰かを忘れている。あらゆる証拠が、忘れられて消えた誰かを示している。後はお前がそれを認識してやるだけだ。忘れられたくないと嘆いて消えた誰かを救え」

「……わかった」

「付与魔法は誰かに[残す]魔法だ。研究していた誰かもそれを知っていた筈だ。だから、後は残されたお前次第だ」


 クロウは神妙に頷いた。忘れられたくないと思ったゴーレムの彼に対して、忘れたくないと思ったダークエルフの彼は応えたのだ。

 まだ思い出せないが、そこには確かに誰かが居たと云うことを告げられた。

 恐らく自分も関係しているのかと、イートゥエも難しそうに眉に皺を止せて昔を考えている。

 シフトはふっと笑って再びゴッチの石像を撫で、


「忘れられるのは辛いだろうからな。俺など、ゴッチの存在認識回復に成功したものでつい嬉しくなって郷土史にゴッチの活躍を盛って記述したりしたし、[ゴッチクエスト]とかゲームまで開発して売り捌き、ゴッチ×オーク神父のエロ同人を作って存在認識をより広範囲に広げたぐらいだ」

「お主昔から時々やり過ぎるよな!?」

「『ウゴゴゴ……オーク神父の雄穴でゴッチのこっちはゴッチゴチでやんす……!』」

「お外で漫画の台詞を音読しないでくださいまし! というかホモ漫画……ホモ漫画でいいのしらゴーレム×オークって……とか描くような男でしたの!?」

「ふっ……いいか。エルフは長生きしすぎて大体性癖拗らせる」

「嫌な情報だな!」

「エルフの死因第二位ぐらいが自殺になってるが、エロ関係での死亡も不名誉だからこれに分類されている」

「スフィがまともに見れなくなるだろ!」


 などと、古い友人の意外な性癖に河原で叫ぶクロウであった……。





 ******




 その夜──。

 都市クリアエにある、高級なホテル──というより余らせていた迎賓館のような屋敷に、スフィが案内されたのでクロウ達一行も泊まることになった。

 明後日にスフィのコンサートが決まり、それまではここに滞在する。

 

「ううむ、済まぬのう。昔なじみの街だと思っておったが、ここまで歓迎されるとは予想してなかったんじゃよー」

「昔からお主の歌は大盛況だったからのう。居なくなって皆寂しがったのだろう。忘れずに、覚えていてな」


 バルコニーでクロウはスフィと椅子を並べてコーヒーを飲みながら、のんびりと語り合っていた。

 季節の変わり目の、涼しいが寒くはない程度の風が心地よい。夜空には丁度月が真上に来ている時間であった。

 クロウが白地の術符を手持ち無沙汰に取り出して、空に翳したりしながら考える。


「忘れた誰かか……ずっと思い出すのを待っているのだろうか」

「クロー」


 スフィにも事情は話してある。

 彼女もどこか、思い出そうとするとちぐはぐな記憶があるようで忘れた誰かに関しては一緒に考えてくれると云う。

 クロウに呼びかけて、スフィは軽く歌を、口ずさむというよりは鳴らすといった声音で歌った。


「──────♪」


 聞き覚えのある、歌である。

 いや、スフィが歌っているのだから覚えがあるのは当然──という記憶を修正する考えが浮かび、首を振って否定する。

 スフィも切ない顔で、夜空を見上げたまま云う。


「私も思い出せん。この歌は自分で歌うにはあまりに静かな歌だ。誰かに、きっとこの歌を送ったのじゃろうが、その誰かが思い出せんのじゃよー」

「……そうか」

「だからきっと私らで思い出して行こう。忘れられるのは悲しいじゃろう……」

「ありがとう。……ごめんな」


 スフィは隣に座るクロウをちらりと見て、申し訳無さそうな顔をしている彼に対してコーヒーカップをテーブルに置いて咳払いを一つした。

 

「おほん」

「……?」

「おほんおほん!」


 二つした。伝わらないのだから仕方ない。じろりと彼を見上げる。


「ああ」


 クロウは手を叩いて、スフィの咳払いからちらちら目線を読み取った。彼女が機嫌の悪そうなフリをしている時は構えという合図であると教えてくれたのはアタリだった記憶もあった。

 そしてひょいと彼女の両脇に手を入れて持ち上げ、自分の膝の上に乗せる。


「あう」

「はっはっは、懐かしいのう。昔はこうしてお主をよく膝の上に乗せておった。忘れておらぬぞ」

「子供扱いするなぁー!」

「しかし大きくなったのうスフィ……ほろり」

「私が大きくなったし! クローも小さくなったの! もう、こんな体格差で子供扱いなんてできないのじゃぞ!」


 スフィが肩越しに彼を見る。

 昔よりもずっと近い位置にクロウの顔があって、照れ臭い気がした。

 クロウもスフィの頭を撫でながら、ふと彼女に尋ねてみた。


「ところでシフトの奴が、エルフは大抵長生きしてると特殊性癖になるとか云っておったが大丈夫かスフィ」

「何真顔で聞いてるのじゃ!? 私は違うぞ! ばかもの!」

「そりゃよかった」


 安堵したようなクロウの顔。

 スフィまで実は腐った性癖をしていてこっそりイートゥエとエロ本を買いあさっていたりしたら、クロウもショックで寝込むだろう。

 そんなことを云われて憤慨しているスフィは、


(純情に思っていることをしっかりわかっておるのじゃろうか……い、今しっかり伝えて……)


 と、口に出そうとしてやや悩み───、


「み、見てみろクロー! 夜空にオーロラが掛かっておるぞ!」


 ヘタレて止めた。

 スフィが指さした先にクロウも目を向けると、真上に登った月から天が縦に裂けるように、オーロラが夜空に広がり始めている。


「あれは確か、ミエシャツの年の節句になると見えるオーロラだな。名前はええと……」

「夜中のオーロラ[ゾリャーパルノーチニャヤ]じゃな」

「何度聞いても覚えきれぬこともあるよなあって、己れ思ってしまう」

 

 ダジボーグとミエシャツの年は二ヶ月の節句ごとに夕暮れ、明け方、夜中の順番でどれか一つ見られる。

 何度もそのオーロラにそれぞれある名前──[ゾリャーヴェチェールニャヤヴェーチェル]、[ゾリャーウートレンニャヤウートロ]、[ゾリャーパルノーチニャヤ]の三つ──を聞いているのだが、耳慣れない言葉なので覚えた試しが無いクロウであった。

 

「スフィ」

「ん?」

「これからもよろしくな」

「うむ! ずっと、思い出にならないぐらい一緒にな!」


 ともあれ、二人のこれからは続いていく。無くしたものを拾い集めながら。




 それをバルコニーの隅っこで見ているイートゥエはニヤニヤしながら見守っていた。オーク神父も彼女からやや離れて見ている。


「甘いですわー甘々な雰囲気ですわーうふふ、頑張るのですわよスフィ」

「うん、まあ甘いっていうか多分イートゥエさん、鎧に甘い汁がついてるんだろうけど、メートルビートルが背中に取り付いてるからね」

「取ってくださいまし! 取ってくださいましー!」



 今週のペナルカンド図鑑

[メートルビートル]

 甲虫目カブトムシ亜科。特徴は成虫の角から尻の先まで(後肢を含まず)の体長がどの個体もきっちり同じ長さであるという生態。

 それ故にペナルカンド世界的標準スケール(規格)で一メートルと云うとこのカブトムシの体長から来ている。なお地球世界の一メートルとはほぼ同一の長さ。命名者はカブトムシが目に突き刺さって死亡したことで有名なメートル伯爵。

 生息地や餌などの差でも大きさは一切変化しない巨大カブトムシ。必殺技はハリケーンミキサー。

        




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