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92話『前回の続きの話と自爆する九郎』

九郎「どこぞの折込広告でヒモ扱いされた気がする」

ヨグ「だってもうググったら……」




 湯のみに入れられた透明な酒。 

 九郎は緑のむじな亭二階にある自室でそれをあおり呑んで、強く口の中で酒精が揮発する痛みに目鼻が滲みそうになり、喉から胃の中まで酒が触れた場所が熱くなるのを感じた。


「ふう」


 呼気を吐いて気分を落ち着かせようとした時である。

 彼の体全体が薄く光り、胸の魔術文字が蒼く輝いた。

 そして──近頃は効果音にも著作権が出てくるらしいので正確ではないが──イタリア人男性がキノコを貪って巨大化したような音と共に、九郎の体は大人の体に成長した。

 それを観察していた将翁が「ほう」と面白げに息を漏らす。


「少量では変化せず、湯のみ一杯分で変身するようで。最初の時より早く姿が変わるのは、一度体が慣れたせいかも知れません、ね」


 飲んだのは、先日の酒宴で酒壺に僅かに残っていた舶来の蒸留酒[白乾児]である。

 これを飲んだことで九郎は一日、体つきが少年から青年に変化していたので追証実験を行ったのだ。


「……それより己れは一発ネタではなかったことの方が驚きなのだが」


 大人型になった九郎は、ほんの十秒足らずで成長期の歳を十歳重ねたような体に違和感を覚えて、肩などを回してみる。

 単純に縦横に広がったとか、骨格が変形して大きくなったとかそう云うのではなく、普通に十年健康的に過ごせばこうなるであろうと云う体つきである。

 ヒモ顔と呼ばれたのを認めたくはないが顔つきも青年らしく変化していた。それでいて髪の毛は普段通りで伸びていないし、全盛期であった逸物もそのままだ。

 

「適当に流したが不思議なことだのう……若返りの魔法を掛けられた時も思ったが」


 九郎は顎に手を当てながらぼんやりと考える。


「確かに魔法を掛けたあやつの想像する若い頃の姿だと、出会った頃に近いこっちの方が───って、魔法を掛けたのはイリシアだったな。あやつって誰だ?」

「私かね!?」

「人の記憶を改変しようとするでない」


 主張する石燕の額を指で軽く押して引かせる。

 あう、と彼女も呻いて、ずいと寄せた体を戻した。どうもやはり、体格が大きくなっている九郎相手だと叱られてる気分が増すようであった。

 

(イリシアならば、確か己れに魔法を掛けたのが十五、六だったからのう、それ以外では爺の姿しか知らぬから同じ年代にするわな)


 納得しつつ、何故か足を揉んでくる将翁を見下ろした。


「……何をしておる」

「いやね、ほら。元に戻った時に膝が痛むと云っていたじゃありませんか」

「うむ」

「それで──こう、背が伸びている対価に骨の継ぎ目が離れて、そして戻った時に急速にくっついて関節で肉を挟んでいるのでは、と」

「……嫌だのう。間違いなく痛いのうそれ」


 想像して九郎が顔を歪めた。

 狐面の女は見上げるようにして、意地の悪い笑みを口元に浮かべながら告げる。


「しかし、調べたらそんなことはなさそうで。一安心一安心」

「そうか、よかった……いや、よくないな。原因不明の痛みがまた後で襲ってくるではないか」

「全く九郎くん、頼る相手が違うよ! ここは長年、朝に引きつるような背中の痛みとか、目から火花が散りそうな頭痛が数日治まらなかったり膵臓のあたりにびびっと来る痛みに耐えたりしていた、痛さ対策の専門家な鳥山石燕に任せておきたまえ!」

「……石燕、お主大丈夫か? すまぬな、そこまで悪いとは知らずに……よし、寝ておれ。快癒符も大分チャージされておるからのう。暫く休んで健康的に……」

「マジ心配されたー!」


 真剣そうな顔で九郎は石燕の両肩をがしりと掴んで、布団に寝かしつけさせようとする。

 慌てて彼女は両手を振って、


「前までだよ!? 九郎くんがくれたあの酷くオッサンの臭いがする薬を飲んでからはすっかり良くなったとも! ああ、家が吹き飛ばされる前に飲んでおいてよかった!」

「そうか……もう酒の暴飲は止めるのだぞ。頼むから」

「九郎殿」


 将翁が口元を隠しながら笑いの混じった声で云う。


「酒中毒に痛風、贅沢病の予防には家族の協力が必要なんですぜ。九郎殿も努々、石燕殿から目を離さぬように───」

「む? そうだのう……子興のやつが出て行けば石燕は一人か……」


 九郎は想像する。

 薄暗くてがらんと広い屋敷の中で、酒壺が転がり布団に染みを作りながらもやさぐれつつ寝間着のまま一日中飲んだくれているアラサー喪女を。

 

「いかんな……絵面が最悪だ」

「失礼な」

「お七あたりを目付けに引っ越しさせるか?」

「そこで自分を出さないのがなんとも」


 将翁は大きく肩を竦めて嘲るように告げる。

 やや複雑そうな顔をして九郎は頭を掻きながら、


「己れが行くのはどうもなあ……」

「おっと、石燕殿が突っ伏した。くくく、こりゃ酷い」

「ふ、ふふ、いいさ。どうせ使うあてもない部屋を増築しただけさ……」


 何やらショックを受けている石燕に、九郎がため息混じりに云う。


「いや、己れが泊まるようになったら間違いなく細長い縛るあれ扱い受けるだろ。店ならまだ居候としてあり得るが、女の家に転がり込むのは……」

「成程ねえ」

「なんだ、含みがあるのう」


 彼女は薬箪笥から紙束を取り出して九郎の目の前に並べた。


「ならいっそ石燕殿を再婚させるとか」

「ふむ」


 その紙束は見合い相手のプロフィールが書かれた資料のようであった。

 年齢や職業などが事細かに記されている。江戸に住むもの限定で集めていたようである。 


「こちらの、あたしの遠縁である武士の阿部殿など、中々良い男ですぜ。爽やかな顔で健康体ですし」

「ふむふむ」

「まあ……男色趣味で飯屋などの厠近くで相手を物色するのが玉に瑕」


 いかにも駄目な情報を語っている将翁から資料をひったくって丸めて石燕は放り捨てた。 


「傷しか無いよ!? ええい、勝手に決めようとしないでくれたまえ!」 


 叫んで拒否する石燕だが、やはり大人な九郎に押さえられて再び座り込まされた。


「まあ落ち着いて見てみよ。知らぬ存ぜぬばかりでは人の付き合いを台無しにするぞ。将翁とて、善意から勧めておるのだ」

「本当かねー? 本当に善意かねー?」

「そりゃ勿論」


 彼女は言葉を切って、にっと笑みを作る。


「善意です、よ」

「駄目だ九郎くん! こういう女が善意と言い出すときは十割がた自分の都合だよ!」

「ま──確かに石燕殿の体調は良くなって、肌も艶が出てますぜ。結構若返って見えるような……」

「そ、そうかね?」


 担当医の言葉に、石燕は己の頬に手を当てながらはにかんだように応えた。

 確かに九郎から貰った魔法の薬──[オッサンーヌの髄液]を服用して内臓系が正常に戻ったのならば、多少なり若返りはするだろう。不健康な大人ならば、恐らく誰でも。

 将翁は更に笑みを深めて、続ける。


「見えないような」

「九郎くーん! こいつを信用したらいけないからね!」


 おちょくる将翁の肩をがくがくと揺らす石燕であった。

 だが九郎は気にせずにお見合い資料に目を落としながら、


「ほれ、この相手とかどうだ? 米商人で金持ち、前妻は九年前に他界。性格は穏やかで健康状態も良好とある───あ、こやつも男色趣味に近頃目覚めておるのか」

「なんで男色趣味ばかり集まってるのだね!? そして九郎くんはそこはかとなく私に配慮が足りない気がするよ!」

 

 それから暫く。

 将翁の持ってきた見合い資料を三人で眺めて、こいつは男色だこいつも男色だと言い合っていた。完全な男色と云うか、「両方やってみっか!」みたいなチャレンジャブル男子が江戸にはそこそこ数が居たのである。

 四半刻程経過して、九郎は己の体調に変化を感じた。


「う、ぐ、これは……」


 九郎の顔が歪み、動きが止まる。

 すると再び彼の体はぼんやりと輝き、巨大化していたイタリア人男性が脛に亀をぶつけたような音と共に、九郎はその体を縮めていく。

 同時に、


「ぐなぁぁ……!」


 彼の苦悶の叫びが聞こえて、やがて膝を押さえたまま寝転がっているいつもの少年型九郎に戻っていた。

 涙目になりながら、呻く。


「や、やはり凄まじい痛みが……絶対膝に悪いぞこれ……」


 膝の皿を焼けた鉄に変えた上にそれをハンマーで叩き伸ばして折りたたんだような、耐え難い痛みである。

 持続性こそ無いが、足の感覚がいっそ消えろとばかりに恨みがましい。


「ふむ」


 将翁が九郎の膝を手に取って、撫でたり指で押したりしながら関節に何らかの症状が残っていないか確かめる。

 

「一杯の酒で、四半刻変身……か。では九郎殿。次は、試しに二杯行きますか」

「断る!」


 きっぱりと九郎は首を横に振った。とんでもない激痛である。なまじ、体に傷が残らない分、影兵衛に腕をほぼ縦に割り斬られた時よりも絶望的な痛みが襲ってくる。何せ、この膝の痛みは変身する度にやってくるのだ。


「ふふふ、やはり痛み対策の達人たるこの私の出番のようだね!」

「石燕」

「痛い時は酒を浴びるように飲んで誤魔化すのだよ! 中国の関羽雲長だって腕の手術をする時に酒を飲んで骨を削らせたとあるではないか! さあ!」

「その方法は明らかに駄目だ」

「理論上は、一刻に四杯の用量で飲み続ければ大人の体を維持できますぜ」

「一日中飲み続けるなど出来るか。しかも金ばかり掛かる」


 提案する二人から離れつつ、九郎はげんなりと首を振った。

 そそくさと石燕が彼の隣に回りこんで、咳払いをして主張する。


「ま、まあ私は九郎くんが大きかろうが小さかろうが、莫逆の友であることには変わりないのだがね? 目で見えるものが全てではない、心の目を開くのだ。そう常々云っているぐらいだ」

「そんな、お房殿が九郎殿の体の大きさを気にしていない様子で感心されてたからって、すぐに真似しなくても……」

「真似ではないよ!? というか房だって私の教育というか影響を受けての性格形成があるのだからね!」

「……」

 

 九郎は瞠目して考え、頷いた。


「フサ子はしっかりと正しい道を生きて欲しいのう……」

「私が駄目人生みたいに云わないでくれたまえ!?」

「駄目とまでは云わぬが……お主もまだこれからだぞ」

「この保護者目線……!」


 そんな二人を見て、将翁は呆れたように小さく呟く。


「あまり、自分を度外視して他人のことばかり手をつけていると───人と結んだ縁の鎖に巻きつかれて、しっぺ返しを喰らいます、ぜ」

 

 そんなことを、云った。

 その時は九郎は然程気にしていなかったのだが──。 

 




 ******   

 




 それから、とある日の助屋九郎お悩み相談。


 今日の相談者は店の休憩時間に、店主である佐野六科が珍しく深刻そうな──戦場で草むらから飛び出してきた敵を射殺したら、銃を持ったまだ幼い子供だったときの兵士めいた気落ちしている顔で座敷に上がった。

 お房とタマは石燕に連れられて貸本屋へ行っている。店内はがらんとしていて薄く蕎麦の匂いが残っていた。

 彼は戦場近くの村で親しくなった子供が目の前で地雷によって吹き飛ばされたとでも言いたげな暗い顔で九郎に告げる。


「周囲の反応から推測したことで、間違っていたら指摘して欲しい」

「うん?」

「……お雪が俺と結婚したがってる」

「そうだな」


 九郎はすんなりと頷いた。

 

「今更か」


 とさえも思って、そのまま口に出してしまったぐらいだ。

 しかもだ、


「お雪の気持ちに気づいた、とかではなく、周囲の状況とな」

「うむ。よくわからんだが、この前大家のところに行ったらめでたいの何のと云われて、それにお雪も頷いていた。お雪が誰かの嫁に行くのかと思ってよく聞いたら何故か俺とだった。しかもいつの間にかこの長屋でも広まっていた。俺とお雪しかその出来事を知らない筈なのだが、謎だ」

「ああー……うん」


 お雪がぺらぺらと井戸端で話していて、それを聞いた長屋の男衆がやけ酒に来て売上を伸ばしたのだが、本人ばかり知らなかったらしい。

 社会的立場のある大家に認められたことで既成事実の大きな一歩を踏み出し、外堀どころか本丸を埋めに来たようであった。

 

「あとここ最近、お房が『邪魔になるから』とか云って上で寝るようになった。しかも何故かお雪が夜にやってきて布団を並べてくる。昔はそうして寝ていたこともあったが……」

「どうしているのだ?」

「お雪が寝るまで座って待っている。狼の住処で野宿をしているような危機感を感じてな」


 そしてお雪が先に寝たら、寝付きがよい彼女を抱えて長屋のお雪の部屋に運んでそこで寝かせていた。

 もはや後一歩の状況に立たされているのだが、六科の悩みは集約すれば一言であった。


「困る」


 本気で困ってそうな顔をしている。

 そして提案する。


「だが本気で拒絶したらお雪のことだ、酷く落ち込んで死ぬことを考えるかもしれん」


 だから、と六科は続けた。


「俺が拒絶するから、その後で九郎殿はお雪を慰めて出来れば夫になってやってくれないか」

「なんでそうなる!?」


 アダマンハリセンで凄まじい快音を鳴らしながら、九郎は六科の頭を真上から叩いて机に沈めさせた。

 額と木材の衝突で軽く罅の入った机から顔を上げて云う。


「痛いじゃないか」

「お主が甲斐性のない事を云うからだ」


 相手からベタボレされてるのを自覚したはいいが、取る選択肢がハードであった。

 恋の成就成功手前まで来ておいてそんな対応されたらお雪も泣くどころの話ではないだろう。

 それこそ無理心中をしてくるかもしれない。

 彼は赤い跡のついた額を軽く掻きながら、やはり戦場で仲間がベトコントラップにかかり苦しみながら息絶えるのを見届けたような辛い顔をしている。

 

「そうは云うがな、お雪は娘同然だ。娘と親父は結婚などしないし、娘には出来るだけ良い男と結ばれて欲しい」

「だがのう、お雪とお主は血も繋がっておらぬし、もういい歳だ。はっきり云ってお主とくっつかねば不幸になるぞ」

「そこを九郎殿の細長く縛る力でなんとか」

「ならん」

 

 娘の結婚相手に九郎を選ぶのも、理由はある。

 定収入ではないが普通の町人よりは稼いでいるし、店の再建ができたのだからこの店の後を継いでくれても良い。

 知り合いには同心や侍も多く、体は健康で面倒見も良いし頼りになる。少なくとも嫁を泣かすようなことはすまい。

 実年齢こそ高齢だが、まあそこに目を瞑れば充分ではあった。人となりがよくわかっているのが一番大きいのだが。

 九郎が六科を説得する。


「良いか、お雪にはお主が必要なのだ。年齢差はあるだろう。家族のように近しかったと云うこともあるだろうよ。しかしな、お雪の幸せを本当に思うのならば、年上の男として思う事はある程度我慢し、受け入れてやるべきではないか?」

「……ならば」


 彼の意見に、六科は別の例えを出した。


「そうだな……お房だ」

「うむ? フサ子がどうした?」

「お房があと五年十年経過して、結婚適齢期になったとしよう」

「ふむ……」

「その時に、『九郎以外と結婚すると不幸になる』『血は繋がってないし年齢差なんて関係ない』などと言い出して、結婚を迫られた時に九郎殿は受けるのだな? 年上の男として、お房の幸せを考えて嫁に貰うのだろうな? 俺に勧めるぐらいだから当然」

「……」

「それならば、俺もお房が嫁の貰い手ができて親としても安心するから決心もつくのだが。不能も医者が云うには治るのだろう」


 もし、の可能性。

 九郎にとっても、居候先で家族同然になっているお房は孫娘のような気持ちで見ている少女であった。

 いずれはどこかに嫁入りするのだろうが、その相手はまだ誰と想像できるものではない。

 そして未来でお房が、そんなことを云って来たのならば───。


「こ、困る……のう……」


 愕然とした顔で九郎は応えた。

 他人事と云うか、最初から九郎にしてみれば中年の六科と、妙年のお雪の組み合わせなので好き放題くっつける口出しをしていたのだが。

 六科当人からすれば、十歳未満の少女の頃から付き合いのある相手が迫ってきているのである。

 お房と云う身近な存在で例えを出されて九郎はリアルに想像してしまった。

 

「確かに……困る」


 ぐるぐると九郎の思考が回転する。

 無論、お房がこれからの人生で良い男を見つける可能性は高い。男なんて江戸には無数に存在する。まあ、良い男となると何故か知り合いはアレばかりだけれども。

 それに自分に向かってそんな感情を持つことも無いとは思うのだが。

 六科は、そんな九郎と同じく娘めいた存在があり得ないと断じていた感情を持ってしまった状況なのだ。

 自分が六科の立場なら確かに断る。断ってどうにか折り合いを付けさせる。

 似たような条件として、かつて妹のような孫のような、イリシアにも番わないかと誘われた時は断ったのだ。

 しかしそうするとお雪は……


「はっ……」


 九郎はど、とかご、とか風の嘶きに似た衝撃を感じる悍ましい視線を浴びていることに気づいた。

 いや、正確には視線ではない。気配が向けられている。六科の背後──店の板場、勝手口に続くその空間に半身を覗かせてお雪が立っているのだ。

 立っていて、こちらを向いている。目では見えない筈だが、確かに九郎を見ていた。合図をするように。或いは指示か。彼女の全身から有無を言わせぬオーラを感じて、思わず九郎は目頭を揉んだ。


「どうした?」

「いや」


 再び目をそっと向けるが、オーラこそ見間違いだったようだがやはりお雪が立って様子を伺っているようだ。声を掛けてくることもせずに、黙って九郎にだけ姿を見せている。自覚的に。

 つまりは、お雪にとってあとひと押しなのだ。

 九郎が六科の喩え話を飲み込んで、お雪と六科の仲を認めれば彼女にとって一番の未来が待っている。

 ここで迂闊に九郎が「やはり断るべきだな、うむ」などと掌を返した場合───不穏な気配を九郎は感じて背筋に汗を浮かべた。


(九郎お爺さん九郎お爺さんわたしと六科様の仲を応援するって言いましたよね確かに言いましたよね───)


 そんな囁きが、聞こえてくるようであった。

 気まずく、罪悪感で胸が裂けそうだ。

 他人事の婚姻話を進めていたのに何故か自分も巻き込まれている。完全に自業自得であるが、九郎はからからに乾いた喉を茶で潤した。

 

(こ、こうなれば……)


 口を開いて、告げる。


「や……やはり、年齢差だのは、その、アレだな。アレがそれでうん」

「?」


 ぞわり。

 背筋に刃物を突きつけられた感触を九郎は覚えて、口が滑った。


「お雪の幸せを思うなら、気持ちに応えてやれ──はっ」

「ではお房が」


 もはや云ってしまったものは仕方ない。流れるように、適当に誤魔化しつつ先延ばしにする言葉が口から溢れた。


「フ、フサ子が……どうしようもなく相手が居なくてどこぞの喪女みたくなりそうで、己れがあやつの気に入る相手を紹介できずに、それでいてもしもあやつが望むのなら己れが貰ってやるから……まあそんなこと無いとは思うんだが、万が一のときな、うむ」

「そうか、頼む」


 深々と。

 下げた六科の頭を、九郎は癌の申告を受けた患者めいた表情で見た。

 お雪の──これもまた、孫のように歳の離れた心清らかな気がする女の幸せのために、年上の男として背中を押さねばならないのだ。

 店の奥のお雪に顔を向けると、彼女はぱぁっと花が開くように明るい表情で嬉しさを、手を振って表現している。


(……しかしなんとも、妙な約束をしてしまった気が……)


 だが。

 お房が結婚するまだ何年も先のことだ。きっと自分以外、適した相手が見つかる。見つける。そう誓った。

 お八と交わした軽口ではなく、男同士で約束してしまったのだ。大人と大人が、一人の娘の幸せのために交わした契約を果たさねば。

 そして恐らく、不能老人など若い娘に相応しいわけがないのだ。

 あと十年もあれば何とかなるだろう───。


「ただし、フサ子が自発的にそのことを言い出すまで、己れが嫁にするなどとか云うでないぞ……」


 無根拠の後回しに、九郎は自分を納得させるように汗を拭うのであった。





 *******





「あら?」


 三人でやってきた貸本屋で、棚に積み上げられていた本を漁っていたお房が声を上げた。

 ぐいと本を引っ張ると、その上に載っていたやや白くなった黒褐色の球体がころりと落ちてきたのだ。

 隣に居たタマがそれを拾って、指で押す。


「……古びたボタ餅タマね」

「いつから放置してたのかしら。ホコリまみれなの」


 店の誰かが後で食べようとこっそり隠して、忘れられていたのだろうか。

 棚から勝手に落ちてきたボタ餅に対して、三人は意見を言い合う。


「ふむ……タマくん、食べるかね?」

「兄さんなら食べれそうだけど」

「どうせ美味しくないの」


 そう云って、お房がひょいと取り上げて部屋の隅にあった書き損じや鼻紙を捨てる屑籠にボタ餅を放り捨てた。

 彼女は特に気にしないように、


「あたいならどこに置いたかわからなくなるようなことしないもの。美味しいボタ餅はちゃんと大事にするの」

「堅実タマー……石燕さんも一発逆転とか狙ってないで」

「何の話かねー!」

 

 そんなことを言い合う三人であった。

 




 

妹・娘系敗北者連盟のコメント

イリシア「えっ」

スフィ「えっ」

お八「ぜっ」


※江戸1巻が電子書籍になったようです

 あと2巻の発売予定が5月30日に決まったようです

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