挿話『異界過去話/アタリマエの幸せを』
激しい雨と風、打ち付ける波とロシア軍の銃弾。揺れる船に泣き叫ぶ仲間。あとカニ。
そんな状況から海に落ちて、クロウは異世界ペナルカンドへたどり着いた。
最初こそ目覚めた場所が、北海道のどこかか、ロシアのどこかと思って高度な情報のやりとりを行い──北海道でよく売られているあのカップ焼きそばの話題を振ってみただけだが──自分を見つけた集団の異形な種族を見て、異世界に来た事を悟ったのである。
クロウが拾われたのは[ジグエン傭兵団]と云う小規模の傭兵であった。
戦乱が大陸のあちこちで発生したり、危険な野生動物や野盗なども幾らでも居るペナルカンドに於いてはこのような十数人から数十人規模の傭兵組織は幾らでもあった。
戦争時は大きな傭兵団の下請けとして編入されるのだが、普段は少人数の方がメンバーの維持などに都合が良い為だ。そのまま野盗になる集団も多いが。
ともあれジグエン傭兵団は臨時メンバー常時募集中で、出たり入ったりしながら三十人規模で行動をしている。
団長のジグエンは細かい事を気にしない性格で人種から年齢まで不問で団員を集めるので、発見されたクロウもそのまま編入されたのである。
「あー、しんど」
クロウは街近くの野営地にて、丸太で簡単に組まれたベンチに寝転がり呟いた。
彼の仕事は基本的に雑用だが、その合間に団長自らに自衛手段としての戦闘方法を叩きこまれているのであった。
平和な日本で暮らし、多少違法性のある仕事をしていたが一般人であるクロウが突然鉄製の剣を振るう訓練をしつつ、三十人分の掃除洗濯料理、そしてこの変な世界の知識を手に入れようとスフィやオーク神父に講義を受けているわけなので非常に多忙な日々であった。
「まだ十代ならはしゃぐかもしれんが、もう三十路過ぎだぞ、己れ」
幸い、夜になればちんまいエルフの歌声で疲労は取れるし体内デトックスされるような感じになるので翌日に持ち越すことはないのだが。
スフィの歌を聞くようになってからやや若返ったような気すらあった。
「おんやー? クロウくん、おつかれでーすかー?」
「──っと、アタリさんか」
言葉よりも先に視界の端に映った、大蛇の尾にびくりとしてクロウは起き上がり返事をした。
見た目は重そうなのだが音も立てずにするりするりと近寄ってきたのは、女性であった。
若干浅黒い肌に、明るい橙色の髪の毛を長く伸ばしている。人懐っこそうな顔をしていて、頭には大きな三角帽を被っている。暗緑色のマントを羽織り白いシャツにネクタイをして小さな指揮棒のような杖を持っている姿は魔女のコスプレをしている風に見える。
ただ、そのスカートから下は太もも二つを一つに融合させた太さで蛇の尻尾が長く伸びているのである。
彼女はジグエン傭兵団に所属する蛇女の魔法使い、アタリであった。
アタリはクロウが一瞬驚いた反応を示した事に対して口を軽く尖らせて云う。
「まだ私相手に驚いてるんだ。オーク神父やイートゥエには平気なのに」
「悪い、どうも見慣れてなくてな」
「蛇人種族なんて、オークやデュラハンに比べれば珍しくないし怖くも無いんだけど」
彼女はクロウの隣に座りながら拗ねたようにそう告げた。そして持ってきた酒瓶に口を付けて煽る。彼女は大抵、タクトと酒瓶を持っている。
日本人であったクロウがこの世界に来て初めて眼にしたのが、人型に近い異種族であった。
それらの容姿は千差万別で、耳が尖っている以外には幼女にしか見えないスフィから、彼女のような明らかに体が異なる種族まである。
傭兵団にも何人か居て、その中で一番クロウが馴染まないのがこの蛇人アタリであった。
「オーク神父らはでかすぎて逆にインパクト低いからな。イツエさんは鎧だけで生首は一発ネタでしか無い」
「じゃー私は?」
「……蛇が身近だったからアレなのかもしれないが」
蛇部分以外は普通に、人間の女性とそう変わらないのだ。だからギャップで身構えるのかもしれない。
「というか、腰から下が蛇だから構造上巻きつけるスカートしか履けないよな?」
「うん。ノーパン前バリ」
「いや、下着のことではなく……」
顔を苦々しくするクロウに、アタリは酒に酔っている顔に悪戯っぽく笑みを浮かべた。
すぐに団員と馴染んだクロウだが、彼女はどうもからかってくる気質があって困るのである。
「アタリさんの格好を基準に考えると、男の蛇人もスカート履いて股らへんがそうなってるのか?」
と、スカートの下──ひざ上ぐらいまでは人間の太ももに似た質感が蛇尾の腹側にある。
こう、いい年したおっさんが綺麗な太ももをぴっちりと合わせているような図が想像できたのだ。
綺麗な太ももじゃなくて毛がもじゃっとしていても嫌だが。
彼女はきょとんとしながら、
「本当に色々知らないことばっかりなんだね。男の蛇人は、首から上が蛇になってるんだよ?」
「……こう、被り物みたいに?」
「まあ、そうかな」
「……本当にそれは同じ種族なのか」
クロウの疑問にアタリはタクトを軽く振りながら教師のように解説をする。
「自然界では雄雌で姿形大きさが全く違う動物も珍しくないじゃない。例えばアンコウの一種は雌に比べて雄は小魚ぐらいの大きさで、しかもそのまま雌の体に寄生虫みたく融合同化して精子作る為だけの状態になったりするんだ」
「ヒモの末路だな……」
「クロウくんはそうならないようにねー?」
「確実にならんわ」
彼女は酒臭い息を吐きながらけらけらと笑い、目を細めていた。
「ま、私には慣れて貰うとして。団長と特訓してたの?」
「そうだな。正直、剣の特訓なんて初めてだから疲れる」
「結構スジは良いってこの前お酒飲みながら団長云ってたけど」
「あの人、基本的な指導内容が『体格のでかい奴が強い力で素早く攻撃をすれば勝てる』だからなあ……」
その点、日本人にしては背の高いクロウは戦える体としては問題は無い。力も人並みにはあるし、健康体で度胸もある。鍛えれば一端の兵士にはなれるだろう。
突然異世界に送り込まれて傭兵になる──。
一般人ならば頭を抱えそうな案件だが、クロウが漁師になる前の職業はおしぼりなどを配って売る系列の会社に務め──広義におけばヤクザであったので落ち着きがあった。
「大体切り込みに行くのは団長を始め突撃脳な人ばっかりだから、クロウくんは基本的に後方に居ればいいんじゃない? スフィ運搬係で」
「そうさせて貰えればなによりだ。正直あの連中に混ざれる自信は無い」
前衛剣士の多くは、戦神などの神の加護や聖歌による補助でパワーアップし、一刀で全身鎧を砕いたり衝撃波を飛ばしたりしているのだ。日本人が混ざれる場所ではない。チャカでも持っていればともかく。
そんなわけで既に何度か、戦争の小競り合いで起きた戦闘に巻き込まれているクロウであったが基本的に後方勤務であった。
「いっそクロウくんも中衛魔法使いになったらどうかな? 楽しいよー相手の頭にゼリーの塊とか投げつける作業」
「地味にエグいんだよな、アタリさんの魔法」
彼女は水属性を得意とする魔法使いであるが、この属性の攻撃魔法は乱戦向きではない。
毒の霧とか雨を作ったり、広範囲を水浸しにした後追加で氷属性や雷属性の魔法を叩き込んだりするのが強力なのであるが、前衛も巻き込む事は必死だ。
というわけで彼女がよく使うのは、真っ赤な円柱状の、粘り気でほぼ固まったような粘液塊を飛ばして相手の頭にぶつける。
すると視界が塞がれ呼吸も出来ずに混乱し、周りに倒されるという水系術式[血のバケツ]であった。その名の通り、喰らえば赤いバケツを頭に被ったようになるのである。
「……というか、己れ魔法使いになれるのか?」
「確かに、しっかりと魔法学校に通って術式の勉強しないと駄目だろうけど……でも、魔法学校ってあれ実は魔法協会が授業料を長々と取り続ける為の機関でもあるから、実は初歩の簡単な魔法は魔法使いの補助があれば誰でも使えるようになったりするんだよ?」
「そうなのか? そんなに便利だったらもっと普及してそうなものだが」
「でもま、魔法の発動媒体になる杖が高いし……安い中古品でも、一家族が一ヶ月は暮らせそうな値段するから」
「そんなにするのか、それ……」
彼女の持っている、簡単に折れそうなタクトを見て半眼で呻いた。地球の基準で言えば車のようなものだろうか。
初歩の明かりを出したり火花を散らしたりする程度の魔法が使えるぐらいでは一般の人はそこまで大金をつぎ込まないだろう。
金を出せるならそれこそ普通に魔法学校に通わせる。
「ちなみに傭兵に魔法使いが少ない理由が、こんな高級で持ち運びも簡単な道具を確実に持ってるから狙われやすいんだねえ」
「確かにそりゃ狙う」
「完全に魔法使いだけの軍を持ってる国もあるっちゃあるけど」
彼女はしゅるりとクロウに巻き付くようにして彼の背中にまわった。
そして背後から抱くように手を前に出して、クロウの手にタクトを握らせた。
「物は試しでクロウくんも魔法使ってみようか。戦場で杖が落ちてるかもしれないから。夜中の明かりとかあったら便利でしょ」
「そうだな。こうか?」
クロウも魔法と云う超常の現象に多少なり興味はあったのだろう。
素直にアタリの杖を摘んで受け取った。
「そうそう、これで私がクロウくんの魔力をコントロールして……んん?」
「なんか昔流行ったスプーン曲げを思い出すな……」
「むー……」
うなじの近くでアタリが唸っているが、魔法は発動しない。
クロウが声をかけようかと思った時であった。
「がーじー」
「───痛!? なあああにやってんだアタリさん! アホか! 噛んだのかすげえ痛いぞ!?」
怒鳴るクロウだが、体を蛇の尻尾が巻き付いてしっかり固定しているので背中に居るアタリを引き剥がすことができない。
噛まれるというよりも刺された痛みがあって慌てるクロウである。
それもその筈、蛇人種族のアタリには牙があるのだ。軽く皮膚を破り、薄く血が出てくる程に噛まれればそりゃ痛い。クロウも女に噛まれた事は初めてではないが、噛み切られたのは初めてであった。
「吸血吸血」
「舐めるんじゃない! このアマ何を考えてんだ! っていうか蛇は血って吸ったっけか? [怪奇! 吸血人間スネーク]じゃあるまいし!」
滲んだ血をぺろぺろと舌で舐めまわしているアタリをどうにか引剥がそうとするクロウ。なんとなくこの世界に来る前に見た映画を思い出した。
立ち上がってなんとかしようとしたが、蛇状の下半身が己の体に巻き付いている彼女を背中から追い出すのは無理だと判断して肩を落とした。
「……結局何がしたかったんだ、アタリさん」
「いや、クロウくんの魔力の流れを調べる為にちょっと血を貰ったんだけど……」
「それならそうと云ってくれ。そしてなるべく穏便に」
「まあまあ。で、残念なことにクロウくん、魔力が全くと云っていいぐらい無いから……魔法は無理だねこれ」
「……噛まれ損なだけかよ」
大きくため息を付くクロウであったが、考えれば地球人だと云うのに魔力とやらを持っているのもどうかと思うので当たり前だと納得も云った。
「せいぜい地球人で魔力持ちはナントカ・ゲラーやなんとか天功みたいなそんな連中だけだろうよ」
「血の味は美味しい方だと思うよ? うん。吸血鬼とかに狙われそうな」
「何一つ喜べる情報じゃないんだが」
などと言い合ってると、街に出かけていたスフィが帰ってきてクロウに手を振っていた。
「おーいクロー。用事済んだからお主の社会勉強を進めるのじゃよー……ってこらあ!」
彼女はクロウの背中にしがみついているアタリを指さして叫んだ。
「人がせっかく時間を取って授業をしようとゆーのに、お主らはイチャイチャしおってからに!」
「スフィが街の本屋でクロちゃんの教科書になりそうな本をじっくり選んでいましたのよ?」
「新譜のついでじゃ! ほれ、早くアル中の蛇は勉強の邪魔だから離れよ!」
「ちぇー。勉強となると脳細胞が死滅しまくってる私じゃ無理だわー」
そう云ってアタリはクロウの体から離れて、また酒瓶を抱えたまま蛇行して去っていくのであった。
「……というか薄々気づいていたけど、アル中なんだな、アタリさん」
「うむ。私が肝機能とかは治したが、依存性はそのままのようじゃな。出会った頃など、飲まないと震えるし情緒不安定だしで明らかに病人であった」
「蛇人種族はお酒に強い筈なんですけれどもね……」
と、普通の酒では全く酔わないイートゥエが首を傾げるのであった。
「それよりクロー! 勉強をするぞ! お主の為に[はじめてのさんすう──南海の魔神編]を買ってきたからのう! にょほほ! 算数はできるかえ? れんりつほうていしき? とか!」
「あー……高卒で数Ⅱまでしかやってないからな。微分積分の基本ぐらいまでしかできないな」
「……算数はひとまず置いておき……やっぱり歴史社会じゃな! うん! 生きていく上ではこっちが大事!」
「スフィ、暗記科目は得意そうですものね……」
そんなこんなで酔っぱらいを追い払い、本日のクロウの常識講座が始まるのであった。
彼女の解説を聞きながらふとクロウは思った。
(傭兵になりたがらない魔法使いで、アル中で。どうしてアタリさんはこんな仕事してるんだ?)
考えても詮無きことだったが。
この傭兵団に集まるのは皆、一癖二癖事情があるものが多そうではあったからだ。
自分もその口であるので、下手に探るようなことはすまいと考えるクロウである。
*****
ジグエン傭兵団は戦闘状態でなければ毎晩のように酒宴を開いている。
団長からして酒好きであり、最年少というか最小サイズであるスフィでも酒は飲める集まりであった。
酒代がバカにならないので傭兵団の備品として蒸留器を持っていて、安上がりな密造蒸留酒を作っているぐらいである。
野営地にある掘っ立て小屋──別の傭兵が建てて放置していった山小屋のようなもので、珍しくない──に一同が集まって酒と飯を食べていた。
「──というわけでこいつが新しく仲間になったユーリ・シックルノスケだ! 見ての通り忍者だ!」
「見ての通り全裸だろ!」
団長の紹介に一斉にツッコミが入った。
注目を集めているのは顔は覆面と面頬で隠しているが、首から下は引き締まった肉体を惜しみなく晒している裸体の男である。
彼は何も恥じることなど無いとばかりに平然と云う。
「……我に何か問題也……?」
「うわーなんか逆に問いかけられたよ」
「哲学的な感じになってきたな」
「そもそも全裸って何が問題だったんだっけか? 種族によっちゃ普通に全裸だったりするよな……」
あまりに堂々としているので、むしろ団員の方が思い悩みだした。
「騙されてるだろ……」
忍者という、なんか日本らしい職業の者が仲間になったもののその異様な雰囲気から話しかけられないクロウであった。まあ、異様って全裸なだけだが。
「うへへーいカンパーイ」
全裸でも気にせずににょろにょろと、ジョッキ片手のアタリが近寄って行き、沸騰したようにごぼごぼと沸いている超強炭酸のビールで乾杯した。
ユーリも素直にそれを受けて、面頬を付けたまま染み込ませる様に口に含み一気に飲み干す。
「……苦味也」
「ゴーヤービールだからね~ん、うげっこの苦味が別の酒を飲んだ時に甘く感じさせうげっ」
「アタリを止めろ! 変なゲップ出してるじゃねーか!」
騒ぎを起こしつつ蛇尾をびちびちと動かしている。
「ぐいぐい絡むな、あの人」
多少感心しつつクロウも異世界飲料を口にする。
最初こそ原子構造とか消化酵素とか大丈夫なのかと一瞬悩んだが、悩んだところで解決するわけでもないので今では普通に摂食している。
この傭兵団は宴会になると酒が底抜けしたように消費し、大騒ぎか一同気絶した挙句にスフィに回復させられるというヴァルハラめいた光景がよく見られた。
クロウはまあ、巻き込まれるのは三回に一度ぐらいという付き合いの悪いサラリーマンみたいに何とか過ごしているのである。
「良いか、クロー。あれは常識外の連中じゃからな。あまり馴染むでないぞ」
「そうだな。あっ、イツエさんの鼻にデスソースの瓶が」
「痛いですわ! 痛いですわ!」
大粒の涙を流して叫んでいる、渦中の生首に哀れみを覚える。
おろおろとしていた鎧も痛覚は共有しているのか、外れた頭の位置を押さえて悶えていた。
「オーク神父は?」
「屋外で寝るのも旅神の活動の一環とかで外じゃな。体の良いことを云って逃げたわけじゃが」
「要領のいい男だなあ」
ちらりと窓の外を見ると、夜闇に薄くオレンジ色をした焚き火の光が見えていた。
自分もそっちでちびちびと飲んでいた方が気楽な気もしたが、酒付き合いもこの寄る辺無い異世界では必要なことだと思いを振り切る。
「へーいカモカモッ。飲んでますかいお兄さん」
そんなことを考えていたら酒癖の悪い蛇女が近づいてきた。
しゅるしゅると座っているクロウに巻き付きながら酒瓶を彼のグラスに傾けてくるアタリ。
「飲んでるから巻き付くなアタリさん」
「おや照れているのかいクロウくんや」
「噛むだろあんた」
「イェア」
「おのれ」
首の付近に噛み付いてくるアタリの頭を掴んで押さえる。
「あんたのせいで痕が残って、腕に打つんじゃ我慢できなくなったシャブ患者みたいになってるだろうが」
「目立たないところならいつでも噛んでいいと許可を出すなら止めるけど」
「噛むな」
頭を掴んでいるが、そのうち手のひらに噛み付いてくるのが悩みどころではあった。
そんな彼女に対してスフィがマイクをぐいぐいとその頬に押し付ける。
「これ、やめんか。クローが嫌がっておるじゃろ」
「いいじゃーん」
「私はこの唐変木の保護者役なんじゃぞ。いかがわしい傷をつけるでない! こりゃ!」
「むー」
と、クロウと並ぶと妹どころか娘にしか見えない体躯なのだが、彼を保護しているという状況が割りと気に入っているスフィは、自分の弟分にたかるアル中をどかせようと抵抗を続けていた。
「がっぷる」
そんなマヌケな声を出しながら、スフィの伸ばしている指先にアタリは噛み付いた。
「あいたっ!? ……ほえ?」
小さな傷口を塞ごうと慌てて自分の口に指を入れて舐めたスフィは突然撹乱を起こしたかのように目を回して座り込み、頭をふらふらとして半ば眠りにつき始めた。
「……アタリさん、何してんだ」
「軽く酔っ払う程度の毒をさー。ほら、私の牙って毒牙もあるから」
「余計噛まれたくなくなった! 何してくれんだっていうかさ」
クロウは、全裸者が増えて団長などイートゥエの頭を使って裸踊りを踊りまくっている狂乱の宴を指さして怒鳴る。
「後頭部に嫌な感触ですわ! ですわ!」
「安心しろイートゥエ! ……アルコール消毒してある」
「そのまま焼けてしまいなさい!」
全員に酒が妙に回っているのは、団長が街でやっているくじ引きで当ててきた加湿器に高濃度アルコールをぶち込み、気体状になったアルコールを肺で吸収している為にハイになっているのだろう。
とにかくこの世の終わりめいた雰囲気を止めるのは、歌で一気に吹き飛ばせてシラフに戻せるスフィの役目であったのだが。
その彼女はお眠状態であった。
「こいつらどうするんだ……」
「大丈夫大丈夫。ほら、震えも止まってるし」
「アル中のことじゃない」
大きくため息をついて、クロウは顔を手で覆い、
「なるようになれ……」
と、諦めたように呟いた。
よくあった、飲み会の風景である。
*****
都市国家クリアエが独立維持のめどが立ち、集まった戦争も終結したことでジグエン傭兵団が解散した。
団長を始めとする多くの者はそのままクリアエに何らかの形で就職、移住することになり、またオーク神父やイートゥエなどは再び旅に出て行くようであった。
クロウも残留組であり、戦後のどさくさで公務員とも云える騎士になった。
「戦うより雑務の方が気楽だな」
戦闘部隊に入れられても補給関係などを担当しながら、日々事務をこなしていた。
傭兵時代の末期には、クロウも呪いの棍棒を担いで召喚された敵の精霊相手に殴りかかっていたりしていたのでこの平穏が有りがたかったのである。
給料も安定しているし福利厚生もしっかりしている。悪くない職場であった。
そんなある日、久しぶりに彼女が職場に訪ねてきた。
ずるずると尾を引いてやってくる蛇女を見ても、いつかのようには驚かない。
「おう、アタリさんか。どうした?」
相変わらず昼間から酒瓶を片手に彼女はにへらと笑いながらクロウに手を上げて応えた。
彼女はこの都市の魔法協会で働いている。いや本当に働いているのか怪しいぐらい酒を飲んでいるが、酒を買える程度には給料を貰っているようだ。
「クロウくん、前に私が魔法を使わせようとしたことあったでしょ」
「ああ、確か……魔力が無いから無理だとか何とか」
「じゃじゃんのじゃん。今日はそんなクロウくんに便利な魔法道具をあげましょう」
そう云って彼女が取り出したのは、短冊ほどの大きさの長方形をした紙切れで、何やら規則性のある不可解な文字が並んでいた。
「それは?」
「まま、これを持って。次に私が明かりの魔法使うのをよーく見てて」
彼女は腰につけていたタクトを取り出して、クロウの目の前で見せつけるように呪文を詠唱した。
「光系術式[ザ・ライト]」
彼女が唱えると、杖の先に光の玉が発生する。初歩の魔法である。
「じゃあクロウくんも今みたいに、イメージしてやってみて」
「むう……」
なんとなく目をつむって、指先に摘んだ紙に意識を集中させた。
そして、
「──光れ」
彼がそう唱えて、目を開けると──紙が、[ザ・ライト]と同じ程度に光っているようであった。
「これは……」
「これこそ、我がクリアエ魔法協会で開発された──いや、開発したのは一人なんだけどね、ほぼ無補給かつ使用者の魔力に依存しないで使える魔法の道具、失われた付与魔術の一端。[術符]ってやつだって」
「凄いな、うむ。凄い」
クロウはしきりに頷いて[光源符]を点けたり消したりしていた。
符に描かれた魔術文字、それを描いた特殊な魔墨があたかも静電気や重力で動作する回路のように、超省エネで魔法を発動しているのだ。
この世界で闇夜の光源となるものは幾つかある。
原始的な──というかクロウでも使える常識的な手段である、松明や提灯などを使う方法。
もう一つはアタリが行ったような光の魔法を棒やランタンなどに宿して貰う方法。効果は術者次第で数時間のバラ付きがある。
傭兵に出る魔法使いは少ないと前に述べたが、魔法使いの絶対数は少ないわけではない。ちょっと珍しい免許と云った程度の普及率で、役場にも居るぐらいだ。
余談だが戦場でなくとも襲われて高価な杖を奪われるのではないかと云う心配は、魔法協会にその魔法使いが所属していた場合犯人に徹底した報復を行うという脅しから平時ではあまり行われない。
他にも細々と、旅神の秘跡や発光生物を利用したもの、機神の国が特許を取っている他では解析不能のバッテリー式懐中電灯などがあるが、この[術符]はメジャーな明かりに食い込む新たな道具である。
「己れでも使えるというのが素晴らしいな。というか普通に欲しい。個人的にも、部隊の装備にも」
「じゃあその子と直接交渉してみればー? いやね、作ったはいいんだけどその子あんまり欲の無いというか自我が薄いというか。ともかく、すごい発明はするんだけど下手な相手に奪われたら嫌だなーと思って。お人好しのクロウくんなら色々助けになってくれるだろーから」
「あー……」
くねくねと動きながらほんわかした顔で云うアタリに、クロウは頬を掻いて苦笑した。
「相変わらず、アタリさんもお人好しなんだな」
「おいおい、この酔いどれおねーさんがお人好しとはこっ恥ずかしい」
「……そういうことにしておこう」
「あー嫌だね。悟ったような顔しちゃって。私に首筋噛まれてあたふたしてた頃が懐かすぃー」
遠い目をしながら酒瓶を逆さにして、中から薄い赤色の液体を口に流し込んで「うい」と口元を拭った。
久しぶりに会って思ったが、再会した彼女はふらふらとしていて顔こそだらしなく緩めていたが。
酒の匂いはしなかった。
酒瓶からこぼれた液体からは、茶の匂いがしている。詰め替えて飲んでいるのだろう。
「ともかく、一回その子に会って話をすることだねー。ま、どこかクロウくんに似てる気がするから案外気は合うかも」
「そうだな。アポを取って於いてくれるか? ええと、名前はなんと云うんだ?」
「うん、その子はね───」
アタリはいつも一人で居る、寂しくも悲しくもなさそうな。面白くもつまらなくもなさそうな。そんな少女を、紹介した。
「クルアハって名前だよ」
******
ある日の事である。
寝耳に水だったがクロウに結婚披露宴の案内が届いてきた。
「む? アタリさん結婚するのか」
写真も同封されていてツーショットが写っている。
相手の男は──男というか、首から下はスーツ姿だが上は大蛇のようであった。
完全に蛇ではなく若干人間気味になっているが、まあ怪奇蛇男と思えば間違いはない。彼女と同族の、蛇人種族の男だ。
「ふむ……幸せそうならいいことだな。参加します、と」
参加に丸を付けてクロウは返信を出すのであった。
当日。
婚姻の教会───婚活天使ゼクシリンの加護を司る教会である──にて、アタリと夫となる蛇男の結婚式が開かれていた。
魔法協会、ジグエンやスフィなどの傭兵仲間、蛇人種族の親戚一同。
他にも酒屋の主人や魔法学校の教員──アタリは臨時教員もしていたらしい──近所の人やら飲み仲間など、彼女らしい広い人脈が集まって祝福していた。
彼女はいつも通りへらへらと笑いながら手を振り、楽しそうにしている。
夫の方も真面目な銀行員であるらしくスーツ姿が決まっていてしっかりとした態度であった。
羽目を外さない程度の宴になり、思い出話に花が咲いている。
正装をしたクロウの隣にいる司祭服のスフィがぽつりと呟いた。
「クローは……」
「うん?」
「その……アタリと仲が良かったじゃろう?」
彼女の、少し言い淀むような声音を聞いてクロウは苦笑しながらスフィの頭を撫でた。
「己れはダスティン・ホフマンになんてならないだろうよ」
「だす……?」
「あー、いや。まあそうだな。アタリさんが幸せになるのが一番だ。色々世話になったしな」
そう云って、楽しそうに笑っている赤毛の彼女を見遣った。
会場の隅で菓子を凄い勢いで食べているクルアハに絡んでいて、無表情な彼女だが困ったように周りを見回し、ふとクロウと目線があった。
仕方なさそうにクロウは助け舟に向かうのであった……。
「……私も、アタリがようやく結婚して……安心しとるんじゃよ」
スフィがどこか寂しそうにそう呟いたが、クロウは意味を測れずに首を傾げた。
*****
次にクロウが彼女に会いに行ったのは、その夫の葬式であった。
僅か数年の結婚生活であった。
死因は老衰──つまりは寿命であるという。
アタリには娘が居て、蛇人の成長は早いので既に物心が付いているようで喪服姿で母親の側に佇んでいた。
「……この度は」
「どうもありがと」
アタリは静かに頭を下げて、クロウは棺に入れられた死人に花を添えに行く。
亡夫の顔は殆ど大蛇のようなので老化しているようには判別が付かなかった。
葬式の場で隣に居たスフィにクロウはそれを云うと、彼女はクロウの顔を見上げてなんとも云えない表情をした。
後悔か、絶望に似た顔であった。
そして。
クロウの年齢が四十も過ぎた頃であった。
今度は、アタリが死の淵に居るとスフィから連絡を受けて彼女の自宅に駆けつけた。
部屋には彼女の娘のバレットとスフィが居て、アタリはベッドで寝転がっていた。
「やっほい、クロウくん」
軽く彼女は手を上げて返事をするが、その手は力がこもらずに布団に落ちた。
その顔は出会った頃と殆ど変わらず、妙齢の女性のままである。
クロウはこの世界に来て十年以上経過して徐々に老いているのだが、アタリは変わらない。
彼はそれをおかしいとは思わなかった。
何せスフィもエルフで長命だから少女のままなのである。旅に出た後も何度か顔を出したオーク神父やイートゥエもそうだ。アタリもそういうものなのだろうと思っていた。
思い出される。
(アタリさんの夫は……殆ど変わらない見た目で老衰していた)
スフィが、気まずそうに云う。
「すまぬ、クロー。常識を教えるなどと意気込んでいて、仲間の種族のことも詳しくは教えていなかったのう。あの時、気づいたが伝えることが……できなんだ」
「スフィ。アタリさんは……」
「蛇人種族は、ある程度体が大きくなったら毎年脱皮をすることで老化しなくなる。だがしかし、その寿命は……平均して四十年ぐらいなのじゃよ」
クロウは、力の抜けたアタリの手を取った。
続けて聞こえるスフィの言葉が耳に入る。
「アタリはこれでも長生きをした方なのじゃ。出会った頃、酒に溺れていた頃。あの時もう三十も後半じゃったからのう」
魔法使いは傭兵として戦場に出ない。
蛇人種族は酒に強くあまり酔わない。
そんな彼女が、戦場に出て酔っ払う程酒を食らっていたのは。
「自暴自棄になってた、からねー」
アタリから悪戯に失敗した子供のような声が漏れた。
「もうすぐ死ぬならどうでもいいやって。何で他の人は生きれて私は死ぬんだろうって。そんなことを思っていたら、死ぬかもしれない場所で相手を殺す仕事をしててさ」
「アタリさん」
「でも、ジグエンさんに拾われて、皆と毎日馬鹿やって、コンビネーションの大勝利をして。そして平穏が訪れてさ、私でも幸せになれるかなって、努力してみた。生き遅れだったけど生き遅れ同士の旦那と結婚したりして。子供もできたよ」
だから、と彼女は笑ってクロウの肩を叩いた。
「そんな悲しそうにするない。私の一生は不幸せなんかじゃなかったぞ。クロウくんとかスフィとか、友達が居てくれたお陰でこうして大往生できるんだから大したものだよ」
娘の頭を軽く撫でる。
彼女は静かに目を潤ませていた。
「バレット……ごめんね。自分の人生を、寿命を大事にね」
「だい、じょうぶだよ。お母さん」
「ふう……」
アタリは息をついて、全身の力が一層抜けたのを感じた。
眠気が徐々にやってくる。目覚めぬ眠りだが、覚めない夢ではない。魂はいずれどこかで巡り、再び出会えると云われている。
だから後は、残される人が幸せになれるように。
「人は誰でも幸せの星を見出すんだってさ。諦めそうになったら夜空でも見上げてそれを探して。自分は幸せになるぞって胸を張って生きて。それで駄目だったら笑って誤魔化せよ、私の大好きな人達よ」
「っ……色々邪険にしてすまなんだ、私も、お主が大好きじゃったよ」
「……これまでありがとうな、アタリさん。良い旅路を」
「お母さん……頑張る、から」
彼女はもう一度息を吐く。
視界が暗い。もう夜だっただろうか。布団に入ったのは何時だっただろうか。
(まあ、彼女の光で夕暮れでも出かけられるようになったからいいか)
ゆっくりと手を伸ばして、囁いた。
「魂の行く先を……お願い、クルアハ」
「……わかった。お休み、[アタリ]」
静かに声が聞こえて、彼女はその一生を終えた……。
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それから。
クロウはアタリの言葉で色々考えた末に、今の仕事を辞めて元の世界に帰る方法を探すことにした。
どこに居るのかが幸せかわからなかったが。
とりあえず探そうと、そう決めた。
やがて旅路の果てに、再び元の街で暮らすことにした。
諦めたというより幸せの星は探さずとも、見えているものを自分が見ていなかっただけなのだと気づいたからだ。
ともあれ新たに暮らすのに、仕事を探していたら声がかけられた。
「あの、もし」
「うむ?」
求人誌の年齢欄に顔を顰めながら、公園でクルアハが作ってくれた弁当を食べるというなんとも自分でやっていて物悲しい雰囲気に浸っている初老のクロウは顔を上げた。
目の前には魔法使いの格好をした蛇女が覗きこんでいる。
赤毛をした面影の残る彼女は、
「む、お主ひょっとして、アタリさんの娘の……」
「ええ、そうです。バレットです。奇遇ですね、クロウさん。何をしてらしたんですか?」
「いやな、老後の資金を稼げる仕事を探そうと……」
「あら、それでしたら……」
そうして。
クリアエ魔法学校の校長であったバレットの紹介により、クロウはそこで働くことになるのであった。
それがまた新たな出会いとなり──物語は始まりを迎えるのである。
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江戸、六天流道場にて。
「───なんとなくアタリさんの事を最近思い出したところだったのだが……」
九郎が持っている串には蛇行して焼かれた、開きにされているマムシが刺されていた。
隣に居る石燕が噛み締めて顔を顰めつつも嬉しそうな声を出す。
「うはあ、これはなんとも強烈に臭いね! いかん、子興! 酒だ酒!」
「もう師匠ったら何杯飲むんですよう」
「山椒味噌を付けて焼いたがまるで臭みは取れていない。ええい、次は大蒜を塗りこむぞ!」
対面に座っている晃之介はむしゃむしゃと皮を剥いたマムシの塩焼きを食べている。
げんなりとしながら九郎は尋ねる。
「よくこんな生臭いものを食えるな」
「蛇は野外では食いやすい方だからな。新鮮だから大丈夫だ」
「野生だのう……」
この日は六天流道場の近くの農家から、マムシが大量に出たと云うので晃之介が駆除を行ったのである。
それで殺してそれだけでは勿体無いので食べることにして、九郎を呼んだのであった。
酒の魚に蛇というのも乙と思った石燕も付いてきたのだが、
「いやあ、今昔物語集には蛇の干物を魚と偽って侍に売りつけていた老婆の話があるが、どうやってこの臭みを抜いたのか知りたいね」
「完全に開いて川底につけ込んだら結構大丈夫になる。今、お七に取りに行かせているから石燕殿はそれを食うといい」
「ううむ、強烈な個性の調味料があればいけると思うのだがね……こう華麗な調味粉を!」
味の評価をしている二人に目線を剥けずに、九郎はなんとなく蛇の尻尾をじっと見てため息をついた。
「なんというか、先に蛇を知っていたからアタリさんを初見で驚いて。今度はアタリさんを知ってるから蛇が食いづらくなるとはのう……」
道場の窓から夜空を見上げて、幸せの星でも光っていないかと探しながら九郎は蛇の串焼きを齧るのであった……。




