20:黒の魔力
最近はなにかと物騒──アンディのその言葉が示す通り、六年間でこの国の治安は急激に悪化していた。
魔獣や野生の動物たちが凶暴化しており、その被害に遭う人が急激に増えた。作物の育ちが悪くなった。そして、人の諍いも増えた。犯罪も増えた。
この国全体の雰囲気が悪くなっているのは確かだ。
「……最近、険しい顔をしている方をよく見かけるようになったわ」
「そうだね……皇宮内でも小さな諍いが毎日起きている。朝議や重要な議会でも言い争いをし始めることが多くて陛下も頭を抱えておられた。はっきりいって、今のこの事態は異常だ」
「……」
そうだろうな。わたしの目から見てもおかしいと思う。
だけど、今のこの状況はまだマシな方。あと一年もしない内にもっと深刻な事態に陥ることを、わたしはゲームを通じて知っている。
でも、わたしにはこの事態を解決に導けるような対策ができない。これから起こることは知っていても、その対策はわたしにはどう頑張ってもできない。それにわたしはどうしてこの事態が起きているのかを覚えていなかった。
せめて原因がわかれば、すぐに有効な対策は取れなくても、これ以上悪くなることを食い止めるくらいはできるかもしれないのに。
ここぞというときに使えない前世の知識に嫌気がさしてまう。
暗い雰囲気になったわたしたちなんてお構い無しに、ヴァーリックは『腹減った』と主張する。
『主、なんか食い物を貢げ』
「ここにあったお菓子を全部食べちゃったのはリックでしょ。我慢しなさい」
『いやだ! なんで我が我慢しないといけないんだ! 食べ物寄こせ!』
白いコウモリの羽をバタバタさせるヴァーリックに「やめて」と文句を言うと、さらにバタバタさせる。嫌がらせか。本当にこのドラゴンは変なところで子どもっぽい。
そんなわたしたちの様子を「またやっている」というような顔で眺めていたアンディは、ふと気づいた顔をする。
「……ねえ、リック。なんか羽の一部が黒く見えるんだけど、大丈夫なの?」
『なんだって? どこだ?』
ここだよ、とアンディが指さした場所をヴァーリックは見てギョッとした顔をした。
『ヤバい! 汚染されている! 我としたことが……! なんていうことだ……! なあ、主。手袋をしてこの黒いところ毟ってくれよ』
「え?」
いつになく焦った様子のヴァーリックにわたしは戸惑いながら、お菓子を食べるために外していた手袋をはめ直す。そして、ヴァーリックの黒くなった場所を思いっきり毟った。
『ぎゃああああ! いってえええ!』
「痛いの?」
『痛いに決まっているだろ! 人間で言うと、爪を剥がされたくらい痛い』
「ひっ……それは……痛い……」
想像しただけで痛い。
毟ったものを見ると、白銀の鱗になっており、かすかに血が着いていた。
うわあ……痛そう……。
『いてぇ……でも助かったぜ、主。これで汚染されずに済むはずた。その鱗と持った手袋は灰も残らないように燃やしてくれ』
「さっきから汚染って言っているけれど……なんのこと?」
『あぁ? 本当に人間って鈍感だなぁ』
ドラゴンの王族(本人いわく王子らしい)であるせいかどうかはわからないけれど、たまにこうしてヴァーリックは人間をバカにする。
それはドラゴンに比べたら人間は小さくて弱い生き物ですけどね、ドラゴンにはない文化があるんだよ。弱いなりに頑張ってるんだよ、人類は!
そう言ったところで『なにを言っているんだ?』と不思議そうにされる。ヴァーリックには人間をバカにしている自覚はないらしい。それはそうだよね。人間の作る食べ物大好きだもんね。
『我らが【黒い魔力】と呼んでいる悪しき力がある。人間でいう伝染病に近いものだ。それは普段は地下深くに封印されているんだが、稀に溢れて地上に出ることがある。少量ならば自然と消えるのだが、今回はどうにも通常の漏れ方とは違うらしい……鱗の一部といえ、我をも汚染させるくらいだ。相当漏れている』
初めて聞く情報にアンディと顔を見合わせる。
そんなものがあったなんて知らなかった。
アンディの表情から察するに、彼も知らなかったのだろう。
「それに汚染されるとどうなるの?」
『我らのように理性のある生き物は理性がなくなる。最初は怒りっぽくなり、凶暴化する傾向が強い。それだけで終わればいいが……【黒の魔力】大量に浴びた生き物は魔獣化する。もちろん──人間もな』
「なんだって……?」
人間が魔獣化する……? そんな話、聞いたことがな……いや、待って。ゲームで突然魔獣が現れたイベントがあったな。数人の生徒が行方不明になった話で、生徒たちが着てきた制服がズタボロになっていたことから、魔獣に襲われたのだろうということで片付けられていた。
もしかして、現れた魔獣がその行方不明になった生徒たちだったのでは……? そう考えれば魔物が突然現れた説明もつく。ゲームではそういうことも稀にあるんだということで片付けられていたけれど。
わたしは十歳のあの頃、覚えている限りのゲームの知識をメモした。そして、わかったことが一つある。
──エンディングを迎える一歩手前のエピソードの記憶が、すべてのルートで抜け落ちているのだ。




