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10:それはそれ、これはこれ


「てっきり……兄上には嫌われてしまったものだと」


 そう呟いたアンドレアス殿下の声音からは、彼の心情を窺うことはできない。

 顔も俯いていて、横に座るわたしからは見えない。


「よかったですね、誤解だとわかって」

「……」


 アンドレアス殿下は頷かなかった。

 でも、きっと心の中では肯定してくれたと思う。

 わたしは明るく言った。


「では、このままオスカー殿下とは仲良くして──」

「──兄上と仲良くだって? 冗談じゃない!」

「え?」


 おいおい、この流れは兄弟仲良くしましょうエンド一択でしょうが。


「君は兄上のあの訓練の恐ろしさを知らないからそんなことが言えるんだ。僕は五歳のあのとき、何度死ぬかと思ったことか……! ああっ、思い出すだけであの全身の痛みと倦怠感が蘇るようだ……!」


 両腕を抱えて震え出したアンドレアス殿下に、わたしは心底同情した。

 こんなトラウマになるほどキツイんだな……それはそうだろうな。天才肌のオスカー殿下は凡人の感覚がわからない。ましてや五年も前の話で、当時のオスカー殿下にはなおさらだ。


 ここまでトラウマになるなら、もっと前に二人を引き離した方がよかったのでは……という気がしてきた。さっきまでは周りの人ナイス判断! って思っていたけれど、その判断、もう少し早くしてあければよかったのに。


「全身の筋肉が悲鳴をあげているのに、腕立て伏せ、腹筋、背筋、反復横跳び、縄跳びときて水泳までさせられたんだぞ……水泳の最中に足がつって何度溺れかけたことか……! おかげで僕は水が苦手になったんだ!」


 それは苦手になるな……わたしなら苦手どころか嫌いになると思う。


「……ふふっ……もうおしまいだ。またあの日々が始まるんだ……」


 壊れたように笑い出したアンドレアス殿下に「大丈夫ですか?」と尋ねると、すごい目で睨まれた。

 しかし、すぐにニコリと笑う。

 え……なんか、すごく嫌な笑み……。


「……君も道連れだ。ふふっ、兄上に関わった報いだ、ざまをみろ」


 アンドレアス殿下はそんな不吉な言葉を吐いて去って行った。

 なんなの、この兄弟……。



 

 アンドレアス殿下の不吉な言葉の意味がわかったのは、皇子様たちが我が家を訪れてきた日から十日ほど経ってからだった。

 アンドレアス殿下から皇宮に呼び出された。それもなぜか「動きやすい服装で来るように」と書かれていた。


 嫌な予感がしながらも、魔法の練習かもしれないと思って従った。

 アンドレアス殿下からは教師を何人か紹介してもらい、その先生方の授業が始まり出していた。魔法についても前に言っていたから、それだと思った。


 皇宮の指定された場所に行くと、死んだ魚のような目をしたアンドレアス殿下と──ニコニコのオスカー殿下がいた。


「オ、オスカー殿下……? なぜここに……?」

「やあ、我が妹よ! 今日は兄弟仲良く基礎体力作りだ!」

「基礎体力……作り……?」

「そうだ。なにをするにせよ、体力があって悪いことはないからな」


 それはそうだろうけれど、どうして突然?

 困惑してアンドレアス殿下を見ると、ボソボソとわたしにだけわかるくらいの声で言う。


「オスカーは体力作りを一緒することが仲良くなる第一歩だと思っている……騎士団に入ってからさらにその傾向が強くなった。今ではなんとか避けてきたけれど……今回は無理だった……」


 この間、三人で話したことでオスカー殿下は仲良くなれるチャンスだと思ったのかな。だから、体力作りに誘った。


 ……いやいやいや、全然納得できない! わたしがどうして巻き込まれたのかもわからない! 貴族の娘は体力なんて必要ないのに!


「アンドレアスがぜひレベッカも一緒に、と言うものだから、君も誘ったんだ」


 爽やかな笑顔を浮かべるオスカー殿下の言葉に、わたしはアンドレアス殿下を見る。

 アンドレアス殿下は濁った目のまま、ニヤリと笑う。


 おまえがわたしを巻き込んだのか!

 道連れってこのことなの!?


「さあ、張り切ってやろう!」


 元気なオスカー殿下とは対照的に、わたしとアンドレアス殿下は力なく頷く。

 ここまで来てしまったらもうやるしかない……オスカー殿下についていけるかな、わたし。自信はまったくない。


 でも、ここで逃げるわけにはいかない。皇妃になるためにも!


 ──結論から先に言わせてもらおう。

 めっっっっちゃくちゃしんどい!!


 オスカー殿下のトレーニングメニューに付き合った結果、翌日は全身筋肉痛で動けなくなりました。その次の日はマシになったけど、歩くのがつらかった……。


 オスカー殿下との交流(という名のトレーニング)はそれからも続いた。

 しかし、三回目のトレーニングで、わたしはとうとう根をあげた。


 オスカー殿下のトレーニングは日を追うごとに厳しいものになっていった。腹筋100回、腕立て伏せ100回、1時間のマラソン、さらに懸垂やらスクワットやら、トレーニングするたびにメニューは増えていく。

 正直、十歳の子どもがやるような内容じゃないと思う。普通の子なら初日で号泣だよ。というか、大人でも泣くよ。


「も、もう無理です……これ以上はできません」


 半泣きになりながら言ったわたしに、オスカー殿下は不思議そうに首を傾げた。

 隣にいるアンドレアス殿下は死んだ魚のような目をしたまま、黙々とトレーニングをこなしている。


「この前はできていたじゃないか」

「この前はできても、今日は無理なんです……」

「私にはよくわからないなあ」


 ちょっと休んでいいよ、オスカー殿下は言う。

 休んでいいのはちょっとだけなの? 家に帰らせほしい、切実に。


「アンドレアスはちゃんとできているのに、なんでレベッカはできないんだろうなあ?」


 オスカー殿下はただ思ったことを言っただけなのだと思う。でも、その言葉はわたしの──正確に言えば前世のわたしの気を逆撫でるものだった。


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