あたしのヒーロー
「車が壊れちゃったのかな? どれ、俺に見せてよ?」
ニヤニヤした声でそう言いながら、深水さんが暗闇の中、近づいてくる。
あたしは急いで車のドアを開け、中に逃げ込もうとしたところを後ろから抱きつかれた。
叫んだけど、周りには何もない。
通りかかった車が一瞬スピードを緩めたけど、痴話喧嘩だとでも思ったのか、走り去っていった。
そうだ! 110番を──
スマートフォンを掲げ、その番号を押そうとした手を後ろから掴まれた。
「Siri! 110番して!」
叫ぶように言ったけど、あたしのスマホはアンドロイドだ。SiriってiPhoneじゃないと使えないらしい。Geminiの使い方を勉強しとけばよかった。
「その制服、知ってるぞ。◯◯硝子株式会社だろ?」
あたしがスマホを音声操作するのを邪魔するように、後ろから腰をホールドしながら深水さんが声をかぶせてくる。
「よく知ってるから、いつでもつきまとえるって思ってたんだ。だから昼間は追いかけなかった。でもこんなところで偶然出会えるなんて、やっぱり運命なんだな」
凄い力で、無理やりスマートフォンを奪われてしまった。
あらん限りの甲高い大声で悲鳴をあげた。
声が虚しく秋空の満月に吸い込まれていった。
「好きなんだ、あいねちゃん!」
耳元に息を吹きかけながら、深水さんが言った。
「あんなサイトで自分を売り出してたんだ。君も相当好きなんだろ?」
そうだ! ロードサービスを呼んである!
でも、到着は30分ぐらいかかると言っていた……。
逃げようとしても、男の力でホールドされてたら、逃げられない。
時間を稼ぐんだ!
「深水さん……」
涙目で、あたしは落ち着いたふりをして、笑ってみせた。
「深水さんって、いつもあんなふうに、『アイオク!』を利用してらっしゃるんですか?」
そして彼のことも落ち着かせようと、穏やかな表情を作って、振り向いた。
「そんなことどうでもいいだろ」
感情を感じさせない冷たい目があたしを捕らえていた。
「楽しもうぜ」
体ごと引っ張られた。
抵抗するあたしをものともせず、深水さんがコルベットにあたしを詰め込もうとする。
遠くから黄色い回転灯がやって来るのが見えた。
来た!
来てくれた! ロードサービスの車だ! 早かった!
ロードサービスの車があたしのフィアットの前にゆっくり停まったのを見ると、深水さんがチッと舌打ちをした。
「お待たせしました。……あれ?」
車から降りてきたおじさんが、薄明かりの中にあたしの顔を認め、穏やかな声で言った。
「……あいねさん?」
本城さん──
本城さんだ!
あたしの頭の中の彼は相当に美化されてると思ってた。
でも、現実の彼は、あたしが美化したはずの姿より、もっとカッコよかった。
青と黄色のロードサービスの作業服がヒーロースーツに見えた。




