助けて!
「この間はひどかったじゃないか?」
深水さんがニタァ〜と笑う。
「俺は君の愛を買ったんだよ?」
あたしは後ずさりながら、言葉を浴びせた。
「き……、規約を読んでないんですか? あんなことをしたら、もう取引は停止なんですよ!?」
「じゃ、五万円返せよ」
「あれは慰謝料としていただきますっ!」
「じゃあ……」
長いその腕が伸びてきた。
「今から付き合え」
『アイオク!』の通報ダイヤルは使えなかった。
あれは落札されてから取引停止までの間しか使えないのだ。
あたしは変態男に背中を向けると、駆け出した。
人混みをかき分け、必死で逃げた。
思わず口から叫び声が出た。
「本城さん! 助けて!」
でもこんなところに偶然彼がいるわけがない。
秋空に大声が響いて、周りのひとたちがびっくりして振り向いただけだった。
必死で走って、逃げた。
人のまばらな広場のようなところへ出た。
後ろを見ると、意外なことに、深水さんは追いかけて来ていなかった。
「よかった……」
荒い呼吸を収めると、車のところへ戻り、乗り込んだ。
エンジンをかける時にキョロキョロと見回してみたが、不審者の姿はどこにもなくなっていた。
= = = =
そのまま車を走らせた。
二つ隣の、本城さんの住む町へ──
あたしは彼のアパートを知っている。
秋の日はなんとやら──着いた時にはもう夜になっていた。
近くに路上駐車して、彼のアパートまで歩いた。
二階の部屋は、灯りが消えていた。
仕事中なのかな……。
でも、土曜日だし……
どこかに出かけてるのか……。
鉄の階段を音を立てずに、静かに上がった。
呼び鈴のボタンに指を当てたけど、押せなかった。
なんか……
これって……
あたし、ストーカーとかいうやつみたいじゃない!?
ぶるぶるぶると頭を振ると、上がったばかりの階段をまた下りた。
あたし、おかしくなってるのかもしれない。
頭の中の本城さんは、もうかなりカッコよくなっている。
たぶん、今、実物に会ったら幻滅するかもしれないぐらい。
やめよう、こんなこと……
彼に迷惑をかけるだけだ……
すっかり暗くなった国道を帰った。
郊外を走りながら、感じていた。
自分のアパートの部屋に帰るのが寂しい。
今までは仕事や休日を終えた平凡な充実感しかなかったのに……
「ペットでも飼おうかなぁ……」
運転しながら、ひとり呟いた。
「フェレットとか、よく懐くっていうし……あれ?」
突然、車のエンジン回転がぎゅーんと上がり、それに対してアクセルを踏んでもスピードが上がらなくなった。
「こ、故障……?」
落ち着いて道路脇の広いところに停車した。
もう一台、赤いコルベットが先に停まってたけど、その前にお邪魔した。
エンジンを一度切って、再始動してみた。コンピューターの異常ならこれで直ると聞いたことがある。
エンジンがかからなかった……。
ふぅ、と溜め息を吐くと、小物入れから保険証券を取り出す。これにロードサービスの電話番号が書いてあったはずだ。
現在位置を聞かれて、どう答えたらいいのかわからなかった。辺りは真っ暗で、目印になるようなものも……
電話を繋げたまま、外へ出た。
振り返ると案内標識が見えた。その向こうに『学習塾』という名前のラブホテルも見える。
それを伝えると、なんとかわかってくれたようだった。
電話を切り、ふぅとまた溜め息を吐くと、後ろに停まっていたコルベットのドアが、開いた。
「偶然だね」
そう言いながら現れた男の顔は見えなかったけど、すぐにわかった。
「これって運命なのかな?」
深水さんだった!




