恋ってなんだ?
「怖かった……! 怖かったよ……!」
ぬいぐるみだらけの一咲先輩のマンションの部屋で、ピンク色のふかふかソファーに座る彼女の小さい胸に、あたしは抱きついた。
「よしよし」
安心できるてのひらが、あたしのバカな頭を撫でてくれる。
「怖かったね、初めて見たんだね、チンアナゴ」
一咲先輩の着てるピンクのタオル地の部屋着に、あたしは顔を埋めた。
お互い会社の制服を脱いでも、あたしは彼女に対して丁寧語を使う。いくら彼女がひとつ年下でも。入社したのはあたしのほうが二年遅いし。
何より一咲先輩は頼れるひとなのだ。
色々と経験豊富で、精神年齢ではどう見ても彼女のほうが上だ。
あたしが社内でも仕事が出来るほうになったのは、一咲先輩について育ったからだ。彼女が男性だったら間違いなく恋してたと思う。
「もう、やめたほうがいいと思うよ? 『アイオク!』……」
いつものように、一咲先輩がアドバイスをくれる。
「自分が勧めといてこう言うのも何だけど……紗絵ちゃんには向いてないと思う。怖い目に遭っちゃったし、何より四日目の豹変が出来るとは思えない、かわいい妹キャラの紗絵ちゃんには……」
「じつは……あたしもやめようって、思ってました」
正直に打ち明けた。
「うんうん、それがいいよ」
一咲先輩がぎゅっと抱きしめてくれた。
「あたしが言った通りだったでしょ? 男なんて、女のこと、家政婦か肉人形ぐらいにしか見てないんだから」
──『いいよ、そんなの。なんか家政婦みたいなことやらせてるみたいで、悪いよ』
そんなことを言ったひとの、暖かい声が頭に蘇った。
ぎゅっとしてくれる一咲先輩の胸は、柔らかい。
これが固くて広い胸だったら……
頭を撫でてくれる手が、太くて温かい指をしてたら……
「一咲先輩……」
あたしは聞いた。
「一咲先輩は男嫌いなの?」
「べつにそういうわけじゃないけど……」
ぽんぽんとあたしの頭を優しく叩きながら、一咲先輩がくすっと笑う。
「自分の恋には興味がないなぁ。……他人の恋バナは面白いけどね」
「恋したこと、ないんですか?」
「うん、ない。あたしは仕事が恋人だから」
「恋って、どんな気持ちなんだろう」
「えっ?」
「あたしも……思ったら恋したことって、なかった。せいぜい芸能人に熱をあげたことがあったくらい。中学の時、付き合ったひとはいるけど、あれが恋だったのかどうか……」
「うーん……」
笑いを帯びた一咲先輩の声が、言った。
「あたし、一応、これが恋なのかな? って思いは、したことがあるけどね」
「あるんだ?」
がばっと顔を起こして、先輩と目を合わせて聞いた。
「どんな感じだった?」
「入社したばかりの頃にいた上司だったんだけどねー」
懐かしそうな目をしながら、一咲先輩が話す。
「頭の中がそのひとでいっぱいになっちゃって、仕事が手につかないから、忘れよう、忘れようとしてたよ。そのひと奥さんいたし……。そのうち転勤していったから、まぁ、忘れられたね」
「そ、そうだったんだ……」
バリキャリの一咲先輩も女の子なんだって思ったら、なんか抱きしめたくなって、抱きしめた。
「恋って、したいと思ってできるもんじゃないからねー」
苦しそうに「うっ」と声を漏らしながら、一咲先輩がしみじみ言った。
「あっちからやって来る感じ。しかも『なんでこんなのに?』って思うような相手に恋しちゃうんだよねー……」
それを聞きながら、あたしは思った。
『なんでこんなのに?』って思うような相手に、か……。
うーん……
でも、あんな深水さんに恋することは、ないと思うな……。




