別れ
シルクのような暗闇の中、車の揺れと静けさが心地よかった。
仕事を終えて、いつものアパートの部屋に帰って自分のベッドで眠るよりも、なぜだか断然、気持ちいい。
とても質のよい睡眠だった。
疲れがぜんぶ吹っ飛んでいくような……
「着きましたよ」
そんな声に、はっとして目を開けた。
車は停まっていた。
あたしは助手席で──
「やだ……っ! あたし……、寝てました?」
本城さんがクスクスと笑う。
「とても気持ちよさそうだったから、起こすのもかわいそうでしたよ。お仕事で疲れてらっしゃるんですよね」
まだ寝ぼけている頭で記憶を辿った。
あれからまた冒険者のように来た山道を戻り、吊り橋をクリアし、紅葉の色をいちいち愛でながら、車に戻った時にはクタクタになっていたのだった。
本城さんに送ってもらう駅名を伝えて──それから後の記憶がない。
駅はあたしのアパートから離れたところをわざと指定していた。
つきまとわれないように……
「じゃあ、ここでお別れですね」
エンジンを停めた静かな車内で、本城さんが言った。
「ありがとうございました」
あたしはそう言って、ぺこりと頭を下げた。
嫌われる努力をすることもなく解放してもらえたことに、心から感謝していた。
「楽しかった」
本城さんが幸せそうに笑う。
「この三日間のことは、大切な思い出にします」
あたしも楽しかった、心から──
でもそれは口には出さず、ただうなずいた。
「それじゃ、失礼します」
そう言って、あたしは車のドアに手をかけた。
「うん。ありがとう、本当に」
あたしはドアをなかなか開けずに、待った。
自分でも、何を待っているのか、わからないまま──
不思議そうな顔を本城さんがした。
「どうしたの?」と言いたそうな顔で、あたしを見る。
でも、その目はあたしを見ながら、あたしを見ていなかった。何かどうでもいいものを見るようなその目の奥に、大切な思い出を見るような色が漂っていた。
引き止めてくれないんだ──
そう悟ったら、あたしはあっさりとドアを開けていた。
「さようなら」
笑顔であたしが言うと、
「うん、ありがとう」
またそう言って、本城さんが笑い、あたしに手を振った。
さようなら、これでもう、会うことはない、永遠に──そんな感じで、あっさりと手を振られた。
あたしが降りると同時に、車のエンジンがかかる音が響いた。
走り去る車の後ろ姿を見送った。
しばらくそこに立ったままだった。
ふと気がついた。今日、『愛してます』を一回も言わなかった……。
でも問題ないとすぐに思った。大丈夫な気がした。
大体、もう、返品され済みだし──
そうだ、早く次の出品に取りかからなくちゃ──そう考えたら、ようやく体が振り返り、駅のほうへ歩きだした。
あたしは恋する気分が欲しくて『アイオク!』をはじめたんだから、早くそんな気持ちにさせてくれるひとに巡り合わなくちゃ!
そう考えるのと同時に、昼間見た本城さんの、鮮やかな紅葉の下の笑顔が、頭の中に蘇った。
「あっはっは……」
一人で笑い声をあげるあたしを通行人が不思議そうに見て通った。
いやいや……。あんなおじさんに恋するわけがないんだから。
早く恋する気持ちをくれるひとに落札してもらわなきゃ!
そのために始めた『アイオク!』なんだから……。
あんな20歳も年上のおじさんじゃなくて、素敵なイケメンに落札してもらうんだからっ!




