マルはアーシュの夢を見る7
「でもアーシュ様、正直なところ、どうしてマリスにこだわるんです? 確かによい所ですが、魔法を使え、剣も使え、たくさんの人のために働ける力のあるアーシュ様には、確かにちょっと似つかわしくない場所のような気がするんです」
そう正直に話したのはティナだ。言っていることはフィンダリアと同じなのだが、ティナが言うとなんとなく怒れない。
「そうね、どうしてかな」
アーシュは窓に歩み寄ると、そこから外を眺めた。
「あのね、行ったこともないし、そもそもあるかどうかも知らないのだけどね、私の故郷はね、魔法のない、誰も剣ももたないような国だったような気がするの。そしてきっと春になるとこうして一面に黄色い花の咲いているような。そして桜が咲いていたらもっといいんだけどな」
「さくら?」
「ううん、それは気にしないで。だからね、なんだかこの町がとてもなつかしくて、住みやすいの。それにね、私、海のそばに住むって決めてるから」
「アーシュ……」
セロが今度はちゃんとアーシュの背中に手を回した。
「だから、引っ越すとしても、ノールかな。フィンダリアの中央になんて行かない。それにね」
アーシュはティナのほうを優しく見た。
「私がどんな力があっても、それは私がしたいように使うものなの。もう、十分人のために尽くしたと思う。そして、私はマリスの人たちのためならきっとその力を使うでしょう。でもね、力があるからやってもらって当然と思う人たちのためになんて、ほんのひとかけらでも使いたくないの。そう決めたの。たった今」
ほら、だからアーシュを怒らせてはいけないのに。
「俺もさ、自分が思う通りにしか商売をしたくないんだ。大陸中を駆け回っているのは、それが楽しくて、人のためになるからさ。狭間を通すために頑張ったのは、それがやりがいのあることだと思ったからだ。だからね、誰かに商売を強制されたくはないな」
ダンも立ち上がると、アーシュの隣で窓の外を眺めながらそう言った。その視線の先には、苦々しい顔の領主を先頭に、フィンダリアの中央からの使者が丘を登ってきていた。
「もう今年の秋からは、流通はもとに戻るだろう。俺は海路を拓いて、この一年間でしっかり元は取った。そして次の船をもう作り始めている。この仕事は他の船に任せてもいいし、どこに行ったって必ずアーシュのもとに戻るからいいんだ、アーシュがどこにいても」
セロはアーシュの腰に回した手に力を入れた。
私はもう、アーシュやセロ、ダンのようにどこに行っても自由という立場ではない。だが。
「アーシュ、セロ、ダン。友が羽ばたいてくれるなら、マルとウィルは帰る場所になる。いつでも戻ってきていい。そして羽ばたいた先に、きっとマルたちも訪れるから」
「マルったら。かっこいいんだから、もう」
アーシュがぎゅっと抱き着いてきた。いい匂い。
「この人たちだけで一つの国ができるくらいなのに。オーランド様はそれをわかっていらっしゃる。でも、フィンダリアはそのことをわかっているのかなあ」
ティナのつぶやきはノックの音に紛れてしまった。
「女将さん、なんだか領主さまがお偉そうな人を連れて下に来ているんですが」
雇っている近所の女性が少し慌てたようにアーシュを呼びに来た。
「そうね、下の食堂に案内しておいてくれる?」
「領主さまだと、応接室のほうがいいんじゃないですか?」
「領主さまは食堂も気楽だと言ってよくいらっしゃるもの。いいの、宿のお客じゃないんだから」
アーシュはそう答えると、私を見て、行くわねという顔をして、部屋を出た。セロもその後ろをついていく。ちょっと犬みたいだ。
「マル、ちょっと会わないうちにセロにずいぶん厳しくなったな」
「ダンも見てたはず。セロが勝手してた時、アーシュがどんなに辛そうだったか」
「まあな。けどな、アーシュに振られたかと思ってセロが苦しんでいた時のことを思うと、まあお互い様かなって俺は思うからなあ」
「それはセロの自業自得」
ダンは私の言葉にクスっと笑うと、すぐに立ち上がった。
「さて、それでは俺たちも行きますか」
「下に?」
「そう。いざという時のためにさ。あと面白そうだし」
「行く」
私はダンと連れ立って一階に下りて行った。食堂をのぞくと、アーシュの前に領主、そのほかに二人の男性が座っていた。後ろのほうにいるのはお付きの人だろうか。そのまま台所に移動すると、さっきの女性とセロがお茶の用意をしていた。
「俺たちも手伝うよ」
「なんだよ、野次馬か?」
「そんなとこ」
セロがお茶を、そして私とダンが菓子類を持ち、食堂へと運ぶ。お手伝いのおばさんは自分が行かずにすんでほっとしているようだ。
「それで領主様、今日はどうしたんですか?」
アーシュがちょうど話し始めたところだった。間に合ったようだ。
「あー、こちら中央からの、あー、使者というか」
私は直接は会ったことはなかったが、ダンやセロから話は聞いて知っている。マリスの領主は頑固だが賢明。先見の明があるからダンの石鹸工場を建て、セロの船を寄港させ、アーシュを受け入れているのだと。何を言いづらそうにしているのか。
「使者というかではなく、使者です。私はエルドアン」
「私はアヤズと申します」
「二人とも伯爵家の長男で、いずれは家を継ぐ者たちだ。今は中央で文官をやっていると聞いている」
使者だという人は二人とも20代前半の若い男だった。
「アーシュと申します。ここで宿屋を開いております」
アーシュは軽く頭を下げ、二人をいぶかしそうに見つめた。見つめられた二人は心なしかぼうっとアーシュを見つめているようだ。
「美しい……」
ほらね。
「失礼します」
そこにさりげなくセロが割り込み、静かにお茶を並べていく。ナッシュでアーシュの手伝いをした時から、売り子も店員もお手の物なのである。さらに私とダンも手分けして食べ物をどんどん並べていく。しかし、私たちのことは目に入っていない。それをあきれたように領主が見ている。
私達は用意をすませると、食堂の端に控えた。というか、端っこのテーブルに堂々と座っているのだが。
「それで、今日はどのような」
アーシュがもう一度繰り返す。
「ええ、我らは中央からの使者として来ました」
それはもう聞いたという顔をアーシュはしている。
「アーシュ殿が、フーブの町で貢献されたことは中央でも評価が高く、だからこそ急にフーブの町を出られたということで、その行方は中央でも気にかけていたのですが」
エルドアンと名乗ったものはそこで領主を責めるように見た。なんで知らせなかったのかということだろう。
「最近まで、こちらにいらっしゃるということを我々も知らぬままでした」
「はあ」
アーシュはそれがどうしたという顔をしている。
「フーブの町の件が落ち着いたら、いずれフィンダリアの中央にお招きしようという話になっていたのです」
アーシュはついに黙り込んだ。
「何しろ帝国の病を救った聖女ですし、帝国に派遣していた医師たちからも、アーシュ殿がフィンダリアにいるのならば、ぜひ改めて学びたいという申し出もありました」
「そうですか」
「聞けばマリスでは何かの活動をしているということもないごようす。宿屋を続けたければ土地も建物も中央にお好きなように用意いたします。ぜひフィンダリアの中央においで願いたいとのお誘いに参りました」
ダンに聞いた通りだ。こんな良い条件はないだろうという顔でにこにこしている使者に、アーシュは顔色も変えずにこう言った。
「お断りします」
明日、もう一話投稿です!
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