マルはアーシュの夢を見る5
外から見るとそれほど大きいようには見えなかったが、総二階建ての宿は実はかなり広かった。入ってすぐに広い玄関があり、受付と二階に上がる階段がある。廊下の向こうは多分風呂だろう。右手には上下がない、両開きのドアがあり、玄関に入るとすぐ室内が見える。広い食堂になっているようだ。
「ああ、なんとなく子羊館の牧師館のような感じがする」
「ダンがね、そんなふうに設計してくれたの。奥の方には居住スペースがあるし、屋根裏にはわらを敷いて眠れるようにしてあるんだよ。まだ使ったことはないんだけど」
「ほんと? 懐かしい」
「今日だけ屋根裏で寝てみようか。どうせいつかは寝心地を確かめようと思ってたんだし」
「そうしよう!」
「でも、とりあえず部屋を決めちゃおうか」
そう言ってアーシュは二階に案内してくれた。階段を上がると、広く場所を取ってあって、窓のそばにソファとテーブルが置いてある、ちょっとした憩いの場所になっている。そこを取り囲むように、部屋がいくつあるだろうか。
「なんやかんやで、6部屋くらいかしら」
「少なくない?」
「一つは続き部屋なの。ほら、ここ、入ってみて?」
階段から一番近い部屋のドアを開けると、広い居間になっていて、ここにもソファーとテーブルのセットがしつらえてある。部屋の中にはさらに3つドアがあった。
「一つは寝室とクローゼット、一つはちいさめの寝室、もう一つはほらね」
「部屋にお風呂とトイレをつけたんだ!」
夫婦の寝室、それに子供か使用人用の小さい部屋、そして風呂とトイレ。
「高級志向の宿なんだ」
「そう。私たち、もう十分働いたでしょ? フーブでは、たくさん人が泊まれるように、居心地がよくて効率のいい宿屋をたくさん作って、その利益はちゃんと今でも受け取ってるからね」
アーシュは続き部屋の居間のソファにぽすっと座り込んで、隣をぽんぽんと叩いた。護衛は別の部屋に案内されていたし、お付きのティナは部屋のあちこちを警戒しつつ、嬉しそうに見て回っている。
私はアーシュの隣にやっぱりぽすっと座り込んだ。
「正直、もう働かなくてもいいの。この宿を建ててもお金はぜんぜん余ってる」
「そう言えばそうだ。マルも稼いだお金全然使ってないから、すごく余ってる」
「だから、メリルの子羊館のような、だけど少しだけの人数で、ちょっと贅沢に過ごせるような宿を建ててみたいと思ったの。こんなふうに、マルやダンが来てくれても困らないように」
「うん。懐かしくて、居心地がいい」
私はアーシュの隣でソファに沈み込んでふうっと息を吐いた。メリルでも、それからその後だってこんなに贅沢なソファに座ったことなんてなかったから、懐かしいっていうのは少しおかしいかもしれない。でも目の前をティナがうろうろして雰囲気を台無しにしていても、アーシュがこうやって整えてくれた部屋だから、きっと居心地がいいのだと思う。
「じゃあ、今は宿屋はやっていないの?」
「ううん、なんていうか、頼まれれば泊める、って感じかな。一人だけ近所の人を雇って、お掃除とかしてもらってる」
「やってないんじゃなくて、やれてないってちゃんと言ったらいいんだよ」
勝手にドアを開けて、セロが入ってきた。手には大きめのかごを抱えている。それをドン、とテーブルの上に置いて、中身を出し始めた。
「これ、クッキーだろ、ケーキ、それから、サンド。さっきフライ食べたけど、まだ食べられるだろ。護衛の人を呼んでも部屋に入りきるな。俺がガガ入れてやるよ」
「セロが?」
「宿屋の旦那だぜ。なんでもできないとな。アーシュよりはまずい。これは確かだけど」
「おいしいほうがいい」
「マルはいいからアーシュと話してろよ」
「うん」
やがてそれぞれの部屋に落ち着いていた護衛が集まってきた。テーブルと椅子を足して、簡単なお昼が始まった。
「セロ」
「ん、なんだ?」
「宿屋、やれてないってどういうこと」
「ああ」
セロはアーシュをちらりと見た。アーシュは仕方がないという顔で笑っているだけだ。
「ほんとはさ、アーシュはこの丘の下の土地も買ってて、そこに一般向けの宿屋を作ろうとしてたんだよ、こことは別に」
「フーブのような?」
「そう。だってここ、ダンが石鹸の工場も作ってるだろ。その関係で、人も少し増えているし、宿が足りないのが現状なんだよ。だから領主も宿屋には乗り気で、だからここの子羊館はすぐに建てられたんだけどな」
セロが肩をすくめる
「ま、その時俺はいなくて、全部ダンとアーシュが手配したことなんだけど」
情けなさそうだがちょっといい気味な気もする。
「石鹸って、高級品だから、取引する商人には個々の宿屋も人気なんだけど、これから安価な庶民用の石鹸も作るとなると、安い宿屋も必要だろ? フーブのように、中央に食堂があって、必要に応じて増やしていけるような。でも、フィンダリアからストップがかかってさ」
「え、なんで」
だって、そもそもフーブに宿屋を作るように依頼してきたのはフィンダリアではないか。なぜ今になってストップがかかる?
「アレは非常事態だったからって。事態が落ち着いた今、国境ならともかく、フィンダリアの国内で大きく活動してほしくない、ってことだろうな」
「そんな勝手な」
口を挟んできたのはティナだ。
「アーシュさんの噂はキリクにも届いています。って言うか、そもそもアーシュさんの伝えてくれた魔物料理とオートミールで、あの非常事態をキリクは生き延びたんです。狭間を開通してくれたのもアーシュさんだって、キリクの人ならみんな知っています。伝説の人ですよ、伝説の。なんでキリクに来てくれなかったんですか」
「まあ、そんな」
アーシュは苦笑しているが、護衛はみんな頷いている。まったく、帝国でだって、病の治療法を確立した救国の聖女と呼ばれているのに、本人に自覚がなくて困る。
「そんな人が屋台で魚のフライを売っていてびっくりしましたよ。アレはおいしかったですね。このサンドもクッキーも、もぐもぐ、おいしいですけど」
ティナはこんな人だっただろうか。おいしいご飯で気が緩んではいないか。
「やだな、マル様。マル様は話しかけてもあんまり返事をしてくれないから話が続かないだけで、こうして反応があれば私はいくらでも話しますよ」
こんな人だったようだ。放っておこう。
「でも、マル、ちょうどいい時に来たね。フィンダリアの中央に商売に出てたダンがそろそろ戻って来そうなの。そしたらセロもダンもまた船で出かけちゃうから、そのタイミングだったら会えなかったもの」
正直なところ、アーシュに会えさえすればいいのだが。うっかりセロのほうを見たら、目が笑っていた。わかってるって? それはそれで癪なのだ。
次は明日日曜日更新です。来週いっぱいまで、土、日は「この手の中を、守りたい」、月、木は「転生幼女」水曜日は「ぶらり旅」、金曜日は「異世界で癒し手」を更新しています。
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