マルはアーシュの夢を見る3
マリスに行くには、普通に馬を走らせて陸回りで行くと、国境まで二週間、そこから三日間。普通に馬を走らせて、といったのは、セロのおかげで海路と言う選択肢もできたからだ。しかし、船はまだセロ所有の一つのみ。しかも、ノール回りでも馬で行くのと日数は変わらない。しかも、セロの船がいつ回ってくるかわからない。
ということで、今のところ陸路一択と言うことになる。それに、今はセロには頼りたくない。
キリクでも中央から南に位置する地域には、セロの船の恩恵はあまりない。しかし、キリクの北端のノールの近くで、直接農作物や加工品を帝国やフィンダリアに輸出したいと思う者にはこれから重要になっていくに違いない。
遠くに行きたかっただけのセロにとってはそれはどうせついでで、そういう商売の戦略はたぶん、ダンやアーシュが考えているんじゃないのかなという気がする。アーシュは、「こうしたほうがいい」と言うことはあまりないけれど、アーシュと一緒にいるだけで、どうしたら売れるのか、どうしたら効率がよくなるのかはいつも考えさせられるから。
きっと、
「マリスの娘さんは、海沿いで風が強いから、かわいいストールとかが流行るんじゃないかなあ」
なんてアーシュが言ってるのをセロが聞いて、それを何気なくダンに話して、ダンがすぐに帝国で仕入れて、次のセロの船便にちゃっかり乗せちゃうとか、それで、マリスで染色して、フィンダリアに流行らせちゃうとか、そんなことがありそうだ。
あれ、なんだろう、周りの人がチラチラこっちを見てる。私の容姿はキリクでは目立たないから、そんなに見られることないのに。あ、オーランドがこっちに歩いてきた。なんとなく楽しそうだ。
「マル」
「オーランド、どうしたの? 楽しそう」
「マルこそ、気づいていないんだね、まったく」
オーランドはやれやれと肩をすくめた。
「さっきからずっと楽しそうな顔をしているからさ。マルはかわいいから、笑ってると目立つんだよ」
「そんなことない」
私はそう言いながらも両手で顔を触ってみた。笑ってたかな? わからない。
「やっぱりちょっと悔しいな。アーシュに会いに行くって思うだけでそんなに嬉しそうで」
「比べても仕方ない。アーシュはアーシュ、オーランドはオーランド」
「まあね」
そうして、オーランドから外出の許可が出てから一週間で準備は済んだ。何の準備かって? キリクの王子の婚約者が、フィンダリアのマリスに非公式で行きますよと言う政治的調整なんだそうだ。
「マルのこともそうだけど、アーシュについてもフィンダリアは神経をとがらせているからね」
「どういうこと?」
フィンダリアにとってみたら、突然の狭間の崩落にもかかわらず、魔物の氾濫を抑え、フーブの町を立て直し、工事関係者の面倒をみるため宿を立ち上げ、混乱を抑えた立役者ではないか。アーシュがいなければ、まあ私たちも含めてではあるが、フーブの町はおそらく全滅していただろうし、狭間は下手をするとあと数年は開通しなかっただろう。
キリクにとっては命の恩人であるが、フィンダリアにとっても重要人物であるべきで、神経をとがらすというのはどういうことか。まるで危険人物のような言い方ではないか。
「危険なんだよ、アーシュは」
「なんで! アーシュほどやさしくていい子はいないよ! マルだったらまずフーブの町だって他人事のように見捨ててたと思う」
「おそらく、フーブの町の件については誰もが見捨てたと思うよ。見捨てはしないにしても、対策に時間がかかって結局は町は全滅していただろう。だからこそ」
オーランドは真剣な顔で続けた。
「無償でそれをできること。そして実際に成功させたこと。その後もいろいろなことを成功させたこと。それなのに褒賞もねだらずに、一田舎に引っ込んで静かに暮らしていること。これらのすべてが疑心暗鬼につながっているんだよ」
「そんな」
「まして帝国の皇弟とは個人的な知り合いで爵位もち、今回の立役者はすべてアーシュのことを慕っている。フィンダリアにしてみれば身内に爆弾を抱えているような気持ちだろうね」
馬鹿なことを。アーシュはいつも優しい人だった。だからこそ、利用しようと思わずに、好きなように動かせてくれれば、その場所によいものを残す、おとぎ話の幸運の妖精のような人なのに。
「だからさ、フィンダリアの疑心暗鬼を増すようなことをしないようにした方がいいっていう、政治的判断だよ」
「ありがとう、オーランド」
私にとってそういう判断はとても難しい。
「もしアーシュがマリスで居心地が悪そうだったら、キリクに連れて帰る」
「それキリクにとっては幸運だね」
「あと、セロがまだヘタレてたら、やっぱりアーシュは連れて帰ってくる」
「うーん、セロか。仕事はできるやつなんだがなあ」
オーランドは何とも言えない顔で苦笑いした。私はふん、と気合を入れた。むしろセロはヘタレていていい。それなら連れて帰ってこれるから。
準備が整うと私は少数の供を連れただけですぐに出発した。もちろんアーシュにはあらかじめ手紙を出してある。自分と供の者を、しばらくマリスの子羊館に泊めてほしいと。さすがに雑魚寝部屋はないだろうけれど、フーブで作った宿屋のように、簡素で居心地がいいに違いない。
後はマリスはニーナの花の油が有名になってきているから、アーシュがきっとおいしい食べ物を開発しているだろう。
「マル様、本当に毎日楽しそうですね」
一緒に食事の支度をしながら、お付きの女の子がそう話しかけてきた。
「自分ではわからない。でも、アーシュと会うのが楽しみ」
「私も楽しみです。一度だけお見かけしたことがあるんです。あれはマル様がオーランド様と婚約を決めた時のことです」
お付きの子はティナと言うのだけれど、私の身の回りの雑事を担当するとともに、剣も習っている。つまり、侍女兼護衛の修行中、といったところだ。
「そりゃあマル様も、ウィル様も美しかったけれど、アーシュ様ともうおひとりの銀髪の方と、見たことのない色合いがそれはもう夢のようで……」
剣の素質はあるし、やる気もあるのだが、若干夢見がちなのがたまに傷だ。
「アーシュは実際もそれは美しくて優しい子だけれど、セロにはがっかりするから夢はもたないほうがいい」
「ええ? マル様は厳しすぎますよう」
それを他の供の者が笑って見ている。私の他にティナと三人。全部で五人の旅だ。いくら人数を増やしたところで、本当に襲う気なら意味がない。私の気持ちの負担にならないためにはこのくらいでいい。
疲れてしまわないように、急がず、日程通り、フーブまで二週間。ギルドのようすを見たり、領主に引き止められたりして数日滞在する羽目になったが、ジュストがギルド長をしている割にはうまく回っていたと言っておこう。
そこからは、街道沿いをマリスへと向かう。街道を馬で進んでいると、フィンダリアの人たちが珍しそうに振り返っていく。キリクの人が外に出ていくことはまだ珍しい。それが五人も、しかも女性が二人もいるのだから。
アーシュやセロやダンと一緒に出歩き、好奇心を向けられた時とはまた違った気持ちになった。あの時私の故郷は確かにメリダだった。メリダの冒険者のマルだ。だが、今は、見かけも中身も違和感なくキリクのマルだ。それはさみしいようなくすぐったいような不思議な感覚だった。
そうしてようやっとマリスに着いた。私はこれで二度目になるが、供の者は珍しそうにニーナの花が咲いているのを眺めていた。ティナに至っては明らかに感動していた。しかし私はそれどころではなかった。アーシュは! 子羊館はどこだ!
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