アーシュ16歳9の月 残される者
そうして何かを抱えたまま旅立ったセロを見送ると、私はなんだか胸がざわざわとしていても立ってもいられない気がした。
みんなでフィンダリアに来たかった。いろいろなところに行きたいという自分の思いももちろんあったけれど、どこに行っても満たされることのないセロが求める何かが、フィンダリアにはあるかと思っていたのだ。
もちろん、それはマリスにあるかもしれないし、ここフーブではないフィンダリアのどこかにあるかもしれない。フィンダリアにはなくて、南西諸島にあるのかもしれない。
ウィルはもう自分の行く先を見ている。マルも大事な人を見つけた。それなのに、一番初めからお互いを一番大事に思っていた私とセロは、大事だということだけはわかっていても、先を見られないでいる。
生きるために、いろいろなことをやってきた。どれもおもしろかった。宿屋をやって、いろいろな人を居心地良くさせる。子羊亭や屋台を広げて、人々においしいものを提供する。帝国に残って、病に力を尽くす。冒険者として活躍する。どれをやってもよかった。どれもやらなくてもよかった。
それなのについにこの終着点であるフィンダリアに来て、私はまだ迷っている。
私はもやもやとした気持ちを振り払うように、町の中を足早に歩いた。そんな私に、
「アーシュ、野菜をアズーレのところにお願い!」
「アーシュ、珍しく魚の干物が入ったぞ?」
「アーシュ、時間があったら帝国のさ、あのかっこいい皇弟さまの話を聞かせておくれよ」
と次々と声がかかる。魔物を倒すだけでなく、アズーレさんを手伝ったり、町長の屋敷を整えたりしているうちに、町の人とはすっかり顔なじみになっていた。
アズーレさんあての荷物を受け取り、つい足を止めてみんなと話していたら、兵舎から呼び出しが来た。
「アーシュ、狭間で働く人のための宿舎について相談があるって」
魔物が町にいた時、はじめに兵舎から飛び出た若い兵士さんが伝令だ。ダンジョンにも通っているし、すっかり頼もしくなった。
「なあ、あんたのうるさい婚約者、出かけたのか?」
「うん、マリスに行くんだって」
「そうか、あのな」
兵士は言いにくそうに鼻の頭をかいた。何か兵舎で噂になっているのかな。
「ありがとう。でも本人から聞くよ」
「そうか、それがいいな。それとな、あ」
アズーレさんのところに寄って、野菜を置いたらすぐに兵舎だ。あ、という声に兵舎を見たら、兵舎の入り口にはそわそわした若い兵がたくさんいた。その一人が大きな声で叫んだ。
「なあ、あんたの婚約者、帝国に行っちゃうんだってなあ!」
「バカ、俺が気を遣ったってのに!」
隣で若い兵が舌打ちした。帝国へ。そうか、そういうことか。
「なあ!」
「やめろよ!」
隣の兵が止めたにもかかわらず、兵舎の兵はまた大きな声を上げた。
「ならさ、俺と付き合ってくれよ!」
何でセロが帝国に行ったらあなたと付き合わなければならないのか。私はあぜんとした。しかし、
「俺も!」
「俺も立候補します!」
「お願いします!」
と大騒ぎになった。
「何をやっている、お前ら!」
ついに副官が出て来た。
「だってアーシュの婚約者がいなくなるからチャンスだって聞いて」
誰だ、そんな噂を流したのは。
「確かにアーシュはかわいらしいお嬢さんだ」
いきなり副官がそういうものだから、私は驚いた。
「しかしな、お前たちも見ていただろう。ダンジョンの魔物もぶっ飛ばす、ものすごい魔法師様なんだぞ」
「知ってるって!」
兵たちは止まらない。
「それにな、病を治した聖女様だ」
「それも知ってるさ!」
副官はごほんと咳払いした。
「それに、帝国では侯爵だぞ?」
「わかってるよ!」
兵たちは叫んだ。
「だけどさ、狭間が開通するまでここにいてくれるんだろ。その間婚約者はどこぞにいっちまう。そしたら、ここでずっと暮らしたっていいじゃねえか」
「聖女様なら、ここで病を治したらいいさ」
「侯爵だって、治めなきゃなんねえ領地はねえだろ」
ええ? 何を言っているんだろう。
「しかしお前たち、よくあの男に対抗してこんなことしようと思ったよな……。俺なら怖くてできないぞ」
副官も、何を言ってるんだろう。
「だから奴のいない隙にこうやって告白してんだよ」
「卑怯だろ」
思わず言った副官だったが、
「俺たちはなあ」
兵たちがまた声を張り上げた。
「兵舎に閉じこもって出てこなかった一番みっともない姿をもうアーシュには見せちまってんだよ。それでもバカにしないで戦うすべを教えてくれたアーシュが好きだ!」
「俺は優しいところが好きです!」
「かわいいところが好きだ!」
「「「付き合ってください」」」
ええ?
「ごめんなさい」
私はとりあえず頭を下げ、兵たちは崩れ落ちた。
「こいつらは仕事中にまったくもう……」
副官は天を仰ぎ、すぐにこう叫んだ。
「これ以上アーシュにみっともないところを見せるな! 働け!」
「「「はいー」」」
伝令に来た若い兵士も、苦笑しながら一緒に戻って行った。
「すまないな、アーシュ、なんだか急にそんな噂が流れてな。あんなに牽制してた奴が帝国に行っちまうって、これはチャンスだって誰かが言いだして、こんな騒ぎだ」
「はあ」
「なあ、アーシュ」
副官とは忙しくてそれほど話したこともなかったと思う。だからこんなふうに話しているのは少し不思議な感じだ。兵舎の廊下を歩きながら副官はこんなことを言う。
「この狭間での出来事の、ほんとに最初の最初からあんたはいてくれた。戦う強さだけじゃない。アズーレやヒュレムへの態度も、町の人や兵への気遣いも、みんなちゃんと見てるんだ。強くったってあんな風来坊より、誰かフィンダリアの奴と一緒になってここに落ち着いてくれないかって、みんな思ってるんだよ」
そういわれてもなあ。
「ユスフ様じゃ年下すぎもしないだろ?」
「ユスフ様ってそんな勝手に」
自分の国の王族になんてことを言うのだ。
「待て、それなら帝国貴族に先に権利がある」
「アレク……」
アレクに言う権利はないと思う。セロがいなくなるのに絶対この人がかかわりがあるんだから。私はちょっとアレクをにらみつけた。
「アーシュ、そんな目で見るな。悪いとは思ってるんだ」
「わかってるの。キリクのためなんでしょ? セロにしかできないことだから」
そんなこと、今までの話を総合したらすぐわかるもの。
「だから、私はアレクにも、フィンダリアの人にも怒ってないよ」
「なら何でそんな顔をしている」
そんな顔? 私は自分の顔に両手をあててみた。怒っているのかな、私。ぽつり、と言葉が出て来た。
「フィンダリアの兵士でさえ、好きだからそばにいてほしいって言えるのに、何でそんなことさえ言えない人が、私の婚約者なんだろうって、ただそう思ったら……」
「アーシュ」
アレクが私に手を伸ばそうとして、その手を落とした。ぽたりと、兵舎の床にしずくが一つ落ちた。
「ただ胸がしめつけられるような、そんな気持ちがしたの」
「だから言ったのに。バカ野郎が……」
アレクのつぶやきも、兵舎の床に落ちた。




