アーシュ16歳9の月 ヒュレムの強さ
さて、帰って来たアズーレさんの宿屋はてんやわんやだった。
さもあらん。自分を通すジュストさんに、自分のことしか考えない鉱山技師たち。もめるかもなあと思ってはいたのだ。でも私たちの思うもめ事とは少し違っていた。
食堂のテーブルでお茶を飲んでいるジュストさんに、技師たちがまとわりついている。ジュストさんは無表情だ。
「アーシュ、困ったわ。私がお客さんに迷惑ですって言っても、あの新しく来た人たち聞かなくって。冒険者だって知ったとたんにこの状況なの」
アズーレさんがおろおろしている。
私はてっきりもめるならジュストさんがわがままを通した結果だと思っていた。
「なあ、明日午前中、ちょっとでいいんだ」
「ダンジョンで護衛をしてもらうだけなんだ。ほんの一階だけでいいから」
「壁を削ったりしたらダメだってちゃんと聞いたんでな、ほら、地面に落ちている石を拾うだけでも。そう言えば地面を掘り返すのもダメだろうか」
「地面はいいんじゃないか。壁ではないしな」
技師たちはわいわいと騒いでいる。ジュストさんは一口お茶を飲んでこう言った。
「アーシュ、おやつはないかな」
「ん? サラ、ドーナツなら作り置きのやつが少しあったよね」
「あるよ。用意して来るね。あの、ジュストさん」
「なんだい、サラ」
「お部屋にお持ちしましょうか」
サラが少し遠慮がちにそう言う。
「大丈夫だよ。そんなことしてたら、この小さい宿屋じゃ手が回らないだろう。でもありがとう」
「いえ」
サラは少しニッコリすると、急いで台所に消えた。私は驚いた。ジュストさんが気を遣っている。
「アーシュ、失礼なこと考えてただろ」
「い、いえ、そんなことないですよ?」
目が泳いだかもしれない。
「なあ、知り合いなら君からも言ってくれないか、俺たちの護衛にって。だって、あの青年、冒険者は二週間じゃ来ないって嘘をついたじゃないか。現にここにいるし。同じ山脈でも、ダンジョンの中がどうなっているか見ることができたら、ここに来たのも無駄じゃないってことになるだろ」
「無駄?」
私は聞きとがめた。
「だって無駄だっただろう。役に立つわけでもないし」
「そうですね、ほんとに役に立たないですね」
私の言葉に宿屋に沈黙が落ちた。
「や、役にたたないとは言ったが、それは私たちにやることがないというだけで」
何かを自分たちからする気はなくても、批判されるのはいやらしい。
「やることがないんだったら、今日は静かに休んで、明日早くに帰った方がいいですよ」
私は優しく言ってあげた。
「そうそう、その冒険者は二日かかるところから二週間かけて来たんじゃなくて、帝都から二週間かけてやってきたんです。ダンジョンが新しくできて大変だからと、自分たちの利益を捨ててまでもね。そして明日から、フィンダリアの国のためにダンジョンで働こうとしているんです」
そうしてニッコリと笑ってみせた。ほんとは単におもしろいからなんだろうけど、そこまで言う必要はない。
「そして、今日着いて明日すぐにダンジョンで魔物を狩ろうとしているの。あなたたちの好奇心に付き合っている暇はないと思いますよ」
技師たちもさすがにぐうの音も出ないようだ。と思ったら、
「しかし、私たちは領主様の要請でわざわざ来ているのだ。こんなぼろい宿屋にとまらせるとは……」
とぶつぶつ言っている。アズーレさんが下を向いた。
「ごめんね、おじちゃんたち。ここ、宿屋はやってなかったんだよ」
そこにヒュレムが通りかかった。根菜の籠を抱えている。夕食のお手伝いなのだろう。
「宿屋じゃなかったのか?」
技師たちはあちこち見渡した。
「宿屋だったんだよ。でも三年前に父ちゃんが死んでから、一回やめたんだ。でも、魔物が出てきて、その退治のためにいっぱい人が来たでしょ。だから宿屋復活でがんばってるんだ」
「そ、そうか」
ヒュレムはニコニコしている。宿屋が復活して、アズーレさんが元気なのがうれしいのだろう。
「おじちゃんたち暇なの? じゃあ、俺が魔物の来た日のこと話してあげるよ。聞きたいでしょ?」
魔物の話は男ならだれでも聞きたいよね? そうきらきらするヒュレムの気持ちを断り切れなかったようだ。
「あ、ああ、聞きたいな」
ついにそう答えていた。
「じゃあ、野菜おいたら俺、お茶持ってくるからさ、座って待っててくれよ」
「わかった」
男たちは台所に消えたヒュレムを見送ると、一斉に食堂のテーブルについた。
「アズーレさん、ヒュレム頼りになるね」
「ほんとに。私、ご飯の支度してきます」
「あ、私も一緒にヒュレムとサラの手伝いをします」
台所に行くと、サラがドーナツのお皿を見て悩んでいた。
「ジュストさんとレイさんにだけ持っていったら不公平よねえ。でも、ちょっとあの人たちには持って行きたくないの。どうしよう」
「なんでさ。持って行ってあげなよ」
ヒュレムが不思議そうにそう言った。
「サラ、持って行ってあげていいよ。ちょっとおとなしくなったから」
「そう? そうよね」
サラはほっとしたように笑った。意地悪に向いていない人もいるのだ。
「山盛りでもいいよ」
「それはだめよ。夕ご飯が入らなくなっちゃう」
あら。それもそうか。
「あ、ヒュレム、私お茶のポット持つよ」
「ありがとう。俺、カップな」
台所でそんな会話をしている時、食堂は沈黙が支配していた。ジュストさんがお茶を飲む。そのジュストさんとレイさんに、技師たちは気まずそうに言った。
「あの、すまなかった。真面目に働きに来ている人に、あんな」
ジュストさんはカップを置くと、
「まあ、ヒュレムの話を聞いてみよう。どうやら、魔物が通りにあふれて、外に出られず、飢え死に寸前だったらしいからな」
と言った。いつの間に話を聞いていたのか。
「魔物が」
「あんたたちには現実のものとは思えないのだろう。見たことがないとな。だが想像してみろ。二メートルを超えるオーガ。四足の魔物たち。それがすぐそこの窓やドアの外を歩き回っていたのだぞ」
こうして椅子に座り、ここの家の人の目線で見ると何もかも違って見える。窓から魔物が。ぞっとして背筋が寒くなる。
「それを越えての今の平和だ。お前たちがぬくぬくと自分の町で様子見していた間の出来事だ」
技師たちはなんと言っていいかわからなかった。こうだとは思わなかったのだ。飢えていたなどと。魔物が本当に町にいたなどとは。
「さ、おじちゃんたち、お茶とおやつだよ!」
「ジュストさん、レイさん、お茶のお代わりを持って来ましたよ」
テーブルにお茶とおやつがどん、と並んだ。
「ドーナツって言うんだよ。サラが作ったんだ」
「私たちもいいのかね」
いつの間にか謙虚になっていた。
「もちろんです。おいしいですよ」
サラが笑顔で答えた。技師たちも、ジュストさんとレイさんもドーナツをしげしげ眺めると、ぱくっと口に入れた。ドーナツを食べる時って、真ん中の穴をのぞいちゃうのはなぜだろうね。
「うまい……」
「はい、お茶も飲んで」
「おお、口の中で溶けて行く」
幸せそうにお茶とドーナツを楽しむ面々に、ヒュレムは意気込んで話し始めた。
「魔物が町にあふれたところは聞いたかい? じゃあ、俺はウィルとセロとアーシュとマルとケナンが来たところから始めるよ?」
登場人物多すぎでしょ。私はそっと抜け出した。宿屋の手伝いをするかわいい娘さん、そのイメージのままでいいと思うから。
「ね、アーシュ!」
「この娘さんがか!」
はい、一瞬の夢でした。ジュストさんがクスッと笑った。ああ、忙しくてもこんな穏やかな日が続くに違いない、そう思っていたのに。




