アーシュ16歳9の月 これからのこと
「ここが宿屋かい?」
確かに宿屋の体裁だが、やや古びた感じの外観にジュストさんはいぶかしげにそう言った。
「正確には元宿屋です。三年ほど前にご主人が亡くなってからは宿を閉めていたんですが、今回の件でいろいろあって、好意で泊めてくれているんです」
「へえ、じゃあちょっと無理してくれてるってことだね」
「はい、それに」
私は声を小さくした。
「今のうちに少しでも稼いでくれたらいいなって。ここの家の子が助けてくれなかったら、フィンダリアへの信頼をまるごとなくすところでしたし」
「その時の話はぜひ聞きたいところだけどね。食事はどうなの?」
「食材さえあれば、料理上手ですよ」
「ならいい。あとは寝る所さえあれば」
「はい、入りましょう、あ」
「アーシュ!」
ヒュレムがドアを開けて飛びついて来た。
「俺見たよ、アーシュ、皇弟って人とも知り合いなんだね、すごいや!」
「偶然ね、知り合ったの。今日のお手伝いは?」
「終わりだよ! 今日は町長の屋敷に行かないの?」
「どうしようかな。そうだヒュレム、前話してた新しいお客さんが来たよ」
「ベッドの用意はバッチリさ!」
私はジュストさんとレイさんのほうに振り向いて紹介した。
「この二人よ。ジュストさんとレイさん。すっごい強い魔法師と剣士なんだよ」
「ウィルやセロより?」
「うん」
私は苦笑して頷いた。この子は街の中で私たちが戦っているところを見ているのだ。ウィルやセロより強いって、どれだけ強いのかと、ヒュレムの目が素直に輝いた。
「やあ、君は……」
「ヒュレムだよ!」
「ヒュレム、中に案内してくれるかい」
「うん!」
入り口で三人を見送ると私は急いで兵舎に移動した。今後の方針が決まるんだもの、ぜひその場にいないと。
休む間もなく、話し合いはすでに始まっていた。とりあえず現状報告の途中だったようだ。兵舎の副官が相変わらず目の下に隈を作りながら、それでも簡潔に説明しているところにそっと忍びこんだ。
人が代わってウィルがダンジョンの説明に入る。二階まで探索したこと、通常のダンジョンと変わらないようすで、ただし今のところそれほど魔物は多くないというところまでだ。
さらにダンが町の経済状況を説明し、
「アーシュ、宿泊施設は」
おっと私にも仕事が回ってきた。
「兵は基本的に兵舎を、それと客用に前の町長の屋敷を整えてあります。先ほど案内してきましたが、数人は民間の宿屋に。それから雑魚寝でよければ、町長の屋敷の使用人用の小屋を整えてあります」
「ほう、雑魚寝」
アレクが食いついたが、それは後で。
「現状ではギリギリ大丈夫ですが、これから狭間の工事が始まるとすれば、冬に向けて宿泊所が足りません。またそのための人手も、フーブの町の人手はとても足りないと思われます」
「それは物資も同じです」
ダンも同時に声を上げた。
「ダンジョンは落ち着きさえすれば必要な人数は決まってきます。でも、工事の規模によっては、特に食の必要数は大幅に変わります。どこから手配するか早急に考えないと」
「ふーむ、問題はすでに魔物ではなく、狭間をどう開通させるかにあるのか」
アレクがうなるように言った。私は、フィンダリア側がいる中で聞くのもどうかと思ったが、
「あの、キリクとは何らかの形で連絡が取れていますか。それと帝国内での影響は出ていますか」
と尋ねてみた。
「まったく連絡はとれていない。狭間が崩れてからまだ三週間もたっていないし、私が言われているのも状況把握のみである。おそらくフィンダリア側もそうであろう」
アレクがフィンダリア側に目をやると、同意の頷きが帰って来た。
「キリクからの輸入は、主に魔石と革製品、馬の飼料、金属とその加工品だ。革製品はそもそも高級品なので値上がり程度で済むだろうが、金属の不足も困るうえ、今年の冬の馬の飼料不足も深刻だ。何より魔石だろう」
そう言うアレクは、マッケニーさんを見た。
「もう少し早く現状がわかっていればメリダからの魔石の輸入を増やすこともできたが、すでに定期便はメリダに出た後だった。ということは帝国内のダンジョンから産出される魔石で当分賄わなければならないが、ギルドが整えられつつあるとはいえ、冒険者の質が劇的に上がっているわけでもない。正直、すぐに不足するだろう」
「病を治すついでの、魔力の補充は」
「まだ十分な数とは言えないし、新品の魔石ほどに魔力を補充できる人の数はまだまだ少なくてな。しかし魔石も金属も必需品ではない。私は正直なところ、この秋の穀物がキリクにとどかないのがもどかしい」
マッケニーさんは帝国とフィンダリア両陣営を交互に見て言った。
「魔物が落ち着いたのなら、早急に狭間の開通を目指していただきたい。そうでないとキリクの民が」
そうして視線を落とした。
「飢える可能性が高い」
事態は思ったより深刻だった。そこにフィンダリア側からロイスが声をあげた。
「し、しかしそれなら事態が深刻なキリク側も当然対策を取っているはずです。確かにダンジョンはフィンダリア側に穴を開けましたが、崩落自体は狭間の先まで続いている。しかも狭間自体はキリクの管理だ。こちらもダンジョンで手一杯なのに、すぐに開通と言われても……」
「なるほど、話によるとダンジョンで手いっぱいなのはメリダの子羊だけのようだが」
マッケニーさんは無表情でそう返した。
「それは……」
ロイスがそれ以上何か言う前に、トントンとノックの音がした。何だろう、重要な話の途中なのに。
「すみません、コサル侯の依頼でと、鉱山技師が来ておりまして」
「なに、やっとか!」
フーブから急げば往復四日。連絡が行くのが多少遅くなったとしても、すでに二週間以上たっていた。待ちに待った鉱山関係者だ。
「ひとまず、課題は狭間だということはわかった。では少しでも先の見通しを立てるために、さっそく技師に見てもらおうではないか」
アレクが立ち上がると、つられるように全員立ち上がり、狭間のところにいるという技師のところに行くことになった。
狭間の崩落した岩のところでは、数人が集まって何かを持って岩を叩いたり、落ちた岩を拾って検分したりしていた。
「お前たち!」
コサル侯が声をかけると、その人たちは振り向いた。40を超えているだろう、がっしりとしたたくましい人たちだ。
「隣町の鉱山技師とはお前たちか。私が依頼を出したコサルだ」
「領主様でしたか」
その人たちは驚いたように言って礼を取った。
「よい。非常時だ。依頼してからずいぶんと時間がかかったものだな」
「はい、具体的な日時は指定されていなかったので。それに同じ山脈沿いだ。ゼストの鉱山も崩落の影響は受けたんです。地盤が大丈夫だと確信するまではこちらに向かうどころではなかった」
コサル侯の問いかけに、代表と思われる人はそう答えた。そう言われたら、納得するしかない。
鉱山技師たちは周りでようすを見ている私たちを一瞬いぶかしげに見たが、すぐにコサル侯に向きなおると、
「それで、我々は何をすればよいのですか」
と聞いた。
「この狭間は再び開通させねばならぬ。そのために何が必要で、どのくらい人数が必要かを見つもってもらいたい」
そう答えるコサル侯に、その技師はこう言った。
「無理ですね」




