アーシュ16歳9の月 聖女らしい
王子様というからには、一番いい部屋に案内しなければならないだろう。となると二階の右側の部屋かな。その前にっと。
「サラ、お湯をたくさん沸かして、暖かいお茶の用意と。それとドーナツ余ってる?」
「お湯はすぐ沸かせる。ドーナツは、種が余っているから揚げたほうが早いと思う。それより、アーシュの糖蜜クッキーのほうがいいんじゃないの?」
「糖蜜クッキーはお貴族様にはどうかなあ」
サラと打ち合わせをしていると、
「何をもたもたしているのだ!」
と声が飛んでくる。うるさいなあ。しかし、
「よい、せかすな。先触れもなく来たのだ。戸惑っているのだろう」
と静かな声がその声の主をたしなめた。
「は、しかし」
「よい。娘よ。兵たちが疲れている。早めに休ませてくれぬか」
直接声をかけて来たのは王子だ。名前はわからないが。
「かしこまりました。では皆さま、二階へどうぞ」
サラは私に目で合図をすると、さっと台所に引っ込んだ。私はぞろぞろと王子一行をひきつれて二階に上がると、まず右側の続き部屋に案内した。
「こちらは当屋敷で一番広い部屋でございます」
「ふむ、狭いな」
当たり前でしょ。人口500人の町長の屋敷に何を期待しているのだ。だいたい私は管理しているだけだし。
「二階の右側には他にも部屋がありますので、お供の方はご自由にお使いください」
私はそう言って、サラの手伝いに戻ろうとした。お茶を配らねばなるまい。おそらくお付きと思われる人が二人、手伝いについてこようとした。ありがたい。
「右側、とな。左側はどうなる」
こうるさい男はどこまでもうるさかった。
「おそらく、他にもお客人がいらっしゃるはずなので左側はあけておいていただきたいのです」
私はそう言った。帝国にも助けを求めていたではないか。他にどこに泊まるところがあるというのだ。
「こちらは王族だぞ。屋敷一つでも足りぬほどなのに、何を言っている」
まだうるさい。
「帝国方面からもお客人がいらっしゃると伺っております。その方々は兵舎にお泊まりでしょうか」
「そ、それは……」
「ロイス、もうよい。お前は本当に……」
「ユスフさま……」
やーい、王子に怒られた。私はそのすきに部屋を出た。
「では、とりあえず屋敷の水回りを案内いたしますので、お湯を運ぶのなどはお願いできますか」
私はお付きの人をお風呂や台所に手早く案内し、兵舎なら人手もあるけれど、この屋敷は基本的には誰もいないので、屋敷を使うのなら、料理人などは自分で手配するようにお願いしておいた。青くなっていたが仕方がない。
「サラ!」
台所はいいにおいでいっぱいだった。
「ドーナツはいっぱいできているわよ。お茶は甘くないものをたくさん入れておいたから」
「ありがとう!」
私は揚げたてのドーナツの大皿とカップをお付きの人に持ってもらい、二階の奥から順番に配っていった。とても感謝された。うるさい男に会いたくなくて、王子の順番は最後になった。
「失礼いたします」
「遅い!」
ほらね? 仕方ない、特別サービスだ。
「お茶はお砂糖は入れますか? それから温かいのと冷たいのと、どちらにしますか」
私はうるさい男を無視して、王子にそう言った。
「冷たいお茶があるのか? それならそれを。砂糖はいらぬ」
「私は熱いのを。砂糖入りで」
私は手早くお茶を冷やして出してあげた。うるさい男には熱いままで。
「うまい……」
「ふん。まあまあだ」
だんだんうるささにも慣れてきた。王子の隠しきれないきらきらした目の前にドーナツを山盛りで置き、お茶のお代わりを託すと私はそっと部屋を出ようとした。後はお付きの人がやるだろう。
「娘よ」
ん? 呼ばれてしげしげと王子を見たが、たぶん王子のほうが年下だ。娘と言われてちょっと照れくさい。しっかり声変わりは終わっているが、でもまだ背は伸びている途中で、ちょうどマルくらいの大きさだ。ダンと同じような、亜麻色の髪にヘーゼルの瞳。
「感謝する」
私はニッコリと笑った。少なくとも、王子は好感が持てる。その時、ドアの外でがやがやと声がした。トントン。
「フートにございます」
「ケナンも参りました」
おお、コサル侯の声だ。まさか来るとは思わなかったが、王族が来たからにはついて来ざるを得なかったのだろう。気の毒に。
「娘よ、ドアを」
はいはい。ガチャリ。
「ロイス、お前は! なぜ勝手に王子をここに連れて来た! 町長の家は人の住めるようなところではないと言ったではないか!」
入るなりコサル侯はこうるさい男に怒りだした。やーい。
「し、しかし兵舎は狭く、ユスフ様をお泊めするようなところではなく。それにどうやら屋敷は最近手入れがされているようだと兵が言っておったので……」
「だからと言って下見もせず! いきなりいなくなるから大騒ぎだったわ!」
「だが実際屋敷はこうして狭いながらも手入れはされていたし……」
狭いは余計だと思う。
「そうだ、娘よ、お茶の追加だ」
うるさい男が偉そうに言いつけて来た。
「娘? なぜこの屋敷に娘など……あ!」
こんにちは。私はうるさい男に見えないように目をぐるりと回して見せた。
「どうぞ、お座りくださいませ」
「いや、しかし」
「どうぞ。ケナンさまも」
しぶしぶ座った二人にも冷たいお茶を入れてあげた。
さ、面倒なことからはさっさと逃げるに限る。私はさっと部屋を出ようとした。
「で、アーシュ、何で君はここにいる」
ケナン……。余計なことを。
「なんでって、お掃除してただけなんだけど」
うっかり普通に喋ってしまい、小うるさい男が目をむいた。
「この娘と知り合いか」
「知り合いも何も」
コサル侯があきれたようにため息をついた。
「ロイス、連絡が行っているだろう。帝国にてかの病を癒したといわれる聖女一行がたまたまダースにいたため、すぐフーブに向かい、魔物を倒してくださっていると」
「もちろん、お会いできるのを楽しみにしていた。黒髪に琥珀の瞳のそれは美しい方だそうだな」
小うるさいがたまにはいいことを言うじゃない。王子がはっと私を見た。小うるさい男は続けた。
「しかも、美しいキリクの姫が二人。お付きの者どもも変わった毛色のそれは見栄えのする若者たちとか。辺境の地だが少しは楽しみができたと」
まあよくしゃべる男だ。それを遮り、ケナンが言った。
「アーシュ、いい加減にスカーフをとれ」
別に、隠していたわけじゃないよ。ケナンとコサル侯は立ち上がり、改めて私に礼をとった。そして王子のほうを振り向き、こう紹介した。
「ユスフ様、こちらが帝国の聖女と呼ばれるアーシュマリア・トニア侯にございます」
「おお!」
王子は立ち上がってこちらに歩いて来ると、私の両手を取って言った。
「先ほどからなんと神秘的な琥珀の瞳かと思っていたところでした。我が国の苦難に共に立ち向かっていただいたこと、心から感謝します」
うーん、非の打ちどころがない。私もこう返した。
「こちらこそ、偶然とはいえお役にたてて何よりでした」
そしてそろそろ手を離そうか。コサル侯がこほんと咳払いした。
「ロイスよ」
小うるさいロイス君はさすがに顔を赤くして困り果てた顔でしどろもどろにこう言った。
「その、娘、いや、アーシュマリア殿、その」
「お茶はおいしかったですか?」
私がそう言うと、小さい声で、
「はい、とても」
と答えた。まあ、悪い人ではないのだろう。ただうるさいだけで。こうして国境の町に、まずはフィンダリア王子一行がやってきたのだった。
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