アーシュ16歳8の月温かい人たち
魔物までギリギリ30メートルだ。ウィルが魔法を撃とうとする。
「ウィル、待って、私が!」
「くっ、任せた」
一体なら、私の魔法のほうが正確だ。私は火の魔法を小さく練り上げて魔物に打ち込んだ。魔物はゆっくりと倒れていく。と同時にみんなで子どものほうに走る。そして子どもを囲んで周りを警戒する。
「どこから来た。すぐ戻れ」
「そこの古い家だよ。兵舎に入りたい人はみんな断られてる。町の人はなんとかなったけど、お兄ちゃんたち町の人じゃないだろ。とりあえず、こっちに!」
さっきの魔物以外、とりあえず見当たらない。私たちはその子どもに案内されて、兵舎からすぐそばの古家に入れてもらえた。
「お母ちゃん、困ってる人いたから連れて来たよ」
「外は危険だって言ったのに……。すみません、こんな古家ですけど、部屋はありますから落ち着くまでどうぞ」
「すみません、お世話になります」
古家と言ったが、おそらくは小さめの宿屋に思えた。もっとも、しばらく営業していないのか母と子ども以外人気はない。入口を警戒する私たちに、その子は、
「魔物はドアの開け方を知らないらしいんだ。人の気配があると建物までは寄って来るけど、ドアが閉まっていれば入って来ない。家にいれば大丈夫だよ」
と言った。頼もしい子だ。私たちはありがたく元は食堂であっただろうところに落ち着いた。カウンターといくつかのテーブルが置いてある。それぞれ場所を確保すると、倒れるように座り込んだ。馬に乗るのも疲れたし、久しぶりの魔物との戦闘も神経を使った。
そんな私たちにお母さんはカップ半分の水を出してくれた。
「これしかなくって。すみません」
水がめの最後の水なのだろう。それでもきれいな水だった。毎日きちんと汲み置きしている証拠だ。私たちはありがたく頂いた。
「水はどうしていますか?」
「普段は町の角ごとに井戸があって、そこから自由に水が汲めるんです。だからあんまりためていなくて。さすがに二日外にでないと水も足りなくなってしまって……」
「貴重な水をありがとうございます」
礼を言う私たちに、子どもが大きな声で言った。
「俺二階からずっと見てたんだ。お兄ちゃんたち、魔物をどんどん倒してた。きっとこれから町を救ってくれる。そうだろ? それまでの我慢だろ?」
その信頼が落ち込んでいる心を温めてくれる。
「少なくとも、ちゃんと救援の声は届いている。俺たちは先行したが、ダースから兵が派遣されて来るからな、あと少しの辛抱だぞ」
ウィルは励ますようにそう言った。子どもはヒュレム、お母さんはアズーレというのだそうだ。前は宿屋をやっていたが、お父さんが病気で亡くなってからは宿をたたんだのだという。体が少し弱いアズーレさんは、縫物などをして家計を支えているのだそうだ。もちろん、俺だって町のあちこちで手伝いをしてるんだぜとヒュレムが胸を張り、アズーレさんがにこにことそれを見ている。私は椅子から立ち上がった。
「まだ魔力は余裕がある。アズーレさん、水がめはどこですか」
「こちらです。台所に。からっぽですよ?」
首をかしげるアズーレさんだった。
「アーシュ、一人でいけるか?」
とウィルに声をかけられたが、
「大丈夫。水筒の水はむしろとっておきたいし」
と答えた。
「足りなかったら言えよ」
「うん」
私は水がめのところに行くと、かめの底に手をかざし、
「水よ」
というと、少しずつ水を出していった。このくらい、たいして魔力も使わない。水がめはすぐにいっぱいになった。
「まあ」
アズーレさんはあっけにとられている。
「メリダから来たので」
私がそう言うと、
「剣と、魔法の……」
アズーレさんの目が柔らかくなった。どうやら、おとぎ話は健在らしい。
「助かりました。明日にはどうしようかと」
「失礼ですが、食材などは……」
「お恥ずかしいですが、それもこの二日で食べつくしてしまいました。でも根菜と干し肉が少しありますから、スープでも作りましょう」
明るく言うアズーレさんに、
「食材は持ってきているんです。夕食は私たちが準備しますから」
「でも」
「大丈夫です」
と答えた。
「さあ、少し座って休んでいてください」
そう言って座るよう促した背中にほとんど肉はついていなかった。体の弱い中、子どもを育てようと必死に働いているのだろう。それなのに急な客にも文句も言わない。
「マル、サラ、あ、サラは留守番だったか。パンは」
「たくさん持ってきた」
「あとは干し肉をたくさん入れたスープにしようか」
疲れたけれども、ゆっくり調理できる環境がある。干し肉を多めにした具だくさんのスープに、持ってきたハムをスライスし、パンも薄く切っていく。パンにはジャムをつけよう。
「お姉ちゃん、これも魔法なの?」
「これは魔法じゃないけど、このかばんは魔法のかばんだからね。いろいろ入っているよ」
ダースの町を出発するまでの準備の時間とは、馬車の収納袋から食料を移す時間のことだった。そうしてみんなで夕食のテーブルを囲む。サラもダンもいないけれど、ケナンがいて、アズーレがいてヒュルムがいる。魔物におびえて荒んだ人もいれば、こうして温かいままの人もいる。
「おいしい!」
「久しぶりです、こんなにおいしい食事は」
母子が一口食べて驚いたように声をあげた。ヒュレムはちょっとあわてて、
「お母ちゃんだって料理上手なんだぜ」
と付け加えた。わかってるよ。
「宿屋の食事はアズーレさんが?」
「ええ、私と主人とで。小さいけれど、兵舎の側ですから、料理のおいしい宿としてけっこうはやっていたんですよ」
「おかげで今日、助かりました」
ウィルがそう頭を下げた。ケナンは端っこでもくもくと料理を食べている。私はおかしくなって声をかけた。
「さ、ヒュレム、この大きいお兄ちゃんが全部食べてしまうよ」
「あ、ずるい」
「何を言う。のんびりおしゃべりなどしているからだ。ほら、このジャムを付けるとうまい」
「ほんとだ!」
そうして夕食は和やかに終わった。
「一人二時間ずつだ。まずアーシュからな」
「ごめん。そうさせて」
使っていないから少しカビ臭いけれども、客室のベッドを借りて休むことができた。魔物は入って来ないというが、念のため、入口の上の二階の窓から、交代で見張りをすることにした。夜に弱い私は途中で起きる自信がないので、一番最初の見張りだ。
ダンジョンはいつも薄明かりが灯っているから、夜昼で魔物の動きに違いはなかったように思う。しかし人間は夜になると活動力が落ちる。だから夜ダンジョンに行くのは自殺行為であるし、泊まりがけの時以外夜のダンジョンがどうなっているのかに興味もなかった。しかし、今窓の外の魔物の動きは鈍い。魔物は歩いてはいるが、昼に比べるとだいぶ鈍い。少し遠くに見えるスライムなどは完全に動きを止めている。
「この夜の間に、使者は馬で駆け抜けたというわけだね」
コサル侯は、どのくらいで兵を動かし始めるか。
「馬車だけでは無理。徒歩の兵士もいるはず。早くても明日の夕方。遅ければ……」
ケナンがいる以上、見捨てられることはない。しかし、遅いことはありうる。
「明日は少なくとも水場を確保して、味方を作って町の人に水を配らないと」
まずは交代まで、しっかり魔物の観察だ。夜をさまよう魔物は、なぜか迷子のように私には思えたのだった。
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