アーシュ16歳8の月相談
ケナンはこぶしを握ってがたっと立ちあがった。
「ケナン」
「しかし」
「抑えよ」
コサル侯はケナンをいさめると、セロに向き合った。
「どうやらアーシュマリア殿のことが気に障ったようだ。申しわけない」
軽く頭を下げる。セロは立ったままだ。私はうつむいて、口元を押さえた。どうしよう。セロがかっこいい。
「なるほど一筋縄ではいかぬ。エルク、どうしたものか」
コサル侯はため息をついてナズのお父さんを見た。そうだ、セロに見とれている場合ではない。
「だからおやめなさいと申したでしょうに」
ナズのお父さんはやっと緊張を緩めた。
「ダン、アーシュ、そしてマル、久しぶりだな」
「「「お久しぶりです。その節はお世話になりました」」」
私たちはにこやかに挨拶した。セロたちも軽く礼をする。その礼儀正しさにコサル侯はわずかに目を見張った。
「君たちは春にもフィンダリアに来た。今度また来たからといって、なんの問題があるのかと思うのだが、どこも中央は頭が固い。面倒だが、君たちがその、脅威ではないとわからせるためにも、ここは監視、いや保護者を受け入れた方がいいと思うが」
わざとだよね、監視って言い方。大丈夫、エルクさんは私たちの側に立ってくれている。
ダンはそれでもおもしろそうな顔をしているウィルと目を合わせ頷き、セロの肩をぽん、と叩くと、改めて話し始めた。
「こちらがどう考え、どう説明してもフィンダリア側としては、若い帝国貴族が国内をうろうろすると困ると、結局はそういうことですよね」
「まあ、そう取ってくれても構わない」
「もし、ですよ。仮にそれを受け入れられないとなったら?」
コサル侯は困ったようにこう言った。
「それは困る。困るが、私の一存では決められないので、一度城に使いを出し、どうするか伺わねばならぬ」
「その間私たちは?」
「まあ、この国境の町に留まってもらうことになる」
「それは困りましたね」
ダンはそれほど困っていないような顔でそう言った。
「ではもし、ですよ、逆に監視、いえ保護者を受け入れるとなった場合、どうなりますか」
「それはもちろんありがたい。先ほど言ったように、宿の手配から必要なものまで全てこちらで引き受け、効率よくフィンダリアを回れるようにしよう」
そして効率よく出て行ってもらうと。コサル侯は私をちらりと見て、
「もちろん、聖女、いやアーシュマリア殿をわずらわせることはないようにしよう」
とも言った。ダンはふむふむとうなずくと、
「ところで保護者はそちらのケナン殿ということでしたが」
ちょっと間をおいた。
「もちろん、お一人ということはありませんよね」
私はむしろ驚いた。一人じゃないって、どういうこと? ダンはもっと人数が多いだろうという顔で返事を待っている。
「もちろんだ。私自身にも副官と従者が一人ずつつくが、それを除いてもそれぞれに一人は担当がつく。後ほど紹介するが、護衛も兼ねて武官6人と、それから文官2人」
ケナンは私たちを眺めると、
「まさか供を一人もつけていないとは思わなかったので、それぞれに従者や侍女も用意させよう」
と言った。えっと、ケナン分3人、武官6人、文官2人、お付き6人、計15人? 私たちも合わせると、総勢20人。あっけにとられる私たちを見て、
「貴族の旅行など、そのくらいでも最低限であろう。しかもむしろ供の者を一人も連れていないなどと、常識では考えられぬ」
とケナンはあきれたように言った。しかし、せいぜい数人だと思っていただろうダンも、想定外の人数に頭を抱えている。おそらく、馬車の手配とかそういう悩みなんだろうなあ。だって、ダンの馬車が居心地がいいからこそ、長い旅行もつらくないのだし、他の馬車を用意するということは、その馬車の性能にあわせて旅をするということだからだ。
私はあっけにとられつつも、貴族の旅行とやらを体験してみるのもいいかもしれないと思った。いずれ宿屋をやるなら、フィンダリアでは冒険者は見込めない。とすると、貴族中心というやり方もある。一家族の貴族に、お付きの者が20人もつくとするなら、その部屋も考えなくてはならないし、やりようによっては相当利益も見込めることになる。
あるいは身軽な旅を売り物に、貴族向けの従業員の教育を考えるというのもある。
それなら今度帝国に行った時に、アレクやフローレンスに話を聞いてもいいなと考えていたら、あれ、みんながあきれて私を見ていた。
「アーシュ、戻ってきて」
「ごめん……」
どうやらぼんやりしていたようだ。一人で考えていても仕方ない。私はコサル侯にこう言った。
「急なお話ですので、少し時間をいただけませんか」
「いいでしょう」
というわけで、部屋に残された私たちなのだが。
「どうしようね」
という私に、ウィルが言った。
「なあ、そもそもフィンダリアに行かなくちゃだめなのか?」
確かに、入ったとたんこれでは先も思いやられる。
「でもね、春に来た時はこんなことなくて、すごく気候のいいのんびりした国だったんだよ」
「確かになあ。エルクさんとは商売の協力の話もついてるし、アーシュの宿屋はともかく、石けんはすぐに工場を作れるように準備してきたんだけどなあ」
ダンも首をひねった。
「俺たちは今回が初めてだけど、一歩入ったとたんにこれだろ。いい印象を持てと言う方がおかしいよ」
ウィルはそう言った。
「キリクならどの町でも歓迎してもらえるし、あちこち行ったりしてないだろ。何よりダンジョンもある。腕試しにも事欠かないだろうし」
「確かにな」
「他人事のように言ってるけど、セロ、お前なんだぞ、決めるのは」
「俺?」
セロはウィルを見て、私を見た。そうだよセロ。何でみんなこんなところまでやってきたんだと思うの? 宿屋なんてどこでだってできるんだよ。
「フィンダリアに一番行きたかったのは誰だよ」
「それは」
セロは目を見開いた。そうだよ、初めてノアさんに会った日。一番遠い国だった帝国より先があると知ったんだよね。
「俺か」
そうしてセロは、窓の外に広がるフィンダリアの国境の町に目をやった。
「そしてたどりついたフィンダリアを、自由に旅するには不自由を我慢しなければならないという状況か」
その通り。そして誰よりも縛られるのを嫌うのは、セロ、あなたなんだよ。
サラは何が起こっているのか、よくわかっていないからか、少し不安そうだ。ウィルが微笑んで安心させている。
「キリクか、フィンダリアか、あるいは帝国に戻るか。そう言えば、帝国の南部はまだ旅してなかったなあ。テオドールの実家があったっけ」
セロがぽつっとつぶやいた。私もつけ足しておこう。
「北部だって、病の治療ばかりでぜんぜん見て回ってないよ」
「そうだ、帝国だってまだまだ回りきれてないんだな」
「キリクもだぞ」
ウィルもそう言う。セロはふっと息を吐くと、
「誰かに何かを頼まれているわけでもない。金はある。どこに行っても自由なら俺は」
俺は?
「フィンダリアに行きたい」
でも、不自由だよ? セロはニヤリとした。
「本気で交渉だ」
二巻発売記念3日目。




