アーシュ14歳13の月始まってみると
次の日、治療院に行くと、予想以上に切ない状態だった。死にゆく病である。帝都でも、家族で看られるものは家族で看る。ここにいるのは、家族が仕事や都合で面倒が見られない人たち、身内がいなくて住むところもないものたちだ。
国がやっている施設だ。最後まで面倒は見てもらえる。ただし最低限で。治療院の代表にとっては患者はただ入って、出ていく数に過ぎなかった。運営に問題があるとも考えたこともなかったのだ。だから視察を受けるのにもためらいがなかった。無料で国が面倒を見ているのだ。感謝されこそすれ、不足などどこにある?
地方の小規模な治療院なら私たちだけでもなんとかなっただろう。しかしこの規模に、私たち5人、医療者5人、そして看護人たったの15人。医者は持ち回りの通いだそうだ。
視察に各部屋を回れば回るほど、私たちは無言になっていく。フローレンスは真っ青だ。患者たちは生気のない顔で、それでも少しでも元気な者は物珍しげに私たちを眺めている。視察などないのだろう。
「ここは、ご覧にならない方がいいかと」
代表が言った。
「ここはもう、先がない者の部屋です」
私はぎゅっと目をつぶる。カレンを助けた時は、友だちを助けただけだった。東領では、大使の親戚を助けただけ。命を救おうとしたのではない。少しでも楽になるなら。その思いだけだった。手を伸ばすには、私には荷が重いとわかっていた。わかっていても、助けを求める手を振り払えなかった。
少しずつ弱っていくかあちゃん。手を伸ばしてもすがっても消えていく命。22歳から年を取らないとうちゃんとかあちゃんに、少しずつ私は近づいていく。愛されていた。大切にされていた。私の2度の命は、明るくて笑顔に満ちあふれていた。それでもアレクを見た時、一人残された自分が叫んだ。置いていかないでと。
その時に決まったのだと思う。もう逃げてはいられないのだと。
セロが肩を抱いてくれる。マルが手をにぎる。ダンとウィルがそばに立つ。わがままでごめんなさい。まだ私の手は一番小さいですか。まだ大切にされてよいのですか。
カレンさん、アレク、フローレンス。3人とも顔色が悪い。それでも進むと決めたのでしょう。さあ、共に行こう。
部屋のドアを開ける。静かだった。1人看護の人が、患者の間を立ち歩き、水を飲ませている。フローレンスが耐えきれず出ていく。私はそこにいる10人を、トーマスさんと通いの医師とともに一人一人見ていく。アレクとカレンさんはついてくる。何人か、苦しいなか目が合う。私も静かにほほえみかける。
トーマスさんが看護の人に、そのまま続けるようにと指示を出し、部屋を出た。ふらついたカレンさんをグレッグさんが支える。アレクは口元を抑えている。フローレンスは廊下で震えていた。
「あの者たちは……」
アレクがつぶやいた。私はトーマスさんと視線を合わせた。トーマスさんはこう言った。
「はっきり言います。ほとんどもう、可能性はありません。熱を下げることでむしろ死期を早めることになるかもしれません。それでも治療すべきかどうか」
アレクは視線をさまよわせた。そこに看護の人が出てきた。身寄りのない人もいるが、家族のいる人もいるそうだ。
「このことを正直に話して、家族のいる人は家族に決めてもらうとして、家族のいない人は5人。どうしますか」
「アレクセイ様、フローレンス。誰でもない。私たちが決めなければならないのです」
カレンさんが言った。アレクは一瞬下を向き、それから震えるフローレンスと目を合わせ、やさしく言った。
「フローレンス、もうやめるか」
フローレンスは震え、目に涙をためながらこう言った。
「いえ、いいえ、私は、私は明日も生きられる。元気に歩き回れるのです。慣れぬ事ゆえお見苦しいさまを見せましたが」
震えが止まった。
「続けます。アレク様、決めましょう」
アレクはこちらを向いて言った。
「わずかでも可能性があるのなら、治療をすべきだ」
「わかりました」
視察が終わり、改めて会合が開かれた。
現状。社会生活を送れないほどの重病人190人。特に重い患者10人。通いの医者数人。看護の人15人。下働き10人。
必要なもの。専任の医者少なくとも3名。看護の人あと5人。下働きに加えて専任の料理人。寝具。布類。食料など。
「今の人数では200人すべてを見ることは不可能ですし、いずれ私たちは各領地に帰る身。治療を教える専属の医者がいない事には話になりません」
とトーマスさんが言った。私も、
「治療だけではありません。治療が終わったあと、仕事を見つけて社会復帰出来るまでの仮の施設を作ることを考えてください」
と言った。
「は、命を助けただけでもありがたかろう。その先の面倒など」
代表がバカにしたように言った。
「うまく治療できたとしても、先を考えなければ、200人の、病み上がりで力もない、住むところもお金もない人が帝都に放置されることになるのです。それを救ったと言えるのですか。仕事を見つけるところまで責任を持つべきです」
「アーシュ、わかりました。それも考えましょう」
カレンさんが引き取った。
「すぐに人手を集めるのは難しいでしょうか、侯爵方」
「短期になら屋敷から手伝いを出すことはできる。ギルドが孤児院から人手を確保しているようだが、下働きと看護の見習いならば女子にもできる仕事ではないか」
「それは長期的に考えられますね。では必要な人手を集める期間は」
「最低2週間」
「なるほど。アレクセイ様」
カレンさんがこう言った。
「今日おいでになり、今トーマスとアーシュと話を聞いてわかったはずです。もっと大きな規模の事業として立ち上げましょう」
「既に公的に認められた事業なのだが」
「おそれながら、自由にやってみるがいい、程度の指示ではないのですか」
「その通りだ」
「では具体的には内容を固め、予算をすぐに出してもらいましょう。私とフローレンスは、貴族の令嬢として寄付を集め、関心を引くことはできますが、予算の配分などはできません。専任の文官を求めます。出来れば南領の者にしてください。今のままでは貴族のバランスが悪いと思っておりました」
「カレン、こないだまで病にふせっていた令嬢とも思えぬな」
「グレッグ様と共にずっと仕事をしてきたのです。当然のことです」
「わかった。通いの医師には代表、お前がすぐに連絡して、人数を確保しろ。同時に専任の医者も1ヶ月以内に探そう。この事業は改めて立て直す。アーシュの言う施設も含めて、計画を立て改めて陛下に申請し直す」
アレクはきっぱりと言った。
「どうやら軽く考えすぎていたようだ。200人の重病人。その治療と未来。実際に見るまでわからなかったとは……情けない。この事業が一応の成果を上げたら、帝国中に病が治るということを正式に発表する予定だ。しかし1ヶ月、それまでどうする……あの者たちはどうなる」
「私も北領の医者も、1ヶ月遊ぶために来たのではありません。通いの医者に治療を教えながら、細々とでも治療に入りたいと思っておりました。しかしアーシュには」
トーマスさんは私を見た。
「アーシュは治療法を見つけたからといって医者ではないのです。この小さい肩に、患者の命を背負わせたくはありません。特に今日最後に見た患者たちの何人かは」
「私もフローレンスも1週間アーシュに付き従えとセロに言われているのだ。しかしセロ、それならば私はトーマスにつき、共に働くのでもよいか」
「はい」
「私はアーシュにつきます」
フローレンスは言った。久しぶりに目が合った。




