アーシュ14歳13の月戸惑い
「この『病』の事業はきっと長く大きいものとなる。フローレンスはいずれ私の伴侶になるのだから、最初からかかわらせたいと思った」
「おお、ありがたいことです」
タクシスさんは喜んだ。しかしフローレンスはこう聞いた。
「それも、それもアーシュの提案ですか」
「初めはな、しかし、北領の侯爵家のカレン、中央の侯爵家のフローレンス、事業の旗印としてこれほどふさわしいものはないと思ったのも事実だ」
「はい」
2人に話していたアレクは、今度はみんなのほうを向いた。
「私だけが治ればよいのではない。東領、北領の成果をふまえ、帝国としてこの病に本格的に取り組むことになった。しかし医療者はまだ足りない。帝都に限っても、治療院の病人の数は200を超える。アーシュ、その仲間たち、ギルド長、マッケニー、協力を要請したい」
アレクが今日、何を言いたいかは察してはいた。それなのに、私はすぐに返事ができなかった。200人の患者。魔力に偏見のある人たち。学校。立ち上げたばかりの魔物肉の事業。頭の中でいろいろなことがうずまいた。今だって恐ろしく忙しいのだ。マルと女子力を磨くのではなく、仲間とこれからのことを考えるべきだった。
「なぜなの、アーシュ。なぜすぐにはいって言わないの」
「フローレンス」
「あなたには力がある。アレクを助けられる力があるでしょ。わたしと違って!」
「特別な力なんてない。単にやり方を考えただけ」
「それでも!助けられる人がいるのなら、助けられる力があるならば、助けるべきでしょう!」
ああ、フローレンスはまっすぐだ。まぶしすぎて、行く道が一本以外見えないように思えてしまう。セロが前に出た。
「フローレンス、アレクも、治療のことを簡単に考えすぎです」
「しかし、すでにやり方は確立しているのだろう」
「アレクの時でさえ、手探り状態だった。200人、すべての人に同じ治療が当てはまるわけではないのです。北領では50人の患者に一ヶ月費やした。簡単にはい、といえることではないのです。ましてフローレンス、オレたちが今どのくらい忙しいか知っているだろう」
「知っています。しかしそれは私利私欲のためではありませんか。民を助けるほうを優先すべきです」
タクシスさんがうなずいている。私利私欲。確かに利益は上げてはいる。しかし……
「アレク、あんたもそう思うのか」
グレッグさんが問いかけた。
「私利私欲とまでは言わないが、優先順位はあると思うが」
「あの店な、ギルドがかかわっていることを知っているだろう」
「知っている」
「目的は」
「ギルドでの冒険者の確保と、孤児たちの就職口の確保、だったか」
「わかってんなら、なんで私利私欲とかいうんだ」
「私利私欲とまではいっていない。それは将来のこと。今苦しんでいる人を助けるのが先ということだ」
「なあ、その優先順位になぜアーシュが従わなくちゃならねえんだ」
「もちろん、店に代わるだけの礼はする」
「話にならん」
と言ったのはマッケニーさんだ。
「わきまえろ、皇弟の前だぞ」
とタクシスさん。
「私が治療に参加しているのは、この若者たちが先を見据える力に感銘を受けたからだ。それがわからぬようでは、援助する価値がない」
「それは息子だからか、マッケニー」
「私が感銘を受けたのは、ダンとアーシュ。息子は関係ない」
「やめてください」
静かな声が響いた。カレンさんだ。
「私は自分も病でしたし、東領でもアーシュがどれだけ苦しんだか見てきました。フローレンス、アレクセイ様、アーシュはすでに、身を削るようにして、私たちの国の民を幾人も救ってきたのです。帝国の者がただ一人も助けられなかったというのにです。私利私欲などとかけらでも思うべきではないのです」
カレンさんの言葉は、みんなに静かにしみ込んだ。
「そのうえでお願いします。アーシュ、どうかこの事業に参加し、我が国の民を救ってください。私たちも全身全霊をもって尽くします」
わかっていた。目の前に死に向かう人がいて、それを止められる力があるなら、今までだって全力でやってきたではないか。これからのことが頭に浮かぶ。
魔力について信用されず、時にはうさんくさいと罵倒され、看病に疲れ果てた家族に容姿をおとしめられることもあるだろう。なによりつらいのは、おそらく助からない人が出てくることだ。なぜ助けられなかったのかと責められるのは私だろう。なぜもっと早く始めてくれなかったのかと。そしてこれからおそらく何ヶ月間もかかりきりになる。
春にフィンダリアに行けないかもしれないね、セロ。
セロはわかってるよ、大丈夫だよと私を見た。
せっかく魔物肉の店がうまく行っているのにね、マル、ダン。
2人は、フーゴがいるよ、大丈夫だよと私を見た。
ダンジョンに行けないね、ウィル。
魔法師だぜ、オレも治療に活躍するさとウィルはほほえんだ。
「わかりました。協力します」
ほっとした空気が流れた。
「ただし」
セロが声をあげた。
「アレク、フローレンス、少なくとも最初の一週間、アーシュから離れるな」
「政務が」
「人に全身全霊を尽くせと求めて、アーシュに任せきりか」
「……なるべく政務を減らし、付き添おう」
「私もやります」
次の週から始めることになり、細かい打ち合わせに入り、解散となった。
フローレンスは何も言わず、父親と出ていく。私は後を追いかけた。
「フローレンス」
伸ばした手は、フローレンスにぱんっと払い落とされた。フローレンスは自分でも驚き、払い落した右手を左手で押さえている。そして顔をそむけた。
「あなたはまぶしすぎるわ。学校だけではなかった。どこにいても太陽のように周りを照らし、導くのね。私は苦しんでいるアレクさまの側にも呼んでもらえなかった。今日だってアーシュが言わなければ、私を呼ぼうとは考えもしなかったでしょう。仕事には付き添います。でも、まぶしすぎて、今はあなたの近くにいられないの。ごめんなさい」
タクシスさんはすまなそうに私に視線をやり、フローレンスと共に出て行った。
立ち尽くす私に、グレッグさんは、
「先が思いやられるな。自分に振り回されて、病を治すという目的が全く見えてねえ。アーシュ、お前には逃げてほしかったが、逃げられるようなやつなら、こんなに苦労をしていないよな」
と言って頭をなでてくれた。わかってくれる人がいることが、心に小さな灯りをともす。
でも。
ねえフローレンス。あなたも私もお互いがまぶしいのなら、どうやったら向き合えるんだろう。




