差し出す手、伸ばす手(4)
「――防衛拠点はこの診療所にしちゃうから、皆は襲撃されてない屯所や食料庫に行って薬とか包帯とか使える物は全部持ってきてぇ。奥さん達と子供達はボクと一緒に後方支援してもらうから、直ぐに呼んできてねぇ。はい、急いだ急いだぁ」
間延びした事ではそぐわない迅速を尊ぶ言葉と供に混乱と戸惑いを脱ぐ切れない中で、自身の城といえる診療所を背に率先して陣頭指揮を執るグノー。本職は一介の薬師――医者ではあるものの、命の危機に瀕する状況下において『反逆の境』で最も場数を踏んでいる。戦闘能力がそう高くない妖精猫ではあっても、淀みなく指示を出す姿には古参としての威厳がひしひしと溢れていた。
現にグノーの言葉に異を唱える者は一人もおらず、返答の言葉も無いままに的確な行動に移る光景がそこにはあった。
「ふうぅ~、一先ずはこんな感じで良いかなぁ。ベッカーかフォルティナ、それかナナキ君がいてくれたら楽だったけどぉ……まあ無い物ねだりで今以上に後手に周りたくないしねぇ」
それでも自分達の方が劣勢だという事実にグノーはゴロゴロと大きく喉を鳴らし、波立つ心を落ち着かせるようにひげ袋から伸びる髭を忙しげに撫でる。
「グノーせんせい」
「ん~? どうしたのぉ、ティニーちゃん」
「ティニーたち、ここにみんなあつまっていいの? ティニーね、ナナキお兄ちゃんからたたかいかたおしえてもらってるんだ。そのときにね、いちもうだじんになるのはよくないっておしえてもらったの」
「そっかぁ、ナナキ君がティニーちゃんに戦い方をねぇ。確かにナナキ君の言う事も正しいねぇ、ボクのは今までの経験から言ってるだけだからぁ。でも、簡単でも良いならボクでも説明――」
「グノー先生! 各屯所からの物資到着しました。治療の際に使用する物を最優先で分けて下さい、それ以外は別の者が!!」
「直ぐ行くねぇ……と言う事だからぁ、続きはマクスウェルさんに教えてもらって良いかなぁ。直ぐ治療が出来る様に支度を済ませてあるから診療所は使ってくれて良いからぁ、こっちの事は変に気にしないで良いからねぇ」
『ハイ、あとはお任せ下さい』
「じゃあ、お願いねぇ」
ずんぐりとした身体に纏う白衣を颯爽と靡かせ物資の確認に向かうグノー、残されたレラとティニーはマクスウェルと供に診療所の中へ。支度は済んでいるという言葉の通り、室内は負傷した患者を寝かせる診察台に汚れ一つ無く磨かれた器具に様々な薬品が乗る床頭台が幾つも用意されていた。
収容人数は最大でも五人ほどだろう……しかし、診療所の外にも簡易的ではあるがベッドが用意され治療を終えた者達を安全に収容することが出来る病棟として使う家屋が着々と準備されている。
怒号こそ聞こえないが何人もの大声が響いており、切迫した雰囲気が漂っていた。
そんな状況下ではあるが、マクスウェルは特に臆する事もなくティニーの疑問に答えを示す。
『ティニー様が懸念されている味方の多くが一カ所に集まってしまっては一網打尽されるのでは無いか――この問いに対する答えですが、現状において一網打尽の可能性が大きくとも戦力を一箇所に集中させた方が最も勝率が高いからでもあります』
「それはどうしてー?」
『大まかな要因は三つ。一つは深域内に侵入した敵戦力に関する情報が不足している点、もう一つはベッカー様『反逆の境』側が今回の戦闘に際し、ワタシが記録している戦闘記録と照らし合わせても過去に類を見ない程に地の利を生かせる環境が整っているという点です』
敵勢力の情報の欠如は無視できない問題ではあるが、深域という異空間領域内に拠点を持つベッカー達は兵站に置いて万全の状態で戦闘に挑める強みがある。
兵站とは戦争において軍隊の戦闘能力の維持、立案される作戦を支援する機能や活動全般の事である。
軍事に必要不可欠な弾丸、食糧、燃料などの供給力である補給能力。
兵力、資材、その他の必要とされるあらゆる物資を運ぶ事の出来る輸送能力。
戦力維持の為の人員の補充、装備の管理等の整備能力。
そして、『補給』『輸送』『整備』を効率良く循環させる事の出来る統率管理能力。
これら四つの項目が兵站であり、この兵站の質が低ければ侵略側も防衛側関係なく、どちらも短期決戦でしか勝利が見込めなくなってしまう。
だが、ベッカー達はこの兵站を充分に準備できている。
『既に後手に回ってしまっている状況では、戦いの主導権を取り戻す事は容易ではありません。敵戦略が包囲殲滅を狙う外線作戦であるならより困難です、ですが敵戦力以上に充実した備えがあれば勝機はあります。加えて敵戦力が一方向からの共同攻撃または主力攻撃で進行してきたのあれば……』
「さきにこうげきされてもベッカーおじさんたちがかてる……ってこと?」
『絶対ではありませんが、この防衛戦を勝利で収めることも可能だと思われます』
自身の索敵能力ではグノーが防衛拠点とした診療所周辺の情報しか得られないが、診療所の外では今も絶え間なく人の動きがある。人員の移動であれ、物資の運搬であれ、今のところ敵による妨害も無く順調にいっているようだ。
味方二人の魔力喪失が確認されてから既に十分以上の時間が経過している、外線作戦を展開されているのであれば既に敵戦力との衝突の報告があがってきてもおかしくはない。が、その報告がグノーの元に伝達される事なく防衛準備に奔走している人員にも戦いの影響はまったく見られない。
『現在の状況、情報だけで判断するのであれば敵は包囲殲滅を行えるだけの戦力の投入はされていないと考えられます。グノー様もそう予測し味方戦力の各個撃破を避けるため防衛拠点一カ所に人員と物資を集めたのでしょう。加えてマスターがワタシ達と合流することを優先すると考慮したのが三つ目の要因です』
敵が深域の至る所で侵攻を開始したのであれば、名無が最優先するのはレラ達の安全の確保だ。けれど流やフォルティナ達の安全を蔑ろにしているわけではなく、この深域にいる者の殆どが一流の実力者達であるという点が大きい。
だが、裏をかき先に防衛拠点を攻めてくる可能性も――
「――すまない、遅くなった」
「ナナキさん!」
「ナナキお兄ちゃん!」
マクスウェルによるグノーの考察に対する見解を肯定するように診療所の扉が開かれ姿を見せる名無、不安と困惑に表情を曇らせるレラとティニーの元へ歩み寄る。
「状況はグノーさんから聞いた……充分な時間は取れなかったがフォルティナともある程度だが方針を固める事が出来た」
『フォルティナ様はなんと?』
「結論から言えば現状がそのまま答えだ。敵が魔力の機微を完全に隠蔽することが出来る魔法具や異能を所持している可能背も捨てきれない、精度の高い情報が無いまま行動を起こすのは逆に危険だと判断した」
『では……』
「ああ。俺はレラ達と防衛拠点を護りつつ動きがあり次第、フォルティナやベッカーさん達の援護に回る。流がこちらに合流していない所を見ると、ベッカーさん達と戦線に立っているかもしれないな」
診療所の中だけでなく外でも流の姿は無かった。
未だ自身の世界とは異なる環境に慣れていないとは言っても、輪外者に匹敵する危険度と戦闘力を持つ『強化獣種』という生物兵器との特殊な戦闘経験がある。異世界転移直後の戦闘も含め予、想だにしない突発的な事態に対しても冷静に対応出来る胆力もその経験から来るものだろう。
怒りが、憎悪が、悲哀が、殺意が、黒く渦巻く感情のままに殺し合った事は無くとも苛烈な生存競争を生き抜いてきた流であれば、どれだけ常軌を逸脱した場面に立ち会うことになっても足が竦むようなことは無いはずだ。
「状況はまだ大きく動いてはいないが、その前に出来るだけ体勢を整えよう。レラとティニーはグノーさんに何か仕事を割り振られたか?」
「は、はい。怪我人が運ばれてきたらグノー先生とティニーちゃんの助手をして欲しいと」
「ティニーもねこせんせーのおてつだいがんばるね!」
「そうか……」
グノーが治療の補助しか口にしなかったという事は、今回の侵攻に対する防衛はベッカー達『反逆の境』に加わる事になる事にはならないと言う事だろう。だが、同時に余程事態が切迫しない限り、レラとティニーを手厚く護る為には此処から動くわけには行かなくなったとも言える。
(敵戦力の正確な確認は出来ていないが、ベッカーさんにフォルティナ達。そこに流も加わると考えれば戦力としては足りているか、しかし……)
敵の侵攻が判明する直前、フォルティナから明かされたある人物に迫る死の宣告。
原因は怪我ではない、病でもない。だが、ソレは着実にその人物の――ベッカーの命を蝕んでいる。
(今回の防衛でベッカーさんが命を落とす事になれば『反逆の境』にとって大打撃だ……だが、それ以上にフォルティナにとって致命的なものになるかも知れない)
そんな事態を起こさせない、その覚悟をもってフォルティナは『反逆の境』の仲間達を護る為に、レラ達が不安に震えないようすむようにと敢えて味方だと判断できる内で最大戦力である自分を防衛に回した。
それでも最愛の家族を目の前で失う事になれば、ソレをさせてしまえば死ぬと知っていながら止める事が出来なかったら、死ぬまで消える事の無い自責の念に苛まれ苦しむことになるだろう。
(戦略的に、フォルティナの意思を尊重する意味でもこうしてレラ達の傍にいる事を選んだ。だが、同時に俺はベッカーさんの死を黙認したと同義だ)
彼女が自分の選択に後悔し押しつぶされそうになってしまった時、自分の言葉では慰めにさえならない。事情を知りベッカーを嗜めてきたグノーの言葉でも恐らく顔を上げさせる事は出来ない、何も知らないレラとティニーの言葉では同情にしか聞こえないかも知れない。
……なら残されたあと一人、流なら?
「……大丈夫ですか、ナナキさん?」
「おかおくらいよ……ぐあいわるい??」
「大丈夫だ、少し考えを纏めていただけだ。二人はこのまま診療所で待機していてくれ、俺はグノーさんの所へ向かい状況確認と情報のすりあわせをしてくる。マクスウェルは索敵を続けてくれ」
『イエス、マスター』
自分の強ばる表情を見て眉を寄せ目尻を下げるレラとティニー。二人に余計な心配をさせてしまったと苦笑を浮かべた名無は、何事も無かったかのように振る舞いグノーの元へと向かう。
(流が事情を知った所でベッカーさんに迫る死の原因を根本的に取り除くことは出来ない。だが、ベッカーさんと供に戦い少しでも延命に関わる事の出来る位置にいる流なら……)
流とフォルティナの間柄はけっして親密とは言えない。
それでも、まだ選択肢を選ぶ事の出来る流であれば、この防衛戦において最高では無くても最良の結果を手繰り寄せる事が出来るかも知れない。
そんな図々しくも淡い期待を、此処にはいない流に賭け名無は診療所の扉を押し開くのだった。




