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同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第五章 深森教示
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    差し出す手、伸ばす手(2)


「――よしっ、これでますく配りは完了だな! 非番の者はしっかり身体を休めてくれ、警邏、詰所待機の者達はこのまま持ち場に向かってほしい……では解散!!」


 担当した区域へのマスク配達を終えたベッカーは、この後の指示を簡略に済ませ受け持った仕事の一区切りを告げる、その声を皮切りに集まった部下の面々は自分達の持ち場や休日に戻っていく。


「ナガレ殿もご苦労だった、やはりますくがどういう物か理解している者がいると話が通りやすくて助かった!」


「話をしただけだから、そこまでお礼を言われるような事じゃ……」


「そんな事は無い! 未見の道具に対して真っ当な知識を披露してみせる、聞く方はそれだけでも説得力を感じ安心するものだ」


「それはそうだと思うけど……そもそもベッカーさん達から配って貰えなきゃこうはいかなかったですよ」


 しっかりとした信頼関係、それも『反逆の境』のリーダーであるベッカーやフォルティナ達が協力してくれたからこその結果だと流は苦笑いを浮かべる。

 森で名無達と出会う事が無かったら流は訳も分からないままフォルティナと戦い、言葉も通じず、最悪の場合ベッカー達とも争い命を落としてしまっていたかもしれない。

 出会ったのが名無達ではなくグノーだけであったのなら、名無達との情報共有ができず自分が置かれた現状に適応しようとするだけで精一杯だっただろう。

少なくとも衛生用品を自作しようという余裕が持てるようになるまでどれだけ時間がかかるかも分からない、そんな状態でベッカー達の助けになれるはずもない。  

だが、実際には名無達との出会いがあって少なからずフォーエンに住まう住人達の助けになる事が出来た。その揺るがない事実があるからこそ流がベッカーの言葉を素直に受け止められないのも妥当と言える。


「俺は名無達と違ってグノー先生と知り合いってわけじゃないし、俺だけだったらこうやってマスクを受け取ってもらえたり話を聞いてもらえなかったと思うし――あっ! 今の街の人達が薄情だって言ってるわけじゃなくて」


「ああ、分かっているとも。君が我等を見下していないことも、貶める気も無い事もな。しかし、あれだな。ナガレ殿は些か己を軽んじる気質が強い様だ」


「そんな事ないですって」


「いや、あるっ! これでも人を見る眼はあると自負している!!」


 うんうんと自画自賛の頷きベッカーは胸の前で腕を組み、言葉通りの確かな自信と共に流を見据える。


「自力では解決できない問題に直面した時、君はしっかりと他者を頼る事が出来る。一人では無理でも手を取り合う事が出来る者達と一緒であれば、それを知り動くことが出来る君は信頼するに値する――だが、他者を頼った事で己が成してきた事全てが無意味に等しいと決めつけてしまう点に関しては苦言を言わざるおえん。それが無意識であろうとなかろうとな」


「……そう見えます?」


「見える、我でなくともそう言うだろう……と言えないのが実のところだ」


 自信に満ちた様相と異なりベッカーの口から出された言葉は気恥ずかしげな笑みに飾られたものだった。


「己の力のみで勝ち取った結果でなくては意味が無い、それは誰しもが一度は掲げる幼き矜持だ。かくいう我も若かりし頃に抱いた事がある……しかし、それは健やかに育つ事が出来た証でもあると我は考えている」


「健やかに、ですか?」


「ナガレ殿も知って通りこの世は弱肉強食。力強き者こそ命を謳歌力弱き者は虐げられるべし、そんな不条理な理がまかり通る世界では如何に他者より上になるか……その事ばかりに眼が行くものだ」


 より良い結果を求める事に変わりはない。

 しかし、弱肉強食が基盤とある社会意識において、結果へとたどり着く過程を重んじる心は早々に失われしまう。

 他者よりも先に行けるのなら、他者よりも上に立てるのなら、他者よりも強くあれるなら、他者よりも優れた存在となれるなら。乾ききった喉の満たせぬ渇きを潤そうと水を飲み続けるように力を渇望し執着す者は手段を択ばない。

 どれだけ冷酷だろうと、どれだけ残酷だろうと、どれだけ醜悪であろうと、ありとあらゆる手段を用いて自分が勝てばそれだけで正しいのだからと。

 だからこそ一人の力では限界があると知りながらも、自分の力だけで誰かの助けになりたかったと悔やむ。その後悔と葛藤を悟られまいと張る見栄の幼くも清廉なことか。


「身を固めてもおかしくない年とは言え、ナガレ殿は力が全てではないと理性ある知見をしっかりと身に着けている。それはとても掛け替えのない事で尊い物だ、なのにそれを卑下するような物言いはナガレ殿だけでなくナガレ殿の在り方を良く思う者達へとの侮辱でもある……と我は思うのだ」


「………………」


「すまんな、説教するつもりは無かったのだ。むしろ褒めたかったのだが、これではまた娘にどやされてしまうな!」


「……フォルティナさんに怒られるようなところってありました?」


「うむ。今し方したばかりの話だが、実践できたためしがないのだ」


「……えっと?」


「このフォーエンでも子供たちに年相応の見栄を張らせてやれんのだ、ナガレ殿に説教をしておきながら物心ついた時にはいつ死んでもおかしくないぞと心構えさせてしまっているのが現実でな」


「それは……」


 深域内部であれば外よりもずっと安全に過ごす事が出来る。それでも絶対的な物ではなく、それ故に子供達には何時如何なる時でも常在戦場の心構えを持たせなくてならない。

 自ら進んで人の、魔族の尊厳を貶める事はせずとも鉄塔丁未、戦いに勝利し生き残るまでの過程に微笑ましい見栄や意地が入り込む余地を与えてやる事などできなかったのだ。

 それが真っ当な人としての善性であり、優しさであり、同時に殺し合いの場において致命的な甘さへと繋がるものだと知っている者であれば猶更だった。


「仲間を、善人を敬う心はある。しかし、敵として相対すればかける情はなくなる。フォルティナ達や我もそうだ、おそらくナナキ殿も……だが君は違う」


「俺は違うって……どうしてそう思うんですか?」


「簡単な事だ、ナガレ殿はまだ人を殺めた事がないのではないか? フォルティナと戦った時の話からするに君は敵を前にしてもどう無力化するかを真っ先に考えている戦っているだろう、命を奪う事を前提とした気構えを持つ者達は嫌でも冷静な対応をとってしまう」


 敵に全力を出させずに殺す、敵に和解したと勘ぐらせて殺す、敵に裏切りをほのめかし隙を作ってから殺す、敵に手の内をさらさせてから殺す、敵に情報を吐かせてから殺す……どのような過程であれ確殺を常として動く、考える事が出来る。

 それが戦場における心構えであり、生き延びるために必要な感性だ。

 その非常な感性に苦言を呈しながらも身に着けてなければと妥協しなければならないのがこの世界であり、受け入れたのが名無達でありベッカー達である。


「そんな我がナガレ殿に説教をたれる資格はない……と、フォルティナが怒る姿が今から眼に浮かぶ。が、だからこそナガレ殿にはその在り方を失わずにいて欲しいと口を出したわけだ。話の途中から風向きが変わってしまったのは申し訳ない」


「謝らないでください、別に怒られたって思ってないです。俺を気遣ってくれたんだなって思いましたから」


「そうか、そう言ってくれるとありがたい……ありがたいのだがもう一つ耳に入れて欲しい話があるのだが良いだろうか?」


「良いですよ」


「おおっ! 九死に一生とは正にこの事だな」


「話を聞くだけなのに大袈裟すぎません??」


「そんな事は無い、明日にでも死にゆくかもしれない身としはこれ以上無い僥倖だとも!」


「あの、今さっきで言いづらいんですけど……そんなに念を押さなくても話は聞きますよ」


 自分自身、自分が成した事を過小評価してしまうのはベッカーが言うように流の悪癖と言えるだろう。それを諭す為に真剣に向き合ってくれたのだ、そんな彼の申し出を一蹴するような真似はしないししたくない。

 何より沈んだ空気を掛けようとするベッカーの提案だろうと、意識を切り替えきれない自分の未熟さ痛感しながらも流はベッカーへ眼を向け――



「念押しではないぞ。我が明日にでも死にゆくかもしれない、それは何の偽りも無い事実だ」



自分に向けられる柔らかでありながら何故か、何かが『薄い』と感じとれてしまったベッカーの不思議な笑みと言葉に喉を微かに鳴らした。



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