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同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第五章 深森教示
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    真偽の眼差し(4)


「この『ますく』とやらがあれば風邪をひかずにすむようになると、不思議なものだな。布で口と鼻を覆うだけだというのに……まるで魔法具だ」


 レラ達が借り受けた拠点で外出の準備を始めた頃、名無と流はベッカーと三名の部下と共に待機している屯所へ。

そこで見たことも聞いたことも無く、全くなじみの無い衛生用品をいぶかしげな表情を浮かべマスクを手にするベッカー達を前にマスクの解説を行っていたのだった。


「其処まで大袈裟なものじゃないさ、あくまで風邪の予防に一役買える程度だ」


「不織布で作れたら感染症もって言えるけど、それでも全部が全部防げるわけじゃないしね」


「ふしょくふ、か。それがあればかんせーしょー?とやらもかからずに済むのか。う~む……この『ますく』もそうだが、そのふしょくふとやらも聞き覚えがないな」


「気にしなくてくれ、俺達も不織布が何なのかは知っていても用意する事が出来ない。材料も特殊だ、不織布を作れる者がいたら手に入れられる。それだけ理解してくれれば助かる」


「ふむ、もし手に入れる事が出来たならといった所か」


 不織布に必要な材料はこの世界でも存在しているだろう。しかし、その所在と作るための知識に加えて設備が無い。魔法を駆使して製造機器の機能を再現することが出来たとしても、完成に至るまでに費やされる時間は確実に膨大なものとなるだろう。

不織布の製造に必要な人員も一人二人ではない。深域内の警備、インフラの整備、深域外における索敵や緊急時にも耐えうる物資の確保など。隠密行動を常としているからこそ、ベッカー達がすべき事は多い。

不織布を手に入れる事が出来ればマスクの品質を高め感染症に対する感染リスクを大幅に下げる事も出来る。が、現状においては不織布を手に入れる事は難しい上にそれほど急を要しているわけでも無かった。

ベッカーや名無達の言葉に顔を見合わせるの他の三人の様子を見ても、この世界においては感染症という病が認知されていない。または感染症と言う枠組みとは別のくくりにされ、かつ治療法が既に確立されている。もしくは感染症の原因となる細菌、ウイルス、寄生虫の類が存在しない可能性も考えられる。

 何にせよ、流が口にした不織布に関して深堀する事も無く、ベッカーはマスクをテーブルの上に戻し納得の表情を浮かべていた。


「しかし、『反逆の境』にいる皆の分まで用意してくれるとは思わなんだよ。ますくの作りが複雑ではないとは言っても骨が折れただろう」


「ちゃんとしたマスクを作れたのってフォルティナさんとレラさんの二人だったので……俺なんて殆ど役に立てなかったですよ」


「俺も似たようなものだ、幾つか作りはしたがレラ達には遠く及ばない出来だった」


「いや、名無はちゃんとマスク作れてたよね。俺なんて何回も挑戦したのに全然だめだったよ……フォルティナさんには材料が無駄になるって怒られちゃったし」


 付け加えるなら練習すれば出来るようになると、苦笑いながらを浮かべるレラからフォローまでされてしまった流。事実、練習を重ねれば素人でも布マスクくらいは作れるようにはなる。

 が、その見込みさえ諦めなくてはならない程に流は不器用だった。


「ちょっとでも役に立てればって思ったんだけど……これじゃ本末転倒だよ、うぅ……」


 その自覚がないまま、その事実を今更になって、それも先陣を切るように意気込んだ末に知る事になった流にしてみれば些細な事であっても落胆は大きい。


「そう落ち込む事は無いぞ、ナガレ殿。我等だけではこういった病を未然に防ぐための道具を作る、そこに考えを巡らせる事は出来なかった。勿論、外界の薬師達の中にナガレ殿と同じ視点と考えを持つ者がいるかもしれないが、それでも『』ではこうして形にする事は出来なかったに違いない」


「猫せん、じゃなかった。グノー先生からはこういうのがあるって話も無かったんですか?」


「グノー薬師も腕の立つ薬師ではあるが、その腕を振るっているのは殆どが隠れ里だ。それも魔族側の方が多いだろうからな、新しい知識の見聞きや道具の入手はそうある事ではないさ」


「俺もレラの隠れ里でグノーさんの手伝いをした事がある。包帯や塗り薬に飲み薬、裁縫キット等の医療品や医療器具で治療していた。それ以外となると俺が魔法で治療にあたったくらいか」


「そっか、ならやっぱり衛生用品ってあんまり知られてたり流通したりしてないんだね」


「ああ、旅をしていてもそういった物を取り扱った店は見た事がない。ベッカーさん達が知っている事以上の事は何も進展していないだろうな」


魔族にとって魔法による戦闘、治療は奥の手。

当然のことながら魔法を使ったからと言って必ず完治させることが出来るわけではないが、この世界における最も治療効果が見込める手段である。しかし、人間族と違いレラ達魔族にはそう気軽に選べる手段ではない。魔族にとって病は怪我以上の脅威。魔法に頼らずとも治せるようにと薬学を自己研鑽し今も知識を開拓し、積み重ね後世に伝えている。

 そんな彼等ならマスク、もしくはその類似品を作り上げる事が出来そうだが製紙技術だけでなく製糸技術もまだまだ未発達なこの世界では思いつく事も難しかったに違いない。

 もしかすれば医学の面で感染症に関する知識が進歩していればまた違った発展の仕方をしていただろう……。


「それで話を戻すが、ナナキ殿達が持ってきてくれたその竹籠に入っているのが皆に配らなくてはならない分と言う訳だな」


「そうなりますね。俺達が持ってきた分以外にもあるんですけど、そっちはフォルティナさんと友達の子達が街の方で配ってくれてます」


「そうか、ならこちらにあるのは屯所組の分か」


「はい、俺達が配ればみんなに行きわたった事になると思いますよ」


 名無達が持ってきた竹籠は人一人が優に入る大きさの背負い籠、それを二つ。

 マスクの枚数としても相当な数が入っているが、籠の中で布に包まれ均等に分配できる状態だった。


「これは手分けして持って行った方が早そうだ……お前達はそれぞれ北側と東側の各屯所を回ってくれ、我はナガレ殿とこの付近と残りの西側を受け持つ」


「えっ、俺とベッカーさんとで行くんですか? な、名無は??」


「ナナキ殿にはこの屯所を任せたい。ナナキ殿の実力であれば心配は要らぬし、我一人だけだと『ますく』の説明が上手く出来るかわからんのでな」


 部下の三人であればまだ年若いという事もあり、それなりに名無達の話も理解できているだろうとの事。マスクを配り歩くだけなので特に何か起こる事もないだろうが、名無であれば異能だけでなく転移魔法も使える。

 不測の事態が起きても即座に対応できるだけの実力と対応力がある分、勝手をしるベッカー達がマスク配りをした方が効率もいい。流の同行に名無は些か不安な要素もあるが、まだ顔合わせが済んでいない者達もいる事を考えれば流だけでも顔を出しておいて損は無い。

 何より名無に防衛のかなめの一つである屯所を完全に任せる事で、ベッカーと言う『』のリーダーが信頼を置ける相手だと住人達に印象付ける為にも手っ取り早い手段だろう。


「ここの守りは任せてくれ、ただ何かあれば直ぐに知らせてくれ。方法は……空に向けて魔法を放つといった簡単な物で良い」


「うむ、では有事の際はそうしよう。ナガレ殿も良いか?」


「俺もそれで良いです、けど……」


 名無だけでなく流も不安を抱き、それとなく名無に視線を向ける。ベッカーに付き添うべきか否か、その賛否を求める視線に名無は小さく首肯で返す。


「分かりました、ベッカーさんと一緒に行きます」


「すまんな、なるべく手間を取らせんように努力する。では、行くとしよう」


 それぞれの分担を決め終えたベッカー達は自分達が配るマスクが包まれた包みを手に、受け持った屯所へと向けて出発していった。


 残ったのは言うまでも無く名無一人、つい先ほどまで人気のあった室内はしんと静まり返る。


(…………監視らしき視線、気配は無し。『透形有視(タンジブル・ボヤンス)』で確認してみてもそれらしい人物の姿も無い。無警戒で俺を自由にさせている……と、考えるのは都合が良すぎるな)


 此処には自分や流、フォルティナの様に異能を所有している者がいる。遠距離からの自分の様子を伺い見る異能で監視している可能性も捨てきれない。ベッカーと話した通り、この屯所から離れる動きを見せるのはあまり得策とは言えないだろう。


(それでも向こうから俺達に危害を加えようとする様子は無い、マクスウェルからの知らせも無い。今まで動きらしい動きは無かったが……仕掛けるとしたら流か)


 元々、名無達がグノーによって深域に招かれたのは『反逆の境』の戦力強化の為だ。だが、名無に『反逆の境』も留まる意思は無い。それはマクスウェルを始めレラとティニー同じだ。

 四人の旅の目的はノーハートを見つけ出し企みを暴く事、可能であればノーハートの打倒。しかし、今の名無でも勝ち目が薄い事は『敗者の終点』の一件で明言されている。

 それでも名無が足を、旅を止める事はない。となれば、必然的に『反逆の境』にとって戦力として期待できるのは流だ。


(流は俺達と旅をすると言ってくれたが、ベッカーさんの交渉次第では別行動をとる事になってもおかしくない)


 仮にベッカーの説得に流が応じたとしても責める事はしない。出自が異なる世界の輪外者だったとしても、この世界においては同じ境遇に身を置く仲間と言っても過言ではないのだ。

 彼が自分の意志で決めた事ならば、それを尊重する事が互いにとってベストなのだから。

 ……それでも、


(ベッカーさんは何かを隠している……それが流にとって悪く作用しなければいいんだが)


 未だ自身が垣間見たベッカーの死にゆく者の表情、その視線の意味が何を示しているのか分からずに名無は流を案じながらも胸の内に巣くう疑念に眼を曇らせるのだった。



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