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同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第五章 深森教示
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    真偽の眼差し(2)


「……こほっ、こほこほ……ねこせんせい……」


「うん、風邪だねぇ」


小さなかすれ声で呼びかけるのはベッドの上で顔を赤くして横たわるティニー、その傍らには診察を終えた「ねこせんせい」ことグノーの姿があった。


「お薬出しておくから、それ飲んで熱が下がるまで寝てなねぇ」


「……ティニー、おくすりやだなー……」


「うん、嫌でも飲まなきゃ駄目なのは分かってるから余計に嫌だよねぇ。ただの風邪だから飲まなくても治るけど、飲んだ方が頭や喉の痛みに苦しまなくて済むよぉ……どうする?」


「…………おくすり、のむ……」


「宜しいぃ」


 良い子、良い子と肉球で優しくティニーの頭を撫でるグノー。

 頭痛の痛みもあるはずだが、グノーの肉球の感触が気持いのかティニーは心地よさそうに目を細める。


「って訳だから、そんなに暗い顔しなくて大丈夫だよぉ――ナナキ君」


 薬を飲むよう説得し終えたグノーはティニーの頭から手を離し、自分の診察を部屋の片隅で見守っていた名無へと眼を向ける。

 名無の表情はグノーが言うように暗く、自責の念に駆られているようだった。


「薬師として言わせてもらうけど、ティニーちゃんが体調を崩したのはナナキ君のせいじゃないよぉ。ちっちゃい頃はどの子でも熱を出しやすい、それも原因らしい原因がなくてもねぇ。だから気にしない気にしないぃ」


「そうだと分かっていても納得できるかと言われれば……俺には難しいな」


「過保護、心配性……ううん、子煩悩って言った方がしっくりくるなぁ」


 ふふっと小さく笑みを溢しひげ袋から伸びる髭を撫でるグノー。

 名無が落ち込む様子を見せてはいるものの、部屋に充満する雰囲気は暗いものではなくティニーが体調を崩している事を除けば穏やかだ。


「グノー先生、ティニーちゃんの様子はどうですか?」


「あっ、レラ。お帰りぃ」


 熱を出して倒れたとはいえただの風邪。

 意識もはっきりとしており受け答えができ、何より譲り受けた医師としての見識から自分の状態を把握しているティニーの方がよっぽど余裕がある。そして、それはグノーの助手であったレラにも言える事だった。


「重湯と林檎の甘煮を作ってきました。食べれそうですか、ティニーちゃん?」


「うん……ありがとう、レラお姉ちゃん……」


 風邪に苦しむティニーでも食べられるものをと、レラが用意したのは胃腸が弱っていても十分に食べる事が出来るものだった。温かい重湯に林檎の甘煮、どちらも消化が良く食べやすい料理。

 ティニーの状態を考えての食事から見ても、レラが落ち着いている事が分かる。


「それじゃティニーちゃんの事は二人に任せるねぇ、ボクは一回診療所に戻って薬を取ってくるよぉ」


「ああ」


「お願いします、グノー先生」


「うん、お願いされましたぁ」


 この場を名無とレラに任せ、グノーは診察に使った道具が入っている診療鞄を手に部屋を出る。特段急ぐ必要はないが小さな子供が熱や頭痛に咽痛、関節の痛みなど諸々の症状に苦しんでいるのだ。

 歩幅の大きくないグノーの足は、それでも早足で二階から一階へと階段を下りる。


「あっ、猫先生。ティニーちゃんの具合はどう?」


「やぁ、ナガレ君。あの子なら大丈夫、ただの風邪だからぁ。今はナナキ君達が見てくれてるよぉ」


「そっか、それなら心配いら――」


「心配いらないなら猫先生が早足な訳ないわよね? 本当はどうなの、猫先生」


「ああ、フォルティナも一緒だったんだぁ。二人一緒にいるなんて意外だねぇ」


 早足で降りてきたグノーに待ったを掛けたのは名無達の代わりに食器を片付けを終わらせ手持無沙汰なっていた流。その傍らにはフォルティナの姿もあるものの、グノーに向ける眼には銀の光が宿っていた。


「話をそらさないで、猫先生が嘘を言っていない事は分かってるわ。けど……」


「本当に大丈夫だよぉ、でも薬師として大人として苦しんでる子供を少しでも早く治してあげたいじゃない。それがただの風邪でも、そこは変わらないよぉ」


「そういう事なら……あと別に猫先生が信じられなくて能力を発動させてるわけじゃないから。これはカザネが不埒な真似をしないか監視してるからよ」


「……うん、まあ、そうじゃないかなとは思ってたよ」


「本人が居るところで其処まではっきり言わなくてもぉ」


「それとこれと話が違うもの、それより引き留めてしまってごめんなさい。ティニーちゃんの為にも早く行ってあげて」


「ほどほどにねぇ」


「こいつが大人しくしているなら何も問題ないわよ」


 流に対する態度が頑ななフォルティナを宥めるグノーではあったが、フォルティナは変わらず厳しい言葉を返す。年長者として、フォルティナを良く知るものとして、そして流が良い子だと知っている身として何とかしてあげたいと思ってはいても今はその時間がない。

 グノーは後ろ髪を引かれながらも診療所へと向かい、残された流とフォルティナはただ静かにグノーの後姿を見送っていた。


「か、風邪って魔法で治せない……んだね」


「治せるわよ、ちゃんと治癒魔法を修めた使い手ならね。けど、治癒魔法を使える人間は少ないし魔族なら尚更。いても傷を治す練度が大半、病気を治すには魔法の練度だけじゃなくて確かな知識も必要になってくるの。ナナキさんみたいに良識があって実力もある人でもそう簡単じゃないのよ……こんなことも知らないなんてあんたって相当な箱入りだったのね」


「あ、あははっ……」


 魔法に関する基礎的な知識はマクスウェルから与えられたとは言っても、名無とは異なる世界の《輪外者》という事もあり彼女が学習し習得した知識全てではなかった。

 その弊害がこうして魔法に対する認識の齟齬として出てしまったわけだが……それでも呆れたと視線で訴えるフォルティナに流が別世界の住人であると気づいた様子はない。


「風邪をひいたのがティニーちゃんじゃなかったら、ティニーちゃんがすぐに治してたはずよ。魔法の中でも治癒魔法は特に制御が難しい……自分の状態が分かっていても、熱のせいでうまく出来ないのも仕方ない事よ」


 流に向けらえていたフォルティナの銀の瞳は三人がいる部屋へと注がれる。名無とレラが居れば大丈夫だと分かってはいても、小さな子供が弱り床に臥せているのだ。

 グノーに警戒対象だと言い切っていながら、その対象である流へと視線を戻すさまは見られない。それだけフォルティナがティニーの事を案じている事が分かる。


「…………」


 自分から鋭い視線が逸れた事は喜ばしい事だったが、フォルティナの不安げな姿に厳しい眼を向けられている以上に気まずさを感じる流。声を掛けようにも何と言葉を掛ければいいのか分からず、何かしようにも険悪ではないとはいえ静まり返った中で動くのも憚られる雰囲気が漂う。


「あのさ……俺達に出来る事って何かないかな?」


 それでも不安に揺れるフォルティナを放ってはおけず、流は緊張に息を飲み喉を鳴らしつつも声を響かせ――


「無いわね」


 バッサリと切り捨てられた。


「い、いや……何かあるんじゃない? ほらっ! おでこ冷やすのに水タオルとか氷枕とか用意して持ってくとか!」

「見てなかったの? そのどっちもレラさんが準備してたじゃない、タオルを濡らす水や枕の氷はナナキさんが魔法で入れ替えてくれるだろうし」


「それじゃ部屋の換気は? 俺の能力ならずっと新鮮な空気を」

「それこそナナキさんがするでしょ。直接戦ったわけじゃないから魔力量をちゃんと把握してるわけじゃないけど、『法具狂』を五体満足で倒すほどだもの。詠唱のいらない風の流れを作るくらいの魔法ならティニーちゃんが元気になるまで続けられるでしょうね。あたしでも片手間で出来るもの」


「そ、それじゃ――」

「子供の看病に大人が四人も付き添ってたら逆に気を使わせて悪化さるかもでしょ、無理に手伝おうとしない。黙って大人しくしてなさい、返事は?」

「……はい」


 風邪に苦しむティニーの為、ティニーを看病する名無やレラの為、何よりあったばかりの子供を心から案じる心優しい少女の曇った表情を晴らす為に意を決した流。

 しかし、流の気遣いはものの見事に空振り。更には的を射る指摘を頂き余計な事をするなと言い負かされてしまう始末。流は何も言い返すことが出来ず、フォルティナが求める承諾の言葉を返す事しかできなかった。

 此処に名無やレラ達がいたなら場の痛々しい空気を和らげようと声を上げたのだろうが、残念ながら彼等の助け舟は無い。このまままた気まずい雰囲気に逆戻り。


「あっ、そうだ」


 そう思えたが、意気消沈した流の脳裏に打開の光明が浮かび上がる。


「今度は何?」


「これなら名無達の邪魔にならないしティニーちゃんの為にもなる。それに沢山作れば俺達だけじゃなくて猫先生達の予防にもなる……うん、いけるかもっ!」


「ちょっと待ちなさい、何する気!?」


 頭の中に浮かんだ打開策に自信を漲らせフォルティナの静止も何のその、善は急げと二階へと続く階段を駆け上がる。勿論、体調がすぐれないティニーと一緒にいる名無達に気を使って音をたてないように。

 三人に対する気遣いを忘れず、それでいて急ぎ足の流が向かったのは二階を通り越して三階。

 三階は名無達の主な生活スペースとなっており、彼等の所有していた荷物も纏めてある。加えてベッカー達の配慮で生活に必要な雑貨も置かれていた。その中から流は清潔な白い布地と裁縫道具を取り出し、テーブルについて徐に作業に取り掛かった。


「レラさん達の邪魔しに行くのかと思ったら……何してるのよ?」


「うん、マスクを作ろうと思って。縫物だったら静かだし邪魔にならないでしょ」


「それはそうだけど……ますくって何なの?」


「あれ? もしかしてマスクって無い……えっと、マスクっていうのは鼻と口の周りを覆う布で出来た風邪予防の道具……かな?」


 マスクとは口と鼻を覆う形状で、咳やくしゃみと言った飛沫の悲惨を防ぐために使用される、また埃や飛沫などの細かい粒子が体内に侵入する事を抑制する衛生用品の一種である。

 もっと簡単に言い表すのであれば感染症予防に必須と言える用品であるのだが、科学が周知されていないこちらの世界では生産その物がされていないのだろう。流の要領が良いとは言えないが間違った事は言っていない説明に眼を瞬かせるフォルティナの顔がそれを証明していた。


「風邪が人から人にうつるのは知ってるけど、そのますくを使って鼻と口を覆えば風邪が治るってこと?」


「ううん、俺達が風邪を引かないようにする為だよ。だけど、俺達がマスクをつければティニーちゃんが思いっきり咳やくしゃみをしても大丈夫になるから風邪の治りも早くなると思う」


「マスクを作ろうとする目的は分かったけど咳やくしゃみをすれば治りが早くなるっていうのは?」


「えっと、俺もお医者さんから教えてもらっただけだから詳しくは分からないけど……咳とくしゃみをすれば身体の中で悪さをしてる風邪の原因になってるものが身体の外にでるんだって。他の人にうつっちゃうのはそれを吸い込んじゃうから」


「……つまりますくっていうのがあれば、風邪をうつされにくいって事で良いのよね?」


「うん、そうだよ――よし、出来た!!」


 フォルティナの質問に答えながらも作業を続けた流は思いのほか早くマスクを作り上げる。


「それがますく?」


「そっ、ちょっと不格好だけどね」


「……ただ布に紐を縫い付けただけじゃない」


 疑いに満ちたフォルティナの眼に映ったのは、口にした通りの物体。使用された生地はガーゼ布でマスクに使用される材質としてはごく一般的で適切なものである――しかし、良かったのは其処まで。

 鼻と口を覆える面積のガーゼ布は生地の縁が縫われておらずバサバサな切り口がそのままに、耳にかける紐の部分は両方で長さが異なる。その違いが若干と言える長さである事がせめてもの救いか……これが流お手製のマスクの全容である。


「……はあ」


 これにはマスクがどういう見た目なのかも分からなかったフォルティナですらため息をつき、落胆と共に横に頭を振った。名無とマクスウェルが見ても、間違いなく苦々しい表情になってしまうだろう。


「ますくって、そんな感じの見た目なのね?」


「そ、そうだけど……」


「ちょっとそこ代わりなさい」


「えっ!?」


 呆れた表情を浮かべながらも流をどかせ作業場所に立つフォルティナ。

 テーブルの上にある生地と裁縫道具にざっと視線を泳がせると、長めさがあるガーゼ布を横に折って折り目を付け、その折り目に向かって上下を畳む。その状態のガーゼ布を手に取ったフォルティナは流の顔に当てる。


「鼻と口を覆うって言ってたわよね、なら出来る限り隙間が出来ないようにしなくちゃいけない。あんたが持ってるますくじゃ全然顔の大きさに合ってないわよ」


 ガーゼ布を軽く押し付けて顔の凹凸具合を確かめるフォルティナ、顔の両側面で指を止め生地の大きさを大まかにだが採寸したようだ。流の顔の部分にあたる生地はざっと二十センチの長さ、その長さを維持するよう左右で三つ折りにして厚みをだす。

 生地の形状が崩れないよう待ち針で角を刺し止め、縫い針に糸を通して上下の縁を縫い両側も紐をつける余裕を一センチほど残して迷いなく縫い合わせていく。残る紐も流の顔の大きさに合わせて採寸、ゴム紐のような伸縮性は無いものの長時間耳に掛けても痛まないようコットン生地の布を紐状に縫い合わせ流の顔に取り付けて制作完了。


「お……おぉっ……」


 自分以上の完成度を誇るマスクを装着した流は、初めて作ったとは思えない手際の良さに驚きながらフォルティナ製のマスクに感嘆の声を溢す。


「あんたが作ったのより出来は良いでしょ、作ってて思ったけど確かにこれなら風邪をうつされにくくなって良いかも。作り方もそう難しくないし、裁縫が得意な人に頼めば結構量産できると思うわ。どう、文句があるなら聞くけど?」


「無い、無いよ! 凄いね、俺が知ってるマスクだよ! うわーっ、マスクのこと知らなかった人が作ったとは思えない!! フォルティナさん、裁縫も上手なんだね!!」


「ご希望に沿ったようで。けど、不器用なくせに無理して作ろうとしないでよ。こんなんじゃ誰も使えない上に材料がもったいないじゃない」


「ご、御尤もです……」


 少しでも役に立てればと思っての行動ではあったが、マスクのあまりの出来の悪さに又もや厳しい言葉を浴びる結果となってしまった流。ここまで言われてしまえばマスク作りを続けるわけにもいかないと肩を落とす流。

 だが、


「何突っ立ってるの? 『反逆の境』全員分とはいかなくても、ここにある材料で作れるだけ作るわよ」


「へっ……良いの?」


「良いも悪いも便利な道具を手作りできるなら作るに越したことないでしょ……何? ナガレから言い出したくせにもう他人任せ?」


「そんな事しないってば、俺だってちゃんとしたもの作りたいんだよ」


「なら、さっさと手を動かして。せめて猫先生が返ってくる前にあたし達やレラさん達の分を作らなくちゃ」


 何もするなと釘を刺されてしまうと思いきや、自分を邪険にしていたフォルティナからまさかお許しの言葉が出るとは思っていなかった流。気のせいかもしれないが、マスク作りを通じてそこはかとなく彼女の態度が軟化したようにも思える。

 ついさっきまでは流が少し近づくだけでも強い警戒心を向けていたというのに、今はティニーや名無達の為にとげとげしいとはいえ協力しようする姿勢を見せてくれている。


(チャンスだ! 此処でちゃんとしたマスクを作ってみんなの役に立てる事が出来れば、少しだけでもフォルティナさんに気を許してもらえるようになるかも……頑張るぞっ!)


 ほんの僅かとは言え関係改善の兆しが見え始めた喜びを胸に秘め、流はマスク作りで更なる挽回を図ろうと颯爽とフォルティナの隣で作業を――


「教えるにしても向き合ってる方が良いからあっちに行って、隣で話しかけられたら気が散る」


「…………はい」


 始めようとしたが、やはり其処まで都合良く行く訳もなく。フォルティナの容赦ない言葉に見えない涙を流しながらフォルティナの向かい側のスペースで作業を始める流。

 立て続けに辛辣な言葉を掛けられ、歩み寄れたと思ったらまた突き放され。そんな進展のない状況では悲観するなと言う方が無理な話だ……だからこそ流は気づけなかった。



 ――『ナガレ』から言い出したくせにもう他人任せ?



 今この場においてほんの少しだけフォルティナとの距離感が改善していた事に。




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