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同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第五章 深森教示
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    深域に逃げ場無し(2)


 使い古された木製の机と椅子、そして備え付けられた順番待ち患者用の長椅子に押し入れが二間。

 それが『反逆の(レベリオン・ライン)』における唯一の診療所にして処置室に置かれているものだった、それ以外にめぼしい家具は無い。

 傷や病気の治療に必要な器具や薬品の類は全て押し入れの中に収納されており、机や椅子もやはり診察時にのみ使用される。生活感がまったくと言って良い程に感じられない物淋しい部屋。


「あむあむあむあむ………………う~んっ!」


 そんな診療所に高くもなく低くもない中性的な声がゆったりと響き渡る。


「いやぁ、フォルティナってばまた料理の腕あがったねぇ。グリツルって作る人のさじ加減で凄く甘いか仄かに甘いか極端になるのに、フォルティナが作ってくれるのはグリの実みたいに諄い甘さじゃなくて上品な感じでさぁ……あむあむっ」


 声の主は診療所の主である妖精猫のグノー、猫と大差ない手で器用に竹箸を握りグリツルを口に運ぶ。

「ああぁ、本当に美味しいなぁ」


「そうだろう、そうだろう! 器量良し、腕もたって、料理も出来る! ナガレ殿の良き妻になるのは間違いない!!」


「うんうん、ボクもフォルティナなら良いお嫁さんになれると思うよぉ――フォルティナにその気がないから【絶対】にナガレ君のお嫁さんにはならないと思うけどぉ」


「なんとっ!?」


 甘くのど越しの良い甘味を口にして綻ぶ顔とは裏腹に繰り出されたグノーのバッサリとした否定の言葉に眼を見開き驚愕の声を上げるベッカー。


「なんでそんなに驚いてるのさぁ……まったく一人で勝手に考えを纏めて実行しちゃうのは君の悪い癖だって言ってるよねぇ」


 やれやれぇ、とグノーはグリツルを食べ終え空になった器を置いて自分の正面に座っているベッカーに抗議の視線を向ける。


「フォルティナとナガレ君が戦ってどんな事になったかは聞いたんでしょ? ナガレ君に返り討ちにされて肌も見られて……フォルティナも自分が悪かった事は分かっててもそんな相手を結婚相手にってはならないってぇ」


「む、むぅ……だが結婚相手の条件はフォルティナの要望に適っているのだが」


「そこは感情の問題だよぉ。確かにフォルティナは十六歳で結婚して子供を産んでもおかしくないけど、まだまだ若いんだからぁ。その条件だって結婚結婚って口うるさい父親を黙らせる為に適当に考えたものだろうし、ボクから言える事は一つ――自嘲しなさい」


「…………う、うむ。承知した」


「うん、よろしい」


 第三者としての出した答えを淡々とベッカーに突きつけるグノー。

 しかも口にした言葉が的外れではなく適格に、それも本人に確認を取るまでもなくフォルティナの心情を言い当てていた。その事実を痛いほどに実感させらえたベッカーはグノーの言葉に苦い表情とともに肩を落とした。

 娘の婚期に焦りを覚えるその気持ちも分からくもないが、本人達にその気がなければ幾ら周りが騒ごうとも意味はない。まして誤解から生じてしまったとしても顔を合わせる度にギクシャクとした雰囲気が流れてしまう間柄では今すぐに結婚など無理難題も過ぎるというもの。


「ベッカーも納得してくれたみたいだし、これで一件落着だねぇ。ナガレ君も安心し良い……よぉ? どうしたのナガレ君、胸を押さえて俯いたりしちゃってぇ。具合悪い? 診察しようかぁ??」


「な、何でも無いです。だ、大丈夫ですから……気にしないでください」


「そう? なら気にしないでおくよぉ」


「………………」


 二人の話を順番待ちの患者用に用意した長椅子に揃って座る名無と流。

 彼らにとって勝手知る街の中とはいえ涙と鼻水で顔が不細工に濡れ歪もうと恥も外聞も捨ててフォルティナとの婚約を迫るベッカーに迫れら困り果てる流。名無も蚊帳の外状態になってしまいどうしたものかと困惑に浸ってしまったが、仕方なく……それはもう仕方なくベッカーの手伝いをしていた仲間達が助け舟を出してくれた。

 命を奪うまではしないとは言っても危険であったことに変わりはなく、その謝罪になれえばと何とベッカーを言いくるめグノーの元へたどり着くよう諭してくれたのだ。それが無くては今も道のど真ん中で泣き散らかすいい大人を相手に立ち止まっていた事だろう。

 そして今現在、こうして到着した診療所でグノーによる説得が行われ事なきを得る事が出来た訳だが……


「わざとじゃ、本当にわざとじゃないんだよ。殺されないように、傷つけないように戦ってたらああなっちゃただけで……フォルティナさんを襲おうとして服を破きたかったわけじゃぁぁぁぁ……」


「分かってる、大丈夫だ。グノーさんもただ事実を元にベッカーさんを説得しようとしてくれただけだ、流を責める意図はない」


「そうだと思うけど、そうなんだとは思うけど……こう何度も言われると俺って本当はそうしたくてしたんじゃないかなって思えてくるんだよ」


「気をしっかり持て、言い方は良くないが罪悪感を感じすぎればそこを付け込まれてしまうぞ。そうなればグノーさんでも対処しきれない可能性も出てくる、ほとぼりが冷めるまでは辛くても身の潔白を主張し続けるんだ」


「うぅっ……痛い、胸が痛いよぉ」


 森で、屯所で、道中で、そして診療所でも。

 何度もフォルティナの服を破って肌を見たという言葉を突き付けられ、心臓を良心の呵責という痛みでめった刺しにされる流。悪意がなくとも事実であるが故に誰が口にするだけで、それは流にとって容赦のない質量なき不可避の刃となる。

 現にグノーのお陰でフォルティナとの結婚話を取り下げる事が出来たというのに、黒い双眸は涙で潤み痛む傷口に触れるように胸を押さえている……身体に傷がなくても痛々しいその姿に名無はそっと流の背中に右手を添えた。


「う~ん、フォルティナと戦ったのは不可抗力だったんでしょ? 別にそこまで気にしなくても良いと思うんだけどなぁ」


「そう言われればそうなんですけど……でも、女の子をその……は、はは、はだ……にしかけちゃったし」


「ああ、フォルティナを裸にしちゃったのを気にしてるんだねぇ」


「裸にしてませんよ、しかけちゃったんです! そんなさらっと罪を重くしないで!!」


 フォルティナの身に着けていた服をボロボロにしてしまったことは間違いないのだが、見えてはいけない部分はしっかり残っていた。だからと言って異性に対する仕打ちとして許されるような事ではないのだが、あたかも服をすべてはぎ取ったかのような表現をされてしまっては無視は出来ない。

 もし本当にフォルティナの肌色一色の姿を見てしまったのなら、ベッカーの申し出を断ることなど流に出来るわけがない。それことベッカーの言うように元の世界に戻ることはできずこの世界に骨を埋めることになるのだから。それも望まぬ形の婚儀を結び、新婦となるフォルティナの怒りと軽蔑に満ちた眼差しを向け続けられる悲しく哀れな結婚生活を余儀なくされて。


「ごめんごめん、ナガレ君を悪者にするつもりは無いよぉ。それに罷り間違ってナガレ君が言ったみたいに話がみんなに伝わっちゃっても、ボクが責任もって無実を証明してあげるからさぁ」


「本当に本当ですかっ!? 本当にお願いします、本当にっ!!」 


 フォルティナとの結婚話を取り下げる事は出来たはしたが、まだまだ流の苦悶は続きそうである。

「それでぇ三人はこの後どうするんだいぃ? 屯所に戻るのぉ?」



「いや、まだ街の案内が途中でな。それに我等の事もまだ話せていない、街の案内がてら話しつつ客人用に使っている家を見せようと思っている。我等に協力するかしないか、即断即決を求めるほど無礼を働く気はないさ」


「そっかぁ、ならボクから言う事はないねぇ。ナナキ君達はベッカーに任せるとして、それじゃボクは食器を返しに行くついでに屯所に居るレラとティニーちゃん、それとマクスウェルさんを連れて向かうことにするよぉ。街の事はあとでナナキ君が教えてあげてぇ、その方が効率も良いしぃ」


「良いのか? 此処を離れている間に患者が来るかもしれないが……」


「ああぁ、大丈夫大丈夫。『反逆の境』にはボク以外の薬師もいるし、体調管理は普段からしっかりしてって口を酸っぱくしてるから逆に暇で困ったもんだよねぇ」


 困ったものだと口にしてはいてもひげ袋から伸びる髭を撫でつける顔に不満は無く、朗らかに満足そうに目元を緩めていた。怪我や病気を患う者がいなければ医者としては仕事ができず商売上がったり状態だが、同時に痛みや不安に苦しむ患者がいないという事でもあり医者冥利に尽きるというもの。

放浪の薬師であってもそれは同じ、活躍の場が無い事がグノーにとってもこれ以上ない報酬であるのだ。


「なら、グノーさんの暇を潰す為にもなるならレラ達を頼みたい」


「頼まれましたぁ」


「では、案内の続きと行こう。レラ殿達と合流する前に終わらせてしまわねばな」


「今度はちゃんと案内してあげるんだよぉ、いってらっしゃ~い」


 再びベッカーの先導で街の散策に戻る名無と流。

 診療所までの道のりではベッカーの先走りによって散々な道中ではあったが、グノーのありがたいお説教のお陰で今度こそ滞りなく案内を終える事ができるだろう……


「……う~ん、ベッカーに釘は刺したけど……どうかなぁ……しばらくは大人しくしてくれるとは思うけどぉ……理解はしてくれたと思うけど納得はしてなさそうなんだよねぇ」


 が、早速名無達を送り出したグノーの口から呻くような不穏な響きがこぼれ出る。


「ひとり親だし、愛情は人一倍だし、何より眼に入れてもいたくないって豪語する親ばかだし、何よりフォルティナは一人娘だしぃ……」


 腕を組み自分の口から出た言葉を吟味するグノー。


『反逆の境』で過ごした時間を思い出し、ベッカーならどうするかを頭の中で思い浮かべ………………眉間に深い皺を浮かび上がらせる。それはそれは苦々しい表情で。


「他の子達が手伝うって事はもうないだろうけど、ベッカーなら一人でもやらかすねぇ。ナガレ君には悪いけど深域にいる間は苦労かけちゃう事になるけど仕方ない……うん、仕方ないよねぇ」


 窘めはしたがほぼ確実と言っていい程にベッカーが流とフォルティナの結婚を諦めていないと結論付けたグノーは、流に言って見せた頼りがいある対応をあっさりと覆してしまう。


「とは言っても何もしないのは可哀そうすぎるから、フォルティナに話はしておこうかなぁ。流石のベッカーでもフォルティナが強く言えば踏みとどまってくれるだろうしねぇ」


 せめてもの罪滅ぼしと言ったところだろうか、グノーは知らない所で除け者にされているもう一人の当事者、フォルティナにもこの如何ともしがたい状況に巻きこ――助力を求める事に。

 長い歳月を生きた経験豊富な妖精猫でも解決出来ないこと出来ない、それが愛する娘の一生を決めかねない事で、愛するが故の父親のやらかしであれば猶更であった。


























「――本当は何とかしてあげたいけどぉ……ボクには出来る事が無いからなぁ。まったく良い子からいなくなっちゃうんだから困っちゃうよぉ」





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