03 次なる一手(1)
「……ごめんなさい……」
「何も悪い事はしていないんだ、謝らなくて良い」
「そうですよ、ティニーちゃん。疲れている時に休むのは悪い事じゃありません」
名無、フォルティナ、流。
それぞれが今後どう行動すべきか水面下で警戒し合い模索する中、気がつけば辺りはすっかり暗くなっていた。隙間さえ作らないように重なり伸びる樹枝によって空の様子を確認することは出来ないが、名無達が囲むたき火が放つ柔らかな灯りが唯一の光源となっている事を考えれば空に星が輝いている時間であると見当が付く。
ティニーが自然と眼を覚ますのを待った結果なのだが、名無とレラにティニーを責める様子は無い。それはフォルティナと流も同じだ。
「二人の言う通りね、休まなきゃいけない時に休むのは当たり前の事よ」
「そうそう、それにティニーちゃん魔法の練習をして疲れてたのに俺の怪我を治してくれたんでしょ? 眠たくなっちゃうのも仕方ないと思うな」
フォルティナと流の争いに遭遇していなければ、名無達が休憩を取っていたであろう事は想像に難くない。魔法に寄らない身体機能の向上を目的とした身体作りに、『着識製記』によって習得した魔法知識と魔法制御の誤差修正、そして自身の得意属性では無い魔法の練度向上。可能な限りレラやティニーに負担をかけないようにと注意を払っての度の道中ではあるが、小さな子供がこなすにはどれも中々の難度だ。
それでもティニーが不満を口にすることはなく、むしろ率先して修練に取り組む姿に名無だけでなくレラも逆に心配になってしまうほどだった。今回の寝坊はそんなティニーの身体を心配した二人の配慮から起こってしまったこと。
誰が悪いのか、誰が謝らなくてはならないかのか。それを明確にするのであれば名無とレラであるのだが、これも一種の思いやりであり素直で真面目すぎるティニーの意識改善も兼ねたもの。
フォルティナと流もその事を知る由もないが結局のところ誰も悪くない、たったその一言に尽きる。
「で、でも……」
『――気に病む必要はありません、ティニー様』
「マクスウェルお姉ちゃん」
名無達の励ましにも難色を示すティニーの様子に苦笑を浮かべる名無達、素直で優しいのはティニーの長所だ。しかし、だからこそ自分が眠っていたせいで名無達に食事を我慢させたと酷く落ち込んでしまっていた、暫くすれば調子を取り戻してくれるだろうが放っておくのは何とも忍びない。
微笑ましくも頭を悩ませる名無達に助け船を出すようにマクスウェルの声が響く。
『ティニー様は今第二次成長期です、疲労の有無にかかわらずティニー様とって睡眠の質は今後の成長に大きな影響を及ぼします。睡眠不足は倦怠感、頭痛、集中力と注意力の欠如、血圧の上昇、吐き気やめまい。鬱病、生活習慣病、ホルモンバランスや自律神経の乱れなど様々な悪影響を引き起こす要因となります。最悪の場合は死に至る事も……これらを踏まえてより良い肉体に仕上げる為にも睡眠はしっかりと取っておくべきです、ティニー様が健やかに成長することこそマスター達に取って何よりの支援となるのですから』
「……うん、ティニーねむいのがまんしないようにする!」
睡眠不足がティニーの身体にどんな影響を及ぼすのか懇切丁寧に解説して見せたマクスウェル。名無とレラがティニーの事をいかに按じているか、医学の面からも筋の通ったデメリットの有無、極めつけはティニーがどうすれば名無達に貢献出来るのかという道筋の提示。
子供ながら様々な経験をしてきたティニーを見事に説得して見せたマクスウェルの手腕に、名無とレラはほっと胸をなで下ろす。名無達も時間を掛ければティニーを説得することは出来たかも知れないが敗者の終点を訪れるまでの間、ティニーが抱いた疑問に真摯に答えてきた実績がある。
ティニーが疑問を抱いた物の中には名無やレラ、成長したからこそ答えづらい物も多くあった。そんな質問に対しても言葉を選び、表現を考え、適した結論を持って教示を続けてきたマクスウェルの言葉だからこそ差し障りなくティニーを説得できたのだろう。
『今後もこう言った機会があるかと思いますが、その時は気に病むこと無く睡眠を取るようにしてください。睡眠は発育において重要な成長ホルモンの分泌にも関わってきますので』
「せーちょうほるもんって?」
『成長ホルモンとは脳の下垂体から分泌される小児期における骨や筋肉の発達、思春期には性的な成熟を促し代謝機能にも関わるホルモンです。睡眠とは肉体と脳、両方が休眠状態にあるノンレム睡眠と肉体は眠っていても脳が起きているレム睡眠の繰り返しです。成長ホルモンが多く分泌されるのは睡眠中の最初に音すれるノンレ――』
「マクスウェルお姉ちゃん、わかんなことばがおおくてむずかしいよー」
『申し訳ありません――簡潔に言うと子を成す為に最適な肉体、レラ様やフォルティナ様のように女性らしい起伏ある肢体を得る為に必要な物です』
「マ、マクスウェルさん!?」
「ちょっ、子供相手に何を言ってるのよ!!」
ありのままの事実と実在する見本を持ってティニーに理解を促すマクスウェルではあったが、止める間もなく教材とされてしまい揃って羞恥に顔を歪め頬を染めるレラとフォルティナ。しかし、ティニーはそんな二人に希望に満ちた眼差しを向ける。
「たくさんねたらレラお姉ちゃんたちみたいにせがのびる?」
『個人差がありますので絶対とは言えませんが、お二人の体つきには近づけるかと』
「おっぱいもおっきくなる?」
『現状よりもサイズアップする可能性は充分にあります』
「レラお姉ちゃんたちみたいにきれいになれるかな?」
『ティニー様なら充分に魅力的なレディになれるでしょう』
「わーい!」
「「……っ……」」
レラとフォルティナの容姿に対する純粋な憧れを口にするティニー、向けられる言葉とキラキラと輝く翡翠色の瞳に一切の悪気は無い。それはマクスウェルも同じく、こちらは人と何ら変わらない感受性を獲得した人工知能だからこそより合理的に補助すべき対象に相応しい答えを述べているだけ。
ティニーは成長する事への羨望と期待を、マクスウェルは成長することの過程と重要性を。そんな純粋さと精細さが色濃く表れる会話は、レラとフォルティナに思わぬ傷を負わせることとなったのだった。
そして、
「………………」
「あ、あは……あははっ」
それ以上に手痛い立場に立たされているのは名無と流とも言える。
話の内容は睡眠の大切さと睡眠が身体の成長にどれだけ影響があるのか、それだけ聞けば何ら問題の無い内容である……話題が女性の身体で有りティニーとの比較対象がレラ達でなければ。
この場に居るのが女子だけであれば姦しいガールズトークで済ませる事が出来ただろう。しかし、彼女達のやり取りを最初から最後まで立ち会ってしまった。それだけでレラとフォルティナの視線は自然と彼等に向けられてしまう。
「……うぅ……」
「っ!」
頬を朱くしたレラは胸元を隠すように着ているロングコートの前を閉じ、そんな彼女を背に隠し鋭い視線を名無達に向けるフォルティナ。フォルティナも恥ずかしくない訳では無いのだろう。レラと同じように頬を朱く染めているが幸いレラのローブで身体のラインが隠れている為、壁役を買って出たようだ。
けれど名無と流がそういった眼で二人を見ていた訳ではないだが、それでもフォルティナが浮かべる刃のごとき視線には「こっちを見るな」という非難が篭もりに篭もったもので。
そんな彼女の視線にいたたまれなくなり、名無は目蓋を閉じ流は顔を横に向けてフォルティナの抗議から眼を背けた。覆水盆に返らずではあるが、名無達に非が無くともマクスウェルが行ったのは女体についての講義。マクスウェルの説得に感心し見守るのではなくそっと耳を塞ぎ距離を取る――それこそが男性陣が取るべき最適な配慮、それがどれだけ理不尽な要求だとしても男には屈すべき時があるのだから。
各々が最後の悪足掻きを見せる中、名無は閉じた目蓋をあげる。当然ながら視点はレラやフォルティナに併せないよう細心の注意を払って。
「二人が言いたい事は分かる。だが、今まで過ごしてきた中でレラの身体を下心を持って見たことは無い……彼女の笑った顔やドレス姿を見て見惚れてしまった事がある。他にも何度かそう言った事があったがそれも判定に入るだろうか?」
見惚れたといっても性的な意味合いであった事は一度も無く、レラの容姿は言わずもがな彼女の笑顔に、村の子供達やティニーとの微笑ましい触れあい、彼女が見せてくれる自暖かな情景に何度心を打たれたか。
それも下心に入ってしまうのであれば言い逃れはできないのだが、名無は隠す事なく胸の内を打ち明ける。
「そ、それは……」
端から見れば告白同然の名無の言葉にフォルティナは自分の背後に居るレラへと顔を向ける。自分が言われたわけではないと言うのに彼女の頬はより朱を帯びて、抗議の視線が浮かんでいた赤い瞳には僅かな戸惑いと多大な好奇心が居座っていた。
「……ぅ……っ……」
名無の言葉とフォルティナの好奇の眼、そしてフォルティナと同じように驚きチラチラと名無に視線を向ける流。
三人の意味深な雰囲気にレラは眼を潤ませ口をパクパクと動かす事しか出来ず声を詰まらせていた。落ち着いているのは色恋に疎いティニーと保護者的な立ち位置を決めているマクスウェルだけ。
名無の言葉にフォルティナと流が考えているような感情がこもっていない事はレラも分かっては居るのだろうが、字面で見ればどうみても愛をささやいているようにしか見えないのも確かなのだ。
レラがこのまま何も出来ずに居ると名無が彼女を心配して動くことは間違いない。
それは間違いなくレラを想っての行動なのだが、この状況を悪化させてしまう可能性が非常に大きい――レラの女としての直感がそう訴えていた。
これ以上フォルティナの名無への心象を悪くすまいと、何より恥ずかしい思いをしまいと言葉を失ってはいても何とかレラは顔を大きく横にふって『見惚れた』が判定に入らない事を力一杯表現してみせるのだった。
「レ、レラさんが大丈夫なら問題ないわ」
「そうか、見惚れる分には問題ないのなら安心だな」
「っ!?」
(いやっ、問題だらけだわ!?)
(この状況でそんな事言っちゃうの! これ俺達が聞いちゃ駄目なじゃないのっ!?)
自分への惚気とも言える名無の賞賛のすぎる言葉にレラは両手で赤くなった顔を隠し声にならない悲鳴をあげ、フォルティナと流は揃って照れる事無くレラを褒め殺しする名無に裂けんばかりに開かれた驚愕の視線を向けるのだった。
「……すまない、何かまずい事を言った……のか?」
そんな三人の様子に迂闊な発言を自覚するも何に対してなのかが理解出来ずに眉を寄せる。
「レラお姉ちゃんたちどうしたの? ナナキお兄ちゃんいがいみんなかおがあかい、おねつあるならティニーがみるよ」
『何も問題ありません、ティニー様』
気まずげな四人のやり取りを見て具合が悪いのかと心配するティニー。だが、その心配が空振りに終わる事を知っているマクスウェルは何事も無くティニーの首元で淡い光を放つ。
『紆余曲折ありましたが睡眠に対する抗議は無事に終了です。続いては役割分担をして全員で夕食の準備に取りかかりましょう。食事も成長に大切な要素です、緊急時で無い以上は一食といえど疎かにすべきではありません』
「うん、ごはんもいったいたべる」
『その意気です、ティニー様』
ただティニーに眠る事の大切さを教えるだけの話を紆余曲折させた張本人であるマクスウェルは、未だティニーの視線の先でうまく会話を繋げられずにいる名無達を尻目にふてぶてしくもティニーの成長に尽力を尽くすのであった。




