三者迷走(3)
――ティーカップに注がれた最初の一杯を飲み終え、開かれたお茶会も恙なく終わりを見せていた……そこに会話らしい会話は無い。しかし、その場の雰囲気が悪いわけでは無い。
「……くぅ……くぅ……」
お茶と茶菓子で食欲が満たされ森の散策、魔法の練習。
少なくない疲労がたまっていたのは流とフォルティナだけで無く、この場で最も幼いティニーにも当てはまる事だった。
寝床として薄手のシーツが敷かれてはいるがその下は決して柔らかくは無い固い地面、それでも健やかに繰り返される寝息に寝苦しさは感じられない。子供ながらも幾度となく野営を経験してきた事で、しっかりと休むコツを身につけたのだろう。
だが、ティニーの眠りを穏やかにしている一番の要因は少女の頭を優しく撫でつけ、膝枕の柔らかで温かな膝枕が決め手になっている事は穏やかな寝顔が語っていた。
そしてそれは、レラとティニー。二人を柔らかな眼で見つめる流達にも伝わっていた。
「気持ちよさそうに眠っているわね」
「今日は日が出る前に身支度を済ませて森の中を歩きましたし、それに魔法の練習も沢山……どっちもティニーちゃんには大変な事ですから」
「そうだよね、子供が旅をするって言うだけでも凄い事だもん。疲れちゃって眠っちゃうのも無理ないよ」
三人が互いに口を噤んでいたのはティニーの眠りを妨げない為。
話す事になっても出されるレラ達の声は森が作り上げる自然な静けさの中だからこそ聞き取れることが出来る程に小さなもの。囁き声で起きてしまうほどティニーの眠りは浅くは無いと分かってはいても、三人の声が大きくなることは無い。
「ナナキさんが戻ってきたらお昼ご飯にしようかなって思ってたんですけど……すみません、ちょっとだけ待ってもらっても良いですか?」
「私達の事は気にしないで、お茶やお菓子まで提供してもらって身で要望を通そうとはおもっていないから」
「それに今はご飯食べなくても大丈夫なくらいだしね、レラさんもティニーちゃんがお腹を空かせて起きるまでゆっくりした方が良いよ」
「ありがとうございます、それじゃお言葉に甘えさせてもらいますね」
二人から昼食を待って貰える了解を得られた事でレラの肩が僅かに下がる。
名無が心配ないとこの場を離れた事で二人が信用に値する人物達である事は分かっていたレラだったが、それでもやはり少なからず緊張の糸は張っていたようだ。
「私は少し考えたい事があるから眼を瞑らせてもらうわ、眠るような事は無いから遠慮無く声を掛けてくれて良いから…………貴方は変な気を起こさないことね」
「お、起こさないし起こす気も無いから。俺もちょっと気持ちを整理したいから静かにしてるよ」
「……そう、なら良いわ」
流に疑いの眼差しを向けるフォルティナ。とは言っても、暫くすれば名無が戻ってくると分かっていて事に及ぶような真似はしないだろう。そんな信用とは異なる意味合いを込めた睨みを効かせ、そのまま目蓋を瞑るのだった。
流は流で「うぅ、信用無いなー。不可抗力だって言ってるのに」と弱音と不満を吐き膝を抱え俯く。
(ナナキさんが助けに入った時の刺々しい雰囲気は弱くなった気がしますけど、や……やっぱり気まずさは残りますね)
目蓋を閉じ思考に浸るフォルティナ、落胆に落ち込み膝を抱えて俯く流。
こうなってしまえば話し合いは出来ない、今の二人にレラが試行錯誤して話題を振っても両者供にレラと言葉を交わすだけでフォルティナと流の間で会話が成立するとは言えない状況だ。
ハーブティーで二人の強ばった精神と雰囲気を解し、互いに謝罪しあい、気持ちよく和解の握手をする……そんな希望的観測が現実になる事は無かったが僅かでも改善する事は出来たと納得するしか無い。
(…………すみません、ナナキさん。私にはこれが精一杯です)
しかし、レラもフォルティナと流の状況が名無が望んだように好転していない事に気付いていた。そしてそれが名無が胸の内に隠す焦りそのものである事も……。
(身体は一日休めば問題ないだろうけど魔力の方は全快とはではいかないわね……いえ、万全に回復出来たとしてもあの二人には……)
眠るティニーの世話をするレラに断りを入れ自分が置かれている状況、身体の調子を眼を瞑り精神統一を図りながら確かめるフォルティナ。その表情に変化は無いが閉じた目蓋の裏には流との戦いで敗北した自分の姿がありありと浮かんでいた。
そして、名無が流よりも強いであろう事も予想から確信に変わっていた。
(私達の傍から離れる時に結界魔法を掛けていったみたいだけど全くの無詠唱、その上魔力の気配を感じなかった。魔力光も一切みえなかった――)
フォルティナはローブの下に隠れている右手で腰掛ける地面に触れる、衣擦れの音や地面をこするような些細な音さえ立てないよう慎重に。
(こうして魔法を探る事に意識を集中させないと気付けない練度……こんな緻密な魔力制御下で発動させているのは三つ。ちゃんと私達を護るように展開されている)
微かに感じ取る事が出来る魔力の気配から属性は土、風、光の三属性。
そのどれもが信じられないほどに自然に森の木々や草花が放つ魔力に溶け込むように設置されている、これだけの魔力制御が出来るとすれば選定騎士の位に就く者のみだろう。
(でも、選定騎士から離反者が出たという情報は上がっていない。そもそも離反すること自体あり得ない事だけど……なら彼 はいったい?)
選定騎士の任命は魔王が直々に下すもの、そして同時に選定騎士に選ばれた証として異能を与えられる。その証明として選定騎士全員が魔王と同じ銀の瞳を発現させるのだ、魔族の様に生まれながら特殊能力を宿し生まれるように、異能を持って生まれる人間もいる。
けれど、その数は決して多くは無い。
名無も流も銀の瞳を体現できる以上は、どちらも選定騎士であると考えた方が余程納得がいく。だが、二人の身の上話を信じるのであれば選定騎士では無く異能を持って生まれた数少ない希少な人間。
魔法、異能と二つの力を持つ人間の中でも自身が思うがままに振る舞うことを許された強者。だと言うのに二人は人間の中で出来損ないの烙印を押された欠陥者……流に関しては不審な点が多すぎるせいで何を疑えば良いのか分からない。
しかし、何を差し置いても疑って掛からなければならないのがどちらなのかはハッキリした。
(魔法を使わず異能だけで私を倒した、それ自体は出来ない事じゃ無いけど――魔力を持た無い人間が今日まで生きてこられるものなの?)
この世界で力の象徴であり、人間社会において揺るぎない指針となる魔法。
その魔法を扱う為の魔力を一切持たず生を受け、生まれながらにして弱者に施しが与えられる程この世界は優しくは無い。異能を持って生まれたとは言っても、自分の意思で扱えるようになるまでには最低でも三年の年月は必要だ。
その三年の間に只生き残る事だけでも絶望的だと言うのに、自分を魔法無しで倒してみせた少年は軽々と言ってのけた。
(ナナキさんの歪さとは違う……何もかもちぐはぐ)
魔法が使えないという話が事実なら、自分の目の前にいること自体が奇跡と同義だ。身形から考えるのであれば格式ある魔法騎士の家に生まれ、魔法の代わりに異能という希少な力を授かったが為に処分される事無く育てられた事になる。
そして授かった異能の力が魔法騎士どころか選定騎士にも届きうる程に優れたもの、魔法の発動の際に少なからず気取られる魔力の気配を発せずに、魔法と何ら変わらない――下手な風属性魔法など足下にも及ばない威力と利便性。
魔法を使えないという欠点を補って尚余るほどの逸材、人間という種として欠陥を抱えていても生かす価値があると庇護を受け生き長らえた……そんな特殊な状況下で生きてきたというのなら決してあり得ない事では無い。
だからこそ、
(ナナキさんの介入が意図したものでないとしても簡単に信用して良い相手じゃ無い、もしかしたら魔法が使えないと装っているのかも)
魔法が使えるのに使わなかった、明らかに手加減した相手に負けた。その予想が当たってしまったら甚だ遺憾だが、流とは何度か言葉を交わしただけで身に付けている風変わりな服に、所持している道具の類いを調べたわけでは無い。
『魔封じし流るる帯』を使って魔力を封じているのなら突拍子も無い穴だらけの仮説も筋が通る事になる。他にも魔法による強化が施されていないにもかかわらず高い身体能力をどうやって実現させているのかも気になるが、今の段階では確信を得る為の情報が圧倒的に足りていない。その情報を得る為に友好的に振る舞うのも一つの手段だとは分かっているが、たかだか数時間の相対で殺し合いをした相手に気を許せる訳がない。仮にそんな姿を見せることができたとしても、自分がされる側だとしたら敵対者からそんな態度を向けられては裏があると警戒以外の選択肢など思い浮かばないと断言できる。
(カザネが私に嘘をついていたとしても『明輝暗目ヘリツヒカイト・オープス』で分かる……けど、『嘘はついていないけれど本当の事も言っていない』状態の相手じゃ異能の効果は半減してしまう。戦っても勝てない、情報収集も侭ならないんじゃ手詰まりも良い所ね)
とは言っても、今の自分の最優先事項は『反逆の境』が戦力を整え終わるまでの時間稼ぎ。
(そう考えれば今の状況は私にとっては好都合だわ、後はこの状況をどれだけ引き延ばすことが出来るかだけど……)
最悪だとしても今日一日、最低でなら三日間、最高をと考えるなら一週間以上。この森で足止めさせておくのが一番都合が良い。でも、それが難しいという事も充分に理解している。
(森での足止めは出来て一日が限度、それ以上は絶対に不自然さに気付かれてしまう。私に取れる手段は一つ)
フォルティナが名無達を少しでも足止めし『反逆の境』の所在の露呈を防ぎ、仲間達の準備が調うまでの時間を稼ぐ為の最高の手札は準備などしなくとも既に手に入っていた。それは名無達がフォーエンについて名前以外の情報を何一つ手に入れていないという事実。
通信機器が存在していないこの世界において目的地の正確な場所が分からない、たったそれだけと言えてしまう様な事でも充分な弱みとなり得る。
(彼等はフォーエンの場所どころか、どんな街なのかさえ分かっていなかった。なら、森を出た後でも時間は稼げるはず……問題なのは私がどれだけ自然体でいられるかね)
フォルティナが少しでもぎこちなさを見せてしまえば、名無やマクスウェルがそう遅くなく気付くだろう。医者としての経験が少ないとは言ってもティニーは元来備わっている高い感受性がある、言葉を交わさずともフォルティナの緊張を感じ取るだろう。
名無とマクスウェルの経験に裏打ちされた観察眼、純粋な子供だからこその第六感。
不自然さを感じ取っただけでは無理にフォルティナの心色を読み取ると判断する事は無いだろうが、決して気のせいではないと信頼出来るだけの説得力を有している二人の言葉があれば、躊躇いながらもレラも心色詠みを決断する事だろう。
そうなれば敵対する意思の有る無しに関わらず状況は一気に動き出す。それをさせない為にフォルティナに出来る事は視線や言葉から鋭さを無くし、仕草や纏う雰囲気から硬さを取り払う。
だが同時に歩み寄りすぎても行けない、途端に警戒を解いて距離を縮めれば思惑があると言っているも同然なのだから。
(予想してなかったなんて言い訳は出来ない。こんな所で、予想外の事態に遭遇したからといって私達の計画を潰えさせる訳にはいかないのよ…………覚悟を決めないさい、フォルティナ)
まだ死ねない、死ぬわけにはいかない。まだ自分には成すべき事がある。
閉じた目蓋の裏に広がる薄暗い世界で思考と自問を繰り返しフォルティナは一人、自身の双肩にのし掛かる此処にはいない仲間達の命運とおのが指名の重圧に小さく喉を鳴らした。
レラの淹れてくれたハーブティーで潤ったはずの喉に、何ともしがたい乾きを感じながら。




