02 三者迷走(1)
「そのフォーエンって街がどうしたの、危ない所?」
「事前に聞いた話では特に危険が待ち受けていると言う事は無い、俺達にとっては次の目的地というだけだが……彼女に取ってはそうじゃ無いらしい」
「――っ」
問い詰めるのでは無く只の事実を口にしただけでしかない名無の言葉に、フォルティナはハッと息を飲み視線を逸らす。しかし、その行為が既に遅きに失するものであった事はレラやティニー、フォルティナの動揺を正しく理解できていない流であっても分かりきった事だった。
「一先ずは俺の話に耳を傾けてくれ。その後の判断は君に任せる、仮に君が戦う必要があると結論をだしても俺は君を殺さない。大前提として俺もレラ達も敵対の意思はない事だけは分かって欲しい」
「………………」
名無を見つめる瞳の色に変は無く数秒の沈黙の後、フォルティナは苦々しい表情を浮かべ小さく溜息を付きながらも頷きを持って名無に先を促した。
「俺達は旅をしているが明確な目的は無いが……人間の出来損ないである俺の手を取ってくれたレラ達と供に世界を見て回る、敢えて言うならそれが目的と言えるかもしれないな」
「世界を見て回って……それで何をするつもりなの?」
「仮に何らかの騒ぎ、危険と遭遇したとして……その時々で考え、思ったままに行動する」
その行動が関わった魔族や人間、周囲の状況にどんな影響を与えてしまうか予想は出来ても自分の歪んだ衝動を満たす為に動く。それが尤も分かりやすい答えであり、そしてそれは正しくフォルティナにも伝わったのだろう。
名無の言葉によって彼女の眉をキツく眉間に寄せられ厳しい表情を浮かべている。
「自分の強さに確固たる自信がある者の言い分ね、助けて貰えるのならありがたい話だけど……」
「身勝手な言い分である事は自分でも理解している。だが、自分から望んで魔族や他の人間を傷つけるような事はしない、するつもりもない事だけは断言出来る……これに関しても信用してもらいたいが最終的な判断は任せる」
「判断を任せられても正直困ってしまう発言ばかりじゃね……でも、貴方が歪な人間だって事だけは理解したわ」
「名無が歪……って、どういう……?」
「はあ……本気で言っているのね」
『明輝暗目』は使ってはいなくとも、名無と流が異世界の人間だと知らなくとも。胸の前で腕を組んで首を傾げる流の姿は、こちらの世界の情勢に疎い事をありありと吐露していた。マクスウェルからの一定量の情報提供があったとは言え、実際の状況に直面していない事から現実味が薄いのだろう。そんな流の反応はフォルティナから見れば身形の良い世間知らずの少年にしか見えないものだった。
そしてそれは名無にも当てはまる、流とはまったく別の意味で。
「魔族と手を取り合える人間は少なからずいるわ。でも、その殆どが安全だと判断できる土地で定住している。ナガレ、この理由くらいは分かるでしょう?」
「た、多分…………魔族の人は分からないけど人間からは命を狙われるから……だよね」
「ええ、簡潔に纏めればその通りよ。もっとかみ砕いて言えば魔族に組みする人間は人間じゃ無い。魔族と同じ使い捨ての消耗品、殺すも生かすもその人間の気分次第。見つかれば問答無用で処分される……そんな性根の腐った言い分を口に為るだけでも気分が悪くなるわ」
「……っ……」
人間同士の諍いがないとは言えない、個人の眼では届かない場所で決して小さくない争いが起きている事も知っている……それでもフォルティナが語るこの世界における種族間にある価値観の隔たりに言葉を失う流。
(どんな世界だろうと弱肉強食という理は生きる上で避けられないが……流でも厳しいだろうな)
魔族と人間族と異なる枠組みが存在する世界。そんな世界で同じ人間が、言葉を交わしわかり合えるかも知れない相手を一方的に見下し傷つけ命を奪う。そんな世界に流は迷い込み、何れはそんな悪辣な人間から言葉で語らう時間も無いまま作業のように命を奪われるかも知れない。輪外者》という大凡同質の枠組みの中にいるとは言え今日までの出来事を思い返し直してみても、一学生である感覚が強い彼では簡単に受け止め動くなど難しいだろう。納得出来ようはずも無い苦難に晒され、身体だけで無く心も打ちのめされてしまう流の姿が簡単に思い浮かぶ。名無はこれから流の辿るかもしれない感傷に眉を寄せるが、再びフォルティナの話に意識を戻す。
「そんな下衆な輩がいる事を知っていながらレラさん達を連れて、隠れるどころか堂々と空の下を歩く。そんな事をすれば嫌でも目立つ、相手が魔族にしろ人間にしろ不要な争いの火種になってしまうのは貴方の方が分かってるでしょ」
「ああ、現に何度か因縁を付けられた事がある。比率としては人間の方が多いが」
「当然の結果でしかないわね。貴方一人ならともかく強力な心器の材料になるブルーリッドと一緒なんだもの、加えて奴隷取引で高値で取引される子供も連れ歩いている……少しでも腕に覚えがある人間に見つかれば因縁をつけられ、良識ある人や魔族に見られれば恫喝され場合によっては戦闘になる」
「別に悪い事なんてしてなくてもそんななの?」
「ええ、ナナキさん達は何時殺し合いになってもおかしくない状態で旅をしているのよ……一般的な常識と感性を備えている人間なら絶対に選ばない選択肢ね」
レラやティニーのように身だしなみの調っていれば一目で奴隷の身分ではない事が分かってしまう、奴隷だとしても主人である名無に重宝されていると考えるだろう。そんな二人を連れて歩く人間が何の変装も偽装も無いままに行動していれば、身勝手な欲望を満たそうとする者達が勝手に名無達の元へ寄ってくる。
名無の実力に気付けず悪意を隠すことも無く近づいてくる者、名無との力の差を理解し害意を巧妙に隠し寄ってくる者。そのどちらでも対処するだけの経験と力が名無にはある。だが、名無と同じように力があったとしても自分達自身を囮にするような真似をするものは殆どいない。
名無がしている事はたった一人で世界の悪意との対峙、そんな過酷極まる道を選ぶ人間はまずいいない。魔族と心を通じ合わせ互いを想い合えるからこそ、勝てないと分かっていて戦いに挑み何も残せず何もなし得ないままに終わる。そんな蛮勇は選べない、出来るのは愛する者を危険から遠ざける事だけ。そして身を隠し慎ましくも平穏に満ちた生活を只管に護り、続ける事が手を取り合い心を重ね愛を結んだ人を魔族の戦いの形なのだ。
「これで私がナナキさんを歪だといった意味が分かったでしょ、彼は人間でも魔族でも選ばない選択肢のもとに旅をしている。それも一人でじゃなく戦う力が弱いレラさんとティニーちゃんを連れて……正直に言って自分の力を過大評価してるとしか思えない、なのに理性的にレラさん達と過ごし、無視すべき私達のやり取りに首を突っ込んで起きながら、冷静に仲を取り持つ段取りをくんで見せた。それも見返りらしい見返りも求めずに……これだけチグハグな言動と行動を見せられれば気付けないわけが無い」
「それじゃ、フォルティナさんは名無を」
「当然、警戒させてもらうわ――フォーエンについて知っている事は話すけど」
「……え、何で?」
今の流れは間違いなく名無の質問に答えない流れではなかったか……そんな疑問を抱いた流れは戸惑いの眼差しと供に胸の内を吐き出してしまう。
「確信できたのは彼の歪さだけ……でも、それは間違いなくナナキさん自身の意思から来るものでしょうね。誰かに命令された物であっても言動と行動が一致しないのはおかしい、仮にそれを実行できるだけの演技力があるとしても言動や行動だけじゃなく精神面でも必ず綻びが出てくるのが普通」
「名無にはそれが無いから怪しいって事か」
「ええ。矛盾を矛盾のまま矛盾無く行動理念として掲げ実行できている、それはもう正気を保ったまま狂ってる妄信者と変わらないわ。そんな相手に嘘の情報を伝えた所で何の駆け引きにも成らなければ一切得も無い。下手をすれば自分で自分の首を絞める結果にしかならないもの」
「……驚いた、今日出会ったばかりの君にここまで分析されるとは思わなかった」
フォルティナの遠慮の無い物言いに名無は目を見張るもそこに不快感はない、確信までは至らないとは言っても自身が抱える歪な生き方を看破できる洞察力――『明輝暗目』を所持したことに寄って自然と磨き上げられた観察力の高さ。もしかすればレラにも匹敵するかも知れない、そんな純粋な驚愕を向けていた。
これには直ぐ後ろで名無達の会話を見守っていたレラも頬に汗が流れ落ちる。
「驚くような事じゃないわ。さっきも話したと思うけど、二人を虐げ使い潰すような男ならレラさん達は此処にはいない。こうして自分よりもずっと弱い魔族と子供を連れて、世界を見て回るなんて事をしていれば誰だって正気を疑うわ。貴方にそんな命令を下すような人間は多くはいないでしょう」
警戒を解いて良い人間じゃ無い事だけは間違いないからと明確に念押しをするフォルティナ。しかし、その一方で名無がフォーエンについて情報を求めているのが彼自身の意思であると知り失われた落ち着きが戻っている。
フォーエンに関する情報提供についても自身にとって何ら支障が無いと判断したのだろう。
「話が逸れてしまったけどフォーエンに関する事は答える、それ以外の事は答えない……それで良い?」
「構わない、俺達にとってはその街についての情報が最優先だからな」
出来る事ならフォーエンに着いてだけで無く周囲の地理情報、魔王ノーハートに関するフォルティナの見解も聞いておきたい所ではある。だが、下手に食い下がるような真似をすればそれこそ彼女の信用を失いかねない。
必要な情報が手に入るだけでも御の字だと名無は居住まいを正すが、反対にフォルティナはばつが悪そうな表情を浮かべる。
「その、先に期待させるような物言いをしてしまった事は謝るわ。今から私が話す事は確実に貴方達をがっかりさせてしまうと思うから」
「と言うと?」
「結論から言えばフォーエンという街はもう無いわ――
――この世界の何処にもね」




