近しく遠い者(2)
――誤解なんです
そう呟いた少年の言葉が信じるに値するのか判断する材料が無い状況ではあったが、名無も同じ不運み見舞われ命を落としかけた身。少年に向けられた悲観に満ちた涙目と視線が交わった時、あの状況下で少年が無実であると判断を下せたのは半ば本能から来る物だったに違いない。
「傷の方はこれで問題ないだろう………………落ち着けたか?」
何も知らない第三者の眼に抵抗できない可憐な少女の服を破り、開けさせ、押し倒す……いくつかの誤解が神がかり的な確立で重なり誤った認識をされ言われ無き糾弾を受けた少年が受けた傷を『施療光包』で治療し、名無は傷の治療以上に労る様に少年に声を掛ける。
「はい……何とか、傷も治してくれてありがとうございました」
そんな名無の言葉に少年は戸惑いながらも、感謝の意を示しつつ小さく頭を下げた。
「礼はいらない、それより話を聞かせてくれるか? 君自身にも分からない事が多いとは思うが……彼女の誤解を解く為の説得材料になるようなものであれば助かる」
「うぅ……そう言われても、俺にも何が何だか分からなくて」
「なら俺が質問をしよう。答えられるものがあれば答え手くれれば良い……俺は名無、君と同じ輪外者だ。君の名前は?」
「俺は風音流って言います、年は十六歳、日本人です。流って呼んでください、名無さん」
「名無で良い、俺の方が一年だけ年上だが教育施設の基準で考えれば同学年の可能性もある」
「そ、そうなんだ。軍人さんだしもっと年上かと思った……それじゃ敬称無しで呼ばせてもらうね」
「ああ、口調の方も崩してくれて構わない」
「う、うん」
大人びた外見と纏う鋭い雰囲気のせいか、レラを含めルクイ村の面々に与えた実年齢とのギャップは流にも少なくない驚きを与えた。しかし、流の自分が置かれた状況に対する戸惑いは名無と同学年である事への戸惑いへと変わり、彼の平常心を取り戻すのに一役買った様である。
名無は特に気にする事も無く流に質問を続けた。
「こうなるまでの経緯は?」
「少し前まで通ってた学校にいたはずなんだけど気付いたらいつの間にかこの森に居て、あの女の子が居て、何が起きたのか考える間もなく襲われて、話しても言葉が通じないし言ってることも全然分からなくて。とにかく日本じゃない事は分かるんだけど」
「そうか……」
流は名無の問いかけに答えながら自分が置かれた状況を理解しよう周囲を見回す、その眼に動揺は無く冷静に情報を集めている事が窺える。
「あの子の肌は褐色で、深い森があるところだから………………アマゾンだったり?」
「残念だがはずれだ」
「結構自信あったんだけどな。でも、良かった。名無はここがどこかちゃんと分かってるんだね」
「ああ」
今さっきまで慌てぶりが嘘だったかのように自分が求める答えの在処を見つめる流、急な状況の変化に驚き慌てふためこうとも彼も名無と同じ《輪外者》だ。友好的な受け答えをしていても流の瞳が見せる銀の輝きが消える事は無かったのだから。
「それで此処は何処なの? 名無が俺を此処に呼び出したとか?」
「此処が何処なのかは答えられるが、俺が君を呼び出したのかと言えば違う。俺も流と同じでこちらの世界に迷い込んだ身だからな」
「こっちの……世界?」
「そうだ、今俺達がいる世界は俺達がいた世界とは完全に異なる――異世界だ」
「…………あー……うん……少し時間を…………」
落ち着きを取り戻したというのに呆けた表情を浮かべる流、名無の真剣な眼差しと声に嘘が感じられない事がより彼の混乱に拍車を掛ける事に。だが、名無には流の反応は予想できていた。
時間的猶予を求める流の要求に首肯で答える名無。
「……異世界、異世界か……………………異世界ってアレだよね? 漫画本とか小説とかアニメとか映画とかで良く見るやつだよね?」
「そうだ」
「俺を襲ってきた女の子の言葉が分からなかったのは異世界の言葉で、能力だと思ってた力は魔法……だったり?」
「そうだ」
「戻りたいって思ってても簡単に戻れない、そもそも戻る方法が分からないっていうお約束も…………あったり?」
「そうだ……同じ境遇にある君に嘘をつく理由が俺には無い、証拠が必要だというのなら提示するが?」
「いえ、結構です」
「……ゆっくり考えを纏めてくれ」
名無の口から聞かされた異世界という言葉の意味を確実に、より明確に確かめようとしたものの、自身の中にある異世界に関する知識。科学的根拠があるものではなく娯楽要素からひっぱてきたものでしかないが、それでも流が知り思い描いた異世界の定義を悉く肯定されてしまい投げやり気味に返事を返してしまう流。
それも一度は砕けた口調がまた敬語に戻ってしまう程に……どれだけ時間が掛かるかは分からないが、名無は額に手を当てて俯く流を見守る。
(動揺するのも、受け止めきれないのも無理は無いな。俺もマクスウェルがいなければ流のようになっていただろう)
それでも経緯はどうあれ、魔族であるレラと出会う事が出来たお陰で早い段階で異世界に迷い込んだ事は気付けた。そして、マクスウェルの分析が決定打となり自分がどのような状況下に居るのか受け入れる事が出来たのだから流よりは冷静だったと言えるだろう。
しかしながら、比べた所で解決するわけでは無い。
全ては自分の言葉を聞き、どう考え、理解し、流自身が受け入れられるかどうかなのだ。
(どちらにせよ状況が状況だ、俺に出来る限りの手助けはしよう。単独で動くのであれば最低限の物資の譲渡、同行を求められれば今までと何も変わらないが……)
「………………」
(今の流に早急さを求めるのは酷すぎる)
運良く同じ《輪外者》である名無と出会う事が出来たとは言え、唐突に見知らぬ世界に迷い込んでしまった事実に変わりは無く帰る手段を見つける事も極めて困難な状況。
名無はどれだけ時間が掛かっても重く肩を落とし、途方に暮れていても流が出来る限りの答えを出すまで口を閉ざすのだった。
――名無が流の治療に専念している頃、時を同じくしてレラとティニーは流と戦い敗北した少女フォルティナの治療にあたっていた。名無と合流した直後は案の定、流の仲間と誤解され少なからず抵抗をうけてしまったものの、根気よく説得に専念するレラと身振り手振りを交えて必死に診察させて欲しいと懇願するティニーの様子に警戒心が薄れたのだろう。
フォルティナは二人の診察に身を委ねた……とは言っても、そもそも流との戦いで受けたダメージと言えるのは魔力枯渇による疲労である。
衣服の方も意図せず悪意を感じさせる出で立ちではあったが、サラリとしたした質感ある褐色の肌に傷一つない……治療らしい治療は行われることはなく、二人が取りかかっていたのはフォルティナの破れた服の修繕であった。
「レラお姉ちゃん、フォルティナお姉ちゃんのふくのきれはしみつからなかったー」
「やっぱりそうでしたか」
「おてつだいできなくてごめんなさい」
「そんな事ありません。辺りを探してきてくれてありがとうございました、ティニーちゃん」
「うん!」
「でも、そうなると元通りに直すのは無理ですね。私達の荷物の中にも近い生地は無いですし……どうしましょうか?」
「どうしましょうかー?」
流とフォルティナの戦いで更地を簡単にではあったが見回ってきたティニー。
レラの頼みで破れた衣服の切れ端を見つける事が出来れば、完全な復元は出来なくともレラの手縫いの技術があれば羞恥心を感じることの無い衣服として最低限の機能を取り戻した物にできたのだが……結果は期待通りとは行かない。
しかしながら、服の残骸を見つけるというのは最初から無茶な要求である事はレラで無くとも分かることだった。身体に傷がないと言うことはそれだけ衣服にも損傷がないと言うこと、胸元から腹部まで大きく破れてしまったが故に縫い直さなくてはならないと言うだけの事なのだ。
探していた服の切れ端もあったら良いな程度の思いつき、二人の表情に真剣さはあっても切羽詰まった様子は微塵も見られなかった。
「………………本当に嘘は言っていないのね」
そんなレラ達の様子に躊躇いながらも、何処か安心したような表情で言葉を溢すフォルティナ。
「あ、安心して下さい! 元通りに直すのは無理ですけど、ちゃんとフォルティナさんが来ている服は直せますから!!」
「服の事は良いのよ……良くわないけど、私が言ったの服を直せる直せないの話じゃ無い。貴方達二人が私に対して嘘をついてない事についてよ」
「す、すみません、勘違いしてしまって。……でも、それがフォルティナさんの力なんですね」
「そうよ……尤も、貴女達ブルーリッドと比べたら下位互換も良い所だけれど」
フォルティナがレラ達の治療を受け入れたのは何も必死の説得に納得したから、だけでは無い。勿論その姿に信用をおけると彼女が判断したのは確かではあったが、何よりもレラ達の言葉に、行動に嘘は無いと判別する事が出来た事が一番の要因と言える。
――『明輝暗目』
フォルティナが持って生まれた異能で、その力は自分に向けられた相手の視線から自分に対して嘘をついているかどうか正誤する力である。向けられた瞳に濁れば嘘をついている、濁らなければ嘘をついていない。
フォルティナの言う通り『明輝暗目』が持ち得る力はそれだけで、レラの特集能力と比べてしまえばだいぶ見劣りしてしまう能力ではある。だが、能力の対象となった者は自分の眼球を元にし言論の精査をされているとは思いもしないだろう。
手元に鑑でも無ければ自分の眼の変化など見ることなどできないのだ。名無と流と同じように銀の双眸を輝かせていても、フォルティナ自身が口にしなければ能力の詳細を突き止めるのは困難を極める、その隠密性と、詳細不明の能力を発動されているという危機感を相手に抱かせるという点に関して優秀と言える。
「今まで何度もこの力を使ったわ。でも、誰にもどんな能力かは突き止められなかった。逆にどんな能力なのか誤認させて戦いを好転させたことも一度や二度じゃ無い……心色読みの下位互換とは言っても一概に不要な力と言い切れない、我ながら中途半端な力よ」
どれだけ使い道が限られた能力、魔法であっても使い方次第で絶大な成果を得る事が出来る。反対にどんな状況下でも満遍なく扱える力であろうと使い方を間違えれば、成果を得られるどころか損失を出してしまうものだ。
フォルティナの力もその例に漏れるものではないが、言動から自身の持つ能力についてあくまで直接的な戦闘における効果を期待している事が覗える。苦言を漏らしたくなるのだろう。異能を持って生まれること自体、希有な事だと理解はしていても流に敗れた事でよりその事を実感してしまっている事が苦言と供に浮かぶ苦々しい表情からありありと伝わってくる。
「ごめんなさい、今の話は忘れて。それよりあまり気を抜きすぎないで」
「えっ?」
「貴女達の話に嘘は無い事は分かった、向こうの彼も敵じゃ無いのも二人の様子を見れば信用できる。けど、私と戦った男が敵なのは間違いないんだから」
「いっぱいけがしてたお兄ちゃんのこと?」
「そうよ」
フォルティナは『明輝暗目』を解き、元の赤い色に戻った瞳で名無と流に眼を向ける。
「あの男、何の前触れも無く私の背後に顕れた。間違いなく転移魔法を使えるだけの実力がある上に、今も異能の力を発動させたまま。私との戦いで消耗してるとは言っても余力を残してる、貴女の……仲間か連れなのか良く分からないけど、彼が隙を見せれば直ぐにでも事を起こすかも知れないわ」
「そ、それは……」
心配ないとフォルティナの言葉を否定したかったレラではあったが、フォルティナが間違った事を言っている訳では無い事も事実だった。まずは流とフォルティナを離し戦闘状態を収める必要があった。二人を引き離す際にレラが流に触れ彼の心色を見て幾つか問いかける事が出来ていたならば、フォルティナの警戒心を少なからず弱める事が出来ていただろう。
しかし、決着が付いていたとは言え一触即発の状況下である事に変わりは無く直接動けたのは名無だけである。流が素直に名無の指示に従った事からある程度の実力がある事はフォルティナも感じ取っているだろうが、武力では無く対話で仲介に入った事で優しさという弱点がある事にも気付いたはずだ。
戦う力が殆ど残ってはいない状態であっても、鋭い刃のように研ぎ澄まされたフォルティナの視線は銀の瞳を向け合い言葉を交わす名無と流を捉えている。それは流が名無の言葉に項垂れ肩を落としても変わらない。
「何か進展があったみたいね」
「とても落ち込んでしまってますね……どうしたんでしょうか?」
「分からないわ……ねぇ、何か羽織るものはある? 肌さえ隠せれば何でも良いわ」
「私が使っているローブと同じ物があります……そ、それで良ければ……」
「それで大丈夫」
同じ女とは言え魔族が身に付けている物に抵抗があるのではと恐る恐る確かめるレラだったが、特段嫌悪感を見せること無くレラからローブを受け取るフォルティナ。
「安心してくれて良いわ、私は貴女の連れと同じ側よ」
「そ、そうなんですか!?」
「ええ、だからこそあの男と戦った……はずなんだけど」
ローブを身に付け露わになっていた肌を隠したフォルティナは警戒を緩めずにはいたが、彼女の声に僅かばかりの逡巡が混じり込む。
(あの男の実力は間違いなく異名騎士よりも上、それに私と同じで異能も持ってる……それが魔王から授けられた物なら選定騎士のはずだけど。けど、選定騎士が入れ替わったなんて情報は聞いてない。それにこのレラって子達の事も気がかりだわ、私の助けに入ったと見せかけて私の、私達の所在を掴もうとしているのかも知れない……気は抜けないわね)
未だに俯いた顔を上げられずにいる流を注視しつつも、助けに入った第三者である名無達に対しても気を緩めないフォルティナ。
(戦力は集まりつつあるけど、まだ……まだ時間が足りない――『反逆の境』の戦力が整うまでは、この場は私一人で何とかするしかない)
身支度を整えたフォルティナは胸の内を悟らせぬよう極めて平静な顔を貼り付ける。
「あの男が冷静さを取り戻す前に優位に立つなら、この機を逃す訳にはいかないわね……行くわよ」
「行くって……え、あのっ!?」
「はげましてあげるの?」
名無が居る限り、誤解が解けるまでは流とフォルティナが再び戦う事は決して無い。
しかし、揺るがない覚悟を滲ませ二人に歩み寄っていくフォルティナにレラは戸惑いの声をあげ、ティニーは小首を傾げながらついていくしか無かったのだった。




