00 両銀の遭逢
其処はまるで外界の干渉を嫌うように樹木が立ち並ぶ深い森、であった。
日の光は入らず、魔族や人間族の手も入らず。多種多様な木々と草花が規律性なく生い茂る様は自然の在り方そのもの。
しかし、だからこそこの森を住処とする野生動物達にとっては不可侵にも近しい聖域。
その聖域も今や見る影も無い。
森を形作る木々の多くが暴君の如く吹き荒れた颶風によって薙ぎ倒され、滾り奔った雷霆が地面を抉り穿ち、純粋な力によって刻まれた打撃と斬撃の疵痕が痛々しく森を切り開かれ、そんな戦いの余波によって展望が開かれた地に黒髪の少年と白髪の少女の姿があった。
「はあ、はあ……はあっ…………」
「……■■……■■…………■■■!?」
癖の無いサラサラとした黒い髪の少年が身に付けているのは品の良い黒のブレザーと灰色を基調としたチェック柄のズボン……しかし、それらの至る所に焼け焦げた後と切り傷がある。その身に決して少なくない傷を負いながら、敵対したであろう少女に跨がり荒い息をあげて身動きが出来ないよう両腕を掴み組み伏せていた。
少年に組み伏せられている少女も同じく息をあげ、自分を組み伏せる少年に向け怒りと軽蔑を湛えた赤い双眸を向けていた。少女の身なりも薄らと土に汚れているモノの目立った外傷は何一つ無いものの、彼女の胸元から腹部にかけて汗が浮かび淫靡な艶を纏う褐色の肌が露わとなっている。
申し訳程度に隠れている程よく実り形の良い双丘の頂は隠そうにも両手を押さえつけられ、少しでも身動きをすれば今にも露わになってしまいそうな程に危うい。
誰に聞くまでも無く、誰の眼にも勝敗は明らか。
少年が勝ち、少女が負けた。そして、少年が少女をを組み伏せ荒い息をあげる……それから先の結末は想像に難くない――
(どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう……どうしよう! ここからどうしたら良いのか全然分からない!?)
が、少女を組み伏せる少年の頭の中は勝利の高揚と欲望とはかけ離れた焦燥と混乱に埋め尽くされていた。
(ついさっきまで学園に居たはずなのに気付いたら外で、それに深い森で……いきなり女の子に襲われるし、凄い強いし、絶対俺を殺すきだったし)
「■■■、■■■■■!」
(それに何言ってるのか本当に分からない!? 英語、英語じゃないよね? 中国語でも韓国語みたいな感じでも無いし、ドイツ語とかフランス語とかなの?? ああ、英語だけでも精一杯なのに――)
「■■■■■■■■■■■■■■■!!」
自分の身に起きた不可思議な現象、心当たりの無い少女の一方的な暴力に聞き覚えの無い言語。目まぐるしく変わり降りかかる現状に少年は眼を回すも、少年に組み伏せられた少女は取り乱している少年に構わず大声を上げる。
そして、何かを決意したのだろう。少女は両方の目蓋を閉じ口を大きく開け、僅かに舌を口内から突き出す。端から見ればたったそれだけの事だったが、少年は少女の表情と行動に背筋を凍らせた。
少女が口を閉じてしまう前に、少年は咄嗟に右手を彼女の口に割り込ませる。
(いったああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!?!?)
少年が感じた悪寒は少女の自決、咄嗟の行動が功を奏しギリギリの所で食い止めることが出来た。
だが、その代償も大きい。自ら舌を噛み切って命を絶つほどの覚悟、少女の口に滑り込ませることが出来たのは人差し指から薬指の三本だけ。それも第一関節より少し深いくらいである。
滑り込ませた指に少女の歯が容赦なく食い込み、少年の指からは血が流れ出していた。
(あー、あーっ! 痛い痛い痛い痛いっ!! 指が、指が噛みちぎられちゃう!?)
少女の歯は少年の指に深く食い込み肉を抉る、指の肉付きは誰もが薄い。このまま放っておいては何れ骨までもかみ砕かれるのでは無いか。そんな圧力と痛みが少年の指を容赦無く攻め立て、少年の動揺に拍車を掛ける。
(もっ本当に、何が起きて、分からないし、痛いし、分からないし、痛いし泣かれちゃってるし睨まれてるし痛いし痛いし痛いしいぃぃ……誰か、誰か助けてえぇぇぇぇっ!!)
何かしなければならないと分かってはいても、何をどうすれば良いのか何も思い浮かばない。強くなる一方の焦燥、限界が迫る指の耐久度……自問自答だけでは抜け出す事の出来ない窮地に少年は思考の絶叫をあげる。
……ジャリ……
今にも少年の行き場のない胸の内が喉から溢れだそうとしたその時、少年の耳に土を踏みしめた音が聞こえた。
それは少年が願った第三者の登場と介入の可能性を知らせる福音にも等しき音色、少年は心待ちにしていた音の発信源へ顔を向ける。
しかし、
「………………っ」
「………………あっ……」
視線の先には自分がよく知る黒いコートに身を包む灰色の髪の青年の姿が。その姿に一筋の希望を確信した少年だったが、喜びに破顔しかけた少年の顔は一転して青ざめてしまう。
青年の登場によって出来たほんの僅かな余裕、その余裕が第三者の眼から見た少年の置かれている状況を正しく理解させた。
少年の下には組み伏せた少女が、少年の傷ついた身体は少女の必死の抵抗の痕にしか見えない。その上、少女の眼には涙が浮かび服は乱れ上半身はあと少しで露わになる寸前。口の中に滑り込ませた指も少女が声を上げられないように、かつ自害できないようにと一種の口枷にしか見えない。止めに欲情が極まったかのように繰り返される荒い息……。
少年だけが知る、少女に襲われたという事実は微塵も伝わらないであろう現実が広がっているのだ。いかに無実を訴えようとも簡単には理解を示してもらう事が出来ない状況に、少年は青年と同じ淡い銀色に輝く双眸に涙を浮かべる。
ここからの好転は見込めない、そう思いながらも少年は涙目で青年と視線を交わし荒い息を押し込み乾いた喉と唇に神経を総動員して精一杯の弁解を試みた。
「……ご、ごか……誤解なん、です……」
その一言に一縷の希望とありったけの懇願を込める少年だったが、震える声に返ってきたのは非常な現実。同じ銀色の瞳を持つ青年の険しく鋭い眼光を湛えた表情だった。




