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同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第四章 延命休息
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06  違えた救いがありふれた物だとしても


「……俺に差し向けられた課役か」


「そうだ、正確に言えば魔王の宿願に必要な人物であれば君で無くとも良い」


「来るべき時に来たのがたまたま名無君だったってだけなんだけどね」


「マクスウェルの生体スキャンでは何の異常も見つけられなかったが」


『イエス、ミセス・杏奈とミスター・ミドの肉体は健康そのもの。脳波、脈拍、呼吸、体温、その他の生体活動も確認できました。お二人は確かに生きています』


「……貴方達の身に何が起きているんだ?」


 目的は分からずとも、自分が既に魔王の目的達成の為の手駒にと眼を付けられてしまっているのはハッキリしている。なら考えても答えが得られない問題を気に掛けるよりも、杏奈達の身に起こる異常――生きた屍という言葉の真意を明確にした方が余程有意義だろう。

 マクスウェルの診断を引き合いに出し杏奈達だけで無く、敗者の終点に捕らえられた者達の身に何が起きているのか問いかける名無。


「ノーハートの保有する能力の一つによるものだろう……此処に幽閉された者達全員が肉体の劣化を遅らせられている、それも吸血鬼やエルフと言った長命種に匹敵する程に」


「肉体の劣化、老化を食い止める能力……該当するものはあるか、マクスウェル」


『――イエス、マスター。ワタシのデータベースに一つだけですが該当する能力を確認しました、軍研究部が進める研究の一つにプロジェクト《神薬(アムリタ)》という不老不死をテーマにした実験に置いて核となる実験素体である《輪外者》が所有している異能です。素体名ミステ・クロウクロアワッハ、能力名『行命環留(オクノス・レイン)』。自身の生命活動を自在に操作、維持し肉体の老化を極限まで遅延させる能力ではありますが、それ以外の事は出来ずマスターと同じ常時発動型で解除は不可能。データベース登録時の実年齢は五十五歳となっていますが、肉体年齢は能力を初めて発動させた六歳時のものと殆ど変わらない状態だったようです』


「他人の肉体への干渉は?」


『ワタシが保有している記録では他者への能力的な干渉は不可能となっています。その為、能力下にある彼女の肉体の解剖、あらゆる部位の組織片の摘出、摘出した組織片の状態観察に組織片の移植等さまざまなアプローチで不老不死の実現を目指していたようですが……』


「能力の効果を他の人間に反映させることは出来なかったか」


 マクスウェルに記録されている『行命環留(オクノス・レイン)』はあくまで能力保有者の肉体にのみ作用する物であって他者の肉体、それも百近い人数に同時に効力を適応させる事が出来るようなものではなかった。

 研究の末に自分達が望んだ結果が得られないと分かった時点で彼女の利用価値は消えた、合理的に力を求め何よりも自分達の利益を最優先とする軍の活動方針からすれば彼女は死という運命を覆すことは出来なかったに違いない。

 名無の世界においてミルテ・クロウクロアワッハという少女――女性の身に降りかかった非人道的な行いと結末に表情を曇らせながらも、名無は思考を止めること無く杏奈達と向き合う。


「俺が知る魔王についての情報はそう多くないが、魔王は他者に能力を開花させる、又は任意に能力を創り出し譲渡する事が出来ると仮説を立てている……間違いないか?」


「確実と肯定するのは難しいが、奴は肉体の劣化を遅らせる能力を俺達に強制的に植え付けた事は間違いない。一歩間違えれば反乱の大きな助けとなるが、奴に関しては生物としての規格がそもそも違う。奴に挑むのは何ら変哲も無いたった一匹の蟻が魔法騎士に戦いを挑むと同義だと思ってくれて良い」


「杏奈さん程の力があってもか?」


「……アンナであっても戦いの体は取れた、と言った所だ」


「………………」


 杏奈は名無が出会ってきた者の中で間違いなく最強といえる力を持っている。

 幾つもの能力と魔法を使っても苦戦を免れなかったが、最初から殺す気で戦いに望めば勝つことは出来ていただろう。しかし、それでも一瞬でも気を抜けば命を落とす接戦であった事に違いはない。

 そんな杏奈を持ってしても『戦い』として成立させるのがやっと、今の名無が戦ったとしても結果は変わらない……それだけの力を魔王ノーハートは持っている。


「ノーハートは俺や貴方達を利用して何をしようとしているんだ?」


「すまないな、その質問には答えてやれない。俺達も奴の目的が何なのかは分かっていないんだ。分かっているのはアンナや君の様に強い者を求めている事だけでな」


「それには燐火さんも含まれるのか? 彼女も俺達と同じ《輪外者》では?」


「ううん、この集落に居る《輪外者》は私だけだよ。彼女の力は生まれ付き持ってる物で、他の人達は老化の劣化くらいしか持ってない」


(魔法だけでじゃなく戦闘能力や異能、総合的に高い基準を設けて人選していると思っていたんだが……そうじゃないのか?)


 杏奈や燐火も能力を発動する際に眼が銀の輝きを灯したことから同じ輪外者では無いかと思っていたがどうやら違うらしい。こちらの世界で能力を持った人間には未だに出会えていない分、ただ銀の瞳を持っているからと《輪外者》と捕らえるのは軽率なようだ。それに強い者を集めていると思っていたが、一概に力の強弱だけで選んでいるとは言えないようだ。

 それでも燐火の戦闘向きでは無い能力からして、戦闘能力と魔法の練度が条件を満たしていたか、純粋に魔王に刃向かった結果なのだろう。


「手当たり次第って考えられなくは無いけど、そこはもう考えなくても良いと思うよ。名無君にあたし達を殺させれば今よりずっと……ううん、あたし一人殺すだけで比べものにならないほど強くなれる。名無君はあいつに取って待ちに待った最高の素材だからね」


「何にせよ情報を掴めるとしたら俺達が死んだ後になるだろう、有益な情報が手に入れば良いんだが」


「でも、あいつが弱みを見せるような真似はしないと思うから難しいかも。あたし達も戦う前に色々調べてみたりもしたんだけどさっぱりだったし。情報に関しては文化レベルで集めにくいようにする徹底ぶりだから、あんまり気を張りすぎないようにするんだよー」


「…………本当に死を受けいれるのか?」


 ノーハートに対する所感を語る二人の表情に影は無い、声に震えも無く、纏う空気にさえ戦いの時に見せた悲壮感は無かった。諦観とは違う何処までも穏やかな雰囲気を纏って自分達の死後を語る杏奈とミド。

 そんな二人の姿に名無は視線を落とし静かに唇を結んだ。


「ナナキ君、君が気に病む必要は無い。君も俺達と同じ被害者なのは皆が理解している」

「そーそー、一番悪いのは魔王なんだからさ……まあ、ナナキ君に八つ当たりしちゃった私が言えたことじゃないんだけどねー」


 「あははっ」と気まずそうに笑いを溢す杏奈。

 名無との戦いは捕らわれ生き長らえさせられているだけの現状を打破しようとした杏奈が取れる最後の手段であり機会だった。だからこそなりふり構わず全力を振り絞り、そして叶う事なく終わりを迎えた。

 その事実を受け止め受け入れる事が出来るだけの覚悟が今の二人を形作っているのだろう……だが、二人だけでなくルゼや燐火達全員が同じように最後を向かえようとしているのはそれだけが理由では無い。


「ナナキ君であれば既に気付いているだろうが、俺達はそうせざるおえなかった。魔王の思惑に従い戦うか、自分達の意思で抗うか……だからこそこうする他なかった、俺達が生きた証を残すには」


「死んでいないのに自分達の事を生きた屍と言ったのは……子が成せないからか」


「そっ、あたし達にはこれ以上無い罰であり呪いだよ。生きる事が、生かされる事が絶望になる事をこれ以上無いってくらい……思い知らされた」


「……アンナ」


 敗者の終点で子供の姿を見ない理由はいくつか思い当たっていた。

 愛を語らいどれだけ体を重ねても、我が子を抱きしめることは出来ず成長を見守る事も出来ない。それでも子をもうける事が出来るとすれば長い時間を過ごす、そうすればあるいは……。だが、それも名無達の来訪によって消え失せた。

 杏奈達が本当に求めていた救いは何一つ残らず、終わる時を待つだけとなった現実は彼女達に科せられたソレは傷を与えられることが無くとも、嬲り殺しと何ら変わらないだろう。


「そりゃさ、あの男に逆らって何の罰も無しに生きてられるとは思ってなかったよ。でも、でもさ……こんな形で何百年も生きていかなきゃ行けないなんて思ってもみなかったんだ、ほんとに……」


「………………」


 杏奈の穏やかだった笑みは悲しみに曇る、小さな溜息と共に溢れ出た弱音は敗者の終点に住まう全員が心の奥底に押し込めた本心。魔王の何らかの目的の為に条件が一致しただけで名無が選ばれたように、戦ったのが杏奈ではなく他の誰かだったとしても彼女達に科せられた呪いと避けられない死の結末は予定調和でしかない。

 そんな生き地獄の中でも年を取りにくいという事実に気付きながらも愛する者と生き延びる事が出来た喜びは偽り無いものだっただろう。だが、日を追う毎に年を取らない我が身が恐ろしかったはずだ。

 たとえ愛する者が傍にいようと、同じ境遇に立つ者達が集まろうと、いつ来てもおかしくない死という終わりが、死ぬべき時まで生き続けなくてはならない逕路が。

 死にたくないと怯え終わりたいと願う、その支離滅裂な感情に心が繊細にかつ確実に摩耗し感情が押しつぶされない者などいない。唯一の救いで希望であるはずの愛の結晶(わがこ)は永遠の如く先の未来でしか巡り会えない……遠く遠くにある決して届かない光。

 その事実に眼を背けようと、眼を、身体を、心を逸らした先にあるのはどう足掻こうとも逃れられない暗闇だ。


 心が押しつぶされるのならそれで良かった、気が狂ってしまうのならそれで良かった、心が砕け自我が消えてしまうのであればそれで良かった……それで良かったと言えるだけの冷静さが杏奈達には残ってしまっていた。そのせいでより彼女達は追い詰められ、より彼女達に生きる事を絶望させる……それでもいつかは、いつかはと愛を育み生きる事の暖かさを突きつける残虐な呪いを魔王に科せられた杏奈達の心情は名無には到底理解する事が出来るものでは無い。

 せめてこの場にレラがいてくれたのなら傷つき生き続ける杏奈達の心に寄り添う事は出来たかも知れないが……名無に残された選択肢は希望を与えようと言葉を尽くすことでは無く、傷ついた心に寄り添う事でもなく、僅かでも彼女達の絶望と命に意味を持たせて終わらせてやることだけだった。


「ごめんね、こんな損な役回りさせちゃって。方法は名無君に任せるよ、でも出来れば苦しまずに死ねとありがたいなー」


「付け加えるならティニー嬢に気付かれずに出来る方法である事が理想だ、出来そうか?」


「……俺の持つ能力の中に今の条件を満たせるものがある、幾つか発動条件を満たさなくてはならない」


「では、それで頼む」


「発動条件は?」


「今は教えられない、ティニーが眠った後でルゼさんやニックス達を集めて欲しい…………一度で済ませた方が時間は掛からない」


「そうだな、その方が良いだろう」


「そうだね、もう話したい事はもう話したし。そろそろ行かないとレラちゃん達が心配して来ちゃうかもだしね」


「……ああ」


 苦痛を与えず、時間も掛けず、ティニーに気付かせる事なく杏奈達全員の命を奪う事は注意さえ払えば難しくは無い。標的に気付かれず息の根を止める、暗殺任務の経験も何度もある。

 殺すべき人間、死ぬべき人間、生きるべき人間、死ぬべきでは無い人間。

 何人もの命を終わらせてきた、そして今度は杏奈達だったというだけ。だが、一度で終わらせたいと溢れ出た名無の悪足掻きをミドは噛みしめるように、杏奈は助け船を出すように笑みを浮かべる。

 数百年にも及ぶ傷無き痛みと苦しみからの解放。取れる選択肢がそれしかなく全うする事を望まれているのだとしても、名無にはそれが彼女達に対する贖罪になり得ない事は分かっていた。

 それでも彼女達の最後が少しでも穏やかで幸福なものであって欲しいと、宴の場へと向かう杏奈とミドの背中を目に焼き付けるのだった。



 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ティニーの成長と三人の旅の門出を祝った宴は終始笑いと喜びに満ちた声に彩られ、名無と杏奈達が合流した後もそれは変わらず陽気な雰囲気のまま終わりを迎えた。敗者の終点の存在価値、ひいては杏奈達の抱える葛藤と呪いを知る名無とレラが逆に尾を引きティニーに感ず枯れてしまうのでは無いかと思ってしまうほどに温かなままに。

 杏奈とミド、そして他の住人の誰もが自分達に待ち受ける終わりの時が迫っている事に恐れを見せず……また明日、また明日がくると思わせる自然体で最後の日を迎えた。

 名無達が敗者の終点を発つその日を。


「うわーんっ、ディニーぢゃーん!? がらだにぎをづげるんだよ、がぜひいじゃだめだよ、げがじだらずぐになおざなぎゃだがらねー!!」


「うん、分かった! アンナさんもびょーきとかけがしないでね!!」


「うわああぁぁぁぁん! ディニーぢゃんぼんどにいいごぉー、おわがれじだくないよぉー!!」


「…………すまないな、折角の門出だというのに」


「別れを惜しんでくれているのは嬉しく思う……逆じゃないかとは思うが」


「そうですね。でも、きっとアンナさんがティニーちゃんの分も泣いてくれているからだと思います」


「…………重ね重ねすまない、また旅に出る君達に気を遣わせてしまって」


 敗者の終点の外へと繋がる魔法陣が刻まれた大部屋でティニーとの別れを惜しみ、恥も外聞も無く大声で泣き散らしながらティニーを抱きしめる杏奈。普通ならティニーが杏奈達との別れを惜しむ場面であるはずなのだが、ティニーは惜しげも無く涙を流す杏奈の背に手を回しなだめるように背中をさすっていた。

 立場が見事に逆転してしまっている光景に名無は本音を隠しきれず、ミドは皺が寄る眉間を指で押さえ、レラは何の悪気も無いフォローでトドメを刺してしまうと言う何ともカオスな状況が出来上がってしまっていた。


「アンナの痴態は今に始まったことじゃないわ、それより忘れ物は無い?」


「そうだぜ、俺達と違って一回外に出たらもう戻って来れないんだしさ」


「念の為にもう一回くらい荷物の確認をした方が良いかもですよ」


 ルゼとニックス達も一緒にいるのだが、こちらは至って冷静に名無達の旅の準備に見落としがないか気遣っていた。事実、旅を再開するという事は再び危険に身を投じる事と何ら変わらない。

 敗者の終点は間違いなく魔族と人間達が心を通わせた者達が住まう場所。魔王に敗れ幽閉された者達の集まりだったとしても争う事なく平穏に過ごしたいのなら、この世界において此処以上に適した所は無いだろう。

 それでもこの閉ざされた理想郷に留まる事はせず、魔王に関する手がかりを求める旅にでる事を名無は選びレラとティニーも名無と共に行くことを決意したのだ。持てる物資はそう多くないとは言え必要な物は多い。


「大丈夫だ、確認の方は抜かりない。移動の足に馬まで融通してくれたんだ、足りない物があったとしても後は自分達で何とかする」


 保存の利く食糧からは始まり、着替えに薬等の物資は充分に補充する事が出来た。加えて荷馬というより多くの荷物を持ち運ぶ為の手段としてこれ以上無い支援である、荷物を運ぶ以外にもレラやティニーが歩き疲れてしまった時の移動手段としても大きな助けになる。

 名無なら二人を運びながら歩くことくらい造作も無い事だが、万が一その光景を見られてしまったらその時点でその後の行動に制限が掛けられてしまう。何の緊張感も険悪な空気も無いと言うのに名無がレラ達を魔法や能力で運ぶ姿を魔族に見らてしまえば、抵抗すら許さない傍若無人な人間に。人間に見られれば弱肉強食という人間社会の明確な縮図として不愉快な言葉と視線を向けられてしまうに違いない。

 そうならない為にも置かれた状況、遭遇した種族に対して話を合わせやすいよう立場を変える必要がある。端から見れば地味な事柄であっても荷馬の確保はそう言った状況対応の助けになるものでもあった。


「そうか、要らぬ気遣いだったな。ナナキ君、今日までこの地に留まってくれた事……感謝する」


 別れの時が刻一刻と迫る中、ミドは小さく頭を下げ名無に感謝の言葉を贈る。

 ルゼやニックス達、三人の旅立ちを見送ろうと集まった住人達全員もミドに続いた。


「感謝するのは俺達の方だ。貴方達と出会えなければレラを救えなかった、ティニーも倒れていたかも知れない……最悪の状況を回避することが出来たのは間違いなくミドさん達のおかげだ」


「そうか、君の助けになれたのなら良い。それだけで報われるというものだ」


「………………っ」


 頭を上げたミド達は全員が喜びに口元を綻ばせ柔らかな眼差しを向け合う。その光景にレラは俯き唇を噛みしめる、胸の内から押し寄せる不甲斐なさに涙が溢れ出てしまうのを耐えていた。

 その溢れそうな感情がただ別れを惜しむ物であったなら、杏奈と同じように涙を流すことも許されただろう。しかし、それを他の誰でも無いレラが戒める。名無と同じく真実を知る者として、そしてティニーに打ち明ける事はしないと選んだ一人の魔族として。

 そんなレラの頑張りと覚悟を無駄にしまいと、ミドは未だにティニーを抱きしめて泣きじゃくる杏奈の元へ歩み寄り肩を叩いた。


「いい加減泣き止め、アンナ。これでは何時まで経ってもナナキ君達が旅立てないだろう」


「ううぅぅぅぅ――ずずぅっ! うん、そうだよね! 何時までも泣いてたら良い大人としても、魅力的な女としても駄目だよね!!」


 「良い大人?」「魅力的?」と周囲から疑問の声が上がっていたが杏奈はそれらの言葉を無視して、涙を拭いされるがままだったティニーを離し立ち上がる。杏奈のあまりの切り替えの速さにティニーはポカンと口を開けてしまっていた。


「どの口が良い大人だ魅力的な女だというのか……まあ、良い。お前の奇行は今に始まったわけでは無い、ナナキ君達もこういった空気の中で分かれるのも貴重な経験だと思って諦めてくれ」


「酷くない? 本当に酷くない!? 私の反応が普通だよ、普通だから!!」


「分かった、分かった」


 ぞんざいなやり取りではあったが、そのお陰で肩を微かに震わせるレラに気を向けさせずに済んだ。レラが落ち着きを取り戻すには充分な時間だ、レラの目元から涙の気配がなくなったのを見計らって杏奈達も話の流れを引き戻す。


「さて、これ以上引き留めるのは野暮というものだろう。ナナキ君、レラさん、ティニー嬢……俺達が手助けできるのは此処までだ」


「あとの事は名無君次第、この世界は残酷なまでに力の優劣で物事が決まっちゃう。けど、君ならこんなくだらない価値観なんて気にせず進んでいけるだけの力がある……負けちゃ駄目だよ」


「……微力を尽くす事だけは断言する」


 魔王の狙いが自分にある以上、奴の思惑を無視することは出来ない。

 ミドと杏奈の憂いを思う言葉も本心であり受け取るべきものであるに違いないが、名無の行動の根底にある物が自己満足の自己犠牲がそれを良しとしなかった。二人の言葉に応える、それは自分の為では無く誰かの為の行動。

 いずれそうであると言える日が来る日が訪れるのだとしても今では絶対に無い、そんな思いが素直に受け入れる事を拒んでいた。それ故に名無に出来たのはたった一言返す事だけ。

 明確な拒絶では無い、了承とも言い切れないその一言はそれでも敗者の終点で生きてきた彼等に取って希薄ながらも確かに託すことが出来たと実感するには充分な物だった。


「そろそろ出発する、世話になった」


「お、お見送りありがとうございます。皆さんと過ごした時間、教えて貰った事……忘れません」


「ティニーもニックスおにいちゃんとルゼせんせーにおそわったことわすれないっ!」


 ミド達が頭を下げたように名無達も揃って感謝の礼を返す。

 別の結末を願って強引な流れになってしまった部分もあるが彼等の思惑が自分達の生きた証を誰かに――名無達に残す事が出来た。その結末が用意されていた結果だったとしても、彼等の意思で『託す』事が出来る相手であると見出してくれたのは誇るべき事だろう。

 ティニーの前で彼等の真意を晒すことは出来ないが、別れの言葉としてはしっかりと伝わったに違いない。


「ああ、俺達も忘れんよ――三人の旅路が幸多きことを祈っている」


 ミドの手向けの言葉を合図に名無達の足下に刻まれた魔法陣が淡い光を放つ。

 別れの扉を開いたのはニックスとキユロ、年が近い事もあり一番話をした。だからこそ最後の一押しを任せられたのだろう、二人の眼には涙が浮かび上がっている。

 だが、そんな二人と言葉を交わす間もなく名無達の眼から彼等の姿は消え去った。

 敗者の終点に迷い込んだ時とは逆、名無達が歩いていた森林を背に三人の眼に映ったのは綿菓子を思わせる雲が転々と流れる青空と真っさらな草原。

 久方ぶりの太陽、その陽光に名無達は眼を細めながら辺りを見回した。


「迷い込んだ時とは別の場所に出たか」


『周囲に敵影は確認出来ません、野生動物の反応も森林の内部に点在する程度です』


「分かった、いつも通り明るいうちに距離を稼ごう。マクスウェルは全方位の索敵を頼む、何かあれば随時報告を」


『イエス、マスター』


「荷馬は俺が引こう、レラは……」


「ティニーちゃんとはぐれないよう手を繋ぎます。ルゼさんから心象酔いの初期症状を教えて貰いましたから、症状が出始めたらちゃんと話します……ティニーちゃんと手を繋げなくなるのは残念ですけど」

「だいじょうーぶ! ティニーもおいしゃさんになれたから、レラお姉ちゃんがぐあいわるいときはティニーがみてあげるからね!!」


「ふふっ、頼もしいですね。その時はお願いしますね」


「うん!」


 心象酔いに関してはルゼから幾つか注意を受けたレラ、ティニーもルゼの知識から手を繋いでいて良い時間と悪くなったときの対処法をしっかりと思い浮かべているようだ。


「なら、いつも通りという事で良いだろう。俺も目視で索敵に集ちゅ――」


「ナナキお兄ちゃんもてつなごう!」


 マクスウェルだけでは捉えられない接近、出現方法による敵に警戒をしようとした名無だったが、それよりも早くティニーが右手を差し出す。

 迷う事なく、当たり前のように差し出されたティニーの右手に眼を見開く名無。


「良いのか、もう娘のフリをしなくて良いんだぞ?」


「うん! ティニー、ナナキお兄ちゃんとてをつなぎたいもん!!」


「そうか、なら……」


 差し出された手と向けられる屈託無いティニーの笑みに促され、ナナキはゆっくりと……しかし躊躇うこと無く小さな手を握り返した。

 杏奈やミドだけでなく、ルゼやニックス達も名無達が形だけの家族である事は知っていた。それでも知らないフリを続けたのは、三人の寄り添い過ごす姿に自分達を重ねていたから。

 魔王との戦いに負けなければ、勝つことが出来ていたならあり得たはずの望んだ結末を。


「やっぱりナナキお兄ちゃんのてあったかいね、レラお姉ちゃんといっしょ!」


「そう言ってくれるのはありがたい……だが、レラは大丈夫か?」


「はい、直接触れる事が無ければ大丈夫です。それにティニーちゃんがナナキさんと手を繋いで歩きたがっていたのは知ってましたから、ティニーちゃんのお願いが叶って私も嬉しいです」


「今まで気付けず悪い事をした。しかし、気をぬきづぎる訳にはいかない。手を繋ぐのは少しの間でも構わないか?」


「すこしでもいいよー!」


 杏奈達の前ではなるべく手を繋ぐよう心がけていたが、こうして誰の目に触れずとも名無と手を繋ぐ事が出来て嬉しくて堪らないのだろう。繋いだ手を振り回すように大きく前後させるティニーの姿に名無達は柔らかい笑みを浮かべあう。


「…………出来る事なら彼女達も」


「んっ? なにかいったー??」


「……いや、何も。それより先を急ごう」


「ゆっくりお休みできる所を探さないといけませんしね」


「うん、しゅっぱーつっ!!」


 喜々として出発の号令をあげるティニーの手を握り、名無とレラは微笑みを湛えながらゆっくりと歩を進める。

 胸の内に隠した杏奈達のこれからを、彼女達を思う痛みを、やり場の無い終わりの形の一つを。それらを一切隠しティニーに見せること無く、何れは知るであろうその時までは。

 自分達の助けになれる、その力と自信をくれた心優しい者達がいないと知って悼む涙を受け止める日が来るまでは。自分達を見下ろす太陽にも負けない、ティニーのキラキラと輝く笑みが曇ってしまわないようにと願いながら。


































「――名無君達、何処まで行ったかな?」


「然程離れてはいないだろう、ついさっき別れを済ませたばかりだぞ」


「あははっ、それもそうだよね」


 名無達と別れを済ませてから一時間と経ってない中、杏奈は自室でミドの肩に頭を預け長椅子に腰を下ろしていた。今の杏奈からは快活な雰囲気はなりを潜め落ち着きに満ちておりミドの鋭い眼も柔らかい。


「皆はどうしてるかな?」


「俺達とそう変わらんだろう、ナナキ君の能力で終わりを迎える為に言葉をかけあっているはずだ」


「うん、そうだよね。でも、本当に苦しまずに死ねるなんて思ってもみなかったよ」


「ああ、俺もそう思う……託せる者が彼であったのは本当に僥倖だ」


 杏奈とミド、そして他の住人達の命はこうしている間にも終わりに近づいている。

 名無が杏奈達の命を奪う為に使用した能力は『繋死励句(サナトス・ヴォルト)』。

 前もって取り決めた特定の言葉を口にする、口にさせる事で命を奪う能力。この力を発動させるには使用する効果対象に能力の詳細を伝えておくこと。

 死に直結する言葉も能力の詳細を理解させてからで無くては意味が無い為に戦闘には不向きで、使える状況もかなり限られる。


 『繋死励句』によって与えられる死に苦痛は無い、取り決めた言葉を口にするだけで眠るように死に堕ちる。安楽死にも似た力でそれこそ今の杏奈達の様に出来るだけ苦痛の無い死を望むか、敵対勢力に捕らえられてしまった者が自力での脱出、味方による救出が望めないと判断した際、敵側に自分達の情報を吐かせられる前に自決する場合に用いられた。

 拷問や脅迫に屈し情報を奪われる前に、尊厳を弄ばれ辱めを受けるくらいならと進んで『繋死励句』の誓約を受ける者が殆どだった。

 命が助かるかも分からない状況下で、苦痛を与えられた得るよりもずっと楽に死ねる……死に対する恐怖がなくなるわけでは無いが、苦しみ続けた末に命を落とすかも知れないことを考えれば余程幸福とも言えよう。


「もう皆は逝っちゃったかな?」


「おそらくな……死ぬ事が平気な訳が無い、それでも生き過ぎた俺達には待ち望んだ時だ。未練は残っていても躊躇う者はいないだろうさ」


「……ごめん、ミー君。ごめんね……」


「謝らなくて良い、最後の最後まで諦めなかったお前を責める者はいない」


 限りなく老化が抑えられてしまった肉体では、子は成せないと同義。その事実は杏奈にとって正しく絶望だった。何度命を絶とうと考えたか、何度死ねたら楽になれるだろうかと考えたに違いない。

 けれど、それでも死ねなかったのは何も残せないまま終わるのが怖かったからに他ならない。自分の持つ知識を、自分の持つ技術を、自分の血を引く実の子を――自分が生きたという確かな証を残せないことが何よりも怖かったからだ。

 その恐怖は杏奈やミド達の心に根深く絡みつき、死に対する忌避感を強く感じさせていた。だがその恐怖は名無達によって和らげられた……杏奈だけが受け入れる事が出来なかったが。

 名無を殺し魔王ノーハートともう一度……その時が来るまで足掻くと決めた彼女には簡単に受け入れる事が出来ないのも無理は無い。

 しかし、その意思と決した勝敗が仮に杏奈に傾いていたとしても自分が限界に近い事は杏奈も分かっていた。


「ミー君と一緒に沢山笑いたかった、笑わせてあげたかった」

「いや、お前は俺を充分過ぎるほど笑わせてくれたさ。俺がお前を笑わせられたかは分からんが」


「お母さんになりたか、赤ちゃんが欲しかった。男の子でも女の子でもどっちでも良いから、双子じゃ無くても三つ子じゃ無くても……たった一人でも良いから」

「ああ、俺も父になりたかったものだ。お前に似た子であれば絶対に活発な子だ。きっと静けさとは無縁だったに違いない」


「こんな場所だから出来ない事が多いけど、色んな事を教えてあげたかったし見せたかったな」

「ああ、お前はこの世界には無い遊びや物語を知っている。きっと子供達も喜んでくれただろう」


「それで、それでさ……楽しいことも、悲しいことも、嬉しい事も、辛いこともあって……それでも一緒に生きて年を取ってお婆ちゃんとお爺ちゃんにになって……大好きな家族に見守れて死ぬの…………そうやって普通に死ねたら一番良かったよね」

「ああ、きっと幸福な最後だったに違いない」


 名無に負けた事で二度と叶うことのなくなった夢見た時間を口にする杏奈、たとえ勝てたとしても魔王に勝てない以上は彼女の願いは何処まで行っても夢物語だ。そして今、その夢は終ぞ叶わずに失墜した……その現実に杏奈の感情は静かに高ぶり止めどない涙となって溢れ出る。


「悔しいよ、悔しいよ……ミドは私の、あたしの欲しかったものをくれたのに。あたしは、私はミドに、ミー君に何も返せてな、一番欲しかった、一番あげたかったもの……全然っ……」


「そんな事はない、断じて」


「でも、それでもごめん……ごめんね……ごめんなさい」


「謝らなくて良いと言ったのに……お前は本当に話を聞かないな」


 ミドは声を荒げる事無く淡々と口を動かし続け涙を流す杏奈を抱き寄せる。

 涙を流す程に感情が高ぶっているのに、ミドの胸の中で喋る杏奈の声は抑揚が無いと感じられるほどに平坦だった。

 だが、杏奈の様子が一転してしまってもミドは狼狽することは無い。もう杏奈の心が、精神が生き長らえてきた時間の中ですり減ってきていた事を誰よりも知っているから。

 杏奈とミドはこの敗者の終点の最初の住人、その日から今日まで経った時間は五百年を超えている。元来人間である杏奈の精神強度は永遠に近い時を生きる長命種と同じように出来ていない。

 如何に只人よりも圧倒的に強靱な《輪外者》だろうとも、魔王ノーハートという例外を除いては悠久の時を過ごせる者はいない。人狼であるミドは長命種に及ばなくとも長い寿命をもている、だからこそ未だ自分という自我を確立できている。


 だが杏奈は名無との戦いで一気に感情を高ぶらせた事で迫っていた限界を杏奈の限界を致命的に早めてしまったのだ。尤も名無との戦いが無くとも近い将来、杏奈は限界を迎えていたことも事実。

『私』と『あたし』、『ミド』と『ミー君』、『レラちゃん』に『レラさん』……本来ぶれる事の無い一人称と二人称の混在。会話における言動と性格の変化と落差がその証拠だった。

 その心の叫びを見続けてきたミドにとって今の杏奈は消えかけている蝋燭の火と同じ、名無が来てくれたからこそ完全に杏奈の自我が消えてしまう前に事を済ませる事が出来たのは本当に僥倖だったのだ。

 杏奈が杏奈のままで終われる時間を作ることが出来た、生き長らえる呪いに晒され蝕まれたミドに取ってそれが一番重要な事だったのだから。


「アンナ、確かに俺達は敗北し願った小さな幸せすら刈りとられた。何度気が狂いそうになったかも分からない」


 それはルゼや燐火、ニックスにキユロも同じだろう。

 同じ時間を生きる事が出来たことを喜ぶ事が出来ても、今度は同じ時間生きられるようになったからこそ嬲り殺しに近い状況になってしまっては気が狂いそうになるのは当たり前の事だ。


「何度此処から出ようと思ったか、何度自害の言葉と情景が頭を過ったことか。だがな……それをせずにいられたのはお前のお陰なのだぞ?」


「……私、の」


「ああ、そうだ。お前のお陰だ」


 乾く様子の無い涙を流しながらも杏奈はミドの胸から顔を離し、ミドも涙に濡れる杏奈の若葉色の双眸から眼を逸らすこと無く言葉を続ける。


「不確かな希望を抱かせ確定した絶望を見せつけられたこの場所は地獄だ、死ぬ事こそが救いだと思い知らされた。だがな、だがなアンナ……それでも生きたいと、意味ある死を残せるまでは死ぬまいと思えたのはお前が……最愛の人がいてくれたからだ」


「っ」


「幽閉された日から今日まで、お前は俺の心をずっと照らし続けてくれた。お前の言葉が、お前の笑顔が、お前の愛が……俺を今日まで支え生かしてくれた。どれだけ感謝しても仕切れない」


「そん、なの……あたしだって同じだよ。ミー君がいてくれたから、あたしを大事にしてくれたから……私も生きたいと思ってこれた、あたしもいっぱい、いっぱいありがとうって言いたいんだから!」


「ああ、俺もなんだ。お前と同じなんだ」


 愛する者の言葉が抑揚を失っていた杏奈の声に力を、曇っていた若草色の瞳に光を灯す。自分が一番いて欲しい彼女に戻ってきていることにミドは笑みを強めた。


「アンナ、お前は俺に何も返せなかったと言ったがそれは違う。この地獄の日々に置いてお前は俺にとっての救いだったんだ、誰かに何かを託せなかったとしても。俺が生きた証を何一つ残せなくても、お前が俺を救ってくれた。それを伝えさせてほしいんだ」


「うん、うんっ、うんっ! うんっ!!」


 何も出来ないと、何も護れなかったと流していた冷たい涙は温かな涙へと変わりミドの笑みには杏奈だけに向ける感情が迸る熱を宿す。

 そして、それは同時に敗者の終点の終わりを、二人の最後の掛け合いが始まり終わる事を示していた。


「ミー君、私を」

「アンナ、俺を」


 杏奈達が『繋死励句』によって命を終える瞬間に選んだ言葉はたった一言、出会い恋をした者達が行き着く到達点にして出発点。

 杏奈はミドの柔らかな頬に、ミドは杏奈の涙に濡れた頬に手を添え身を寄せた。

 最後に目に焼き付けるのは何時だって傍にいてくれた世界で一番大切な人の一番綺麗で愛おしい顔。

 そんな幸せな光景に相応しい言葉が、自分達の最後を飾って欲しいと――迷う事も悩む必要も無い、選ぶ時間すら無い誓いと感謝。その証明の言葉が二人の間に紡がれる。






『――選んでくれてありがとう』






 ――その何てことの無い、それでいて熱い響きを最後に一人の少女と青年は死を迎えた。

 愛を謳い命を終えた二人を、愛する者との最後を迎えた仲間達がどうなったかを知る者は誰もいない。

 力を想いを託された名無達ですら知り得ない静謐に満ちた幕引き。だが、それでも言葉を交わしあった彼女達の表情はきっと眩しくも穏やかなものだった事を、ありふれた何てことの無い一幕こそが救いなのだと。

 他の誰でも無い暗く深い地の底で愛を奏で続けた敗者達だけが知っていた……。






これにて第四章終了です!

割と長めになってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました(´д`)

次の五章もお付き合い下されば幸いです!!

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