見えざる手にて(3)
――銀の輝きが強くなる度に大気が爆ぜる。
そこは青空はおろか曇り空すら望めない暗穴。あらゆる角度、方角、距離を土に包まれた地中に作られた閉鎖空間。そんな場所で大気を震わせる程の振動と衝撃が起これば、待っているのは逃げ場など無く絶対的な質量である土砂に押しつぶされる結果のみ。
それが分かっていながら収まることの無い迸る白銀の爆心地。その中心で有り発信源である名無と杏奈は互いに引くこと無く拳を、蹴りを打ち合い続ける。
(やはり彼女から魔法の力は感じない。ただ一つの能力でこの力を実現させているのだとしたら、間違いなく俺が出会ってきた者の中で最強の輪外者だ)
戦況は拮抗、戦いの勝敗は未だ見えない……訳では無い。
「ほらほら、どうしたの? さっきの上から目線は? 威勢は何処にいったの? 私の攻撃を防いでるだけじゃ殺すかどうか何て決められないよ!!」
「――ッ」
名無は攻勢に出ろという杏奈の挑発に乗る事無く、彼女が繰り出す攻撃の全てを防ぎ、受け流し続けるしか無い差し迫った状況に陥っていた。
繰り出される拳はアスクよりも速く重い、防ぐ度に受け止めた箇所は骨がギシギシと軋み、受け流したとしても威力を完全に殺しきれず、まるで肉が吹き飛んだような衝撃と激痛で次の動作が否が応でも遅れてしまう。
身体を構成する筋肉、骨、脂肪、水分。体組織という肉体を形作る細胞が休むこと無く悲鳴を上げ続けている。
銀の光を纏う杏奈の戦闘能力は既に『虐殺継承』状態の名無を上回っており拳打や蹴り技、繰り出されつ一撃一撃が確実に名無の身体にダメージを積み上げていく。だが、それ以上に深刻なのは刻一刻と時間が過ぎるに連れ、尚も杏奈の戦闘能力が上がり続けていると言うこと。
(形状が違うことも考えられるが『聖約魔律調整体』らしき兵器は持っていない、俺達を囲う様に魔法が発動されてはいるがソレも違う。戦いの余波が地下集落全体に広がるのを防ぐものだろう……)
上がり続ける戦闘能力によって繰り出される杏奈の攻撃は、威力だけで無く攻撃速度そのものも上がっている。受け流し切れない攻撃が漆黒のコートを掠めるだけで、高い耐久性を誇る軍用防具でも有ると言うのに防具としての役割を何一つ果たせず破壊されていく。
その傷口はまるで鋭利な刃物で同じ場所を執拗に切りつけられ、それでいて超高速の摩擦によって焼けただれたような痛々しいものだった。
未だ骨が折れずとも、肉がはじけ飛ぶような事が無くとも名無の肌は杏奈の拳が纏う拳圧によって血飛沫を散らす。傷口自体は小さいが、杏奈の攻撃そのものを避けても傷を負うと言う事実は肉体的だけで無く精神的にも名無を着々と追い詰めていく。
「追い詰めてるのはこっちだと思うんだけど、考え事だなんてまだまだ余裕みたいだね」
「余裕は無い、考えているのも貴女の攻撃をどう捌くべきかの一点だけ。防御だけでやっとの状態だ」
「それを余裕だって言ってるの!」
追い詰められながらも一切の動揺も見せず答えを返して見せた名無の言葉に杏奈は声を荒げ、休むこと無く繰り出す拳打の嵐をより苛烈に。そして、無数の重撃に足を止め眼前で防御を固める名無の両腕を真下から真上に振り上げた右のアッパーカットで打ち飛ばす。
「ぐっ!」
杏奈の一撃で防御は崩されがら空きとなった鳩尾目がけて軋みを上げ握りしめられた左の正拳が、空気の層を押しのけ名無に迫る。
(『鎧鋼転化』、『平衡狂感』、『施療光包』)
防御も回避も間に合わなかった名無は三つの能力を発動させ杏奈の一撃を受け止める。『鎧鋼転化』で肉体の強度を上げ、『平衡狂感』で杏奈の平衡感覚を狂わせ、彼女の細腕に見合わぬ剛拳によるダメージを『施療光包』で迅速に治癒していく。
「がっ……は……」
しかし、杏奈の圧倒的な攻撃力は名無の能力の更に上をいく。『平衡狂感』の効果はあったのだろう、杏奈の拳の到達地点であった鳩尾ではなく、名無の鍛えぬかれた腹部。急所への一撃をずらせたのは大きな功績ではある。が、上げた耐久力など無いように杏奈の拳は名無の腹部へと突き刺さる。
『施療光包』による回復効果も発動している為、本来受けたであろう深手よりはずっとましな物だろう。それでも苦悶の表情を浮かべ、決して少なくない血を吐き出す名無。
「その余裕を消すところから始めなきゃ駄目みたいだね――すぐ消してあげる」
名無を殴りつけた左拳を開きコートを掴み、そのまま天井へと投げ飛ばす杏奈。名無が天井に激突するまでの時間は、銀の光を纏って行った先手の投げ飛ばしよりも早く、今度は名無に受け身を取らせないほどだ。
(……まだ上がるか)
自分を超える戦闘能力、華奢な身体に纏う銀の光が輝きを強める度にどんどん上がっていく。
杏奈の能力が強化系である事は間違いない。だが、強化できるからと言って無限に強化し続けられる訳では無い。どのような強化効果であろうと必ず強化上限、能力制限が存在するからだ。
自分の『虐殺継承』も大別すれば強化系なのだろうが、その本質は強化では無く殺した相手の力の全てを奪い蓄える。
当然制限もあり人以外、正確に言えば人の姿をした生物でなければ命を奪ったとしても力は奪えない。戦闘による余波という間接的な殺害でも能力は力を継承する事は無い、自分の意思で殺すと決意し、自分の意思で選んだ手段の末に命を刈り取る事で初めて相手の力を奪う事が出来る能力。
(彼女の力にも必ず制限、上限がある。まずは彼女の効果上昇の条件を――)
「本当に……その余裕がいつまで続くか見物だね、名無君」
「――」
苛烈極まる防衛を続けながら杏奈を止めるべく考えを巡らせる名無だったが、名無の思考を中断させる容赦など微塵もない右正拳が名無の視界を覆い『敗者の終点』に轟音が響き渡る。
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「呼吸も心臓の鼓動も熱も正常、疲れて眠っているだけね。少し厳しかったかも知れないと思って心配になったんだけど、何も無くて一安心だわ」
自分が蒔いた種なんだけど、とベッドの上で深い眠りについているティニーにシーツを掛け診察を終えるルゼ。
「すみません、何もお手伝い出来なくて。本当なら私達がティニーちゃんと話して、どうしたら良いのか決めるべきだったのに……」
「気にしないで、親しい間柄だからこそ出来ない事が有ると言うだけの事よ。それを周りにいる私達が手伝っただけの事だもの、それより次は貴女よ。状態は良さそうだけど、ナナキ君とティニーちゃんに触れたのでしょう?」
「は、はい……そんなに長い時間ではありませんでしたけど」
「それでもよ。触れあってはいけないとは言わないけど、貴女はまだ病み上がりの状態とそう変わらないんだからもう少し慎重にね」
「す、すみません……」
医師として自分を気遣うルゼの言葉にレラは肩を窄め頭を下げた、その姿にルゼは苦笑を溢す。
「そんな顔しないで、別に怒っているわけではないから、それじゃ手を出して」
「は、はい」
レラはそっと右手を前に出し、その右手をルゼが両手で優しく包み込む。
「私の心色を見て頭が痛い、色は分かるのに霞んで見えたり、その色に見えなかったりする?」
「大丈夫です。頭は痛くありません、色も普段と同じように見えます」
「なら一安心ね、中には視える深度が深くなってしまう子もいるから」
「視る深度……ですか?」
「そう、もっと簡単に言えばより明確に感情の変化が分かる様になる。だけどそれはあまり良くは無いわ」
「どう悪いんですか?」
「視た相手の心色がより視えると言う事は『共感』してしまうということ。それも同じ意見や感情を持った相手に賛同するのではなく、自分の心が相手の心に飲まれ自我が変色した事にも気づかずあたかも自分の感情だと無自覚に受け入れてしまう状態になってしまう、暗示とも違う……自分の意思で心色を視ているという事実がソレを強固にしてしまうの」
「自己洗脳、の様なものですか?」
「その解釈が一番分かりやすいかもしれないわね。その深度まで私達の力が成長してしまったら最後、他人の意識と自我が境界線は崩し、自分が自分という認識が出来ながら他者の考えをなぞっているという自覚が出来ない……私が知る限り治す方法は無いわ」
「………………」
ブルーリッド特有の病である心象酔い。
触れた相手の心の色を読み取るという特集能力を持つが故に発症を免れない厄介な持病だ、命その物の危険はないものの無自覚下に置ける自我の変質という解決不可能な欠点。心を読み取るとう能力の大きすぎる反動は決して無視できない。
しかも個人差があるとは言えレラの場合は初めての発症、その上ルゼから視ても重い症状という診断結果である。
今回はレラの読み取る力が強くなる事無く無事に済んだようだが、名無とティニーの心色を読み取るのは負担が大きすぎる事が分かった。しかし、それが分かったところで二人に触れなければ良いという訳にはいかない。
「あの、治す方法は無くても強くなる力を抑える方法は……ありますか?」
「貴女も分かっているとは思うけど、私達の心色を視る力の制御は出来ない。簡単に起こる事では無いけれど強くなる事はあっても弱くなる事は絶対に無いの、私達に出来る対処法は相手に触れない事だけ……この先も二人といるつもりなら覚悟はしておいて」
「はい。きを……つけ、ます…………?」
分かっていた事は言え、能力そのものを抑える事は出来ないと自分よりも様々な経験を重ねてきたルゼの言葉に肩を落とすレラ。ナナキもそうだが、ティニーの精神安定を図るには定期的に触れる必要がある。意図的にそうしなくても自然に触れている時間は多い為、触れている時間をどう調整するかだけを考えれば良いのだが、ティニーを思えばレラが距離を取る事は無いだろう。
しかし、今のルゼの言葉が引っかかったのか、レラは首を傾げた。
「どうしたの?」
「い、いえ……二人とはずっと一緒にいます、家族ですから……だから、その……」
「ああ、ごめんなさい。そう言えばそう――――」
「ルゼ」
ルゼの言葉から感じた違和感に戸惑いながらも頬を染め答えを返すレラ。年頃の子供を持つ夫婦としては何とも初々しすぎる姿にルゼは気まずそうに眉を寄せ言葉を掛けるが、来訪者の声によって口に仕掛けた言葉が続くことは無かった。
「ミド、どうかしたのかしら?」
「アンナが動いた、暫くすれば俺達の命運が示されるだろう」
「……そう、なら後は彼女に任せましょう。とは言っても、結果がどうあれ準備しておかないといけないわね」
「ルゼ、さん?」
人狼であるミドの表情は非常に読みづらく、顔つきだけでどんな表情を浮かべているのか分かりづらい。観察眼に優れているレラでも付き合いの短い相手では微かな感情からくる変化に気付く事は難しい。
しかし、自分の右手を包み込むルゼの両手から読み取った心色は濁った藍色……数に富む心色の中でも特にレラが見たくないと願っている悲痛を表す色がルゼから伝わってきた。それだけでミドとルゼの交わす会話が二人にとって、そして自分達にとっても良くない事だと感じ取ったレラ。
現にルゼは悲痛な面持ちでレラの手を離し行っていた診断を中断、一言も発すること無くレラとミドを残し部屋を後にしてしまった。ティニーに医者としての知識、心構えを真摯説いた者が治療や診断が必要だと思った患者を投げ出すはずが無い。
それほどの女性が心色を悲痛に染めレラの診断を投げ出すように部屋を後にする事は、レラに自分達が非常事態に身を置いているのだと悟らせるには決定的なものだった。
不安に駆られたレラは眠っているティニーを一瞥、どうやって名無の元へ向かうか混乱に陥りかける思考を全霊で立て直す。
「残念だが、君達にはここにいてもらう。杏奈の邪魔をさせるわけにはいかないのでな」
「………………っ」
けれど、精神の立て直しに成功したとしてもレラが戦う事の出来ない無力な少女である事に変わりは無い。レラが行動を起こすよりもずっと早く、ミドは音も無く鋭利な爪先をレラの喉元へと突きつけていた。
「この部屋から出ようとしなければ危害は加えないと約束しよう……眠っているティニー嬢を起こすのも忍びない。無駄な抵抗はしないでくれ、頼む」
「………………」
レラは喉を小さく鳴らし静かに頷き無抵抗の意思を示し、その様子に僅かに緊張が解れたのか肩から力を抜きレラの喉元に突きつけていた爪を下ろすミド。
敵意も殺気も無いとは言え、レラはミドを前に表情を強ばらせる。
「アンナさんはナナキさんと一体何をしてるんですか? ナナキさんは無事なんですか?」
「アンナは今、他の者達の助けを借りてナナキ君と戦っている。ナナキ君が強い事は君も分かっているとは思うが、彼が命を落とす可能性も頭に入れておいてくれ。俺達はナナキ君の力がどれほどなのか、彼と出会う前から理解し熟知している立場にあるからな」
「ナナキさんと出会う、前……から……?」
これまでもレラは名無が自分の力など何の助けにもならない、足手纏いにしかならない強者と戦ってきたところをその金の双眸で見てきた。そして、そんな名無ですら死を予感させる戦いもつい最近体験したばかりである。
だが、これまでの戦いは全て名無の勝利。多少の傷を負ったとしても治療可能な範囲、名無がそう簡単に負けてしまうような事はない事も分かっている。
「レラさんが混乱するのも無理は無い。君達から為ればここへ来たのは偶然だったのだからな――だが俺達にとっては必然、ナナキ君と出会う事は定められていた」
「それは、どういう……」
「今から君に『敗者の終点』が何の為にあるのかを話そう、ソレを理解し納得出来るかは君次第だ。俺には、いや俺だけで無くアンナや他の者達にもソレを変える事は出来ない。出来る事があると知れば君に俺達に課せられた役割を君達に伝える事だけ」
「ミドさん達の……役割、ですか」
「そうだ、まずは結論から言おう。ナナキ君の手の内を知っているとしてもアンナはナナキ君に負けるだろう、そうなれば『敗者の終点』にいる者達は全て一人残らず息絶える事になる」
「――――――」
しかし、状況の変化について行けず、理解も追いついていない中で畳み掛けるミドの言葉にレラは完全に言葉を失ってしまうのだった。
今話も最後まで読んで頂きありがとうございました、よければ感想等お聞かせ頂ければと(^^ゞ




