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同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第四章 延命休息
67/111

    見えざる手にて(2)


































 【足りなかった】





 私の願いを叶える為の力が、方法が、時間が、運さえも……何もかも足りなかった。





 【届かなかった】





 私の願いを叶える為に必要なモノを揃えても、満を持したと思っても届かなかった。





 【それでも諦めたくなかった】





 焦燥に突き動かされ、感情の赴くままに走り続け、どうすれば願いを叶える事が出来るのか……その答えを失い違う道を探し出す事も出来ずに『救い』というなの希望を求め続けた。

 在るかどうかも、見つけられるかどうかも、手にする事が出来るかどうかも分からないソレを常に付きまとう絶望と呪いに身を浸しながら。

 だけど、それももう終わりだ。終わってしまう時が来てしまった。

 だからだろう、何時かは……また何時かはと懇願していた終わりが訪れた事に喜ぶ事が出来ず恐怖してしまったのは。求めていた終わりが望まない結末であると理解してしまったから。

 身も心も砕いて覆そうとしていた純然たる悪意を繋げなくてはならないと思ってしまったのは――彼の王が紡ぎ続けてきた悠久の時と錯覚してしまう程に重く念い停滞の楔を自分自身の意思で護ろうとしているのは自分の事ながら気が狂ったのかと自問してしまう。

 けれど、何度自分自身を問いただしても返ってくる答えは同じ。


 ――駄目だと分かっていても


 ――終わるべきだと解っていても


 ――託すべきだと判っていても


 毒されてしまったのだ、埋めようのない空白に入り込み蝕む仮初めの永遠という長く深く振りほどくことの出来ない絡みつく甘い甘い蜜に……


































「――それじゃ始めよっか、手合わせじゃなくて殺し合いになるけ良いよね?」


「良いわけがないだろう、一体何のつもりなんだ……ミドさん達はこの事を知っているのか?」


「ミー君もルゼも燐火もみんな知ってるし止める気も無いから、レラちゃん達の事も安心して良いよ。今頃レラちゃん達に被害が出ないよう動いてくれてるからさ」


「……殺し合い、と言うからには俺を殺す事が目的か? だとしたら何故こんな回りくどい真似を? 何故俺に休む時間を与えた? 精神的に余裕を無くしていた状態の方が貴女達にとって都合が良かったはずだ」


「う~ん、すっごい質問攻め。別に答えてあげても良いんだけど時間掛かっちゃうし……そうだ、あたしに勝てたら教えてあげる! それならあたしも名無君も損しないしさ」


(……どうあっても俺と戦う気か)


 状況がはっきりしない以上、杏奈から会話の主導権を奪い場を収めたかった名無。

 しかし、そんな名無の思惑を理解しているのだろう。飄々とした態度で名無の言葉を受け流し、笑みを浮かべながらスポーツをする前の準備運動をするように身体を軽快に動かしていく。その動きに殺し合いという殺伐とした空気はない……だが、笑っていてもその眼は確実に名無を捉えていた。


「ほっ、はっ、ふっ……ほら、名無君も準備しなよ。マクスウェルさんだっけ? 早く対輪外者武器(ノーティス)の刀身を作って貰いなよ、戦う準備が整うまでは待てるからさ」


「……やはり俺の事を知っているんだな」


「知ってるよ。君が私と同じ《輪外者》で、その中でも最強って言われたことくらいは――それに名無君だって私が同類だって最初から気付いてたでしょ」


「確信はあった、確証は手合わせをして得られた。だが……」


 それでも拭いきれないものがあった。

 杏奈は自分と同じ《輪外者》で、自分の正体と抱えている事情を知っている。エルマリアの夫で同じ《輪外者》の由太と同じように突発的にこちらの世界に迷い込んだか、自分の様に何らかの方法でこちら側に来たか、底までは分からない。だが自分に関しては魔王、もしくはかの手の者から話を聞いたのだろう。そしてこうなる事も半ば覚悟はしていたの鴨知れない。しかし、だからこそ分からないのだ。


「何故今なんだ?」


「それも名無君が勝てたら教えてあげる……そろそろ良い? 駄目って言っても行くし手加減もしないよ」


「………………」


 疑問の答えは得られず杏奈との戦いは避けられそうにない、名無は小さな溜息を溢し腰の対輪外者武器(ノーティス)を引き抜く。同時にマクスウェルに緊迫した状況である事が伝わり、瞬く間に対輪外者武器の刀身が構築される。

 冷たく鈍く輝く大小一対の刀身を中段交差させるように構える名無。戦いの狼煙を上げれば引く事は無いであろう名無の姿に杏奈は安堵の表情を浮かべ、名無と同じ色合いのコートの内ポケットから小さな手甲を取り出し装着した。


(あの形状、攻撃と防御を両立させる金属面積の多いものではない。関節の動きを邪魔しない造り……打撃だけではなく掴みやすさも重視しているのか)


 杏奈が取り出した手甲は名無と杏奈の身を守るコートに使われているものと同じ特殊繊維製、生半可な武器では繊維を断ちきることは出来ず熱や放電も物ともしない物だ。しかし、攻撃や防御の面に関しても余念なく手の甲から手首に掛けて関節の可動範囲を邪魔しないよう細工された鋼鉄版が取り付けられていた。


「名無君がやる気になってくれてよかった、これで遠慮無く戦えるよ」


 杏奈は両手に装着した手甲を一度、胸の前で打ち付け金属を響かせる。

 金属面積が少ないとは言え、輪外者の力で殴りつけられては骨も内臓も簡単に傷を負う威力。その小さな両拳を握りしめ右半身を後方へずらし華奢な腰を落とす杏奈。


『……………』


 両者ともに臨戦態勢――しかし、勝敗は既に決している。


「それじゃ、こっちから行くから……ねっ!」


 先手は杏奈、彼女の出方を名無が待つ以上は分かりきった始まりだ。

 だが、それが分かっていても杏奈の動きに躊躇いはない。後方へと構えた右足を一気に伸ばし地面を蹴り上げる、蹴り上げられた地面には杏奈の足跡が刻まれ相当な瞬発力である事を物語っている。

 現に杏奈は名無が構える対輪外者武器の切っ先を通り抜け、右拳を大きく振りかぶっていた。


「っ」


「反応が遅いんじゃない?」


 幾ら全力ではなかったとは言え、驚くべきは名無の間合いにいとも容易く入り込んだ杏奈の技量。彼女の動きが決して見えなかった訳ではないのだろうが、名無は杏奈の指摘したとおり遅れて距離を取ろうとする。

 けれど、それは間に合わず杏奈の拳が名無の腹部へと突き刺さった。


「いくら何でも気を――」


「抜いてはいない」


「へっ?」


 自身の会心とも言える一撃が入ったはずの名無からの平然とした受け答えに間の抜けた声を溢す杏奈。彼女の見せた決定的な隙を名無が見逃すわけもなく、名無は両手の対輪外者用武器を手放し即座に自分の腹部に伸びる右腕を掴み手首を捻る。

 そして、間合いに踏み込み手首を極められた事で重心がずれた左足を払い倒し杏奈をうつ伏せの状態に。空いている左手で体勢を切り替えされる前に背後に回って杏奈の右腕をひねり上げ、完全に起き上がれないよう肩の関節を極めると同時に杏奈の背中に左膝を落とし動きを拘束して見せた名無。

 手痛い一撃を貰ったかと思えたが名無にダメージが入った様子は無く、逆に杏奈を組み伏せる状況が出来上がる。


「あれー? あれあれー? 格好よく決まったと思ったのに気がついたら返り討ちに遭っちゃってるんだけど、かっこ悪っ! かっこ悪過ぎるよ、あたしぃー!?」


 関節技を極められ地面に倒れる杏奈は何とも情けない様を晒してしまい羞恥の声を上げたが、名無は右腕の関節を極める力を緩める事無く杏奈の背に左膝を乗せ完全に身動きが出来ないよう圧力を掛けた。


「うぅ……あんな啖呵切っておいてこれはないよね。流石は最強の輪外者、素の身体能力も肉体強度も桁違い。こんなに差があるなんて思ってなかったよ」


 今の名無は常に『虐殺継承(リスティス・マーダー)』を発動している。殺した相手の力の全て自身のモノにしている以上、異能や魔法以外の要素――肉体性能も飛躍的に上がっているのだ。名無にダメージを与えるのなら、最低でも『聖約魔律調整体(テスタメント・レプリツク)』で武装した選定騎士クラスの実力者でなければならないだろう。

 それに比べれば如何に一流と呼べる輪外者の一人であったとしても、杏奈の力ではたいした損害は与えられない。異能による肉体強化や特殊効果を付与したものでなければ難しい、純粋な物理攻撃だけでいえばそれこそ名無に匹敵する膂力がなくいてはならない。


「俺の勝ちだ」


 戦いと呼べる物に殺し合いへと堕ちてしまう前に、わざと杏奈の攻撃を受け入れ互いに傷を負うことなく彼女が掴んでいた場の流れを断ち切る事が出来た。うつ伏せの杏奈に見られる事は無いと表情を弛緩させる。


「こんな体勢で済まないが訳を話してくれ、何故こんな事を――」

「まあ、勝った気になるのは早いと思うけどね」


「――っ!」


 名無の力で右腕を捻り上げ関節を極められた状態でうつ伏せにされては、そこから挽回することなど不可能――その逆境を杏奈は苦も無く切り返し立ち上がって見せた。


(これが彼女の能力か! 拘束を簡単に切り替えしただけじゃない、重心を抑えていたにも関わらず何事もなかったように……この光、ただの肉体強化じゃないな!!)


 杏奈を拘束する力は全く緩めていない、それでも杏奈は平然と関節技を押しのけてたのだ。その華奢な身体に銀色の輝きを纏って。


(技を解いわけでも関節を外して逃れたわけでもない。重心の位置を強引に変えられたわけでもない……魔法の力を感じない以上、能力である事は確実だ。だが、ただ腕力を強化しただけではこうはならない)


 銀色の光を纏ったことで杏奈の力が上がった事は間違いないが、どのように身体能力が変化したのかが分からない。今まで見てきた事のある肉体強化の能力とは毛並みが違う杏奈の能力の詳細に眼を細める名無ではあったが、状況が一変してしまったのは事実。


「あたしが言える事じゃないんだけど、色々考えるのは後にした方が良いよ。それとあたしを殺さずに済まそうだなんて考えないでね――」




 ――『私』は本気で君を殺す




「が……ぁっ!?」


 その言葉と共に戦況は動き出し、名無の劣勢が決定づけられる。

 名無を殺す、そう杏奈が静かに呟いたと同時に名無は周囲に衝撃波をまき散らす音速を超えた速度で壁へと激突していた。


(速い……あと少し反応が遅れていたら危ない所だった)


 激突したとは言っても名無は両足でしっかりと壁を踏みしめ、自分の首元を掴み無造作に壁へと投げつけた杏奈を銀の双眸で捉える。同じく銀の双眸を輝かせ銀の光を纏い立つ杏奈は先ほどと同じように腰を落とし拳を構える。

 そして――


「本気で来なよ、君も死ぬつもりは無いでしょ?」


「――」


 次の瞬間には名無の後方へと姿を現す杏奈。

 重力を無視したように名無と同じく、直立の壁を足場にして硬く握られた拳を引き絞り杏奈は名無目がけて一気に打ち出す。

 その拳を名無は両腕を交差させて受け止めるも、打ち出された拳が内包する威力に押されまたもや吹き飛ばされてしまう名無。今度は地面へと直撃、しかも受け身を取る事が出来ず、超音速の飛翔物として名無は地面を抉り進み重く響く轟音を奏で蔓延する噴煙に消えていく。


「もう一度言うけど私は本気だよ、本気で君を殺す。拳が砕けようと、手足がもげようと、首だけになっても絶対に君を殺してみせる」


 名無とニックス達が集まり手合わせをしていた場所は、杏奈のたった二度の攻撃で面影一つ残さず崩壊した。勿論そこには何気ない言葉を交わし、お茶を酌み交わした憩いの場も含まれている。

 名無達だけでなく、名無達以上に杏奈達に取って様々な思い出が刻まれている場所。だと言うのに杏奈が悲哀の感情を見せることは無かった。彼女が見せたのは冷徹なまでに研ぎ澄まされた鋭利な眼光、今までのどの杏奈ともかけ離れた視線を辺り一面に蔓延する土煙の中にいるであろう名無に向けていた。


「まだ殺る気にならない? ……私は本気の君を殺さなくちゃいけない、ここまで言っても駄目なら先にレラちゃん達を――」


「それ以上先は言わないでくれ、その先の言葉はレラ達だけじゃない。貴女自身も傷つけるぞ」


 杏奈の言葉を遮るように声を重ね土煙の向こうから姿を現す名無。

 彼女の攻撃をしっかりと防いだとは言えその威力はラウエルで刃を交えたクアスよりも上。名無の灰色の髪は土埃と血で汚れ、額からは止めどなく血が流れ落ちている。意識、視線、足取りは普段と何も変わらない。

 しかし、杏奈の一撃……たった一撃で『虐殺継承』を解放した名無の身に確かなダメージが入ったのだ。

 それは杏奈が間違いなく名無の命を呼びやかす脅威である事の証明。元の世界、この異世界において最大の難敵を予想させるには充分すぎる傷。

 だが、


「貴女が俺を殺そうとするのは構わない。貴女には貴女の事情があり、状況が変わり、俺を殺すしかなくなったというのなら俺に言える事は何もない」


 名無と杏奈、二人の戦いの火蓋は切って落とされもう止まる事は無いだろう。だが、戦いの決着を血と悲哀に染め上げる事はしない。その意思を示すように名無の手に対輪外者用武器はなかった。

 その手に共に命を奪い続けてきた刃は無く、温かな紅い血に染まった硬い拳もない。

 僅かに腰を落とし右半身を前に向け道に迷い彷徨う者に差し伸べるように出された右の掌と自分の本心を隠すかのように口元に構えられた左の掌。


「その上で言わせてもらう」


 杏奈にどんな思惑があるのかは分からない。だが、自分を煽るだけでなくレラやティニーにも危害を加えると口に出そうとする程に彼女は『殺し合い』を求め強要してくる。

 冷酷に冷静に、だが彼女の言動には隠しきれない焦りが滲み出ている。それが一体何に対する焦りなのか聞いたとしても答えが返ってくる事は無いだろう。

 戦う事が彼女の意思であり、殺し合う事が目的だというのなら――それに付き合う義務も理由も無い。


「俺は誰かの為には戦えない、貴女を殺すかどうかも俺が決める」


 挑発とも取れる構えと言って良いのか分からない構えを取りながらも、名無の眼に敵意はなく杏奈の求める殺意もない。戦意すら薄い穏やかなままの瞳で、名無は変わる事のない自分の在り方を杏奈に叩き付けるのだった。






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