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同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第四章 延命休息
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05  見えざる手にて(1)


「……くぅ……くぅ……」


 ルゼ監修の元で行われた治癒魔法の実演授業を終え名無達は自室へと戻っていた。

 初めて使った魔法、それも習得が難しく使い手の少ない治癒魔法を限界まで使ったティニーは名無に背負われ部屋に戻る最中に眠りに落ちた。今はベッドの上で無垢な寝顔を浮かべ安らかな寝息を奏でている。


「……今起こしてしまうのは可哀想ですね」


「……ああ、自然に眼を覚ますまで寝かせてやろう」


「そうですね」


 寒くないようにとティニーにシーツを掛け、そっとベッドから離れたレラはそのままお茶の支度を済ませベッドの横にある長椅子に腰をかけた。


「ナナキさんもどうぞ」


「ああ、ありがとう」


 先に長椅子に腰掛けていた名無はレラから湯気たつカップを受け取って眠るティニーに眼を向ける。


「………………」


 何か喋る訳でもなく静かにティニーを見つめる銀の双眸に張り詰めた鋭さも力みもない。しかし、自分を鞭打つような陰りが見て取れた。そんな名無の様子に身体の向きを少しだけ名無側に向け言葉をかけるレラ。


「……さっきの事、気にしてるんですか?」


「気にしていると言うより…………そうだった、と思ってな」


「そうだった……って、どういう事ですか?」


「ティニーは自分の意思で自分の在り方を決めた、それを俺がどうこう言える立場じゃないと言う事だ」


 自分は誰かの為には戦えない、誰かを救う事になっても結果を含めて全てが自分の為。

 傷ついている誰かを、泣いている誰かを、助けを求めている誰かを助ける事で自分の中にある孤独に怯える弱い自分を慰める為に生きる……それが自分の本性。

 だと言うのに、自分と近い境遇の中を生き抜き、自分とは真逆の道を……自分の意思で生き方を見定めたティニーの意思を押さえ込むような真似を為るなど身の程を知らないにも程がある。

 幸せを求め掴む事も、苦難を見据え挑む事も、そのどちらを選び進もうとティニーの明日は彼女だけのもの。どのような結果が待っていても、心のままに歩んだ道でなければそれこそ自分の様に後悔しか残らない。


「自分の為にしか生きられない俺が、身勝手にも自分以外の人の為に生きると決めたティニーの生き方を阻むような資格はないんだ。なのに俺は俺の感情を優先させた…………役で良かった、俺のような男が父親など役でもするべきじゃな――」


「そんな事ありません」


「レラ?」


 望んだ生き方を貫いている自分が、同じように望んだ道を歩もうとしているティニーを咎めるような真似をしてしまった事に苦い表情を浮かべる名無。しかし、レラは名無の言葉を遮った。

 名無の言葉を遮ったレラの両手にカップはなく、名無でさえ気付かないほど自然に彼の左手を優しく包み込んでいた。


(まずい、今の俺の心色は――)


 その事に気付いた名無は直ぐに手を解こうとしたが、ともすれば泣き出しそうなレラの表情に自ずと息が詰まる。縋るように握られた手からは温もりと共に緊張が感じられ振り払う事が出来なかった。


「ナナキさんは自分の感情を優先させた、そう思っているみたいですけど……それは違うと思います」


 レラは言葉を失っている名無を見据え、名無の手を包み込む手に力を込める。


「確かに自分が思うがままに生きるのは自分の感情を優先している事だと思います、でも、ティニーちゃんの話を聞いて、思いに触れて、それを止めて欲しいと思う事は身勝手なんかじゃありません――それはティニーちゃんを心配してる、たったそれだけの事なんですから」


 自分よりも幼いティニーが自分と同じように今の自分では抗えようのない理不尽に晒され、大切な家族を奪われ、それでも生きる事を託された。もう充分すぎるほどに痛みを知っている少女が更なる痛みに晒される道を歩くかも知れない。

 そう、レラの言う通り名無はただティニーを心配しているだけなのだ。


「ティニーちゃんが心配だって思うのはナナキさんの為であるのかもしれません。それでもこうして読み取っている心の色に『嘘』の色なんて少しも混ざっていません、初めて私に触れてくれた時と同じ深い藍色、とっても純粋で……綺麗な悲しみの色」


「…………………」


「そんな色を見せてくれる人の想いが身勝手なわけないです、本当に身勝手ならルゼさんやカリンさんにティニーちゃんの力になって欲しいなんて言えません。駄目だって言えばそれだけで終わる事ですから」


 本当に名無が身勝手だったならティニーの言葉も、レラの言葉も。杏奈やミド、ルゼに燐火、誰の言葉も聞かずはね除け止めさせる事が出来る。文字通り力尽くで。だが、それをしなかったのはティニーの意思を尊重したからに他ならない。


「自分の為に生きる事は誰かを、ティニーちゃんを心配しちゃいけない事にはなりません。そう思ってしまうのは、そう思えることはいけない事なんかじゃ絶対にありません」


「……だとしたら、俺はどうティニーに接するべきだと思う」


「簡単です、今まで通りです……それにアンナさんも言ってましたよね」


 名無の左手を包み込む両手はそのままに、レラは笑って見せた。ぎこちない、無理に作って見せた事がありありと分かってしまうそんな笑みを。


「どんなに辛い時でも、どんなに苦しい時でも、笑ってみせられる強さは子供を安心させられるって……だから今まで通りで良いんです、きっと」


(……成長しないな、俺は)


 浮かべられた悲しみげなレラの笑みはレラの心だけではない、名無の胸の内すらも表しているものだった。


「……すまない、君を泣かせるつもりは無かった」


 名無の変わる事の無い後悔と名無の後悔を和らげる事の出来ないレラの無力感、二人分の悲しみは作られた笑みで支えきれる物ではなく、細められたレラの瞳からは涙が零れ落ちていた。


「大丈夫です、泣いてません……私は泣いてませんから」


「そうだな……君は泣いてない」


 レラの金の瞳から溢れ出ている涙は確かに彼女の涙だ。だが、同時に名無が流している物でもあった。そんなレラの涙を拭おうと名無はそっとレラの手を解き、彼女の頬に両手を添えた。


「だからこれは触れているだけだ、君に触れたいから触れているだけ……男として情けない限りだが」


 名無はレラの肌を傷つけないよう止まる様子のない涙を親指で何度も払う、泣きじゃくる子供が両方の袖口で懸命に拭うように。だが、その表情は幾分和らいだ物となっていた。

 レラの頬に添えられた名無の手から伝わってくる心色も変わらずだが、少しだけ他の色が混ざる。


「……情けなくなんかありません、それも悪い事じゃありませんよ」


 その色がどんな色で、何を意味した物なのかはレラにしか分からない。だが、伝わってくる色と名無の言葉にレラの表情も和らぎを見せ涙を拭う名無を手助けするように目蓋を閉じた。


「………………」

「………………」


 名無とレラ、互いに口を噤み涙を止める事に意識を傾ける二人。その光景は言わずもがな意図した物ではない。

 以前、名無がティニーの頭を撫でティニーが撫でられる事を受け入れ求めた事があった。発端と経緯、そしてやっている事は異なるが何ら色めくような理由は無い――だが、何時からそこにいたのか、どこから見ていたのか。


「……あー……ちょっと話があるんだけど良いかな?」


 頬を朱く染め、気まずそうに視線を泳がせる杏奈の姿が部屋の出入り口にあった。手には布が被せられたトレイが握られており、何かお裾分け的な物をを持ってきたことが覗える。


「………………?」


「ア、アンナさん?」


 杏奈の声と様子に名無は首を傾げレラは自分の頬に添えられていた名無の手を解き、杏奈の元に駆け寄った。まだ金の瞳は潤み乾ききっていないが涙は止まったようだった。


「す、すみません気付かなくて」


「ううん、気にしないで。これ、ルゼから。ティニーちゃんが起きてたら渡してって頼まれたんだ」


 杏奈はトレイに被せていた布を取って、トレイに乗せていた物をレラに見せる。出てきたのは湯飲みのような器。湯気と共に香る匂いは甘いものの、入っている液体は何とも毒々しい紫色をしていた。


「これは……薬湯ですか?」


「うん、ティニーちゃん魔力を限界まで使ったでしょ。疲労回復の効果があるから飲ませてあげてって。飲みやすいように甘味を沢山入れてあるよ……少し遅かったみたいだけど」


 少しだけ立ち位置をずらしレラの後ろに見える眠るティニーの姿を見て小さく笑みを溢す杏奈。


「起きてからでも大丈夫って言ってたから、ティニーちゃんが起きたら飲ませてあげてねー」


「ありがとうございます、アンナさん。わざわざ持ってきってもらってしまって」


「良いの、良いの。気にしないで――それよりごめんね」


 薬湯が乗ったトレイをレラに手渡した杏奈だったが、レラに顔を近づけ小声で謝罪の言葉をかける。


「何がですか?」

 急に杏奈が小声で話しだした事に驚いたのか、釣られるように小声になってしまうレラ。


「いや、ほら、さっきティニーちゃんの教育方針で意見が割れちゃったでしょ? それで喧嘩しちゃったんだなーって……眼潤んでるし目元赤いしね」


「い、いえ! これはナナキさんと喧嘩をして泣いたわけじゃなくて」


「それに仲直りのチューまで邪魔しちゃって……本当にごめんね」


「ち、ちちちちちち違います! け、喧嘩はしてないんです。それにちゅ……キ……も本当に誤解でっ!!」


「えっ、違うの? レラちゃん受け入れ体勢バッチリだったし、名無君も真剣な顔で顔に手を添えてたよね? あれで誤解なの? もうどこからどう見ても熱い口づけ待ったなしにしか見えなかったのに? 恥ずかしいからって嘘つかなくて良いんだよ??」


 名無はレラの涙を拭い、レラはそれを受け入れていた。

 真実として杏奈が言うような色めき立つ様な事は何一つないのだが、名無達の部屋を訪れソレを目の当たりにしてしまった彼女の眼には想いをぶつけ合い、確かめ合った恋人同士がいたった和解行為にしか見えなかったのだ。

 なんと間の悪い事かとレラは慌てながら弁明にはしる――


「ほ、本当に本当なんです! わ、私とナナキさんはそういう、関係じゃ……」


『そんな事は無い、役とは言え君の伴侶として振る舞う事に不満は無い。むしろ礼を言いたいくらいだ』


 ――はしるのだが、不意に名無が溢した言葉を思い出してしまう。


「そういう関係じゃ……無い、ですよ……本当に……はい……」


 朱かった頬は更に赤みを増し、湧き上がる羞恥心に視線を俯かせ、弁明の言葉は力を失い尻すぼみになっていく。そんなレラの様子に杏奈はニヤニヤと口角を上げ悪戯な笑みを浮かべる。


「まあ、レラちゃんにはレラちゃんの言い分があるって事で。で、話は変わるんだけど名無君を借りていっても良いー?」


「ナ、ナナキさんをですか?」


「そっ、少し話をしようと思ってね。レラちゃんに迷惑かけちゃってたのは間違いないみたいだし、名無君も色々悩ませちゃったみたいだから……でも本当にチューしなくて良いの? したいならまた後で来るよ??」


 だが、意外なことに照れるレラを追撃する気は無いようだ。悪戯な笑みは直ぐに消え本当に二人の仲違いしていないか案じるような真面目な物だった、気遣いの言葉が致命的に間違ってはいたが。


「し、しなくて大丈夫です! わ、わた、私の事は気にしないで下さい!!」


「そう? それじゃ遠慮無く。おーい、名無君」


 間違った気遣いもそこそこに潜めていた声から普通に戻し、改めて微妙に置いてけぼりを喰らっていた名無に声をかける杏奈。


「何だろうか……と言うより、中に入って話を」


「そんなに時間掛かかるような話じゃないんだけど、ティニーちゃん起こしちゃうかもだし違う所で話さない?」


「分かった、そういう事なら場所を変えよう。レラ、ティニーを頼む」


「は、はい。任せて下さい」


 気持ちよく眠っているティニーを思っての杏奈の提案を受け、名無は杏奈に連れられ部屋の外に出るのだった。


「その……杏奈さんに悪気が無い事は分かっているんだが、あまりレラを困らせないでやってくれないか? 本当に俺達は恋仲でも何でも無いんだ」


「やっぱり聞こえてた? でも、本当に悪気はなかったんだよ。事情を知ってるあたしでも恋人同士のやり取りにしか見えなかったもん。って、ごめんごめん。これじゃ話が進まないよね」


「その話はしないでくれると助かる、それで何処まで行くんだ?」


 部屋を出てから数分、ティニーを起こさずに話をするにはもう充分すぎる程に部屋から離れた。彼女達がレラ達に危害を加えるような事をしないとは思っているが、あまり離れるような事はしたくない。

 名無は止まることなく歩き続ける杏奈に問いかけた。


「う~ん、あたしが思ってたより皆が動いちゃってて困ってるんだよね。本当ならまだ時間がある予定だったんだけどさー、こうなっちゃたら仕方ないかなって」


「皆が動いて困る? まだ時間があるはずだった? 何を言って――」


 自分の質問に要領を得ない答えを返す杏奈に戸惑い、の真意が何なのかを確かめようとしたが名無だったが――



「戦おうよ、あたしと」



 それは何の緊張感もなく言い放たれた。

 これまで名無が見てきた杏奈の朗らかな面持ちで、柔らかな声音で。時折見せる無機質さなど微塵もない素の彼女のままで。


「――」


 気心知れた間柄のままで言い放たれた杏奈の訣別の言葉に名無は何も言わず、ただ握り拳を作ることしか出来なかった。





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