イシノアリカ(3)
――敗者の終点・休息所
敗者の終点の住人達にとって日課となった手合わせが終わり、休息所には男達だけでなく女性陣達の姿もあった。
その中心には敗者の終点に来たばかりの幼い子供と二人の女性の姿があった。薄暗い地下であっても輝くような鮮やかな橙色の髪と翡翠色の大きな瞳が特徴的な少女、ティニーと彼女を直ぐ近くで見守るように立つルゼと燐火の姿が。
「おお! かすり傷とは言っても結構な数だったんだが、どれも綺麗に治っている」
「治癒魔法の練習をさせてくれって言うからどんなもんかと思ってたが、こりゃ先が楽しみだな!」
「このまま経験を積んでいけば立派なお医者さんになれるわね」
「こらこら、あんまり期待を押しつけちゃ駄目だろう。無理をして倒れでもしたらナナキ君達が心配してしまうぞ」
「そうそう、何事も程々が一番さ。なっ、ティニーちゃん」
「うっ……ん、ティニーー…………がんばるっ!」
ルゼ監修の元とは言え、ティニーが治癒魔法の練習台として魔法を掛けているのは小さな切り傷や擦り傷等。子供では痛みに泣き出し、大人なら少し眉を寄せる程度の傷。しかし、治療に当たるティニーの表情は真剣そのもの。
ほんの少し前に魔法の扱い方を習い、医療の知識を譲り受けたばかりの彼女では小さな傷と言えど大仕事である事にかわりはない。慣れない魔法を行使するティニーの額には幾つもの汗が浮かび上がり、魔法を維持する集中力を切らすまいと小さな唇は白くなるまできつく噛みしめられている。
それこそ患者である者達からの賞賛に返事を返だけの事でさえ、噛み合わっていない言葉を絞り出すようなやっと状態だった。
「おいおい、焚き付け過ぎちまったんじゃねえか?」
「そ、そうは言ってもティニーちゃんの年で考えれば腕が良いのは確かだったからな」
「だからと言って過度な魔法行使は負担が大きい、そろそろ休みを挟んだ方が良いんじゃないか?」
「――限界までやらせる、ナナキ君達からも許可は貰ってるわ」
疲労困憊と言った状態のティニーを見て数人が止めに入ろうとしたが、それをやんわりと止めるルゼ。
「ティニーちゃんなら瀕死の重症者でも四十人くらいは完治出来るだけの魔力総量があるわ、なのにちょっとした切り傷十人で疲れるのは治癒魔法の練度が圧倒的に足りなからよ。ティニーちゃんに必要なのは出来る限り治癒魔法を使って経験を得る事と自分の限界が近い時、どんな状態になるのかを正確に把握しておく事の二つ。常に自分の限界を知っておくようにしないと助ける側が助ける側になってしまう。それじゃ本末転倒だもの」
「確かにルゼの言う通りか、それにご両親であるナナキ君達からも一任されているなら私達が口出しするのはお門違いだな」
「それに本職で先達者が言うんだ、治癒術士になる者には避けては通れないのだろうな」
「ええ、本当に危険だと判断したら必ず止めるから安心して頂戴」
「なら俺達はちゃんとお嬢ちゃんの練習台にならなきゃならんな!」
ルゼの確かな経験談に不安を解消できた全員はティニーの頑張りを止める事なく見守る姿勢を取った、その甲斐あってか瞳に力と取り戻したティニーに指示を出すルゼ。
「魔法行使になれていない貴女が魔力を多く消費してしまうのは仕方がないの、だからこそ焦らず丁寧に治癒魔法を掛けて。一度の治癒に必要な魔力と制御力を身体で覚えて」
一度教えると言った以上、生半可な指導は出来ないと厳しい言葉を掛けティニーが倒れるまでは治療を続けさせる気ではあるのだろう。しかしティニーを見守るルゼの眼差しは柔らかく温かい。
何が起きても大丈夫なように準備している事からも、ティニーが倒れてしまっても後に響かないよう細心の注意を払っていることがうかがえた。
「こ、これでじゅうに……め、おわり」
「それじゃ次の患者さんよ、戦場なら何の援護もなく治療に当たらなくちゃいけない。でも邪魔が入らない最高の環境で、魔法を使いすぎて倒れてしまっても介助することが出来る私が控えている。後の事は気にせずテキパキ行きましょう」
「うん……っ!」
「……ルゼって見かけによらずスパルタだったんだ、知らなかったなー」
「確かに厳しい指導ではあるが、何れは死の危機に瀕している患者を助ける側になるともなれば当然の厳しさだろう」
「そうは言ってもねー……名無君達はどう思う?」
仲間内でも見る事の無かったルゼの新しい一面に杏奈は引きつった笑みを浮かべ、ミドは杏奈に同意しながらも必要な事だと追及する事はしなかった。しかし、保護者である名無とレラの心中は無視できず杏奈は話をふる。
「あの指導がティニーに取って必要な事なのは理解している、俺も他者の傷は治せるが治癒魔法の加減は教えてやれない。それでも、無理をしすぎるのは賛成できないが……」
「私はルゼさんにお任せしようと思います、私も薬学はあら少しだけ勉強して薬師さんをお手伝い出来るくらいは覚えがあります……けど、それだけで魔法に関しては何も力になってあげられません。何よりティニーちゃんが一生懸命に頑張ってます、応援してあげたいなって私は思います」
「おー、意外。綺麗に意見が割れた」
名無もレラもティニーを心配しているのは同じだが、名無はティニーを案じるが余りに辛いようなら止めてしまっても構わないと思っている。一方でレラはティニーの意思を尊重し応援しようとしている。
どちらもティニーの身を案じている、根本的には同じ思いを共有していても考えていることは正反対。どちらか一方が悪いわけでは無い、どちらもティニーを心配しての言葉なのだ。
幼少期を弾丸が、能力が、怒号が、血が。苦痛と恐怖が起因する全てが飛び交う戦場で過ごした名無。ティニーもそれに近しい体験をしている事を知っている、だからこそ自分のようになってしまう前に立ち止まって欲しいと名無は考えている。
痛みに、苦しみにもがき続けるしか無い辛さ、無理矢理教え込まされる事から逃げる事は悪では無い。逃げられるなら、逃げても良いのなら逃げるべきだ……可能ならそんな状況に陥る前に打開策を打ち出来る限り苦難から遠ざけておきたいと。
レラは人間達に怯え、不条理を突きつけられる世界で仲間達と耐え忍び生きてきた。今が辛くとも、先の見えない隠遁の日々でも、平穏な日々が掛け替えのない幸福で、不条理に抗う事こそが生きる事だと身をもって知っている。
そんなレラだからこそティニーが自分達の為に前を向き一歩を踏み出したのなら、力になれずとも何かしてあげられる事はないか、戦う力が無い自分に出来る事は何かと隣に寄り添う事を選ぶのだ。
「私だったら好きなようにさせるかなー、困ったり立ち止まっちゃたりしたら手伝ってあげれば良いんだし」
「甘やかせるなとは言わんが、それでは自立心が育たん。目の前の壁や問題を前に躓き転んでしまっても、俺達が傍にいてやれなくなる事を考えれば自分の力で立ち上がるのを待つべきだ」
「おおぉ、ミー君も厳しいー――けどそう難しく考えなくても良いと思うよ、名無君」
「難しく考えてるつもりは……」
「名無君がそう思って無くても、ティニーちゃんを見てる時の名無君の眉間皺が凄いんだから」
「そう、なのか」
「そだよー、もうお爺ちゃんかってくらいに寄ってるんだから」
杏奈は両手の人差し指で自分の眉間を寄せて皺を作ってみせる。意図的に作られたとはその皺はとても深く真剣な面持ちだった名無に照らし合わせてみれば、とても思い悩んでいる事が覗える。
「まだ外にいた時、戦場に出てた仲間の子の面倒を何日か見た事があってさ。その子が物凄い内気な子でね、仲良くなろうとしたんだけど結局最後まで駄目だったんだー」
小さな子供が好きそうな遊びを一緒にやってみても、両親が用意して行ってくれた料理や大好きなお菓子を食べさせても、自分の父と母が戻ってくるまでその子と打ち解ける事は出来なかった。
「でもね、お父さんとお母さんが帰ってきた途端に元気いっぱいになったの。何でか分かる?」
「何でも何も死地から両親が帰ってきたからだろう」
「うん、それもあると思う。名無君が言う事も尤もだけど、一番の理由はその二人が笑って帰ってきたからだよ」
戦場から生きて帰ってきた二人の着てる服はボロボロで、身体中に怪我を負って、お世辞どころか生きて帰ってきただけで充分すぎる成果だと風体で……。
それでも彼等は笑みを浮かべ帰ってきた。
動くのも億劫であろう疲労感と痛みに苛まれながら、それを表に微塵も出す事なく。
「転んだ子供が立ち上がるのを手助けするのは親の役目、子供が自分の力で立ち上がるの見守って褒めてあげる事も親の役目。どっちも親として間違った事だとは思わないし、名無君みたいに危ないことから逃がしてあげる事も親として正しい、親が子供にしてあげられる事って沢山あると思う。けど――」
今も汗を拭いルゼの指導に一生懸命ついて行くティニーを若葉色の双眸に映す杏奈、その二つの瞳はティニーに嘗て見た親子の情景を重ねているようだった。
「どんなに辛い時でも、どんなに苦しい時でも、笑ってみせられる強さは子供を安心させられる。そんな親の姿に子供は勇気を貰える、夢を見られるんだよ。自分も何時かは大好きな人達の様に、大切な人達の為にってね」
「………………」
「実の我が子にかっこ悪い所を見せられないのは親の辛い所らしいから名無君達も気を付けて……まっ、ティニーちゃんのあの様子だと心配ないと思うけどねー」
「いつの間にかティニー嬢の話からナナキ君達の話にすり替わっているぞ、まったくこういう事に限ってお前は気が回るのだな」
「ミー君のお馬鹿!? それ言っちゃったらティニーちゃんの応援にならないじゃん、ミー君こそ空気読んでよ。その立派ですらっと長い鼻筋の鼻は何のためにあるの!!」
「それで話を纏めるが、要は君達が物事を考えるようにティニー嬢も自分の考えを持つようになったと言う事だ……時間はまだある、訓練が済んだら三人でゆっくり話し合うと良い」
ティニーの頑張りを窘めるのか、応援するのか……その答えは既に出ている。
今話し合うべきはティニーが選び歩くと決めた道を、名無が最後まで見守り続けられるかどうか。
ラウエルでの一件でノーハートを追う事を旅の目的に定めた名無、その時点でレラとティニーを危険な旅路に巻き込んだ事は間違いない。そんな名無がティニーの身の安全を、降りかかるであろう困難に心を砕くのはお門違いだろう。
だが、だからこそ二人に降りかかる火の粉を排除しようと気を張っているとも言える。ティニーが子供と言う事もあるのだろうが、名無の過保護――過剰とも言える保守的言動はそこから来ていた。
「あっ」
杏奈とミドの言葉を上手く受け止めきれず視線を落としていた名無だったが、杏奈の唐突に溢れ出た声に視線を戻す。目線を戻した名無の眼に入ってきたのは肩で息をして座り込むティニーの姿。
まだ続ける気力はあるようだが、隣に膝をつきティニーの状態を見たルゼは窘めるように首を横に振る。
ドクターストップが掛かり今にも泣き出してしまいそうなティニーの姿に名無の表情が苦々しく曇る。
「……今日はもう無理そうだな」
「そうだね、あの様子だと訓練は終わりだと思う。魔力を使い切っちゃってるみたいだし、もう少ししたら眠っちゃうんじゃない?」
「なら、迎えに行く。汗もかいているし、眠ってしまう前に着替えさせた方が良いだろう」
「そうですね。一杯頑張って疲れてると思いますから、あのままだと風邪をひいてしまうかもしれません」
「寝床は俺と杏奈で準備しておいておこう」
「助かる」
「ありがとうございます」
名無とレラは揃って杏奈達に頭を下げ、二人の横を通り抜け座り込んでいるティニーの元へと駆けたのだった。
「あんなに慌てちゃって、本当に名無君は心配性だね」
「俺達と同じように彼も何かしろ抱えて生きてきたんだろう、それが何を起因とし内に巣くっているのかまでは分からないが失う事を酷く恐れている事だけは確かだ」
「びっくりする程強いのに怖がりなんてチグハグだよね。普通、レラちゃんの方が怖がると思うんだけどな」
「常日頃から魔族は奪われる事を覚悟して生きている、そう言う意味では失うことに対する恐怖心を飼い慣らせていると言えば良いか……どちらにせ彼が抱えているモノとは別種のものだろう」
「そうなんだろうね……それでさ、ミー君」
ティニーの元へ駆けつけ優しく汗を拭うレラと、それを見守る名無を見つめる杏奈。名無達三人のやり取りを映す瞳は変わらず柔らかい……が同時にどうしても無機質な笑みが顔を出す。
「『時間はまだある』って言ったよね?」
「ああ、そうだな。それがどうかしたのか」
杏奈が見せる異質さを確かに感じ取りながらも、ミドはそれに触れる事無く会話を続ける。
「皆が一生懸命になってる所悪いんだけど、そろそろ名無君に仕掛けてみようかなって思ってるんだ」
「…………お前は強いな、アンナ」
「そんな事無いよ、ミー君。私は弱い、ルゼ達みたいになれなかったし出来なかった。きっと私の考えなんて彼奴はお見通しだろうけど――それでもコレは私は私の意思で選んだって言い続けるよ、我が儘で浅はかでみっともなさで一杯でも。だからさ……」
名無、レラ、ティニー……三人の温かなやり取りを眼に焼き付ける様に目蓋を閉じ、隣に経つミドに身を寄せ自分の左手をミドの右手に絡める。その手はカタカタと震え、浮かべていた無機質な笑みが虚飾に飾られた物であり偽りの仮面が外れた事を告げていた。
「ミド、貴方は諦めないで。勝敗が決する最後の瞬間まで、私の勝利を信じて……あたしがきっと、きっと……っ」
だが、それ故にこそ震える声で奏でられた言葉は杏奈の紛れもない本心であり隠しきれない魂の嘆き。名無達に見せる事の無かった杏奈という一人の少女の弱々しい姿にミドは何も言わずそっと自分の胸に杏奈を抱き寄せるのだった。




