04 イシノアリカ(1)
「あー………………本当に俺で良いのか?」
「うん!」
「だけどな、魔法を教わりたいならナナキさんの方が良くないか? それか他のおっさん達や奥様方の方が良いと思うぞ。俺も強い方だと思ってるけど場数を踏んでる方から教わった方が良いと――」
「ニックスお兄ちゃんが良いの!!」
「まあ、ちびっ子が良いなら良いんだけどよ………………」
レラが目覚め漸く三人で動けるようになった次の日、一番最初に意外な行動に出たのはティニーだった。ティニーが今いるのは名無とニックス達が手合わせをした広場。
いち早く行動を起こした事を証明するようにティニーの傍らに名無とレラの姿は無く、少女の眼前にいるのは自身の鍛錬をとシャツにズボンと身軽な格好で剣を手にしているニックスだけ。
そんなニックスは意気揚々とやる気に満ちているティニーに困惑した表情を浮かべ視線を泳がせる。
『…………………………』
その視線の先には固唾を飲んで物陰からティニーを見守る名無とレラの姿が、他にも杏奈やミド。そして、ニックスの恋人であるキユロの姿まであった。見渡せばまだ他にも居そうだが、自分以外誰もいない上に来そうにない雰囲気と名無達の様子。そして、ティニーの話からなんとなくではあったが事情を察したニックス。
「教えるのは別に良いけど、どの属性が得意なんだ? それ次第で教え方が変わってくるぞ」
魔法の属性は全部で火、水、風、土、光、闇の六属性。
その属性を二種類、または二種類以上重ねる事で新たな属性や属性とは異なる系統を生み出せる。自身の魔力を精霊に譲渡する事で様々な現象を引き起こす多様性の高い力だが、個人差があるとは言え基本的にどの属性も扱う事が出来る。その差を生み出すのが生まれ持った魔力総量と適正属性だ。
魔力総量が多ければ多いほど扱う魔法の威力と規模が大きくなるのは言うまでも無く、同時に発動できる魔法の数も増え継戦能力も必然的に高くなる。そして火属性魔法が特異な者は他の属性を得意とする者の火属性魔法よりも優れて効果を発揮できる。
その逆もまた然りだが、魔力総量のさが絶大であれば魔法の得意不得意を覆す事も可能だ。
魔力量の差を埋める事が出来ない以上、伸びしろが期待できる相性の良い魔法の研鑽に力を入れるのが強くなるための常套手段。どれだけ優れた魔法騎士でも例外なく避けることの出来ない道である。
「わからない……てぃにー、まほうつかったことないから」
「まあ、あれだけ強い父ちゃんと魔法に頼らんでも生きていける母ちゃんがいれば使う機会もそうない……のか?」
魔法は魔族と違って魔法騎士でなくとも人間なら一般人でも使う事が出来る。
日々の生活の中でも気軽に使う事も珍しい事では無く、子供達は魔法を使う親の姿を見て危なくない魔法の使い方を学ぶ。その為、自分に出来した属性がなんなのか、どれだけ魔法を発動する事が出来るのか。ある程度の事は自然と身につけるものなのだが、ティニーに関しては事情が事情だ。
魔法を使った事がないと話すティニーの言葉にニックスが首を傾げるのも当然の反応と言える。
「ナナキお父さんはあとでおしえるっていってた。でも、まほうにたよりきりになるのはだめだって。いっぱいうごいてもつかれないようになってからでもおそくないって、てぃにーからだあんまりつよくないから」
「確かに子供だと使える魔法は限られてくるし魔法の使い方は見てればある程度は勝手に覚えるしな、ちびっ子が言うみたいに身体が弱っちいなら身体作りを先にした方が後々手間が掛かんないか。そうなると……最初にちびっ子が何の属性が得意なのか、どのくらい使えるのか、きっちり調べた方が良いな」
ニックスは鞘に収まったままの剣を使って地面に絵を描いていく。
火は水に弱い、水は土に弱い、土は風に弱い、風は火に弱い。光と闇は互いに強くもあり弱くもある、この各属性の相性についての絵はティニーが分かりやすいようにとニックスの気遣いだった。
「とりあえず属性の力関係はこんなもんだ、次は精神統一からな。眼を瞑って呼吸は深く……自分の魔力に意識を集中してみろ」
「うん…………」
ニックスの指導の下、ティニーは魔法の訓練を始める。
魔法を使う第一段階、自身の肉体に宿る魔力の喚起。ニックスの指示通りティニーは眼を瞑り深呼吸を繰り返す。
「魔力は自分の身体の中、魂から溢れ出るもんだ。山の川とか村や町で使う井戸水みたいに内側から湧き出るようなイメージで、それを身体の外側にまで広げてけ」
「…………っ」
ニックスの声に耳を傾け魔力を探り引き出す事に意識を集中させるティニー、すると次第にティニーの身体が淡い蒼光に包まれていく。
「からだ……ぽかぽかする」
「それが魔力を使ってるって感覚だ。良いか、集中を切らさず魔力の喚起を維持しとけよ。そのまま次は魔法の詠唱、魔法の詠唱は魔法を形作るきっかけと同時に魔法の発動を成功させる要だ。慌てず、急がず、確実に唱えて詠唱から発動する魔法をしっかりとイメージするんだぞ。今からやるのは火属性魔法の中でも初歩中の初歩の魔法だ。詠唱も短いから難しくない、失敗するホが難しいやつな……準備は良いか?」
「だ、だいじょうぶ」
「よし、それじゃ眼を開けて右手を自分の前に出してみろ」
「………………」
魔力の操作を疎かにしないよう気を緩めず、ゆっくりと目蓋を開き右手を前に掲げるティニー。
「次は右手の人差し指を真っ直ぐに伸ばせ、その指先に火が灯る瞬間を想像しろ」
「う、うん」
「詠唱は三節、俺の後に続いて唱えろよ――暗がりを晴らす」
「く、くらがりを、晴らす」
「僅かな灯火よ」
「わずかな、ともしびよ」
辿々しいもののニックスの口から紡がれる詠唱を復唱するティニー。
ニックスが選んだ初心者向けの魔法、その完成はあとたったの一節。何の問題も無く順調に最後の一節を唱えるノックスとティニー。
「我が行く先を照らせ――」
「――わがゆくさきをてらせ!」
詠唱の完了と同時にノックスとティニーの指先に火が灯った。
違いがあるとすれば灯った火の大きさだろう、ノックスは成人男性の拳を優に超える大きさの火球が。ティニーはマッチ棒をこすって出来た小さく揺らめく火が。
魔法の発動は無事に成った――しかし、その結果は比べるまでも無く決定的な差をティニーに知らしめるものになってしまった。
ティニーよりも早く生まれ、過酷な戦場に身を投じ、幾つもの視線をくぐり抜けてきたニックスとの間に大きな差があるのは当然の事だ。それ以外にも魔力総量、魔力制御、確固たるイメージの確立と理由を挙げれば切りが無い。
魔法を使ってみたかった、そんな年相応な理由でニックスを頼ったのならこの結果は上々だろう。だが、名無に教えを請わなかった時点でティニーが魔法という力を望んだ理由が子供じみたものだけではない事は想像できる……ニックスもその事はしっかりと理解していた。
「今の感覚を忘れるなよ、使う魔法がどんなのでもやる事は同じだかんな……んでっ、何で魔法を教わりたいんだ」
だからこそティニーが力を求めた根底を聞き逃す様な事はしなかった。
「俺が言うまでも無く知ってると思うがナナキさんは強い、段違い所か次元が違う。本当に同じ人間なのかって言うくらいな」
名無達が旅をしている事はニックス達も知る所だ。旅の道中が穏やかな日ばかりで無い事も、自衛の為に魔法を学ぶ事は生きる事に直結する世界だ。その事は名無やレラも痛いほどに理解している。
それでも魔法を……戦う術をティニーに教えないのは、彼女に背負わなくても良い重荷を課さないため。ティファが残した言葉で、名無とレラの優しさで持ち直したとは言っても最愛の家族を失った現実は変わらない。
大切なものを失った痛みは子供だろうと大人だろうと簡単に癒やせるものではない、そんな心の状態を把握することが出来るレラが『大丈夫』だと判断できるまでは直接荒事に関わらせてはならない……それが名無とレラの出した結論だった。
二人からその事実を聞く事は無くても感じ取っていたニックスはもう一度言葉を重ねる、ティニーが力を求める理由と覚悟が揺るがない物なのかを確かめる為に。
「そんなナナキさんが居るんだ、ちびっ子が無理して魔法を覚える必要が無いって事も分かってるんだろう? それでも魔法を覚えたいって言う理由を教えてくれ、どうせナナキさん達には内緒で俺の所に来たんだろ?」
「………………わ、わらわない?」
「笑わねえよ」
「お、おこらない?」
「怒らねえよ………………………………………………俺ってそんなに性悪に見えるのか?」
手合わせが終わっても名無から不意打ちを警戒され、ティニーに念押しをくらいニックスは内心傷つくも今は自分の事よりもとティニーの答えを待った。
「…………や、だから…………なにもできないの、やだから…………」
「何も出来ないのが嫌、か……」
「うん」
ニックスが笑わないと、怒らないと言ってもティニーは顔を俯かせ魔法を教わろうとした理由を口にした。まるで口にした答えを恥じるかのように……。
「ティニー……まもられてばっかりだから、たすけてもらってばっかりだから。おれいしたくても、なにをすればいいかわからなくて……なにをしたらおれいになるのかもわからなくて……それで……ナナキお父さん、たたかうときまほうつかうから……レラお母さんとティニーがびょうきとかけがしたときは、まほうでなおしてくれるから……」
「魔法を覚えて使えるようになればって思ったんだな?」
「…………ティニー、あんまりあたまよくないから……それしかおもいつかなかった……」
「でも、一生懸命考えて出した答えなんだろ? だったら胸を張れ、それは他の誰でも無いちびっ子が決めたもんだ。『誰か』の為に魔法を覚えたいなんて簡単に言えるもんじゃない、力があろうが無かろうがな」
ニックスは俯き肩を落とすティニーの頭に手を置いて乱雑に、それでいて労るように頭を撫でつけた。
「あうぅ……ニックスお兄ちゃん、いたいよー」
「悪い悪い、ちびっ子が良い子だって分かったから嬉しくてついな――よし、理由は聞けたし続きをするとしようぜ」
「……おしえてくれるの?」
「何不思議がってんだよ、言ったろ? 理由を聞かせてくれたら教えてやるって、ちゃんと先生の話は聞くもんだぞ」
「…………うん! ティニー、ニックスお兄ちゃんのはなしちゃんときく!!」
「張り切るのは良いが疲れたら言えよ、ちびっ子に無理させたら後でナナキさん達やキユロに怒られるの俺なんだからな」
やる気漲るティニーに釘を刺しつつも、明るさを取り戻したティニーに釣られニックスも笑みを溢し中断していた適正属性と魔力総量の確認に再び取りかかるのだった。
「――どうやらティニー嬢の粘り勝ちのようだ」
「と言うよりも、ニックスは最後まで教えるつもりだったみたいだが……」
「ティニー嬢の誠意ある答えあってこそのものだろう、答え次第では何か理由を付けてうやむやにしていたさ。此処には普通の人間と魔族はいないからな」
ティニー達のやり取りを影から見守っていた名無とミドは、適正属性の見極めに勤しむ二人が会話をしっかりと聞き取って良い方向に話が纏まったことに安堵する。名無が言うようにニックスがティニーの頼みを断る気が無かったのは事実だったが、同時にミドが言った事も嘘では間違ってはいなかった。
穏やかな時間が流れるからこそ忘れがちだが、名無達三人を除く敗者の終点に居る者達は全員が弱肉強食の世に異を唱え、その世界の頂点に立つ魔王に挑み敗れた者達である。
成人前とは言えニックスとキユロも魔王に挑んだ身だ。ティニーが魔法を求める理由が他者を害するような物であれば、幼い子供が相手とは言え絶大な凶器となる魔法を教えるような事はしなかっただろう。
そうは成らなかったのはティニーが少しでも名無達の力になりたいと願っていたからだ、自分よりも優れた相手に教えを請う。それは相手の考えに身を任せる事になる、返答が望んだものにならない事の方が多い土俵でティニーは自分の勝利を勝ち取ってみせた。
交渉とは言えない、駆け引きも何も無い、だとしても確かにティニーは自分が望む結果を手繰り寄せた。ティニーの初めての戦い、それを乗り切ったと言う事実はティニーとニックスの間にあったやり取り以上の成果と言って良いに違いない。
「何にせよ、ティニー嬢が無事に魔法を教授出来る事に変わりは無い。ティニー嬢の事を思うなら此処は知らんふりをしておいてやるのが良いと思うが?」
「そうするのが一番良いのかもしれないが、一から十まで関わらない訳には……」
「話をするなとはいわない。だが、ティニー嬢の意思を一番に尊重する事が必要な時もあるさ」
「それが今なのだろうか、しかし……」
「過保護だな君は、もう少しティニー嬢の自主性に任せみても――」
「ちょっとちょっとっ! 可愛い可愛い奥さん達を放っておいて盛り上がるのはどうかなー?」
端から見れば子煩悩な父親達が教育方針の違いから意見を交わしあう状況。隠れているとは言え少しずつ声が大きくなり始め、何れはニックスだけでなくティニーにも気付かれかねない。
本格的に名無とミドが意見のぶつけ合いを始めてしまう前に、杏奈が置いてけぼりをくらっている三人を代表して待ったを掛けたのだった。
「あたし達はミー君や名無君みたいに声が聞こえてるわけじゃ無いんだよ、盛り上がるのは後にしてティニーちゃん達がどうなったのか説明してくれる?」
「わ、私も気になります……」
「ティニーちゃん達の様子から上手くいったのは分かりますけど、どんな事を話したのかは気になりますね」
レラはおずおずとキユロは躊躇いなく手を上げ事の詳細を求める。
名無達とティニー達の間には五十メートル近い距離がある、『虐殺継承』で聴力が高められている名無と野生動物と何ら変わらない優れた聴力を持っているミドであればティニー達の声を聞き取る事くらい造作も無い事だ。
だが、レラ達はそうは行かない。
魔法を使えば離れた場所での会話を聞く事はそう難しくは無い。しかし、魔法を使えば間違いなくティニーに気付かれる。今まで魔法を使ったことが無くても魔法発動時に発生する魔力の揺らめきを感じ取れない人間はいないだろう。
だからこそティニーに気付かれないよう万全を期すには純粋な聴力で聞き取れる名無とミドの耳に頼るしかなかった。だと言うのにレラ達に何の説明も無いまま白熱の討論を始めようとしていたのだから、三人から配慮を求められるのも当然と言える。
「すまない、二人の話に集中しすぎて視野が狭くなってしまっていた」
「要約するとティニー嬢はナナキ君とレラさんの助けになりたくて魔法を覚えたいとの事だ、ニックスも無理をしない範囲で教えるとやる気を出しているといったところだ」
「そっかー、それは何より…………で良いよね?」
元々ありえない事だがティニー達が言い争いや実力行使での決着と言った物騒な方法で解決する事なく場が収まったことに、杏奈は満面の笑みを浮かべて喜びつつも名無とレラに視線を送る。
「ティニーが魔法を覚える事に反対はしない……が、適正次第とは言え欲を言えば戦闘用では無い魔法を身に付けて欲しいとは思っている。レラはどう思う?」
「ナナキさんと同じです。でも、戦う為の魔法も覚えた方が良いと思います。戦う為の魔法は相手を傷つけるものですけど、同時に身を守るための物でもあると思うんです。ティニーちゃんは望んで誰かを傷つけるような子じゃありませんから」
「ああ、ティニーが誰かを傷つけるために魔法を使う事はないと言う点に関しては俺も同意見だ」
だが、戦わなくてはならなくなった時、ティニーに人を殺す覚悟が出来るかどうかが問題だ。
弱肉強食の世界で戦うという事は文字通り互いの命を賭けた物になる、戦かう相手を殺すか殺さないか決める事は出来る。人の命を奪わないと考えられるのは、それだけで美徳だ。命の価値が軽く見られているこの世界では尚更に、しかしながら戦場において優しさは防ぐことも避けることも出来ない己の身を滅ぼす毒となり得る。
敵に温情をかけ、その結果改心するなら良い。だが、命を賭けた戦いに善悪は存在しない。あるのは純粋な生存競争、殺すか殺されるかの二者択一。
何かを守る為の戦いであっても、誰かを護る為の戦いであっても、自らが選んだ道を進む以上は自分以外のあらゆる物から奪わなくてはならない。それが物であれ、命であれ、眼に見えず触れる事の出来ない尊厳であれ奪うという行為は等しく悪なのだ。
だから理性ある人は願わずにはいられないのだ……自分が見た物が、選んだものが、得たモノが正しいはずだと。間違ってはいないのだと切に願うのだ。その苦悩と向き合い続けられる者は少ない、絶対的な力を持つ名無であってもそれは変わらない。
むしろ正しいと声を上げるのでは無く、悪だと理解しながらも貫き通すと決めたその在り方が多くの人間が選び取っている、罪の意識があろうと無かろうとだ。
(ティニーはまだ誰の命も奪ってはいない、俺のように血にまみれる事なく生きる事が出来るのならそうした方が良い。一度でも人に手を掛けてしまえば負の連鎖に捕らわれる、それだけは避けたい。だが……)
レラの言うように自分の身を、大切に思っている誰かを護る為に戦う為の力は必要だ。傷つける為の力を護る力に、癒やす力に変えていける。様は力を使う者によって力の定義は大きく変わる。
それを旅の道中、何れは自分が教える覚悟ではあった。だが、今この場で力を学ぶのは拙い。
(時折杏奈さんの見せる異質な様子、俺達が留まるよう仕向ける言動……直接的な危険は無くても無視できない脅威を感じる)
ティニーが力を身に付ける事に反対しないと言う名無。
そんな彼がこの場で躊躇い続ける最大の理由が杏奈にある以上、レラの意見にさえ迂闊に同意する事も危ぶまれる状況であるのは間違いない。
「……………………………………こちらに気付いているニックスには悪いと思うが、もう暫く身を潜めて様子を見させてもらおう。気付かない振りをするにも、ある程度状況を理解していないと逆に堅さが出てしまうからな」
それでもティニーの想いを蔑ろにしたくはない、名無は少しでも不穏な空気が漂えば止めに入ろうとこの場に留まる事にした。
「ものすっごい熟考、名無君は本当に心配性なんだから。まっ、そう言う優しいところがあるからレラちゃんも好きになったんだろうしね」
「えっ、は、はい! そうですね、…………す、好き……ですよ……」
「……レラ、無理に答えなくても大丈夫だぞ?」
「あははっ、レラちゃん照れちゃって可愛いー! ミー君もこれくらい照れてくれたら杏奈さんはとても嬉しいのですがいかがでしょう?」
「他は他、家は家だ。仮に俺がレラさんのように初々しい反応を見せたとして誰が得をする? 誰も得がなければ俺だけが実害を被るだけだ」
「いや、いるから、ここにっ! 今さっき言ったばかりだよ!!」
「さて、そんな妄言はとんと聞き覚えが無いな」
「聞いてるじゃない! 妄言ってしっかり聞いてるじゃない!! わーんっ! ミー君があたしを虐めるよキユロちゃーん!」
「あっ、適正属性が何なのか調べ終わったみたいです。きっと、絶対に、どうしてもお手伝いが必要だと思うので行ってきますね」
「ひ、酷いっ!? 扱いが酷いよ、キユロちゃん!」
息をするように自然に思い悩む名無と気を緩めいていたレラを揶揄う杏奈。
そんな杏奈を嗜めるミドの言葉に遠慮は無く、その言葉に傷ついた体を装い慰めを求める杏奈をこれまたバッサリと切り捨ててしまうキユロ。駄目な大人を遇う作法を年頃の少女が覚えてしまっているのは、何ともやるせない物を感じずにはいられない。
「ナナキさんも良いですか?」
「あ、ああ……根を詰め過ぎるようなら止めてやってくれるとありがたい」
「任せて下さい、それじゃ行ってきます」
若草色の双眸を薄らと潤ませながら抗議の声を上げる杏奈を尻目に、全く後ろ髪を引かれる様子無くティニー達の元へ行ってしまうキユロ。そんな彼女の後ろ姿が決定的だったのか、杏奈は恥も外聞も無く涙を流しレラへと抱きつくのだった。
「わーんっ! ミー君だけじゃなくてキユロちゃんもあたしを虐めるぅ!! レラちゃん、あたしどうしたら良いのー!」
「え、えっと……泣かないで下さい。杏奈さんがミドさんの事を好きなのはちゃんと伝わってると思いますし、お話なら私が聞きますから」
「ありがど、ありがどうねぇぇぇぇっ!」
「迷惑を掛けるな、レラさん」
「い、いえ」
「ナナキ君もすまないな、もう少し茶番に付き合ってくれ」
「………………ああ」
不穏な空気を警戒している事に変わりは無いが、名無は恥も外聞も無く泣きじゃくりレラに慰められる杏奈の姿と事もなげに辛辣な言葉を叩き付けるミドの遠慮の無さが光る夫婦のやり取りに何も言えず、たった一言返すことしか出来なかった。
……だからこそ気付けなかったのだ。
――はっ、はっ、はっ――
自分と彼と彼女の間にある距離は短い、十数秒もあれば小走りでも辿り着ける距離。
息が上がるような距離では無いのに呼吸が乱れるのが分かる。鼓動を刻む心臓が、息を吸い込む肺が痛いくらいに早く動いているのが分かる。
自分でも不思議なほどに心が、身体が高揚している……嬉しいのだと魂が叫んでいるのが分かってしまう。
持てる力の全てを絞り出して、死力を尽くしてもなお敗れ、決められた終わりが来るのを待ち続けるだけしか出来なかった自分達に訪れた転機……奇跡にも等しい出会いにどれだけ救われたか。
――きっと彼も同じだ、此処にいる皆も――
勝者である者達にしてみれば馬鹿げていると声高らかに笑い落とすだろう。だが、敗者である自分達にとって『彼女』は希望なのだ、『あの人』が救いなのだ。
決して解けることの無い呪いを身に受けてしまっている自分達にとって、今この時が運命を覆せる最初で最後の光明。
――だから息が切れる、身体の奥から力がわいてくる、心が魂が喜び泣いている――
――思うがままに足を進めよう、願うがままに顔を上げ続けよう――
――最後の最後まで、無くしてしまった物を埋める為に――
自分達以上に救われているであろう仲間を出し抜いて抜け駆けをしてしまう事に罪悪感が募る、けれどそれを許して欲しいとは言わない。皆が『彼女』や『あの人』を求めるように、自分達だって求めていたから。
こんなにも温かな気持ちにを抱けるのは、もう二度と訪れる事は無いと分かっているから。
だから、だから今この時だけは他の誰にも、誰が相手でも渡さない――絶対にだ。
「――そろそろ私もまぜてもらっても良い、ニックス、ティニーちゃん?」
見て見ぬ振りが出来ない異質さを垣間見せながら出会ってからずっと気さくに接し続ける杏奈に気を取られ、彼女以外にも言い知れぬ不穏を纏う者がいた事に。




