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同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第四章 延命休息
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03  敗者の枷(1)


 敗者の終点に置いて時間の概念は薄い。

 ラウエルの様に街全体を天蓋で多い魔法によって擬似的な空を見せるような事は無い為、自然と時間に対する感覚が鈍くなっていく。

 眼に見える景色は天井に並ぶ水晶と水晶が放つ淡い光によって照らされる土色、その変わることの無い空間に閉じ込められてしまえば次第に気が滅入り精神に異常を来す者が出てきても何らおかしくは無い。

 だが――


「身体に何も無くて良かったわ、こういう時ブルーリッドって大変よね」


「触れた相手の心の色が見えちゃう分、魔族の中でも繊細な種族だもの。普通に生活していても何かと気を遣わなくちゃいけないんでしょ」


「でも、レラちゃんの旦那さんは出来た人ね。レラちゃんを心配していても不安を顔に出さないでティニーちゃんと接していたわ、私の夫とは大違い」


「うちもだわ、少し身体の調子を崩すとあたふたするのよね。心配してくれるのは嬉しいんだけど、もぅちょっとどしっと腰をすえていてほしいもんだわ」


「そ……そうなんですね」


 女三人寄れば姦しい、と言えば良いのだろうか。

 地下空間の陰鬱な状況など何のその。

 レラは敗者の終点における憩いの場に使われている一室の軒先で、妻として先達者達との騒がしいお茶会に苦笑を浮かべ肩身の狭い思いをしていた。


(皆さんが何を言いたいのかは分かりますけど、どう答えたら良いのか分かりません……)


 レラが肩身の狭い思いをしていると言っても険悪なものではなく、主婦の井戸端会議に未婚である自分が主賓として招かれたことに対する戸惑いからである。彼女が眠っている間に決まってしまった役回りなのだから不満は無くとも、振られる話の内容に共感しきれず、ぎこちない返事を返すことしか出来なくても仕方が無い。


「はいはい、夫に対する不満が溜まってるのは分かったわ。けれど、レラさんが困ってるから其処までにしておきなさい」


 そんなレラの居心地の悪さを感じ取ったのか、お茶を片手に話に花を咲かす女子会なのか愚痴をこぼす井戸端会議なのか分からなくなってきた中、レラと同じくお茶会に参加していたブルーリッドのルゼが止まらぬ会話の渦に待ったを掛ける。

 その鶴の一声に女性陣はレラを置いてけぼりに話が盛り上がっていた事に気付き、各々「ごめんね」と苦笑いを浮かべるのだった。


「彼女達に悪気は無いの、レラさん。新しい子が来るといつもこうなってしまうの、気さくに話が出来る集まりだと示すためのお茶会なのだけど」


「い、いえ。皆さんが歩み寄ってくれているのは分かってますから、謝らないで下さい」


「そう言ってくれてありがたいわ、昔は私達も同じ体験をしたんだけどね。する側になってしまうと、その気が無くても井戸端会議になってしまうの……年はとりたく無いものだわ」


「あの……まだまだ若いと思いますけど……?」


 ルゼの助け船に一息付けたレラだったが、ルゼの口から零れた外見にそぐわない言葉に首を傾げる。

 ルゼの肩で切りそろえられた灰色の髪、自分と同じ蒼い肌には確かなツヤがあり声にもはりがある。目元や口元に皺は一つも無く、適度な厚みがある唇は成人した女の余裕と色気が見て取れる。

 彼女の外見から想像するに彼女の年齢は二十代前半、年をとったという言葉が事実だとしても三十は越えていないのは間違いないだろう……それで年をとったといってしまっては、それ以上の年齢にある同性達の立場がない。

 これはルゼ以外の四人にも言える事なのだが、人間族、獣人種、亜人にエルフと異なる種の彼女達もルゼの言葉を噛みしめ唸るように首を縦に振っていた。


「誤解させるような事を言ってしまってごめんなさい、ここにいると時間の感覚が狂ってしまってね。大して時間が経っていなくても大分経ってしまったように感じてしまうの、中には短く感じる人達もいるから一概に共通の症状という訳では無いけれど」


「そうだったんですね……すみません、変に聞いてしまって」


「気にしないで、むしろ分からない事や疑問に思ったことがあったら遠慮無く聞いて。それがこのお茶会の本来の役割で私達の話の種にもなるのだし」


 床に伏せていたレラが眼を覚ましたと知って歓迎と激励の意思を知ってもらおうと催したのがお茶会の始まりではあったが、漸く本題に入れると紅茶を口に運び一息つくルゼ。


「大体の事はナナキさんが教えてくれたので今のところ分からない事は……特に無いと思います」


「そう……じゃあ、私の方から話を聞いても良いかしら?」


「ルゼさんが私に、ですか?」


「ええ、他の皆も聞きたい事があると思うからこの際ね。安心して、話は基本的に私が受け持つわ。皆口々じゃさっきの二の舞になっちゃうから、皆もそれで良いわよね?」


 それぞれがレラの質問に答えていては話が纏まらず、そのまま先ほどのように話がそれてしまうのは明らか。五人を代表してルゼが進行役をかってでる。

 女同士と言うだけでなく同じブルーリッドの彼女であれば、レラも話しやすいだろう。

 他の四人も自分達の脈絡の無さを反省しているのだろう、特にルゼの言う事に異を唱える者はいなかった。


「レラさんも良い? 駄目なら断ってくれても良いわよ」


「いえ、私に答えられる事なら……それでルゼさん達の聞きたい事って何でしょうか?」


「そうね…………まずは外が今どんな様子なのか教えてくれる? これは私や他の四人だけじゃ無くて、集落にいる全員が知りたい事だと思うから」


 ルゼが最初にレラに問うたのは、この地下空間の外。敗者の終点に幽閉される前まで居る事の出来た青空の広がる世界。

 時間的な感覚がずれ、正確な年月経過が分からなくとも彼女達がこの場所へ幽閉されたのはそう最近の事では無い事は彼女達の言葉と態度から分かる。そしてそれはルゼが言うように、この場にいない杏奈達全員が気に掛ける事だろう。

 しかし、そんなルゼの言葉に戸惑いの表情を浮かべるレラ。


「あの、ナナキさんからは……」


 ルゼ達が知りたいと思っている事は既に名無が話したに違いないからだ。

 直接、彼女達に話してはいなくても名無に手合わせを持ちかけるほど気を許し距離を詰めている男達から伝わっているはず。それでも外の事を聞かれてはレラが言いよどむのも当然と言えよう。


「ナナキ君から話は聞いたわ。けど、貴女の話も聞きたいの」


「でも、殆ど同じような事になるかも……」


「それならそれで問題無いの……けど、そうね…………ちょっとした遊びをしましょう」


「遊び、ですか?」


「そう、ちょっとしたね」


「??」


 自分の話しについて行けないレラから視線を外し、ある方向へと眼を向けるルゼ。

 彼女の眼を向けた先にはレラ達と同じようにお茶を傾けながら言葉を交わす男性陣の姿があった。

 勿論その中には名無の姿があり、ティニーも名無の膝の上で用意されていたお菓子を口一杯に頬張る愛らしい姿を見せていた。少し前までレラの元に居たティニーだったが、お菓子を食べる姿がルゼ達に好評過ぎた為に抱っこ争奪戦が勃発。

 ティニーを膝に乗せ頭を撫で撫でしたいという声も多数上がり、ちょっとした騒ぎになってしまったのだった。レラとゆっくりお菓子を食べたいティニーにしてみれば予期せぬ障害、何とかルゼ達の要望に応えながらお菓子やお茶を口に運んでいたのだが我慢しきれず名無の元へ避難したのである。


(ティニーちゃんを呼び戻そうとしてるんでしょうか?)


 ルゼ達を嫌っていないとは言え、あの優しい子が逃げ出したのだ。呼んでも来てくれるとは限らない。

 無理強いはしないとは思うが、嫌がるティニーを誘うようであれば名無の手も借り止めようと考えるレラ。だが、彼女の心配は杞憂に終わる。


「レラさん、ナナキさん達の方を見てもらえる?」


「は、はい」


「今、ナナキ君達もお茶をしてるけど――男の人は全員で何人?」


「え、えっと……」


 レラはルゼに言われるがまま少し離れた場所で集まっている名無達に眼を向け人数を数える。

 名無を入れると男性陣の数は十人とレラ達の集まりよりも多い。それでもルゼ達の様な賑わうような事は無く、落ち着いた様子で言葉を交わしていた。年齢は高くても三十代、下は十代半ば。

 種族も人間、蜥蜴人、ゴブリン、有角族と様々だが互いにレラ達と同じように嫌悪する事など無く気心が知れた者同士の語らいの場だった。


「ナナキさんも一緒だと男の人は全員で十人ですね、此処からだと何のお話をしてるか分からないですけど楽しそうで――」


「所でティニーちゃんは何のお菓子を食べてたかしら?」


「えっ……」


「ティニーちゃんが食べてたお菓子よ。少し離れてはいるけど、何を食べていたかは見えていたでしょ?」


「少し、少し待ってもらえますか……えっと、えっと……」


 ルゼの唐突な質問に慌てたレラは回答の猶予を求めながらも、レラが何のお菓子を食べていたのか思い出そうとする。名無達が居るテーブルの上にある菓子は精々二、三種類。しかし、その中から何を食べていたのか思い出そうとしても中々思い出すことが出来ず焦りだけを募らせるレラ。


「ごめんなさい、困らせるつもりはなかったの」


 質問に答えられず四苦八苦するレラを見て意地の悪い事をしてしまったと、苦笑を浮かべ首を横に振るルゼ。


「私が言いたかったのは同じ世界に居ても違う世界に生きていると実感して欲しかったの」


「それは、どういう……?」


「もっとかみ砕いて言えば同じ場所で同じ景色を見ても、見る人によっては『視ているモノ』が違うと言う事よ。今のレラさんの反応が良い例ね」


 ルゼはレラの視線を名無達に向けさせ、男だけの人数を数えさせるよう誘導した。

 しかし、景色という大きな状況はレラが注視していた物以外の情報も同時に流れ続けている。

 レラが名無達の様子を窺っている最中でも、ティニーの存在を認識していた。だが、男の人数という限定された情報提供を求められてしまった為に、ティニーに関する情報処理が疎かになってしまったのだ。

 これは特に悪意があっての行動では無く、一番最初の質問に帰結する問答でもある。

 名無と一緒に同じ道を辿っても、同じ景色を見ても名無とレラが意識してみている物は違う。


 旅の道中、森の中を横切るとしよう。

 名無が視るのは草むらの中、木の陰に外敵がいないか。人に限らず野生の動物や魔獣などが襲いかかってきても対処できるよう眼を光らせている。

 一方でレラは手を引くティニーの様子や、食料や薬として採取することが出来る森に自生する果物や草花に眼を向ける。少し一例を考えただけでも、同じ場所で同じ景色を見ていても二人が眼を向けるものはこんなにも異なるのだ。


「ナナキ君とレラさんの視ている物は同じであって同じじゃ無い、視ている物から感じ取れる物も違う。だからナナキ君からだけじゃ無くてレラさんから視た世界がどうなっているのかを聞きたいの、分かってもらえたかしら?」


「はい、ちゃんと分かりました。そう言う事ならナナキさん達と一緒に旅をしてきて私が視てきた事、思った事、感じた事……お話しします。ルゼさん達の期待に応えられないかもしれませんけど」


「ありがとう……じゃあ、聞かせてもらえるかしら。貴女達の旅路がどんなもので、世界がどう見えたのかを」


「はい」


 ルゼ達の要望を正しく理解したレラは、名無達と一緒に旅をした中で自分が『視た』ものを。金の双眸に映してきたありのままの世界を伝えるのだった。



 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「――災難だったな、ちびっ子。向こうじゃまともに菓子も食えなかったろ」


「だっことか……はぐっ……あたまなで、んぐ……とか。されるのきらいじゃ、ない……けど、ティニーのはなしきいてくれ、なかった……あむあむ……」


「分かる分かる、俺も同じ事された。十四で成人前だってのにガキ扱いされて、一番若いからってやたらと構われまくった。キユロも一緒になって世話焼いて来た時は心折れたな……今思い出しても泣けてくるぜ」


「……んぐっ、なかないでニックスお兄ちゃん。ティニーのクッキーあげる」


「ああ、ありがとうな……妹が居たらこんな感じだったんだったのかもな」


 構いたがるルゼ達から逃げ、名無の膝の上で一息つくティニーとそれを励ますニックス。しかし、直ぐに自分も同じ眼にあったことを思いだし気落ちしてしまい、逆にティニーに気を遣われてしまっていた。

 だが、ティニーよりもニックスが受けた精神的ダメージは、それはそれは深い物だったに違いない。あと一年で成人する少年が一番若いという理由だけで甘やかされ、あやされ、構われる。

 そこに唯一の味方であるはずのキユロまで加わっては……十四歳の少年が甘んじて受け入れるには自制心が勝ちすぎる。ニックスに出来るのは羞恥心に耐え、こみ上げる悲鳴を飲み込むことしか無かったのだろう。


「俺の事は良いから喰え、誰もちびっ子の邪魔はしねえからよ」


「うん、ティニーいっぱい食べるね!」


 だからだろう、ティニーという年の離れた同士を得る事が出来たニックスの表情はとても晴れやかだった。


「……色々気苦労があったんだな」


「本当だよっ! 何で成人前の男がガキ扱いされてちやほやされなきゃなんねえんだ、虐めかっ!?」


「彼女達に悪気は無かったはずだ」


「なお悪いわ! 悪気が無いから手も足も出せねえじゃん!?」


「それは………………そうだな」


 純粋に気遣う気持ち、敬う気持ちからの行動と分かればおいそれと無碍にする事は出来ない。多感な年頃に想い人や他の女性陣達から世話を焼かれれば悪い気はしなくとも、ただただ照れくささから逃げ出したくなるのも当然の反応。

 しかし、同じ境遇に立つもの同士故に、彼女達の厚意を受け止めるのが一番の礼になると分かっているからこそ逃げ出す事も撥ねのける事も出来ない。

 綺麗どころから世話を焼かれ逃げ出したいなどと何とも贅沢な悩みと思うだろうが、ニックスにとっては一人の男としての沽券に関わる問題。その物申したくなる気持ちは、ニックスのように世話を焼かれた事のあるものにしか分からないだろう。

 それでも名無は少しでもニックスの心の傷が癒えるようにと願い、言いよどみながらも涙目のニックスの言葉に頷いて見せた。


「あの時は助けてやれなくてすまなかったと思っている。だが、彼女達の精神安定に一役かっていた事は確かだ。人助け、そう思って納得してくれ」


「そうだぞ。年を取ればちやほやされるどころか、ほったらかしにされるんだ。構ってもらえる間は構ってもらいな………………恋しくなるぜ」


 苦々しい賛同しか出来なかった名無を後押しするように同席するミドが苦笑交じりで、小型でありながら壮健な身体に立派な口髭を伸ばしたドワーフがもう一人――ダレフがしみじみと言葉を溢す。


「そうそう」


「若さい時限定というやつだな」


「それも四、五年も持てば御の字だね」


「……どっちにしろ救いがねえじゃんか……」


 そして他にも同席している男達も嘗て過ごした青春の日々を噛みしめるように頷き、中には眼に涙を浮かべ今にも零れ落としてしまいそうな者までいる。女は現実に生き、男は夢に生きる……誰が言ったか分からない男と女の差を目の当たりにしてしまったニックスは、羞恥心に耐える現在と待ち受ける未来の板挟みに頬を引きつらせたのだった。


「あー……それで、今回の集まりは一体何なんだ?」


 後にも先にも初々しい十四歳の少年が求める明るい未来は無い、人生の先達者達が揃って出したあまりな答えに意気消沈するニックス。そんなニックスの傷口をこれ以上広げまいとレラ達と同様に集まった本題に移る名無。


「前回は外の世界がどうなっているのかを話して貰ったが、今回はそう堅苦しいものじゃ無い。女性陣がレラさんの全快祝いにお茶をするというので、こちらも君を交えて世間話でもしようかと言う事になったんだ」


「女房達が和気藹々と茶を飲むんだ、こっちも尻に敷かれる肩身の狭い者同士仲良くいこうじゃねえか。なっ、坊主共」


「俺はレラから虐げられるような事はされていないんだが……」


「お、俺もキユロの尻になんか敷かれてないぞ! 無いからな!!」


「かーっ! 若い若い、自分達が尻に敷かれてる事に気付いてないなんて若い証拠だぜ。ちょっと考えりゃ、もう尻に敷かれてるって分かるだろうによ」


「と……言うと?」


 話を逸らそうとしてものの雑談がしたかったという結果、結婚後の夫婦生活の話題に戻ってしまった。しかし、既に尻に敷かれているという考えに辿り着けない名無達を哀れむように、額に手を当てるダレス。その彼の言葉に名無は首を傾げ疑問を投げかけた。


「ナナキの坊主、ニックスの坊主……お前等飯は作れるか? 洗濯は?」


「食事は完全にレラに任せている。簡単な物であれば俺も作れるが、健康面やティニーの成長に適した栄養のバランスの取れたものとなる難しいな。洗濯や他の雑用に関しては俺が魔法で担当している、勿論下着の類いを洗う際には眼を瞑り彼女の指示にしたがってだが……」


「俺の方は全部キユロがやってるぜ、夫はどしっと腰を下ろして構えてるものだよって」


「……………………………………………………どっちも手遅れだ、尻に敷かれてやがる」


「「っ!?」」


 重い沈黙に続いて溢れでたダレスの敗北宣言に揃って衝撃を受ける名無とニックス。


「食事に関してはそうかも知れないが……レラと協力して家事をこなすのは特に変わった事では無いはずだ。助け合う事に何か問題があるのか?」


「俺の方は亭主関白って奴だろ、身の回りの世話を進んでやってくれてるんだしキユロの尻に敷かれてなんて」


「甘い、甘いぞ! 甘すぎて涙が出る!! ナナキの坊主!!」


「な、何だろうか?」


 仮初めの夫婦を演じているだけとはいえ、旅の中で互いに不得意な分野を支え合ってきた仲だ。

 自分は戦闘面で、レラは生活面で。

 ティニーも旅に加わったことでそれはより顕著に役割分担として表れた。しかし、言ってみればそれだけの事でダレフのような鬼気迫る苦言を受けるような事では無い。無い、はずなのだが……。

 逃げ場を失い追い詰められかのように額から汗を流すダレフの剣幕に、柄にもなく及び腰になってしまう名無。


「良いか、確かに出来る事と出来ない事を分けて役割を分担するのは良い。だが、女房の言う事を聞いて家事をやっちまってる時点で負けてるんだよ。自分のやり方で物事を進められねえって事は、のっけから天敵(にようぼう)に命を握られてんのと変わんねえぞ!!」


「な、なら俺は大丈夫じゃんか。俺がやれない事とかやりたくない事とかさせてるようなもんなんだし……」


「思い上がるな、青二才!! お前さんの方は手遅れ中の手遅れ、起死回生の可能性すらねえ――キユロ嬢ちゃんのかかあ天下だ!!」


「な、何でだよ!?」


 名無と違ってニックスは家事を一つもせず、全てキユロに任せている……それが何を意味しているのか全く理解していない少年に自身の経験から得た悲しい現実を告げるダレフ。


「一見キユロの嬢ちゃんがニックスの坊主に尽くしているように見えるが、それは酷え勘違いだ。ニックスの坊主、お前さんはキユロ嬢ちゃんに家事をやらせてるんじゃねえ…………家事をさせてもらえねえって事なんだよ!!」


「そ、それの何が駄目なんだよ、ダレフのおっちゃん」


「分からねえか? 腹が減っても飯は作れねえ、着てるもんが汚れても洗濯できねえ、部屋が汚れても片す事もできねえ……そうなりゃ普通に暮らしてくのも難しい。そんな時、お前さん誰に頼む?」


「誰って……そりゃあキユロに……――ッ!?」


「そうだ、ニックスの坊主。お前さんははなから命を握られちまってんのさ、どうしようもねえくらいにな」


 お腹を空かせても満足に食べるものを作れなくては何れ栄養が偏り異常を来す、身に付けているものや寝食をする部屋が汚いままでは衛生管理上の問題が浮上する。最初は気にも掛けない軽度なものだろう……だが、時間を重ねれるにつれその影響は悪化の一歩を辿るのは分かりきっている。


「今からでも何とか出来ないのか、ダレフのおっちゃん!」


「……言ったろ、手遅れだってよ」


「そ、そんな……」


 ダレフの口から明かされた事実にニックスは俯き肩を落とす。

 一緒に話を聞いていた他の男達も同じ境遇に立つ者達なのだろう、彼等の表情も苦々しく暗いものだった。

 もっと早く気づいていれば……そんな後悔の言葉が聞こえてくるような表情を浮かべていた、だが――


「…………ミドさん、この話はここまで深刻なものなのだろうか?」


「いや、まったく」


 席を立ちテーブルのすぐ横に集まって涙を流すニックスとダレフ達。

 いつの間にか始まってしまった生涯を共にすると誓った妻に対する口に出す事が出来ない、大黒柱として敬ってもらえない事に対するささやかな反抗。成人していない少年が混じっているとは言え、大の男が円陣を汲むように身を寄せ合っている姿は何とも言えない哀愁が漂っている。

 思わぬ収まりを見せたニックス達の姿に名無は声量を下げミドに確かめ、ミドもミドで無慈悲に断言して見せたが口元は懐かしむような笑みが浮かんでいた。


「俺の場合はアンナがあの中に混じっただろう。あいつは致命的に家事が出来なくてな……料理を作らせれば何故か炭を量産する、洗濯を頼めば無事な衣服が無い、掃除を頼めば掃除をする前より汚くなってしまう」


「つまり、貴方たちの場合はミドさんが杏奈さんの命を握っているという事になるな」


「ダレフ達の言い分を飲み込むのならな。だが、参考にしない方が君の為だぞ。皆まで言わなくても分かるな?」


「分かる…………と、言ってしまって良いのだろうか」


「理想的とも言える関係を築けている君達であれば亭主関白やかかあ天下とも無縁だろう。いずれそのどちらかになるのだとしても今は確実に不要な手本だ」


「そう言ってもらえると安心だ……」


 夫婦としてではなく協力者としての支え合いなのだが、それを理想的な夫婦関係と言われてしまうと罪悪感にも似た後ろめたさを覚えてしまう。


(いや、夫婦にも色々な形がある。俺達のような夫婦もいると知っているからこその発言なんだろう)


 名無は意外な場所で知ってしまった夫婦間のパワーバランスの実情に複雑な思いを浮かべながら、癒やしを求めるように自分の膝の上に座っているティニーの頭を撫で、


「ティニー?」


「…………ん…………ぅ…………」


 名無はティニーの頭が力なく揺れる事に気づく。

 撫でる方向に頭が動くとまでは言わないが左右前後、首の支えを失ったように揺れる様子に口元を緩めた。


「すまないミドさん、俺達は此処で失礼させてもらう。ティニーを休ませてやりたい」


 レラ達の元ではゆっくりと食べられなかったお菓子とお茶をお腹一杯食べた事で眠くなってしまったティニー、ニックス達と話していても会話に参加しなかったのはお菓子に夢中だったのではなく心地よい睡魔との戦いに勤しんでいたようだ。


「ああ、こちらは俺が相手をしておこう。レラさんにも声を掛けていくと良い、あちらもそろそろ良い頃合いだろうさ。話を聞くどころか俺達の愚痴に付き合わせてしまって悪かった」


「こうして気兼ねなく話し合える事が貴重だと言う事は身にしみている、気遣い感謝する」


「こちらこそだ。さて、これ以上引き留めても悪い。もう行くと良い」


「ああ、ではまた後で」


 ティニーの眠りを妨げないよう抱きかかえ席を立ちレラの元へと向かう名無。ミドの言うようにレラの方もルゼ達と区切りの良いタイミングだったのか、名無が向かっている事に気づいたレラはルゼ達と何度か言葉を交わし名無の元へ駆けつける。

 合流した名無とレラは互いに名無の腕の中で静かな寝息を立てるティニーを見て微笑み合い、眠るティニーを起こさないよう何も喋る事無く部屋へと戻っていった。

 その暖かで微笑ましい光景を見つめるミドは小さく息を吐く。


「アレを見せられてはアンナが引き留めようとするのも無理はない、な……」


 ため息と共に溢れだ声は声量以上に小さく震えていた。そして、並んで歩く名無達を映すミドの金の瞳も羨む言葉とは反対に、悲痛な悲しみの色が浮かんでいた。





月一更新の作品ですが読んで頂きありがとうございました!

よろしければ評価や感想等頂ければ幸いです<(_ _)>



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