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同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第四章 延命休息
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    停滞の誘い(3)


「――君が心象酔いで気を失っている間に起きた出来事は今話した通りだ」


 無事に身体を拭き終わったレラを前に佇まいを直し、レラが倒れていた三日間の間に起きた出来事を話し終える名無。

 ルクイ村やラウエルのよう一方に偏っているのでは無く、シャルアの様に歪な調和で成り立っているのでも無い。魔族と人間が互いを互いに尊重し、対等な関係を築く敗者の終点は均整の取れた牢獄とも言える。

 魔王に挑み敗北した者達を集め幽閉しているという事実は、自分達がどのような状況にあるのか説明する以上は避けては通れない。


 レラが倒れた事もあり、ティニーには詳しい説明はしていないものの情が異なるとは言え、名無達はそんな魔境とも言える場所に足を踏み入れてしまった。その事実だけでも飲み込むには中々骨がいる。

 其処に今までに無かった夫婦という役回りが加わり、魔族と人間が理想的な関係を築いている場所、既に三日程時間が経ったが危険らしい危険は無くむしろ新参者である自分達に友好的であると、一気に情報を突き詰められるというレラの負担に拍車を掛けてしまう形だ。

 名無は苦い顔を浮かべ理解が追いついていないであろうレラの言葉を待つ。


「私が気を失ってる間にそんな事が…………でも、ナナキさんの話を聞けて納得出来ました」


 しかし、名無の心配は意外にも杞憂に終わった。


「納得がいったというのは?」


「目が覚めてから少しして私と同じブルーリッドのルゼさんから『此処は魔族の集落でもある』って教えてもらった事と、後はリンカさんが……えっと汗を拭くお手伝いをナナキさんに代わって欲しいと言った女性の方が何の抵抗もなく私に接してくれた事ですね」


 ルゼの言葉から人間と共に暮らしている事は何となく察する事はできたものの、汗を拭く手伝いに着たのが同じ女とは言え人間だった事には少なからず動揺していたレラ。

 だが、戸惑うレラを余所にルゼから介助役を任せられた燐火は特に気にした様子も無く和気藹々と清拭の準備を整えるのだ。そんな彼女の様子を見れば確かな確信とまでいかなくとも、必要以上に気を張る必要が無いのだと分かってからは少しだけ余裕が出来た……部屋に名無が突入してくるまではだが。


「嘘なんて無い、心から信じ合えている魔族と人間族の街。ナナキさんから話を聞いた今でも半信半疑ですけど、こんな場所がこの世界にあったんですね…………夢みたいです」


「夢じゃ無い、少なくとも此処では」


「はいっ!」


 愛する者と一緒に穏やかに暮らす、そんな細やかな願いすら力と暴力で踏みにじる世界。一体どれほどの痛みを与えられ、涙を流した者がいるのかも分からない世界で牢獄と言えど敗者の終点は平穏を望む多くの者達が願ってやまない理想の形。

 どれだけ歪に築き上げられようとも、敗者の終点の在り方を夢に見ただろう。

 そんな夢物語に等しい安息の地に身を寄せているのだ、眼を覚ましたばかりのレラが夢なのではないかと口にしてしまうのも無理は無い。

 だが、彼女が眠っている間に杏奈やミド達と接した名無の肯定がレラの浮き立つ心に確かな芯を通すのだった。


「それでもう一度確認するが身体に異常はないか? もしかすれば杏奈さん達も合流するかもしれない、辛いようなら面会は控えてもらえるよう伝える」


「大丈夫です。痛みや怠さも無いですし、体力もそこまで落ちていないみたいですから」


『純粋な時間経過しか対処法がない症例です。昏睡状態に陥ったとは言え、安静にしていた事で消耗は最低限に抑えられていました。現状、日常生活に支障を来すような事は無いでしょう』


「分かった。なら、そろそろティニーを向かえに行こう。ティニーも君が眼を覚ますのを待っていたからな」


 レラが眠っている間、明るく陽気に振る舞っていたティニー。それは自分だけでなく杏奈達にも要らぬ心配をさせまいとした子供だからこその気遣い。そんな健気な姿に無理をするなと言えるはずもなく、ティニーの頑張りを見守るしかなかった。

 しかし、それもレラがこうして目覚めた事で無理をして見せていた快活さとはおさらば。妙な気を回してくれた燐火に連れて行かれてしまったものの、この部屋に来るまでに自分が見たティニーの満面の笑みは心の底から溢れ出たもの。

 レラの体調に問題が無い以上、これ以上お預けをするような真似をするのは場をわきまえないにも程があるだろう。


「マクスウェル、ティニーは今どこにいる?」


『ティニー様は現在、この部屋を出て右に五十メートルほど進んだ所にある個室にいます。室内の造りも同質ですので燐火様の自室ではないかと』


「早速向かおう、きっと首を長くして待っているはずだ」


 名無はベッドに腰掛けるレラに手を差し伸べ、レラが立つ手助けを。

 そこまで弱っていないのは今さっきの会話から分かっていたことだったが、名無の銀の双眸に焦燥も気負いもなく、無意識と言って良いほに手を差し出していた。

 そんな名無の手にレラは眼を瞬かせる。


「どうかし――」


 自分の手を見つめたまま固まるレラに声を掛ける名無だったが、レラが心象酔いから脱したばかりだった事に気付く。もう触れてももんだ無いと入っても、再発の不安はそう簡単に割り切れるものではないだろう。

 名無がレラに右手を差し出したのは彼女の身を思ってのことで、決して害そう等という感情は微塵もない。無いとは言っても倒れた本人にしてみれば戸惑ってしまっても、自分を表の気遣いから出た行動を責めるような真似が出来るはずも無い。

 レラに要らぬ気遣いをさせてしまう前にと、名無は差し出した手を引っ込めようと――


「ありがとうございます、ナナキさん」


 した寸前で感謝の言葉と共に名無の手を取って立ち上がるレラ。

 気まずげな名無にレラは柔らかな笑みを浮かべ、力なく握られている手で名無の手を握り返す。

 触れた手が読み取った名無の心色は初めて出会った日に見る事が出来た陽光色。微かに憂いを表す紫色を帯びてはいるが、陽光色の見せる温かな煌めきの前では霞んで見える。


「……大丈夫か?」


「はい、大丈夫です。早くティニーちゃんのところへ行きましょう」


 何もおかしな事はない、そう言葉にしないままにレラは名無の手を引いて待ちくたびれて居るであろうティニーの元へと足を進めた。


(……良かったです、眼が覚めて初めに見る事が出来たのがナナキさんの心の色で)


 立ちやすいようにと名無が差し出した手はもう離してしまっても良い。けれどレラが名無の手を離す事は、ティニーの元へ到着するまで終ぞ無かった。

 色や感情だけでは無い。

 名無の厚く大きな掌の感触と温かな熱が優しく自分の心を包み込んでくれている。その事実に気遣いが徒になったのではと思っている名無には申し訳ないと思いながらも、名無の前を歩くレラの口元は綻び彼女の胸は温もりよりも確かな熱に満ちていた。

 見えるはずの無い心の内を見る事が出来る……その種族の手を微塵も恐れず握ってくれる事が、自分の胸の内を隠すこと無く見せてくれている事が――ただ嬉しい。

 そんなレラの胸の内は誰も知るよしも無かった。













「……っ……ひぐ…………よかった、レラ……おね……んっ……」


「心配させちゃってごめんなさい、ティニーちゃん。私はもう大丈夫です、元気になりましたから泣かないで下さい、ねっ?」


「うん……うん……っ……」


 情報の共有を終えティニーの元へ駆けつけた名無とレラ。

 二人がティニーと燐火が待つ部屋に入った途端、ティニーは翡翠色の大きな瞳を涙で濡らしレラへと抱きつき嗚咽を溢した。

 病に倒れ床に伏していたレラを見ても涙を流さなかったティニーだったが、彼女の元気な姿を見て今まで気丈に堪えていた不安と寂しさが溢れ出てしまう。こればかりは小さな子供が我慢に我慢を重ねても、最後まで本心を誤魔化しきれるはずも無い。

 レラの呼び方も素に戻っている事に気付かずティニーは泣きじゃくりながらレラの言葉に返事をかえす、あの様子ではしばらく泣き止むことは無いだろう。レラも無理に泣き止ませるような事はせず、優しくティニーを抱きしめ頭を撫でる。


「よが、よがっだ……ぼんどに……ずずぅ……ぼんどによがっだねぇ!」


「……もらい泣きしてしまうのはおかしな事では無いが、何でお前の方が泣いてるんだ?」


 そんな二人が抱擁しあう光景にレラの腕の中で涙するティニーが霞むほどに、杏奈の両眼から止めどなく涙が溢れ出ている。杏奈が手に持つハンカチは流れ続ける涙によってびしょ濡れ、もはや汗や汚れを拭き取る役目を果たせる状態はとうに過ぎ去っていた。

 レラとティニーの微笑ましい再会に涙するのは分かるのだが、まさかここまで泣き散らかすとは夫として連れ添ってきたミドですら予想していなかったのだろう。

 泣き止まない杏奈に驚きと呆れが入り交じった双眸を向けながらも、ミドも杏奈を泣き止ませようと彼女の背中をさするのだった。


「すまないな、ナナキ君。レラさんが眼を覚ましたと聞いて様子を見に来ただけだったのだが、こんな事になるとは……」


「いや、杏奈さんの方がずっと落ち着いて二人を見ていられて助かっている。燐火さんでは……その、こうはいかなかっただろう」


 レラが目覚めた事は既に敗者の終点にいる全員に伝えられていた。それは何も新顔に対する警戒心や敵愾心から来るものではない事は、この数日間で身を持って知った。勿論、燐火も例に漏れること無く善良な人間である。

 しかし、自分がレラと夫婦であるという事から自然に悪意なく実行しにくい助言を溢されるのだ。

 目覚めのキスはしたのか、熱い抱擁はすませたのか、折角二人きりの時間を作ったのだからもっと色々しても良かったのではとか……この時ばかりはティニーが泣いてくれていて良かったと思ってしまったほどだ。

 善意から出たものとは言え、内容がかなり情熱的なものばかり。

 本当の夫婦で無くては……本当の夫婦でも時と場合を考えなくてはいけない事ばかり促されては、どう受け答えをした物かと困り果てていた。そこに杏奈とミド駆けつけ燐火と交代してくれた時は心底安堵した。


「リンカは杏奈以上に意思表示がハッキリしているからな、普段からあの調子で本当に悪意は無い。彼女と接する時は俺達でさえ惑ってしまう時が未だにある、難しいと思うが嫌わず慣れてくれ」


「……彼女と話す時は注意する」


 人として嫌いになるとまでは言わないが長年連れ添った夫に先立たれたエルマリアでさえ、こちらの事情に配慮して好奇心を満たす程度で済ませていた。燐火に関しては好奇心などではなく彼女にとって当たり前の夫婦観を口にしているだけなのだろうから自分やレラとは相性があまり良くない。

 トは居て相性が良くないからと彼女から距離を置くような事はしないが、相対したときはその手の話を前触れも無く降ってくると言う事だけは気に止めておかなければ……。

 眉間に浅くない皺を寄せながらも名無はミドの気休め程度の助言を受け止め、自分なりに燐火に対する対応を検討することにしたのだった。


「とにかく、君の旅仲間が眼を覚ましたのは何よりだ。落ち着いて話せたか?」


「ああ、自分達の関係性とこの集落について。他にはここ数日の様子を少しだけ……後はレラの経過を見てその都度と言った所だろうか」


「そう急ぐ必要は無い、この場所は幸か不幸か外界の干渉は殆ど受けないからな。レラさんの体調の安定、ティニー嬢の精神の沈静化。どちらも万全になったと思えるようになるまでいれば良いさ」


「こちらとしてはその申し出はありがたいが……」


 生命維持に必要な物資の補給以外の接触が無いとは言え、自分達という例外を放置しておくとは思えない。未だに敗者の終点の全容を知り得ていない以上、このまま何も無いと判断するのは浅はかだ。


(此処には年齢、性別、種族に関係なく一流の実力者が多く幽閉されている。ある意味、魔族と人間族の争いに変化を起こすことが出来る第三勢力とも言えるほどだ……なのに此処から脱出しようという様子が無いのも気になる)


 各々の目的が違ったとしても、魔王ノーハートを討つという目的は合致しているはずだ。それでも反撃の準備を整えるのでもなく、むしろ至って穏やかな生活を送っている。


(下手をすれば外から入る事が出来ても中から外に出る事が出来ない事もありえるか)


 杏奈が敗者の終点について話してくれようとした時、ミドは口止めはしていたが自分達にはまだ選択肢が残っているとも言っていた。その事を考えれば外にでる方法はあるにはあるのだろうが……。


(最悪の場合、持てる手段全てを使ってでも力尽くの脱出を試みるしかないな)


 どちらにせよ回復したばかりのレラに無理はさせられない、ティニーの泣き様を見ても彼女がもう一度倒れるような事態にだけは避けたい。


「………………」


 ミドの提案を素直に受け取るべきかどうか判断できず、名無は眉を寄せたままミドに答えを返せずにいた。


「……んんっぐ! そんな難しく考えなくても大丈夫だよ、名無君」


「杏奈さん?」


「あたし達の言う事が怪しいのは分かってるけど、ミー君が言ったことは本当だから。食べ物とか服とか、そういう物資が減った頃にしか動きはないよ。それだって魔法で一方的にだから、あたし達が名無君達の情報を送る事もできない……ここは何時か来る終わりまで只生きる事だけを課せられた場所なの……だからね、名無君」


 溢れ出る涙を拭い終わった杏奈は、中々泣き止まないティニーとあやすレラに優しい眼差しを向け――


「名無君の旅が、どうしても譲れない物じゃないのなら名無君達も私達と一緒に此処で暮らしたら良いよ。外には出ることが出来ないのはつまらないかもだけど、戦う事を強要されることは無いし、安全だし、きっとレラちゃんとティニーちゃんも喜んでくれるとおもうな」


「………………」


 その言葉は優しさと安らぎに満ちている、レラ達に向ける瞳も温かい。

 だと言うのに名無の眼に映る杏奈の横顔からは二人では無い何かを見ているように見えた、同じ視線が、同じ笑みが浮かんでいながら……確かな安らぎと暖かさを感じることができながらソレが恐ろしい。

 杏奈の言葉に偽りはなくだろう、なのに横顔は何処までも無機質に見えてしまう。

 それでも彼女の言葉は感じた畏怖よりも誘惑の如く名無の耳に強く残った、まるで敗者の終点こそが彼が歩むと決めた旅の終わりに相応しいと言うように。





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