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同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第四章 延命休息
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    停滞の誘い(2)


「………………」


 名無の銀の双眸に映るのはきめ細かで柔らかな質感の小さな背中、浮かぶのは困惑と動揺に揺れ動く理性。

 息すら騒音になり得てしまう静寂に包まれた室内で口を噤み、隠す物の無いレラのむき出しの背に視線を注ぐ名無。しかしそれは劣情から来るものではない、胸の内で暴れ回り抑えきれない混乱を抑え込もうとした結果。


「………………っ」


 そしてそれは名無に背を向け肌を見せているレラも同じだ。

 女としての象徴である双丘や秘部を暴かれた訳でなくとも、あるがままの素肌を隠すことなくさらけ出している状態。むき出しの背中は微かに震え、青みがかった烏羽根色の髪から覗く耳が赤みを帯びてしまっている。

 互いに疚しい気持ちを抱いていない事は分かっている。それでも自らの意思で異性の肌を見ている、見せていると言う状況では二人に気まずさ以上の危機感を感じさせていた。


「………………」

「………………」


 宛がわれた部屋には二人だけ、助け船を求めようとしても助けを求められる相手はいない……名無とレラは揃って無言を貫くしかなかった。


(この状況、レラになんと言って謝れば。……いや、謝って済むような問題じゃない)


 これは自分とレラ、そしてティニーの三人家族という設定が招いてしまった事態。

 本当ならこうなる前にレラに自分達が置かれている状況と関係性を説明したかったのだが既に手遅れ、せめてもの救いは敗者の終点の責任者的な立場にいる杏奈とミドが事態を理解していることくらいだろう。

 しかし、目覚めたばかりのレラがその事を知るわけも無い。


(レラが無事に眼を覚ましてからと思っていたんだが……駄目だな、言い訳にしかならない)


 何も間違った判断では無いのだが、レラに責任を押しつけるような考えを抱いた事に首を振って自分を律する名無。


(そもそも彼女が目を覚ましたと聞いて浮き足立った俺が悪い。落ち着いて彼女の元に駆けつけていれば、こんな事になってはいなかったはずだ)


 名無はむき出しのレラの背中から視線を逸らし、自分の直ぐ横に置かれた手ぬぐいと湯気が立つ風呂桶に恨みがましい視線を向け何故こんな状況に追い込まれてしまったやり取りを思い出す。



 ――レラが目覚めたと聞いて彼女の元へ駆けつけ名無が真っ先に眼にしたのは、ベッドの上で惜しげも無く上半身を晒していたレラだった。

 いや、晒していたと言ってしまえば語弊がある。

 彼女の胸元は右手に握られる脱いだシャツで隠されおり、彼女の傍らには身体を拭こうとしていた人間の女性の姿があった。


『ナ、ナナキ……さん』

『すまない』


 眼を覚ました事を共に喜ぶ間もなく、レラの困惑に震える声に名無はすぐさま彼女に背を向ける。

 幾ら浮き足立っていたとは言え前もって部屋に入る許可を取るのが礼儀なのは名無も分かっている。だが、名無達が使っている部屋には扉が無い。

 急遽宛がわれた部屋と言う事もあるが、心象酔いに倒れたレラに必要以上の接触が出来なかった事が一番大きい。布越しであれば問題ないとの事だったが、この部屋でも充分に快適に過ごすことが出来たが為に扉の付いた部屋への移動を後回しにしてしまっていたのだ。

 扉が無ければ布などを下げれば良かったのだがそれもしなかった。こういった細かい所まで気を回す余裕が作れなかったのはレラが倒れ冷静で無かったからなのか、女性と違い特に裸を見られても何も感じない男としての感性から来た物なのか……それは名無にしか分からない。

 分かっているのはレラに対する配慮が少しばかり足りなかった事で、何の許可も無しに名無がレラの肌を眼にしてしまったという事だけはハッキリしていた。


『すまない、君が目覚めたと聞いて駆けつけたんだが……』


『い、いえ……私の方こそはしたない格好で……』


『いや、君は何も悪くない……本当にすまなかった』


 悪気も見る気も無かったとは言え眼にしてしまったことは事実、名無は彼女に背を向けながらも真摯に謝罪の言葉を繰り返す。レラも名無が事故を装ってそんな事をするよう人手は無いと知っているが、やはり上半身、それも裸同然の姿を見られては落ち着いていられるわけも無く頬を赤く染め小さな背中を更に縮こまらせる。


『ふふっ、二人とも恥ずかしがっちゃって可愛いじゃないの。まあ、見たり見られたりするのは恥ずかしいものだしね。でも、夫婦なんだから見慣れてるでしょ? ティニーちゃんみたいに大きな娘がいるのに、まだまだ初々しくいられるのは羨ましいかも』


 しかし、そんな二人を更に追い詰めるようにレラの介助をしていた女性が爆弾を投げ込んだ。


『っ』


『ふ、夫婦?』


『夫婦って言われて揃って慌てるなんて本当に仲が良いね。じゃ、旦那様も来た事ですし後はお任せしましょう。今さっき身体を拭こうとしてた所だから交代するにも丁度良いでしょ』


『いや、丁度良くは――』


『はいはい、照れない照れない。愛する奥さんを労るのは旦那様のお勤めなんだから、恥ずかしがってたら駄目よ。ティニーちゃんは私が預かっててあげるから、終わったら声をかけてちょうだいね』


 レラの介助を名無に託した女性は嬉々とした表情を浮かべ、状況を理解し切れていないティニーを戸惑う名無から優しく丁寧に奪い取っていってしまう。ティニーもティニーで抵抗する間もなく抱きかかえられてしまい呆けている。

 そして、去り際には『ごゆっくり~』と妙に弾んだ声で言い残されてしまう始末。

 名無にレラを任せ、その場を颯爽と後にする手際は今日まで彼が手合わせをしてきた誰よりも無駄がなかった。気が抜けた所でレラのむき出しになっている背中を見てしまい動揺している名無では対応出来るわけもなかった。



 ――もう手遅れな状況下で無駄だと分かっていても名無は目頭を抑え、今に至る過程を思い返し今自分が何をすべきかを考える。


(とにかくレラが眠っている間に起きた事を説明しなくては、人目の無い今なら俺が彼女の身体を拭かずに済ませられ――)


「ナナキさん……お願いできますか?」


「っ」


 気まずい沈黙が続く中、何とか事なきを得る為に動こうとした名無。だが、レラの思わぬ言葉にに名無は眼を見開いた。そんな彼の動揺を晒したままの小さな背中で感じ取ったのか、レラも慌てて自分の発言の真意を伝える。


「せ、背中だけ、背中だけお願いします! 背中は拭きにくいので……あとは自分で拭けますから」


「あ、ああ。それくらいであれば俺でも手伝える」


 待ち望んでいたレラの目覚め、事前の打ち合わせが出来ていない夫婦としての役と立ち回り、予期せぬお節介と早すぎる状況の変化を立て続けに受けてしまい冷静になりきれていない名無。

 しかし、全身を拭く事になるのかと気が動転してしまっていたようだが、自分では手が回りにくい背中を拭くだけと分かってナナキは小さく安堵の息を溢し落ち着きを取り戻す。そもそもレラが身体を隅々まで等と大胆な事を言うわけが無いのだが。


(戦闘状態でも無いのに精神が安定しない、余裕も無いわけじゃない……何故だ?)


 戦場において冷静な判断を下せない者から命を落としていく。

 《輪外者》として戦いの場に駆り出された時から、いかなる状況下でも平静を保てるよう訓練され無理矢理心を押さえ込む方法も身に付けた。そんな自分が命に別状がないと分かっているのに、レラが倒れた時から今までに無い程に感情を制御できていない。

 感情全てを理解し制御できているとは言わないが、ある程度の鎮静行動は取ることが出来ていたというのに……


「……ナ、ナナキさん?」


「何でもない、今背中を拭こう」


 異性に対する触れあいは些細と良い物では無いが、ちょっとした事で感情が乱れてしまう自分に戸惑いながらも、レラの声に促され名無は用意されていたお湯に手ぬぐいを浸す。

 濡らしすぎず、絞りすぎずといった具合に手ぬぐいを絞ってレラの背中に当てる名無。


「背中だけなら直ぐに終わるが、拭く力が強すぎたら言ってくれ。こうして誰かの背中を拭ってやるのも初めてで加減を間違えるかもしれない」


「わ、分かりました」


「なら、拭かせて貰うぞ」


「お、お願いします………………んっ」


 レラからも許しを得た名無は拭いきれない戸惑いを残したまま手を動かす、そのせいか些か動きは遅い。少しでも力加減が強ければレラの艶とハリのある青い肌を傷つけかねないが、力加減も速さも丁度良いのかレラは気持ちよさそうな吐息を溢した。


「痛くないか?」


「はい、力加減も手ぬぐいの暖かさも丁度良いです。それにナナキさんの大きな手で背中を拭いて貰ってると何だか安心します」


「そうか、それは…………何よりか?」


 彼女から安心すると言って貰えて悪い気はしない。しかし、状況が状況だ。

 直に肌に触れているわけでは無いが、レラのさらけ出されたきめ細かい柔肌を眼にしている事に代わりは無い。自分に気を許してくれているのは嬉しいとは思うものの、自分としてはもっと警戒心を持ってくれた方が安心なのだが。


「あの、ナナキさん」


「力が強かったか?」


「強さは丁度良いです……その、私とナナキさんは夫婦に……なってるんですね」


「……その事についてはすまない、君が怒るのも当然だ」


「お、怒ってませんよ。私が倒れちゃったのが悪いんです、それに私なんかと夫婦だなんて……ナナキさん嫌な思いを」


「そんな事は無い、役とは言え君の伴侶として振る舞う事に不満は無い。むしろ礼を言いたいくらいだ」


「………………」


「レラ?」


 背中を拭き始めてから十秒ほど、レラの小さな背中は直ぐに拭き終わる。

 力加減も申し分ないと言われほっとしたものの、何故か肩をふるわせて黙り込んでしまった。耳や首のあたりも赤くなっている……手ぬぐいは彼女の背中から離しているし、痛みを与えるような事はしていないはず。


(……まさか心象酔いがぶり返したのか?)


 ルゼは直接肌に触れなければ問題ないと言っていたが、拭いている間に何かの拍子で手がレラの肌に触れてしまったのかも知れない。

 これ以上思いがけずレラの肌に触れてしまわないよう名無は手に持っていた手拭いを桶に置き、自分が着ているコートをレラに羽織らせようと――


『マスター。レラ様を思っての行動だと思いますが、それでは何の解決にはなりません』


 名無がコートを脱ぐ前にレラの首元からマクスウェルの非難染みた声が上がる。


「マクスウェル」


『本当なら何が原因かを説明したいのですが、この問題はマスターがご自身で考え気づき今後どうすべきか導き出さなくてはいけないものです。それが出来れば本当の意味で迂闊な発言をせずに済む様になるでしょう』


「……よく分からないが、今まで以上に注意する」


 マクスウェルの言動からすると自分の発言が拙かった事は分かる。だが、自分としては思った事をそのまま口にしただけ。褒め言葉の部類だと思ったのだが……レラの気分を害してしまったようだ。


『そういう所なのです、マスター』


「そういう所と言われてもな……それより、心象酔いがぶり返したわけじゃないんだな?」


 チクチクとマクスウェルに理詰めされそうな予感を感じ取った名無は、助けを求めるように今もぷるぷると震えているレラに身体の具合を確かめる。


「……すぅ、はあぁ……すぅ……はぁぁ……はい、大丈夫です。心象酔いの方は治まってますし、ナナキさんの手が肌に当たった感じは無かったですよ」


『レラ様の言う通りバイタルに異常ありません。心象酔いの発症データは保存しておきます、次の発症の際には慌てずに対処することが出来るかと』


「そうか、また病み上がりのレラに負担を掛けてしまったのかと思ったんだが大丈夫なら良いんだ」


 病み上がりのレラに助けを求めてしまったのは情けないものの、名無が彼女の事を心配しているのも事実。レラの口から体調に問題が無いと聞けた事と心象酔いに関する情報を充分に得られたというマクスウェルの言葉に名無は胸をなで下ろした。


『マスターの不安を解消できた所で話を元に戻します、目を覚ましたレラ様と情報の共有を。先ほどの女性から周囲を気にせず時間的猶予も提供して頂いたとは言え、あまり長い時間を掛けるわけにはいきません』


「ああ。俺は一端部屋の外にでる。身体を拭き終えたら声を――」


『いえ、マスターとレラ様が夫婦関係にあるという設定上この部屋から退出すべきではありません。探索範囲にティニー様と傍にいる女性の方以外に反応はありませんが、杏奈様やミド様が様子を見に来る可能性があります。彼女達の行動力の高さは侮って良い物ではありません』


「……確かにな」


 ここ数日だけで二人の……と言うより、杏奈の行動力と気配の消し方には驚かされた。気づかないうちに背後に、とまではは行かないが気がつけば自分の間合いの直ぐ外まで接近されている事もあた。

 何故気配を消して近づいてくるのかと直接聞いてみても無意識にやっているようで、ミドも今まで見た中で一番苦々しい顔を浮かべていたのが強く印象に残っている。


「見ないよう背を向けているからその間に身支度を済ませてもらえるか? 病み上がりの君にこんな対応をとるのは本当に済まないと思ってる」


「き、気にしないでください。水浴びの時と同じだって思えば大丈夫ですから! 汗を拭くだけですからすぐに終わります、少しだけ待っていたください」


「ああ」


 設定上の夫婦としての関係性により強い信憑性を持たせる為とはいえ、マクスウェルの助言を渋々と受け入れる名無。レラが理解を示してくれた事で気まずさはないものの、心穏やかな状況とは言えない。


(もう少し気が休まるようにしてやりたかったんだが……何事も経験か)


 夫婦どことか恋人関係ではないし、そんな経験をした事もない。

 この段取りの悪さはそんな経験不足から来るものだと冷静に割り切った名無だったが、彼の背中は自分の背後で麗しい少女が身なりを整えているという浮き立つ状況下とは反対に力なく丸まってしまうのだった。





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